第七十八話 ラストスパート・ザ・ヒーローⅢ――〝彼〟は遅れて、けれど必ず:count 1
背後で響き始める戦闘音を振り払うように遮二無二に走りながら、東条勇麻は奥歯を噛みしめていた。
「……絶対に死なせねえ、死なせて堪るか……ッ!」
――また、助けられた。
その事実に、自分のふがいなさへ対する怒りじみたものが際限なく湧き上がってくる。
逃亡者の集い旗の面々にその場を任せる事しか出来なかった自分の無力さに腹が立って仕方がないのだ。
……ああ、そうだ。自分はこの状況を悔しいと感じている。ここで彼らに全てを預けて走り去らねばならない事が、自分の弱さが、悔しくて悔しくて堪らない。
彼らの強さを、その決意と覚悟を、その誇りを信じられないという訳ではない。
当たり前だ。勇麻は逃亡者の集い旗の厄介さをその身で味わっている。一度は辛酸を舐めさせられもした相手だ。
あのレインハートやスピカもかなりの苦戦を強いられたと聞いている。
彼らならば例えコルライ=アクレピオスが相手であろうともきっと上手くやってくれる、その思いは確かにある。
……だが、それでも考えてしまうのだ。失いたくないと思うからこそ、どうしようもなく心配になる。
だってそうだろう。
自分が恐ろしいと思う相手に自分以外の人間が立ち向かう事を恐れない訳がない。その恐怖も責務も、誰かに背負わせるくらいなら全て自分で背負ってしまいたい。自分の代わりに誰かが傷ついているのだと思うと、居ても立ってもいられなくなる。心がざわついてしょうがない。
世間一般の感覚においてそれが普遍的なのかはともかく、東条勇麻という少年はこの十七年間の人生でそういう感性をその身に刻み付けていた。
だから悔しくて腹が立つ。
勇麻がもっと強ければ、コルライ=アクレピオスのような巨悪を一人で倒せるだけの力があれば、傷付いて欲しくないと願った人達を危険な戦場へと向かわせずに済んだハズなのだから、と。
けれどそんな感情と同時に、窮地に彼らが駆けつけてくれた事を嬉しく感じる自分がいることもまた言い逃れ出来ない事実だった。
嬉しかったのだ、彼らが来てくれたことが。
そんなの嬉しいに決まっていた。だってそれは、勇麻が相手に対して抱いていた好意や絆と言った目に見えぬ形すら定かでないモノを、感情を、少なからず逃亡者の集い旗の面々も抱いていてくれた――共有していたという事に他ならないのだから。
「……これと同じような事を、楓も思ってたのかな」
ぽつりと呟いた自分の言葉に、胸がぎゅっと締め付けられた。
心臓を直接握りしめられるような激烈な痛みに、一瞬勇麻の表情が苦痛に歪む。まともに走る事すら困難になりそうになって、勇麻は慌てて思考を中断した。
その痛みは、確かに東条勇麻が向き合うべき痛みだが、きっと今はその時ではない。
楓の前で、彼女から逃げず向き合わねば何の意味もない。
勇麻はぐちゃぐちゃになった心を整理するかのように、気付けばぽつりぽつりと言葉を吐き出していく。
独白のようなそれは、意識をする間もなく、隣を並び走ってくれる頼れる先輩へ向けての言葉になっていた。
「海音寺先輩……」
「……なんだい」
「俺は……俺の掲げた傲慢な我儘は、それでも誰かの救いになれたのかな……」
「君はたった今、その答えをその目で見たばかりなんじゃないのかい?」
……そう、なのだろうか。そう、思ってしまっていいのだろうか。
東条勇麻を助けたのは、自分の歩んだ道のりそのものだったと。そう、自分が認めてしまう事は果たして許される事なのだろうか……?
