第六十一話 踏みにじられた想い/悪意の嘲笑Ⅱ――許せないという思い:count 1
東条勇麻とセナ=アーカルファルの試合が不穏な空気を帯び始めた頃。大会の裏側では対抗戦本選と比べても見劣りしないような高次元の戦闘が、スタジアム各所で勃発していた。
ぶつかりあう干渉力の規模からして、戦闘のその余波だけで世界のバランスを崩しかねないほど危険なものばかりだというのに、未だに事態が露見していないのは、対抗戦の出場選手として強力な『神の能力者』が沢山集まっている為、大きな干渉力を感知しにくくなっているという事も要因の一つとなっているだろう。
それでも感知系の力を持つ者が本気になって周囲の様子を窺えば唖然とするに違いない。
なにせ、スタジアム周辺で起きている戦闘は、対抗戦出場者でも顔が真っ青になるような高次元の殺し合いばかり。
そして、本来ならば彼等の戦闘だけは何をどう取り繕った所で隠し通す事は到底不可能であっただろう。
なにせ全ての神の能力者の頂点に立つ四人の神の子供達と、その枠からすら外れた人外である『特異体』が一堂に介し真っ正面からぶつかり合っているのだから。
「あの……馬鹿めッ! いくら本気を出すとは言え、少しは自分の力を考えて行動したらどうなのだッ! 『世界』が持たないぞ……!?」
顔を庇うように腕を掲げ、前髪を掻き上げる凄まじい衝撃波に思わず悲鳴じみた愚痴を零すのは純白のスーツにその身を包んだ金髪碧眼の美男子、『設定使い』。
未だに彼らの戦闘が騒ぎになっていないのは、『設定』を自由自在に書き換え世界に干渉、反映するという馬鹿げたチートスキルを持つこの男が、神の子供達達がぶつかり合うこの空間を切り取り、一時的に異空間へと置換し隔離しているからに他ならない。
そうでもしなければ彼らの戦闘の余波だけでスタジアムの半分が吹き飛び、今頃観客席にも大きな被害が出ていた事だろう。
……それにしても異次元の戦闘をするものだ。
眼前で繰り広げられる戦いを見つめ、設定使いは思わず喉を鳴らす。
同じ領域に立つ彼の目から見ても、『狡猾の蛇』スネークと『運命の悪魔』ディアベラス=ウルタード、そして『救国の聖女』クリアスティーナ=ベイ=ローラレイ三名の戦いには凄まじいものがあった。
女王の干渉を拒絶しようと抗ったディアベラスの一撃をまともに喰らい致命傷を負っているハズのクリアスティーナ=ベイ=ローラレイが、空間転移で唐突に消えては現れてを繰り返してスネークを翻弄する。
まるで幽鬼のように蒼白な顔で口元から血を垂れ流しながら、死角から空間ごとスネークを捩じ切る斬閃を放ち、もしくは疑似的な重力操作でもって莫大な力でスネークを圧搾。全方位から空間の持つ力でもってただ一人の男を押し潰そうとする。
強烈な憎しみと怒り――強い敵愾心を女王に抱いた末、彼女の手に堕ちてしまったディアベラスも、その偶然の死を司る悪魔の本領を発揮していた。
血涙に顔を歪ませながら放たれる鮮血色の閃光が驟雨の如く降り注ぎ、隙間のない弾幕としてスネークを呑み込む。
一見、雑に濫用しているだけの牽制技のように思えるが、その一撃一撃が『設定使い』が設定の力によって一時的に切り離した世界を揺るがすほどの威力を秘めている。
無視することが許さる威力でもなければ、かといって分厚い弾幕には潜り抜ける間隙も見当たらない。
その圧倒的な強さ、まさに比類なき最強。頂点たる神の子供達を名乗るに相応しい絶対的な干渉力に世界が悲鳴をあげているのが分かる。
いかに『特異体』といえど、彼らの全力を前に余裕はなかった。
規定外であるSオーバーを冠する彼女らは、神の能力者としても異端。異常の中ですら外れている埒外共だ。干渉レベルA以下の存在といちいち比べるのが馬鹿馬鹿しいと思ってしまう程に、彼等はあまりにも強くなりすぎていた――
――本来、人外中の例外。特例中の特異である『特異体』が、本気の手加減をしなければならない程には。
