第七〇話 絶望共闘戦線Ⅵ――祈りに天は堕ちて:count 1
多勢に無勢、などという陳腐な言葉では表現しきれない絶対に覆りようのない圧倒的な戦力差が広がっていた。
一秒先の未来を生きられるかさえ分からない絶望的な劣勢の中、それでも誰も彼もが全力を振り絞って必死で明日への希望を掴もうと足掻いている。
――しかし、前述したように力無き者の末路は当事者たちにとっては実に悲惨なものだった。
我先にと逃げ惑う一般人からその毒牙にかかり、脳みそに卵を産み付けられた男がほんの三分やそこらで内側から肉を食われて爆ぜ飛び、中から数百を越える血と臓物に塗れたデザインキメラが客席で喧しく産声をあげる。
客席の神の能力者による散発的な抵抗も見受けられたが、逸脱した圧倒的な〝個〟でもない限り微々たる〝個〟で軍勢に刃向ってしまった彼らに未来はなかった。
まさに焼け石に水。一匹や二匹を殺した所で大勢に揺るぎはなく、逆に数多のデザインキメラを自らの元に寄せ集める羽目となり、反撃の炎があがった場所から数秒後には断末魔の絶叫があがる。
ここまでデザインキメラの出現から僅か五分のことだった。
既に客席にいた人間の半数近くが命を落とした所で、ようやく生き残った人々は近くの人間同士で一か所に固まり、群れに対して群れで抵抗を始める。
しかし、その半数を失った彼らが今更に肩を寄せあった所でどうにかなるものでもない。
一集団数百の中に数十人ほど混ざっている頼みの綱の神の能力者たちの迎撃もむなしくまた一人、また一人と時計の針が鈍重に時を刻む間に命がその数を減らしていく。
何の力も持たない戦えぬ一般人たちは、頼みの綱である彼らの命が失わていくのを横目に見ながら自分が狙われない事を祈るしかない。
――しかし、そんな極限環境に人の心が耐えられる訳もない。
必死に抵抗している神の能力者が殺された途端に「使えないヤツめ」と死者へ罵倒を浴びせる者。
膝を抱え縮こまりどうしてこんな所に来てしまったのだろうと諦念を抱いて自分の運命を呪う者。
「同じ化け物ならお前らが先に食われるべきだ、そもそもこの化け物だってどうせ前らのせいなんだろッ!?」と神の能力者への責任転換を始める者。
他人を肉の壁に己だけは生き残ろうと醜悪な願望を胸に自分以外の他者を外へ押し出そうとする者。
死を目前に、人々の心は腐り濁っていく。その目は腐敗し、善性はなりを潜め世間一般的に悪性と呼ばれるモノが顔を覗かせる。
敵は外側だけではない。人の心、己の内側にさえ潜む悪意に怯えながら、次の一秒を生き延びている事を祈り続ける、永久にも感じられる腐り果てた生き地獄。
そんな鳴り止まない絶望の合奏の中、母に抱かれ泣きじゃくる小さな男の子が、空に輝くそれを見つけた。
「?」
――あれはなあに?
