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神ナリシ模倣者ト神門審判  作者: 高木カズマ
第六章 急 ???????
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第※話 ザ・エンディング・オブ・マイヒーローⅢ――■■■■■■■:count 1

 ――理由も分からぬままに九死に一生を得た。

 『三本腕』との死闘を経て生き残った泉修斗の胸中に残ったのは、そんな感想だった。


 心配性のアホ勇麻にはメッセで伝えたように、逃亡者の集い旗(エスケイプ・フラッグ)と泉修斗はコルライ=アクレピオスを相手取って何とか生き残り、オリンピアシスで巻き起こった一連の騒動の終焉を無事に迎える事が出来ていた。


 ……泉修斗を軸に戦線を立て直した貞波嫌忌達の動きは悪くなかった。スピカやリリレットとの連携も、即席にしては上手く行ったという自負は泉の方にもあった。

 しかし、コルライ=アクレピオスという巨悪を下し手にした勝利に泉の胸中に残るのは、勝利の喜びと生還への安堵ではなく、消し去ろうにも消し去れない漠然とした不安と大きな違和感だった。


 確かに、ネバーワールドでの騒動を経て新たな力を我が物にした泉は、その後の四姉妹との修行の成果もあり大きく成長している。

 少なくとも、干渉レベルCプラス、などという評価で通す事にかなり無理が生じているくらいには、その成長度合いは大きい。


 しかし今回、コルライ=アクレピオスとの戦闘においても泉が奥の手を切ることはついぞなく、新たに手に入れた力の真価を発揮する場面は訪れなかった。

 そもそも決着自体も違和感ばかりが残る。泉参戦より防戦一方だったコルライ=アクレピオスの唐突な戦線離脱によって齎された肩透かしの勝利であり、その時点で『三本腕』の最長老にまともな戦意がなかったことは明らかだ。

 時間を稼ぐのはこちら側だったはずなのに。これではまるで立場が逆だ。何故。いつ。どの時点から。どのような理由で。両者の立ち位置は入れ替わっていたのか。

 逃亡者の集い旗(エスケイプ・フラッグ)の話ではコルライ=アクレピオスが追っていたのは東条勇麻本人ではなく、勇麻が持っていたという不思議な匣のような物品だったとの事だが……。

 コルライ=アクレピオスの中で何らかの優先順位の変化が起きたのはまず間違いないだろう。それが何を意味するのかは全く分からないが――


(――分からねえことを気にしてもどうにもならねえってのは分かってるが……ああ、クソ! 分からねえ以上は安心する材料が一個もねえって事じゃねえかよチクショウがッ!)


 ――戦争終了から既に数分が経過している。

 頭を回して何も出てこない以上、泉に出来る事は一つ。動くことだ。

 連戦の疲労からその場にへたり込み荒く息を吐く逃亡者の集い旗(エスケイプ・フラッグ)の面々を残し、泉はうまく力の入らない身体をどうにか起こして立ち上がると、一人先に仲間達の待つ石舞台リングへと向かい歩みを進め始めていた。


 漠然とした不安は、胸を焦がす焦燥は、消えないどころか時間が経つにつれて大きく膨れ上がっていく。

 『創世会』幹部『三本腕』の一本であるコルライ=アクレピオスの不審な態度は勿論気になるが、何より泉の胸を焦燥に焼き焦がすのは、九ノ瀬和葉から告げられた東条勇麻に関するとある情報だった。


(……あー、くそッ! まだ現実味が湧きやしねえ。仮に〝あの事〟が本当だったとして、だからって今すぐに何があるとは思わねえが――コルライの野郎含めどうにもきな臭え……。嫌な予感がこびり付いて落ちやしねえ……ッ!)


 事の発端は、脳内に響いたディアベラスの大演説の後。思い出したように泉が九ノ瀬和葉に尋ねた何気ない一言がきっかけだった。



『そういや、そもそも何でお前は此処にいんだよ。つーか楓がヤバいとか勇麻がどうとか、何でお前がんな事知ってたんだ? 』


 ……元はと言えば試合をすっぽかした海音寺を探して偶然氷道真に襲われている所を発見しただけの泉修斗の根本的な問いに、和葉は驚いたような呆れたような曖昧な表情で簡潔にこう説明した。


 ――自分は、情報屋として東条勇麻を調べていた。誕生から今までの半生から、彼の人間関係周りまで。その途中で浮かび上がった事件から、今回の件にまで辿り着く事が出来たのだ、と。


 そこまでの話であったのなら、別にどうという事はなかった。

 なるほど、お前ストーカーか。とかそんな失礼な軽口を幾つか交わして、それで泉の興味もすぐに別の方向へ向かって行っただろう。

 しかし東条勇火に続き泉にまでストーカーなどと揶揄された和葉は、動揺したのかポロリととんでもない事を口走ってしまったのだった。

 

『ちょ、誰がストーカーよ誰が! 全く、あなた達ときたら似たような反応ばかりして、一々失礼なのは一体誰から誰に感染ったのかしらね。……私はただ、東条くんの存在が、神の能力者(ゴッドスキラー)としてあり得なかったから、調べてみようと思っただけだって言うのに――』

『――あァ? おい、ちょっと待て。アホ勇麻の存在があり得ないだ? ……それ、どういう意味だ』

『……最悪。情報屋九ノ瀬和葉、一生の不覚だわ』

『いいから黙って教えろ、ここの虫共ぶち殺したらすぐあのアホの所に行かなきゃなんねえだろうが』

『裏付けの取れていない未確定の情報を売るのは主義に反するのだけど……仕方ないわね。口を滑らせた私のミスだし』


 和葉は気持ちを切り替えるように大きな溜め息を一つ吐いてから、


『結論から言うわね、東条勇麻(・・・・)神の能力者(ゴッドスキラー)でも何でもない。アレは正真正銘何の力も持たないただの人間(・・・・・)よ』



 神の能力者(ゴッドスキラー)としてあり得ない存在――()条勇麻がただの人間(・・・・・・・・)である、と。九ノ瀬和葉は確かにそう言ったのだった。

  

 ありえない、そう一言で断じるのは簡単だった。


 しかし、九ノ瀬和葉の話は鼻で笑って一蹴できるようなあり得ない話ではなかった。むしその逆、よくよく考えれば考える程に、彼女の齎した情報と話の辻褄は合う。合ってしまうのだ。

 九ノ瀬和葉はまず初めにその人差し指を立てて、



『根拠はいくつかあるわ。まず一つ、私が違和感に気付いたの要因でもある、東条くんの血液型よ。詳しい経緯は省くけど、未知の楽園(アンノウンエデン)で負傷した東条くんを治療する際、輸血をする為に彼の血液型を調べた事があるの』



『検査の結果――医学的に細かく正確な分類は言ったところで混乱させるだけなので以下略――東条くんの血液型は一般的なO型。そう、一般的な普通の人間によく見られる血液型だったわ。でもね、この場合はそれが問題なの』


 

『――これは天界の箱庭(ヘヴンズガーデン)や世間一般には公表されていない事らしいのだけど、そもそも人間と神の能力者(ゴッドスキラー)は身体の造りからして違っているの。塩基配列なんかの遺伝子情報から、骨格や筋繊維の構造、脳の器官にも差異が生じている事が分かっているわ』


 

『当然、普通の人間と神の能力者(ゴッドスキラー)じゃ血液型も異なる。通常、神の能力者(ゴッドスキラー)の血液型はA-G型、B-G型、O-G型、AB-G型と呼称される、既存のABO型には見られない特殊な抗体を持つ血液であるハズなの。だけど東条くんは、普通のABO型。その時点で気になって出来る限り他の部分についても調べたけど、その全てにおいて神の能力者(ゴッドスキラー)に共通して見られるハズの身体的特徴が確認できなかったわ。私の『横暴なる保存者(バックアッパー)』では覗けないブラックボックスもあったけれど……それ以外の部分において彼の肉体は完全に単なる人間のソレよ』



