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神ナリシ模倣者ト神門審判  作者: 高木カズマ
第六章 急 ???????
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第七十六話 ラストスパート・ザ・ヒーローⅠ――細く拙いその糸は:count 1

 空に浮遊する大都市オリンピアシス落下。その突然の緊急事態により生じた大きな混乱は、AEGスタジアムの観客席で肩を寄せ合う大勢の人々にも多大な影響を与えた。

 多くの神の能力者(ゴッドスキラー)たちがデザインキメラと戦う客席で発生した混乱は、そのまま戦闘の結果に直結する。

 何の脈絡もなく発生するそういった思わぬ不運により足元を掬われ命を落とす者は多く、自分たちの立っている大地が地上へと落下する、などという特大のトラブルに見舞われたした彼らの被害は決して少なくない。


 現在はどうにか態勢を立て直し、戦う彼らは混乱から立ち直ってこそいたが、先ほどの混乱の中で集団がパニックを起こし恐慌状態に陥った人々がてんでバラバラの方向へと好き勝手に逃げ出して知人や親子とはぐれてしまったり、着地の衝撃で客席の一部が倒壊し、瓦礫の下に生き埋めになってしまう人が出るなど、混乱による被害とその影響はまだまだ色濃く残っていた。


 そんな中、泣きべそを掻いている男の子を背後に庇う彼女――戌亥紗もまた、そうした不運に巻き込まれた一人であった。


「大丈夫、君のことはお姉さんがちゃーんと守ってあげるから! だから、ね? もう泣いちゃだめだ」

「うああぁ……えぐっ、ひっく……おどっ、さん。おがあ、ざん……ひぐっ、へんなっ、こわい人、いやあぁああぁ……っ」


 落下の恐怖によって発生したパニックに巻き込まれているうちにチームメイトの浦荻と和家梨とはぐれて孤立してしまった戌亥は、同じように騒動の中で両親とはぐれてしまったらしい五歳ほどの男の子を瓦積み重なる礫と瓦礫の間に生じた小洞窟のようなスペースで保護していた。


 瓦礫と瓦礫の間にいるものの、二人は生き埋めになっている訳ではない。

 集団からはぐれた際に孤立している子供の匂いを偶然感じ取った戌亥が、この小さな空洞に隠れている男の子を発見したのだ。

 いつ崩れるか分からないという危険は勿論あるが、眼前にはきちんと出入り口が口を開いていて外との繋がりを保っていた。


「ほらほら、元気だして! お父さんもお母さんもきっと無事だよ。けど、君が泣いてたら二人はきっと心配しちゃうからさ。ほーら、男の子だろ~ほんとはとーっても強いってお姉さんちゃんと知ってるんだぞ~」

「ぐずっ、うぅ……ひっ、すん……うん、分かった」

「よーし! ほーらやっぱり強かった。うんうん、お姉さんの見込みどーりだ! 偉いぞ~少年くんっ!」


 戌亥は持ち前の天真爛漫な明るさで男の子の不安を吹き飛ばすと、涙をひっこめた男の子の頭をわしゃわしゃと撫で回しながら周囲の匂いを嗅ぎ分けようとスンスンと鼻を鳴らす。


(……さっきのごたごたで皆とはぐれちゃったかー。この子を見つけられたのは良かったけど、早く戻らないとヤバそう。ここは何だかあからさまに危険な匂いがするし……)

 

 戌亥紗の『嗅覚超過オーバーセンス』は万物に対して鼻が利くという干渉レベルCプラスの身体強化系フィジカに分類される神の力(ゴッドスキル)だ。 

 万物とは文字通りの万物を指し、彼女は全ての事象に置いて鼻が利く。それは不運や不吉の匂いを察知したり、敵意や好意などの感情、干渉力の強度、さらには相手の攻撃を繰り出すタイミングまでをも嗅ぎ分けたりと、五感の拡張というよりは第六感じみたものにまで発展している力だった。

 勿論、単純な嗅覚という点においても軍用犬と同等のレベルで匂いを嗅ぎ分ける事が可能だ。


 そんな優れた嗅覚を持つ彼女ならば、例え数キロ離れた場所にいようとも匂いの痕跡を辿り仲間との合流を果たす事は可能だったハズだ。


 しかし今回に限っては、彼女の嗅覚を阻害する障害があまりに多かった。


 まず、スタジアム中に立ち込める濃密な血と糞尿が入り混じった鼻孔を鋭く突く死臭。

 そしてデザインキメラがあたりかまわず吐き散らかす溶解液から漂う酸性の刺激臭。

 腐乱臭も死臭も刺激臭も、本来なら鼻を潰すことなく嗅ぎ分ける事が可能な戌亥だったが、問題はその量だ。

 ここには死臭と刺激臭を発する物体が多すぎる。

 雨で匂いを洗い流す行為とはまったくの真逆、上からどんどんとペンキを塗りたくり原型を分からなくしていように、空気にぎっとりとこびり付いたそれらの悪臭が、戌亥の純粋な嗅覚を半ば麻痺させていたのだ。


 だから現在の彼女の行動の指針は、感覚的に危険を嗅ぎ分ける第六感じみた嗅覚だけ。

 現在、安全な場所などないのではないかと思うくらいに全方位から危険な匂いが漂ってくる中、戌亥と男の子がいるこの場所からは抜群に嫌な匂いがしていた。

 だから一刻も早くここから移動すべく、泣きじゃくって動こうとしない男の子を流れるような手際で泣き止ませた彼女の判断と行動の速さは、この極限状態において褒められるべきものだっただろう。