恐怖に震え、我が子を抱いて縮こまるしかできない無力な母に、男の子は天を指さし問いかける。
彼は今の状況を正しく理解することもできていない。ただ、父と母が怯えて恐怖し不安でいる事そのものが彼には途方もなく恐ろしくて、だから泣いていた。それなのに、空を舞う粉雪のようなその金色の鱗粉は、ひらひらと舞い落ちる純白の天使の羽は、何だかとっても暖かくて優しくて、怖くて不安でしょうがなかった彼の心をも安心させるものだったから。
母親が怯えと困惑のどちらをも抱きながら、視線を上へとあげる。
そこに、あったものは――
☆ ☆ ☆ ☆
金属を擦り合わせるような耳障りな断末魔が響く。
拳を振るう度に紫色の体液が舞い、ぶよぶよとした緑の肉片が散弾か肉花火の如く辺り一面に無秩序に散らばった。
無差別に人間を襲うデザインキメラの大群は、観客席だけでなく石舞台上の人間やスタジアムの外のオリンピアシス内にいる全ての人間を標的とし命ある者を執拗に狙った。
神の子供達と化した楓は、半暴走状態にある為か未だその場より動こうとしない。
そんな『神化』を遂げし少女にもデザインキメラは平等に牙を剥かんとする。
天風楓に接近する醜悪な虫共は、近づくそばから彼女の背に生じた三対計六枚の竜巻の翼から射出される風の刃にその身を裂かれて瞬く間に絶命していく。
ほとんど自動迎撃と言っても過言ではない風の刃の乱舞は、天風楓の半径五メートル以内に鼠一匹立ち入る事を禁じるまさに絶対不可侵の聖処女の守りだ。
圧倒的な干渉力は、圧倒的な有象無象の物量にも揺るがず生態系の頂点に君臨し続ける。
そんなありきたりの事実を象徴するような光景だった。
そして勇麻や海音寺にもまた、平等にデザインキメラは死を運ばんとする。
「――だぁらァッ!」
「――『大海神の水流棘鎧』ッ!」
唸る右の拳を裏拳のように振るって近づくデザインキメラを薙ぎ払う。裏拳の遠心力を利用して、回転。回し蹴りで周囲の敵を一掃する。身体中にグロテスクな紫の体液と緑の肉片を浴びる二人は、しかしそんな些事に拘泥する余裕もない。
身体中の毛が殺気に逆立つような本能的な恐怖に抗うべく闘争心を燃やしながら、勇麻は周囲を取り囲むグロテスクな虫を次々と薙ぎ払い打ち砕き撃破していく。
デザインキメラの特異な点は人の頭二つ分はあるであろう巨大な図体に対して歪なまでに小さな百足のような多脚だ。
しかもそのうちの大半は毒針であるらしいことが、これまでの戦闘の中で何となく分かってきた。
寄操令示との戦闘経験を存分に活かし、デザインキメラが脚だけでは自重を支えて動く事の儘ならない飛行を前提とした歪な造形の生命体である事を看破した勇麻は、一撃で最低限飛行能力を奪う事を徹底する。
翅さえ潰してしまえば最も厄介なコイツらの機動力は死ぬ。殺しきれずとも、自由に動く事が出来なくなれば戦力としては死んだも同然だ。
どれだけ数を削ろうと削ったそばからそれ以上の大群が押し寄せてくるデザインキメラ。この醜悪な虫は確かに世界を滅ぼすに足り得る存在ではある。がしかし、あくまで単体ならば神の能力者にとってさほど大きな脅威とはなりえないのもまた事実。
なにせ、何の力もないただの人間だと言うならともかく、彼らの身に宿るのは個でもって世界の法則にさえ干渉する超常の力。
最低でも干渉レベルCランク以上の者であれば、〝口から強酸性の溶解液を吐いて象を一撃で殺す毒を扱う程度の力〟しか持たないデザインキメラ一匹を倒すのはそう難しい事ではない。
オリジナルの寄操令示がリアルタイムで産み出し造り出す虫の方が戦闘力はけた違いに高かっただろう。
相手の武器はとにかく数、物量なのだ。その一体一体に拘泥していては嬲り殺しにされるのがオチ。とにかく戦力を削ぐ事を意識し全身を武器として振るい襲い来る奇怪な虫の屍を積み重ねていく。
猛る拳を振るう勇麻の背中では海音寺がその身に『海域』――自身の干渉力を通した水塊を数多の棘が生えた鎧のようにして纏わせながら勇麻の死角をフォロー。さらに己に襲いかかってくるデザインキメラ達を高速回転する水流の鞭でもって一纏めに叩き切って捨てていく。
鞭のようにしなやかに、触手のように変幻自在。
彼の意志を直接宿しているかのように正確無比な軌道で最大効率で獲物を巻き込み切り裂いて行く水流の鞭撃は、一度振るえば紫の雨を石舞台に振らせた。
それだけはない。
海音寺の操る『海域』をその身に纏わせた自動迎撃機能を持つ流動的な水の鎧『大海神の水流棘鎧』は、鞭と拳を潜り抜けて接近してくる敵に応じて身体の表面上で蠢きその形状を変形させて迎撃――鋭く伸縮する水の刺棘によって近づくそばから敵を串刺しにしていく。