『……それにしても、あの時の事は思い返すだけでひやひやする。東条くんは色んな意味で幸運だったわ。当時の未知の楽園(アンノウンエデン)は三年前に『救国の聖女』が起こした反乱によって、神の能力者(ゴッドスキラー)以外の普通の人間が全滅してしまっていたから、三年前の血液が病院に冷凍保存されていなければ、胸を貫かれた際の出血多量血による血液不足で死んでいたのだもの』


 胸を貫かれた、という初耳のワードに泉が微妙な視線をやると、話が本題から些か脱線をしている事に気付いたのか和葉はそこでこほんと咳払いを一つしてから、人差し指についで中指を立てる。



『そして根拠二つ目。東条家が天界の箱庭(ヘヴンズガーデン)を訪れた理由。これはあなたにも身に覚えがあるんじゃないかしら? 今からおよそ十二年と十か月前の三月。東条くんは五歳の時に家族で天界の箱庭(ヘヴンズガーデン)を訪れたわ。移住するきっかけとなったのは当時三歳だった東条くんの弟、東条勇火くんに神の力(ゴッドスキル)が宿っている事が判明したからだそうよ。これは、東条くんのご両親にお話を伺って確認を取っているわ』


 

 三つ目、薬指。

 


『そして最後に、今からおよそ九年前の八月三十一(・・・・・・・・・)()まで――つまり八歳まで、東条くんには神の力(ゴッドスキル)が発現するような予兆は一切なかったという点。……例外はあるにせよ、神の能力者(ゴッドスキラー)の多くは小学校入学までにその身に宿す力が何らかの兆候として現れるものよ。それが八歳まで一切ないにも関わらずに、ある日を境に突如として神の力(ゴッドスキル)らしきモノ(・・・・・)が発現した』

 


『それが、勇気の拳(ブレイヴハンド)と呼ばれるあの力。正体不明でその正確な能力もよく分からない、私の横暴なる保存者(バックアッパー)でも覗けなかった右腕ブラックボックスに宿っているとされている未知の力。……九年前の八月三十一日。その日付に何があったのか、誰もが口を閉ざして語ろうとしないのだけど、あなたは何か思う所があるんじゃないの?』



 ……その問いかけに、泉は真正面から和葉の瞳を見る事が出来なかった。

 そんな泉の様子をしばし無言で観察するように眺めてから、やがて和葉は脱力するように息を吐いて肩を竦める。



『ま、私が出せる情報はこんなものよ。ブラックボックス部分と、勇気の拳(ブレイヴハンド)周りが厄介すぎてまだ当分教えるつもりはなかったのだけど……。東条くんが神の能力者(ゴッドスキラー)ではなく普通の人間である事は、まず間違いないと思うわ』



 しかも証言者は胡散臭い自称情報屋の少女一人に留まらない。



『――そのちんちくりんの言ってる事なら、半分は正しいと確約してやるよ』



 そう言ったのは確か、千寿千湯せんじゅちゆという名の対抗戦の為にオリンピアシスに配備された医療チームのトップを務める凄腕の治癒系神の能力者(ゴッドスキラー)だったか。

 ――ちょっと? 今聞き捨てならない戯言が聞えたのだけど。誰がちんちくりんですって? とかなんとか低い声で威嚇を始める和葉を無視して、和葉以上に見た目ちんちくりんの少女は最後にこう言った。



『血液型に関してはアタシも調べたから保障してやるよ。あの男、ロジャー=ロイ戦でドバドバ血を失ってたからな。血が足りなくて、輸血してやろうと思ったらまさかのO型でな。スタジアム外の病院には人間の観光客用に幾つかストックがあったみたいだが、アタシらが用意してたのは神の能力者(ゴッドスキラー)用の輸血パックだったからな。仕方がないから、血の代わりに付き添いの水を操るヤツに体液に限りなく近い生理食塩水を精製させてソレでカサ増しさせてたくらいだ』 



『……けどまあ、アタシが一番気になるのはアレの滅茶苦茶な回復力の方かな。ただの人間の強度しかない肉体で、勇気の拳(ブレイヴハンド)なんていう身体強化系フィジカ系統の神の力(ゴッドスキル)を使いこなしている。それが一番異常だよ。身体強化系フィジカなんてのはな、神の能力者(ゴッドスキラー)の強靱な肉体あっての力だ。どれだけ凄まじいエンジン詰んでようが、それが紙工作の飛行機なら自重で潰れ速さで折れてぐじゃぐじゃになる。外身に中身が合ってないんだ。……ぶっちゃけ、神の力(ゴッドスキル)を使うたびに何らかの方法で細胞の寿命を削って肉体の超破壊と超再生を絶えず繰り返してるんじゃないか? まあ、ロジャー=ロイ戦を見る限り、どっちにしても長生きの出来る生き方をしているようには見えないがな』 



 血液型は完全に初耳だが、彼女らの話には思い当たる節があり過ぎた。

 東条家が天界の箱庭(ヘヴンズガーデン)にやってきた時期と理由。

 九年前の八月三十一日。

 勇麻本人でさえその全てを把握しているとは思えない、未知の力。唐突にその身に宿った勇気の拳(ブレイヴハンド)

 その右腕の影響かは定かではないが、人間としても神の能力者(ゴッドスキラー)基準で見ても明らかに異常な回復力。


 しかし――しかしだ。仮に彼女達の言っている事が正しかったとして、だからと言って東条勇麻が東条勇麻がである事は何も変わらない。 

 勇麻の肉体がか弱い人間だからと言って、これまでのように共に無茶をする事を躊躇うなどありえない。そんな心配は余計なお世話以外のなにものでもないし、これまで共に歩んだ時間に対する裏切りだ。


 人間か神の能力者(ゴッドスキラー)かなど、そんなの些細な違いだ。勇麻が人間だと聞いたところで、何か接し方が変わるワケでもない。

 だというのに、どうしてこれほどまでに心が揺れるのか。

 一体自分は何をそんなに焦っているのか。

 

 決まっている。


 八月三十一日。 


 どうしても、その単語が心に引っ掛かる。喉の奥に小魚の骨が詰まったように、座りが悪くて気持ち悪い。

 泉修斗は――否、それを無視できないのは泉だけではないだろう。おそらくは楓も、勇火も、そして勿論東条勇麻自身も。ある意味ではその日を境にして各々の歩む道が決まったと言っても過言ではないのだから。

 

 だから泉は走った。


 この胸を焦がす不安と焦燥の理由を求めて、光差し込む入場ゲートに勢いよく飛び込んで――開けた視界の先、泉修斗の瞳に飛び込んできたのは。








 氷漬けにされた海音寺流唯が粉々に砕け散る、まさにその瞬間だったのだ。



☆ ☆ ☆ ☆



 ――痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎いい憎いッッッ!!!


 視界が憎悪に燃え上がり、殺意に世界が明滅した。


 悶え転げまわりたくなるような胸の痛みに身体を支配され、頭が狂いそうな苦痛に、胸に手を突っ込み己の心臓を握りつぶしたくなる衝動に駆りたてられる。

 そうすれば楽になれるのか。なにから楽になりたいのか。何から逃れようとしているのか。この頭を突き刺す怒りの根源は、殺意の向かう先は、この憎悪はどこにぶつければいいのか。


 分からない、分からない、分からない、何も分かりたくない。

 世界を拒絶した。残酷で、救いなんて欠片もなくて、ようやく掴んだと思った皆の笑顔がたった一人の悪辣によって根こそぎ奪われてしまう運命に絶望した。

 邪悪を、悪逆を、悪辣を、悪意を、悪魔を、凶悪を、最悪を、最低を、災厄を、不幸を、絶望を、裏切りを、非道を、非情を、策謀を、謀略を、謀殺を、暗殺を、虐殺を、惨殺を、殺戮を、拷問を、凌辱を、蹂躙を、死を、この世の悪全てを。悪足り得る全てを内包したまま美しく輝くこの世界の傲慢さを憎悪した。

 胸の内側で張り裂けんばかりに膨れ上がった激情の数々――憎悪が、殺意が、敵意が、嚇怒と瞋恚の焔が、少年の内側で爆発し噴出する全てが燃えるような感覚が、その熱だけが、今の少年が縋れる唯一無二の真実だったから。  

 

 ――許さないッ。許さないッ。絶対に殺す、この手で、絶対に殺してやる……ッ!