 

 ただ――

 





 ――■■■■■■■■■を■■■。



☆ ☆ ☆ ☆



 クリアスティーナたち神の子供達(ゴッドチルドレン)の投入によって戦況は大きく神の能力者(ゴッドスキラー)側へと傾いた。

 

 『悪魔の一撃フォルティナ・ディアブロ』ことディアベラス=ウルタードの獅子奮迅の活躍により都市をあれだけ席巻していたデザインキメラはその九割が既に撃破されている。

 『天空浮遊都市オリンピアシス』が唐突に浮力を失い墜落を始めた時は流石にひやりとしたが、それも何者かの活躍によって被害は最小限の怪我人が発生するに留まった。

 しかもオリンピアシスをオリンポス山へと無事着地させたのはどうも東条勇麻たちによるものらしい。


『……へぇ、そいつぁいいじゃねぇかぁ。勇麻の野郎ぉ、未知の楽園(アンノウンエデン)をぶっ壊したかと思えば次は空飛ぶ街を落したときやがったぁ。どんどんやる事が派手になってやがらぁ。テメェの女の事になると脇目も振らねぇのは相変わらずだが……ところであらぁ、前の子とはまた別口じゃねぇかぁ。まさか愛人かぁ? やるなぁあいつ』

『アタシの話聞いてたカ? おかしなことで関心してる場合じゃないネ。別にアタシから伝えてもいいけどサ、ディア君の方が早いダロ? ……ところで話は変わるけどサ、愛人なんて作って妹泣かせたらディア君の斬り落とすからナ?』

『ハッ、冗談きついぜ姉様よぉ。俺ぁアスティ一筋だぜ? アンタらにゃあ悪いが頼まれたって抱いちゃやれねぇってのぉ』

『このセクハラ魔メ。姉ちゃんはディア君をそんな子に育てた覚えはないネ。……いいからさっさと伝えるヨロシ』


 『他人語り(プレイバック・アザー)』をもって仲間達の状況をリアルタイムで(生生が覗けるのはその人物の歴史――すなわち過去のみなので正確にはゼロコンマ一秒ほどのラグがある)把握し、後方から全体へ適宜指示と情報を伝達する生生からの連絡にディアベラスは喜色を滲ませ鼻を鳴らした。



『――つー訳だぁ。背中を預けるに足る野郎共ぉもしくは淑女の皆様方ぁ!



 この音声は今、俺の偏見と独断で信頼のおけると判断した馬鹿野郎だけに届いてる。既に聞いてるヤツもいるだろうがぁ、事態の収束の為に東条勇麻が動いてる。



 未知の楽園(アンノウンエデン)及び逃亡者の集い旗(エスケイプ・フラッグ)……あー、もしくはそれに準ずる戦友、お知り合い、茶飲み仲間のアホどもは、可能な限りヤツを援護しろ。



 いいか、これは命令じゃねえ。言った通り援護は可能な限り、最優先はテメェの命だぁ。それでも……それでもなお、あの馬鹿野郎の為に身体を張っても構わねえってヤツがいるなら、どうかあいつにお前らの力を貸してやってほしい。



 かつてあの男が、未知の楽園(アンノウンエデン)を、独りぼっちで膝を抱え込む〝彼女〟を変えたように。

 今度は俺達にだって、何か変えられるモンがあるハズだ。

 



 ……女の元へ男が向かおうってんだぁ、尻狙いの不埒な輩を近づけさせんじゃねぇ、一匹残らず蹴散らしちまえ……ッ!!』



☆ ☆ ☆ ☆



 一体何段階段を駆け上がっただろう。

 神の能力者(ゴッドスキラー)の身体能力に身を任せ、ただひたすらに上を目指して段差を蹴りつける作業をデザインキメラの排除と平行してひたすらに続けた。

 スタジアム一階まで直線距離で残り五〇〇メートル。階層にして残り一〇〇階分といったところか。


 一五〇〇メートルを一〇分足らずで登りきったというのは、それこそ驚異的なスピードだっただろう。

 気の遠くなるような終わらない上り階段、毒々しい紫の体液を頭から何度も被り肉片を浴びながら数えきれない数の群れを突破した海音寺流唯と東条勇麻の二人は、膝に手を突き荒い息を吐きながら次の階へとあがる階段を一段ずつあがっていた。

 

「ちく、しょう……分かってはいたけど……」

「……二キロを昇るとなると、流石に、長い……な……」


 地下の構造は複雑で、テロリスト対策なのか上へと続く階段が階層ごとにバラバラの場所に配置されている。この階段の探索も勇麻と海音寺の体力を奪う要因の一つだった。

 いかに勇気の拳(ブレイヴハンド)が精神状態に呼応して身体能力を増減させる神の力(ゴッドスキル)であろうとも、上昇した身体能力に合わせて体力が無限に上昇する訳ではない。

 ある程度のごまかしは利いても、度重なる連戦とひたすらに階段を駆けあがり続けたことによる消耗は、東条勇麻は勿論のこと海音寺流唯も大きかった。

 なにせ墜落するオリンピアシスを血塗れになりながらも無事着陸させた立役者だ。当然、消費したのは干渉力だけではない。

 

