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神ナリシ模倣者ト神門審判  作者: 高木カズマ
最終章 起 『七つの厄災』ト開戦ノ『裁定戦争』
324/415

第六話 世界左右す決死行Ⅰ――突入・突撃・突入

 ――■■が欲しかった。

 

 ――我輩は孤独ダ




 だって、誰も教えてくれなかった……ッ!




  


 ――知ってしまったカラ。



 

 ……知らなければ良かった。こんなことになるのなら、ずっと――














 ―――――――独りぼっちで、良かったのに――――――――
















☆ ☆ ☆ ☆



「――つまらん……」



 退屈だと少女は言った。世界に飽いた。空に飽いた。土に飽いた。海に飽いた。永遠に続くこの退屈しのぎに飽いた。

 久しぶりに肺に吸い込む現世の空気は記憶と違わず無味乾燥、この胸の中には虚しさばかりが転がっている。まるで空の箱のように。


 退屈だと少女は嘆いた。退屈だからと少女は壊した。退屈だからと少女は殺した。嗜虐を振るい、暴虐を尽し、世界に厄災を齎した。この肢体を火照らす一時ばかりの興奮は既に冷め、既に終わった世界に少女はありもしない刺激を求め続けて――



「――ほう」


 ぴくりと。その頬が愉悦に吊り上がる。

 それは獲物を見つけた肉食獣の悦びだ。

 それは嗜虐に満ちた他を喰らい尽くす君臨者の笑みだ。


 ざっざっ、と。しばらくして彼女の耳を足音が打つ。雪を踏みしめる足音は一人分。死者のような足取りで、誰かがこちらに近づいてくる。

 万能たる少女から見れば亀の歩みのように鈍間なそれを、しかし少女は寛大な心で待った。

 これから訪れるであろう時間に期待し、高揚に舌を舐める。そんな仕草一つとっても妖艶で禍々しく、年相応の少女からはかけ離れていて――確かに彼女は少女の形をした怪物だったから。


 座り込む少女へ、朝焼けに伸びた人影が差す。山を登ってきた為か、荒い息遣いがすぐ近くから聞こえる。

 矮小な存在が、今、再び自分の前に立ち塞がっている。

 ……馬鹿な男だ。興味は失せたと捨てたにも関わらずわざわざ舞い戻ってくるとは。

 その殊勝な心がけに免じて、もう一度だけ遊んでやろう。身も心も嬲りに嬲って痛め尽し、分不相応な無礼者を叩きのめして身の程を思い知らせてやろう。 


 そんな思いを空の箱にぽつりと抱き、厄災を世界に齎す少女は、背を向けたまま退屈を殺す来訪者を歓迎した。

 

「まさか貴様の方からノコノコと出向いてくるとは思わなかったぞ。妾を退屈させぬとするその心遣い、褒めて遣わそう」

 

 じゃが――と。匣の乙女、厄災の贈り物(パンドラ)はその幼顔に浮かべた嗜虐の愉悦を一時凍結させ、座ったままに背後を振り返る。

 視界に飛び込んできた来訪者の顔に、氷よりなお冷たい薄紫の瞳を酷薄に細めて、


「――貴様、あの時の『英雄』ではないな。何者じゃ、名を名乗るがよい」


 そんな少女の言葉に、それは死んだ瞳でこう答えた。


「……俺はその『英雄』の紛い物だ……」


 ギリシャ、オリンポス山。山頂付近。そこは、天から降り注ぐ巨大な都市を海神の掌が受け止めるという神話の再現が行われた爆心地のすぐ近く。

 海音寺流唯と狡猾の蛇(スネーク)が力を尽して最悪の事態を防ぎ生じたクレーター、その淵に腰を掛け退屈そうにぷらぷらと足を揺らしていた特異体の少女の元へ、最終決戦の地へ。その少年はたった独りで辿り着いた。


 世界を滅ぼす魔王(ラスボス)にたった独り相対する勇者ニンゲンは、魔法の杖も聖なる剣も有さない徒手空拳、それも十把一絡げの凡愚だ。本物の勇者にはなり得ない紛い物だ。

 目の前のソレが、決して英雄足りえない只人である事を、匣の乙女は鋭敏に感じ取っていた。



 けれど。


「――くふ」


 そんな無意味で無価値なありふれた存在が此処に辿り着いた唯一である事が、何故だか分からないがどうにも少女には愉快だった。



 世界の終わりを掛けた戦いが今も繰り広げられているブラックボックス『天空浮遊都市オリンピアシス』を背に、災厄の贈り物と英雄の紛い物が此処に初めて(・・・)対峙する。


 

 そうして。

 

 

 勝率絶無の最終決戦の幕があがる――



☆ ☆ ☆ ☆



 太陽は沈んで久しく、既に闇が降りた空の世界で唯一鼓動を打ち鳴らす自分達はどこまでも孤独だった。


 これだけ天に近づいたというのに、夜空に浮かぶ星々は果てなく遠く到底掴めそうにない。

 美しい夜空を穢す異分子である自分達を、しかし空で輝く星々は分け隔てなく照らしてくれている。

 その孤独な旅を、それでも私達は見ているのよと。励ましてくれるかのようだった。


 ――あと十分ほどで目的地に到着する。バトラーはそんな風に勇麻たちに説明した。


「あと少しでオリンポス山か……」


 老執事バトラーの飛行能力で幾つもの国境を越え、東条勇麻は既にギリシャの空を飛んでいた。

 己が主との魔術的な繋がりを感じ取れるバトラーによれば、パンドラは今もオリンポス山の山頂付近にいるらしい。

 老執事の頼みを聞きいれた勇麻は、『匣の記憶』に触れ厄災の化身と化してしまったパンドラを救う為に、オリンポス山の山頂を目指して進んでいるのだった。


(……早いな。もうギリシャに入ってるっていうのも実感湧かないのに)


