第終話 死闘その後
「なーんかつまんねえ」
教室の机にやる気なくダラーンと頬を押し付けて、窓の外を見ながら勇麻はそう呟いた。
左腕にギプスをはめてこそいるが、天界の箱庭のトンデモビックリ技術力で骨は見事にくっ付き、ほとんど完治している状態だ。
それなのにまだギプスをつけたままなのは、病み上がりの東条少年がすぐに無茶をしないようにという、病院側の何ともありがたいおせっかいな配慮だった。
お腹に空いた穴も塞がっているし、たくさんあった切り傷ももう目立たない。
まるであれだけの大争乱が嘘だったかのように、傷はすぐに消えていってしまう。
「本当、つまんねぇ……」
今日は夏休み前最後の登校日。黒騎士との死闘から一週間が経過していた。
☆ ☆ ☆ ☆
南雲龍也……いや、黒騎士との最後の交錯の後、薄れていく意識の中で勇麻はあるものを見た。
それは南雲龍也の顔の表面が欠けて、その隙間から別の人物の肌が見えていた、という現象だ。
まるで、仮面が欠けて空いた穴から素顔が覗いたようなその光景が表す事実は一つ。
黒騎士の正体は南雲龍也ではない、という可能性だ。
だがその可能性を確かめる術は今は無い。
東条勇麻は確かに黒騎士に勝利した。
けれど、背神の騎士団は黒騎士を捕える事には失敗してしまったらしい。
黒騎士が倒れ、勇麻が立ったまま気を失った後、泉たちを縛っていた影は力を失いすぐに消滅したらしい。
レインハートと意識を取り戻したレアードの二人はすぐさま黒騎士を拘束し、応援が駆けつけるのを待っていた。
だが、応援が到着する直前に意識を取り戻した黒騎士は、すぐさま拘束から抜け出すとあっという間に物陰の中に沈み込み、姿を消してしまったのだという。
黒騎士が消える間際、泉はこう尋ねたという。
『お前は南雲龍也なのか? それとも龍也の名を騙る別人かなのか?』
その言葉に、黒騎士は笑いながらこう答えたらしい。
『お前らが見た南雲龍也は確かに南雲龍也だ。けど、黒騎士の正体が南雲龍也なのかと問うのなら、それは違うとだけ答えてやる』
意味深な言葉を残して、黒騎士は消えた。
結局、後から駆けつけた応援と共に辺りを捜索するも黒騎士は見つからず、アリシアを巡る黒騎士との戦いは、明確な決着が着く事なく幕を閉じたのだった。
そして、無事にカルヴァート姉弟との誤解を解いたアリシアが、『背神の騎士団』に保護されたという事後報告を受けたのは、丸一日ほど眠り、気絶した勇麻の意識が回復した後の事だった。
「と、まあそんな事情もあり、貴重なロりっ子を失ってしまったユーマは今夜も枕を濡らしながら悲しみに明け暮れるのでしたがびぃふぉッ!? 痛ってー、そんな全力で顎殴らなくてもいいだろーユーマ。……俺っちの顎が割れてケツアゴになったらどう責任取ってくれるのさ!」
「黙れアホ高見。そしてそのまま永遠に黙っててもらったほうが地球温暖化対策にも貢献できるし皆幸せ。あと俺はロリコンじゃない。ぶっ飛ばすぞ」
「こえーっ! 機嫌悪いユーマがシュウちゃんより怖い!! これはまさか下剋上の始まりなのかーッ!!?」
いい加減耳元で騒がしい高見を物理的に黙らせつつ、勇麻は視線を泉の方に向けた。
「てか泉、なんでこのアホがアリシアの事知ってるの? あれって多分暗黙の了解的な感じで他言無用みたいな雰囲気じゃなかった?」
勇麻のジットリとした視線を向けられた泉は、そっぽを向いてそれを軽く受け流し、
「ああ、なんかそいつしつこく聞いてくるし煩かったからラーメン一杯と引き換えに喋っちまったわ。わり」
「ラーメンに負けるなよ! そして謝罪軽すぎでしょ!? まさかの謝る気ゼロ!?」
「あと、お前がアリシア連れてニヤニヤしながら買い物デートしてる動画も見せたら餃子も付いてきた」
「餃子! そんなにんにくの刺客如きに俺たちの友情が敗北!? ……いや、違う。このお祭り騒ぎ野郎は元からこういう奴だった!」