分からない。分からないのだ。自儘で傲慢な救いに、自分を救う為に誰かを助け続けた罪深さに、意味を、価値を、正義を見出してしまっても良いのか。
楓を救う。その気持ちに迷いはない。――だが、目に見える形でその絆を示された今となっても、己へと投げかけた問いの答えが分からない。
一つだけ確かなのは、勇麻の心の中に純粋に彼らの想いに応えたいという気持ちがあるという事。
胸を焼き焦がす程に熱い感情が、そこにはある。
「……俺、悔しいんだ。一人じゃ何もできない自分の無力さに腹が立つ。あいつらに全て投げ出さなきゃならないのが悔しい。でも、あいつらが来てくれて嬉しかった。本当に、嬉しかったんだよ。……なあ、先輩。何もかもを俺一人で救いたいって思う事は、やっぱり傲慢で間違ったことなのかな」
答えを求めるでもない、空に溶け入るような勇麻の問いに、海音寺は少しの間目を伏せて黙り込んだ。
やがて、言葉を選ぶようにしてゆっくりと口を開く。
「人は一人じゃ生きていけない……なんて正論を今更吐く気はないけれど、これだけは言わせて欲しい。いいかい、東条君。誰かに助けを乞う事も、誰かの助けを得る事も、それは決して恥ずべき事じゃない。君が本当に恥ずべきは、助けが来ることを当たり前だと思う事。その恩を忘れ相手に何も返さなくなる事だ。――なら、これからどうすべきか……いや、自分がどうしたいのか。君自身もそれをもう分かっているんだろう?」
東条勇麻の抱く願いは傲慢か否か。その答えを、その正誤を、海音寺は明確には口にしなかった。
だがそれでも、海音寺は勇麻の願いを傲慢だと斬り捨て否定する事はしなかった。
――ただ、忘れないで欲しいと。誰かに頼ることも誰かに助けを求める権利も、感謝を忘れぬ限り誰にも平等に与えられるのだと、勇麻の背中を優しく支えようとしてくれた。
「……。ああ、そうだな。今度は俺があいつらを助ける。傲慢でもなんでも、助けたいんだ。このふざけた悲劇を、一刻も早く終わらせて……!」
頷いた勇麻のそんな答えに、海音寺はその横顔にフッと柔らかな笑みを浮かべる。
勇気の拳などなしに伝わる温かなその想いだけで、勇麻はぐちゃぐちゃになった心を立て直せる事ができるような気がした。
こういう瞬間に、自分が海音寺流唯という男の存在に強く助けられているという事を改めて強く実感するのだ。
……思えばいつだってそうだった。
東条勇麻の戦いは、ここまでの道のりは、いつだって誰かに支えられ助けられてようやく乗り越えられるような茨の道ばかりだった。
だから、忘れないでいようと思う。
たくさんの人に助けられた事を。その時に感じた胸を満たす温かな想いを。
矛盾する事が矛盾しないのが人の感情だ。故に、二つの相反する感情を両腕に抱えたまま、東条勇麻は一刻も早く全てを終らせるべく、人気のないスタジアム通路を駆け抜ける。
ありもしない地獄を見せられ苦しみ続ける楓を救う為、コルライ=アクレピオスの足止めを買って出た逃亡者の集い旗の面々やここに至るまで勇麻を支え助けてくれた全ての人達に報いる為に。
必ず、必ずここから誰一人欠けることなく皆で笑って結末を迎えるのだと勇麻は決めていた。
突如として顕現したこの世の地獄に、襲い掛かる理不尽や不条理に、誰もが苦しんだ。
偶然や不運という平等に降りかかる天災によって既に数え切れないほどの人の命が犠牲になっている。
だからここから先、ご都合主義でも何でもいい、いっそ誰もが鼻で笑ってしまうような、茶番劇じみた幸福な結末をこの手に掴んでみせたっていいハズだ。だって、皆が皆辛かったし苦しかった悲しかったし怖かった、それでも最後まで人々は諦めなかった。
だから、それくらいの逆転劇があったっていいだろう。
それくらいの当たり前の幸福を希う権利くらい、自分たちにはあるはずだ。
だから、眼前に〝それ〟を見た途端、勇麻の心がさらに昂ぶり激しく燃え上がるのを感じた。
「……あれは、炎か?」
目を細め一人ごちる海音寺の疑問にすぐさま答えが飛ぶ。
〝それ〟は、勇麻にとって希望と呼んでも過言ではない輝きだった。
「――おい、アホ勇麻ァ! こっちだ!」
「……泉! ははっ、やっぱ無事だったかこの野郎!」
「あ? なに当たり前の事言ってんだボケ。んな事より、今はやる事あんだろうが」
電源が落ちうす暗くなった通路の先でメラメラと燃え盛る赤い輝き。急ぎ駆け寄ると、その灯りの正体は全身をマグマじみた粘性のある変幻自在の炎へと変換させた勇麻の幼馴染の親友、泉修斗だ。
泉も泉で、ここまで激しい戦いを潜り抜けてきたのだろう。