 それでも、最後の一段をしっかりと登り切って――残り、九十九階。

 そうして階段を登りきり開けた視界の先、体力的に限界の近い勇麻たちの心を折らんとする光景が九十九階層の通路に広がっていた。


「――このタイミングで……増えるのかよッ!」


 オリンピアシスは逆円錐形をしている。当然、下へ行けば行くほど通路は細く狭くなり、上に行けば行くほど通路は大きく広くなる。

 最下層付近ではヒト二人が並んで立つのがやっとだった通路の幅が、今や一〇人で並び立てそうなだけのスペースがあった。


 そして、一つ上の階層に上がった勇麻たちの視界に飛び込んできたのは、広くなったスペースを埋め尽くす膨大な数のデザインキメラ郡だった。

 石舞台リング上や観客席に勝るとも劣らない密度の弾幕と呼んで差支えない大群に、勇麻は唇を噛み締めて怒りと共に毒を吐く。


「……そう簡単には突破させてくれないか。中々に手ごわいね、現実ってヤツは」


 常に冷静さと余裕を失わない海音寺ですらも爽やかな笑みを強張らせ、そう零すのが精一杯だった。

 ギラリと、間抜けにも群れの渦中に飛び込んできた二匹の獲物に舌なめずりでもするかのように羽を擦り合わせる不快な音が響く。デザインキメラ複眼がギロリと一斉に光り輝いて、直後。

 圧倒的な物量による蹂躙が、再び勇麻たちに牙を剥く。


 狙いを定めるのも儘ならないような密度の突進。もはや蹂躙と呼んで差し支えない攻勢に、しかし勇麻は咆哮を上げて抵抗の意志を示した。


「――だァッ!!」


 戦況は相も変わらず絶望的。

 だがそれでも――いいやだからこそ、馬鹿正直に絶望なんてしていられない。

 それこそ連中の思うつぼだ。目の前に広がる光景が最悪のものであるからこそ、折れてしまえばその絶望は現実に死という終わりを運んでくる。


 それに、まだ五体は動く。

 心は燃え上がっている。

 拳は固く巌の如く。足は疲労を溜めつつも走る事を諦めようとはしていない。

 隣には肩を並べる頼もしい先輩(相棒)がいて、手の中には匣の記憶(キボウ)があるのだ。この状況で眼前に広がるそれを絶望などとどうして断じる事ができるだろう。

 暗闇の中、進む方向さえも見失ってしまうような手の打ちようのない絶望を。心臓の脈動が途切れる終焉のその一歩手前を、東条勇麻は知っている。


 ならばこの程度は跳ね除けてみせろ。

 今、真の絶望の沼底に沈んでいるのは勇麻たちではない。最も深い位置でその心を絶望に囚われているのは、優しすぎる勇麻の幼馴染、天風楓に他ならない。

 彼女の苦しみを思えば、この程度の逆境は苦でも無いハズだ。

 思い出せ、幼馴染の少女がクライム=ロットハートによって無残に惨殺されたと信じ込まされたあの瞬間の絶望を。

 あの時、胸の内で燃え上がるクライム=ロットハートに対する憎悪と殺意ばかりを増幅させられた中で、確かに心を支配していた虚無感を。大切なヒト一人守れない無力な自分を攻め続けた罪悪感を。

 心にぽっかりと空いた穴の中を熱した鉄の棒と凍てつく荊でぐちゃぐちゃに掻き混ぜられ、生じた生傷から毒を流し込まれたようなあの終わることなき地獄のような苦しみを。

 あの絶望の責め苦を天風楓が受け続ける事を、「助けて」と叫ぶ事すら許されず独りぼっちで涙を流し続ける少女の最悪の末路を、東条勇麻は許容できるのか――


 ――断じて否である。


 そう心を奮い立たせ、右の拳を壊れる程に握り締め、怒気も露わに床を蹴る。


 轟と風を切る右ストレート、手ごたえを感じ取る同時にすぐさま引き戻し背後へと鋭いひじ打ち。上へかち上げ、左の拳を薙いで前面を一掃。突っ込んで来た複数の敵をオーバーヘッドキックで蹴り殺し、そのままの勢いでバク宙による離脱を図る。

 跳躍する勇麻の下を低姿勢で潜り抜けた海音寺と入れ替わり、背後の死角へと回っていたデザインキメラを空中で右足を鞭のように振るって撃破する。

 速度を活かした腰の入った海音寺の掌底が、単純な打撃技としての衝撃と水飛沫を弾丸として撒き散らし、広範囲の敵を一掃。

 勇麻の着地と同時にそのまま背中合わせに移行した二人は、敵の襲撃に合せ回るように場所を入れ替えながら応戦してく。


 圧倒的数の利を覆し善戦へと持ち込んだかに思えた戦況はしかし――


「どけ、どけ……どけよォ! 邪魔を、するんじゃねえ! 待ってるやつがいるんだよ。独りぼっちで苦しんでるヤツがッ! 楓は、優しすぎるあいつは、素直に誰かに『助けて』も言えねえような馬鹿だから、俺が行ってあげなきゃならないんだッ! だから、そこをどけえええええええええええッ!!」

 

 一向に前に進まない。

 戦果はある。確実に敵を撃破している自負がある。

 しかし前に進めない。

 地を蹴っていた足が止まる。狭い通路による数の利の半減という枷から解き放たれた群れは勇麻たちを一瞬で取り囲み、三六〇度全方位から執拗に容赦なく毒針や溶解液を浴びせていく。

