第七十五話 反撃開始Ⅳ――背中合わせ絶対無敵進撃譚/隣に立つは夢か現か:count 1
突如としてオリンピアシスを襲った墜落の恐怖。
それは、今も変わらず命の危機に晒されている一般人たちにとって悪夢以外の何物でもなかった。
自分達の命を預ける足元が根底から揺らぐ恐怖の凄まじさは、それを体験したことのない者には計り知れないだろう。
空という逃げ場のないある種人の世界から孤立した空間に自分達がいたという事を改めて思い知らされる形となった彼らは、飛行機になどしばらく乗る気になれないに違いない。
もっともそれは、彼らが無事に生きて帰る事が出来たら、の話ではあるが。
そして、デザインキメラと戦う神の能力者にとっても、天空浮遊都市オリンピアシスの墜下はまさに青天の霹靂というべき事態だった。
命懸けの戦闘の最中に発生した想定外の事態に足元を掬われ命を落とした者も多い。いかに数が減り対処が可能になったとはいえ、その毒針と溶解液は容易く人の命を奪う凶器なのだ。
そして――ここにも一人、苛烈な戦場にて安堵の吐息を零す女がいた。
「……………………な、何事もなく収まったみたいですね……」
冷や汗を流しながら胸に手を当て安堵の吐息を零すユーリャ=シャモフ。
遊園地の絶叫系が大の苦手な彼女にとって、先の落下は地獄以外のなにものでもなかった。
冗談抜きに命の危機を色濃く感じた心臓は早鐘のように脈打ち、今も全身の鳥肌が止まらない。
ただただこの二つの足が大地を踏みしめている事への安心感を、永遠に噛み締めていたかった。
しかし戦場は生の実感に安堵するユーリャをいつまでも待ってはくれない。
「馬鹿野郎っ、ホッとしてる場合か! 似合わねえ面ぁ晒してる暇あったらさっさと戦線に復帰しろっ。何を一丁前に乙女みたくビビってんだ!」
「なっ、一丁前も何も私は女――」
「――いいからさっさ仕事に戻れ『フッド』! いいか、これは旗艦命令だッ!」
流れるようにさらりと失礼な発言をかましてくるセクハラ上司に憤慨しながらも旗艦命令を出されては言葉を返しようがない。
さらに言えばロジャー=ロイの切羽詰まった物言いに一々文句を垂れていいような状況ではないのだ。
なにせ彼も命懸け。
こうしている今も、神経をすり減らしながら敵の振るう三対系六枚の竜巻の翼による連撃を北御門時宗と共に黄金の槍一本でどうにか『相殺』しかろうじて捌いているような状態だ。
抜かずの太刀――『臥薪嘗胆』能動的な溜めを付与する力をその身に宿す北御門は、溜めれば溜めた分だけ格上相手の切り札となりうる一閃を放つ事が可能だが、その一撃を放つためにも刀を鞘に収めた納刀状態で応戦せざるをえない。
得物を持たないブラッドフォードは竜巻の翼を受ければその時点で致命的。
とはいえブラッドフォード=アルバーンという男は鍛え抜かれた肉体と磨き抜かれた技でもって『女王艦隊』内で抜きんでた一撃の破壊力を誇る最強の『女王の槍』とも拮抗する男だ。相手の予備動作や初動から相手の攻撃を予測し、回避し続ける事自体はそう難しい事ではない。
ただ、相手の手数の多さ故に中々反撃にも出る事ができない今の状況は、歴戦の戦士である彼をも苦しめていた。
結果、まともに相手の一撃と拮抗できるのは相手の攻撃を『相殺』できるロジャー=ロイのみ。しかし手数の差が三人を徐々に死へと追い詰めているのは一目瞭然であった。
……あのロジャー=ロイが押されている。その事実を認めたくない自分がいる事を理解しながら、それでもこの結果は妥当だと冷静に判断する自分もいた。
なにせ自分達が相手にしているのは史上最強の敵と呼ぶべき存在――『神の子供達』なのだから。
とはいえ――
「――仕方がないと分かってても、頭に来るものは来るんですよッ!」