 海音寺流唯が死んだ。殺された。

 目の前で、勇麻を抱きしめながら、勇麻の腕の中で、その肉体を氷の侵食に蝕まれて少しずつ命の時を止めていった。

 物言わぬ美しい氷像と成り果てた海音寺を、クライム=ロットハートが一発の銃弾で粉微塵に打ち砕き哄笑を上げ、気高い海音寺流唯の生きざまを否定しその尊厳を侮辱した。


 許せない。許せるわけがなかった。目の前で大切な人の命を奪われ、その在り方と尊厳を嘲笑されて、それで黙って引き下がれるならそれはもう人間じゃない。感情のない機械か何か。もしくはそいつの方がよっぽどの悪魔だ外道だ悪逆だ。

 今になって東条勇麻はそう思う。その実感を得てしまった。それだけの殺意が今この胸の奥で渦巻いている。 

 狂乱し絶叫する勇麻の中で唯一確かなものが殺意と憎悪だった。それだけは間違っていないと思えた。この怒りを否定する者こそを全力で否定しなければならないと思えた。 


 許せない許せない許せない……!

 目の前の男が、愉悦に浸り哄笑をあげるクライム=ロットハートが許せない。

 海音寺と親しい関係にあったハズなのにクライム=ロットハートにいいように操られ、海音寺を氷漬けにした氷道真が許せない。



 それに何より、一連の凶行と悲劇をただ眺めている事しか出来なかった無能で救い難い東条勇麻が許せない。


 

 何が英雄、何が正義の味方、何がヒーローか。

 ここで救えなかったら、意味がないではないか……。ここで届かなかったら、意味がないではないか……ッ!

 代役を演じ、紛い物の英雄になってまで傲慢に自儘に醜悪に自分の為に誰かを助け続けて来たというのに、誰かを救う事すらできなくなってしまったら、東条勇麻は偽物であることの価値すら失ってしまう。その傲慢に宿っていたハズのナニカが、完全に失われてしまう。

 救われなかったのだ。救えなかったのだ。届かなかった。何もできなかった。無力だった無価値だった無意味だった!!

 ――救えなければ救われない哀れな罪人はまた咎を積み重ねた。

 手の届く距離にいた海音寺流唯を、東条勇麻は救えなかった。何も出来ずにただ泣き喚いて彼を見殺しにすることしかできなかったのだから。


 ようやく大嫌いな自分の事を信じてみようと思えたのに、勇気を出して自分の価値を信じ己を認め自分を許して、もう一度立ち上がり『リスタート』を切る事ができると思っていたのにッ!


 楓と一緒に、仲間と共に、これからは一人では無く皆で歩んで行けると思ったのに……ッ!


 これでは何もかもが台無しだ。何もかも意味がない。何もかも、東条勇麻は自分の存在を許容するこの世界の何もかもが許せなくなってしまう。 

 

 涙が、怒りが、殺意が、怒涛とこみ上げてくる。

 絶望が、諦観が、失望が、悲哀が、勇麻の胸中を重く支配する。握った拳から血が滴る。砕けた奥歯が口内を蹂躙する。咆哮が喉を傷めつけ、肺がきりきりと痛む程に呼気を吐き出し、勇気の拳(ブレイヴハンド)の肉体の限界を超えた身体強化が、筋繊維を引き千切り骨を軋ませ内臓を圧迫して血の涙を流させる。

 上昇する回転数に、体温があり得ない温度まで上昇し、勇麻の肉体からは蒸気めいた禍々しい赤黒いオーラが立ち昇っていた。

 

 ――認めない。認められない。認めたくない。こんな結末、ふざけている。ふざけるな。嫌だ。許容できない。したくない。抗いたい。でも――抗い諦めなかったところで、もう、海音寺流唯は戻ってはこない。


 氷道真の力によって凍り付き、背神の騎士団(アンチゴッドナイト)の設備と懸命の治療によって仮死状態にあるコールドスリープ中の高見秀人とは訳が違う。

 覆水盆に返らず。

 落花は枝に返らず腐り果て、破鏡が再び何かを照らす事は永劫ない。


 一度その肉体から零れ出てしまった命は、いかなる方法を用いようとも元には戻らない。


 粉々に砕け散った海音寺流唯の肉体は、欠片を集めてジグソーパズルのように綺麗に嵌めていっても、もう元には戻らない。


 致命的に手遅れだった。

 敗北を認めなかった所で、諦めなかった所で、抗い続けた所で、何になる?

 走り続けた先には揺るがない終わりが横たわっている。それは絶望の袋小路ですらない。既に道の行き止まりごと海音寺流唯は死の顎にその身を呑み込まれ咀嚼されてしまったのだから。


 海音寺流唯が最後に流した一滴の涙、その雫を右の拳に握りしめて、勇麻は憎悪に吠え猛り続ける。



『――アンタの掲げた正義ってヤツはたかが一回失敗した程度で諦められるような安モンだったのかよ』



 ロジャー=ロイに告げた自らの言葉が、今更のように自分の心臓を抉っていくのが分かる。 


 東条勇麻の馬鹿げた綺麗ごとに対するあの男の返答を、怒りを、無理解を、拒絶を、東条勇麻は覚えている。



『――たかが一回の失敗だと……? ははは! 随分笑える冗談だなオイ! その一回の失敗に、敗北に、どれだけの人間が付き合わされた!? 一体何人が死んだ!? 誰かを犠牲にして掴んだ平和に意味はないっつったのはどこのどいつだ!? あァ!?』



 ――そうだ。意味なんてなかった。東条勇麻の吐き出す何の実感もない綺麗事に、価値なんて微塵もなかった。

 諦める理由? 違う、諦める他に道など残されていないのだ。

 だって、一度救えなかった人間は、東条勇麻が取り零してしまった命は、二度と戻ってはこないのだから。諦める諦めないではない。結果は既に出てしまっている。それを覆すなど、神にでもならなければ不可能だ。


 東条勇麻は敗北を積み重ねて此処まで来た。ネバーワールドを襲ったテロ事件『死の饗宴』では、沢山の命を失わせてしまった。

 爆炎に襲われ、倒壊するアトラクションと運命を共にした人々がいた事を覚えている。

 水が欲しいという怨念めいた囁きを。

 こぼれ落ちる断末魔の悲鳴を。

 生と死に引き裂かれた家族の嘆きを。

 助けを求める形のまま炭化しボロボロに崩れ落ちた誰かの手を。

 救いを求める弱者の叫びを聞いた事を。聞く事しか、出来なかった事を覚えている。


 英雄であるならば全てを救わねばならなかったのに。

 全ての人々が分かりあい笑いあって手を取り合う、そんな争いのない平和な世界を望むのなら、あんな結末は断じて認めてはならなかったのに。


 だからこそそんな結末を認める事ができず、敗北を覆す為に抗い続けるなどと、そんな浅ましい綺麗ごとを宣いた事を、東条勇麻は覚えている。


 でも、それは。


 勇麻が軽率に口走ったその言葉は。


 命を失ってしまった当人たちにとっては、大切な者を失ってしまった人達にとっては、犠牲になった命を蔑にする酷い侮辱だったのではないのだろうか。



 例えば、戦争で両親を失った子供に向かって「君の両親は死んだ。でも僕らはまだ負けていない。最後まで諦めずに戦って戦争に勝利し、この敗北を勝利へと変えるのだ!」などと宣ったら、その子供は勝利を目指して闘志を燃やすだろうか?


