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神ナリシ模倣者ト神門審判  作者: 高木カズマ
第六章 破 三大都市対抗戦・下
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第五十八話 命儚き恋せよ戦乙女Ⅲ――スタートライン/ずっと、ずっと、ずっと。届けたかった言葉:count 1 

「クソが、めんどくせーったらありゃしねえぜ。最悪の展開じゃねーかよ……!」


 クライム=ロットハート率いる女王艦隊クイーン・フリートの襲撃をホロロとビリアンと共闘する形で退けた黒騎士ナイトメアは、一人AEGスタジアム内部を走っていた。

 通路に等間隔に配置されているモニターの映像を横目に見ながら毒づく黒騎士ナイトメアからは彼らしくない焦燥が伺える。

 彼の周囲に人影は見当たらない。先ほどまで共に行動していたホロロとビリアンとも今は別行動を取っている。

 一応、離脱した彼女たちの元へ急がねばならない理由があったのだが、どうにも嫌な予感がした黒騎士ナイトメアは自分たちの控え室がある方向へと駆けて行ったホロロ達とは反対方向。逆時計周りにスタジアム一階の通路を走っていた。


 しかし、おかしな話ではあった。海音寺流唯との取引に応じた黒騎士ナイトメアの目先の目的は、クライム=ロットハートの足止めだったハズだ。

 女王艦隊クイーン・フリートとの戦闘が終わったからと言って、黒騎士ナイトメア足止め(役目)が終わる訳ではない。それだというのに戦場からの離脱を余儀なくされている、その時点で何らかのイレギュラーが発生したという事に他ならない。

 事実、黒騎士ナイトメア達は見事に敵の策略に嵌り、完全に後手に回っている状況だった。


「どこに居やがる、あの野郎……!」


 もっと早くに違和感に気付くべきだったという後悔。そして、完全に掌の上で踊らされ、まんまと出し抜かれた事実に自分自身への怒りを燃やす黒騎士ナイトメア


 ――脳裏を掠める回想は今より十数分前、東条勇麻とセナ=アーカルファルの試合順が早まった旨を伝える不自然なアナウンスが流れたタイミングまで遡る。



『……さて、と。面倒なのは倒したし、後はお前だけだな。マグマガール――っと、おいおい……このアナウンスはまさか――』


 狙撃手であるイヴァンナ=ロブィシェヴァの意識を奪った黒騎士ナイトメアが、決着を付けるべくドラグレーナ=バーサルカルへと一気に駆け出そうとしたその時だった。

 スタジアム内に突如として響き渡るアナウンスに黒騎士ナイトメアは眉を潜め、くすんだ金髪を愉しげに揺らすクライム=ロットハートの凶笑をねめつける。


(……このタイミングでの演目プログラム変更だと? 誰の仕業かははっきりしてるが、一体何が狙いだ? クライム=ロットハート……)


 今回、クライム=ロットハートにはシーカーから直接指令が下されていると聞いている。

 コルライ=アクレピオス直属の部下であるとは言え、あくまで汚れた禿鷲(ダーティーコンドル)の一団員でしかない黒騎士ナイトメアに、本来クライム=ロットハートの任務内容を知る権限はない。

 ただ、天界の箱庭(ヘヴンズガーデン)を含め三つの実験都市の実質的な支配者であるシーカーに対して秘密裏にクーデターを企てているコルライ=アクレピオスの忠実な手駒の一つでもある(と、向こうは思い込んでいる)黒騎士ナイトメアはその限りではない。

 コルライによって知らされた情報によると、今回のクライム=ロットハートの標的ターゲットは東条勇麻と天風楓だと聞いている。

 試合を終えた直後である東条勇麻の次の試合を無理やり繰り上げる明らかに不自然なアナウンス内容に、目の前の男が関わっている事は疑いようがない。

 何せ目を合わせるだけで思うままに人の心を弄び操る最低最凶の神の能力者(ゴッドスキラー)だ。実行委員会の人間を掌握し、試合内容を変更させる事など訳もないだろう。


 しかし、その狙いが、意図が読めない。

 ここで黒騎士ナイトメアから足止めを受けている以上、例え東条勇麻の試合が早まったところでクライムに手出しは出来ないハズだ。いや……自身を囮としてここに黒騎士ナイトメアを釘付けにすることで、他のメンバーを動かしやすくしているのか?


