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神ナリシ模倣者ト神門審判  作者: 高木カズマ
第六章 Ex 《接続章》 Re:starting reincarnation True hero ?  
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続・終話肆 再臨の贋作英雄Ⅳ――永久に失われた約束/最悪のすれ違いの果てに:count 0

 英雄の少年と、『厄災の贈り物』。



 両者の出会いは、最悪のすれ違いの結末でありそして――決して逃れられぬ運命だった。




「――……『厄災の贈り物』。お前は……お前はァッッ!! 俺が(・・)俺が憎むべき(・・・・・・)ッ、悪だ(・・)ァああああああ(・・・・・・・)ッ!!」



 震える声が、慟哭の嗚咽のように世界に響く。


 あまりに哀しく。あまりに寂しい。悲哀に満ちた聞く者の胸を引き裂くそれは、まるで親を求める赤子の泣き声のようだった。

 


 なにもかもが黒く黒く黒く黒く黒く黒く黒く黒く黒く黒く黒く黒く黒く黒く黒く黒く黒く黒く黒く黒く黒く黒く黒く黒く黒く黒く黒く黒く黒く黒く黒く黒く黒く黒く黒く黒く黒く黒く黒く黒く黒く黒く黒く黒く黒く黒く黒く黒く黒く黒く黒く黒く黒く黒く黒く黒く黒く黒く黒く黒く黒く黒く黒く黒く黒く黒く黒く黒く黒く黒く黒く黒く黒く黒く黒く黒く黒く黒く黒く黒く黒く黒く黒く黒く黒く黒く黒く黒く黒く黒く黒く黒く黒く黒く黒く黒く黒く黒く黒く黒く黒く黒く黒く黒く黒く黒く黒く黒く黒く黒く黒く黒く黒く黒く黒く染まっていく。


 憎悪が、怨嗟が、憎しみが、怒りが、怨恨が、瞋恚が、怨念が、恩讐が、嚇怒が、殺意が、人間のドス黒い感情の極限が、汚らわしき汚泥のように少年の裡から溢れだす。

 止められない。

 止まらない。

 止めなければならなかった出会いは、ここに果たされてしまった。

 

 幾千幾億の夜を越え、巡り合ってしまった二人の末路は、もう殺し合い以外あり得ない。

 

 ……分かっていた。南雲龍也の『再臨』が成された以上、この出会い(はめつ)は必然で、どちらが滅びる定めにある事など、スネークは最初から知っていた。知っていて、それでもなお選択したのだ。

 憎悪に呑まれた『新たな希望』を諦め、『英雄』による世界の救済を。


 自分はどうしようもない偽善者だ。世界とこの結末を天秤にかけ、この犠牲を切り捨てるとそう決意したハズなのに。

 眼前で起ころうとしている悲劇を前に、この身体は立ち止まる事を許しはしなかった。そして、そんな感情論とは裏腹に、この『特異体』を敵に回すことを良しとしない打算が混ざっている己の思考回路が、この世の何よりも憎くてしかたがない。


龍也ボウズッ! やめろ! その子はお前が知っている『厄災の贈り物』とは――」


 鬱陶しい白衣の男を拳一つでその上半身を消し飛ばし、狂おしいほどの憎悪と殺意に呑み込まれんとしている南雲龍也を意味すら失った殺戮行為から解放する為に手を伸ばそうとする。

 しかし、そんなスネークの切なる願いは―― 

 

 




「――少女と少年の感動の再会だ。子が心配な気持ちは最もだが――我々がソレを邪魔をするのは些か野暮というものではないだろうか? ……だが確かに、二人の逢瀬の間をただ座して待つというのは退屈極まりない。ならばここは一つ、私達も旧交を温めるというのはどうだろうか? なあ、『狡猾の蛇』よ」


 南雲の注意が離れた隙に肉体を完全復活させた死灰色の男が、獲物を甚振り楽しむような酷薄な笑みを浮かべてスネークの前に立ち塞がっていた。


「……この趣味の悪い筋書はテメェの趣味か」

「ああ、その通りだとも。どうだ? 二人のかつてを想えば、なかなかに面白い趣向だとは思わないか?」


 吐き捨てるようなスネークの言葉に楽しげに答えるシーカーは、心なしかいつもより口調と態度が砕けているように思える。

 それはどこか故郷の空気に触れて童心に戻る大人のような、過去と現在を繋ぐものに触れた高揚感じみた感情の昂ぶりに似ている。

 

 事実、彼はこの光景に思いだしているのだろう。

 『探求者』と『狡猾の蛇』。両者の因縁を結ぶに至った、あの戦いを。

  

「……ふむ、それにしても随分と復活に時間がかかってしまった。お前の用意した『英雄』、大口を叩くだけあって実に素晴らしかった。私の予想を常に越え、予期せぬ結果を齎し続けた。私をここまで追い詰めた者は、全盛期のお前を除けば他にはいまい。だが――」

「――お喋りに付き合うつうもりはねえんだ。そこをどけ、『探求者』」


 遮るように張ったスネークの大声を、しかしシーカーは無視した。


「――想定は越えようとも私の想像を越える程ではなかったよ。彼の英雄の齎す結末は――ああ確かに予想外ではあるものの決して未知足りえない。……既知だ。既視だ。既聞だ。知っているとも、その結末は。その程度の予想外は。私が予測した数百手を越えようとも、再臨英雄の捻り出す最善手は、決して私の命に届かない。――分からないか(・・・・・・)? 私が表舞台に出た時点で、既に私の勝利は確定しているのだと。今宵もまた、お前の敗北だよ。『狡猾の蛇』」

「……なるほど分かった。今すぐに殺されてえんだな?」

「我が名は『探求者』。この世の未知を追い求める者。『叡智』を司りし『特異体』。――私を殺す、か。……ククク、それもいいだろう。面白い。しかし、それが出来ぬからこそ、お前は『英雄』などという手札に頼ったのではないのか? なあ、悪名高き『狡猾の蛇』、我が愚弟よ」

「……、」



 安い挑発を、今度はスネークが無視した。

 

 