今のような無数の敵を間合いに入れての乱戦になった場合、瞬発的な判断や反応、咄嗟の挙動がモノを言うのは自明の理。通常、己の背後に展開する『海域』を自ら纏い一つとなるその姿は、拠点防衛や持久戦が最も得意な海音寺の中でより近接戦に特化した瞬発力と近接戦闘に優れた戦闘スタイルであった。
また、海音寺は勇麻に話した『天空浮遊都市オリンピアシス』を安全に降下させる秘策の準備の為、自身の干渉下にある『海域』の大部分を現在切り離している状態だ。
消費干渉力が多大でここぞと言う時以外は使用が難しい液化身体程万能ではないものの、通常の『海域』を操る際と干渉力の消費が変わらない低コストな点。
なにより海音寺に残された少ない水量の『海域』であっても自身の身体を覆う分量があれば成立するという、海音寺の弱点である〝水に己の干渉力を通して支配下に置き『海域』化する〟為の待ち時間も少なくて済むという使い勝手の良さもこのスタイルの利点であった。
ある程度距離を取って戦う方が強い遠距離型の神の能力者である事を――自分の強みを自覚しているからこそ、弱点をカバーする戦術にも余念がない。
根が真面目な彼の日頃の鍛錬の成果が、この死地にて海音寺流唯を裏切ることなく発揮されていた。
破竹の勢いで背中合わせに襲い来るデザインキメラを撃破し続ける二人。
しかし、三億という未知の物量は未だに底が知れない。
三百六十度、依然としてどこを見渡しても視界を埋め尽くし蠢きまわる不気味な虫たちは、その圧倒的な物量でもって勇麻と海音寺を徐々に、しかし確実に追い詰めつつある。
「クソッ! こいつらどれだけいるんだよッ、これじゃあ前に進めねえ……! ――海音寺先輩ッ!!」
「確かにキリがない……! もっと広範囲を殲滅できる大技が使えれば……この段階で『海域』を切り離したのは失敗だったか?」
勇麻の勇気の拳も近接スタイルの海音寺も、共に一点を突破する力は十分にある。
勇麻の拳は一撃で虫たちを容易く砕くだけの破壊力があり、海音寺は現在の水量でも勇麻のフォローをしながら戦う事も十分に可能。チェーンソーのように高速回転する水流の鞭で直線上の敵を一気に薙ぎ払う範囲攻撃も手札として持っている。
勇麻の突破を海音寺がフォローする、という形が上手くハマれば、十分にこの大群を突破できる筈だった。
しかしあまりにも数が膨大過ぎた。
まるで地面に落ちた砂糖に群がる蟻のようにわらわらと集まってくるデザインキメラの大群を突破するのは如何に強力な神の能力者と言えど困難を極める。
どれだけ殺しても殺してもそれ以上の数が湧いて出てくる為、前に進めない。こちらの減らす数を上回る勢いで群れの数が膨れ上がっていき、必然的に背中を合わせながら迫りくる虫の咢や毒針を迎撃し均衡を保つので精一杯になってしまう。
そして、さらに状況は悪化する。
「――――ッ! 東条君、全力で横へ跳べェえええええええええええええええッッ!!」
何かに気付いた背中合わせの海音寺の絶叫に、反射的に身体が動いたのは張り詰めた神経のなした技であった。
形振り構わず身体を全力で投げ出したその直後、先まで勇麻たちが居た空間を大口を開けた大蛇の如き破壊の嵐が通過していった。
受け身も考えずに全力で投げ出し地面に迫っていた身体が、ふわりと下から舞い上がる風によって巨人の掌で掬い上げられるように浮かび上がった。
それが天風楓が巻き起こした破壊の嵐の破壊の余波なのだと実感する前に勇麻は己の身体の制御を失い、塵か埃のように空高く舞い上げられた。そのまま勇麻は二十メートルあまりの高さから音を立てて落下、勢いを殺せず石舞台を無様に転げ回る。
高所からの落下、受け身など当然取れない。背中から強かに叩き付けられ身体が破裂しそうになって呼吸が狂い、依然として殺しきれない位置エネルギーに身体が鞠のように跳ねて次いで頭を打ちつける。
頭のどこかが割れたのか血が流れ出て視界を赤く染めあげる。脳が揺さぶられ意識が遠のく。身体中で鈍痛が爆発し、思考を痛みという名のノイズが遮った。
「ごぁ……がはッ……ばァ、ハァッ!」
『神化』を果たした楓の掌より繰り出された『蛇腹・連刹風牙』は、触れた先からデザインキメラをごっそりと消し飛ばしてみせた。
石舞台に残る擦過痕はもはやクレーターのように半円型の窪みを穿ち、その牙の凄まじさを物語っている。
本当に思わず笑ってしまうような高火力で、その威力は勇麻たちに群がっていた群れの三分の二を瞬時に消滅させた程だ。
しかしそれは、勇麻たちにとってアドバンテージとは決して成りえない。
「ぐ、ぁ……、楓……」
「東条君ッ! ……くそっ、最悪だ。よりによってこのタイミングで動き出すか……ッ!」
破壊の矛先は明らかに東条勇麻を照準していた。