 何か、何かがおかしい。勘に触るクソ野郎の凶笑に、黒騎士ナイトメアは思考を加速させる。


(……めんどくせーヤツの相手をしないで済んでラッキー程度にしか考えてなかったが……そもそもこのクソ野郎に限って、目の前でガキ共(獲物)を甚振る戦闘チャンスがあるにも関わらず、それを傍観ぼうに振るなんざあり得るか……?)

 

 当たり前の悪意によって構築されるこの男の行動原理は実に分かりやすい。

 自らの手で相手を徹底的に甚振り、身も心も蹂躙して絶望を味あわせ、人間が壊れる様を見て嗜虐と愉悦に浸るのがクライム=ロットハートという邪悪だ。

 例えリスクとリターンが釣り合わずとも、そこに悦楽を感じるのであれば後先も考えずに破滅にさえも喜んで身を捧げるこの刹那的快楽主義者に限って、標的ターゲットを放置ましてや他人に任せるなどありえない。

 ああ、そうだ。絶対におかしい。この腐った肥溜めに集る蠅の糞を煮詰めたような最高の性格をした糞野郎に限って、自らの手で悲劇を起こさず眺めているだけなんて生温い事をする訳がない。

 もっと、遅れて全てに気付いた時、黒騎士ナイトメアガキ共(ホロロとビリアン)が絶望し悔しさに歯噛みするようなシナリオを用意しているに決まっている。

 そうでなければシーカーの『三本腕』など、たかが二十そこらの若造に務まるハズがないのだ。

 

(まさか……ッ!)


 瞬間、黒騎士ナイトメアの脳裏に過ったのは――


『――ビリアンッ、しゃがめ……ッ!』


 ここまで僅か一秒。加速させた思考と経験と勘によって瞬時に答えを導き出した黒騎士ナイトメアは、対峙していたドラグレーナ=バーサルカルを無視して狙いを即座に切り替え声を上げる。

 トレファー=レギュオンと交戦していた黒髪黒目の穏やかそうな少女がその叫び声に反応。黒騎士ナイトメアの指示を疑う事無く信じてすぐさましゃがみ込んだ少女の頭のすぐ上を、影の黒剣の刀身が勢いよく伸びて通過し、シルクハットを被った不健康そうな痩身の赤髪男の肩口に突き刺さる。

 

『ぐぎゃぁッ!?』


 完全に不意をついた一突きに血が弾け、絶叫するトレファー。

 黒騎士ナイトメアは間髪入れずに床を爆発させるように蹴り付け、刀身を縮めながら伸ばした剣を押し込むように一気に距離を詰める。

 しゃがんだビリアンの頭の上を飛び越えて、そのままトレファ―レギュオンを手近な壁に勢いよく叩き付けた。

 肩口に突き刺した剣で傷口をぐりぐりと抉るようにさらに押し込み、ドスの効いた低い声で尋ねる。

  

『……おい、手品野郎。これはお前が(・・・・・・)仕組んだ茶番か(・・・・・・・)?』


 次の瞬間。肩を貫かれた痛みに苦悶の表情を浮かべていたトレファーの顔が、黒騎士ナイトメアのその問いを待っていたとばかりに喜色を弾けさせた。

 

『ふ……くふふ……あは! アハハハハハハハハハハハハハハハハハッハハハハ!!  えぇ、えぇッ! そうですとも、よくぞお気づきになられた黒き騎士よ!! ご存知の通り、私の手品ゴッドスキルにはタネも仕掛けも御座います。私の力で見せた幻影を観客が本物であると信じた途端、その幻を現実へと変換するというトリックが……!』

 

 気味の悪い哄笑と共に、黒騎士ナイトメアの言葉を肯定する奇術師は、既に勝利をその手に収めたかのような勝ち誇り具合で己の仕掛けた手品のタネ明かしを開始した。


 トレファー=レギュオンの『右手に杖を帽(イリュージ)子からは鳩を(ョニスト)』は確かに凶悪だ。初見であればまず攻略は不可能。十徳十代に敗れたとは言え、その実力は一級品。

 しかし逆に、タネが分かってしまえば対策と攻略が可能な神の力(ゴッドスキル)でもある。

 実際、今回だってそうだった。相手が思わず信じ込んでしまうだけのリアリティある幻影を生み出す為に必要な膨大で繊細な演算をビリアンの『思考の壁(カジテイト・リッキー)』によって妨害され、トレファー=レギュオンはその力を発揮できずにいた。そのハズだった。