 刹那、

 魔力を爆発させ、全身に掛け巡らせる。


 一歩、

 その一歩で大地が砕け陥没し、霞む剛腕に風が叩き付けるような轟音を打ち鳴らす。


 『肉体』を司る『特異体』。

 世界最強の男の全力の踏込みから繰り出される全身全霊の拳が、『叡智』を誇る『特異体』へと叩きこまれる。


 その拳圧により巻き起こる余波たる衝撃波だけで世界を滅ぼしかねない魔力全力解放による一撃は――しかしその威力からの想定に反して、さしたる二次災害を引き起こさなかった。

 本来であれば何らかの形で周囲へ拡散してしまうエネルギーを、スネークは魔力によって強引に押さえつけその右拳に収斂し、ブラックホールが如く超高エネルギー密度を誇る最強の一撃へと昇華する。

 『知恵の実』を失い『魔術』も碌に扱えない身で繰り出したソレは、己の持つ運動エネルギーを余すことなく完全な形で相手に伝播させるある種の到達点ともいえる究極の一撃だった。

 なにより恐ろしいのは、その全てが拳の内側に秘められている為、直撃のその瞬間までは単なる通常の拳打にしかみえない点だろう。

 衝撃波はおろか拳圧さえ起こらないその静かな拳は、しかし直撃すれば最後、一撃で大陸すらをも粉々に打ち砕き、文字通りに世界を滅ぼすだろう。


 そんな破壊の究極にまで昇りつめた絶対の崩拳を――しかし『叡智』を司る細身の『特異体』は避けようともしなかった。



「――その一撃は既知であ(・・・・・・・・・)()。……単純な威力に意味などない。今更、そんな事さえ分からない愚物であったか?」



 シーカーは右の掌一つで、いとも容易く最強の崩拳を受け止めていた。 

 


「……一度見た攻撃を無効化する固有魔術オリジン、『叡智の覇王イレ・ヴィアカーィ・ディ・エラ』か。相変わらず陰険な野郎だ。――いいだろう、ならばお前の叡智を越える未知を叩きつけるまで……!」

「面白い、前人未踏で未開たる未知なる一撃。この探求者に見せてみるがいい……!」


 『特異体』と『特異体』。


 世界の頂点に立つ二柱が半世紀の時を経て、今宵、三度衝突する。



☆ ☆ ☆ ☆





 ――旧人格(ソフト)削除デリート、実行中……□◇□……削除中……◇□◇……削除中……◇□◇……




 ……第六章 急 再臨ノ贋作英雄……削除中……□◇□……削除中……◇□◇……



 ……第六章 破 三大都市対抗戦・下……削除中……□◇□……削除中……◇□◇……



 ……第六章 序 三大都市対抗戦・上……削除中……□◇□……削除中……◇□◇……



 ……第五章 引キ篭モリ聖女ト逃亡者ノ集イ旗……削除中……□◇□……削除中……◇□◇……



 ……第四章 悪意ノ伝道師……削除中……□◇□……削除中……◇□◇……



 ……第三章 災厄ノ来訪者ト死ノ狂宴……削除中……□◇□……削除中……◇□◇……



 ……第二章 涙空ノ咎人……削除中……□◇□……削除中……◇□◇……



 ……第一章 英雄ノ帰還ト亡霊……削除中……□◇□……削除中……◇□◇……□◇□……削除中……◇□◇……□◇□◇□◇……□◇□◇□◇□…………………………………………










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 ………………………………………………………………………………雄英作贋ノ臨再 急 章六第……下・戦抗対市都大三 章六第……上・戦抗対市都大三 章六第……旗イ集ノ者亡逃ト女聖リモ篭キ引 章五第……師道伝ノ意悪 章四第……宴狂ノ死ト者訪来ノ厄災 章三第……人咎ノ空涙 章二第……霊亡ト還帰ノ雄英 章一第





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 ――データ削除率:一〇〇% 旧人格(ソフト)及び付随する全データの削除を完了しました――















☆ ☆ ☆ ☆



 『時の牢獄』が開くと同時、その意識を解放された者がもう一人スタジアム内にいた。


「あれは……東条勇麻殿……では、ない……? まさか、あの少年は…………ああ、そういう事なのか……!」


 齢八十を超えるであろうにもかかわらず透き通るようにピンと伸びた背筋。老いを感じさせない精悍さと、聡明さを宿す瞳を持つ執事服を完璧に着こなす白髪の好々爺は、その存在の性質状、常にパンドラと呼ばれる少女の傍に侍る彼女専属専門の従者であった。

 『時の牢獄』に呑み込まれたパンドラと呼ばれる『特異体』の反応の消失と共に、六日間もの間行方不明だったその老執事は、しかし『時の牢獄』出現より数十分前というズレを伴って現出し、海音寺流唯との戦闘直後に状態の悪化で再び意識を失っていた。


 そして、現在。『時の牢獄』の出現と共に意識を覚醒した老執事の視界に飛び込んできた光景は、彼の最悪の想定を有に下回る絶望そのものだった。


「……なんという事だ。探求者殿、これがアナタ様のやり方だとおっしゃるのですかッ。今のお嬢様が、かつての彼女とはかけ離れた存在である事を知りながら、このような行いをアナタ様は……ッ!」

 

 全てを知る老執事の瞳は怒りと嘆き、そして己が主への深い憐憫に濡れている。

 しかし、この状況を打開する為に彼が何かをすることは決してない。老執事が心の底より慕い使える少女がどんな選択をしようとも、枯れにはそれを見守る以外の選択肢が与えられていないのだから。 


「……お嬢様、どうか……どうか、希望を捨ててはなりませぬ。どうか……」


 いつだって、無力な彼の祈りは届かない。 



☆ ☆ ☆ ☆



 憎悪と怨嗟の絶叫が、降り注ぐ雨音を掻き消し吹き飛ばしていく。


「ァ……あぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッ!!!」


 発狂し振り乱した頭を抱え、苦悶に満ちた表情に多量の脂汗を浮かべる少年のギラついた瞳に射抜かれて、アメジストのような輝きを誇る褐色の幼女――パンドラは訳も分からずに狼狽していた。

 想定外の再会に自らが陥っている最悪の状況を意識からストンと取り落としているパンドラは、前後のやり取りさえも忘却したのか、苦しげな勇麻を心の底から心配し、オロオロと狼狽えながらも大切な友達へと気遣わしげな声をあげる。