八つ当たりじみた叫びと共にユーリャ=シャモフが地面に掌を押し当てる。すると、彼女の怒りと苛々と表すように爆発的な勢いで成長を果たした樹木が石畳を割って現れる。
――彼女の『母なる緑』は植物の成長速度を速める神の力だ。植物に自身の干渉力をそのまま栄養として与え、通常では考えられない異常発達を遂げさ自由自在に使役する。
無から有を産み出している訳ではなく、故に寄操令示のように全くのゼロから生命を造り出すようなことはできない。必ず元となるものが必要だ。
ならば戦闘時に彼女が生み出す無数の樹木や枝葉はどこから現れるのか。答えは彼女の身に付けている衣装にあった。
ユーリャ=シャモフの着ている軍服は他のメンバーの物とは違う特注品で、彼女の袖の内側には小型の長方形ストレージボックスが内臓されている。分かりやすく例えるなら、ミントタブレットのケースのようなものと考えて貰えればいい。
ストレージの中身には仕切りがあり多種多様な植物の種子が種類ごとに分けられて入っていてる。戦闘の際には彼女の腕の角度に応じあらかじめ設定しておいた複数種類あるケースの蓋のいずれかが開き、種が射出されるようになっているのだ。
掌を地面に押し当てる動作は、種を大地に植える動作のカモフラージュでもある。
そこから干渉力を流し込み、爆発的な異常成長を促し、幹の強度や伸びる方向、枝葉の数や形状にその性質。成長の方向性までをも操作する。
ゼロから全てをデザインするあの怪物には及ばずとも、ユーリャ=シャモフもまた生命の神秘に干渉するだけの力を秘めた強力な神の能力者なのである。
ユーリャが干渉力を流し込む。爆発的な成長を遂げた樹木の幹の伸長方向を上では無く水平方向へ。さらに枝葉を横へ横へと広げて自軍に有利な足場を形成しながら眼前の敵――天風楓へと向けて伸ばしていく。
それは触れれば瞬間絡み付く捕縛の樹木。
天風楓の移動や行動を制限し、こちらに有利なフィールドの形成、それがユーリャに任された仕事だった。
自身に有利なフィールドを形成する、という点では天界の箱庭の海音寺流唯も似たような戦術を得意としている。
だが、ユーリャと海音寺との違いは味方の挙動の補助をも得意とする点だろう。
海音寺の操る『海域』は多数の敵を相手にしての死角を埋める迎撃や、相手を水塊に捕え神の力を封じ込めたり行動を阻害する事を得意とするが、ユーリャの力はそれに加え味方の行動を立体的にサポートする事が可能だった。
ユーリャの張り巡らせた樹木は、いざとなれば枝や蔓を利用した緊急回避に活用できるし、またユーリャが干渉力を流し込み働き掛ければもっと直接的なサポートが出来る。
そもそも、ただ枝木を張り巡らせるだけで空中にも足場が増えるのだ。しかもそれが、敵には利用できず自分達だけのアドバンテージとなるとしたら、それがどれだけ戦場においての有利を生み出すかは計り知れない。
後方から味方の航路を切り開き、的確な援護砲撃で敵を駆逐する艦隊を指揮する『提督』。その異名を与えられるだけの理由は、確かにその優等生の少女には存在する。
「――はぁっ!」
ユーリャの一喝と共に、仕上げとばかりに特大量の干渉力を注ぎ込む。伸ばしていった枝葉の槍のように尖った先端が、与えられた養分を燃料に弾丸のような爆発的な速度で伸び、少女の柔肌を傷つけんと天風楓目掛けて殺到する。
ユーリャ渾身の一撃に、しかし風纏う神の子供達の少女は微動だにしなかった。
風を纏う彼女の領域に触れた瞬間、ユーリャの操る樹木が枝先から輪切りにされていったのだ。
おそらく薄く伸ばした剃刀のような風を何重の層のようにして纏わせ、踏み込んで来たものを薄くスライスする致死の衣と化しているのだろう。