『いつからだ……』

『ええ、それはお察しの通り、最初からですとも』


 しかし、相手が一度本物であると信じ込み、現実へ変貌された幻影に関してはトレファー=レギュオンが干渉力と演算のソースを割いて維持する必要はなくなる。

 何故なら相手がその幻影を本物だと信じ込む力――つまり外部からの入力によって、トレファーの幻は現実となり信じられ続ける限りその存在が証明され続けるのだから。


『アナタ方の前におられるクライム=ロットハートは我が「右手に杖を帽(イリュージ)子からは鳩を(ョニスト)」によって造り出された幻影ッ! そう、黒き騎士よ、アナタの参戦を予感していたクライム=ロットハートは、私めにアナタ様の足止めをお任されになった! そこのガキ二人にクライム=ロットハートの幻影が斬りかかったのをアナタが影の剣で防いだ瞬間、彼の幻影は反転し、この芸術的な我が奇術マジックは現実へとその姿を昇華させたのですッッ!!』


 つまり、ビリアンによって演算を乱されるその前に現実として成立してしまった幻影があったとすれば、それをビリアンの力で妨害する事も幻だと見抜く事も不可能だと言う事で、


『……あぁ、実に甘美で実に愉快な時間でした。クライム=ロットハート、でしたか……あのお方は最高のエンターテイナーだ。「この二人の少女で愉しく遊ぶには何をするべきか、真っ先に壊すべきは何か」……それを良く心得ておられる。そう、この手の友情ごっこに興じる餓鬼を壊すたければ当人そのものよりも周りに手を出した方が面白い!! しかし、ただそれをしてもつまらない。エンターテイメントには鮮度が、落差が、サプライズこそが重要なのです! 最高の悦楽を得んが為に、全てを欺き嘲笑い、希望を一瞬で地獄の底へと突き落とすこの手管。実に惚れ惚れす――ぅ……がぁ、ごぼっ……ッッ!!?』

『……もう充分だ。それ以上俺の前で、そのきたねー口で喋んじゃねーよ、ゴミ』


 黒騎士ナイトメアの吐き捨てるような侮蔑の言葉と共に、トレファー=レギュオンの身体が壁に血の尾を引いて崩れ落ちる。 

 黒騎士ナイトメアの影が伸び、トレファー=レギュオンの身体を貫いていた。

 ニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべていたクライム=ロットハートの姿に砂嵐めいたノイズが走り、ブツンと電源が落ちるようにその姿が掻き消える。

 真実を明かされて現実として破綻し、さらに術者が倒された事で、幻としてもその形を保てなくなったのだ。


『……おい、ビリアン、ホロロ。お前ら確か、もう一人ツレが居たよな? 今すぐそいつの所に行ってこい』

『……え?』


 低い声で唸るような黒騎士ナイトメアの指示に困惑の声をあげるビリアン。

 一方、勘の良いホロロは黒騎士ナイトメアとトレファー=レギュオンの会話から不穏な気配を察していたのか、既に戦線を離脱してこちらへ視線を向けている。

 幼き未知の楽園(アンノウンエデン)のエースはその目を大きく見開き、綺麗な金髪を殺気に逆立たせて発射寸前の弾丸のような気配を漂わせている。

 ……ホロロ程の実力があれば、仲間二人を連れての逃亡という最低限の役目は果たせるだろう。既に彼女の友人が敵の手に落ちていた場合は彼女達だけではどうにもならないが、その場合は彼女達だけにしなければ問題はない。

 遅かれ早かれ、あの人類の汚点とは決着を付けるつもりでいたのだ。囮が二匹増えたとなれば、今の黒騎士ナイトメアにも勝ち目は充分にある。

 黒騎士ナイトメアはそう判断して、


「クライム=ロットハートの狙いはお前らのお仲間だっつってんだよ! めんどくせーがあの陰険野郎にやられっ放しなのは腹が立つ、こっちの残飯処理くらいはしといてやる。手遅れになる前にさっさと行け!」 