 ……否だ。馬鹿げている。少し想像すればそんな事があり得ないのは容易に分かる。

 だって、その子にとっては国なんかよりもその両親こそが全てだったハズだ。親が死んでしまった時点で、諦めないもクソもない。終わりだ。覆しようも揺るぎようもない敗北なのだ、絶望なのだ。

 

『――いくら認めないなんて吠えたところで救えなかったその事実は変わらないし、届かなかった掌の数を忘れることは許されないと思ってる』


 馬鹿か。こんなのは、失っていないから言える綺麗ごとだ。分かった気になって、理解したつもりで、その実悲しみにも相手の感情にも寄り添おうとしない傲慢な押し付けに過ぎない。単なる独りよがりだ。



 だって、勇麻に近しい者から犠牲が出た事は今まで一度だってなかったのだから。



『もし、俺が掲げた綺麗ごとのせいで犠牲になった誰かがいるのなら、やっぱり俺は最後まで正義の味方の真似事を続けるべきなんだよ。無責任に投げ出して、最後の信念さえ諦めちまったら、その犠牲はその瞬間に全部無駄になる。俺達は、その人達を二回も殺すような事を、しちゃならないんだ』


 犠牲に価値なんてない。無駄だ。犠牲になったその時点で、終わりなのだ。

 失った命を二回殺すことなど出来るワケがない。

 そんな当たり前の機能を奪うものが死だ。死んでしまった海音寺流唯を殺すことは、もう、誰にもできない。そんなことは生きている側の勝手な感傷だ。


 勇麻は失う痛みを知らなかった。

 南雲龍也に自らの手で終焉を齎した勇麻は、愛しい者を奪った者へと向けるべき憎悪と殺意を知らなかった。

 この身を焦がす程の瞋恚と嚇怒の炎を知らなかった。

 結局東条勇麻は――欠落の記憶を持つ紛い物は、実感として、それを正しく知らなかった。


 たかが一度の敗北の意味を。それによって大切な命が目の前で失われた時の絶望と憎悪を。


 何も知らない癖に、偉そうに上から目線で綺麗ごとを吐く無知なガキは、さぞかしロジャー=ロイの勘に障ったことだろう。彼の激憤は当然だ。今思い出しただけでも過去のおめでたい自分をブン殴りたい衝動に駆られる。それくらいに勇麻の言葉は失った者にとっては的外れな物言いだった。


 心の底から陳腐でくだらない言い回しだと思うが、東条勇麻は失って始めて大切な事に気が付けたワケだ。


 



 大切な人を目の前で殺された人間にとって、東条勇麻の想い描く絵空事は酷く――無力だ。





 およそ九年越しに掴んだそんな答えは、思わず乾いた笑いが口元から零れそうになってしまう程に、あっけない答えだった。



(……馬鹿馬鹿しい。何もかも、俺が間違ってた)



 相互理解? 分かり合う? 誰もが笑い合って手を繋ぐ? 平和な世界? ……子供の絵空事は、それ以上でもそれ以下でもない絵空事に過ぎないのだと、どうして気が付けなかったのだろう。

 そんな幻想を必死に守ったところで大切な者を守れないのでは、本末転倒ではないか。 


 だから、間違っていると言えば東条勇麻は最初から間違っていたのだ。


 勇麻は海音寺流唯が絶望の袋小路の中で嬲り殺されていくのを見ている事しか出来なかった。

 でも、出来たはずなのだ。

 勇麻は、それを願うだけで良かった。そうすれば、海音寺を救う事だって、出来たかもしれなかったのに――


(――最初からこうしていれば良かった。)



 胸の内で渦巻く殺意の高鳴りを、受け入れる。



(あんなヤツが笑って生きている事、それ自体がこの世界における間違いだ。過ちだ。悪そのものだ)



 己が身を焼くドス黒い憎悪の炎を、受け入れる。



(こいつは生きている限り人を傷つける。人を苦しめる。人を殺す。人を不幸にする。だったら……だったらもう、どうしようもないだろ……ッ)



 クライム=ロットハートは寄操令示のような悪意のない純粋悪ではない。アレは理解するとっかかりそのものが無いような、全く異なる価値観に身を置く異質だったが、この男は違う。


 クライム=ロットハートは、当たり前の悪意を持って悪を成す。


 他者を理解できる癖に、理解したうえで相手の心を傷つけ壊して弄び、他者の慟哭と絶望を喰らって生きる悪魔だ。 

 分かり合える余地があるからこそ意味がない。それを拒絶し、あまつさえ利用までして悲劇と絶望を振りまくこの男を改心させ理解しようとするなど、するだけ無意味なのだ。


 だって結局、クライム=ロットハートがこちらを理解したところで、クライム=ロットハートは相手の心を壊す事を辞めはしないのだから。


 分かり合えない相手ではない。


 

 分かり合う事に意味がない相手がいるという事を、東条勇麻は今日初めて痛感した。



 ――憎悪も殺意もそれらは等しく人としての敗北で逃避なのかもしれない。

 ……ああ、それでも構わない。大切な人を殺されるくらいなら、先に相手を殺した方がマシだ。

 分かり合うとか、相互理解とか、人の心に巣くう弱さとか、憎悪と殺意が逃げだとか、そんな綺麗事をこの薄汚れた現実を前にしてどうして吐く事が出来るだろうか。海音寺流唯を殺されて、クライム=ロットハートとどう手を取り合えというのか。

 まさかこの期に及んで許してやるべきだ、などという戯言を吐く者がいるならば、そいつの大切な人間の息の根を今すぐにでも止めてやろうかと本気で思う。

 それほどまでに失った者とそうでない者の隔絶は大きいのだと、東条勇麻はかの悪逆によってこれ以上ない程ご丁寧に思い知らされたのだ。


 自分の大切な人を嘲笑って殺し、その尊厳を踏みにじった人間を八つ裂きにする以外の選択肢など、総じて今の勇麻にとっては塵同然だった。



(殺す) 



 この世界は何かがおかしいと勇麻は思った。



(殺そう)



 何故クライム=ロットハートがその醜悪な生を享受していて、海音寺流唯が絶望を抱いて死ななければならないのか。



(殺せばいい)



 何故クライム=ロットハートが生きる事に悦楽を感じていて、善良な人々が傷つかなければならないのか。



(殺したい)



 そんなの、答えは決まっている。



(殺さなきゃ)



 クライム=ロットハートを撃ち滅ぼすべき正義の味方が、本物の英雄がこの場に存在しなかったからだ。 



(殺して殺してその魂まで殺し尽す……!! コイツを滅ぼす英雄がこの世界にいないのなら、ああ、構わない。俺が代わりに、この邪悪を殺し滅ぼし尽すッ! 憎悪ならいくらでもくれてやる。だから――)



 強く強く、憎悪と殺意を意識して願望を抱く。憎き男の死を希う。勇麻の強い願いに呼応するかのように――ドクンと。心臓と右腕が一際強く疼いた。

 心臓を直接握りしめられるような悍ましい感覚に、背筋がぞっと凍える。

 意識に異物が混入するような、得体の知れない不快感に相反して、右腕に莫大なエネルギーが集約されていくのを感じる。

 胸を満たすドス黒い感情が、さらに粘性と濃度を上昇させていく。



 ――思い出す、不条理と理不尽を。忘れない、絶望と怨嗟の慟哭を。刻み込む、惨劇と悲劇を。焼き付ける、喪失と破滅を。そうして知る、己が裡うちに潜む憎悪と殺意を、怨嗟の鼓動を。それこそが正義だと理解する。


 

(――俺に全部寄越せよッ、あのクソ野郎をぶっ殺すだけの力を……ッ!)