彼の周囲には焼け焦げたデザインキメラの死骸が積み重なり、焦げ臭い香りが漂っていた。ここに来るまでほとんど新手のデザインキメラを見なかったのは、泉がここでその数を減らしてくれたからなのかも知れない。
安否の掴めなかった親友との再会にパッと表情を綻ばせ笑顔を咲かせる勇麻とは対照的に、泉は険しい表情のまま――
「おい、泉……?」
――どういうつもりなのだろうか。泉修斗はまるで幽霊でも見たかのように、じぃーっと、勇麻の顔を穴が開くほどに見つめていた。
その奇行を怪訝に思った勇麻が眉を顰めて声を掛けると、
「…………あァ、いや、なんでもねえ……」
それでハッと我に返ったらしい泉は、泉らしからぬ歯切れの悪い返事を残して、何事もなかったかのように走りながら話を続けるように勇麻を促した。
その態度に少しばかりの違和感を覚えるも、状況が状況だ。深く追求している暇も、気にしている余裕もない。
泉に急かされるままに再度走り出した勇麻の頭からそんな疑問はすぐさま閉め出され、思考の片隅へと追いやられて行ったのだった。
「ディアベラスのヤツからだいたいの事情は聞いた。――そいつで楓のヤツを正気に戻せるんだな?」
未だ無事の再会への喜びも見せずどこか強張った表情のままの泉から淡々と切り出された単刀直入な問いに、水塊に包まれた海音寺の手の中にある『匣の記憶』に三人の視線が一挙に集まった。
極力無駄を省いたその言葉に、勇麻は黙ったままこくりと力強く頷き肯定を示す。
その力強い返答を見てどこか安心したように息を吐き出し、泉はその虎のような強面にようやく不敵な笑みを貼り付ける。
「……よし、分かった。楓がどうにかなるってんなら後は簡単だ。残る相手がクソ虫だってんなら話は単純俺が全部燃やし尽せばそれでいいんだからな」
慣れ親しんだ泉修斗のいつもの笑み。
お祭り騒ぎが大好きで喧嘩っ早い反骨心の塊のようなこの男は、乗り越えるべき強敵や踏み潰すべき理不尽、そういった自分よりも強大な存在を目前にした時、勇麻には決して浮かべ得ないであろう強気で不敵な笑みを浮かべるのだ。
逆境そのものを楽しみ闘志を燃え上がらせるその心の強さに何度呆れ、何度頼もしいと思ったか分からない。
――だからだろうか。
「つー訳で道は俺が作る。テメェら二人は俺の後に――……あぁ?」
ふいに立ち止まった勇麻に、泉が怪訝な声を上げて数歩先で立ち止まる。首だけでこちらに視線をやる親友に向けて、
「――泉、後ろで逃亡者の集い旗の連中がコルライ=アクレピオスと戦ってる」
気が付けば、東条勇麻は衝動的にそんな言葉を投げかけていた。
☆ ☆ ☆ ☆
「――泉、後ろで逃亡者の集い旗の連中がコルライ=アクレピオスと戦ってる」
唐突に立ち止まった幼馴染の悪友から告げられた早口気味の言葉。このタイミングで差し込まれたその言葉の意味と意図とを泉修斗が正しく理解するまで、時間は数秒と掛からなかった。
『「逃亡者の集い旗」の皆をどうにかして助けたい』
首だけで背後を振り返ると、何よりも雄弁にそんな硬い決意を語る少年の瞳と目が合う。
……言おうか言うまいか最後まで迷いに迷って、手遅れになる前に咄嗟に口が動いていた。そうして勢いで言ってしまってからその事を少し後悔して、それでももう決して後戻りはしないと決心する、そんな少年の内心が透けて見える気がする。
この男がこういう馬鹿みたいに甘い事を言い出す時の、真っすぐ混じり気のない誰かに祈るような願うようなその瞳を、泉修斗は嫌と言う程に知っていた。
東条勇麻が祈る誰かがもうこの世にいない事も。
人々が願う誰かそのものに彼がなろうとしていた事も。
迷いはあっても揺るがぬ答えが決まっている時のその表情を、泉修斗は痛い程に知っているから。
東条勇麻という男が何かを決断したその時点で、泉が迷い躊躇う事に意味などない。
例え泉修斗がその決断を避けようとも、この馬鹿は泉の行動に関係なく自分一人で勝手に動く。コレはそういう類の馬鹿なのだ。
それに、そもそもの話。
泉修斗の中に強敵との戦いを拒む理由など、初めっからありはしない。当然だ。なにせ泉修斗は言わずと知れた戦闘狂。
不敵に強気に無敵に勝気に。
例え格上の存在が相手であろうとも臆さず闘志を燃え上がらせる。いいや、自分よりも強くて凄い格上が相手だからこそ、全身全霊で命を燃やすだけの価値があると心が昂ぶるのだ。
負けたら悔しい、当たり前だ。
勝ったら嬉しい、当たり前だ。
強いヤツに勝ったらもっと嬉しい、自分より強いヤツに勝てればもっともっと嬉しいッ。あぁ、当たり前だ。そんなことは当たり前なのだ……ッ!