 温存する予定だった干渉力を爆発的に燃え上がらせ叫ぶ黒騎士ナイトメアに、決意と怒りに瞳を燃やすホロロがビリアンの手を取って勢いよく駆け出した。


「行くぞ、ビリアン! シャララを……ホロロ達の家族を助けなきゃ……!」

「う、うん……! ――あ、あの……! ありがとうございます! 騎士様!」


 戦場を離脱しようとする二人に、黒騎士ナイトメアから無視されたドラグレーナが額に青筋を浮かべがなり散らす。


『おい……冗談だろ? アタイの事を無視した挙げ句、逃げるだと? ――やらせる訳ねえだろッ!!』


 遠距離攻撃を持つ女王艦隊クイーン・フリートのメンバーがドラグレーナの指示に動く。無防備な背中を見せるホロロとビリアン目掛け、容赦のない砲撃が飛来する。

 が、発射された火炎放射や冷気の弾丸は、その全てが黒騎士ナイトメアの足元から立ち上った極薄の影の壁に阻まれる。

 ホロロに手を引かれて走りながら律儀にお礼をするビリアン達を背に庇うような位置に立つ黒騎士ナイトメアを、女王艦隊クイーン・フリートの残党が取り囲む。

 五人の女王艦隊クイーン・フリートのうち倒した敵の数は未だに二人。ルフィナ=アクロヴァの分裂体を含め総勢二〇近くに包囲され多勢に無勢の絶望的な状況。

 その戦力差を理解しているのだろう。一対一では黒騎士ナイトメアに終始あしらわれていた印象のあるドラグレーナも、自身の有利を自覚し怒りの滲む口調とは裏腹にどこか態度に余裕がある。


「……アタイら相手によくもまあ舐めた真似してくれやがったなァ……おい。灼熱のマグマに嬲り殺される覚悟はできてんのかァ?」


 ガキの力を借りて三人でどうにか互角な戦いに持ち込むのが精一杯だったのを、たった一人になって何が出来る? と嘲弄するような嗜虐を浮かべるドラグレーナ。

 しかし、不気味に笑う不吉な仮面で素顔を覆い隠した黒い騎士に、臆した様子は欠片も見当たらない。


「……ったくよー、我ながらめんどくせー貧乏くじを引いちまったモンだな、いやホント。はぁ……熱血なんざ趣味じゃねーんだが、こうなっちまったら仕方ねーよなー? だってよ、なんつーか癇に障るんだわ。お前ら全員」


 むしろその逆。


「覚悟決めんのはそっちだっつってんだよ、雑魚ども」


 喜怒哀楽。人の感情を愛するが故に悪魔へと魂を売り払った復讐の輩が、その激情を炸裂させた。


 その僅か一分四十七秒後。クライム=ロットハートの指示でホロロとビリアン、そして黒騎士ナイトメアの襲撃に加わった女王艦隊クイーン・フリートの五名はたった一人の漆黒の騎士の前に壊滅した。



☆ ☆ ☆ ☆



 ――誰かを助ける為にボロボロになり続けた勇麻くんの事は、一体誰が助けてくれるの?



 楓に言われるまで一度としてそんな事考えた事もなかったのだろう。完全に固まってしまった東条勇麻が再起動するまで数秒のラグがあった。


「俺を……誰が助けるか……?」


 ややあって、どこか呆然としながら文字列の意味を確かめるように楓の言葉を反芻する勇麻に、楓は極めて真剣にこくりと頷く。

 その途方に暮れたような表情は、道に迷い暗闇に怯える子供のように弱々しくて、頼もしく温かな少女の憧れたヒーローの背中の残滓すら残っていない惨めなものだった。

 思わず抱きしめたくなるようなあまりに儚く弱々しい幼馴染の少年の姿が、楓の胸を刺し穿つ。

 それでも、その痛みは楓が受け止めるべきモノだ。勇麻を大切に思うからこそ目の前の現実から逃げずに、正面から向き合わなければならない。


 随分と遠回りをした気がするけれど、ようやくずっと伝えたかった事を言葉にできるのだ。そして、それで終わりではない。

 ここから始める為の、それはスタートラインに立つ為の儀式でもある。

 心の奥底から湧き上がる臆病弱虫をもう一度勇気で蹴り飛ばして、楓は覚悟を決めたように大きく息を吸う。

 ……きっと大丈夫、勇気なら今まで勇麻くんから沢山貰ったんだもん。だから今度は、わたしが頑張る番なんだ……!