 ――強く。強く。希え、ただそれだけでいい。



 東条勇麻は、それを。その希望(憎悪)を、既にその手の裡に握りしめているのだから。




「――クライム=ロットハート、お前は(・・・)俺が憎むべき悪だ(・・・・・・・・)ッッ!」




 東条勇麻の叫びに――



























 ――……了解だ、東条勇麻。お望み通り、生きる価値のない悪党どもは皆殺しと行こうじゃねえか。








 苛烈で絶対的な自信に満ちた――けれどどこか寂しげな失望を孕んだ声が、勇麻の脳裏をほんの一瞬震わせた。















 そして……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………東条勇麻は致命的な■■を迎える事となる。



☆ ☆ ☆ ☆



 によって彼方数百キロまで殴り飛ばされた直後、スネークは中空で姿勢の制御を取り戻すとUターン。返す刀で大気を蹴りつけ(・・・・・・・)来た道をなぞるような軌道で飛翔し、オリンピアシスへと向かっていた。

 ……が現れた。

 場の趨勢が決するまでは表舞台に決して現れず、未知の探求という名の傍観と観察に徹するハズのが、今、このオリンピアシスに……!

 つまりそれは、スネークや『設定使い』の想定を裏切り、は現時点での己の勝利を確信しているという事だ。


 天風楓は神の子供達(ゴッドチルドレン)に覚醒してしまった。

 彼女の覚醒がなければ、儀式に必要な干渉力は満たせない。しかし逆に言えば――彼女の人為的な『神化』に成功した時点で、『探求者』の計画を遂げる上で必要な儀式の下準備はほぼ整ってしまっているのだから。


 そして、スネークを焦らせる問題はそれだけじゃなかった。


「この『神性ディヴィニータ』は、まさか……クソッ!」


 肌を刺す身に覚えのあり過ぎる懐かしい『神性ディヴィニータ』に、しかしスネークは素直に喜びを抱けない。

 それを肌で感じるという事は、南雲龍也の託した希望がここで潰え、彼の願いが道半ばにして終わってしまうという事に他ならないのだから。


「逸るな。逸るなよ、東条勇麻……ッ!」


 そんなスネークの懇願とは裏腹に、少年の『神性ディヴィニータ』は高まり続けて――



☆ ☆ ☆ ☆



 海音寺流唯が命を落とし、戌亥紗が解放されたその瞬間には、九ノ瀬和葉は既に動いていた。


 和葉を突き動かすのは衝動だ。

 ――東条くんが、危ない。

 自分の大切な人の身に危機が迫っている、その事実一つあれば、九ノ瀬和葉がその極限状態で動く理由に歯事足りる。


 彼女の脳裏にに浮かぶのは、クライム=ロットハートと氷道真が現れるとほぼ同時に脳内に鳴りひびいたディアベラス=ウルタードからの言葉にすらならない警告のような思念。

 ディアベラスの独断と偏見により、彼が信用できるとした者にのみ届く距離を無視した念話じみた力によって伝えられた未知の情報が、焦燥となって和葉の背中を押していた。

 声なきディアアスの声は言う。――東条勇麻が、危ない。


「天風くん……! 私を、あの人の元に!」

「ッ!」


 和葉にとって、海音寺流唯は何の関わりもない赤の他人だ。氷像となって砕け散る様は確かに衝撃的な光景ではあるものの、特別その心を大きく乱すようなナニカがある訳ではない。

未知の楽園(アンノウンエデン)で幾度となく人の死に触れてきた和葉は、必要となれば他者の死にも動じずに行動する事ができる。


 勇麻と出会いその心を触れ合わせる中で、自分以外の他者は全て生きる為に利用する対象であるという考え方は失われ、単純な損得勘定では測れない愛情や、人を思いやることの温かさを和葉は知った。

 しかし、だからと言って全ての人間に対して平等に愛を捧げられる訳もない。むしろそんな在り方の人間がいるとすればそちらの方がよほど気味が悪いだろう。

 ……冷たい人間だと思われるだろうか。でも、それでもいい。今この瞬間に、東条勇麻の力になれるのならばそれだけで良かった。和葉にとっては海音寺流唯の死よりも東条勇麻の身の安全の方が大切で重要だった。これはそれだけの話。

 

 同じく、楓を守れるようにと常に全神経を逆立て気を張っていた駆も、海音寺の死に対する動揺は少なかった。

 対抗戦を共に戦ったチームメイトや、天風楓の暴走を食い止めるべく共闘した女王艦隊(クイーン・フリート)の面々と異なり、駆には海音寺との面識が全くない。

 人の死に関しても、非合法の神の能力者(ゴッドスキラー)研究施設に実験動物として飼われていた経験のある天風駆に、今更他人の死一つで動揺するだけの純真さを期待するのは無理があるというものだ。

 世界が今日も腐り果てている事を、駆は実感としてよく知っている。そんな世界から妹を守る為に、駆は理想の世界の王になろうとまでしたのだから。

 そしてそんな天風駆だからこそ、咄嗟の和葉の呼びかけにもすぐさまに応じる事が出来たのだ。


 海音寺流唯と少なくない関わりのあった他の面々が硬直から立ち直れないでいる中、海音寺流唯の死に最も動揺しなかったのが彼らだった。だからこそ、混乱と混沌を極めるその戦場でその瞬間に、彼ら二人だけがいち早く行動に移る事が可能だった。

 そして、和葉は駆の力を借りて全力で東条勇麻へと手を伸ばして――



「――保存コピー――っ」


 

 ――その手が少年に触れるか否かといったタイミングで、それは起きた。



「きゃっ!?」


 

 突如として発生した衝撃波と閃光に、和葉を運んだ駆諸共になって吹き飛ばされた。

 上下が逆巻き天地を失う。地面を転げ回りそのままの勢いで壁に叩き付けられ、受け身も取れずに後頭部を打った。

 鈍痛が頭の中で弾け、視界が揺れる。どこか頭を切ったのか、額を伝いたらりと血が垂れてきて目に入り、片側の視界が真っ赤に染まるのが分かる。


(……今度は、私が。東条、くん……)


 それでも大好きな少年へと必死で手を伸ばそうとして――九ノ瀬和葉の意識はそこでぷつりと途絶えた。



☆ ☆ ☆ ☆



 三大都市対抗戦においてシーカーよりクライム=ロットハートに与えられた任務は大きく分けて二つあった。

 まず一つ目が天風楓の『神化』とそれによる『神の子供達(ゴッドチルドレン)』への覚醒。

 そして二つ目が計画の障害と成り得る『二代目』希望の拳(ホープインハンド)東条勇麻の抹殺。


 クライム=ロットハートは、この二つを同時並行に達成するべく計画を立て、対抗戦最終日である今日、それを実行に移した。


 クライムは事前の仕込み――自身の『心傷与奪ラピナーレ・クオレゼロ』によって東条勇麻と天風駆に幻覚を見せ、二人が殺し合う状況を造り上げる事に成功する。そのまま二人を洗脳状態へと移行させ感情に指向性を与え続け〝自らの手で東条勇麻を殺してしまった〟という極限状況に天風駆を追いこむ事で彼女に極大の『絶望』を植え付けた。


 そうして『絶望』の感情値が一定のラインを越えた段階で天風駆は『神化』を果たし『神の子供達(ゴッドチルドレン)』として覚醒。

 『神化』直後特有の暴走状態にある天風駆から無秩序にばら撒かれる莫大かつ良質な干渉力を『万食晩餐オールイーター』咀道万漢を素材にして造られた神器『万漢餐杯』を用いて回収する。


 この時点でクライムは一つ目の目的を見事達成し、シーカーの掲げる『神門審判計画』に必要なエネルギーの確保にも成功している。

 クライム自身も、与えられた任務を楽しんで遂行する事ができておりこのまま三大都市対抗戦はクライム=ロットハートの完全勝利で幕を閉じる事となるハズだった。

 

 ――しかし、クライム=ロットハートの予定にはない想定外の事態が一つ、この時点で発生する。


 クライムの描いた本来の筋書シナリオでは、天風駆が実際に東条勇麻を殺してしまう事によって深い絶望を抱き『神化』を果たし、東条勇麻の抹殺と天風駆の神の子供達(ゴッドチルドレン)への覚醒、この二つの任務を同時に達成できる予定だったのだ。