そんな地の滾るような戦いの果ての勝利を、心を熱くするような魂と魂のぶつかり合いを、全身全霊を懸けた熱い戦いを、泉修斗は心の底から愛している。
それが泉修斗という男の在り方で――
――ただ一つ。彼の中ではなく外に生じた繋がりが、泉修斗の己の命を顧みない戦闘狂じみた思考回路を止める唯一のブレーキとして機能している。
明確に定められた基準。断じて失う事を許容できないモノを危険に晒す可能性がある場合、泉修斗は自身の享楽では無くそれらの安全を、戦いの悦ではなくより確かな勝利を優先しようとする傾向があった。
他者からの指摘を受けても否定するだろうが、泉修斗とはそういう男だ。
だからこそ、最初から見捨てるつもりがないのであれば、ここでこのアホと揉めるだけ時間の無駄なのだという事を腹が立つ程に理解出来てしまうのだ。
しかし――いつもなら一も二も無く悪友のやらかす〝馬鹿〟に迷いなく乗っかり最後まで付き合う泉修斗の胸中に、今回ばかりは無意味な迷いと躊躇いが生まれていた。
理由など分かり切っている。
ここに来る前、脳内に響いたディアベラスの演説の直後に九ノ瀬和葉から聞かされたとある未確認情報に、泉修斗は自分でも不思議なくらいに動揺していた。
■■■■が■■■■■であるというとある情報と、ソレが意味する事の重大さを泉修斗は未だに受け止めきれずにいる。
例え情報屋の少女から齎されたモノが事実であろうとも、何が変わるわけではないハズなのに。
にも関わらず〝今〟躊躇いを覚えてしまっているのは、きっと泉修斗が恐れているからなのだろう。
……何を? そんなのは決まっている、崩壊を、だ。
だが、その感情は致命的に間違った代物であると言う事も、泉は同時に理解している。
仮にもし自分がその立場であったとして、その程度の事で躊躇われてしまったら絶対にブチ切れるという確信がある。
何故ならそれは、今まで積み重ねた全ての信頼と友情に対する裏切りだ。共に歩んだ時間を、過去を、思い出を穢して侮辱する行いだ。
故に、泉修斗がそれを躊躇い迷う必要などありはしない、絶対に。……己に言い聞かせるようにして、泉修斗は揺れる心の動揺を燃やし尽し断ち切って、
「……あん時と同じだな」
「?」
ボソっと呟いた言葉に勇麻は何の事だとばかりに首を傾げる。
相変わらず察しが悪い親友に、泉は身体を完全に反転させて勇麻と向かい合うと、苛々と呆れたように頭を掻きむしって、
「……あのな、俺一人で馬鹿みたいだろうが、テメェも分かれよボケ。未知の楽園の時はアリシアのヤツを何とかしなきゃいけなかっただろうが、俺とお前で二手に分かれたアレだ。アリシアが楓に入れ替わっただけで、あの時と同じだっつってんだよハゲ」
「泉、それって――」
「連中、死なせたくねえんだろ?」
燃える拳を掌に打ち込み盛大に火の粉と火花を散らし、泉修斗は歯を剥いて獰猛に笑って見せた。
「……ハッ、いいぜ面白れぇ、やってやろうじゃねえか。正直、クソ虫を何匹相手にしようが大して燃えねえと思ってたんだ。『三本腕』だか何だか知らねえが、そっちは俺が何とかしてやんよ」
次の敵はコルライ=アクレピオス。『創世会』幹部でありシーカー直属の部下でもある『三本腕』に名を連ねる超大物。天界の箱庭の暗部を仕切る裏の顔だ。
……勝算? そんなものはない。ある訳がない。
つい先ほどヤツと対峙した、その時の絶望感を身体が嫌という程に覚えている。
干渉レベルの差以上の得体の知れないナニカを肌で感じたのは、あの老人と白衣の殺人鬼が初めてだった。
けれど、それこそが泉修斗が乗り越えるべき壁であり、この身体を巡る血を最大限に滾らせられる相手だとも思うのだ。
まして普段こちらから声を掛け無理やり乱入しない限り全てを一人で背負い込んで片づけようとする大馬鹿野郎の口から直々に助けを求められた。
ここで勇麻の言葉を無視するという選択肢は、泉の中にはありはしなかったのだ。
「だから勇麻、テメェはさっさと楓を助けてこい」
威勢のいい泉の言葉に、東条勇麻はどこか楽しそうに、嬉しそうに笑った。
それは、幼い頃から共にあり続けたからこそふとした瞬間に共有しあえるような、互いを理解しあった者達による答え合わせのようなものだった。
泉がそう答える事を、言葉を発した瞬間から二人は互いに理解していたのだ。――そこに僅かに混ざった常とは異なる異物に、泉修斗の葛藤の存在に東条勇麻は気が付かぬままに。