 ぎゅっと、少女は右の拳を握り締める。

 その背に感じ続けた憧れに、少女は少女なりの決着を付けようとしていた。


 そして、若葉色の瞳をキッと見開くと、吐き出す息に想いと言葉を乗せて告げた。

 

「……わたしは強くなりたいけど、まだまだ弱くて泣き虫だから。きっとこの先も、勇麻くんに助けて貰わなきゃならない事だってあると思う」


 楓が涙を流す度に、立ち上がってくれた背中があった。その温かな右手で悲しみに暮れる楓の涙を拭い、絶望に膝を抱えて俯き座り込む楓に手を差し伸べて、笑い掛けてくれた人がいた。


 その背中を、ずっと追いかけ続けてきた。

 自分可愛さに兄を失い、新天地に捨てられて途方に暮れていたあの日、独りぼっちで公園の端っこに座り込んでいた楓に声を掛けてくれた瞬間、天風楓は東条勇麻に救われた。

 あの時から、きっと。ずっと心のどこかで思っていたんだと思う。


 この人の隣に立ちたい。 


 守られ、助けられるだけじゃない。自分も誰かを助けられるような人間に成りたかった。楓の大好きな人たちが苦しみ傷ついている時に、それを助けられるような強さがずっと欲しかった。

 優しいだけじゃ誰も助けられない。

 だから、天風楓はずっと強くなりたかった。

 だって、誰かに優しくされる事、助けて貰える事はこんなにも嬉しくて気持ちがぽかぽかと温かく優しく元気になるものだから。

 絶望だって悲しみだって涙だって遥か彼方に吹き飛ばし、笑顔を呼んでくれる魔法だから。

 この人にもそれを分けてあげたいと、幼いながらに天風楓は確かにそう思ったのだ。


 けれど、弱虫で臆病で泣き虫な楓は、その気持ちをちゃんと言葉にして伝える事ができなかった。

 時が経って成長し、少年の隣に立てるだけの力を得てなお、天風楓は東条勇麻が守るべき者であり続けてしまった。


 だから、東条勇麻という少年はいつだって最後の最後は自分一人で全てを抱えて、全て自分の為だと嘯いてボロボロになりながら大切な人を救い続けた。

 自身の傷と引き換えに、誰かに笑顔を与え続けた。


 ――その姿に、感じることがないと言えば嘘になるだろう。

 だって、誰も彼もを分け隔てなく救おうとするその姿は、まるで今はもう見えない南雲龍也という少年の幻影をなぞっているように見えたから。

 アリシアと出会う前の勇麻は特にそれが顕著で、彼女との出会いが何かを変えたのか、最近は以前ほどの執着を感じなくなってはいる。

 だがそれでも、頑なに自らを犠牲に誰かを救う痛ましいまでの自己犠牲には、贖罪の影がちらついてしまう。


 決して許せない自分自身を、無意識のうちに痛めつける事でしか肯定できない。そんな心の発露であるように、楓には思えてしまった。


「――ッ、」


 膝の横。ぎゅっと力を込めた拳が、白くなる。思いの丈を言葉にすると、それだけで胸が熱くなって、目頭が沸騰しそうだ。でも、もう涙は流さない。涙を流すと、この人はまた心配して、無茶をしてしまう。楓を助けようとしてしまう。

 だから、今だけは強がろう。涙を堪えて、この想いに今度こそ形を与えてちゃんと届けよう。伝えよう。 

 言葉にしないと分からない事だってきっとある。親しい人だからこそ、言うべき事は言わなければならない。

 何も言わなくても分かって貰えるなどと考えるのは傲慢だ。伝える事に手を抜かず、一瞬一瞬を全力で大切に共有したい。

 手遅れになってから後悔するなんて、そんな想いはしたくないから。


「でも、私は支えられるだけなんて、もう嫌だよ。ボロボロになる勇麻くんの背中を見てるだけなんて、耐えられないよ。わたしは、守られるだけじゃなくて勇麻くんを支えられるようなわたしでありたいって、そう思うんだ。だから――」


