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神ナリシ模倣者ト神門審判  作者: 高木カズマ
最終章 起 『七つの厄災』ト開戦ノ『裁定戦争』
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第零話 ■■■ ■■■ 「■■と■■の■■」

 今日は『平和』の話をしようと思う。


 ……いいや、それとも『正義』についての話をしようか? もしくは『正しさ』の方がお好みだったかな?


 まあなんでもいいしどれでもいいか。どちらにせよ少しばかり長い話になるかもしれない。退屈だと感じたら回れ右してベッドに潜り込むも良し、人類文明の利器たるこたつに入ってテレビゲームに興じるのもいいかもしれない。


 なにせ、平和も正義も正しさも、どれか一つでも欠けてはその一つを満足に語る事も儘ならない。とびきり厄介な事に、この三つは深く密接に関わり合い干渉しあってきたのだから。


 考えてもみなよ。人が二本の脚で立ち上がって火を起こし集落を作って階級が生じて文明を得て幾星霜。

 誰もが願った平穏と安定。『平和』を求め掲げられた『正義』と『正しさ』の前に数えきれないほどの命が塵屑のように消費されてきた。


 今だってそうだ。


 誰もが大切な人の身を案じ平和を願っていたハズなのに、こうして戦争は実現した。


 差別はしてはいけない事だと誰もが知っているハズなのに、彼等は人間ではなく化け物だからと人間と神の能力者(ゴッドスキラー)とを差別する。彼等は無力で非力で数が多いだけの騒ぎ立てるだけしか能がない下等生物だと、神の能力者(ゴッドスキラー)と人間を差別する。


 誰もが願い求めているとされているのに、決して手に入らない泡沫の夢。悪意あるだまし絵じみた幻影。


 それが『平和』という概念なのかもしれない。


 ――何故、平和を求めた人類は武器を手に取り、争い、血を流し、同じ人類を殺すのだろうか?


 ……神々でさえ答えに窮し、苦悩に明け暮れ放置されたこの命題の答えを探す旅に出る前に、私からもう一つ問題提起をしたいと思う。

 

 『平和』を得る為の道半ばにてたびたび語られる『正義』とは、『正しさ』とは、そもそも一体何なのだろうか。


 天に煌く星々の輝きの如き数多の智を司る私が思うにそれは――全く相容れない別の概念であり、存在だ。

 似て非なるこの二つの概念を、アナタたちは人である以上、必ずその胸にどちらも等しく抱いている。


 例えば『正しさ』とは、人類が一億七千万年という膨大な年月を積み重ねて導き出した多数決の最適解であり、常識であり偏見だ。

 個ではなく人類という総体――『全』が導き出した現時点での模範解答、とされる物。

 社会通念やら一般常識。人類という種を守るもしくは維持する為に人類が定めた感情の入り込む余地のない理論的で冷たい定義。それが『正しさ』と呼ばれるものの正体だろう。

 過去の歴史という失敗と敗北の連鎖の中から弾き出された、巨視的マクロな正と誤。積み重ねの果てに導き出される解法。

 多数決によって線引きされ、人類が勝手に人類へと定め押し付けた価値観レールだ。

 ……勿論、この『正しさ』だって、同時に複数存在することもあり得るという事は覚えておいて貰いたい。

 ようは視点の問題なのさ。人類という大きな枠としての『正しさ』と、さらに小さな枠組み――例えば人種や信じる宗教なんか――が持つ『正しさ』は、やはり異なるものになるだろうからね。


 ……少々回りくどい説明になってしまったかもしれないが、これを『法律』とか『条例』なんて言葉に組み替えれば少しは分かりやすいかなと思う。

 人類という種がこの世界を生きていくうえで従うべき決定事項。世界と人類という枠組みそのものを守る為の基準値。それが『正しさ』であると解釈してもらって構わないよ。




 対する『正義』とは――この場合はちっぽけな善悪二元論における善性や社会通念に照らし合わせた善悪を指さず、己の中にのみ存在する正しさに対する指針。絶対不可侵と己が信じる柱のような物――すなわち『信念』であると受け取って欲しい。