もし海音寺の咄嗟の叫びが無ければ今ごろ勇麻の身体は瞬時にミンチと化し、グロテスクな虫共の肉片の残骸と混じり合って見分けがつかなくなっていただろう。
楓の一撃によって三分の二が消し飛んだデザインキメラも、同胞が消し飛び空いたスペースに流れ込むように周囲から集まってくるデザインキメラにより勝手に補充されていく。
余波で吹き飛ばされた事により海音寺と分断されたのも致命的な痛手だった。
そして、クライム=ロットハートの洗脳の影響下にある天風楓の再始動は、すなわち再び勇麻を狙った攻撃の再開を意味している。
『神の子供達』一人を相手にしながらデザインキメラの大群を掻い潜り、最下層へと潜る。
ただでさえ困難な目的であったにも関わらず一気に難易度が跳ね上がったのを肌で感じる。
轟音が耳を叩く。
楓の背中から飛び出た悪魔か天使か判別のつかない正体不明の六枚翼が勇麻を破壊できる事を悦ぶように暴れ回る。
……二発目が来る。いや、それより先に無防備に背中を晒す勇麻めがけデザインキメラが殺到し一斉に喰らい付くのが先か。
どちらにせよ、このままでいれば楓を救う事も出来ずに彼女に十字架を押し付け死ぬのに違いはない。
――それは絶対に許容する事のできない、最低最悪の結末だった。
(気合入れろ馬鹿野郎っ、誰の命が掛かっていると思ってやがる……! 俺がここで死んだらそれが何を意味するのか、分からないとは言わせねえぞ東条勇麻ッ!!)
依然として地面に倒れ込み起き上がれない勇麻は、既に血の味がする唇を強く噛み締める。
痛みで恐怖を、気を抜けばその胸に生じそうになる虚無的な諦観を紛らわすかのように、強く強く。
痛覚を刺激して呼び覚ます感情などただの一つ。結局の所、少年が持ち得る武器などそれ一つしかないのだから。
(ビビってんじゃねえ……いいや、ビビってもいい。それでも、動け。それでも、戦え。俺は、今この瞬間だけは、まだ――)
力無く投げ出された右の掌が、石床を削りながら拳の形に握られる。
息も絶え絶えに、けれど終われぬと意地を張る。
「――まだ、終われない……んだよっ」
立ち上がろうと必死に拳に力を込める。
痛みに軋み過労に悲鳴をあげる身体は僅かに動く。だが、間に合わない。まるで赤ん坊の這い這いのように身体を這わせ、ナメクジのような鈍足の匍匐で前進するのが今の勇麻の精一杯だ。
痺れる脚は、未だに立ち上がる機能を回復させない。勇気の拳をもってしてなお、燃え上がる心に対してボロボロの身体が追い付かない。
そもそも勇麻の身体はロジャー=ロイとの試合を終えた時点で限界だった。クライムに幻影を見せられていた楓との殺し合いだって、外部より誘導された憎悪や殺意を燃料に強引に身体を動かしていたようなもの。
そこからさらに溜まりに溜まった蓄積したダメージが勇麻の身体に重く伸し掛かっていた。
……ああ、風の音が強くなる。轟々と、嵐の夜のような幼い頃の恐怖の記憶を刺激する恐ろしい風の唸り声が、その存在感を徐々に増していく。
デザインキメラ達が、再び標的をロックオンしてその肉を啜ろうとキシキシと不気味な音を響かせ翅を羽ばたかせる。
海音寺が未だ動けない勇麻の元に駆けつけようと、必死に何かを叫びながら凄まじい形相でこちらに向かっている。
しかし立ち塞がるデザインキメラの群れが、その一歩を遅らせる。海音寺がどれだけ急ごうとも、あと一歩で届かないのだろうと分かってしまう。
……でも、それでも諦めきれない、そう思った。
だって、このままでは楓を救えない。彼女の味方であり続けるとそう誓ったのに、彼女の涙を拭ってやれない。彼女の笑顔をもう一度見る事が出来ない。
嫌だ。それは嫌なのだ。認められない。許容できない。許せない。
でも、東条勇麻には力がなくて、英雄の代替品なんて大層なものを演じてきた癖に一人きりじゃ何も出来ない英雄足りえない紛い物でしかない事実はちっとも変わらなくて。
だからきっと、東条勇麻でなく南雲龍也だったらこんな状況でも彼一人でスマートな解決策を導き出して楓を救ってしまうんだろう、なんて益体もない事をこの状況で考えてしまっている自分がいる事が、何処までも惨めで情けなくて悔しくて死にそうで――
――そんな昏い怒りさえも燃料に心を燃え上がらせた。勇気の拳もまた、勇麻の想いに応えるようにその回転率を上昇させる。
立ち上がらなければならないのだ。
東条勇麻を傷つけて泣く天風楓の姿なんて、もう見たくないのだ。
彼女の味方であると嘯きながら散々悲しい思いをさせてきた。自分の傲慢さが、エゴが、独善的な正義が、楓から笑顔を奪っていた。
もうこれ以上、東条勇麻が彼女に悲劇と不幸を背負わせる訳にはいかないのだ。
だから、立て。
立て、立て、立て、立ってくれ……!