 勇麻自身の感覚でしかない為、厳密な数値などは皆目見当もつかないが、勇麻たちを抱えながら空を飛ぶバトラーはジャンボジェットにも勝るとも劣らない速度で大空を進んでいる。


 そのハズなのに、彼が何らかの魔術を使っているのか運ばれている勇麻と和葉、そしてその背中の上に勝手に相乗りしている拳勝も、風の影響を受けている様子はない。

 高度による寒さも感じないあたり、自身の周囲の環境を保つような術式やら結界やらを張り巡らせているのだろうと勇麻は適当に予想していた。


「どうしたの東条くん。あと少しで目的地なのに不細工な顔しちゃって」

「……せめて浮かない顔と言ってくれよ」 


 こちらを嬉しそうに見上げている九ノ瀬和葉の言葉に、勇麻はそっぽを向いてごにょりと答えた。


 不細工……もとい浮かない顔にもなるだろう。

 なにせ今、東条勇麻は九ノ瀬和葉と向き合うように抱き合った状態で空を飛んでいるのだ。そのうえ屋根(バトラーの背中)の上には、お兄様までいる始末。一体何の公開処刑だというのか。


 こんな事になるなんて、逃亡者の尻尾(ラストカウンター)号を出ると決意した時の勇麻に想像できるハズもない。


 ……気まずい。こちらを慮ってくれる和葉に八つ当たりして、あれだけ自分本位に酷い言葉をぶつけたというのに、一体どんな顔でこちらを覗きこんでくるこの青い瞳と向き合えばいいのだろうか。


 既に距離零。

 逃げられないというか彼女を抱く腕を離したら最後、和葉がそのまま落ちてしまうので死んでも和葉を離せない。

 直に肌から伝わる身体の熱が。密着している肌の柔らかさが、その息遣いが、和葉の凛と透き通ったような心地のいい甘い匂いが、心臓の鼓動が、血管の脈動が、何もかもが勇麻の思考をぐちゃぐちゃに搔き回す。

 こんな罪深い偽物の身で、生きる価値も理由も見失った罪人の身で、自分は一体何を考えようとしている――


(――その思考は、無意味だ。だって、それは……)


 おめでたくザワつく心を、冷たい思考で塗り潰す。すぐさまに諦観と絶望が押し寄せる。……分かっている。東条勇麻は偽物なのだから、それはきっと偽物だ。自分のような存在に向けられるべきモノではない。

 だから考えるな。どうせ落胆と失望の果てに周り全てを傷つけるだけなのだから。

 だというのに……


「ふんふんふーん♪ 東条くんの〝と〟は~トリカブトの〝と〟~」


 意味不明の下手くそな歌を歌って、腕の中のお姫様は気味が悪い程にご機嫌だった。



 ……和葉飛び降り騒動の直後、自分でも自覚しない疲労がドッと出たのか、勇麻はバトラーに運ばれながら空中で寝落ちするように意識を失ってしまったらしい。

 北極圏上空は極夜だった為実感は薄いものの、出発辞典でまだ夕刻前だったはずが、目が覚めた時には文句なしの満点の星空が視界に飛び込んでくるくらいの時間東条勇麻は眠っていた。


 幸いと言うかなんというか、眠りながらも腕の中の和葉をぎゅっと抱きしめて離そうとしなかったらしく、和葉が再び宙を舞うような事態にはならなかった。

 ならなかったのだが……間が悪い事に、和葉を抱えたまま寝落ちしている最中に当の和葉が意識を取り戻してしまったのが運の尽き。 

 勇麻が目を覚ましてからというもの、和葉はその件を幾度となく持ち出しては勇麻をからかい玩具にして遊んでいるのだ。


 この女がやたらツヤツヤテカテカとご機嫌がよろしいのはそういう訳だ。多分、寝ている間に腹筋だの胸筋だのも触りまくっていたのだと思う。今も油断すると、シャツの中にこっそりと手が伸びてくる。


「ねえ、ひょっとして東条くん……照れてるの?」

「……」


 無視する。こういう手合いは反応すればするだけ調子に乗るだけだと数々の経験から東条勇麻は既に学んでいる。


「ねえ」

「……」

「ねえ、聞こえてるわよね?」

「……」

「……えい」

「うひゃいっ!?」


 ずぽっ! とシャツの中に手を突っ込みさわさわと横腹に指先を這わせる和葉の奇行、その言語化不能のむず痒さ、背筋に走る奇妙な寒気と妙な快感に思わず変な声が出る。

 そんな勇麻の奇声に、和葉が腕の中でゲラゲラと身体を揺らして爆笑し始める地獄が形成されていた。


「ぷっ、はは!! あははははははははは!! ……うひゃいって、あなた、こんっ、こんな不安定な所でふっ、あははははは……笑わせないで……っ落ち、落ちるっっ!」 

「……っ、和葉お前――ッ」


 顔面が発火したかと思う程に熱い。声を荒げると、和葉はニヤニヤと獲物をいたぶる猫のような意地の悪い笑みを広げて、


「うーん? なにかしら東条くん。そんなにイタズラされるのが嫌ならその手を離せばいいじゃない」 

「……次だ。次やったら本当に絶対に離すからな……」 

「あら、おかしいわね。同じセリフをもう四回は確実に聞いているのだけど?」


 くすくすと笑い、やれるものならやってみろとばかりに完全に脱力して、これ見よがしに四肢を揺らす和葉に勇麻は歯ぎしりするしかない。


 恐ろしいことに和葉は先ほどからずっと勇麻の身体を掴んですらいないのだ。

 勇麻がしっかりと九ノ瀬和葉を抱きしめ抱き留める事を前提に、彼女は両手両足をぶらぶらと遊ばせている。

 勇麻が腕から力を抜けば、本当にそれだけで九ノ瀬和葉は真っ逆さまに地面目掛けて落ちてしまうというのに……自分の命を盾にしたふざけた脅しだった。


 結局、偽物だろうがなんだろうがただの凡人である東条勇麻に人殺しをする勇気もない以上、どんな文句を言おうが虚しいだけ。この地獄の密着状態は目的地に辿り着くまで絶対に終わらない。