 これは善悪とは関係なく、どれだけ弱かれ薄かれ誰もが必ず胸の内に抱く、己の人生の歩みの中で導き出しされた絶対無二の価値観であり常識であり偏見だ。

 『正しさ』が人類という『全』が導き出した模範解答であるのに対し、『正義』とはその人物個人――すなわち『個』に対応する極めて主観的で個人的な答えを導く指針、と己が強く信じる物であると言えるだろう。


 ……何故正義が善悪と関係ないのか、と疑問に思う読者もいるだろうね。

 なら聞くけど、この世に完全なる善と悪が存在するなんて、そんな寝言をアナタたちは本気で信じているのかい?


 この世には善も悪も存在しないのさ。あるのは複数の視点や立場の違いと、そこから見える個人的な価値観――己の『正義』に基づいた線引きによる他者への役割の押し付けだ。


 例えば国を守る護国の英雄は、彼が守った国民たちから見れば、絶対無二の正義であり英雄であり紛れもない善であり正しい存在。心の底からの敬愛を捧げるべき正義の味方に他ならないだろう。


 しかし、その正義の英雄も侵略国家側から見れば、自国の兵士たちを残虐非道な方法で容赦なく殺戮し尽くした悪魔のような邪悪の化身へと変貌する。


 某国の王は自国の民からは救国の英雄として崇められ信仰の対象にまでなっているけれど、諸外国からはその残虐な一面のみが取り上げられ吸血鬼として恐れられている。……そんな逸話が存在する時点で、あれは善だあれは悪だなどと、一々議論を交わすこと自体が全く持って無意味な行いであると分かって貰えるハズだ。


 人類における『正しさ』という意味で正しいか間違っているかを判断することは確かに可能かもしれない。だが、それにしたって人類という総体の視点から見た一方的な押し付けに過ぎず、やはり問答には意味も価値もありはしない。


 故に、正義とは善悪を超越した個人の持つ『揺るがざる信念』をこそ指すべきだ。少なくとも私はそう考えているよ。


 すなわちそれは、その人物の人生という歩みから導き出された微視的ミクロな善と悪――にすら成りえない超個人的な主義主張とでも言うべきだろうか。


 『正義』とは、善悪など意味を成さず清濁併せ吞む混沌めいた各々が描く行動の指針、自分のみが信じ込む価値観ルート

 『正しさ』を法律と評したが、こちらは……そうだな、自分ルールとでも言い表そうか。


 ……法律とルール、何が異なるか分からない? 少し考えてみてよ。スポーツには必ずルールが存在するが、それを破った者にルール内でのペナルティが与えられることはあれど、社会的な刑罰が与えられることは無いだろう?