 ここまでのスムーズな進撃を嘲笑うような苛烈な足止めを受け、此処へ来て勇麻の中で焦りが加速する。

 海音寺流唯という隣に並び立つ支えがあってどうにか安定していた少年の精神状態が、再び歪で不安定なものへと状態を悪化させていく。

 そしてそれは、勇気の拳(ブレイヴハンド)という力をその身に宿す少年にとって致命的な弱点となる負の感情の悪循環を誘発させる要因となる。


 溶解液を海音寺の操る水流で相殺し、毒針を閃かせんとする個体から勇麻の拳が撃ち落としていくも、離れた位置から仲間を巻き添えに敢行された砲弾の如き超速突進を見過ごしたのは痛手だった。


 焦りで白熱する視界、逸る気持ちに引き摺られるように起きた僅かな突出は、状況の悪化によって海音寺の的確なフォローがギリギリ間に合わない位置に勇麻が出てしまった事を意味していた。


 それはつまり、東条勇麻と海音寺流唯の完璧に思えたコンビネーションに生じたほんの僅かな綻びであり、戦場における致命傷だった。


 そんな驕りともいうべき一瞬の隙を、運命は見逃さない。


「ぐぉ、がはぁッ!?」

「――東条君ッ!?」 


 砲弾と化したデザインキメラの自滅覚悟の一撃を腹に喰らい、肺から空気が全て吐き出される。

 

 肋骨が数本イカれた、身に覚えのある痛みの感触だ。腹の中で内臓が狂ったように暴れ回る錯覚を覚え、すぐさま喉元にせり上がって来た違和感に口から赤い血を吐き出す。倒れる事こそ免れたもののデザインキメラ決死の一撃による痛みと衝撃に堪え切れず、思わずその場で膝を突いてしまう。

 ……立ち上がれないッ!


「東条君しっかりしろ!? 楓ちゃんを助けたいならここが踏ん張りどころだぞ! ……くそッ、これじゃあ前と同じだ。こっちが一匹倒すよりも、敵の増援が圧倒的に速い……っ!」


 行動不能に陥った勇麻を庇うように海音寺が孤軍奮闘する。

 勇麻が崩れ落ちた事で、かろうじて均衡を保っていた天秤が大きく傾き始める。それは、ひとたび崩れればもう取り戻す事は敵わない、崖下へと傾く致死の天秤だ。 

 満身創痍の海音寺にも既に纏まった水流を操るだけの余力はなく、尽きかけている干渉力を捻り出してどうにか両手両足に水を纏わせ戦っている。

 そんな状態の海音寺が一人奮戦した所で、崩れた戦線を立て直せる訳もない。加速度的に激しくなる怒涛の如きデザインキメラの攻勢に、じわじわと嬲り殺しにされていく。

 ――ここまで勇麻が膝をついてから僅か三秒。


 激痛を堪え勇麻がどうにか立ち上がり復帰した時には、既に息苦しささえ覚える程の圧迫感が眼前に広がっていた。 



 デザインキメラという肉の壁で、既に一メートル先が見通せない。


「嘘だ」


 ……嘘だとそう言って欲しかった。



 たった数秒の戦線離脱、その数秒が齎した絶望的なまでに戦況の悪化に、思わず拳を握る事すら忘れて唖然とすることしかできない。


「――、俺の……せい、だ。俺がもっとちゃんとしていれば……ッ!」

「立ち上がったなら呆けるな東条勇麻! まだ何も終わっていない、そうだろう!? それとも僕より先に君が諦めるのか!?」


 すぐさま自罰へと走る勇麻の揺れる心に叱咤が飛び、ハッと我に返る。反射的に海音寺に襲いかかろうとしていた数匹を拳で砕き、勇麻は不甲斐ない自分と楓を救う事を邪魔する理不尽への怒りを燃料に、もう一度右の拳を燃え上がらせ強く強く握り締める。


 握りしめる事が、出来た。


「――くっ、分かってるッ。この失態は、自分で取り戻す。ああ、終わって、たまるかよ……俺は楓を、今度こそあの子を助けるんだッ……!」

 

 ならば心は死んでいない。

 死んでいないならば、東条勇麻はまだ戦える。

 ……まずは崩れた天秤を立て直す。

 勇気の拳(ブレイヴハンド)によって引き出せる身体強化の限界値で、肉体が崩壊することも厭わず戦えばあるいは――



 勇麻が自滅覚悟でこの場を切り抜ける算段を立てはじめたその時だった。



「ッ!?」

「なんだ、これは……ッ!?」


 勇麻と海音寺が、ほぼ同時に頭上を仰ぎ見て、驚愕にその双眸を見開く。

 二人の驚愕の原因は、頭上から。微細な揺れがだんだんと大きく近づいているのを感じ取ったその数瞬後――


 ――轟ッ! と耳朶を劈く轟音が響き渡り、足元を大きく揺らした。


 その音は建造物の倒壊音とそう例えるのがきっと正しいだろう。

 何故なら轟音と共に勇麻たちの数メートル前方の天井が崩落し、降り注いだパイプや鉄骨、大小様々なコンクリート片の雨あられが群れの半数以上のデザインキメラを巻き込み下敷きにしたからだ。


 そして降り注いできたのは何も瓦礫だけではなかった。

 耳を揺する轟音に負けず劣らず響き渡ったのは、戦国武将のような豪快な笑い声と、どこか情けなさの目立つ男の悲鳴。


 降り積もり山のように盛り上がった瓦礫の上に、新たに二つの人影が立っていた。


「ガハハ!! 昨日の敵は今日の友! 絶体絶命の危機に駆けつけるかつての敵ッ! という訳で、ドルマルド=レジスチーナムただいま参上した!! ……うむ。我ながら実に熱い! 胸が熱く滾るなァ! チェンバロ殿!」