頼むッ、壊れてもいいッ。この一瞬で構わない。立って、くれッ! あの子を……天風楓を泣かせてしまわない為に……ッ!!
熱い想いが、東条勇麻の身体を突き動かす。
勇気の拳が、勇麻の想いに呼応してその回転率をさらにあげる。
そして――
「――なん、で………………なんで、動かねえッ!!」
失敗した腕立て伏せのように、僅かに持ちあがった身体は無様にも崩れ落ちる。
行き場を失った握り拳を、その場で地面に叩き付けた。
拳の威力によって石舞台に放射状に罅割れが広がった。岩をも砕くその拳は、しかしこのボンクラな身体一つ起き上がらせる事すらできなかった。
みっともなく生き足掻く勇麻を嘲笑うかのように、数十メートル先の楓がその腕に纏わせる風の渦を一気に膨れ上がらせる。
デザインキメラが喧しい羽音を響かせ一塊の団子となって殺到してくるのが見える。
いつも冷静で落ち着いている海音寺が、感情を剥き出しに絶叫しながら力任せに高圧水流を振るい敵を薙ぎ払っていた。
必死になって勇麻を助けようとしているその先輩の姿が、何だか場違いに嬉しくて、こんなどうしようもない自分の為に傷を増やしていくその姿に罪悪感を覚え胸が痛んだ。
だから。
だから、だから、だからだからだからだからだからだからッッ! 立ち上がらなくちゃ、そうじゃないと、いけないのに……!
ははは、と自分の口から薄ら笑いが漏れ聞こえる。
この無様が現実だとは思えない、思いたくない。
ここまでして起き上がれない自分の身体が、殺してしまいたいほどに憎い。歪に捻じ曲がった笑みから、負け惜しみじみた泣き言が漏れ出始める。
「……ダメ、なんだよ。こんな所で終わっちゃ、こんな終わり方って、ないだろっ。だって! 俺の今までの行いの全てがッ、ただの自分本位の独善的で傲慢な我儘でしかなくて誰かを傷つけているだけの間違いだったとしても、ここで楓の手で殺されちまったら、それこそ……! 本当に俺って人間は何だったのか分からなくなるっ。何の為に生きて来たのか、何も……意味が分からなくなるじゃねえかよォ……っっ!」
最後の最後で、ずっと味方でありたかった幼馴染の笑顔を希望を全て奪い去る絶望の象徴となって終わるというのなら、東条勇麻という男がこれまで進んだ道にきっと意味などありはしない。
そんな意味なら欲しくはない。なくていい。だから、この瞬間だけは絶対に立たねばならないのだ。
ここで死ぬ訳には、絶対にいかないのに……ッ!
あと一歩、あと一手。
僅かその数瞬及ばずに、東条勇麻は許容外の敗北を――死を、幼馴染の少女によって突き付けられる。
最悪の結末を迎えようとした、まさにその時だった。
倒れ伏している事で、耳が地面近くにあったからだろうか。なにか、誰かの足音が吹き荒ぶ風の轟音の中、腹の底に響いたような、そんな錯覚がして――
轟ッッ!!!