 だから、実は人類がただ『正しく』生きていくだけなら『正義』とは必ずしも必要ではないという訳だ。

 ルールに強制力はない。それを守るか否かは個人の判断、いわばマナーや美学の問題であり、個人の自由なのだから。



 ……さっきから例え話が分かりにくいって? 苦情なら受け付けないよ。今は私は私が書きたいように描くターンだ。言ったろ? 退屈だから回れ右推奨だって。

 それにこれはあくまで例えの話、適当にでっち上げ分かりやすい言葉として当てはめたに過ぎないから、そういちいち頭を唸らせる必要はないよ。

 読書とはもっと、気楽で心穏やかに自由であるべきだからね。



 ……さて、話を戻そう。私はこの『正しさ』とは〝静〟であり『正義』とは〝動〟の性質を有していると私は考えている。


 ――ふふぅん、どういう事か分からない読者諸君の為、この私自ら解説をしてあげようとも。

 理由は簡単だよ。『正しさ』とは一億七千万年の積み重ねであり往々にして揺るぎにくい。ここで重要なのは揺るがない、ではなく揺るぎにくいである点だ。


 そう、人類史が揺らぐような大発見や出来事の前には『正しさ』は揺らぐのだ。

 地動説や進化論、神や魔術など神秘の否定と科学の発展。そして神の力(ゴッドスキル)の発生。

 人類の常識が揺らぐ瞬間に『正しさ』も揺らぎ、その形を大きく変えてきた。

 しかし『正しさ』は変化を忌み嫌い、その場に留まろうとする性質を持っている。

 それはすなわち人類という総体のもつ性質でもあるけど、彼らは今が変わる事を拒絶しその場に留まろうと抵抗する。

 故に『正しさ』が持つ性質とは静なのである。



 対する『正義』はいとも簡単に揺らぎ変動する。激動の動の性質を有している代物だ。

 『揺るがざる信念』だなんて言っておいて矛盾するようで悪いけど、人間個人が所有し信ずる価値観なんて、思いのほか簡単に揺らぐものだからね。

 僅か一秒、ほんの一瞬あれば、短い人生の中小さき人の身で必死に築いた価値観など木端微塵に粉砕される事もある。

 その一瞬があれば――その一瞬が地獄のような不幸と絶望であれ天国のような幸福と希望であれ――人は己の信念を大きく捻じ曲げ、世界をこれまでとは全く違った色眼鏡越しに眺める事ができる生き物なのだから。

 良く言えば柔軟で臨機応変。悪く言えば移り気で無節操なのかな。


 人が人である限り、『正義』とは往々にして揺らぎやすい。


 信念とは信じ貫くものであるはずなのに、移ろい揺らぐものであるとは何たる矛盾だろうね。けど、それも人間らしいといえばそれまでなのかな?

 強固ではあるもの衝撃には脆い。まるでガラスのように鋭利で危うく儚げで、だからこそ激しく動的な『正義』とは、誰の目にも魅力的に映るものなのかもしれない。


 そして、おそらくは世間でいうところの『英雄』と呼ばれる存在は、この信念を――己の『正義』を揺るがせることなく最後の最後その瞬間まで貫き通した者の事を言うのではないだろうか。なんて事も私は考えてみた。


 どれほど過酷で残酷な現実を目の当たりにしても決して曲げなかった子供の我儘のように分からず屋で頑固な想い。

 そんな常人では到底成しがたい我を貫いた果てに、結果として世界の何かを変える変革者。それこそが英雄という生き物であるのではないかと、私は勝手に定義してみた次第だ。


 そんな『正義』を宿した拳ほど恐ろしいものはないに違いない。

 もし歴史に名を刻んだ英雄達の生まれた日を定義するとするならば、そんな確固たる正義を胸に抱いたその瞬間をこそ、私は彼らの聖誕日として祝ってやりたいものだよ。


 なら、『正しさ』を貫いたものは英雄足りえないのか? そんな事は決してない。


 総体としての『正しさ』を自らの『正義』――信念と呼べる代物に至るまで信じ貫いた場合、おそらくその拳は『英雄』のソレとして立ち塞がる障壁を打ち砕いていくに違いない。


 ……おっと。そうなるとやはり『正しい』だけでは英雄足り得ない、という事になるのかな。

 まあいずれにせよ、そんな歪な人間は英雄である前に人としてあり得ないと言わざるを得ないよ。

 『正しさ』と『正義』を同じとする人間なんて気色が悪い、そんなものは単なる奴隷と同じだ。個としての在り方を捨て去り、人類の総体の意思として『正しさ』を継続させるだけの歪な機械に過ぎないのだから。

 