 楓の弱さが、いつだって勇麻を傷付けた。楓が泣く度に楓の身代わりとなって勇麻は悲しみを受け止めてくれた。

 普通に考えれば異常な事だろう。単なる子供が、他者の為に傷つく事も厭わずに何度も自ら死地へ飛び込むなど正気の沙汰ではない。

 それでも勇麻が自分を犠牲にしてでも誰かを助け続けたのは、誰も彼の行いを否定出来なかったからではないだろうか。

 彼に救われた誰もが見せる笑顔が、その自己犠牲を肯定し続けてしまったからではないだろうか。


 少年の自己犠牲は確かに大勢の人を救ってきた。それは、気高く尊い行いなのかも知れない。

 だが、それは。人間の生き方として破綻している。社会や大人に守られるべき子供の在り方として、壊れてしまっている。


 出会ってから今日まで。東条勇麻の自己犠牲を、天風楓の笑顔が肯定し続けてしまった。

 ならばそれは天風楓の罪だ。例え勇麻の心を深く傷つける事になろうとも、嫌われようとも、この一幕は楓がつけるべきけじめで伝えるべき言葉だった。


「……偉そうな事とか、勇麻くんを否定するような事を沢山言ってごめんなさい。わたし、勇麻くんにすごい酷い事を言った。勇麻くんが言われたくない事だって分かってて、ワザと傷つくような言葉を沢山言った。わたしの顔なんて、その……もう、見たくもないかもだけど……それでも、どうしても分かって欲しかった。勇麻くんが誰かが傷つくのを許せないと思うように、勇麻くんがボロボロになる事を許せないと思う人だっているんだよって事を、ちゃんと知って欲しかった。もっと、自分に優しくしてほしかったから……」


 楓が自身を卑下したことにアリシアが怒り悲しんだように、自身が傷つく事にあまりに無頓着な勇麻を誰かが叱ってやらねばならなかった。


 そうしなければ、きっと心の何処か無意識下でいつまでも自分を責め続けている彼は気付けない。

 事実として知ってはいても、きっと心の底からそれが真実であると信じる事ができない。


 勇麻が誰かを大切に思い、その人達に傷ついて欲しくないと思うように。勇麻が傷つく事を悲しみ、心を痛めている人が確かにいるのだという事を、東条勇麻はちゃんと実感として理解するべきなのだ。


 ――それでも。その真実を認めて尚、少年がこれまで同様に誰かを救う為に自己犠牲を選択し続けるというのなら、それは仕方がない事かも知れない。

 それが勇麻が決めた事であるのなら、その選択は尊重されるべきだし、楓がどうこう言えるような問題ではないのだとも思う。

 けれど、始めから選択肢すら存在しないような歪な袋小路だけは打開する。

 自分を傷つける事しか選べない少年に、自分を守るという道を示す。

 ちゃんと自分を愛してもいいんだよと、楓は誰かの為に傷つき続ける勇麻にそれだけは伝えたかった。


 例えそれが少年の心に迷いを生み、拳を鈍らせる事になろうとも。

 心の勇気を掻き消す恐怖や躊躇いに繋がろうとも。

 誰かを助けるヒーローではなくなってしまう事に繋がっても。


 勇麻の為ならば例え世界を敵に回そうとも立ち上がれる人がいるのだという事を思い知らせて、この胸を焦がす温かな思いを鋭い言葉として躊躇なく叩きつける。


「一人で傷ついて全部背負って、自分を犠牲に誰かを救うのが当たり前だなんて思っちゃ、嫌だよ」


 それはきっと何より残酷で。

 これまでの東条勇麻の生き方全てを否定する言葉だったかも知れない。

 だから、これで終わらない。

 天風楓がずっと届けたかった言葉は、伝えたかった想いは、まだ伝えきれていない。

 少女が張った意地は、沢山の善意を裏切り対抗戦の舞台に立ってまで押し通したかったかワガママは、


「でもね、それでも勇麻くんはきっと、傷つく人を放っておけない人なんだってわたしは知ってる。そんな勇麻くんだったから、きっと――」


 その宣戦布告をしなければ、


「――わたしはアナタを好きになったんだと思う。だから――」



 始まらないのだ。

  


「――勇麻くんのことはわたしがずっと守るよ。だから――勇麻くんは皆を守ってあげて?」



 ちょこんと首を傾げて柔らかに微笑み、諭すように告げた少女の温かな言葉に。勇麻はただ茫然と見開いた瞳を震わせ、ぽろぽろと。堰を切ったように大粒の涙が流れ出した。

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