「アリシアの時はこう言ったっけ、――任せた……!」
「――ハッ、テメェもな」
それ以上の言葉は不要だった。
言い合いながらニヤリと互いに不敵な笑みを刻み付け、すれ違うように正反対の方向へと勢いよく走り出す。
互いに背後を一瞥することはない。
誰よりも頼りになる親友に、互いの背中は既に預けてあるのだから――
――その選択を、後に後悔する時が来るなんて。……この時はまだ、この場の誰にも予想しえない事だったのだ。
☆ ☆ ☆ ☆
海音寺は言った。
助けを乞う事も助けを得ることも恥ずべきことではないと。
本当に恥ずべきは、それを当たり前だと思う事。助けられた恩を忘れ、何も返さずにいる事なのだ、と。
東条勇麻は逃亡者の集い旗の面々に助けられた。
東条勇麻は逃亡者の集い旗を助けたかった。
けれど、東条勇麻は万能の救世主ではない。
勇麻の為にコルライ=アクレピオスに立ち向かった逃亡者の集い旗を助けようとすれば楓を救う事が出来ず、楓を救おうとすれば逃亡者の集い旗の連中がボロボロに傷ついていくのを許容せざるを得なくなる。
たった一人で世界中全ての問題を解決できるだけの力を持っているような超人でも英雄でもありはしない勇麻に出来ることなどたかが知れている。
だから、
東条勇麻は泉修斗という頼れる親友に助けを求めた。逃亡者の集い旗の皆を助けてくれ、と。
……海音寺が言った言葉の本当の意味が、何となく分かった気がする。
誰かに助けを求める事も、誰かに助けられる事も、誰かを助ける事も、きっと凄まじく広い視点においては実は同じ事で、それらは一つに繋がり循環する環を形成しているのかもしれない。
人は、誰かに助けられたら誰かを助けたくなる生き物だから。
情けなくてもみっともなくてもカッコ悪くても構わない。それでも助けて欲しいと声をあげる行いは、きっと誰かを助けるのと同じくらい勇気がいる行為だと思うから。
共闘ならいざ知らず、圧倒的な格上であるコルライ=アクレピオスに対する援軍を「自分は出来ないから」と押し付けるようにたった一人に頼むなど、普段の勇麻であれば泉が相手であろうと切り出せたか分からない。
それは泉や泉の実力に対する信頼うんぬんの話ではなく、自分以外が傷ついてしまう事へ対する勇麻の中の忌避感に原因がある。
だがそれでも、勇麻は泉を信じて助けを求めた。勇気を出して、頼りになる親友の背中に大切なものを託した。託すことが出来た。
――誰かに助けられた事を、忘れないでいよう。
――沢山の人に助けられた事実を、忘れないでいよう。
そうしたらいつか、目の前で誰かが困っている時に、手を差し伸べられるような人になれるハズだから。
世界中の人々がそんな在り方をする事が出来たのなら、かつて描いた絵空事すらもこの青空の元に叶うような、そんな気がするのだ。
人を助けるとは何か。人を救うとは何か。英雄とは、正義の味方とは、ヒーローとは何か。
東条勇麻が漠然と追いかけ続けた何か。
憧れ、目指し、自らの手で壊して幕を下ろしてしまったモノ――
――東条勇麻にとっての南雲龍也とは何だったのか。
その答えに近づくためのピースが、きっとその繋がりの環の中にある。
そんな気がした。
☆ ☆ ☆ ☆
走る。走る。走る。
目前まで迫った目的地に、再びデザインキメラが攻勢を盛り返し始める。
だがそれが何になるというのだろう。
最早その程度の障害は東条勇麻と海音寺流唯を止めるには至らない。
拳で砕き、水流が撫ぜる。
踏み込み音が鳴り響き、飛沫がざあざあと床に落ちる。
地を蹴りつけ一歩前へ、その勢いのまま拳を振るう。
拳を振り抜き生じた隙を突こうという浅はかな虫共を、華麗な回し蹴りが打ち砕く。
敵の毒針による刺突をバク転で回避した海音寺が、しゃがむ勇麻の肩に手を置き、そのまま肩を弾くように手で押し二段回目の跳躍。空中で身体を捻りプロペラのように回転させた両脚で、頭上の虫を一網打尽にする。
位置を入れ替え互いの背後をフォローし合って、走るペースを落とす事無くデザインキメラの群れを突破する。
二人の背中合わせの進撃は止まらない。
それはまさしく阿吽の呼吸。言葉すら必要としない瞬時の判断によって奏でられる爽快な即興連携に、彼らが今日はじめてまともに共闘したなどと一体誰が信じられるだろうか。