光のない瞳がチラリとこちらを見た瞬間、巨大な獣か何かに息の掛かる距離で値踏みされたような怖気が身体中を駆け抜けた。
殺すべき相手も守るべき相手もどこにもいないのに幻に踊らされ、憎悪を与えられ続けている哀れな少女。
彼女が被害者だと分かっていても、ユーリャを見てすらいないその瞳から覗くドス黒い殺意に生き物としての生存本能が悲鳴を上げている。
「……くっ、やはりこちらの攻撃は通りませんか。どちらにせよこのままではジリ貧。一度体勢を立て直すしかありませんね……!」
恐怖を振り払うように毅然とした口調を意識的に保ち、ユーリャは枝の槍による刺突を中断。戦闘するロジャー=ロイたちの頭上を通して、枝葉の広がり横方向へより広域へと行き渡らせる。
頭上に伸びた幹から蔦を伸ばし、地上で奮戦する三名に絡み付き竜巻の翼から逃れるように後方へと回収する。
「……ふぅ。マジで死ぬかと思ったわ。助かったぜ、我らが秘書艦『フッド』様」
「だから誰が秘書艦ですかっ。そんな事より、お礼を言ってる暇があったらアレの攻略法を考えてください。女王艦隊の旗艦が三人も揃っていて、少女一人に歯も立たないのでは情けないにも程がありますッ!」
軽い調子で言いながら額の汗拭うロジャー=ロイに、ユーリャは歯ぎしりしそうな勢いで不満をぶつける。
そんな後輩の姿に何かを感じ取ったのか、ブラッドフォードが重い口を開いた。
「『フッド』よ。状況を正しく見ろ。現時点で我らに可能なのは時間稼ぎのみだと貴殿とて理解しているハズだが?」
「……ッ!? しかし『インヴィジブル』――」
「――ユーリャ=シャモフ。一度しか言わないのである。現時点では、とそう言った。……貴殿に求められているものはその先。状況が変貌したその時こそ、我らが反撃の狼煙をあげるべき時である。それまでは我ら老いぼれに任せておくがいいのである」
決して声を荒げている訳でも特別敵意や怒りが籠められていた訳ではない。
淡々と紡がれる静かなその忠告が、何故か最後通牒のような重さを伴ってユーリャ=シャモフの耳朶を叩いた。
「おいおい、俺はともかくお客さんまで老いぼれ扱いですかい。ブラッドフォードさん」
「――ふむ。老いぼれ、それも結構。時世の流れから逸脱している自覚はあるが故、拙者は一行に構わぬが?」
大先輩などという言葉では足りない程の偉大なる英傑の言葉にぐっと喉を詰まらせるユーリャ。そんな部下の緊張を和らげるかのように冗談を叩き合うロジャー=ロイと北御門の胆力も尋常ではないと、ユーリャは改めて自分の力の至らなさを感じ取っていた。
自身の弱さへの悔しさに歯を喰いしばり、ユーリャは先達たちの言葉を素直に受け止めた。
「……分かりました。女王艦隊の勝利ではなく、最後の最後に全員で勝利する為の一手を……模索します」
『怖れ知らず』、『提督』、『無敵艦』。『女王艦隊』の誇る旗艦三人と一撃必殺の一閃を持つ天界の箱庭の剣客一人。
干渉レベルAクラスの神の能力者四人がかりでの時間稼ぎ。その先に彼等が待ち望むものは、希望を持ち帰ってくるであろう一人の少年の到来であった。
☆ ☆ ☆ ☆
ズザザ……、ズザザ……、ザザ……。
何かを地面に引き摺るような音が意識をノックする。
それが自らの足が立てている音だと気が付いた時、黒騎士は自分より身長の低い相手に肩を支えられ、意識のない身体を引き摺るように運ばれている事を知った。
視線だけを横にやると、幼さの残る童顔と常に眠たげな覇気のない瞳、そして前髪を一定のラインで切り揃えたぱっつんヘアーが視界に飛び込んでくる。知った顔だった。
十徳十代。
対抗戦の出場選手であり、海音寺からのパイプを経て黒騎士にとある記憶を情報として提供した彼の復讐劇の協力者でもある人物だ。