「げほっ、ごほっ、いだっ!? おい、可愛い女の子でもない奴がその馬鹿力で背中を叩くな僕に触れるなっ!」

「おっと、すまないチェンバロ殿。力加減は何分苦手なものでな。アブリルのヤツにも毎回注意されておるんだがなかなか治らん!」

「げほっ、ごほっ、……僕はルネサンス音楽で親しまれた鍵盤楽器じゃないっ。僕の名前はチェンバーノだ! チェンバーノ=ノーブリッジ!!」

「ガハハ! おっと、またまたすまないケンバーン=フォースリッチ殿」

「だああああれが鍵盤だ!! 言ったそばから混ざってるし! それもうワザとやってるだろ君!! あと僕のファミリーネームを勝手に変えるな、ちょっとカッコいいとか思っちゃっただろうが!」


 トサカのような髪型をした筋骨隆々の巨漢、ドルマルド=レジスチーナム。

 浅黒い褐色の肌に、やや癖のある髪の毛を短く刈り上げた精悍な顔つき、喋らなければそれなりにイケメンだとは思わなくもない勇麻的にかなり残念な男チェンバーノ=ノーブリッジ。


 共に未知の楽園(アンノウンエデン)所属の対抗戦代表選手だ。スタジアムでデザインキメラと戦っているハズの彼らが、どうしてここに……。


 側頭部を鉄パイプで殴られたような衝撃に呆けきった勇麻がそんな疑問を口に出す間もなく、ドルマルドが気持ちのいい剛毅な笑みを浮かべて疑問に対する答えを告げる。


「ガハハ! 何を呆けるか東条勇麻殿、俺にとってお前は愛する仲間を救った大恩人。対抗戦では互いに凌ぎを削り合った仲なれど、大恩人とその仲間の危機とあれば駆けつけ助太刀するは当然よ! ああ、それから。お前の弟もなかなかに面白い男だった、また手合せしたいと伝えといてくれ!」

「僕としては女の子でもない君らを助けるつもりなんてこれっぽっちも、それこそ砂粒の欠片さえもなかったんだけどね。まあ、リコリスがどうしてもって僕を頼るから仕方なく助けに来てあげたって訳さ。それに、君を助けることが石舞台リング上で今も苦しんでいる彼女――マイラブリーエンジェル☆アマカゼカエデルたそを救う事に繋がるのなら! ああ、僕は捨石になる事すらも甘んじて受け入れようじゃあないか!! ……ふっ、我ながらイケメン過ぎるな、僕。まあつまり、このイケメンな僕の寛大な心と、いつだって可愛い愛しの女の子たちにせいぜい感謝するんだな東条勇麻とイケメンっぽいそこの男ォ!」


 裏表を感じさせない豪快で実直な物言いに、


 相も変わらずな自分大好きで女の子大好きな自信に満ちた言動に、


 常にギリギリの綱渡りのような危うい精神状況にあった少年の胸に、温かな気持ちが穏やかな炎となって灯り溢れかえる。


「あぁ……ああッ! 勇火への伝言、確かに預かった……! ありがとう、ドルマルドさん!」 

「僕からも是非お礼を言わせてほしい。本当に助かったよ、ありがとう。貴方たち二人がいなければ、僕らはここで倒れていたかもしれない」


 何度も頷きながら気持ちのいい大巨漢に礼を述べ、海音寺もその横で礼儀正しく腰を折る。その様子をやや不満げに見ていたチェンバーノがついに我慢ならなくなったのか、びしっと勇麻を指さして。


「おい、東条勇麻! 男なんかの為にこの僕がわざわざ動いてやったんだぞ! ちょっとは感謝を表明したら――」

「アンタも相変わらずみたいだけど、なんていうか、その……ありがとうな。俺さ、うまく言える気がしないけど、この状況が信じられないっていうか、夢なんじゃないかってくらいに、嬉しいんだ。ああ、アンタの顔見てこんなに喜ばなきゃならない日が来るなんて……本当に……」

「ああー、やっぱり今のなしだなしッ! お前からの感謝の言葉とか正直どーでもいい! そもそも誰得なんだよこれ!? 可愛い女の子の涙は見たくないが、男の涙なんてもっと見たくないッ! さっさとここを片づけて男と虫しかいない最悪の地獄から脱出するぞ!」


 礼を述べない事への不満げな態度から一転、感極まった様子の勇麻を鬱陶しげに手で払って喚き散らすチェンバーノ。

 そんな彼の様子に勇麻と海音寺は顔を見合わせ、思わず笑みを零す。

 それは、つい十数秒前の状況からは考えられない、温かで希望に満ちた笑みだった。



 態勢を立て直すべく戦闘に加わりながら、この階層から早急に離脱するとチェンバーノは宣言した。

 方法は単純、チェンバーノの『点と点を繋ぐ者(トランスファー)』を利用するというものだった。


 チェンバーノは『点と点を繋ぐ者(トランスファー)』により自身の持つ運動エネルギーを指先一点へと『引き寄せ』集中させる事で一点集中の凶悪な破壊力を産みだし攻撃に用いているが、元々は『ある物体を一点に引き寄せる』という性質に特化したアポート系の神の力(ゴッドスキル)だ。

 チェンバーノのそれは『アポート』としてはかなり強力で、物体を引き寄せる『ポイント』は自身の周囲数メートルまでに限られるが、引き寄せられる物体の距離に特に制限はない。