反撃の時間は続く。
快進撃は終わらない。
夢から目醒めるにはまだ少しばかり早いだろう。
絶望を跳ね返し押し返した後にこそ希望の追い風は吹くものだ。
東条勇麻は知っている。
絶望を前に嘆くのではなく立ち上がる人間がいる事を。そしてそれは逃亡者の集い旗や泉修斗だけではないという事を。
勇麻は彼らの身を心配はしても彼らの無事を疑う事はしない。
だって知っているのだ。
彼ら彼女らがどんな逆境にあっても決して光を見失わない、強い心を持っているという事を。
諦めずに戦う者達がきっといる。そう思うだけで、勇気が胸に湧きあがる。勇気の拳が最後の一踏ん張りだとばかりに咆哮をあげる。
前へ前へ。助けを求める少女の元へ。逸る心を解放するように、緩やかに湾曲する楕円形の通路を全速力で駆け続ける。
そうして、勇麻の予想を裏付けるかのように彼らの姿が視界に飛び込んできたのは、入場ゲートへ続く通路への分かれ道が見えたその時だった。
「来た来たやっと来ましたよぉー……。おーい、こっち、こっちです東条勇麻ぁー」
「シャルトルッ!」
通路脇の壁に背を預けるように寄りかかるのは、ブロンドヘアーに真紅のカチューシャが映える翠の瞳の少女。
その姿に勇麻の顔が綻ぶ。満身創痍で疲れ切ったソレではあるものの、シャルトルは笑みを浮かべて東条勇麻の到着を待っていてくれた。
「雑魚狩りはもう終わってます。あとはメインディッシュを美味しく頂くだけって感じですから、ちゃちゃっと終わらせちゃってくださいー」
「……ああ、ありがとう。すぐに終わらせて来るから……!」
すれ違い様、スッと横合いに差し出された少女の掌に息ピッタリに掌を重ね打ち合わせ、気持ちのいい音が広がる。
途端、不思議とふわりと身体が軽くなった。
あれだけ走り続けたのは嘘のように動きにキレが取り戻される。格段に地を蹴る力があがり、その身体はさっきまでよりずっと速く世界を駆けて行く。
勇麻はシャルトルに対する感謝の言葉を胸中で溢れさせながら、それでも今だけは先を急ぎ真っ直ぐ前だけを見据えた。
――『始祖四元素』という四人で一つの特殊な神の力を持つシャルトル達四姉妹は、互いの身体に掌で触れる事でそれぞれの属性に起因する追加効果を相手に与えるサポート能力を有している。
破壊の象徴たるスカーレの『火』ならば攻撃力の上昇。
流れの象徴たるセルリアの『水』ならば体力の回復。
固形物を司るセピアの『土』ならば防御力の上昇。
そして軽さを与えるシャルトルの『風』ならば、速度の上昇。
これはあくまで同一の能力を有する姉妹間だからこそ発生する現象であり、他者に対して能力上昇を発生させることはまずありえないハズだった。
しかし実際に勇麻の走る速度は上昇しており、始祖四元素による追加効果が作用している事は明らかだ。
何が起きたのか、それは分からない。
ただ、『神化』のプロセスを知れば理解できるように、全ての神の能力者がその身に宿す神性因子は特定の感情値の入力によって活性化する事が確認されている。
故に、あえてこの現象に仮説を一つ投じるとすれば、シャルトルという少女の想いが、始祖四元素本来のスペックを超越した干渉を引き起こした、とでも言う他ないのだろう。
彼女の血に宿りし神が、少女の感情の供物を贄に一つの小さな奇跡を起こしたのだ。
その現象を起こしたシャルトル本人は瞳を閉じてどこか満足げな表情で、壁に預けていた背ごとずり落ち床に座り込んでいた。
……その背を見送る必要すらない、なんてそんな事を言ってやれる女ってのが、ヒロイン力の高い女ってなモンですよぉー。
寝顔のように穏やかでどこか得意げな表情は、言外にそう語っていた。
それほどまでに、少女は少年の勝利を信じていたのだ。
☆ ☆ ☆ ☆
「……ったく。遅いぜ、東条の旦那」
ついに見えた差し込む光。
入場ゲートとフィールドを区切る境界線、その出入り口の両脇にその二人は門番の如く立っていた。
ニヤリと人を小馬鹿にしたような笑みに出迎えられ、勇麻の口の端が不思議と吊り上がっていくのを止められない。
「ええ、全くね。いつもの事ながら待ちくたびれてしまったわよ、ヒーローくん」
「馬鹿、野郎……こっち来てるならちゃんと会いに来いっつってんだよ、家出兄妹がッ!」
ガツンと一言文句を言ってやるつもりが、そう叫んだ勇麻の頬は完全に緩み切っていた。