 少し考えればその違和感の正体に気が付くはずなのに、予期せぬ事態にテンパってしまっているパンドラはその違和感と先の少年の叫びの内容とを結びつけるに至らなかった。


 だから。


「ゆ、ゆうま……? どうしたのじゃ? どこか痛いのか、苦しいのか? ……だ、大丈夫じゃ。いま吾輩が――」


 ――治してやるからな、と。思いやりと慈愛に満ちた小さな手に温かな光が灯り、悶え苦しむ少年を優しく癒そうとして――


「俺に、……触るなァッ!」


 本気の殺意と拒絶が、パンドラの伸ばしかけた手を無情にも薙ぎ払った。


「――え」


 中途半端な位置に掌を彷徨わせながら、唖然と瞳を見開きパンドラが呟いた。


 ……痛みが、あった。


 そこには善意で伸ばした手を信頼する東条勇麻に振り払われた驚きと途惑い、疑問。そして信じていた大切なものに手酷く裏切られた胸を劈く鋭い痛みが同居している。パンドラにはその正体が分からない。その感情が分からない。

 ずっとずっとずっと、独り箱の中に閉じこもって長い時を過ごしてきた彼女には友達なんていなかった。その痛みを知る術がなかったから。

 分からないから――恐ろしく思った。


 東条勇麻――だと彼女が思い込んでいる南雲は、荒い息を吐きながら、憎悪と殺意に淀み擦り切れた瞳で眼前の『特異体』をキッとねめつける。

 その視線に、パンドラの身体と心がさらに強張る。

 ――何故、どうして、なんでそんな目で吾輩を見るのじゃ……? 怯える瞳に映る少女の無言の問いかけに、しかし英雄は答えない。

 未だにショックから立ち直れず、親に怒鳴られた幼子のように硬直してしまっている少女目掛けて、ドス黒い殺意を隠そうともせずに照射して、少年は怒りに喉を震わせる。

 その動作一つ一つが、致命的な鋭さを伴って孤独な少女の胸を穿っていく。


「……馬鹿に、してんのか?」

「……ゆうま……? 吾輩は――」

お前は(・・・)俺が憎むべき悪だ(・・・・・・・・)……ッ!」


 

 ドむ……っっ! と。くぐもった爆発音が、至近から――己の中から響くのを少女は聞いた。



「――ごぽぁ……っ」



 その小さな手でお腹を抑え、見開いた瞳に涙を溜めこんで、パンドラはその小さな唇から冗談のような量の血の塊を吐き出していた。

 


「――、……ぁがぁ……ッ!! ――いぎぃッ、アぃいいいいいやああああああああああああああああ―――――――っっっ!!?」 



 激痛、炸裂。苦悶、爆発――絶叫ッ。

 

 少女特有の甲高いソプラノボイスが、喉を引き千切らんばかりの悲鳴となって辺り一面に響き渡る。

 断末魔の悲鳴にも思える地獄の絶叫は、それを耳にした者に痛みを想起させるだけの悲痛を伴っていた。


 ――死に届き得るような激痛に悶える少女の眼前。そこには、拳を振り抜いた姿勢で固まる南雲龍也が、死を宣告する処刑人であるかのように立っていた。

 南雲龍也の振るった拳は空を切り、慈愛と思いやりから手を差し伸べてきた優しき少女の命を否定する。

 罪ある者を断罪せんと、断罪の拳は英雄の瞋恚に応え世界の憎悪を少女の小さな躰へと容赦なく叩き付ける。 


 全ての法則や制約を無視して襲いかかる正義の断罪に、少女の内臓は既にその六割が、その小さな身体の内側で風船みたいに弾け飛び死滅してしまっていた。


 激痛が苦悶が恐怖が疑問が絶望にが怒りが悲しみが寂しさが――そんな意味不明な感情の荒波さえも気が狂いそうな痛みに呑み込まれ、パンドラは半ば自失に白目を剥き、小刻みに震えて蠕動する。激しい出血と痛みによるショック症状が出ていた。

 終わらない吐血に息を詰まらせ、どこかへ飛んでいきそうになる意識に必死にしがみ付きながら、あまりの痛みと苦しみに転がり回る事すら許されずに、その場に蹲って痛みが爆発するお腹に思わず爪を突き立て肉が食い込みさらに血がにじむ。


 苦痛は続く。終わらない。

 本来ならば致命傷を受けたとしてもすぐさま傷は塞がり回復するはずなのに、どういう訳かパンドラの固有魔術オリジンである『万能の匣(パンドラ)』がうまく起動しない。理由は単純、パンドラの力が弱っているからだ。


 ――『神性』の強度は、そのまま『特異体』としての強さに直結する。

 三柱の中で『神秘』を司り、もともと『魔術』の扱いに長ける『特異体』であるパンドラは、錆銀色に輝く南雲龍也の『反転せし銀の腕アガートラム・オルタナティヴ』によってその『神性』を大きく低下させられ、万能たる『魔術』の力までをも弱体化させられてしまっている。さらにその身に受けた致命的なダメージそのものが、彼女の『魔術』の制御を大きく乱している。

 『神性』の弱体化はすなわち『特異体』としての弱体化。

 その結果、箱を開けてみるまで箱の中身は確定しない『万能の可能性』を内包する強力な固有魔術オリジンである『万能の匣(パンドラ)』を、弱体化したパンドラはその低下した『神性』と大きなダメージの為に上手く扱いきれなくなってしまっていた。

  

 ……元より『神秘』を司る彼女は魔術的な防壁や『特異体』としての特殊な権能を除けば三柱の中で最も脆弱な肉体の持ち主である事も仇となった。

 パンドラは南雲龍也の一撃に対して魔術的な防御を張ろうともしなかった。当然だ、彼女は今でも目の前の男を東条勇麻だと思い込んでいる。

 警戒する必要のない、信頼できる大好きな友達なのだ。魔術的な防御が南雲龍也の『正義叫ぶ断罪の拳ヘルト・シャルフリッター』に意味があるかはともかく、パンドラは東条勇麻に対して魔術を使う理由がない。

 そして、本来ならば神の能力者(ゴッドスキラー)に対して機能するはずの『神性(ディヴィニータ)原典(:オリジン)』も、対人間用の権能である『逆説的人類設計図パラドックス・アーキタイプ』も、今の南雲龍也には意味を成さない。