直前まで死の危険にあったはずの自分がこうして生きて担がれているということは、まあ助けられたという事なのだろう。
覚醒直後で微妙に回りの悪い頭で、そこまでの思考をこなすと黒騎士はぶっきらぼうに口を開いた。
「……おい」
「……あぁ、気が付いたのか。それは何よりだ。こう見えてあまり筋力はないほうでね、意識のない人間の身体というものは、存外に重たい」
(……こう見えてもなにも、百歩譲って小学校高学年にしか見えねーナリで何を言っているんだコイツ。そもそも筋力もなにも、ご自慢の念動力があるだろーが)
そんな事を思いつつ、口に出すような愚は犯さない。
助けられた相手に対して、それではあまりにも礼が欠ける。自分が礼節あるまともな人間であるとは思っていなかったが、かと言って必要のない場面で必要のない態度を取る必要もない。何故ならそれは体力の無駄で気力の無駄、生産性に欠けた面倒事を増すだけの行為だからだ。
「……もういい、降ろしてくれ。一人で立てる」
「あぁ、言われずとも降ろすさ。流石に僕もそこまで過保護じゃない」
言葉通り、十徳はすぐに黒騎士の身体を開放する。
と、ここで生じた違和感に、十徳が念動力を使わずに言葉通り自身の筋力だけで黒騎士を支えていた事に今更ながら気付く。
いや、そもそも視線の位置からしておかしかった。せいぜいクラスで一番背の小さな高学年程度の身長しかなかった十徳の背丈が、それなりの大きさにまで成長していたのだ。
対抗戦初日の十徳と今の彼とを比べれてみれば、おそらくその差は十センチ以上に及んでいるだろう。
少なくとも、見間違いや勘違いでは片づけようのない差ではある。
「……あぁ、そんな風に胡散臭いものを見るような視線を投げかけられる謂われは僕にはないと思うんだけど。少なくともそんな仮面で素顔を隠している君にだけは」
「お前、背が……いや、そもそもあの『氷』をお前が?」
「あぁ、身長の事なら気にしないで欲しい。これは仕様のようなものだからね。君の方は『絶氷』とやりあったみたいだね、僕が言うのも何だけど、君は敵に回そうとしている相手が悪い。その様子じゃ、命がいくつあっても足りなそうだ」
「おい、質問の答えになってねーぞ、それ」
やや噛み合わない、というより意図的に質問の一部を流されかけた事に苛立ちを覚えつつ口を挟むと、十徳は眉一つ動かさずにあっさりとそれを認めた。
「……あぁ、すまない。別にわざわざ話すまでもないと思ったのだけど、君は気にするのか。……あぁ、君を助けたのは僕で間違いないよ。海音寺流唯から連絡があってね、僕個人としてもそれ以外の視点から見ても、今君に死なれるのは困る。だから助けに来た、という訳だ。……これで納得して貰えたかな」
「そうじゃねえ、俺が言いたいのは――」
納得も何も状況からしてこの少年に助けられたという事は誰に言われずとも理解できるのだ。
黒騎士が知りたかったのはどうやって不壊の氷から黒騎士を助け出したのか、という部分について――
――いや。正直な所、理屈は分かる。分かるのだ。
彼は念動使い。それもごちゃごちゃとした複雑で特殊な効果を持つ唯一無二系ではなくシンプル故の特大出力が強みとくれば黒騎士を助けた方法に選択肢などあるはずない。
氷とは水が固体の状態になったもの。であれば、不可視の力である念動力を用いて氷に干渉し、停止している水分子を振動させて氷を溶かしたのだろう。
言葉にすれば実に単純、今時少しませた子供なら小学生でも知っているような理屈だ。
ただ、そこで問題になるのは神の子供達の創り出した『不壊の氷』と評されるまでに外部の干渉を拒絶する自然界に存在しえない特殊な氷を、単なる一神の能力者に溶かす事が可能なのか、という話。
