第五十六話 命儚き恋せよ戦乙女Ⅰ――開戦・東条勇麻VSセナ=アーカルファル(?):count 1
「さて、いよいよねー」
今まさに始まろうとしている息子の試合を前に、客席の東条佳奈美がぽつりと呟いた。
その極めて聡明な瞳に、普段のおちゃらけふざけきった雰囲気は見当たらない。
始まる前から満身創痍な息子を見つめる表情に心配の色もなく、対戦相手の猫耳ヘルメットの少女を見て微笑む余裕すらあった。
むしろその隣で息子の勇姿を収めようとカメラを構える東条勇助の方がどこかハラハラとしていて不安げな様子である。
「頑張れよー、恋する女の子。ウチの馬鹿息子はどこかの唐変木に似て察しが悪いからなー、ガツンと言ってやらなきゃ、分かって貰えないぞー」
最初から全部気づいていたかのように、佳奈美は猫耳ヘルメットの少女へ向けてそんな言葉を贈る。
親の心子知らず。
したり顔の子供の隠し事はたいてい親には見透かされているものと相場は決まっている。
我が子達の成長を心の底より楽しみながら、母は優しい眼差しで懸命なその後ろ姿を見守っているものなのだ。
☆ ☆ ☆ ☆
試合開始を告げる合図に、眼前の少女が勢いよく駆け出すのが見えた。
アリシア達の前では心配を掛けまいと空元気を発揮してはいたものの、体力の消耗は激しい。
鉛を注入したかのように重く、どこかふらつく身体。要領を得ない靄がかった思考。どうにも現実に追いつかない認識を気合で蹴り動かして、勇麻は右の拳を握り直す。
楓を狙う女王艦隊のロジャー=ロイを退けたとはいえ、対抗戦は終わらない。
依然として『創世会』が仕掛けてこない以上、替え玉作戦は続行されているのだ。
こうしている今も楓の替え玉に勘付いている女王艦隊の魔の手が再び楓へと伸びているのではないかと気が気ではないが、そこはスネーク達を信じて任せ、勇麻は勇麻のやるべき事をするだけだ。
初日に皆で話し合って決めたのだ。楓を元気づける為に、優勝杯を持ち帰ると。
その為にも、目の前のセナ=アーカルファルを東条勇麻は全力で打倒しなければならない。
だから、満身創痍の身体に鞭打って右の拳を握りしめたその瞬間だった。
「……っ!?」
感情の嵐が、東条勇麻の全身を稲妻のように駆け巡った。
勇気の拳が、セナ=アーカルファルの感情を読み取った。そこまではいい、精神感応系統に属し、自分や相手の感情を読み取りその力を増減させるのが勇気の拳という神の力の力だ。
故に、対峙した相手の感情を――特にそれが強い想いであればあるほど――勇麻は意識的に読み取りそれを感じ取る事が出来る。
問題なのはセナ=アーカルファルから読み取った感情が、勇麻に対する深い慈愛や思いやり、そして胸が締め付けられるような切なさと憧憬であったこと。
そして、その感情の持つ雰囲気にどこか既知感を感じた事にある。
……否、これは既知感などという生易しいものではない。この思いやりと包容力に溢れた温かで柔らかな雰囲気は間違いなく――
――行くよ。勇麻くん。わたしの想いを、ぶつけます……!