「はァッ!」
真っ直ぐ正面へ突き出すように振るわれた拳が、赤紫色の致死の光りをその拳圧だけで霧散させる。
空間ごと捩じ切る斬撃がスネークの身体に喰らい付く、しかし魔力を通した鋼の肉体に少し力を込めただけで斬撃はその歯を砕かれスネークを捩じ切り損ねる。
この場合の本気の手加減とは、真剣に戦いながらも殺してしまわないよう本気で手加減をする。という些か矛盾したような意味を持っているワードであった。
そもそも、普段から戦場に出たがるスネークではあるが、彼が背神の騎士団の任務で全力を振るった事は実は一度もない。
寄操令示に寄生虫を植え付けられ、肉体の支配権を奪われた天風楓と戦った時ですら、スネークは肉体の強度と素の身体能力のみで準神の子供達クラスの実力を持つ楓の攻撃全てに対処している。
今回のようにスネークがわざわざ魔力を練り上げて戦う時点で、ディアベラス=ウルタードとクリアスティーナ=ベイ=ローラレイがどれだけ凄まじいのかを理解できる一方、この男の底知れなさに寒気を覚える。しかもこれでもなお、スネークの全力には程遠いと来ている。
(……これでまだ練り上げた魔力を肉体に通しただけ。ならば、五十年前のあの時はこれ以上の……)
……全力で戦った事は一度もない、などとつい先ほど言ったばかりなのだが、正確には半世紀前に一度だけスネークが全力で戦う機会があるにはあった。
だが、当時既に『知恵の実』と共に『神性』を大きく失っていたスネークの全力を『特異体』の全力と捉えていいものなのかは微妙な所だろう。
とすると、スネークはこの先二度と全力を出せない状態であるとも言えるワケで。
今のスネークの本気の手加減は彼が弱体化したが故に神の子供達程度を相手にそうせざるを得なくなってしまった、と表現する事も出来るのだ。
おそらく、弱体化以前の彼ならば天風楓をあしらったのと同じように素の身体能力のみで神の子供達を翻弄するのだろう。その恐ろしさに背筋を震わせ、そして自分達が敵対している敵の長がその全盛期のスネークと同等かそれ以上の怪物であるという事実に『設定使い』は絶望を覚える。
何せ、弱体化した今のスネークが万全の状態の『特異体』に挑んだ所で勝ち目がないという結論が、五十年前の戦いで既に出てしまっているのだから。
だがそれでも、『設定使い』は『世界』を遵守する者として『狡猾の蛇』に乗ったのだ。例えかつて自分を救ってくれた大恩神を敵に回す事になろうとも、世界を大きく揺るがすであろう彼の『特異体』の蛮行は絶対に阻止せねばならないのだから。
(――とはいえ、弱体化して尚頼もしいのは事実だがな。腹立たしい事このうえないが……っ)
スネークの一挙手一投足に爆発のような衝撃波が付随し、その嵐のような衝撃波の威力だけで『設定使い』の足裏が空を滑上りし、そのまま吹き飛ばされそうになる。
切り取ってきたスタジアムの通路部分が早々に吹き飛ばされた今、碌な足場のないこの空間で立つという行為は本人のイメージに依存する。
自身の強固なイメージによって足場のない地面を踏みしめ直立している『設定使い』が、衝撃波だけで吹き飛ばされるとイメージを覆してしてしまう程の力と存在感――これも干渉力と呼ぶべきだろう――それが、それだけ絶対的で圧倒的な力が弱体化してなおスネークにはある。
だが……。
「素晴らしいわ!! やはり『特異体』はこうでなくてはッッ!! ああ、滾る。滾りますわ!! これだけの力を私の所有物に出来たなら、確実に世界を支配にできますもの。輝かしい未来が見えます。争い無き私の理想が目の前に! あぁ、もっと……もっとです。もっと私に見せてくださいな、素敵な騎士様……ッ!!」
圧倒的な実力差を見せつけられてなお、平和の狂信者は折れる事がない。自身の夢を諦めようとしない。
そう、最弱の神の子供達である彼女の前では究極的には強さなど関係ないのだ。