(……いや、似たような拒絶の概念を扱っている俺ですら脱出のとっかかりすら掴めなかったんだぞ? 単なる神の能力者にはどー考えても荷が勝ちすぎるだろ、これ)
黒騎士は海音寺から交渉を切り出される以前から十徳十代という人物をマークしていた。
『三本腕』の一角であり、シーカーに対する反意を抱いているコルライ=アクレピオスという男を探るうえで浮かび上がったその少年についての情報は、しかし当時のデータが紙資料を残してほぼ削除されていた事もあり完璧だとは言い難い。
黒騎士が十徳十代について知っている事と言えば、彼がかつてコルライ=アクレピオスという男と極めて近しい関係、もしくは近しい志をもった同志のような間柄であったこと。
今は彼らと関係を切り街の『裏』から逃げ出して追手の目を避けながら安寧に暮らしていること。
そして、彼自身から提供されたコルライ=アクレピオスと、そのアキレス腱と成りえるもう一人の登場人物に関する記憶の一部。
結局この十徳十代を名乗る人物が何者で何を目的としていたのか、細かい素性や背景については想像の域を出ないような状況なのだ。
それも彼から提供された記憶がなければ、想像を働かせる事すらできなかった程に、十徳十代という少年は謎に包まれている。
そしてここに来て黒騎士が垣間見たのは十徳十代という神の能力者の持つ異常なまでの実力。
なにせ、神の子供達の生み出した時間停止に至るまでの強固な干渉力を持つ不壊の氷を溶かしうるだけの力だ、それこそ氷道真と同等かそれ以上の干渉力がなければ話にならないという事で――
「――いや、いい。悪かった、何でもねーよ」
不毛な思考で追及だったと、黒騎士はそこで自身の思考を切り上げた。
神の能力者が己の手の内を隠すのは当たり前と言えば当たり前。まして黒騎士と十徳十代は別段仲間でも何でも無い。
単純に情報を共有し合い利用し利用されと言ったドライな関係だ。無駄に探りを入れて地雷を踏んで敵対したのでは話にならない。それこそ無駄な労力以外の何物でもないだろう。
少なくとも今の十徳十代と争う理由はなにもないのだ。ただでさえ多い敵をこれ以上増やす必要はない。
どこかモヤモヤとした髪の毛を掻き毟りたい気持ちを押さえつつ、黒騎士は十徳十代の力についてそれ以上の詮索を諦める。
「……あー、事情は分かった。お前にも海音寺の野郎にも助けてくれなんざ頼んだつもりは微塵もねーが、助かったのは事実だ。感謝する。……で?」
「……あぁ、すまないが、ひらがな一文字で意思疎通できる程、君と友好を深めた覚えは僕にはなくてね。それはどういう意味だ?」
「あー、めんどくせーなー。だーかーら、お前が困るってのはアレだろ。要するに俺に用があったからわざわざ助けに出向いてくださったんじゃねーのかって話だ。それ〝で〟何の用だ、の〝で〟だよ。おわかり? 十徳十代」
「……あぁ、君が極度の面倒くさがりだと言う事もね。結果として、より多くの言葉を説明に費やしているようだけど」
「ハッ。それはそれは、理解が早くて助かりますよ。じゃあ改めて聞くぞ……〝で〟?」
自分のペースに持ち込めない事に苛々しながら改めて問い返す黒騎士に、十徳十代は相変わらず感情の起伏の薄い表情を動かすことなく淡々と言葉を発した。
「……あぁ、コルライ=アクレピオスの件で話があってね。面倒くさがり屋の君の為に端的に結論を言わせて貰うとしよう。――アレとの決着は僕が付ける。仮にも僕の記憶を見せたんだ、君にならこの言葉の意味が分かってもらえると思うのだけどね。どうだろうか」
こちらに確認するように訪ねておきながら、黒騎士を真っすぐに見据える少年の覇気のないその瞳には戦場に身を置く者だけが正しく理解できる有無を言わせぬ光が灯っていた。
