第二十四話 VS.黒騎士《ナイトメア》Ⅱ――憧れの人
「諦めろ……そして、死ね」
首が閉まる。
息が出来ない。
勇麻は遠くなっていく意識の中、黒騎士の言葉を聞いていた。
どこか感情を殺したようなその声色に僅かな違和感を覚えながらも、勇麻は最後まで意識を保とうとする。
「うぐ……んっ、がぁ…………っ!!?」
首を絞める影の腕の力が強まる。
(や、ばい……これ、本当に。死ぬ……かも)
酸素不足に身体じゅうの臓器が、血管が、細胞が悲鳴を上げている。
何か打開策を考えようにも、脳みそに酸素が足りていない。
分からない。どうすればいいのか何も浮かんでこない。
悪あがきのようにじたばたと手足を振っても、黒騎士には届かない。
苦しい。
このままでは本当に死ぬ。
(く……うき、をっ!!?)
意識が途切れかけ、そして――
――突如迸った眩いばかりの閃光が、勇麻の意識を現実に押しとどめた。
「な、なんだコレはァッ!!?」
怒りと驚愕とを顕わに黒騎士が叫ぶ。
あまりの光量に、すぐ目の前にいるはずの黒騎士の姿さえ見えない。
強烈な、目を焼くような光が勇麻の視界全てを眩しいくらいの純白に染めあげていた。
その異様な輝きに勇麻は“息を呑んで”、そこで自分の首を絞めていた影の腕が眩く神々しい光を受けて、苦しみ悶えるようにして消滅していく事に気が付いた。
影が、この強烈な光を嫌がっているのだ。
さらに事態は加速する。
「兄ちゃん! 今だ!」
突如、聞き慣れた声が勇麻の耳に飛び込んできて、瞬間。
勇麻は全てを理解した。
(この光、勇火だ! アイツ……やりやがった!!)
光に埋め尽くされた視界の中で、東条勇麻はその顔に笑みすら浮かべながら、大地を思い切り蹴っていた。
これがおそらく最後のチャンス。
泉が、勇火が、お膳立てしてくれた絶好の機会。
ここでしくじる訳にはいかない。
今なら、届く。
この拳も、共に戦った仲間の想いも。
「悪いけど、アンタに言われたくらいじゃ俺の決意は変わらない。変えちゃいけないんだ」
右手が熱い。
勇気の拳の回転数が上がる。
身体全身に燃えるような感覚が走り抜ける。
熱い、けれど決して不快感はない、そんな不思議な感覚を受けた勇麻の全身に、凄まじい速度で血液が循環する。
熱い。
何もかも熱い。
行場のないエネルギーを拳に乗せ、硬く硬く握りしめて、振りかぶる。
「たとえ偽物でも紛い物でも、俺が、この俺がやらなきゃいけないんだ! ヒーローのような行いを! 誰かを救う行いを!」
力強く踏み込んだ先に、影で造り出した黒い仮面の姿が見えた。
「ずっと昔、そう誓ったんだ!」
だから。
「お前は……引っ込んでろォッ!!」
力強く拳を振り抜いた。
一瞬、右の拳が赤黒く明滅して――
――上から下に殴りつけられた黒騎士は凄まじい勢いで地面に叩き付けられ、血反吐を吐きながら跳ねるように転がっていった。
黒騎士が叩き付けられた地面に走る放射状のヒビが衝撃の凄まじさを伝えていた。
影で造られた黒い仮面は、拳の直撃を受けて粉々に砕け散った。
☆ ☆ ☆ ☆
時間は少しばかり巻き戻る。
☆ ☆ ☆ ☆
西ブロック第二エリアの住宅街にあるごくごく普通の公園。
夜の帳も降り、子どもの笑い声の消えた遊び場に、新しい人影が二つ。
どちらも男だ。
一人は、どこかの要人のシークレットサービスでもやっていそうなくらい筋骨隆々の、大柄な白人の男だった。
全く似合わないネックレスを首から下げているその男は、海賊船の船長みたいな隻眼のイカツイ顔に笑みを浮かべ、どこか上機嫌に鼻歌を歌っている。
もう一方は高校生くらいの少年だった。
とは言え、親子ではないだろう。
この筋肉の塊みたいな男と比べて余りにも華奢だからだ。そもそも少年のほうは正真正銘の日本人である。
と言っても決して鍛えてない訳ではないらしく、細身の体には十分に筋肉がのっている。
大男と比べなけなければ十二分にいい身体付きだと言える。
少年の方は大柄な男とは正反対に機嫌が悪いらしく、ただでさえ細い瞳をさらに蛇のように細めていた。