ぎゃあぎゃあ言いながら取っ組み合いを始める馬鹿三人。
そんな当たり前の日常が戻ってきたきた事を噛み締めつつ、それでも勇麻は何か物足りなさを感じていた。
勇麻を過去の呪縛から解き放ち救ってくれた少女は、もういない。
それを考えただけで、気持ちが沈んだ。
明日から夏休み。
くだらなくて退屈な、これまでどおりの日常が、また始まる。
☆ ☆ ☆ ☆
特にこれといって特筆すべきことの無い、何の変哲もない終業式が終わった。
あえて言うならば槙原萌が夏休みを前借してグアム旅行に既に旅立っていた事くらいだが、それも毎度の事なので、いつもと変わらないと言えば、変わらないのだ。
「てかあのクソ教師、よくあれで首にならないよな」
学生寮、という名のマンションに到着し、階段を三階まで登れば、そこが東条家だ。
扉の前に立ち、カギを差し込む。
が、そこでカギが開いている事に気が付く。
勇火の方が帰りが速かったのだろうか。それにしても鍵をかけないのは少々不用心だ。
ちゃんと注意しておかなければいけない。
「ただいまー」
「うむ。おかえりなのだ」
「……」
なんという事だろうか。
東条勇麻はそこまであの少女に未練があると言うのだろうか。
勇麻の視線の先、無表情で突っ立つアリシアの幻覚が見えてしまった。しかもおかえりボイス付き。
勇麻は頭を振りつつ、とりあえず靴を脱ぎ棄てる。
「お風呂にするのか? ご飯にするのか? それとも私にするのか?」
「……これはアレだな。俺もついに頭がおかしくなったのかな」
しかもアリシアの声で『夫婦の鉄板ネタの会話』だなんて、いよいよ東条勇麻も精神科に突撃する必要が出てきたのかもしれない。
そして幻とは言え、この台詞を表情一つ変えずに言ってのけるアリシアには流石の一言を送りたい。
「俺もいよいよ精神科のお世話になるのか、頭の病院第一号は高見だと思ってたのに。……まさか俺がこんな事になるなんて……ってどう考えても本物だろおまえっ! それでは問題です! 背神の騎士団に保護されたハズのお前がなんでここにいるんでしょうかアリシアさん!」
勇麻の怒涛のツッコミに、アリシアは下手くそな笑顔をその顔に浮かべるのだった。
「うむ。そうなのだ。私は、正式に背神の騎士団の一員となったのだ」
「ならどうしてここに?」
アリシアはありもしない胸を張って。
「うむ。正式な団員になったことで、私にも任務が言い渡されたのだ。その任務を果たすためにここに来たのだ」
「任、務……?」
何か、冷や汗が流れ始めた勇麻をよそに、アリシアは嬉しそうに続ける。
「『背神の騎士団の存在を知ってしまった危険分子、東条勇麻とその仲間を監視しろ』という訳なのだ」
「えーと、それってつまり……?」
「うむ。泊まり込みで『監視』に来たのだ、勇麻。具体的には居候なのだぞ」
「げぇぇえええ!? やっぱりそうなんのーッ!?」
勇麻の驚きの叫びは、とても嬉しそうに聞こえた。
明日からは夏休み。
きっと退屈しない毎日が、始まる。
アリシアのまだ下手くそな笑顔を見ていたら、そう思えた。
第一章完。
……第二章へ続く。
……おや、また会ったね。
ふーん、どうやら彼の物語、その第一章が無事完結したらしいね。読了お疲れ様、そしてここまでのお付き合いありがとうございました。
……急に礼儀正しくどうしたって? そっちこそ失礼な。私がいつ礼を失したと言うのだい? そもそも、どんな物語も読者たるアナタ達がいなければ物語足りえないからね、素直に感謝の意を表明させて貰っただけだよ。
さて、一つの結末を得たものの、これで終わりじゃあない。東条勇麻の物語は本当の意味でここから始まるというワケだ。次回からは第二章が……おっと、その前に何かあるみたいだね。……やれやれ、とんだ蛇足だ。