金髪混じりの黒髪の少年九ノ瀬拳勝と、白髪交じりの黒髪の少女九ノ瀬和葉。
未知の楽園から姿をくらませ、オリンピアシスでの目撃情報があがっていた彼女らもまた、これまでの激しい戦闘を物語るようなボロボロの姿をしてそこに立っていた。
特に顕著なのは兄の拳勝の方で、今度はどんな無茶をやらかしたのか身体中デザインキメラの体液と血でドロドロにして右目を腫らし右肩を脱臼させて、和葉に逆の肩を支えられてどうにか立っているような状況だった。
拳勝は、今にも意識が落ちそうな乾いた笑みを浮かべて、
「……悪いな、旦那。ちっと疲れちまって、流石に今から一緒に戦えってのは、きつくてな。その代わり後で喧嘩してやるから、それで許してくれや……」
「兄さんはご覧の通り使い物にならないわ。そもそも『痛みの王』なんて使ったら天風楓を痛めつけるだけだしね。あ、私も勿論パスで。これでも非戦闘員なりに頑張ったから、後でご褒美要求するわね。楽しみにしてて頂戴、東条くん」
「お前らもそういう所ほんっと変わらないよな。喧嘩は論外として、ご褒美の方はまあ、……要相談って事で」
相変わらず好き勝手にものを言う兄妹に苦笑しながらも、勇麻はその変わらぬマイペースっぷりを嬉し懐かしくく思った。
しかし今は旧交を温めている場合でもない。つもる話は山ほどあれど、それは勝利を祝う席にこそ相応しいだろう。
それ以上言葉を交わすことなく勇麻が二人の横を通り過ぎようとしたその寸前、
「――頑張ってね、東条くん」
「ああ、任せとけ」
気紛れ猫のような少女が差し出した拳に拳を重ね、勇麻は最終決戦の地へ――今も独り涙を流し続ける少女の元へと踏み出していった。
☆ ☆ ☆ ☆
――戦況は芳しくない。
ユーリャ=シャモフは、目の前の光景からそう判断せざるを得なかった。
ブラッドフォードからの忠告に従い来るべき好機に備え徹底して手札の温存と時間稼ぎを行っていた彼女達だったが、それも限界が近い。
とはいえ、はた目には彼女が危ぶむような限界などどこにも感じられない。天風楓とユーリャたちとの攻防は、ここに来てさらにその激しさを増しつつも拮抗しているように見える。
――実際、拮抗してはいるのだ。というか、拮抗して貰わなければ困る。
なにせこちらは干渉レベルAクラスの中でも屈指の実力者四人が束になって戦っているのだ。攻勢に出るとなると話は別だが、守りに徹すれば、例え神の子供達が相手であろうとも、拮抗状態を生み出すのはそう難しい事ではないハズなのだ。
風の圧縮弾の弾幕や真空刃には後方から幹を伸ばすユーリャが広域に枝葉を伸ばす事で防壁を成して対応し、竜巻の翼から繰り出される一撃に関してはロジャー=ロイの『震え恐怖』を用いた『相殺』と北御門時宗の受け身専用の型『抜かずの太刀の型』によってどうにか対処する。
回避も迎撃も間に合わない致命的な一撃に対してのみ、ユーリャが彼らの頭上に伸ばした幹から垂れる蔦を操り絡めとっての緊急回避で仕切り直し、どうにか天風楓の怒涛の攻撃を凌いでいる。
凌いではいるのだが……このままジワジワと削ら続ければそう遠くないうちに反撃に出る為に必要な余力すらなくなってしまうことは明白だった。
ユーリャの想定していた拮抗状態よりも、天秤は天風楓側に傾いている。
「ジリ貧、ですね……」
彼女の計算を揺るがす原因の一つに、天風楓の一撃が持つ過剰なまでの破壊力があげられる。
神の子供達と化した天風楓は現在『神化』直後の暴走状態にあり、干渉力の出力が上昇している状態だ。
簡単に言うと、一撃の威力だけならば平時の神の子供達より数段強力になっている。一時的なパワーアップ状態と言い換えてもいい。
本来ならばそろそろ暴走状態が収まってもいい頃合いのはずなのだが、洗脳という特殊な状態にある為か天風楓には一向にその兆しが見えない。
ただ、暴走させている以上は力の制御に乱れが生じる為、そこが付け入る隙にもなっていた。特に彼女の場合は洗脳状態にある為、まともな状況判断が出来ていないのも大きい。
本能だけで戦っているような状態だからこそどれだけ威力が上昇していても何とか凌ぎ切れているが、これで彼女にまともな思考能力が残っていたらと考えるとゾッとする。
一向に収まる気配のない荒れ狂った干渉力に、一秒ごとに神経を削られる。