 こっちが碌に抵抗できないのをいい事に、九ノ瀬和葉はこれまでの鬱憤を晴らすかのようにやりたい放題だ。


 ……そんな九ノ瀬和葉の無邪気で気紛れなその笑顔があまりにも楽しそうで。まるで心の底から東条勇麻を信頼しているかのような彼女の言動をしている事が、気になった。

 だからつい、聞くつもりのなかった問いが口から零れ出る。


「……なあ和葉。お前、さ。何であんな事したんだよ」

 

 あんな事、とは当然逃亡者の尻尾(ラストカウンター)号を発つ前の飛び降り騒動の事だ。

 まるでそれが何気ない日常シーンの一つであるかのように、彼女はイタズラげに微笑んで躊躇なく不気味な薄暗闇の空へと踏み切った。

 どうしてあんな顔で飛ぶことが出来たのか、恐ろしくはなかったのか、勇麻には和葉が何故あんな事をしでかしたのかが分からない。

 ただ、あの時の事を考えると猛烈な怒りに似た感情がこみあげてくる。


「……下手したら、あのまま落ちて死んでたかも知れないんだぞ、お前。どうしてあんな馬鹿な事を、命を懸けるような真似したんだよ……」


 和葉が飛び降りた瞬間を思い出せば思い出す程に、自然と口調が和葉を詰問するような物になってしまう。

 だが、それも当然だ。九ノ瀬和葉がしでかした事は自殺とそう変わらない。

 助かったからよかったものの、勇麻の手が届かず、バトラーが馬鹿二人を助けようとしてくれなかったらと思うとゾッとしない。


 しかし深刻な勇麻とは対照的に和葉はあっけらかんと、


「命懸け? 何を言ってるの、東条くん。私、全くもって死ぬつもりなんてなかったわよ?」


 何言ってんだこいつとばかりに、空飛ぶ船から飛び降りた九ノ瀬和葉はそんな事を言ってきた。


「……は?」 

「は? も何もこの美少女情報屋九ノ瀬和葉が、命懸けなんてそんな汗臭そうなこと進んでやる訳ないじゃない。嫌よ、死ぬほど痛いのも死ぬのも両方ゴメンだわ」

「……いや、だからお前。バトラーさんが俺達を助けてくれなかったらあのまま――」

「――助けるわ」


 短く、断言。


 妙に静かで穏やかなその声はしかし――有無を言わせぬ迫力を伴って勇麻の耳朶に響く。


「助けるわよ、東条くんは私を。だから飛んだの」


 その微笑に浮かぶものは、ごくありきたりの確信。

 まるで明日も太陽は昇るわ、なんて口にするかのような気軽さで、九ノ瀬和葉は言い切った。

 

「なんだよ、それ……」


 ……意味が、分からない。

 どうしてだ。どうしてそんないとも簡単に、東条勇麻などという人間を信じられるのか。

 この男にそんな価値はない。ないんだ、何も。だって全部、全部、全部、偽物だった! 間違っていた。確かにこの手で積み重ねてきたと思っていたモノは、その全てが幻想だった。東条勇麻が成し遂げたと思い込んでいただけ、勘違いで魔王を倒した勇者を自称するような、そんな滑稽な道化でしかなかったのに。

 東条勇麻は今まで何一つとして成していない空っぽの人間だ。信頼に足るだけの結果を一つとして示せない、どうしようもない模造品なのだ。


 それなのに……。


 船から飛び降りたあの時と同じだった。迷いも躊躇いもなく東条勇麻を信じているのだと断言する和葉に、勇麻の声はカタカタと頼りなく震え出す。


「……そ、んなの。何だって言い切れるんだよッ。どこに、そんな根拠が……」

「信じてるって言われたし、信じてるって言った。あなたが私にそう言わせたのよ? 東条くん」


 何を言われようとも九ノ瀬和葉は揺るがない。


 強く、まっすぐ。凛とした青い瞳が、ブレる事無くこちらを見据えている。

 東条勇麻は、まるで金縛りにでもあったみたいに、少女の瞳から目を離せない。


 ――信じていると言った。

 ――信じてると言われた。

 その言葉を、勇麻とて覚えている。未知の楽園(アンノウンエデン)を巡る一連の騒動の中、勇麻と和葉は確かにそんな言葉を交わし合った。

 その言葉と誓いに恥じぬよう、彼女の信頼に応えるべく勇麻も全力で戦った。

 互いを信頼し合い背中を預け、共に停滞した未知の楽園(アンノウンエデン)を駆け抜けて、その夜明けあの緋色の朝に立ち会った。


 でもそれは、勇麻の力じゃなかった。

 積み上げた奇跡は他人事で、歩んだ道のりは偽物だ。南雲龍也の力があったからこそ掴む事ができた結末であって、東条勇麻は必要なかったのだから。


 彼女とてもう知っているハズだ。

 東条勇麻の正体、虚構に塗り固められたその真実を。

 英雄の紛い物。

 東条勇麻という無力な人間を一言で言い表すのなら、やはりそんな言葉が相応しい。


 だから分からない。

 他者から奪った借り物の力によって何かを得たと身の程知らずの勘違いを重ね続けた醜悪な贋作を、縋る物を失い勇麻自身ですら信じることの出来ない東条勇麻を、一体どうして彼女は変わらず信じられると言うのか――