「スネーク、もう一度聞くぞ。……本気か?」
「ああ。あいつらの身の安全を確保するにはこれくらいしか手が無いんでな」
「……アンタならこんな事になる前に、もっとスマートに解決できたハズだ」
少年の指摘にスネークと呼ばれた大柄な男は快活に笑った。
「いくらなんでもそれは買いかぶり過ぎだ。別に俺は万能って訳じゃないんだ。全てを丸く収める完璧な方法なんてそうそう思いつかんよ」
「アンタが万能でないなら、一体誰がその称号を貰う事になるんだかねー」
「万能も完璧も存在しないって事だ。そして届かないからこそ手を伸ばそうとする、違うか?」
スネークの切り返しに少年は肩を竦めるだけだ。
「スネーク――」
「――自分は反対だって言うんだろ? 分かってるって。お前のその言葉、今日だけで何回聞いたと思ってやがる。耳にタコでもできそうだ」
「だったらなんで――」
「はぁ。お前はもうちょい物分かりがいい奴だと思ってたんだがな。……まあいい、理由ならちゃんとある」
スネークはその顔に少しだけ真面目な色を浮かべて、
「お前だって分かっているはずだ。天界の箱庭と敵対する事がどういうことなのか。それが分かってるなら、自ずと俺の考えている事も見えてくる。……違うか?」
押し黙った少年の態度を肯定と見なしてスネークは話を続ける。
「だったらあいつらの為にも、少々強引にこちらの流れに組み込んでやったほうがいい。でだ、俺ら側に引き込むにしてもその時の摩擦は少ない方がいいだろ? それにこれは、あいつにとってもかなり都合のいい話だと思うぜ?」
「だからって危険すぎる。これで死んだらそれこそ全て無駄だ」
少年は強い口調でそう言い放つと、その視線をスネークに向ける。
「スネーク、アンタの事は尊敬しているし、信頼もしている。だけど、今回の方針には賛成できない。こればっかりは譲れない」
頑なな少年の態度に、スネークは大きな溜め息を一つした。
オールバックっぽく後ろに掻き上げた髪の毛をまた掻き上げて、
「……信頼してるなら少しは信じてくれんか?」
「なら根拠はなんだ。理由については納得もできる。けど、アンタがそこまで自信を持って踏み切れる根拠が分からない」
少年の問いにスネークは笑ってこう言った。
「なに、昔の顔見知りの言葉を信じてみるだけだ。……もっともあいつは、俺の事を嫌ってるのかもしれんがな」
スネークの言ってる事が分からない少年は、その言葉に何と返せばいいのか分からずに、押し黙ってしまう。
無言でいくらか歩く。
ようやくうまくはぐらかされた事に気づいて問い詰めなおそうとするが、その前に目的のポイントに辿り着いてしまった。
歯噛みする少年を尻目に、スネークは落とした視線の先――公園の真ん中で死んだように眠っている少年――を見てニヤリと笑みを浮かべた。
それを見た少年は、スネークの説得を諦めたのか、まるで溶けるようにその姿を消してしまう。
「やれやれ、シャイボーイはこれだから。……まあいい、時間も少ない事だし、さっさとやっちまうとするか」
しゃがみ込んだスネークは言葉と共に、意識を失っている少年の顔の前で思いっきり手を叩いた。
合掌。
乾いた音が暗闇に包まれた公園中に響き渡り――
「よぉ、お目覚めかい。東条勇火くん」
――完全に意識を失っていたハズの東条勇火が、たったそれだけで、眠たそうに瞬きをしながら目を覚ました。
「……な、何が起こって、……アナタは一体」
目蓋をこすりながら、ボンヤリとした様子の勇火にスネークは笑いながら話かける。
「おっと、これは失礼。自己紹介をしてなかったな、俺はスネークだ」
「スネーク……さん。これは一体……俺に一体何を――」
スネークは頭の上が疑問符でいっぱいの勇火を手で制すると、
「――細かい話はあとにしよう。今はやるべきことがあるはずだ。違うか?」
「やるべき……事?」
「ああそうだ。……いい加減長ったらしい前哨戦にも飽き飽きしてたんだ。そろそろ幕引きと行こうぜ。それでさっさと本編を始める事にしよう。その為にもお前の力が必要なんだよ、東条勇火くん」