 ただ、純粋に『アポート』として利用する為には引き寄せる物体を明確にイメージする必要があり、今回の条件においては勇麻たちを目視できる事が最低条件だった。


 つまり、詳細なイメージと目視さえできればどれだけ遠くにある物体であろうと手元に引き寄せる事が可能なのである。


 その条件をクリアする為に『蒸気機関者ザ・スチーマー』を有するドルマルドの強力な蒸気噴射をエンジンとして強化された『点と点を繋ぐ者(トランスファー)』の一撃で百層近くの床をぶち抜きながら落下してここまで来たという事らしい。


 天井の落下もあり、完全に混乱状態に陥っているデザインキメラの群れをこの四人で押し返すのは、そう難しいことではなかった。

 ある程度状況が落ち着いた所で、ドルマルドとチェンバーノが顔を見合わせ頷き合う。

 ドルマルドは高揚に心を滾らせて、チェンバーノは心の底から嫌そうに。

 二メートル迫る巨躯を誇るチェンバーノの二本の剛腕が、長身ではあるが細身のチェンバーノの腰をがっしりと掴む。

 そのまま軽々とその痩躯を持ち上げ肘のあたりの噴射腔から蒸気をうっすらと漏らしつつ、チェンバーノを頭上に水平に掲げたドルマルドは、そのままチェンバーノを抱えた両腕を上半身ごと弓なりに大きく反らして――


「ガハハ!! 俺の剛腕で天まで吹き飛ぶがいい!! 行っくぞぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」」


 ――ボッ!!! 視界を真っ白に染めあげる莫大な蒸気の噴射と共に、チェンバーノ=ノーブリッジ―を天井に空いた穴から遥か上空目掛けて放り投げた。



「やっぱり納得できないいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいイィィィィぃぃぃぃぃぃぃぃぃ……――」

 

 ドップラー効果と共に遠ざかって行くチェンバーノの声。そのシュールな構えからは想像もできない剛速球となって、自称イケメンの姿があっという間に小さくなっていく。

 彼がドルマルド渾身の大投擲の最高到達点に届くのと、蒸気の幕が晴れるのはほぼ同時だった。


 瞬間、勇麻、海音寺、ドルマルドと立て続けにその姿が九十九層より掻き消える。

 チェンバーノ=ノーブリッジの『点と点を繋ぐ者(トランスファー)』が、三人の身体を『引き寄せた(アポート)』したのだ。





 ――地下三〇〇メートル。残り、六〇階。

 ドルマルドによる大投擲で宙を舞うチェンバーノの手元に引き寄せられれば、当然勇麻たちも中空に投げ出されることになる。

 唐突に身体を襲う浮遊感。頼るべきものが何もない不安と、重力が身体を手招きする悍ましい感覚が今にも二人を襲う――ことはなかった。

 虚空に投げ出されたと思った直後、がっしりとしたものに身体を掴まれ支えられる安心感が、落下を待つだけだったハズの勇麻と海音寺との身体を強引にけれどしっかりと繋ぎ止めたからだ。

 勇麻と海音寺の身体を支えていたのは、ヒト二人が余裕で収まるサイズの巨大な異形の掌だった。

 遠くから見れば少年型の人形二つがユーフォーキャッチゃーのアームに鷲掴みにされているような光景に見えただろう。


 どこか見覚えのある異常発達した右腕に驚き勇麻が顔をあげて背後を見やると、

 

「アンタは確か、リコリスの……」

「あ、あんまりこっち見るんじゃねえっス……」

 

 そこには勇麻を毛嫌いしていたリコリスそっくりに髪を白く染めた彼女の妹分、『発達超腕ワンサイドハンド』のリヒリー=リーが心底居心地悪そうに気恥ずかし気な表情でそっぽを向いていた。

 よくよく見れば、リヒリーの身体も浮遊するようにぽつんと中空に漂っている。

 だが彼女の神の力(ゴッドスキル)に空を飛ぶような力はない。おそらくこれは〝不可視の腕〟がリヒリーの身体を上から吊り上げているのだろう。

 リヒリーと鷲掴みにされた勇麻たちの高度は少しずつ上昇しており、釣り竿のレールを巻き取る作業のよ

うに上にいる〝誰か〟が伸縮可能な不可視の腕を小縮させているのだろう。


「……ってことは、もしかしてリコリスも……?」

「……その、自分は別にお前なんか死んじゃってもどうでもいいッスけど、姐御がお前を助けるって、そう言うから仕方なく来てやったッス。あと、伝言もあるッス。『これで一つ、借りは返した』だそうッス」

「そっか……あいつ、借りがあるくらいには思ってくれてるのか……」

 

 リヒリーからの伝言に、勇麻はまたも目頭がじわりと熱くなるのを感じた。

 あれだけ何度も殺し合って殴り合って、リコリスの復讐を見当違いだと否定し、己の罪から逃げているだけだと何度も何度も一方的に糾弾した。

 それは、東条勇麻の意見の押し付けとも取れる行為。視点を変えれば、相手の考えを踏みにじるも同然の行いだろう。

 正直、リコリスには嫌われていると思っていた。……いや、実際嫌われてはいるのだと思う。

 だがそれでも、勇麻が必死で彼女に対して紡いできた言葉は、ぶつけてきた想いは、何一つとして彼女の心に届かなかった訳ではなかったのだ。


 自分の存在が彼女の心を変えたなどとは思わない。そこまで傲慢になるつもりはさらさらないが、それでも――もし、もし仮にリコリスの心境に何か良い変化があったとして、そのきっかけの一つになれたと思う事くらいはこんな自分でも許されるのだろうか……?