 しかし東条勇麻の首を跳ねるハズだった天風駆の一撃に海音寺流唯が割り込んだ事によって、クライムは急遽東条勇麻の死を幻影でねつ造しなければならなくなった。


 海音寺流唯の乱入はクライムにとっても想定外の事態であった。

 ……否、予想は出来ていた。しかしそれだけに立てていた対策をスルーされた事が想定外だったのだ。


 そもそも、彼の切り札である氷道真を北側で単独行動させていたのは、海音寺を釣りあげる囮の役割も担わせていたからこそだ。

 海音寺流唯の目的とその執着具合を知っていただけに、こればかりは一本取られたという思いが強い。まさか氷道真を無視して海音寺流唯が東条勇麻と天風駆の戦闘に割り込んでくるとは思わなかった。

 まさに、海音寺一人の存在に完璧に回り掛けていた計画を狂わされた形となった訳だ。


『……あぁ、今回のは久しぶりに本気で苛ついたっしょ。けどまあいいぜ。まだ許容の範囲内だ、いくらでも修正は効くじゃん。それに……キヒヒッ! 俺チャンの楽しみを邪魔しやがったお前にはとっておきをぶつけてやろうじゃんよォ! 惨めで無価値なテメェの生を呪いながら命乞いの果てに身も心も全部ぶち殺してやるっしょ……!』


 自身の計画を狂わせられた事に激しい怒りと屈辱を覚えながら、クライム=ロットハートはお楽しみの邪魔をした海音寺流唯を計画に組み込みその身も心も徹底的に破壊する事を画策する。


 こうして、クライム=ロットハートの次なる任務(遊び)は『二代目』である東条勇麻の抹殺と、最も苦しむ方法で海音寺流唯を殺す事に決定したわけだ。


 ……さて、海音寺流唯を最大限に苦しめ殺すという方針は定まったが、そこにどうやって東条勇麻の抹殺を絡めたものか。

 思案するクライムが思い浮かべるのは東条勇麻と勇気の拳(ブレイヴハンド)のスペック。そして、『二代目』という言葉の持つ意味についてだった。 



 ――クライム=ロットハートは『雷雨の狂気』事件の終わり際に東条勇麻と接触している。

 彼は既に、その邂逅の中で『勇気の拳(ブレイヴハンド)』の正体と『二代目』希望の拳(ホープインハンド)という言葉の真意にまで辿り着いていた。


 まず第一に、勇気の拳(ブレイヴハンド)が単純な身体強化系フィジカではなく自分と同じ精神感応系テレパスに属する神の力(ゴッドスキル)であるという事。

 これは東条勇麻との接触早々に、クライム自身がその目で看破している。

 さらに、『神門審判ゴッドゲート』アリシアの離反を告げられた際の東条勇麻の精神状態を〝視た〟クライムは東条勇麻と『勇気の拳(ブレイヴハンド)』、その全てのカラクリを唐突に完全に理解してしまっていた。


『――あ、なに。ほうほう。もしかしてそういうカラクリちゃんだった訳!?  はー、なるほどねェ! そうかそうか『二代目』ってのは要するにそういうコトかぁ! 勇気の拳(ブレイヴハンド)にうまく干渉できれば、こういう使い方も確かにできるか! まんま文字通りの『二代目』。『希望を託した』ってのは、そういう意味か!』


 『二代目』と『希望を託した』という言葉の意味を、勇気の拳(ブレイヴハンド)という神の力(ゴッドスキル)が持つ特性と併せて考えると、一つの――東条勇麻にとっては残酷で致命的な――真実が見えてくる。


 『初代』と呼ばれる南雲龍也が『二代目』である東条勇麻に託した『希望』とは果たして何だったのか。

 

 答えは簡単、それは『南雲龍也の意志』である。


 彼の思想や思考パターンそのもの。つまりは〝南雲龍也という英雄を形作る人格パターンそのもの〟を、南雲龍也は東条勇麻に託したのだ。


 勇気の拳(ブレイヴハンド)身体強化系フィジカではなく精神感応テレパス系。他者の想いを読み取る事ができる神の力(ゴッドスキル)だ。

 おそらく南雲龍也はその力を利用し、自分自身に過剰干渉させる事によって自身の思想や思考パターンを勇気の拳(ブレイヴハンド)というスキャナーを通して東条勇麻に上書きしたのだろう。


 自分の死後も、南雲龍也が世界を守る事ができるようにと。


 そう考えれば、アリシアの離反を告げた際の彼の精神状態が『創世会』に残されていた『初代』のデータとほんの一瞬とはいえほぼ一致していた点にも説明が付く。

 東条勇麻から漏れ出ていた過剰なまでの殺気や殺意は、紛れもなく『創世会』のデータに残る南雲龍也のソレであった。


 当然、そんな事をすれば東条勇麻の人格や精神は徐々に南雲龍也の侵食を受ける事となり、最終的には東条勇麻の中から東条勇麻は消え失せ、南雲龍也の意識がその肉体を支配する事になるだろう。

 

 つまり、南雲龍也の『希望を託した』という言葉の意味は、己の意志(ソフト)を東条勇麻という肉体ハード託す(コピー&ペーストする)というもので。

 東条勇麻が『二代目』に選ばれたのも『勇気の拳(ブレイヴハンド)』という読み取り装置(スキャナー)があったからでしかなく。

 必要だったのはその器と力だけ。東条勇麻という人間そのものに関しては全くもって必要とされていなかったという事が証明されてしまったわけだ。


 なにせ東条勇麻自身の人格は南雲龍也の人格に押し出され最終的には消去される事が目に見えているのだから。


『キヒッ! キハハハハ!! なーにが『希望の拳(ホープインハンド)』だよ。笑っちまうよなぁこんなの。勇麻チャンってば、これっぽっちも信用なんてされてねえんだものな!!』


 全てを理解した時、クライムはその場で哄笑をあげる事を我慢できなかった。

 愉快だった。全てをその場でネタばらししてやりたくてしょうがなかった。この仕組みを組み上げた南雲龍也とかいう男も、英雄などと呼ばれる男にしては中々に楽しみ方を分かっているとクライムは思ったものだ。

 南雲龍也を心の底から信頼し憧憬を抱いている東条勇麻という少年の道化ぶりは、クライムをして腹が痛くなる程に面白い。



 そしてだからこそ。東条勇麻が南雲龍也として完全に完成する前であれば、勇気の拳(ブレイヴハンド)などクライム=ロットハートの敵ではないのだ。


 

 東条勇麻と南雲龍也との精神の一致度はまだそう高いものでもない。

 勇気の拳(ブレイヴハンド)の仕組みは、託された『希望』の意味は理解した。

 今の東条勇麻は南雲龍也へと成り替わるその途上にある。希望の拳(ホープインハンド)は、現段階ではその力を発揮しない。

 故に、絶望による加重で東条勇麻の精神を押し潰し突き崩してしまえば、東条勇麻の神の力(ゴッドスキル)である勇気の拳(ブレイヴハンド)は勝手に弱体化する。弱体化し、一般人と変わらぬ所まで能力を落としてしまえば、『希望』とやらは鉛玉の一発であっけなく死ぬだろう。

 海音寺によって洗脳状態が解除された事は痛出ではあるが、感情の煽り方をクライムは熟知している。

 既に精神的に多大な負荷を追っている少年にどんな要素を継ぎ足せば心が砕けてしまうかを計算する事など、クライムにとっては朝飯前だった。



 ――東条勇麻に海音寺流唯を殺させる事によって、東条勇麻の心を殺す。



 思いついた東条勇麻のトラウマを抉るようなそのアイデアは、勇気の拳(ブレイヴハンド)を弱体化させるうえでこれ以上ない妙案に思えた。


 クライムはすぐさま頭の中で最低のシナリオを思い描き細部を詰めると、単独行動を許していた氷道真を自身の元へと呼び戻し、一端息を潜めて機を待った。必要な人質モノを用意し、そしてこれ以上ない最高のタイミングでとっておきの『絶望サプライズ』を振るい東条勇麻の心を破壊した。