スネークは目を丸くする勇火に手を差し伸べ、戸惑いながら右往左往する勇火の手を強引にとって立ち上がらせると、
「お前が今回の切り札って訳だ。黒騎士をぶっ倒す為のな」
大きな掌で鼓舞するように勇火の背中を叩いたのだった。
☆ ☆ ☆ ☆
勇麻の視線の先、あれだけ脅威を振りまいていた黒騎士がついに地面に沈んだ。
「……やった、今度こそ、倒した……ッ!」
どうにかそれだけを口にして、東条勇麻はバランスを崩してその場にへたり込んだ。
受け身も取れず、凄まじい疲労感を抱えたまま地面へダイブする。
「兄ちゃん!?」
それを見て勇火が駆け寄ってきた。
「はは、勇火……最後の助かったぜ」
「……いや、俺は何もしてないよ。『スネーク』って人が助けてくれたんだ。さっきの『光』もその人からの借り物だし、それに結局アイツを倒したのは兄ちゃんだ。自分の手柄も数えられない程ボケが回ってるの?」
「ボケ、か。回ってるかもな。なんか頭がフラフラするし」
「……疲れたんだよ、きっと」
勇火の言葉に何とか笑って言葉を返す勇麻。
よく見れば勇火だって身体中に傷を負っていた。
もし仮に黒騎士の言葉が正しいのなら、勇火は一度黒騎士と一度戦って敗れているはずなのだ。
それなのに、弱音一つ吐かずに兄を支える出来すぎた弟に、勇麻は心の中で感謝を表す。
本当に迷惑をかけてしまった。後でアイス奢り程度じゃ済まされないレベルだ。
「勇火、俺は大丈夫だから、できれば泉の方を見てやってくれ、アイツもこっぴどくやられたからな」
「うん、分かった」
勇火は勇麻の指示に素直に頷き、少し離れた所で倒れている泉の元へ駆けだした。
その後ろ姿を見送りつつ、右腕に力を込めてなんとか身体を起こす。
泉にも後で何かお礼をしなければいけないな、と勇麻は少し嫌そうに考えた。
あのお祭り馬鹿は大暴れできればそれがご褒美みたいな物なんだろうから、正直言ってあまり乗り気ではないが、それでも感謝をしているのは事実だ。
実際、泉がいなかったら勇麻はもうとっくに死んでいるだろう。
なんとか膝立ちになった勇麻は、数メートル先でうつ伏せに倒れている黒騎士の方へ目をやった。
黒騎士は完全に意識を失っているのか起き上がる様子はない。
思わずホッと胸を撫で下ろす。
流石にこれ以上の戦闘は勘弁願いたい。というかこれでも平気な顔して起き上がってこられたら、いよいよ倒せる気がしない。
「やったのですね、正直言って驚きです」
「……レインハート=カルヴァート」
声に振り返ってみれば、己の刀を杖替わりにしたレインハート=カルヴァートが、満身創痍のまま勇麻の傍まで歩いてきていた。
「長いですし、レインハートで構いませんよ」
レインハートは勇麻の隣に並び、ほんの数メートル先で沈黙している黒騎士を視認する。
黒騎士は倒されたというのに、彼女の表情はやはり晴れない。
どこか影をさしたままだ。
「弟の方は平気か?」
そんな笑顔のないレインハートになんと言葉をかけるべきか迷った末に出てきたのが、そんな言葉だった。
「ええ、レアードは気を失っているだけです。命に別状はありませんよ」
「そうか、よかった」
「そちらこそ、お仲間は大丈夫なのですか?」
結構本気で心配していそうなレインハートの問いに、勇麻は後ろを振り返って、
「ああ、泉なら大丈夫だ。あれは中々頑丈な奴なんでな」
勇火に肩を貸されて、それでもこちらに親指を立ててサムズアップしている泉の姿が目に入った。
弱っている所を見せるのが恥ずかしいのか決してこちらに顔を向けようとはしなかったが、それだけ体力的に余裕のある証拠だ。
レインハートもその様子を目にして、
「確かにあの様子なら問題はなさそうですね。安心しました」
「ああ、わざわざ心配までしてくれてありがとうな.。それと、その……俺のせいで――」
「いえ、謝罪と礼をするのはむしろ我々の方です」
謝ろうとした勇麻を、レインハートの言葉が遮る。
完全にタイミングを逃した勇麻は、中途半端に口を開いたまま、しどろもどろになってしまう。