 結果として、今のパンドラはとても『特異体』とは思えない程の致命傷を受け瀕死の重傷と言うべきダメージを負っていた。


 顔中を血と涙と鼻水でぐちゃぐちゃにして苦悶に呻く少女のその有り様は、ごく一般的な感性と善性を持つ人間ならば到底見過ごせない凄惨なものだ。そのハズだ。

 だが英雄の怒りは、憎悪は、殺意は、その正義は決して止まらない。

 例えどれだけ可憐で儚い少女の容姿をしていようとも、それが許容できぬ悪であり、ましてや長年その首を求め続けた最凶最悪の怨敵だというのならば尚更止まる訳がなかった。

 何故なら南雲龍也は知らない。

 否、知っていた所で関係がない。

 例え今目の前で倒れ伏している虫の息の『特異体』が、南雲龍也が真の意味で求めている『厄災の贈り物』とは本当の意味では別物なのだとしても、その存在と生存を南雲龍也は絶対に許容しない。認めない。許さない。


 世界が決して裁かぬ悪をこの拳で完膚なきまでに滅ぼし尽してみせるのだと、正義の味方は慈悲なき処刑を宣告する。

 あまりに苛烈。あまりに潔癖。

 改心も懺悔も償いも、その全てに意味を見出さず世界に害する癌細胞を問答無用で切除せんとする淀み一つ許さない高潔なる英雄の鬼神の如きその瞳は――しかし憎悪と殺意に濁り曇ってどこまでも淀んで見えた。

 そんな殺意に擦り切れ淀んだ瞳に睨み付けられ、パンドラの痛みはさらに際限なく加速していく。


 ――痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い……!

 おなかが、おなかが、お腹が痛い。血が、出ている。おなかの中身が、壊れて、破れて、潰れて、弾けて、血が出て、零れて、命が、痛い。

 でもなにより一番痛いのは心臓だった。胸の真ん中が、擦り切れ引き千切れそうになる程に痛くて、苦しくて、切なくて、哀しくて、怖くて、辛い。

 嫌だ。嫌だ。嫌だ。何が嫌かも分からない、だけど自分のこの状態が、どうしようもなく度し難くて、許容できなくて、不快で、嫌で嫌でたまらない。訳も分からずに痛みに涙が零れ落ちる。どうして、こんなに苦しいのか。どうしてこんなに痛いのか。哀しいのか、辛いのか。分からない。

 胸が押し潰されるように痛む理由が、分からない。胸から血なんて、一滴も出ていないのに――


 ――たすけ、て。

 

 空気を求め水面にあがる魚のように喘ぐ少女の唇の動きに、処刑人はその瞳を苛烈な瞋恚に燃え上がらせた。


「――ふざけるな、ふざけるなァ! ……大丈夫、だと? たすけてだと? どの口で言っている。なんでお前がッ、俺に……お前が俺の全てを奪ったんじゃねえかッ!」 


 人が変わったかのような激昂と共に、サッカーボールのように腹を蹴り飛ばされる。


「がぁっ!? けほっ、ごぽ……ッ」

「なんで、死んでない。なんで、どうしてお前が俺の前でのうのうと生きてやがるッ、『厄災の贈り物』ォオオオオオオオッッ!!」 


 衝撃は何度も何度もその矮躯を伝播し、そのつど血反吐を吐き重ねながら、薄汚れた地面を滑稽に転がった。痛い、苦しい、助けて欲しい。

 そう思うのに、本来ならいの一番に助けを求めるべき友達が、自分の事を憎悪しドス黒い殺意を向けてくる。その現実に、何よりもパンドラの心が擦り切れ千切れ壊れ死んでいく。


 ……これも、報いなのだろうか。

 自分以外の他者を有象無象としてしか認識せず、無知に自儘に気紛れに無自覚に殺して傷つけてきた自分が、あまつさえ友達などというものを作ってしまった事。

 そして、全てが手遅れになってから命の尊さに気が付いて、その大切さを理解してなお憎悪に走りその手を血肉に染めあげた、そんな罪深い自分に与えられた罰なのだろうか……?


 雨に打たれる世界。少女の視界も滲んでぼやける。

 頬を打つ雨粒が瞳に流れ込んできた訳ではないのに、どういう訳か次第に滲み歪んで行く世界は、拭っても拭ってもその形を一向に取り戻そうとはしてくれない。 

 現実逃避をするように思いを馳せるのは、こんな自分と友達になってくれて一緒に遊んでくれた大切な友達。

 他者の命を奪う事を何とも思わない自分のせいで死の苦痛を受け一度はその命を落とす羽目になってしまった、大切な友達(エルピス)の事だった。


(――あぁ……)


 エルピスの事を考えた途端、勇麻とアリシア、そして自分とエルピスの四人で過ごした温かな時間がパンドラの脳裏を走馬灯のように駆け巡って行って――


「どう、して……」


 ――もう、ダメだった。堪え切れない、嗚咽が漏れる。

 お腹を襲う激痛による苦悶ではない。もっと、深く深く身体の奥の方を穿つ痛痒を必死で耐えようと、パンドラは強く歯を喰いしばる。

 目と鼻から溢れてくる水でぐちゃぐちゃになった表情をさらに歪ませ、今まで経験したことのない未知の感覚にボロボロに打ちのめされる。

 血と共に流れ出てくる言葉の洪水を止められない。

 想いが溢れるのを止められない。今にも命が失われようとしているボロボロの肉体で、しかしそこは『特異体』。尋常ではない生命力を発揮して、自分を殺そうとする友達に、なけなしの勇気を振り絞って己の全てを投げつけていく。


「どうして、なのじゃ……ッ!」 


 ……悔しかった。――この気持ちがちゃんと伝わらない事が。……怖かった。――勇麻から、友達から殺意を籠った瞳を向けられる事が。……悲しかった。――四人過ごした時間を否定されたみたいで。……辛かった。――話すら聞いて貰えなくて。……寂しかった。――友達の温かさを知ってしまったから。……苦しかった。――また全てを失うことを思うと、どうしようもなく。……助けて欲しかった。――自分を襲う全ての理不尽から、だって友達とは助け合い楽しいのも悲しいのも辛いのも嬉しいのも分け合うものだと。勇麻とアリシアはそう言っていたから。

 