 ――ぎゅっと。ふいに、少女の手が勇麻の胸元を強く握る。こちらを見上げる凛とした瞳が、少しだけ切なく寂しげに揺れて、

 

「……本当に、分からないの? 東条くん」


 ……分からない。分かる訳がない。理解不能だ。何一つ納得だっていってない。

 だというのに、どうしてこんなにも九ノ瀬和葉の瞳から目を離す事ができないでいるのか。


「私はね、東条くん。南雲龍也がどうとか、本物だとか偽物だとか、そんな事はどうだっていいの。ぶっちゃけ興味ないのよ、最初から」

「……え」


 余りと言えば余りな物言いに絶句する勇麻。今まさに混乱の極めにあるであろう少年へトドメを刺すべく、九ノ瀬和葉はある種の決意と共に大きく息を吸い込んで、


「だって――」


 和葉が勇麻に何かを伝えようとした、その時だった。


「――爺さんっ、上だッ!」

「ぬぅ……!!」


 突如として轟いた拳勝の叫びにバトラーが反応。咄嗟に横合いへの緊急回避を試みたその刹那、つい数瞬前まで老執事がいた空間を一条の流星が撃ち抜いていた。


「きゃあ!?」

「ぐっ……!?」


 急な方向転換に重力が襲い、衝撃に振り落とされそうになる。

 流星の軌跡をなぞり遅れて吹き荒れる竜巻のような凶悪な風圧に追い打ちをかけられて――否、それは流星などではない。


 頭上より超高速で襲い掛かってきた異形の翼を生やした人型のソレは――



☆ ☆ ☆ ☆



 耳元で吹き荒ぶ風、荒々しくも逞しいその歌は、まるで冒険の門出を湛える歌を歌っているようだ――


 

「――なんて、ガラじゃあないね、我ながら。心のどっかでビビってんのかねぇ、アタシも」



 人類最後の逃亡者達を乗せた『逃亡者の尻尾(ラストカウンター)号』は、『七つの厄災』が一つ『憤怒たる災禍』エカーテミニア・オクタコースナの襲撃を受けた後、最大船速で大空を進み北極海ロシア連邦領ゼムリャ・ゲオルグに生じた『魔力点』前へと到達していた。

 戦闘員達には最後の休息が半日与えられ、非戦闘要員による襲撃の準備は超急ピッチで行われた。


 そして今、一月三日、午後十一時四十七分。

 人類側から反撃に出るべく予定を二日前倒しに、『魔力点』内部の『厄災』への奇襲作戦が決行されようとしている。


 ……敵、『魔力点』内部の状況、共に不明。見通せないのであれば推測に意味はなく、故に準備には死力を尽した。

 戦いは始まる前から終わっているものである。

 あの異常地帯へと一歩踏み込めば、何が起こるか分からない。既存の常識など一瞬で砕け散るような理不尽がダニエラたちを待っているだろう。

 それでも、その全てに対応する事が出来るようにするのが自分の務め。そうでなければ勝てないし、それができなかった時点でこの戦いは最初から負け戦だったという事になる。


 急ピッチで進めさせた準備はつい先ほど何とか完了したばかりだ。士気は変わらず高く、今できる最善は尽したという確信もある。

 だから後は号令一つでこの船ごと、目前に見える漆黒の立方体へと脇目も降らず突っ込むのみ。


 ただそれだけで開戦の火蓋が切って落とされるだろう。


 ……もしくは、それこそが人類絶滅のカウントダウンの始まりか――


「――おい、ダニエラぁ。さっさと中に引っ込みやがれぇ。甲板なんざにつっ立ったままあの中へ突っ込んでみろ。真っ先にお陀仏だぜぇ、お前」


 と、一人甲板へ立つダニエラ=フィーゲルの元へ、ドレッドヘア―とサングラスが特徴的な強面の屈強な男がやって来た。


「……アンタかい、ディアベラス」


 ディアベラス=ウルタード。

 腐れ縁とでもいうべきか、当初の想像以上に長い付き合いになった男だ。なにせある意味では、この男は命を落とした夫やその仲間達の仇のような存在なのだから。


 『白衣の悪魔の遺産』。

 かつて未知の楽園(アンノウンエデン)を悪夢に陥れた加害者にして被害者の子供の一人。

 最初は相手の声しか知らないような利害の一致による冷たい関係だった。

 それがまさかこんな風に命を賭した決戦直前に冗談めかした言葉を交わすような間柄になるとは。過去しか見通せないダニエラの瞳では、こんな未来を見抜けるはずもない。


「時間だっつてんだぁ。さっさと戻れ。早いに越したことはねぇんだろぉ?」

「……分かってるさね。ただ、挑む前にこの目で拝んでおきたくねぇ。『魔力点』ってヤツをさ」

「……この戦いで死ぬかもしれねぇからかぁ?」

「ハンっ、馬鹿言うんじゃないよ。これからぶっ壊すモンを見たことすらないようじゃ、相手さんに失礼だろう?」


 虚勢でも見栄でも無い、心の底からそう言ってのける不敵な女頭領に、ディアベラスは負けず劣らず不敵な笑みを浮かべて、


「そいつを聞いて安心したぜぇ。船長様が腰抜けの不能野郎だったらこの俺が代わってヤんなきゃなきゃならねぇと思ってたとこでよぉ。なにせお相手はガンガンに守り固めた処女みてぇなモンだぁ、どれだけお硬いか想像もつかねぇしなぁ」