どんな強者であろうとも、所詮は自分が支配し正しく導いてやる兵器としか捉えていない彼女は『特異体』ですら怖れない。
そして彼女の『平和の支配者』は条件さえ当てはまれば『特異体』であろうとも縛り付ける事ができる可能性が高い。
現状、スネークは意図的に自身の中にある怒りの感情をエリザベス=オルブライト当人ではなくもっと大きな存在へと向ける事で彼女の支配から逃れているようだが、それもいつまで持つかは分からない。
そして、彼女の支配下にあるクリアスティーナは現在重傷を負っている。『設定使い』の力があれば息があるうちは完璧な治癒が可能ではあるがあまり時間はないだろう。
ディアベラスとクリアスティーナをエリザベス=オルブライトの支配から解放するには、彼女自身に支配を解いて貰う他ない。
その為には『特異体』を支配するなど不可能なのだという事をエリザベス=オルブライトに叩き込む他ないのだが……これは想像以上に骨が折れそうだ。
(クリアスティーナ達を殺してしまわないよう細心の注意を払っているのは分かるが……あまり長引かせてくれるなよ、狡猾の蛇……)
世界への影響を考慮して戦場を空間ごと切り取って異空間へ隔離している事もあり、外の動向が把握できない事もスネーク達にとっては問題だった。なにせ、スネークにとって彼との最後の約束でもある希望の見極めの瞬間がもう目前に迫っている。あの少年に希望を見出した『設定使い』にとっても、決して見逃すわけにはいかない世界の分水嶺とでも呼ぶべき瞬間が。
『創世会』が動く事はまず間違いない。そして、スネークと『設定使い』は彼等の狙いを理解したうえでそれを静観し、結果を見届けてから動くと決めている。
本来ならば、エリザベス=オルブライトの凶行に構っている時間はない筈だった。
しかしスネークは、目の前で起きた『互いを思い合うが故の最悪の結末』を見過ごす事が出来なかった。
悉く甘い男だ。『設定使い』は吐き捨てるように内心でそう呟く。目的の為に必要とあれば何だってやるなどと豪語しておきながら、未だに冷徹になりきれない人間よりよほど人間じみたその『特異体』を、『設定使い』は苦々しげな顔で見つめていた。
――そんな『設定使い』の懸念は見事に的中しており、外ではスネーク達にとっても想定外の事態が進行していた。
しかし、いくら万能に限りなく近い力を持つ『設定使い』と言えども、現実世界から切り離された異空間においてその異変に勘付く事は出来なかった。
黒幕気取りの『特異体』の思惑さえ超えて、悪意は少年と少女の未来を蝕んでいく。
そして、
スネークと『設定使い』が全てに気付く頃には、事態は取り返しのつかない状況にまで発展。
三大都市対抗戦は、最悪の結末へと向かう事となる。
☆ ☆ ☆ ☆
東条勇火はスタジアム最上階より順に下階へと降りて行く形で天風楓の捜索を続けていた。
タイミングが悪ければ四階で海音寺と老執事に、三階でスネークや神の子供達達と遭遇していたかもしれない勇火だったが、幸いな事にそのどちらともバッティングする事なく、スタート地点であるスタジアム通路一階にまで戻って来ていた。
勇火とは反対に、下階から上階に向けて登って行く形で楓を探している鳴羽とは此処に来るまで鉢合わせになる事はなかった。
楓を見つけた場合、もしくは一通り捜索した後に合流する予定になっている場所にも立ち寄ったがそこにも鳴羽の姿はない。
つまりまだ鳴羽の方でも楓を見つけるに至ってないという事なのだろう。
(信じて頼ってみたはいいけど、大丈夫かなぁ鳴羽センパイ。スタジアム内部の通路は一本道とはいえ円形で、階段も複数あるから入れ違いになる可能性は勿論あるけど……)
一応信頼は出来る先輩の普段のヘッポコ具合を思いだしながら不安に胃を押さえる勇火。
人を探すどころかスタジアム内で迷子になってるとか、普通にありそうで怖い。