 ……さて、いくらか脱線を繰り返しながらここまで正しさと正義についてつらつらと述べてきた訳だけど、賢明な読者諸君は覚えておいでだろうか。



 そもそも私は『平和』という概念について語ろうと筆を執ったのだという事を。



 そして少しばかり話を巻き戻そう。

 『正しさ』と『正義』。

 似て非なるこの二つの概念を、アナタたちが人類である以上は必ずその胸にどちらも等しく抱いている、という話を思い出して貰いたい。


 ……そう。どちらか片方だけならば、きっと世界はここまで複雑めいたまだら模様を描くことはなかっただろう。

 『平和』が遠ざかる事はあろうとも、幻影の如く存在すら曖昧なだまし絵のように揺らぎ、その距離まで測れないような悲劇は決して起こらなかっただろう。


 人が人である限り、『正しさ』と『正義』の二つの正答を必ず抱えてしまうという二律背反。

 そして『正しさ』と『正義』が異なる概念である以上、人が何らかの行動を起こす際に、決まってこの二つの概念は胸の内で競合を起こし衝突して火花を散らし、理性的で論理的な思考では到底予測不可能な結果――行動を導き出す。


 ……もうお分かりかな? 『正しさ』と『正義』の衝突により発生する火花こそが、アナタたち人類を突き動かす感情であり衝動であり葛藤であり迷いなのだ。


 『正しさ』と『正義』の板挟みには必ず自己矛盾が発生する。

 故に人の心とは、心の介在する行動とは、冷たいロジックだけでは決して読み取る事が出来ない、難解で複雑怪奇な暗号のように、神々ですら理解の及ばない決して解き明かされることのないこの宇宙最後の神秘(・・・・・)として世界に未だ存在しているのだ。


 神々が感情を最高級の供物として欲し求める理由も、よく分かるというものだ。


 だからこそ、理性的に考えてそれがどれだけ正しかろうと、誰もがそれを求めていようと、『平和』は成り立たない。


 必然的に生じる人の心の矛盾は、己が真に求めていたモノすらをも裏切り手放してしまう。

 論理的に考えれば答えが分かるはずなのに、感情がその選択を許さず、負の連鎖を断ち切ることを出来ないが為に争いは激化していく。


 人類が皆一斉に刃を手放せば争いなど簡単に終わる。だが心がそれを許さない。

 『正しさ』と『正義』の狭間に揺れる葛藤が、感情が導き出す行動は、慈愛よりも憎悪に支配され、世界を血と炎に染め上げていく。


 愛が故に憎しみ、恐れが故に殺し、悲しみが故に赫怒を抱き、尊いが故に穢し、大切であるが為に破壊する。

 

 ――何故、平和を求めた人類は武器を手に取り、争い、血を流し、同じ人を殺すのだろうか?


 ……神々でさえ答えに窮し、苦悩に明け暮れ放置されたこの命題に仮に答えを出すとするならば、人類が感情を持つ生き物であるからだと答える他ないだろう。

 そして答えが出たからと言って、問題の解決方法はやはり神にも分からない。


 何故ならば、人と人はあまりにも違いすぎる。

 髪の毛も肌の色も目の色も身長も性別も主義も趣向も性格も何もかも。異なっている。違っている。一人一人があまりにもかけ離れた個人であるが故に、矛盾する心の働きは誰にも、それこそ神にさえも分からない。

 分からないから、理解できない。理解できないから、分かり合えない。だから人の世の争いは終わらない。


 だが、人は皆が互いに違うからこそ、他者へ強い関心を抱くのだ。

 自己と同一の存在があるとして――それも量産化された無個性な消しゴムじみたつまらないモノに――誰もそれに興味は抱かないだろう。そもそも、全て同一であるならば心などという機能は必要ないに違いない。

 自分とは全く異なる未知の存在だからこそ、互い違いのパズルのピースのように、心を通わせ、ふれあい、繋がり合おうと思える。

 人間が、そんな特異な性質を持った生き物であることもまた確かなのだ。

 しかし、他者を思いやり、関わり、理解し繋がる為に儲けられたその差異こそが他者を排斥し、拒み、争い傷つけ合う要因にもなっているのも事実だ。

 生きる形さえも自己矛盾の塊という芸術めいたその皮肉さに、私は惜しみない拍手を贈りたい。


 この生物をデザインした神様とやらは、最高に嫌味でとびぬけたセンスの持ち主に違いないと私は確信しているよ。


 ……あぁ、本当に。何と愚かしく愛しい業の深い生き物なのだろうか、人間という生物は。










 さて、そんな愚かしくも愛おしい人間という生物の中でも、とびきり度し難く浅はかで愚鈍な、世界の冷たい理などまるで理解していない無知で無邪気で無垢な少年がいたことをここに記しておこうと思う。