 そしてそれでも……愛おしかった。――もう一度友達に会えた事が、嬉しかった。


 最早心はぐちゃぐちゃで、自分でも自分が何を感じて思っているのか分からなくて混乱する。

 一体何がここまで自分の心を揺り動かすのかまるで理解できない。でも痛い、痛いのだ、意味が分からないくらいに、痛いのだ。

 大切な友達なのに。友達だと、そう思っていたのに。確かに友達になったハズだったのに……。

 少年の殺意を孕んだ冷たい視線が、憎悪の滲む激しい言葉が、パンドラの心に次々と鋭利な刃物となって突き刺さり、穴を開けていく。

 刃に貫かれ生じた風穴から零れ落ちていくこの温かなものが血液なのかそれ以外のナニカなのか、パンドラにはもう判別がつかない。

 ただ、どうしようもなく哀しくて辛くて恐ろしくて、死んでしまいたくなるような極寒の寒さが少女を震わせるから。


「……ゆう、ま。吾輩を、忘れてしまった、のか……? 吾輩じゃ、パンドラじゃ。下僕でも僕でもない、吾輩は、お前と友達になったのじゃ。確かに、そうだったのじゃ……!」

「……」 


 分からないのだ。この感情が、分からない。理解できず、名前も知らず、分からない事だらけだけれど、このままでは自分が求め続けていた大切な何かを失ってしまうという事だけは確かに理解できてしまって、そんな致命的な事実が分かってしまう事がどうしようもなく恐ろしかった。

 明確に何に対しての怯えなのかすら分からないのに、ソレが死ぬことよりも怖くて怖くてたまらない。自分は気が触れてしまったのだろうか……分からない。分からないから、怖くて怖くて仕方ない。


 だからパンドラは縋るように、涙に滲む瞳を懸命に笑みに細め、今にも壊れてしまいそうな儚い微笑をその幼くやわらかな頬に精一杯刻み込んで、もう一度。


「ゆうまが、言ってくれたのじゃぞ? 一緒に走り回って、軽口を言い合って、思い出を共有した吾輩たちはもう友達なのだと、そう。言ってくれたではないか……」

「……」 


 大好きだった少年にもう一度、手を伸ばそうとして――


「……また明日って、吾輩……吾輩っ、あの約束を、楽しみにじでいだのに……っ!!」


 ――堪え切れない想いの丈が、激情となって噴出した。

 

「――どうしてッ! どうして約束を守ってくれなかった!? 吾輩っ、吾輩は……っ! 確かにあの日、会いに行ったのに! ゆうまもアリシアも誰もいなかった! 居なかったのじゃ! 嘘つき! 約束破り! 友達だって、言ったのにッ!」 


 ボロボロと涙を零しながら叫ぶパンドラの悲痛な叫びに、南雲龍也は俯いたまま微動だにしない。

 俯き雨に打たれるその姿は、身寄りのない迷子の野良犬のようにも見える。

 光の加減でその表情は一切読めず、言葉の嵐に対して一切の反応が見当たらない。少女の罵声のような叫びに対しひたすらに沈黙が続く。故に少女のそれはもう対話の呈をなしていない。


 ただ一方的に己の感情を相手に投げつけるだけの、稚拙な子供の感情表現。

 しかしそれでも構わないと、相手が黙って何も言わないことを良いことに、畳み掛けるように『特異体』の少女は己の発展途上の未熟な感情を、その命を削って暴発させる。


「吾輩、嬉しかったのじゃ……。また明日って、言った事なんてなかったから。拒絶されなかったから、笑って手を振りかえしてくれたから、当たり前みたいに……吾輩があの日常の中にいる事がまるで当たり前みたいにッ、受け入れてくれたからッ! だから、吾輩に友達の資格がなかったとしても、それでも、皆と一緒に過ごした時間を嘘にしたくなくて、だから最後に会いに行ったのにッッ!! ――どうして、 どうして吾輩との約束を破った! 吾輩の事を忘れている!? なあゆうま、どうしてなのじゃ!ッ?」 


 パンドラが厄災の贈り物(パンドラ)を名乗った時点で、可能性は一点ぜつぼうへと収束している。

 故にすれ違いは必然であり避けられぬ運命であると。そんな事は自分でも分かっている。

 彼らに非はなく、悪いのは自分であるという事も。理由も意味も分からないけれど、こうなってしまった事にもきっと自分に責任がある。理解はできなくてもそうなんだろうという事は分かるし、納得もしている。

 それなのに、パンドラの勇麻たちへ対する理不尽な怒りは悲しみは悔しさは寂しさは愛おしさはッ、思いの丈は留まるところを知らない。

 後から後から、楽しかった四人での日々を思い出す度にその感情は胸の底から怒涛の如く湧き上がってくる。

 思いに突き動かされ、パンドラは足掻く。もうどうしようもない最悪の結末が待っているにも関わらず、少女は少年に近づく事を恐れなかった。

 血の轍を刻みながら、這うようにして勇麻の足元に辿り着いたパンドラが、己の血に汚れた手で勇麻のズボンの裾を縋るように掴んで、


「……でも、それでも吾輩はこうしてお前に会えて、嬉し――

「――ふざけるな!」


 

 鳴り響く怒号が、少女の感情の慟哭を、一発で掻き消した。

 


 ピタリと。少年の一喝に、パンドラの喉がきゅっと閉まるように言葉の出し方を失う。恐怖と悲しみと動揺に愕然と瞳を見開き怯えながら、それでも奇跡に縋るように期待と視線を向けてくるパンドラに、しかし南雲龍也の我慢は既に限界を突破していた。

 ――怒りに震える声が、ようやっと絞り出される。


「……ふざけるなよ。覚えてないのは、忘れてるのはお前の方だろうがッ。俺は忘れたことなんて一度もねえ、『厄災の贈り物』。お前が奪った命を、俺は絶対に忘れない……ッ!」


 パンドラからすれば意味の分からない言葉。

 だが、それが全てだった。

 擦り切れ淀んだその瞳が見据えるのはパンドラではない。遥か彼方の幾億の夜を越えて再会を果たした久遠の仇敵『厄災の贈り物』。

 南雲龍也が憎み、殺すべきこの世界の癌細胞。害悪そのもの。

 瞼に浮かぶは、憎悪と殺意に呑み込まれた男が飽くる程に悪夢に見た原初の光景。忘れようにも忘れられない、南雲龍也を南雲龍也足らしめた憎悪と殺意の連鎖の円環、その始点。