「バカだねえ、青臭ェ餓鬼が粋がってんじゃないよ。アンタはテメェんトコのお姫様の事だけ考えてりゃ充分さね」


 ダニエラは、懐から煙草を取り出すと口に咥えて一度だけ紫煙を肺一杯に吸い込んで、


「――出航だ。皆に伝えな、このまま最大船速で『魔力点』内部へ突入する……ッ!」


 ――アタシというちっぽけな灯りで、こいつらの往く道を照らしてやる事ができるなら……ああ、それはきっと、悪くない気分だろう。


 そんな事を考えながら、女は紫煙を吐き出した。



☆ ☆ ☆ ☆



 夜闇に君臨する異形の天使。

 淡く輝く薄緑色の髪と瞳が神々しくて、その姿は悔しい程に星空に映えている。


「――エカーテミニア・オクタコースナー……ッ!!」

「さっきのあの人、逃亡者の尻尾(ラストカウンター)じゃなくて、私達を追いかけて来たの……!?」


 『七つの厄災』が一つ、『憤怒たる災禍』エカーテミニア・オクタコースナー。

 彼女は和葉の言葉には答えず感情の読めない瞳でジロリとこちらを一瞥すると、その美しい長髪を風に靡かせながら問答無用で両手の塞がったバトラーへと襲い掛かってくる。


「……不意打ち、笑止。敗北、拒絶。決着、求む――往くぞ」

「くっ……! 不覚ッ。まさか、職務を放棄してまで私を真っ先に消しに来るとは……!」


 老執事は憎々しげに呻きながらも、超速の突進をまたも紙一重で回避。

 しかし女の背に広がるトナカイの角のような異形の翼の軌道を読み切る事が出来ず、勇麻と和葉の二人を抱える左腕を切り裂かれる。

 ガクンと、一瞬二人を支える腕の片方から力が抜けかけ、二人の身体が不安定に揺れる。


 迸る鮮血、夜に咲く赤い華。しかし老執事は声一つあげることなく、魔力を体内で急速に練り上げ、『風』の元素をそこに練り込むと――ボッッッ!! 轟音をあげエカーテミニアを無視して一気に加速。最高速度での急降下を敢行し、雲の隙間を抜け地表を目指し戦闘からの離脱を図る。

 ……そうだ。目的地はもう目と鼻の先。一々アレに構ってやる必要はない。

 夜闇に紛れてしまえば撒く事もできるし、迎撃するにしても空中ではなく地上にて態勢を整え迎え撃つべきだろう。だから、その判断は決して間違っていない。


「――逃亡、不許可……!」


 完全無視からの全力逃走は想定外だったのだろうか。一瞬動作を停止していたエカーテミニアは、すぐさま我を取り戻すと、その二つ名に相応しく眉を吊り上げ追跡を開始。爆発的な暴風となって逃げる獲物の後を追う。


 ずぞぞおおぉ……っっ! と、エカーテミニアの魔力が膨れ上がり、その背から枝葉のように大空に広がる異形の翼が、まるでアンテナか何かのように周囲から五大元素をごっそりと吸い上げていく。

 まるで二十五メートルプールの水を一秒で吸い上げ尽くすような暴挙、枯れる大気。そして直後、さらなる理不尽が世界に顕現する。


 エカーテミニアは、地表目掛けて急降下する老執事目掛けその掌を翳して。


凍れ(・・)

 

 一言。ただそれだけだった。

 ただそれだけで、一キロは離れていたであろう両者の間の空間が瞬時に凍り付いた。


 空が、大気が、凍てついたのだ。


 ……幻でも見ているのではないか。眼前に展開された異様な光景に圧倒され、ようやく出てきた感想がソレだった。

 まず規模がおかしい。長さ一キロ、横二〇〇メートル。幅五〇メートルといった所か。その範囲の空間が比喩抜きに凍っている。遠近感が狂う、まるで空に氷の大地が浮かんでいるかのような光景。


 氷を操る神の子供達(ゴッドチルドレン)の氷道真にだってこんな芸当出来るか分からない。勇麻には魔術の事は分からない。分からないが……普通、魔術というものはもっと複雑で小難しい言葉を呪文としていくつも重ね発動するのうなものではないのか。


 文字通り桁違い。

 規模が、戦いのスケールが勇麻達とは根本から異なっている。やはり連中が『特異体』に関連する存在なのだという事を改めて突きつけられる。


 ……と、ひとしきり驚愕してからようやく自分が〝驚く〟などという当たり前の機能を維持している事に気付き、思わず自分の身体を眺めた。

 自分の吐息は凍り付きもせず、この身はまだ五体満足。どうやら自分たちはどうにか凍結範囲から逃れたようだと、勇麻は遅まきに状況を理解し安堵しようとして――


「――バトラーさんっ!?」


 和葉の沈痛な声が、そんな楽観を東条勇麻に許さなかった。 

 