 彼は平和ボケした国で生まれ、神の能力者(ゴッドスキラー)の楽園に移り住んでなおその平穏を享受し続けた幸運な少年。

 戦乱の世を知らない少年は、それでも今日も世界のどこかで誰かが傷つき血と涙を流し死んでいく現実を知ると幼い顔を渋面に、世界を知らぬなりの疑問を浮かべたそうだ。


『誰も彼もが分かり合って友達になれば戦争なんてなくなって世界は平和になるに決まっているのに、どうして他人を理解しようとする努力をしないのか』、と。


 そんな少年の疑問に、少年が憧れて兄のように慕っていたとある英雄は、人の数だけ主義主張――正義があり、それを一つの考えに束ねることはとっても難しいことなのだと説いた。

 ひとりひとりがてんでバラバラに異なっているから、致命的なまでに違っている者同士だから、人と人とが分かり合うことは難しいのだと。

 

『……それでも僕は、みんなが仲良く分かりあえるって、そう思ってるよ。戦争もケンカもしなくていい、そんな世界の方がみんなうれしいに決まっているもの』


 それでもそんな絵空事をこいねがった少年がいた。


 ……しかし、人間の子供というものは往々にして浅はかで愚鈍で無知蒙昧。決して叶わぬ絵空事を思い描くことは、何も不自然な話ではない。


 ただ、彼が異質であったとするならば、そんな子供の絵空事を抱えたまま成長を遂げてしまった歪さこそにあるのだろう。


 己が身の丈を知りながら、分不相応に届きもしない星々へと必死で手を伸ばす望みばかりは大きなちっぽけな子供。 

 抱えた絵空事を諦めるに諦めきれ無くて、捨てるに捨てきれ無くて、こびり付いた憧憬は、まるで呪いのよう。


 幼き頃にこいねがったそんな希望のろいを今も胸に灯しながら、迷い、揺らぎ、挫け、絶望し、心身ともにボロボロに成り果てながら。それでも敗北を認めずに抗い続けた少年がいる。


 絶対に主人公に至らぬ身で主人公を演じ続けた英雄の紛い物。


 神の名を冠する力を扱う人ならざる者達。


 そして、そんな彼らを掌のうえで躍らせ悦に浸る、全知全能を黒幕気取りで振りかざす神めいた半端者ども。


 そんな紛い物ばかりが蠢く世界があった。


 そんな世界を私は知っていた。


 これから綴る物語は、そんな世界で生き足掻いた彼等紛い者達の物語。



 ――故に、これは人の物語ではない。


 ――故に、これは英雄の物語ではない。


 ――故に、これは神の物語ではない。




 ――これは、真に迫ろうとした偽。醜悪なる贋作の身でも構わない、それでも叶えたい希望オモイがあえると心の底からこいねがった。そんな歪な紛い物たる模倣者たちが紡ぐ、希望の物語である。




 ……さあ、それでは語るとしようか。

 筆を執る私自身、この先この物語が辿る結末は知り得ない。

 故に心が躍る。高揚が止まらない。この残酷な世界を生きる彼らがどんな答えを導き出すのか。

 無知で愚かな少年が抱いた絵空事は、世界の『希望』足り得るのか。

 人よりなお人らしい半端者達はこの世界に一体何を齎すのか。


 彼らの叡智によって紡がれる私だけれど、だからこそ想像も及ばないような素敵な物語が私を待っていることを期待しておくとしようではないか。


























 ――願わくばこれより書き記される物語が争いと悲哀に満ちた物語セカイの終章となり、愛と平和によって紡がれる新たなる物語セカイの序章とならんことを祈って。





 『「天智の書」 最()章 第零節 「終焉と創世の()話」より抜粋』

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『天智の書:人ノ章(ベータ版)』
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