 彼が英雄になる事を約束された始まりの日の事。


 躊躇など、ある訳がなかった。

 南雲龍也は、硬く握りしめたその拳を弓を引き絞るように振り上げて、


「――お前は(・・・)……」




 

 最後まで、パンドラはその絶望こうけいを信じようとしなかった。

 だってパンドラは、東条勇麻を――大好きな友達の事を最後の最後まで信じていたから。

 子犬のような疑い一つない瞳で少年を見て、



「……ゆうま?」





















 最悪のすれ違いの果て、二人の逢瀬はここに一つの結末を迎える。


 

「……俺が憎むべき(・・・・・・)悪だ(・・)



 静かに、しかしはっきりと。英雄は少女をそう断じていた。


 同時、再度南雲龍也の拳が空を切ると、くぐもった爆発音と共に矮躯の『特異体』はその場で血塊を吐いて動かなくなった。

 少年のズボンの裾を握っていたハズの小さな掌は、自身の生み出した血溜まりの中へと力無く投げ出されていた。


 憎悪と殺意に溺れる英雄は、握った拳を解こうともせずに、ボロ屑のように成り果て足元に沈んだ血塗れの少女を凍てつく視線で睥睨する。

 あまりにも冷たく底冷えする憎悪が、その根深くにまでこびりついていた。





 ――『正義叫ぶ断罪の拳ヘルト・シャルフリッター』。


 それは、南雲龍也の憎悪を媒介に、この世界に存在する悪へ対する憎悪の感情を破壊力へ具現化し、南雲が憎悪する対象へ距離や防御力などの全ての制約を無視して強制的に破壊を招来する力。

 衝突させるエネルギーは世界に存在する悪への憎悪を燃料としているが、相手へとぶつける破壊エネルギーの総量――その一撃の威力は、南雲龍也が対象へ対して抱く憎悪の強度によって上下するという実にピーキーな代物で、しかしそれ故に絶大な効果を発揮する。

 つまりそれは、南雲龍也が心の奥底から憎悪する悪であれば、テレビの向こう側からでさえ問答無用に相手を一撃死させる事が可能な〝対悪概念攻撃〟。

 南雲龍也の『希望の拳(ホープインハンド)』に宿る、『独善なる慈愛プローフィ・ア・フェクト』と対を成す、南雲が希ったもう一つの力。


 それこそが、不倶戴天の少女――『厄災の贈り物(パンドラ)』という悪の命を奪う為に英雄が振るった断罪の正体。


 パンドラという罪深き『特異体』の少女の命を破壊した、憎悪という名の正義の刃だった。



「……」



 滅ぼし尽すべきこの世界の癌細胞、憎悪してやまない仇敵を殺したはずの南雲龍也は、あっけないその幕切れに、しかしこれまでの激しく感情を露わにした態度から一転、特に何の感慨も抱くことなく背を向けて次なる悪を滅ぼすべく歩みを進めようとして――



「……………………おぶっっ!! げほっ、ごほ……ッ!?」



 ――思い出したようにビクンと上半身を跳ねあげ血を吐き出すパンドラに、足を止め振り返った南雲は不快げに眉を潜めた。

 すでに致命傷だった所からさらに心臓を潰し、『知恵の実』も破壊した。どういう訳か『探求者』と比べてさらに大きく『神性』が低下している今の『厄災の贈り物』を殺すには充分すぎる破壊を憎悪のままに叩きこんだはずだった。

 生きているなどありえないはず。それなのに……

 

「……生きている? ……そんな馬鹿な。俺の憎悪が足りなかった? ――いや、違う。……チッ、そういう事か。この感情は勇麻、お前のものかよ……」


 南雲は疑問に対する答えをすぐさま見つけ忌々しげに舌打ちをすると、血を零しながら倒れ伏す少女から目を離して己の右手へと視線をやって、何度か拳を開閉させる。その右腕に宿った力、『希望の拳(ホープインハンド)』に宿りし力の状態を確かめるように。


「……速度を優先して完全削除を後回しにしたのが裏目に出たか。右腕『■■■■』内部の『空き領域(ゴミ箱)』へと移された旧人格ソフトが、肉体ハードの方に影響を与えてる。『正義叫ぶ断罪の拳ヘルト・シャルフリッター』が、俺の憎悪が上手く機能してない」


 これまでとは打って変わって、あくまで冷静に己の状態を分析するその姿は、どこか異常な落ち着き具合にも思える。


 感情が一気に消えてしまった訳ではない。だが、先ほどまで見せていた執着にも似た激烈な憎悪と苛烈な殺意は、まるでその炎が消えてしまったかのように悪へ対する静かで揺るがぬ憎悪へと移行している。 

 一時的な爆発による爆炎が、継続的な燃焼へと変わった、とでも言うべきか。

 どこか不安定で狂気じみたものを感じるが、しかし南雲龍也が『特異体』であるパンドラを悪と断じて裁くという方向性それ自体は変わらない。

 

「……チッ、照準と威力が狂う。……勇麻のヤツ、『特異体』を――それもよりにもよって『厄災の贈り物』を庇うつもりか」


 忌々しげにそう吐き捨てた後、南雲は凍える瞳で虫の息のパンドラを見下ろして。三度、既に虫の息の少女へと拳を振りあげる。


「……憎悪が足りず、威力が出ないなら話は簡単だ。こいつが死ぬまで繰(・・・・・・・・・)り返せば(・・・・)――「――いい加減にッ、しろォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!」

 

 ――刹那、断罪の拳が振るわれるその直前に、粗暴で荒々しい男の絶叫が、燃拳と共に割り込んだのはその瞬間だった。


 激しく燃える拳は、南雲龍也の頬に突き刺さり、そのままその身体を軽々と十数メートル跳ねとばす。

 壊れた人形のように地面をバウンドしながら転がる南雲を、乱入者はすぐさま足裏を爆裂させて追撃。一秒で追いつき空中でその胸倉を掴むと、ついで膝頭を爆裂。強引な急停止に慣性の力が働き、ガリガリと足裏が地面を削る。