かと言ってあまり連絡を取るのも気が進まなかった。なにせ背神の騎士団すら無条件に信用するのは危険な状況にあるのだ。勇火はそこまで警戒されていないらしいとはいえ、足のつきそうな行動はなるべく控えたい。
不安を押し殺しつつ、やや楕円型のスタジアムの西側。カーブの角度が少しきつくなる部分を壁に沿って――扉があれば開いて中を確認しつつ――時計回りに走っていた勇火は、視界が開けた先でそれに遭遇した。
「――、アンタは……」
「クハハハッ、ヒヒャハハハハ……っ、はー、あー、もう無理。腹いた……ん? おぉ、勇火チャンじゃん! おっひさー。なになに九月以来じゃね!? 兄貴裏切ったその後、元気してた?」
反射的に足を止め、意図して感情を抑え込もうとするような勇火の低く硬い声に、その男は夏休み明けの友達に話しかけるような軽い調子で応じた。
九月某日。神の力を使って東条勇麻を焚きつけ、『雷雨の狂気事件』と呼ばれる集団暴動の発端を作り上げた張本人。くすんだ金髪とじゃらじゃらと喧しい音を鳴らす鎖を身に付けた最悪の男、クライム=ロットハートは人を見下し嘲るような笑みを浮かべてそこに立っていた。
勇火に気付いたクライムがその立ち位置を変える。すると、クライム=ロットハートの足元、紺色の髪をしたクールで知的な印象のある見覚えある少女がボロボロになって虚ろに目を見開き倒れているのが視界に入って――
――東条勇火の背中が、爆ぜるように閃光を放った。
「アンタ、その子に何をした……?」
「キヒ! 何、勇火チャン怒ってんの? 憧れチャンに絶望してた分際で、全うに正義感燃やしてるの超ウケるんだけど」
起句も無し。有無を言わせぬ勢いでその背に雷翼を展開した勇火にクライムは目を細め、その心を揺さぶりにかかる。
しかし勇火はクライムの挑発にまともに取り合う気は微塵もなかった。クライムの思い通りに勇麻への鬱屈とした感情を炸裂させたあの頃の自分からは大きく成長したという自負があった。
だから、揺るがない。この程度の安い挑発、一々反応してやる理由も価値もない。
自身の選択を、踏み出すこの一歩の価値を、もう誰にも。クライム=ロットハートにも東条勇麻にも自分自身にさえも――
――誰一人にだって、貶めさせるつもりはなかったから。
バヂィバヂィと、威嚇するような高圧電流の弾ける甲高い音を背中の翼が奏でる。
勇火の身体を這う生き物であるかのように青白い火花が周囲を散り、俯く東条勇火の顔を照らし出す。
「クライム=ロットハート。アンタら『創世会』が何を企んでるかは知らないけど……おかげで楓センパイを探す手間が省けたよ」
「……はぁ? なにそれ。どういう意味かワケわっかんねえじゃんよぉ?」
相手の神経を逆なでするようなふざけた笑みに、雷翼を輝かせる東条勇火は勢いよく顔を上げて、
「俺がここで諸悪の根源をぶっ潰して終わりだっつってんだよ、黒幕気取り」
「ギャハ! キッヒャハハハハハハハハハハハハハッハハハハハッハハハハハッハッハハハハハハハハ!! なにソレ勇火チャンかっけえええええ!! 何の漫画のパクリだよッ!! イイ歳こいてヒーローごっこたぁ、なっかなかに楽しませてくれるじゃん!」
正義は必ず勝つなんて言葉が語られ幾星霜、未だ滅びぬ悪逆の権現の眼前。確かにそこには一人の英雄が立っていた。
☆ ☆ ☆ ☆
今回の悪の親玉であるクライム=ロットハートと偶然にも遭遇してしまい壁の中でしどろもどろしていた和葉は、予期せぬ援軍の登場に壁の中でテンションがあがって飛び跳ねて頭をぶつけていた。
「~~~っ、もうっ、ホントに今日は厄日よ……」
だが、ようやく和葉にも運が向いてきたのかもしれない。ネコ耳キャップのうえから頭を撫でながら、和葉は逆転の一手を手にしたように瞳を決意に振るわせる。そう思わせるには充分な展開だった。
(東条くんほどじゃないにせよ、なかなかカッコいいじゃない……!)