「そう、なのか? ……いや、でもそれは俺が……」
「無関係な一般人を巻き込んだ挙句、事の解決をその一般人に任せてしまうなどいう事態が許される事ではないのは分かっています。ですから、後で必ず背神の騎士団から何らかの形で謝罪と謝礼があるでしょう。……勿論、私個人としても謝罪を申し上げます。本当にすみませんでした」
身体中ボロボロなのにやけにビシッと頭を下げるレインハートを、わたわたしつつもなんとか止めて、勇麻は疲れたように溜め息を吐いた。
本来は勇麻が謝るべき場面なのに、向こうに頭を下げさせてしまっては話にならない。
(この人、キッチリしすぎてて後々謝礼の品とか超送ってきそうで怖い。てか全く笑わないから表情から感情が全然読めないんですけど……)
相手が何を考えてるか分からないので、ろくに話を振る事もできない。
特に話すことも無くなり、黙ってしまい、どこか気まずい勇麻。
だがレインハートは特に気にしていないのか、その静寂を軽く受け流した後、
「黒騎士の身柄についてはこちらで預かりますから、そんなに心配する必要はありません」
勇麻の沈黙を何と勘違いしたのか、そんな事を言ってきた。
勇麻は一瞬話の流れを見失って反応が遅れたが、それでも何とか頭のピントを合わせて、
「あ……ああ。そうしてもらえると助かるよ。こっちとしてはもうあんなのと戦うのはごめん被りたい所だし」
「ええ、それから――」
レインハートの言葉の続きを、
「――勝手に幕を下ろして貰っちゃ困るな」
そんな言葉が遮った。
「まさか、そんな……」
「!」
「おい。冗談、だろ……?」
「馬鹿野郎、勇麻! 呆けてないでトドメを差しちまえ!」
だがそんな泉の叫びも虚しく、既にボロボロなハズの黒騎士がまたしても立ち上がったのだった。
「チッ、クソが! 汚い素顔をどうしてもお披露目したいらしいぞ、あの陰険仮面野郎は! 別にこっちは根暗野郎の素顔なんかに興味ないっつーの!」
「兄ちゃんの全力の一撃もろに受けて立ち上がるとか、……化け物、だろ」
「立ち上がったって言っても既に奴は満身創痍なハズだ。膝に手を当てて息をしてやがる。顔を上げるだけの元気も残ってねえんじゃないのか? アレ」
「だと、イイのですが」
ボロボロの四人も何とか臨戦態勢を整えるが、まともに戦える状態の人間なんて一人もいなかった。
これでまだ黒騎士に、先ほどのような戦いができるだけの体力が残されていたら本当にお終いだ。
「好き勝手言ってくれるね、本当。これでも顔は見せたくなかったんだ。お前らの事を思って、さ」
どこかフラフラとした黒騎士は自嘲気味にそう言うと、ゆっくりと顔を上げる。
(……なんだ? 今一瞬、さっきと声が変わったような……?)
勇麻は黒騎士の声が、急に全く別の物に変わったように感じた。
周囲にそれを尋ねようとしたのだが、思い過ごしだったのか、誰もその事に気が付いている様子が無い。
自分の気のせいだったのか、と首を捻りながらも、尋ねる気は萎んでいってしまった。
緊張感がその場に漂い、ごくりと唾を呑む音さえ周りに聞こえそうだ。
勇麻たちが凝視するその目の前で、ついに黒騎士の素顔が――
「――え」
そんな間の抜けた声が、勇火の口から飛び出していた。
「嘘、だろ」
泉は今が戦闘中だという事すら忘れて、口を開けて呆然と立ちつくしている。
そして勇麻は、そんな周囲の状況すら頭の中に入ってこなかった。
五感が死に絶え、静寂に包まれる世界の中、ただ勇麻は今自分が見ている者の名前を口にした。
「龍也……にぃ?」
勇麻たちの目の前に立っていたのは、今からおよそ九年前に死んだハズの少年だった。
九年の時を経て、少年から大人に成長したその人物は、その顔に懐かしく優しい微笑をうかべて、勇麻たちを見ていた。
南雲龍也。
「よぉ、勇麻。ひさしぶり」
笑顔のまま全てを救う英雄。
東条勇麻の兄のような存在。
「元気してたか?」
東条勇麻の憧れが、すぐ目の前に立っていたのだった。