 敵対し続けた彼女だからこそ、それが遠慮も飾り気もない嘘偽りのない本心だと分かる。それが今の勇麻の心には何よりも鮮明に色鮮やかに響いていく。

 顔を合わせるたびに互いを否定しぶつかり合ってきた彼女から、自分の行いを肯定されたような気がした。


 そんな勇麻の心の内を知ってから知らずか、リヒリーはまるで説教でもするかのように、

 

「……お前はリコリスの姉御に、死ぬほど感謝するッス。じゃなきゃリコリスの姉御が許しても、自分はお前を許さないッス」

「……ああ、分かってる。アンタのありがとな、リヒリー。嫌いな俺なんかの為に身体を張れるアンタみたいなヤツに慕って貰えるリコリスは、きっと幸せ者だ」


  自分がリコリスに対してやってきた事の全てが正しいとは思わないが、同時に間違っていたとは全く思っていない勇麻としては「リコリスにこれまでの行いを謝れ」などと言われたら困ってしまうが、「この状況で助けに来てくれたリコリスに感謝をしろ」と言うことならば話は別だ。

 実際にとてつもなく感謝をしてるし、嬉しかった。その気持ちを素直にリヒリーに告げると、出会った当初からを敵視し続けるリヒリーは何故か牙を剥きより一層勇麻に対する警戒と敵意を強めて喚き始めた。


「う、うっさいッス! そうやってお世辞を並べて褒め殺して自分を懐柔しようとしても無駄ッスから!! け、汚らわしいこの女たらし! 変態男ッ! 死ね! 落ちて虫の餌になるッス!!」

「いだっ!? ちょ、まてリヒリー、握る力を強めると傷が……!」


 その主人の敵に対する噛み付きっぷりと言えば小さくとも凶暴な番犬さながらだ。

 それはともかく、軽く肋骨が数本は逝ってるだろう今、思いっきり身体を握り締めに掛かるのは勘弁して欲しい。

 巨人に鷲掴みにされ口の中に放り込まれる寸前のような気分を味わう羽目になるし、普通に激痛が走る。


 あとついでに、勇麻と一纏めに彼女の右手に握られている海音寺も若干巻き込まれていた。


「……フン、良いざまッス。これで少しは自分の発言を反省するといいッス」

「ええ……俺、そこまで言われなきゃならねえような事言ったか?」

「はは、面白いくらいに嫌われたものだね、東条君」

「他人事だと思って楽しんでるだろ、アンタ……」


 負傷が少ない為にリヒリーの蛮行に対しても余裕がある海音寺に恨めしげに言葉を零すと、こんな体勢ですらも爽やかさが損なわれない優男は開き直ったように笑みを浮かべて頷き始めた。


「まあ実際に他人事だからね」

「おい」

「……ああ、そうさ、これは僕にとってはどこまでも他人事。窮地にある僕らを助けている細く拙いこの糸は、君が繋いだ絆なんだよ、東条君。これは決して僕の受け取るべき物じゃない。だから結局僕にとってのこの騒動はどこまで行っても他人事で、これはどこまで行っても君の事で君の物語なのさ」

「……言ってる意味が、いまいち分からないんだけど」

「……そうかい。でも、いつか分かるよ。だって君は、あの南雲龍也が認めた子だ」

「……」


 海音寺は何故か楽しげだ。

 そんな分かるような分からないような、何だか無性にむず痒い事を海音寺が言っていると、いつの間にか楽しい釣りの時間も終わりを迎えたらしい。

 二人を鷲掴みにしていたキャッチャーアームであるリヒリーの手が開き、解放された勇麻と海音寺の足裏が、しばらくぶりに床面を掴んで安堵する。


 ――地下一五〇メートル。残り、三〇階。

 チェンバーノとドルマルドがぶち抜いていった穴の淵。そこで待っていたのは、浅黒い褐色の肌によく映える乳白色に染めあげた白濁した髪の持ち主、勇麻と幾度となく凌ぎを削った未知の楽園(アンノウンエデン)のリコリスその人だった。


「……アタシからこれ以上言葉はないよ。リヒリーから伝言を聞いただろう?」


 会話を許すどころか有無を言わせぬ雰囲気に圧倒される。

 いつもどこか不機嫌そうに細められた鋭い瞳に正面から射抜かれ、勇麻はこくりと頷きを返す。

 彼女の纏う剣呑な雰囲気に押され恐怖したからではない。

 自分達の間にこれ以上の会話も謝礼も不要なのだと、その瞳を見て直感したからだ。


 勇麻の反応を見てリコリスはどこか満足そうな冷笑を浮かべると再び『遠き掴む毒手(サイコキネシス)』を発動。

 不可視の腕がゆらりと彼女の付近に立ち昇る。

 

「ならさっさと上に行きな。ここにアンタの求めるものは何もないよ。……アタシに前を向けだの前進しろだの小うるさくほざいたんだ。これで呆気なく死にやがったら今度こそ殺す」

 

 勇麻の耳朶がリコリスの言葉を最後まで捉えきる前に、二人の身体を不可視の腕が掴む。そのまま一気に二人を頭上目掛けて一気に押し上げていく。


 東条勇麻に伝えることのなかった彼女なりのエール。

 しかしその気持ちだけは確かに受け止めて――勇麻の身体は空気を押しのけぐんぐん加速し高度をあげて、景色は下方へと沈むように流れ落ちていく。


 ――終わってしまったもの。

 ――変わってしまったもの。

 確定して過ぎ去り流れゆく過去にこの手は届かずとも、その先を掴んで前に進む為に歩む事はきっと出来るのだ、と。

 それがアタシが見つけた一つの答えで、ならあれだけ口煩く喧しく図々しく指図してきたお前に出来ない訳がないよな? と、そんな風に仇敵の少年を煽り背中を押すかのような、そんな光景だった。