――再び『蛇腹・連刹風牙』が、東条勇麻を粉微塵に粉砕すべく解き放たれたその刹那。
客席より飛び出し石舞台を囲む暴風の檻を突破する影が三つ、東条勇麻の前に躍り出た。
「――、斬云ッ!」
それは、鞘から解き放たれた一撃必殺と呼ぶに相応しき極大の一閃。
「――ふんぬぅッッ!!」
それは、裂帛の気合と共に繰り出されし只人の辿り着いた一つの極致、剛腕の拳撃。
「――絡め取りなさい『枝葉の縛鎖』ッ!!」
それは、膨張するように爆発的な成長を遂げる生命の神秘を感じさせる枝葉の縛鎖。
それらが東条勇麻を破壊せんと迫る蛇嵐の一撃と拮抗、あるいは少年を捕食せんと迫る数多の奇怪な虫の顎と牙と毒針とを絡め取って捕縛し押し留めてみせたのだ。
――彼らの名を、この場にいる誰もが知っていた。
天界の箱庭所属、『臥薪嘗胆』北御門時宗。
新人類の砦所属、『闘争の掟』ブラッドフォード=アルバーン。
新人類の砦所属、『母なる緑』ユーリャ=シャモフ。
唐突に現れたのは干渉レベルAクラスの名だたる実力者達。
東条勇麻と大した接点もない筈のその三名が、勇麻の絶体絶命の危機を前に間一髪で割り込んだ。
神の子供達へと至った少女の蛇嵐の一撃に対し、極大の一閃と最強の拳撃とが真っ向からぶつかり合い火花と衝撃波を周囲へ散らす。
「なんで……どうしてアンタらが……ここに……」
呆然とする勇麻の口から思わずこぼれ出た独り言に、糸目の侍かぶれがその瞳を薄く見開きニヤリと不敵な笑みを浮かべる。
「愚問也。拙者は血の滾るような強者との死合いを求む。なれば、神の子供達と刃を交わすなどまたとない好機、逃す道理無し……!」
――北御門時宗は周知の通り強者との一騎打ちに心を躍らせる戦闘狂である。
しかしその一方で――無口で無愛想な為大変誤解されやすいのだが――一自分と戦った相手や自分が好敵手と認めた相手に対しては義理堅く、人情に厚い一面も有している。
一度自分と殺し合った仲である十徳十代や鳴羽刹那をわざわざ指名しチームを組んでいる事からも、その辺りの若干時代錯誤な彼の価値観が透けて見える。
勿論、神の子供達と戦ってみたいというその願いも真実だろう。しかし今回の彼は好敵手と定めたブラッドフォード=アルバーンからの要請を受け、同じ天界の箱庭の選手である天風楓の暴走を食い止める為にこの場に立っていた。
同じく、勇麻の呟きをくだらんとばかりに鼻を鳴らすは獅子めいた重圧な存在感のある初老の男。
「ふん、理由なぞ知れたこと。弟子と師が拳を交わすのに、ことさら特別な理由など不要である。だが――」
肉弾戦最強の男、『無敵艦』ブラッドフォード=アルバーン。
『女王艦隊』第二艦隊旗艦を務めるこの大物が、所属都市の異なる北御門にまでわざわざ声を掛け戦う理由は言わずもがな。
勇麻の知る由ではないが、この筋骨隆々の厳つい風貌の男こそが楓に『従術』の基礎と近接戦を叩きこんだ彼女の師にあたる人物なのだ。
ブラッドフォードは、一度言葉を区切った後に明確な怒りをその表情に浮かべてこう語った。
「――強いて言うのであれば、我が見込んだ弟子の晴れ舞台を穢した不逞の輩を許すつもりなぞ毛頭ない。誇りある一騎打ちを、無垢なる少女の真摯な願いを踏みにじった『創世会』は、このブラッドフォード=アルバーンの名において断じて許してはおけぬ……ッッ!!」
元より、ブラッドフォード=アルバーンは大勢の民を支配してきた都市の治世者。エリザベス=オルブライトにその全権を乗っ取られるまでは、一見暴君じみた振舞いながらも長年に渡って都市の秩序と平和を守り新人類の砦を正しく運営統治してきた男だ。
――弱者は強者に支配され従うべき。その代償として、強者は弱者をありとあらゆる苦難や外敵から守る義務がある――そう説いたこの男が、己の弟子を大切に思わない訳がない。
短い期間の歪な師弟関係だったとしても、ブラッドフォード=アルバーンと天風楓の間に生じた絆は本物だ。