だから、一言。
「……それが、お前の復讐か?」
そう言葉を返すのが黒騎士に可能な精一杯の反抗で、
「……あぁ、復讐。それも、悪くないのかもしれない。そんな事を考えた時期も、きっとあったのだろうね。けれど、少なくとも今の僕にあるのはもっと他の何かだ。そうだね、強いて言うのなら――これが僕なりのケジメと言うヤツなのだろう」
そんな嫌がらせにも心を逆立てることなく、十徳十代は静かにそう答えた。
☆ ☆ ☆ ☆
『匣の記憶』を手に入れた二人は、クライム=ロットハートの見せる幻影により今も苦しみ続けている楓の元へと戻るべく、天空浮遊都市を最下層から駆けあがっていく。
行き同様に『液化海牢』でのショートカットが出来ればそれが一番だったのだが、血塗れになるまで神の力を行使し干渉力の大半を使い果たした今の海音寺に液化身体を使用できるだけの余力が残っているはずもない。
よって、二人は通常ルートで二キロ以上の距離を駆けあがる事となる。
「――オ、ォオオオオオオオオオオオオオオッ!」
「――東条君、正面から大群接近! 射線を開けろっ、一撃でかいの行くぞッ!」
「ッ! 分かった、任せる!」
デザインキメラの襲撃は『創世会』の企みによるもの。対抗戦の舞台である『天空浮遊都市オリンピアシス』の建設にその『創世会』が携わっている以上、スタジアムの各所に托卵でいるのは当然の事である。
最下層である『動力室』に繋がる唯一の扉付きの階段を登り上階に辿り着いた途端、二人を待ち受けていたのは行きは素通りできたデザインキメラの群れだった。
「――戦鎚、時雨穿ちッ!!」
声に、海音寺の頭上に浮かんだ幾えもの無数の水滴が疎らな弾幕となってデザインキメラに殺到。
水平方向に降る雨は、そのまま紫色の死の雨へと変貌する。
その名の由来の通り、降ってはすぐ止むが如く疎らな雨撃。
その正体は極小単位の戦鎚もとい千の穿鎚。一人一殺ならぬ一滴一殺という驚異の精密さで敵を穿つ無駄撃ちなしの繊細なテクニカルさが光る海音寺流唯の持つ大技の一つである。
「先輩、こっちだッ!」
「ああ……!」
海音寺流唯が操る水流によって敵陣に罅を穿ち、東条勇麻という矛によって生じた罅から正面突破を果たす。
既に五十階以上を駆け抜けた今、それは一つの形としてしっかりと戦場で機能していた。
デザインキメラを立て続けに撃破する勇麻の横顔に、つい先ほどまで見て取れた弱気の色は見当たらない。
目の前に迫る脅威、確かにその手が届いた希望、そして――明確に助けを求めている幼馴染の少女の存在。天風楓の涙。
それらの要素が一度はボロボロに砕け散り、再起不能寸前にまで追い詰められた少年の心を首の皮一枚で繋ぎ止め、ツギハギだらけながらも〝自身の許容できない結末に抗う〟東条勇麻という存在として少年をしっかりと機能させていた。
もっとも、それだけが要因という訳でもないのだが……。
――弱気? 不安? 恐怖? そんなものに構っている余裕はありはしない。
天風楓の笑顔を取り戻す。
ただそれだけの為に五体の全てを稼働させる。
思考を最適化しろ、余計な事を考えている暇などありはしない。目の前に勇麻の歩みを邪魔するモノがあるのなら、排除するのみ。一分一秒でも早く、彼女の元へと駆け付ける。
馬鹿で愚鈍な自分は、これまで彼女を傷つけ続けてきた。だから今度こそ、絶対にその心を、その命を救うんだ。そうでなければならない。そうでなければ、こんな東条勇麻を憧れだと言ってくれた幼馴染の少女に合わせる顔がない。
勇麻がこうしている今も、誰よりも優しすぎる彼女は苦しみ自責を続けている。