「……馬鹿な。詠唱を省略して、この威力とは……ッ!?」


 勇麻たちは依然として空中にいる。

 ただし、動きは止まっている。その場に留まるように浮遊している。

 その理由は単純明快。


 苦悶に喘ぐ老執事の右足首までが、空に浮かぶ氷の咢に喰われてしまっていた。


 冷気が空を奔った瞬間、魔力を爆発させさらに加速を果たしたバトラーの奮戦によって、勇麻たちはどうにか凍結範囲から逃れる事が出来た。

だが、バトラー本人はあと一歩の所でその致死領域から脱出する事ができなかったのだ。


「――砕く」


 身体強化によって増強された勇麻の聴覚がそんな言葉を拾った直後、天地をひっくり返すような衝撃が勇麻たちを襲った。



☆ ☆ ☆ ☆



 ――覚悟は決まっている。


 逃亡者の尻尾(ラストカウンター)に乗り込んだ人類最後の逃亡者たちは、力強く吹き付ける風をものともせずに、決戦の時を迎えようとしている。


『ディアベラス。中に入らないでいいのか。お前も』

「……アームズか。急に話掛けんな、ビビるだろぉが」

『お前も同じ、声だけだった時期があったと俺のハードに記録があるが?』

「うるせぇなぁ……仕方ねぇだろぉ。あの頑固ババアめぇ、結局中に入りやがらねぇ。こっちがせっかく心配して忠告してやったってのによぉ」

 

 鬱陶しそうにドレッドヘア―を毟るサングラスに、その斜め後ろに佇む紫髪の青年が鼻を鳴らす。


「ま、あの人はそういう人だろ。頭か本能でかは知らないけど、理解してるんだよ。誰かの上に立つって事がここぞって時に率先して矢面に立つ事だってのをさ。……損な役回りだよね、まったく」

「だが、常にそういう姿勢であり続けたからこそ、彼女の元には自然と人が集うんだろうな。どこかの誰かと違って」


 呆れたように肩を竦める貞波を横目でジトリとねめつける胸の大きな金髪ポニーテールがいた。

 否、彼女だけではない。突入前の逃亡者の尻尾(ラストカウンター)号の甲板には、かつて逃亡者の集い旗(エスケイプ・フラッグ)を名乗った白衣の悪魔の遺産たちが肩を並べている。

 ……その誰もがオフ時のようにお喋りに興じていて、ちゃっかりスピカまでもが混ざっているあたり、どうも緊張感に欠ける絵面ではあるが。


「あ、レギンひっどっいなー。それ、ひょっとして俺の事言ってるだろ」

「ひょっとしなくてもだ、馬鹿者め。……お前にダニエラのような人望があると思っていたのか」

「いいや全然。だって俺って基本嫌なヤツだし? 逃亡者の集い旗(エスケイプ・フラッグ)でリーダー面できるのだって、災友くんに事後処理任されたからってだけだし? あの子とディアベラスが帰ってきた今となっちゃ、むしろ何でまだ降ろされてないのか不思議なくらいだ。あーあー、レギンがポンコツドジっ子委員長じゃなきゃ代わって貰いたいくらいなんだけどなー」

「だ、誰がポンコツドジっ子残念委員長だ!?」

「いや、残念とは言ってないけど。でも間違ってないか」


 生真面目すぎて格好のターゲットになっているレギンを貞波がからかういつも通りのやり取りを終えて、


「……なんにせよ自覚があるようで結構だ。だが………………一応、信頼はしてる」


 ぽしょり。そっぽを向いて後付けした彼女の一言に、思わず周囲を沈黙が包む。

 マストに張られた見張り用のロープに腰掛け暗器の手入れをしていたナギリが驚きに無言で目を見開き、やけに色気のある動作で身体をほぐしていたリズ=ドレインナックルがニヤつきはじめ、近くでスピカと楽しそうに話していたリリレットまでもが、会話をやめてレギン=アンジェリカを凝視している。


『……ひゅーう』


 通信機越しに竹下悟の口笛が響いて、皆の戦慄――硬直が解けた。


「……え、なに。デレたの?」

「レギンが貞波のこと褒めたし……いつもあんなに馬鹿にされてるのに……ひょっとしてドMだし?」

『動揺が表に出ている。レギン、顔が赤い。やはり機械になったほうがいい。お前も』

「ち、ちがっっ! わ、私はただそのっ、こ、こいつの頑張りを客観的に、正当に評価しただけで――」

「――もう、アタシの兄妹たちはどうしてこう素直じゃないのかしらねえ。ツンデレさんばかりでお姉ちゃんは将来心配よ。ま、そんなウブな所も可愛らしいんだけど☆」


 がしっと。レギンと貞波の背後から抱きしめるような形で肩を回してきたリズ=ドレインナックルに拘束され、身動きの取れなくなる二人。

 巨大な胸に背後から圧迫され苦しげに呻くレギンと貞波を見ながら、ディアベラスは溜め息を吐いた。


「……ったくよぉ、素直じゃねぇのはテメェらもそう変わらねぇってのぉ。危ないから中入れって言ってんだろうがぁ」

「あら、そういうディア君も中に入らないみたいだし、人の事は言えないんじゃないの?」

「……逆に聞くがぁ、この状況で俺が中に入ると思うのかぁ?」

「同感だ。クリアスティーナが外にいる。我々だけ中に入る訳にはいかぬ」

『そ。要はそういう事ネ。ま、アタシと悟クンはマジに死んじゃうのデ、頼まれても外出れないケド。心は一緒ヨ』

『そのとおーりッ。我々、非体育会系ヒキニートコンビが今出ても足を引っ張るだけ故、屋内に退避させて貰っておりますが、ホントは我氏とてデッキのうえで嵐に吹かれながら船長帽とカトラス片手にカッコつけたかったのですぞ! こうっ、パイレーツオブなカリビア

「……永遠に平行線じゃねえかぁ。聞き分けのねぇ兄妹ばかりでやんなるぜぇ」


 やかましい通信を無言で切って諦めたように首を振るディアベラスに、後部で操舵輪を操るダニエラが追い打ちをかける。


「――おいバカ共、無駄口叩いてクリアスティーナの邪魔してるんじゃないよ。……それからディアベラス。全部聞こえてたからね、アタシをババア呼ばわりしたコト、後で覚えてなよ」