突如として始まったクライム=ロットハートVS東条勇火。
『創世会』の幹部をたった一人で相手取るという一見無謀にも思える戦闘は、東条勇火がクライムを一方的に圧倒するという想定外の展開となっていた。
クライムの神の力は戦闘向きではないとはいえ、そのタネさえ知られなければ充分に初見殺しと言えるだけの性能を秘めている。
仮に『右目の直視』が洗脳発動の条件というタネを知られていたとしても、クライムはその情報すらをも利用する程に強かな難敵だ。
『心傷与奪』で相手の大まかな感情を読み取りつつハッタリやブラフを織り交ぜた話術を駆使しての回避は当然、そのまま心の傷を的確に突く口撃で精神的に相手を翻弄。武闘派の神の能力者であろうとも手玉にとって完全に攻略してみせる。それが可能なだけの性格の悪さと勝負強さ、自身の神の力に対する深い理解を持っている。
並みの神の能力者であれば神の力を使わずとも嬲り殺しにできるだけの技量があるハズのクライム=ロットハートが、雷撃を操る勇火の猛攻を紙一重で掻い潜るので精一杯だった。
――このチャンス、絶対にモノにするしかない。
ごくりと、唾を呑み込む和葉。
クライムは重火器を使うとの情報もある。今すぐにでも飛び出してしまいたい衝動が和葉を襲っていたが、軽率に動いて状況を悪化させる事だけは避けねばならないと強く自分に言い聞かせる。
クライム=ロットハートの意識が完全に勇火のみに集中するベストなタイミングを見計らって、ここを脱出。そのままダッシュで離脱するしかない。
壁に左手を押し当てながら、和葉は深呼吸を繰り返し脱出のタイミングを窺い始めた。
☆ ☆ ☆ ☆
――赦さない、赦さない、絶対に赦さない……!!
頭の中に反響する声! 声! 声!
高らかに高らかに、響く声は憎き相手を殺せと嗤い謳う。憎悪が何もかもを真っ黒に塗りつぶし、視界を灼熱とさせる。
ドス黒い朱に染まる視線の先、にへらと笑みを張り付ける最悪の男を絶対に赦すなと、勇麻の中で誰かが叫ぶ。
――当たり前だ。だって、だって、だって……!! 目の前の男は、クライム=ロットハートは東条勇麻の大切なものを遊び半分で奪ったのだ。
絶対に認められない結末を突き付けられた。
あってはならない現実を齎した。
クライム=ロットハートが、勇麻の幼馴染を――天風楓の命を奪った。
そんなの、許せない。赦せる訳がない。赦せていい訳がない。
……あぁ、クライム=ロットハートが憎い、憎い、憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い……ッ!!!!!
守りたいもの一つ守れない、守れなかった事にすら気づかなかった愚鈍で愚かな自分も許せない。
だがそれとこれは別だ。
クライム=ロットハートだけは、優しくて思いやりに溢れた一途で努力家の幼馴染の大切な少女の命を奪ったこの狂人だけは。
この右手で縊り殺さねば気が済まない。
「……クライム、ロットハートォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!」
怨嗟の叫びは自分の声とは思えない程におどろおどろしく響く。
沸々と湧き上がる凍えるような憎悪を胸の炎にくべる度、勇気の拳の回転率があがる。握りしめた拳が、勇麻の力に耐えきれずに握った端から血を噴き出す。鮮血の飛沫が飛び散るその光景は、熟したオレンジを握りつぶすソレに似ていた。
血と憎悪に塗れた壊れかけの真紅の拳を引き絞り、足元を爆散させる勢いで蹴りつける。
吠え猛りながらの急加速。眼前のクライム=ロットハートに一気に肉薄すると、愚直なまでに直線的な――しかし音速に迫るかと言った爆発的な勢いの拳弾がその顔面目掛けて繰り出される。
しかしクライムは素早く屈みこれを回避。低い姿勢のまま勇麻の懐へと潜り込むと、半回転。頭上を通過する右腕に手を添え、片手一本で勇麻の勢いを利用した背負い投げを決める。
背中から地面に叩き付けられ、衝撃に吐血。目の前の敵を殺す為の力で自分が投げ飛ばされた事実が、さらに頭に血を昇らせ怒りの感情を加速させる。
しかしクライムも攻撃の手を休めない。
空に腹を見せた状態で喘ぐ無防備な勇麻へと渾身の力を籠めて踵を落下させる。内臓を踏みにじる。何度も何度も何度もッッ!! リズムカルに、打楽器でも奏でるかのように、全体重を掛けたスタンプ攻撃が繰り出される度に勇麻は絶叫を上げて血反吐を吐く。そんな勇麻の悶え吐血する様を愉しむかのように
足裏が雨あられと降り注ぐ。
――死ね! 死ね! 死ね! 死んでェよぉ……!