勇麻を傷つけてしまったと心で血の涙を流し、在りもしないその幻の死に深く絶望してしまっているのだから。
今、この瞬間だけはと、そんな決意と共に力強く握りしめた勇気の拳が熱く熱く燃え上がっているのを感じる。
呼応し高まる身体能力に者を言わせ、空いた空間に生じた穴に流れ込んで来るはぐれのデザインキメラを勇気の拳の一撃で悉く粉砕し、破竹の勢いで突き進む勇麻。
大切な少女の為に無茶を押し通さんとするその背中が心身共に破綻しないのは、彼と肩を並べる爽やかなオーラの先輩神の能力者の存在が大きかった。
「くそっ、また群れか。今度はだいたい三十匹前後……先輩、フォロー頼む!」
「ああ、任されたよ! 存分に蹴散らして来い東条君!」
海音寺は遠距離タイプの神の能力者である以前に、他者を活かすことがうまい神の能力者であった。
全ての要素を高水準で兼ね備えているのに決して嫌味に感じることのない言動、爽やかで人好きのする人柄とその思慮深さ、人の癖や好みを見抜く事にも秀でている彼は、人を惹きつける引力じみた力を持つと同時、後方から絶妙な配分で不足を補う事に長けていた。
特に拳を武器に徒手空拳で戦う東条勇麻と海音寺は何故かこれ以上ない程にマッチした。
まるで拳を握って戦う誰かをサポートする事を前提に磨かれたような、見る者にそんな感想すら抱かせる戦場での立ち振る舞いだった。
――例えば、仲間の士気をあげる所作や言動。
――例えば、無鉄砲に敵陣へ突っ込む仲間が気持ちよく戦えるようなこちらに有利な状況を生み出すこと。
――例えば、何気ない動作や戦い方から仲間の意図を汲み取る力。
――例えば、どんな状況にも即座に対応可能な素早い状況判断と、その判断を実行する単純な動作の速度。
――例えば、死角を潰すような立ち回り。
――例えば、あらかじめ危険な匂いを感じ取った部分に対して先手を打ち、未然に危機を回避する危機察知能力。
――例えば、 この男ならば一縷の不安なく背中を預けられるという圧倒的な安心感という名のカリスマ。
一見完璧に立ち直ったように思えるものの、今の東条勇麻は『天風楓を助ける』という目的そのものに縋り救いを求めるような、どこか盲目的で歪な状態にある。
そんな勇麻が敵の只中で突出することなく海音寺と連携を取り合って戦い、焦燥に押しつぶされることなく平静を保てているのは、隣に立つのがこの優男だったからこそだろう。
今の勇麻は一刻も早く天風楓を助けなければならないと前傾姿勢になる一方で、海音寺と背中合わせにこの危機を乗り越える、という想いが強く意識にある。
死と隣り合わせの戦場において、無条件の信頼を置ける頼れる相棒という存在。そして打てば響くような相棒から勇麻への信頼の念。
そして今肩を並べて戦う頼れるその相棒は、兄とまで仰ぎ尊敬した憧れの存在の親友なのだ。
これで気持ちが昂らない訳がないだろう。
特殊な状況下における依存とでも呼ぶべき現象。
言葉ではとても言い表せないような両者の不思議な関係性こそが、この極限の戦場において今のツギハギだらけの勇麻の心を陰から守り、快進撃を続けさせている最大の要因となっている。
勿論、それだけが優勢の要因ではない。
周りを壁に囲まれた地下通路という狭い密閉空間、最下層より来た勇麻たちに対して正面の一方向からしか攻めることの出来ない状況がデザインキメラ最大の武器である数の利を半減させているし、そもそも上と比べて地下のデザインキメラは絶対的な総数が少ないという点も非常に大きい。
石舞台上では膨大すぎる敵の数に破綻していたコンビネーションは、今や完璧にデザインキメラたちを翻弄していた。
走る。走る。走る。砕く。砕く。砕く。
景色が流れる。気持ちが高揚して、身体が飛ぶように軽い。スローモーな視界の中、海音寺の操作する水流が飛沫をあげ極小の水滴一つ一つが激しく空を舞い踊る。