 しかし燃え上がる少年は鬱陶しい物理法則すらも力でねじ伏せて、進行方向へ流れる南雲龍也の身体を再び己の方へと強引に引き寄せ勢いのまま額に額を叩きこんだ。

 ガッ! 鈍くも甲高い音と共に視界に星が弾け、額が割れて血が飛散する。その痛みに、南雲もまた突如として現れた乱入者へとようやくまともに意識を向けて、

 

「……もう一度聞くぞ、アホ勇麻。――テメェは誰だァ!?」


 南雲の胸倉を掴み揺らして、至近から唾を飛ばす泉修斗の姿が、ようやくその視界に入ってきた。

 ただ一人。

 『特異体』の放つ『神性』の重圧や南雲龍也の放つ極限の殺意と憎悪に誰もが動けないでいる中、泉修斗だけが友の凶行を止める為に硬直する心を燃え上がらせ、南雲龍也の元へと一人飛び出していたのだ。

 その身に燻るやりきれない怒りのままに。


「……ざっけんじゃねえ、ざけんじゃねえよ! やっぱり俺だけだってのかよ。あの日の事を馬鹿み(・・・・・・・・・)てえに覚えてんのは(・・・・・・・・・)俺だけなのかよ(・・・・・・・)!? ……答えろ、今すぐ答えろクソ勇麻ァ!」


 ――この時、泉修斗は己の信念さえもねじ曲げたのだと思う。

 ずっと、ずっと、ずっと、決して言葉にしようとしなかった。態度にも出してはならないと思っていた。

 東条勇麻より強くなって、調子にのって何もかもを一人で背負い込もうとするあの馬鹿をぶん殴ってブッ飛ばす。そうして初めて権利が生まれるはずのそれを、泉修斗は衝動的に吐き出していた。 


 泉修斗の信念を捻じ曲げる行いだ。……ああ、分かっている。


 口先だけで語る、みっともない真似だ。……ああ、分かっている。


 実力も伴わない癖に、相手に縋るようなやり方だ、情けない。……ああ、そんなことは誰よりも分かっているッ!


 自分の情けなさは、自分が一番理解していた。それでも、プライドも体裁も主義も何もかもを投げ捨てた。そうしなければ全てが手遅れになってしまうと思ったから。

 もう、高見の時のようなあんな後悔は、したくなかったから。


 だから、泉修斗は世界で一番みっともないと思っていた方法に縋って、東条勇麻を救おうとした。



 ――己に課した誓いも破り、力も足りないままに感情に訴えかけるという恥ずべき愚行で。



「俺がぶちのめしたかった東条勇麻はテメェじゃねえんだよ。……出て来い、何言いなりになってやがるクソ勇麻ァ! 俺はテメェをブン殴らなきゃならねえんだよ。テメェより強くなって、テメェに勝たなきゃならねえんだ! 何ケンカもしねえで逃げようとしてんだよ、勘違いした挙げ句がコレだってのかよ! いつからテメェは泣いてる女に手ェ上げるクソ以下のクソ野郎に成り下がったんだッ、あぁッ!?」

「……泉か。呼ぶだけ無駄だぞ、主格は既に俺に上書きされてる」

「知らねえ黙れテメェには聞いてねえ引っ込んでろや偽物野郎ッ! ……なあ聞いてんだろ、勇麻。情けねえ真似してんじゃねえよ。こんな結果を、お前は認めるって言うのかよ!? そうじゃねえ、違うだろうがッ。いつもの馬鹿みてえな綺麗ごとを、今ここで吠えて見せろって言ってんだよ……ッ! ……なあ。答えろ……無視、してんじゃ……ねえよ……っ!」


 目と目が合う。ただそれだけで、勘のいいこの少年は全てを理解してしまったのだろう。一瞬、見開かれた瞳の中に浮かんだ感情の変化を、南雲は見逃さなかった。

 悔しげに歯を喰いしばる泉の言葉が次第に尻すぼみになっていく。それと同時に、胸倉を掴む手からも力が抜けていく。泉が俯きその手が完全に脱力すると、拘束から解放された南雲は滑り落ちるようにその場で尻もちを付いた。


 ……東条勇麻はどこにもいない。

 少なくとも、今泉修斗の目の前にいるこの男は、南雲龍也以外の何者でもない。

 そんな残酷な事実を突きつけられ、そして心が認めずとも頭が理解してしまえば、炎を燃やす為の想いだって枯れていく。

 抵抗しようとしない南雲を前に、何も出来ずにいるのがその証拠だった。 


「なんなんだよ……」


 それは、何事もなく立ち上がり泉の横を通り過ぎようとする南雲に対しての言葉だったのか。それとも――。


「……、」


 合理的な行動を感情が邪魔をする。自分でも理由も分からぬままに立ち止まると、振り返らずにいる南雲の耳朶を炎拳の爆裂音が揺らした。

 それは、泉が立ち止まって動こうとしない己の膝を全力で殴った音だった。


「俺は、なんで……。なんでいつも肝心な所で戦えねえッ! 間に合わねえんだよ、チクショウ……ッ!!」

「……泉、最後に教えてやるよ。力無き正義に意味はあっても価値はない。結果に対し後悔を抱くのは、お前が弱かったからだ。それ以上でも、それ以下でもない」

  

 ――そして、と。今更ながら耳を叩く爆音にに気付いた南雲は上空へと視線をやって、自分の甘さを悔やむように苛立たしげに舌を打った。


「――力も何かも足りないのは俺も同じか。……チッ、面倒なのが来やがったな」


 気付けば数多の銃口が、突き付けられていた。


 ――憎悪と怒りに注意が散漫になっていたにしても、それは、決して許されないミスだった。

 一瞬の隙をつき、蠢く蟻のようにワラワラと石舞台リングを取り囲む黒色の装備に身を包んだ有象無象の群れを見やり、南雲は自身に対して激しい怒りを燃やす。

 囲まれているのは、自分達だけではない。既に客席にも全身に武装した黒色の有象無象は浸透している。

 本来であれば人質を取るような相手を一網打尽に抹殺する事ができる『正義叫ぶ断罪の拳ヘルト・シャルフリッター』が上手く機能しない以上、今動けば無力な人々を危険に晒してしまう可能性が高い。他に遠距離攻撃の手段を有さない南雲では、この状態から『特異体』にトドメを刺す事もできなかった。