 案の定、海音寺流唯が死亡すると東条勇麻の精神は甚大なダメージを負い、いつ崩壊してもおかしくない程に不安定な状態へと移行した。 


 このまま絶望に押し潰されて弱体化してくれれば予定通りに鉛玉を喰らわせてやればいい。

 仮に、憎悪と怒りが絶望に勝るような展開になったとしても問題はないと結論した。

 怒りに視野を狭めて突っ込んできてくれるのであればそれはそれでやりようがある。再び右目を合わせて洗脳するのもいいし、単純に氷道真を使って身の程を思い知らせてやるのも悪くない。


 万が一、憎悪と殺意によってその精神性が南雲龍也へと近づくにしても、完全に成り替わるには現状の一致率はあまりに低い。

 そもそも人格をコピーするという行為自体が精神に過大なダメージを強いるものだ。既存人格の消去と新規人格への書き換え、など瞬時に出来るものではない。

 肉体や既存人格の抵抗や拒絶反応は絶対に発生するし、『二代目』が『初代』へと変貌したとしても肉体と精神が一致し行動可能になるまで必ず大きな隙が生じる。

 精神感応系最強の神の力(ゴッドスキラー)として、そこだけは間違いないと断言する事ができたからこその勝利の確信。


 故に、この時点で東条勇麻の詰みは確定した。哀れな贄として『希望』を託された少年は、騙されたとも知らぬままここでその屍を晒す。



 そのハズだった――



☆ ☆ ☆ ☆



「舞台設定――」


 クライム=ロットハートと氷道真の乱入によって事態は急変した。

 時間さえも一時停止させる氷道真の氷結に『設定使い』を含む神の子供達(ゴッドチルドレン)達は見事に出し抜かれ、すぐさま対処しようとするも『三本腕』による計ったような妨害を受ける羽目となり、思惑通りに時間を稼がれた。


 『設定使い』たちが『三本腕』の妨害を突破した時には、既に海音寺流唯は致命傷を負ってしまっていた。氷道真の力によって身体の内側から氷の侵食を受け、内側からその身を喰い尽くされている最中だったのだ。

 仮にクリアスティーナの『支配する者ディメンション・オブ・ルーラ』をもって海音寺の肉体を異次元空間へと切り離したとして、治る見込みがないのであればその行為に延命以上の意味はなく、少女の命を無駄に危険に晒す可能性も含め、二人の最後の会話を邪魔するような真似を友人思いの彼らは選ぶ事ができなかった。


 そして『設定使い』もまた、その時には別の理由から身動きを取る事ができなくなっていたのだ。




 ――そして、現在。 




「――切り離し(パージ)。私を含む神の子供達(ゴッドチルドレン)四名を、元の空間より切り離した」


 

 東条勇麻が絶望に慟哭をあげると同時、人質を手放した事で無防備となったクライム=ロットハートの首を即刻落とすべく文字通りの神速で動こうとしたディアベラスとクリアスティーナを白と黒の二色が混沌と混ざり合う異空間に押し留めたその男に、二人は殺意すら籠った視線を向けていた。 


 世界さえも焼き付くような敵意と敵意が、靄に包まれたような狭苦しい異空間で交錯している。

 

「……おい、『設定使い』。これは一体なんのつもりだぁ?」

「すまないが、状況せっていが変わった。貴方達二人にはしばしの間大人しくしていて貰うとしようか。――貴方もだ、『女王』。妙な真似をしようとは思わない事だ」


 ――結果として『設定使い』達は十全の力を発揮する事も出来ぬまま、老獪で計算高い『三本腕』達に見事に手玉に取られまんまと『時間稼ぎ』に乗せられてしまった。

 その結果がこれだ。

 襲撃に気付けなかった事を含め、この一見は完全に自分達の落ち度であると『設定使い』は理解している。

 しかし、だからと言って私情に流され自分に与えられた設定しごとを疎かにする程、『設定使い』は感傷的な人間ではなかった。

  

「あら、わたくしってばアナタに信用がないのね。でも、そう言わてしまうと、ますます気になってしまうのは人のさがだと思うのだけど?」

「虚勢を張るのは結構だが――女王、平和主義者を設定(自称)する貴方は、まさか自ら争いを仕掛けるような野蛮な人間せっていではないと私は信じたいのだがね?」

「……この状況でわたくしには敵意一つ抱いていないと、そう嘯きますのね、『設定使い』。……ふふ、うふふふ!! やっぱりアナタはいいわ。是が非にも、わたくし所有物モノとして欲しい……!」


 事態は急展開を迎え、海音寺流唯は死亡した。

 目の前で憧れの男の親友だった男――海音寺流唯が殺される事による東条勇麻の精神的な負荷は計り知れず、皮肉なことに天風楓を試金石として用いた時以上に東条勇麻の『希望』としての資質を測る絶好の機会となってしまっていた

 ――故に。状況が己の望まぬ致命的な方向へと舵を切り始めた事を理解していながら、『設定使い』は東条勇麻を救う為に行動する事をしない。東条勇麻を、そしてこの世界を強く思うからこそ、できない。

 例え、どのような結末を迎えようとも、その希望が辿り着く末路を見届ける。

 それこそが、自分に与えられた役割であると理解していたから。


「……どいつもこいつも痴れ者ばかり。もういい、腹の読み合いなどうんざりです。――友達を助ける。それ以上の戦う理由なんて、私たちには必要ない! ディアくんッ!」


 

 警告を無視して、躊躇いなく戦端を切るディアベラス=ウルタードとクリアスティーナ=ベイ=ローラレイ。


 彼女たちの怒り、その義憤は当然だ。『設定使い』とてそう思う。自分もそちら側に立つことが出来たら、どれだけ気持ちよくこの力を振るう事が出来ただろうか。

 しかしこの身は設定(せかい)の守護者。世界(せってい)を順守する者。己の役目を果たすためには『狡猾の蛇』と手を組むのが最善だと判断したハズだ。一度そう決めた以上、公私混同は許されない。

 

 両者の怒涛の攻勢に何とか対応しつつ、防戦一方に見える『設定使い』は、しかし思案を巡らせる余裕があった。 


 薄皮一枚隔てた世界より、『設定使い』はその薄皮を見透かす瞳で、絶望と憎悪に吠え猛る東条勇麻を沈痛な面持ちで頭上より眺める。


(天風楓の死の幻影をクライム=ロットハートによって見せられた際、東条勇麻が抱いた設定(かんじょう)は、同じくクライムにより指向性を与えられ誘導された、謂わば人工的な『憎悪』と『殺意』だったのは確かだ。しかし、それにしても……)


 ……人工的か、否か。その純度の差で、ここまでの違いが出るものなのか。

 空間的に離れていても感じる肌を刺すような少年の憎悪と殺意に、『設定使い』は神の能力者(ゴッドスキラー)としての格や実力差を超越した、末恐ろしさのようなものを感じていた。

 そして……


(……東条勇麻の『神性ディヴィニータ』の上昇に『銀の腕』の反応を確認。『憎悪』は既に許容値せっていを大きく超過。――『希望』は『憎悪』に呑み込まれた)

 

 膨れ上がる少年の絶望と憎悪に諦念の混じる声でそう呟いて、『設定使い』は自身と人類の敗北を予感した。


(よって、これ以上の封印せってい介入は無意味なものと判断する。……『銀の腕』の封印設定解除、……完了。起動を開始。……確認)


 望まぬ戦いに身を投じる『設定使い』は、その美しい顔に疲れ切ったような諦念を浮かべて、



「――残念だよ、東条勇麻くん。君とならば、世界せっていを壊すことなく彼を止められるかも知れないと思ったのだがね。私の設定ねがいも、どうやらここまでのようだ」



 直後、世界を衝撃波と眩い光が呑み込んで――



☆ ☆ ☆ ☆




「……は?」


 ――まず初めにクライム=ロットハートを襲った想定外は、護衛兼切り札として傍らに待機させていた氷道真の変調だった。


 ついさっきまで隣に立っていたハズの氷道真がその場に蹲り苦しげな呻き声を上げている。

 東条勇麻の絶叫に紛れて気付くのが遅れたのだ。慌てて右目でその状態を視てみれば、『心傷与奪ラピナーレ・クオレゼロ』の力で氷道真に掛けていた洗脳が解けかかっているのが分かる。


 ……馬鹿な、あり得ないっしょ、こんなのッ!?