「……どうも俺達ぁ素直じゃねえらしくてなぁ、さっきのも照れ隠しってヤツだぁ。だから許してくれよ、器の大きな船長様よぉ」

「却下だ。震えて待ちな、小僧っ子。とっておきの罰を用意しといてやる」


 取りつく島もない。肩を竦めるディアベラスに、場が笑いに包まれる。決戦前だというのが嘘のような、穏やかな雰囲気。

 だからきっと、楽しい何かを思い出してしまったのだろう――と、どすんと。不意にディアベラスの膝あたりに軽い衝撃が走る。

 視線を下げると、ディアベラスの脚に抱きつき顔を埋める黄色い頭頂部が見えた。


「スピカか、どうしたぁ?」

「……ねえ、ベラちゃん。勇麻おにーちゃん、元気にしてるかな……和葉おねーちゃんも、おねーちゃんのおにーさんも、寒くないかな……」

 

 一部の人間を除いて、東条勇麻と九ノ瀬兄妹の離脱は伝えてある。

 東条勇麻の離脱は逃亡者の集い旗(エスケイプ・フラッグ)の面々に少なくないショックを与えていた。反応は様々で、怒り出す者、呆れたように鼻を鳴らすだけの者と十人十色だったが、少なくとも彼が離脱した事がいい影響を与える事はないと断言できる。


 そして、その中でももっとも彼の離脱にショックを受けているのが背神の騎士団(アンチゴッドナイト)所属の心優しい盲目の少女だった。

 ディアベラスは、大きな掌をスピカの頭にぽんと置くと 


「いいかスピカぁ。勇麻の野郎がどれだけタフだったか思い出せぇ。なにせアスティに心臓を握り潰されて生き返ったような野郎だぁ。今だってピンピンしてるに決まってる。九ノ瀬兄妹もタフさで言えば勇麻と同等だろぉ。なにせあの未知の楽園(アンノウンエデン)の騒動の中心にいて、どっちもしぶとく生き残ったんだからなぁ。それともスピカは、勇麻たちがすぐにやられると思ってるのかぁ?」

「ううん、思ってない……」

「じゃあ、仲間を信じねぇとなぁ。それに、アイツらにはさっきの執事の爺さんがついてんだぁ。むしろ、俺達と一緒にいるより安全なくらいだろぉよぉ。おら、分ったらムスッとしてんなぁ、可愛い顔が台無しだぜぇ、お嬢ちゃん」


 ぐしゃぐしゃとくすぐったがるスピカの頭を全力で撫で回しながら、ディアベラス=ウルタードはサングラスの奥で楽しげな笑いを弾けさせた。


 そうだ。あいつならきっと大丈夫。

 だから今度は、俺達が……





 ……決意は終えた。


 勝鬨は既にあがり、迷いの風は凪ぎ心の湖面は静かに勇気に奮い立つ。


 だから船は確定した航路を進む。


「――『次元障壁ラ・ティオ』船体前面へ同時多重展開完了ッ、耐衝撃分散構造ハニカム防壁の構築を確認。――こっちはいつでも行けます、ディアくん……!」

「……ああ、こっちも準備完了だぁ。思う存分ぶちかましてやろうじゃねぇかぁ……ッ!」

「全武装限定解除、主砲ライアンス・レールガン。並びに『悪魔の一撃フォルティナ・ディアブロ』、その他諸々全弾発射よーいッ、――――撃てェーッ!」


 舵輪を繰るダニエラの号令に、光と爆炎が闇夜を明るく染めあげる。

 逃亡者の尻尾(ラストカウンター)号の艦首付近から巨大な二条の閃光と数多の光弾が空間を埋め尽くす勢いで射出され、眼前の標的である『魔力点』へと見事全弾直撃、爆発炎上したのだ。

 舞い上がる巨大な黒煙の切れ間、神の子供達(ゴッドチルドレン)の最大砲撃を受けた漆黒の立方体は――


『――前方、『魔力点』健在! 漆黒の立方体に変化ありません!』

「……チッ、特大のをくれてやったんだがぁ。ぶっちゃけ、端から干渉不能って感じの手応えだなぁ、こりゃ」

『あと二百メートル、このまま行くと真っ正面から衝突しますッ!』

「臆すんじゃねえよ野郎共ォォオオっ。今のは挨拶ノック代わりさね、お行儀よくしてドアが開かねえってんならしょうがねえ。力づくでぶち破りゃあ済む話さ! 予定通りそのまま進めぇえええええええええ!!」


 人類最後の逃亡者どもを乗せた空飛ぶガレオン船が、最高船速で漆黒の立方体へと突き進む――


 ――加速する。

 

 ――加速し加速し加速し加速し加速する――その果てに――――――――――逃亡者の尻尾(ラストカウンター)が『魔力点』へ頭から突っ込んだ。


 ライアンスの制御で火を噴くジェットエンジンに、ディアベラス=ウルタードの悪魔の一撃フォルティナ・ディアブロまで加わり、巨大な船体が驚異的な速度で空を切り裂き直方体へとめり込んで行く。

 船体を揺るがす莫大な衝撃が走り、手すりにつかまり損ねた人間が転倒、その場を転げまわる。まるでゴムの塊に突進するような感触、勢いそのまま押し戻されていく感覚にダニエラが叫ぶ。


「――ライアンスっ、まだ出るだろう!? 出力を上げなッ、『ウロボロスの尾』しょっといて出来ねえとは言わせないよッ! 力技で突破しようってんだ、生半な馬力じゃブチ破れるモンも破れないさね!」