勇気の拳が燃え上がるままに、脚の回転数をもあげていく。
一足飛びに駆け抜けて、その勢いのまま進行方向前方の地面に手を突き、前宙の要領で身体を跳ねあげると同時に両脚を折り畳む。上方向ではなくさらに前方へとベクトルを向け弾丸のように前方へ跳ぶ勇麻がそのまま杭打機のように両脚を鋭く打ち出せば、進行軌道上にいたデザインキメラはその全てが肉体を四散させる。
壁を蹴って弾丸となりイルミの如く跳弾し、最高速度のわりに図体が邪魔をして小回りがあまり効かないデザインキメラをも翻弄してのける。
勇麻が先行し群れの只中に飛び込んで攪乱した所を海音寺が一掃する事もあれば、その逆もあった。
海音寺の操る水流によって搔き乱されたデザインキメラの群れは脆く、数に物を言わせた物量による包囲ができないとはいえ、たった二人の神の能力者の連携に圧倒され始めている。
二人で一つの矛となり、立ち塞がる奇怪の昆虫たちを突破する。
たった一人の少女の為に拳を握りしめた少年は、今この瞬間は誰よりも強い。
そう思わせるだけの迫力が、確かにあった。
「先輩、前!」
「軽く一〇〇はいる、今までで一番デカいな。……行けそうかい?」
「あのうじゃうじゃに俺一人じゃ正直どうだか……」
「そうかい。僕も一人でアレに突っ込むのは御免こうむりたいね。けれど――」
「ああ、だけど――」
「「――俺たち二人なら……ッ!!」」
そんな威勢のいい咆哮と共に大群の中へと飛び込んだ。
地を蹴り一人先行した海音寺の挨拶代りの水流の鞭の横一閃に軌道上の虫が惨殺され群れの勢いが削がれる。
続けざまに海音寺の背中を踏み台に蹴りつけ跳躍したのは、右の拳を握り固めた東条勇麻だった。跳躍の勢いのまま地面に叩き付けるように全力で振るった右の一撃が七匹あまりを巻き込んでその悉くを粉砕し、散弾の如く飛び散った虫の肉片がさらに数十匹の肉体を食い破りそれらを死へと追いやった。
派手な登場で群れの中央に躍り出た二人に、デザインキメラがやかましく羽音を立てて毒針と溶解液にいよる怒りの洗礼を浴びせはじめる。
溶解液の雨が頭に触れるか触れないかと言った所で清らかな水流が横合いから一蹴。続けて擦過する脚のような毒針を勇麻は身を屈めてやりすごし、撓めたバネを爆発させ回し蹴りを放つ。
すると後ろに目がついていたかのように床に手を尽き腰を折った海音寺の頭上スレスレを勇麻の右足が通り過ぎ、突いた掌より伝播する干渉力に応え足元を這わせていた海音寺の『海域』が、スプリンラーのように床を割り無数の極細の高圧水流となって攻撃直後の勇麻を死角から襲わんとしていたデザインキメラを撃ち落とす。
勇麻は回し蹴りの勢いを止めることなく、そのまま振り向きざまに裏拳を放つ。
薙ぎ払うような一撃は、海音寺とその足元より放射状に伸びたウォーターレーザーの死角である彼の頭上のデザインキメラを一撃で粉死させる。
立ち上がった海音寺と背中合わせに、デザインキメラに囲まれる中で東条勇麻は歯を剥いて笑っていた。
背後の海音寺流唯も、きっと笑っている。相手の感情を読み取る勇気の拳の力に頼らずとも、それが分かる。
だって、
「負ける気がしねえッ!」
「ああ、僕も同感だね!」
言葉の通じない化け物と殺し合いをしているというのに、海音寺流唯という男と肩を並べ背中を預けて戦うこの感覚が、心の奥底から湧き上がってくる高揚感が、清々しい程に気持ちのいいものだったから。
――本人に自覚があったかは定かではない。
だが、それでも。
陰惨な戦いの中で高揚感を感じ爽快な笑みを浮かべるというのは、今までの東条勇麻からはあまり想像のできない光景であった。