 クライム=ロットハートの胸中を、これまでで最大の動揺が駆け抜ける。

 いつ、誰が、どうやって。戦慄に近い感情が駆け抜ける中、クライム=ロットハートは思い当たる原因を思考する。

 確かに氷道真と海音寺流唯の二人は元々親と子に近い関係性であった。しかし今更目の前で海音寺流唯が死んだ程度で揺らぐような柔な強度の洗脳ではなかった。精神に直接干渉でもしない限り、何重にも重ね掛けたセーフティーとプロテクトを突破し破壊するのは不可能なハズなのだ……!!


 ――しかしクライムは知らない。

 北側で入場ゲートを氷道真に封鎖させている間、氷道真が黒騎士ナイトメアと遭遇しそのまま戦闘になり、その戦闘の最中に黒騎士ナイトメアの『影幻』と呼ばれる幻覚や映像を脳内に直接送り込む技を喰らっていた事を。

 その『影幻』で叩き付けた映像が、黒騎士ナイトメアが『三本腕』に対抗する為に集めていた手札の一つであり、中でもクライム=ロットハートを表舞台に強引に引き摺り出す為のモノであるという事を。

 ……映像の中身は、クライム=ロットハートの切り札であり最強の一角である氷道真を切り離す為に『雷雨の狂気』事件を隠れ蓑に暗躍していた黒騎士ナイトメアが〝とある神狩り(ゴッドハンター)から入手した記憶映像〟。

 

 氷道真がクライム=(・・・・・・・・・)ロットハートの洗脳(・・・・・・・・・)を受けるその瞬間を(・・・・・・・・・)収めた映像であ(・・・・・・・)()


 洗脳の解除において最も効果的なのは自分が洗脳されているという事実をはっきりと自覚させる事である。

 何重ものプロテクトで厳重に封印されていた記憶を強引に脳内に流し込まれた氷道真は、その直後に受けた氷道真の死という極大の刺激を最後のきっかけとして、クライム=ロットハートの洗脳から完全に解放されようとしていた。


 ――そして二つ目の想定外。

 絶望に押し潰され、憎悪と殺意に擦り切れて崩壊寸前にまで陥っていた東条勇麻の精神状態が、ここへ来てありえない急変を見せたのだ。

 



「――クライム=ロットハート、お前は(・・・)俺が憎むべき悪だ(・・・・・・・・)……ッッ!」




 憎悪と怨嗟の滲んだ言霊が響き渡る、直後。




 ――カッ、




 殺意をばら撒く少年を中心に、干渉力が爆発した。

  


 

 莫大な干渉力は、光と衝撃波へと変換されて世界へと干渉する。衝撃に土煙が巻き上げられ、目も眩む閃光に誰もが顔を腕で覆った。




 何が起きたのか。何が起こったのか。理解が追い付く者が、果たしてこの場にどれだけいただろうか。




 それほどまでに傍目には唐突な、それが、永遠に続くとも思えた少年の嚇怒の絶叫に突如として訪れた終わりだった。

 



 そして……。



 ………………。



 …………………………………………………………………………。




 ――急速に世界に降りた沈黙を打ち破るように煙が、晴れていく。


 

「キヒ、ヒハ、はは……っ」



 ――そこには、数秒前と変わらずに一人の少年が立っている。しかし、何かが違う。数秒前とは何かが、致命的に異なっている。異なってしまっている。



「なんだ。なんだよ。そういう事チャンだったのかよ」



 ――左腕が金属製の義手である事を除けば、どこにでもいるような平凡で善良そうな見た目の少年だった。


 例えるならば……そう。物語の主人公などには到底なれないような、そんな目立った特徴の見当たらない、平凡な顔立ちの少年だった。そのハズだった。

 






「俺チャンが間違っていた。勇気の拳(ブレイヴハンド)……いや、希望の拳(ホープインハンド)。その正体チャンは――







 クライム=ロットハートが最後まで言葉を言い切る事はなかった。何故なら。







 ――ぐちゃッ。







 ――ぐちゃッ!? べちゃねちゃりぐちゃバキゴキぐぢゃどぢゃべぢゃッッッ!!?!?







 血が爆ぜ肉が飛び骨が砕ける思わず耳を覆いたくなるような音が連続し、それがクライム=ロットハートの肉体から響く終末音楽だったからだ。

 






 数秒前までこの場を支配していたハズの人間の腐敗した悪意を煮込んだ肥溜の如き最低の最悪の悪魔の命は、もう、既に、尽きていた。

 






 クライム=ロットハートが立っていた場所に残っているのは、肉。肉だ。

 石床には、鉄錆び臭のする真っ赤な絨毯が広がっている。

 下半身と上半身はそれぞれ離れ離れになるように吹っ飛んで、舞台の端でそれぞれトカゲの尻尾みたいに蠕動していた。あまりに唐突な死に、生命反応の消失が追い付かなかったのだろう。


 やがて家主を失った哀れな肉塊達は、その動きを止める前に――さらに内側から破裂し、元の原形が分からないほどにぐちゃぐちゃとした赤と黒とピンクとぶよぶよした黄色のグロテスクな汚物と化して終わった。


 脳味噌の代わりに爆弾でも埋め込んでいたのかと思う程に木端微塵に破裂した頭部の肉片が雨のように降り注ぎ、べちゃべちゃと汚い音を立てて世界に染みを残していく。


 それだけだった。


 それだけが、絶望の象徴として三大都市対抗戦を蹂躙し世界に君臨していたハズのクライム=ロットハートの幕引きの全てだった。

 


 ――世界に静寂が降りる。

 


 鼻の曲がるような糞尿の匂いと、濃密な血の香り。総じて不吉な死臭が、世界に降りた沈黙を上から汚く塗り潰していく。



 そうして完成したのはおおよそこの世の地獄のような極彩色の景色。



 ソレを現世に顕現させた張本人は、真っ赤な地獄の中心で、右腕を振り抜いた姿勢で固まっている。



 誰もが言葉も声も喉の震わせ方すら喪失してしまっている中で、その少年だけが言葉を発する事を神に赦されていた。



「――何を許可なくくっちゃべっていやがる、害悪が。言ったハズだぜ。お前は(・・・)俺が憎むべき悪だ(・・・・・・・・)ってな」


 


 それは、その少年は。確かに東条勇麻の形をしていた。




「クライム=ロットハート、お前の死因は海音寺流唯を殺した事だ。勇麻と、二人の逆鱗に触れた時点で、お前の末路は確定した。――その許されざる業を地獄で悔めよ、癌細胞」



 けれど。けれど致命的に何かが――































「――テメェは、……誰だ?」



 呆然と。これまで事態をただ眺める事しかできなかった泉修斗が絞り出したその言葉が、この場にいる全員の思いを代弁していた。






















☆ ☆ ☆ ☆








 世界に憎悪ある限り、英雄は蘇る。

 








☆ ☆ ☆ ☆





 ――第六章 急 ??????? 第※話 ザ・エンディング・オブ・マイヒーローⅢ――■■■■■■■:count 1















 ――第六章 急 再臨ノ贋作英雄 第※話 ザ・エンディング・オブ・マイヒーローⅢ――再臨の贋作英雄:count ―



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 ※※※叡智の蒐集・更新停止に伴い、『天智の書』の余剰リソースを用いた新章が公開されました。
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