一手のミス、ゼロコンマ一秒の遅れ、僅かな誤差と偶然。それらちょっとした要因が命取りになる過酷な戦場で、ユーリャはそれでも最善手を打ち続けている自信がある。
だがそれは今までの話。これから先に何がどう転ぶかなど神でもないユーリャには分からない。
〝いつその時が来るのか〟。終わりが見えないマラソンは、無限の責め苦そのものとなってユーリャを消耗させていく。
「――なっ、ここへきて戦闘パターンが変わった……!?」
天風楓が無数の風の弾丸を展開し後方のユーリャ目掛けて凄まじい連射を開始したのは、先の見えない戦闘に彼女の精神が安定を欠き始めたまさにそのタイミングだった。
天風楓の周囲に一瞬で形成された無数の風の圧縮弾。その数、七五六〇発。
圧縮弾が展開されたのを見た瞬間、ユーリャは舌打ちをしながら種子を地面に射出し、干渉力を一気に注ぎ込む。
新たに足元に生じさせた二本の幹を急速成長させ軸にして、枝や蔦や蔓とを絡ませ編み込んだ即興の盾を形成すると風の圧縮弾が生じた盾に直撃するのとは同時だった。
かつて少女が自身の兄と対峙した際に見せた辺り一面の空間全てを埋め尽くす不可視の風刃が億に届く数だった事を考えると、今の彼女にとってはこれでもなお小手調べの域を出ないレベルだと言える。
憎悪すべき敵を前にしての出し惜しみ――ではないのだろう。
……嬲り殺し。徹底的に痛めつけたっぷりと苦痛を味あわせてから殺す。まともな意識があるのかすら怪しい彼女のそんなメッセージが籠められているような気さえする。
最も、現在進行形で命に危機に直面しているユーリャからしてみればそんなことは些細な問題に違いない。それが手加減だろうが何だろうが、現実としてユーリャはその攻撃によって命の危機に晒されているのだから。
樹木の盾をガリガリと削る弾幕の圧力に、精神まで削られていくようだった。
本来影も形も見えないはずの風を高密度の干渉力で紡錘形の小空間内に圧縮し押しとどめ、内部で高速回転させているそれは、直撃すれば容易に人間の手足を捥ぎ鋼鉄に穴を開けるだけの炸裂力を秘めている。
いかに干渉力を流し込み硬度を高めてあろうと彼女の操る樹木は植物の範疇を出ない。風の圧縮弾の連撃に何重にも蔦や蔓を編み込んだ盾が悲鳴をあげ自身の守りがどんどん剥がされていく悍ましい感覚に思わず身震いする。
慌てて追加で新たな枝や蔦を生みだし絡ませるも風の弾幕は厚みを増し、盾の再生速度を超えて枝や蔓が削り取られていく。
ユーリャの危機を察知したブラッドフォードやロジャー=ロイが風の弾幕攻撃を中断させようと楓本体へ攻撃を仕掛けようとするも、二人は竜巻の翼による襲撃を受けて自由に動く事ができない。北御門も同様の状況だった。
唐突に切り替わったレール。
目前に迫る死の恐怖。
流れが変わり牙を剥く戦場に、なんで自分がこんな目に、という怒りとも後悔とも諦観とも言えない黒い感情がユーリャの胸中を満たしていく。
絶望的な状況に涙目になりつつも、それを流す事だけはしまいと必死に耐え忍ぶユーリャ=シャモフ。
女王艦隊の旗艦を務めているとはいえ、彼女はまだ若い。そして女王によるクーデター後の比較的平和な時代に艦隊に加わったユーリャはその強大な力故に常に死が隣り合わせにあるような圧倒的劣勢な戦場の経験が不足していた。
だからこそ膨れ上がってしまった彼女のその黒い感情の矛先は、いつまで耐えても現れない希望とやらに、そしてそれを運んできてくれるという一人の少年に対して向けられた。
「まだですか……。まだなのですかッ、東条勇麻は……ッ!!」
恐怖を押し殺すように歯を喰いしばり、現実から目を逸らすようにぎゅっと目を閉じたユーリャが叫んだその直後。
――唐突に、盾を貫かんとする風の弾丸の連射がピタリと止んだ。
「……?」
一体何が起きたのか。
瞳を開けた瞬間再び攻撃が再開するのではないかという謎の疑念に駆られ、何も出来ずに固まっていたユーリャだったが、数秒たっても何も起きない状況に恐る恐る薄目を開け、樹木の盾の隙間から前方を窺おうとする。
ユーリャ=シャモフの視線の先、天使か悪魔のようにその華奢な背中から三対六枚の翼を生やす少女の瞳は、標的であるハズのユーリャやロジャー=ロイを見ていなかった。
「……ぁ」
光りを失い絶望に暮れる瞳は、ただ一点。
新たに舞台上に上がってきた一人の少年を、穴が開く程に見つめていた。
「――悪い、楓。遅くなっちまった」