 数多の銃口を突きつけられながら、訪れた乱入者達が戦場をさらなる混沌へと突き落とす嫌な予感を南雲龍也は感じていた。



☆ ☆ ☆ ☆



 シーカーの一撃に大きく弾き飛ばされ、スネークはスタジアムの壁を抉り掘り進む砲弾と化した。



 奇跡的に人のいない場所に突っ込んだのは、不幸中の幸いというべきだろう。

 障子紙を破るようにコンクリの壁を軽々と貫通し、客席の一部は一瞬で瓦礫の山と化した。その瓦礫の山を吹き飛ばし、中から現れたスネークの息は荒い。

 致命にはほど遠いにせよその額から血が流れ、大きく上下する肩は、戦闘による消耗を語っている。


 一騎打ちの結果は誰の目にも明らか。

 一秒のうちに数百数千と拳を重ねる『特異体』同士の激しい近接戦。それを制したのは『肉体』を司るスネークではなく、『叡智』を司るシーカーであった。

 始めから一対一では勝ち目などない事を分かっているのだろう。気付けばスネークの横には『設定使い』が並び、嫌そうにその肩を支えている。


 シーカーの元にも『白衣の男』とコルライの二人がいつの間にか合流しており、忠誠を示すかのようにその背後に控えている。

 

 一連の攻防に一旦の決着が着いた事で、『特異体』とその側近同士の戦場は仕切り直しの流れが生じていた。


 ――その数瞬戦場に生じた空白、もしくは息継ぎのようなタイミングに、それは起こった。


 『特異体』同士の激しい戦闘により発生していた轟音が途切れた途端、空気を叩く音の存在に大勢が気が付いた。

 同じ『特異体』であるスネークを無傷で退けたシーカーが、頭上を仰いで楽しげに呟く。


「――さあ、いよいよ宴もたけなわ。特別ゲストの御到着だ」


 まるで、戦闘が途切れたこの瞬間に来客があることをあらかじめ分かっていたかのように――否、自らそう仕込んでいたかのように全ての準備が整ったと笑みを深める『特異体』の視線の先。

 そこには喧しい羽音を堂々と響かせる巨大な軍用ヘリコプターが十数機、こちらを睥睨するように空を飛んでいたのだった。




















え? ここまでの東条勇麻の物語が読めなくなってるって?



 …………………………おっと、本当だ。流石にこれは驚いたな。まさか南雲龍也の術式が『天智の書』の記述にまで干渉してくるなんてね。まあ、本来であれば文字として書き起こされたものを蒐集する『神器』だ。我が主サマの目と記憶を通して間接的に文字として書き起こしているとはいえ、物語の寄る辺――核たる東条勇麻本人の『魂』が曖昧になってしまったんじゃ記録も異常を来して当然か。『世界の記憶』の方からもデータが消えかかっているみたいだしね。

 まあでも安心してくれていいよ。私個人の領域にバックアップは取ってある。それに東条勇麻はきっと復活するさ。


 だって、思い出してほしい。

 あの男はいつだってそうだったハズだ。東条勇麻は、こちらがもう無理だと挫けて諦めてしまうような絶望の底から、その心と身体を深く傷つけながらも何度だって立ち上がって来た。

 だから今回も、きっと大丈夫だ。


 ――ん? それは東条勇麻がこの世界モノガタリの主人公だからか、だって?

 

 あはははっ、違う違う。 

 

 彼は主人公じゃないよ。前にも言っただろう? 彼は決して英雄には成り得ない。器が足りない、あり得ない、端的にいって世界に対する影響力が――干渉力が足りやしない。

 東条勇麻の人生モノガタリの主人公は東条勇麻で間違いないけれど、この世界の主人公、と言われてしまうとそれは違うと首を振らざるを得ない。

 もう分かってるんだろう? 本来の主人公が誰なのか。どうして東条勇麻の物語が閲覧不能になっているのか、答えは簡単この世界本来の主人公が帰ってきているからだよ。


 ……ま、このタイミングこうなったのは丁度良かったんじゃないかな。どちらにせよ、遅かれ早かれ直面していた問題だ。


 ――転んで挫けて、全てを諦めかけて、それでももう一度。再起の白線(スタートライン)に立ちたいと希うなら、東条勇麻にはまだやるべき事がある。


 だってそうだろ?

 人は自分を受け入れ認めなければ前へと進めない。ならば、過去の自分をお置き去りに未来へ進める訳がないんだから。


 醜く傲慢な己と真正面から向き合って。


 確かに積み上げてきたこれまでの己の道のり、その正しさを沢山の人々の助けを借りて証明して。



 けれど彼ははまだ向き合っていない。


 東条勇麻が忘却した己の過去と。


 憧れ、慕い、そして自らの手で終わりを齎した英雄との因縁と。自らの犯したその罪と。

 


 ……対峙すべき欠落の記憶と対峙して乗り越えて初めて――彼は本当の意味でのリスタートを切れるハズさ。

 だから、彼がもう一度立ち上がれるその日まで、どうか応援してあげて欲しい。その小さな声援が、いつかきっと彼の力になるハズだ。


 ……ん、どうしてそんなに期待しているのかって?


 うーん、別にそういう訳でもないんだけどね。

 ただ、我が主サマの救済を拒んだ選択の責任をきちんと取ってもらうまでは、東条勇麻に退場してもらう訳にはいかないだろ?

 それに、私が追いかけていたいのはあくまでも東条勇麻という名の凡人だ。

 キャスティングミスで偶然主人公に据えられてしまったどこにでもいる端役の少年が、それでも足りない身を引き千切り、ない頭を振り絞って、懸命に全力に死力を尽くして紛い物は紛い物なりに足掻いて足掻いて無様に這いつくばって、それでも最後は不屈を謳い立ち上がる様を、主人公足り得ない彼が紡ぐ物語を見届けたいんだよ。





 だから彼には頑張って貰う他ないのさ、私の為にも、ね。

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 ※※※叡智の蒐集・更新停止に伴い、『天智の書』の余剰リソースを用いた新章が公開されました。
閲覧の際は注意事項を確認のうえ、細心の注意を払って頂きますよう、お願い致します※※※
『天智の書:人ノ章(ベータ版)』
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