 そんな地上から空へと昇る一条の星となったかのような不思議な体験は、けれどすぐに終わりを迎えた。

 天井と床をぶち抜き連なる穴の終わり、終着点であるスタジアム一階が目前まで迫ったところで、リコリスの『遠き掴み毒手』による加速と上昇が唐突に終わったからだ。


 次の瞬間に当然の如く二人を襲ったのは、内臓がひっくり返るような気持ちの悪い浮遊感と、遥か下方で手招く重力の力だった。


「……え? ちょ、ま、これ落ち――ッ!!?」


 リコリスの干渉力を考えれば射程的にはまだまだ問題ない筈。

 まさか、こんな所でお茶目にいつもの復讐力を発揮された!? ――そんな考えが僅かながら脳裏を過った刹那、勇麻と海音寺の手首にじゃらりと鎖が巻き付いた。

 ある程度の距離を落ちてからガクンと身体が中空に縫いとめられ、ぶらぶらと水揚げされたマグロか何かのように鎖によって吊るされている事に気付く。

 文字通りの宙ぶらりん状態の勇麻の耳に、どこか呆れたような溜め息が届いた。


「……ふう。あの人も相変わらず人が悪い。最後の最後にこんな子供じみた嫌がらせをせずともいいものを」

 

 鎖の伸びる先、淵からこちらを覗き込むようにしているのは陰を感じさせながらも凛々しくどこか武人然とした雰囲気のある青紫の長髪が特徴的な女性だった。

 身体の一部を鎖に変える『拘束する鎖リストレイン・チェーン』の力を持つ彼女の名はアブリル=ソルス。

 海音寺と勇麻を支える鎖は、勿論彼女の青紫の髪の毛が変質したものだった。


 彼女もまた対抗戦を戦った未知の楽園(アンノウンエデン)の選手の一人であり、ドルマルド=レジスチーナムの愛する仲間の一人――この場合のドルマルドの〝愛する〟とは仲間としてだけではなく、異性としてのモノも含まれる――つまりは同じチームのドルマルドに散々っぱら求婚を迫られては振り続けているような、そんな間柄だった。



 地下〇メートル、残り〇階。スタジアム一階層。


 勇麻と海音寺を無事引き上げると、アブリルは露払いを買って出た。彼女はそのまま走りながら素早く簡潔に自己紹介を済ます。


「紹介がおくれた。私はアブリル=ソルス。下にいたデカくて喧しい男の……まあ、なんだ。相棒のようなものと考えてくれ」

「あ、私は彼女の付添い兼護衛の者なのでとくに気にしないでほしい」

「……ああ、こっちはサマルド=ドレサー。私と違って可愛いのに何故か控え目な、私の大親友だ」


 アブリルは鎖へ変じた髪の毛を自在に操り、散発的に近寄ってくるデザインキメラの残党を寄せ付けない。

 彼女の隣を走るのは、何故か自身の自己紹介をスルーさせようとしたポニーテルに眼鏡の大人しめな少女。名はサマルド=ドレサーと言うらしい。こちらもドルマルドのチームメイト。

 彼女らもドルマルド達と同じ、勇麻と海音寺の最下層から帰還に力を貸す為にここまでやって来たそうだ。


「……そっか、助かったよ。大した関わりもない俺達の為に、本当にありがとう……」

「いや、礼には及ばんよ。……下の喧しいのを見れば分かる通り、アレはお前の大ファンでな。それに、私達だって未知の楽園(アンノウンエデン)での一件については感謝しているんだ。これくらいの助力はするさ。……セナ=アーカルファル――いや、天風楓を救うんだろう? 力の封じられた状態の彼女に負けた私が言うのもおかしな話だが、アレはいい根性をしている」


 そこまで言ってアブリルは一度言葉を切り、足を止めた。


「すまない、私はここまでだ。これから下から上がってくる者達を引き上げなければならないからな。……彼女が苦しんでいるというのなら、どうか助けてやってくれ」

「要するにアブリルは天風楓が気に入ったんだってさ。だから一応私からもお願いする。ちゃんと彼女を助けてあげてね。……あ、私もアブリルの護衛だから一緒には行けないけど」

「いや、充分すぎるくらいだ。僕も彼女を救う為に全力を尽くすと約束するよ」

「本当にありがとう。あいつは絶対に俺らが助ける、だからアンタらも無事で……!」


 走りながら背後へ言葉を返し、別れを惜しむ間もなく勇麻と海音寺は石舞台リングへと疾走を再開する。


 そもそも彼等へ返す気持ちとして、触りの良い感謝の言葉など何をどれだけ尽くそうとも無意味な行いでしかない。

 東条勇麻が彼らへ見せるべき誠意はただ一つ。


 天風楓を救う。


 その結末をもって彼女達の思いに応えねば、全てを無駄にすると同義なのだ。


 負けられない理由がまた増えたと、少年は拳を再度握り直す。


 前を見据えて走る少年の横顔に、自己満足の正義に溺れていた自分への嫌悪に喘ぐ迷子の色はもう見当たらない。


 助けを求める少女の元まで、あと少し――


 

 

 ――東条勇麻は、彼女の涙を絶対に許容する事はできないのだ。

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