少なくとも、ブラッドフォード=アルバーンにとっては現時点の天風楓がどれだけ格上の存在であろうとその拳で打倒すべき強者であると同時に己の庇護すべき弟子なのである。
一方、いつも通り上司の無茶ぶりに巻き込まれる形となった傘のように先端にむけゆるやかにカールする金髪に理知的な眼鏡が特徴の『提督』ことユーリャ=シャモフは苦労人気質の滲み出る悲鳴をあげていた。
「こっちが聞きたいですよ全くぅッ! いきなり個人チャットで呼びつけられたと思ったら、こんな戦場に駆り出されてッ、あの馬鹿は本っっっ当にこっちの気も知らずに………………こほんっ。ま、まあ、単なる上司命令ですっ。危険なのでいいからアナタは下がっていてください!」
ロジャー=ロイの扱いもあって、女王艦隊内でも何かと不憫な扱いをされがちなユーリャではあるが、彼女もまた女王艦隊第五艦隊旗艦を務める猛者中の猛者。敵味方乱れる大乱戦において、彼女の『母なる緑』は圧倒的な制圧力を発揮する。
この状況でこれ以上頼りになる人物はそうはいないだろう。
そんなユーリャの怒声と共に、地面から生じた蔦に首根っこを引っ掴まれて後ろへ放り投げられる勇麻。完全にお荷物扱いだ。
ブツブツと文句を垂れ流しながらも、ユーリャは地面より伸ばした枝や蔦や蔓を自在に操って接近してくるデザインキメラを一匹も漏らすことなく次々と捕縛、あるいは撃破していく。
この土壇場での胆力といい技量といい流石はロジャー=ロイの後継者として旗艦を任されるだけの事はあると言った所か。
しかし――干渉レベルAクラスの神の能力者三人が束になって全てがうまく転がる程、神の子供達という存在は甘くはない。
「ぬぅううううううううううううッッ!!」
「ごッ、オオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ!!」
驚嘆に呆ける勇麻の眼前、二つの大きな背中が嵐の勢いに負けじと吠え猛る。
天風楓の蛇嵐の一撃に対し極大の一閃と最強の拳撃とが真っ向からぶつかり合い互に一歩も退かず譲らず逆に相手を食い破らんと鬩ぎ合う――
――それが絶頂で、そこが限界だった。
確かに釣り合っていた力の天秤が傾き始める。
干渉レベルSオーバーの一撃を跳ね返すには、足りない。
徐々に押し戻される剣閃と拳撃。溜めに溜めた最大出力極大の一閃を維持し続けている男の日本刀、その刀身に罅が走り、単なる肉体で触れる全てを食い破る蛇嵐の咢を殴りつけている男の拳から夥しい量の鮮血が風に乗って舞い踊る。
ずるずると。
踏ん張る両者の足裏が石舞台を上滑りし、後に残る擦過痕が逆説的に蛇嵐の圧倒的な破壊力を絶望と共に刻み込む。
ユーリャ=シャモフが生み出す樹木の枝が背後から二人の背中を力強く支えるも、嵐の蛇の勢いは一向に萎える気配がない。
圧倒的な破壊の前には、数の多寡など関係ない。そんな真理を見せつけるような絶望的な光景に、少しずつ死が迫ってくる現実に、勇麻は奥歯を砕ける程に喰いしばる。
……ダメなのか、これだけの奴らが揃っても届かないのか……ッ!
そんな諦観が思わず脳裏に浮かぼうとして――
「――そんな顔をするのはまだ早いですよ、東条勇麻。圧倒的な破壊? 舐めないでください。言ったでしょう、此処へ来たのは上司命令だって。ウチの馬鹿は確かに変態でどうしようもないセクハラ魔ですけど、こと破壊に関しては神の子供達にも負けないと、私はそう信じていますから」
ユーリャ=シャモフが、憧憬に夢見る乙女のような期待と高揚、そして絶対的な確信に満ちた不敵な表情でそう断言した直後だった。
誰にも聞こえないような声量で、純真な少女のような声での囁きが一つ世界に零れ落ちる。
「――やっちゃえ、私のヒーロー……!」
「――『堕天槍落』」
少女の祈りに応えるように――天より破壊が、墜ちた。