『――ぬぅううううううう、ゥオオオオオオオオオオ……ッッッ!』 


 加速加速加速加速加速加速する――持てる力、全てを尽す。エンジンの出力が上がり、ディアベラスの生みだす鮮血色の線条が、さらにその数を増やしていく。

 往くと定めた我らが航路みちを阻む黒い壁に風穴を開けんと、逃亡者たちが吠え猛る。


 そして……ずぽんっ、という水っぽい怪音と共に底が抜けるような感触があって――漆黒が全てを呑み込んだ。



☆ ☆ ☆ ☆



 ――視界が回り明滅、痛みが身体中で連鎖的に爆発する。

 風を切り、地表目掛けて落下する。その全身を風圧に殴られる懐かしい感覚に、ようやく自分たちがエカーテミニア・オクタコースナーの超速飛び膝蹴りを受けて空中に投げ出されたのだと理解する。


 勿論、勇麻が直撃を受けた訳ではない。

 『特異体』クラスの膂力での本気の一撃など受ければ、神の能力者(ゴッドスキラー)だって原型すら残らない。

 ましてやただの人間である東条勇麻が生きていられるハズがない。


 だから直撃を受けたのは、エカーテミニアが宣戦布告した相手。バトラーを名乗ったあの老執事に決まっていて――


「――バトラーさんッッ!!」

「――東条勇麻殿ッ! お嬢様は恐らく山頂に。ここは私が引き受けます、どうか、我が主をよろしくお願いいたします……!」


 ――高速で流れる視界の端、どうにか捉える事が出来たのは、エカーテミニアの一撃を受け自分たちとは違う方向へと吹き飛ばされていくバトラーと、九ノ瀬拳勝の姿。

 その米粒のように小さくなっていく二人の方から、魔力を消費し張り上げたであろうバトラーの最後の叫びが響く。それも次第に遠くなり、その姿も完全に見えなくなってしまう。


「……くっ、落ちて――まずッ――和葉……!?」


 全身で風を受けて落下しながら周囲を見渡し、すぐ近くに懸命に手を伸ばす少女の姿を捉える。必死でその手を掴んで引き寄せて、無我夢中に抱きかかえた。

 氷に捉えられた時点で地表は既に見えていた。自分達は何メートル地点から落下している? 下は雪の地面。衝突までの残り時間は。現時点で少なくとも高層ビル以上の高さ。助かる? 助からない? 人間でなければ、あるいは。だが偽物のこの身は、凡俗な人の肉体しか有していない。考えろ。死ぬ。このままでは二人とも死ぬ。自分には何が出来る。この紛い物の身でも確かに出来る事を考えろ。東条勇麻の力ではない、そんなものには期待などない。だが南雲龍也の力がこの身にあるのならば、かの『英雄』の数億分の一くらいは役に立って見せろ――


「――~~っ!」


 勇麻に抱き抱えられている和葉が、勇麻の胸に掌を当てて、泣きそうな声で何かを叫んでいる。

 耳朶を殴り続ける風の轟音に掻き消され、彼女が何を言っているのか分からない。


 だが、その声に全ての覚悟を決めた。

 落下の直前、勇麻は和葉を庇うように己の身体を下に、星を見上げるような体勢で固定して――勇気の拳(ブレイヴハンド)で強化された膂力でもって左腕に少女を抱えたまま、右の拳をハンマーのように背後の地面目掛けて全力で振り下ろして――



 ――ぐしゃり。肉のひしゃげる音と共に、真っ白なキャンバスに多量の赤が飛散した。



☆ ☆ ☆ ☆



 右足を喰い千切られ、地面に叩き付けられた。

 飛び蹴り――と呼ぶには規格外すぎる異形の風を纏った神速の突進を前に、腕に抱えた少年と少女を放り投げ、咄嗟に背中の少年を庇うようにその一撃を受けて、老執事は背中から隕石のごとく地上へ落下する。


 地上に小規模のクレーターを作り上げながら、荒々しい岩肌に肌を鑢がけされるような激痛が全身に走る。

 執事服はボロボロに破れ、背中に血が滲む。衝撃が骨格をめきめきと軋ませ、それでも老執事はすぐさま立ち上がり、落ちてくる少年を『風』の元素を練り込んだ衝撃緩和の魔術で受け止める。

 だが、一息つく余裕もない。


「ふ……っ!」


 右足首から先を失い、バランスの悪い状態でありながら大きく後ろに飛び退く。直後、瓦礫の散弾が顔を守るように覆う腕ごとバトラーを乱打。

 先ほどまでバトラーが立っていた大地は爆散し、空から降り注いだ流星が墓標の如く突き立っていた。


 否……、アレは墓標に非ず。

 天風楓並みの風を纏い、降り注ぐ天災そのもののような彼女の名はエカーテミニア・オクタコースナー。 


 異形の翼を背に持つ『七つの厄災』が一つが、執拗にバトラーを追撃してきたのだ。


「……逃亡、不許可。勝利、肯定……敗北、否定」

「やれやれ、仕方がありませんな。本来、私の手刀は淑女に向けるモノではないのですが……」


 何千メートルと落下してなお自分が無傷な事が信じられないのか、唖然と座り込んだままの拳勝を置き去りに、バトラーは無事な左足を半歩引いて半身となって右腕を前に突き出し、左腕を後ろ腰へ回す。

 右手の甲は地面を眺め、地面に垂直に四指が立てられる。臨戦態勢に入った老執事が切れ長の瞳に殺気めいた気迫を宿して、


「……舞踏ダンスのお誘いとあらば無下にはできませぬな」

「――正々堂々、勝負……ッ!」


 特大の力と力が、直後。真っ正面から衝突した。

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