今にも泣き出しそうな迷子のような、絹を引き裂くが如き危うさを併せ持ったそんな声が聞えた気がして――
「ぐっ、うぁがァッ!? ァ、ああ!! はぁ、はぁ、げほっ、ごぼァ!? ……調子に……、乗るなァ!!」
タイミングを合わせ飛来する足を横合いに転がって躱し、右手で地面を押して腰を起点にブレイクダンスのように身体を回転、足払いを掛ける。対するクライムは大きく跳躍、堪らず勇麻と距離を取る。
その隙に振り子のように跳ね起きた勇麻は後退する弱気を見せたクライムへと、間髪入れずに突っ込む。自身の背後へ石畳を散弾のように吹き散らしながら、砲弾と化して突貫。
その鳩尾に工夫も何もない頭突きを叩きこむ。
打って変わって今度はクライムが砲弾となる番だった。
勇麻のエネルギーを全て受け取ったクライムが、血を吐きながら場外へ目掛け一直線に吹き飛ばされる。
削られるように石畳を転がる中、必死に掛けた指先が石舞台に擦過痕を刻み込み、場外寸前でその勢いが止まる。
撓んだバネが戻ろうとするように、クライムは屈めた身体を爆発させた。
地を這うような低姿勢で勇麻目掛けて疾駆。風を纏ったかのような滑らかな加速に勇麻が目を剥くと、気付けば掌底が顎をかちあげている。
打ち上げられた身体。隙を晒すその正中線上、ドテっ腹目掛けて強烈な回し蹴りが突き入れられた。
腹の内側、内臓を抉るような鋭利な蹴撃に勇麻の身体が吹き飛ぶ。
硬い地面のうえを散々転がりまわって、血反吐を吐きながらそれでも立ち上がる。
ロジャー=ロイ戦より積もりに積もったダメージに身体は震え、ドス黒い朱に染まった視界は何重にも霞んで見える。
だがそれでも、殺意と闘争心、そして身を焼き焦がすような憎悪が萎える事はない。消えることはない。それは呪いのように、勇麻の思考と精神を蝕み続けている。
致命的な弱体化によって微動だにしなくなっていたハズの身体が燃えるように熱かった。
今ならどんな事だろうと出来る。誰だって殺せる。何だって壊せる。この憎悪は絶対に揺るがないと確信が持てる。
ロジャーロイとの戦闘と自身の回復に力を使い果たし動かないハズの身体は、どこからか無限に湧き上がるドス黒い憎悪によって強引に稼働させられていた。
「殺す……殺す、殺す、殺してやる……!!」
ブツブツと譫言のように殺意を繰り返す。ブツブツと譫言のように憎悪を振りまく。ブツブツと譫言のように、ただ殺す、と虚しき言葉を繰り返す。
楓の死を悲しむ余裕すらない程に胸を埋め尽くす憎悪と殺意、目の前の仇敵を滅茶苦茶に壊したい痛めつけたいという破壊衝動に突き動かされ、自身の傷さえ――死すら厭わずに拳を握る。
そんな自らの異様な心の在り方を、しかし勇麻は不審に思う事すらない。
ただ、目の前の男をとびきり残酷な方法でこれ以上ないくらいに絶望と地獄を見せてから殺害する。それだけが今の自分が成すべき事であると、無条件に信じている自分がいる。そんな異常に疑い一つ持たない自分自身すらをも、勇麻は特に不思議にも思わなかった。
しかし――何か黒いモヤモヤとした物が、ドス黒い朱色の視界に張り付くのだ。
無性に心がざわつく、不快なノイズ。勇麻の意識の片隅を占拠して怒りと憎悪を曇らせるその存在に勇麻は激しく苛立った。
しかし、それが無性に気になるのも事実なのだ。
何か、大切な何かが抜け落ちているような気がするのに、それが何なのか分からない。違和感などないはずなのに不快なノイズばかりが意識を引っ張り、気を逸らさせようとする、そんなおかしな感覚がある。
しかしそれも――
「ギヒッ! なあ、さっきから殺す殺すってぶつくさ気持ち悪い独り言言ってるけどさ、勇麻チャンてば口だけじゃね? 全ッ然俺チャン元気なんですけど!? ねえねえ、大切な人ぶち殺されといて仇一人殺せないとかお前ホントにちんこついてんの?」
「あ、がぁ……ッ! ……うああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッ!!」
――クライム=ロットハートの戯言を耳にした途端、灼熱の嚇怒に塗り潰された。
憎悪は終わらない。殺意は終わらない。
この胸の裡より際限なく沸き出すどす黒い感情の奔流に飲み込まれ、東条勇麻は東条勇麻を失っていく。