優しいブラウンの髪が揺れ、若葉色の瞳が決意に燃える。そんな幻影が脳裏をよぎる。
横合いから金属バットで側頭部を殴られたような想定外の衝撃に、全身に走る動揺が心を縛る。勇気の拳が勇麻の精神状態を読み取り、その困惑と動揺、躊躇いと闘志の鎮火に動きが鈍る。
東条勇麻の精神状況に呼応して身体能力を増減する勇気の拳が、迷いを見せた宿主へと弱体化という牙を剥く。
そして、何かに気付いた勇麻の表情が驚愕に歪み動きが鈍ったその瞬間を、セナ=アーカルファル――もとい天風楓は見逃さなかった。
低い姿勢で勇麻の右拳を潜り抜け、その懐に躊躇なく踏み込む。そのまま体幹がブレて自分の拳の勢いに流される勇麻の右腕と胸倉にそれぞれ手を添える。そのまま力の流れに逆らわず、右足を軸に回転。流れるように勇麻の身体を石畳み目掛けて叩き付けるように放り投げた。
相手の力を利用する『従術』による投げ技。初めて経験するその未知の手応えに動揺も加わり、勇麻は奇妙な浮遊感を味わった直後、碌な受け身も取れずに強かに地面に打ちつけられる。
「が、ぁ……っ!?」
衝撃に、文字通り呼吸が止まった。
肺が溜めこんだ空気全てを吐き出し、息苦しさに喘ぐ。
ごろんと身体を転がしてうつ伏せになり、激しく咽ながらもその場に膝をついてどうにか立ち上がる。
身体の中身が暴れ回るような違和感に吐き気を感じながら、後方へと一度距離を取ったライダースーツにネコ耳ヘルメットの少女へ勇麻は改めて視線を向ける。
口元を腕で拭いながら、勇麻は信じられないものを見た子供のように震える声をあげた。
「……か、えで……なのか……?」
虫食いのように欠け、破損した猫耳ヘルメットのバイザー部分から覗く若葉色の瞳が、勇麻の問いかけに無言の肯定を返していた。
☆ ☆ ☆ ☆
氷道真の問いに対しほぼ同時に名を名乗った泉修斗と天風駆は互いに怪訝そうに眉を潜め、顔を見合わせていた。
「……あァ? 天風駆だ? テメェ、まかさ楓の兄貴か……?」
「? 誰だい君は。というか知らない男の口から妹の名前を出されて内心穏やかじゃいられないのだけどというか本当に誰だよ僕の妹とどういう関係なんだい?」
「……なるほどな。アホ勇麻の言ってやがったシスコン王子の意味がようやく分かったぜ。まさしく言い得て妙ってヤツだな」
肩まで掛かる程の長さの金髪をもみあげ部分だけ黒染し直したような王子様系な見た目のイケメン面の怨念じみた早口に、泉は一人得心がいったように頷く。
同時に泉の発言を受けた駆の方もマグマのように燃え盛る野蛮そうな男と妹の関係――もとい、彼が何者であるのかを察して嘆息していた。
「あぁ……東条勇麻の知り合いか。類は友を呼ぶというか何と言うか……あの子の人間関係が少し心配になってきたな。というか、僕の事をそんな風に呼んでいるのか、彼は」
「あァ? おい類は友を呼ぶってどういう意味だコラ。俺のがアホ勇麻の野郎より知的でクールでイケメンで強そうだろうがイルミネーション野郎」
「……そういう野蛮なところがそっくりだって言ってるんだけど自覚ないのかい? まあ、君、頭悪そうだし、仕方がないか」
「喧嘩売ってんだなそうだよなそうかそんなに俺にブッ飛ばされて夜空に咲き乱れる金色花火になりてえってか……!」
「やれやれ、山火事みたいな男だとは思ったが、肉体だけでなく脳みそまで燃え盛ってるみたいだな。まさか会話がまともに成立しないなんてね」
「……ちょ、待って。待ちなさい! 二人とも何をやる気満々になっているのよ!? 目の前の敵ほったらかして喧嘩なんてしてる状況じゃないでしょう!?」
神の子供達氷道真を放ってバヂバヂと火花を散らす男二人に、堪らず和葉がツッコんだ。
しかし男二人は互いに視線を逸らそうともせずに、
「あァ? 馬鹿かお前。ブッ飛ばす敵が二人に増えただけだろうが」
「そうだね、氷道真を排除するついでに楓についてる悪い虫を掃除しておくのも悪くはないかな」
「あー、もうッ! 兄さんといいこの二人といい、どうして男って生き物はどいつもこいつもこうなのよッッ! ちょっとは自重とかそういうの覚えたらどうなのかしら本当に!!?」
気が合うんだか合わないんだかよく分からない二人のやり取りに何だか激しく既視感を覚える和葉。
目下最大の脅威を前に、どうしてわざわざ自ら勝率を下げるような真似を平然としようとするのか。
心というヤツには損得勘定ではとても測れない尊く大切なものがあるという事はその身でもって体験し、理解しているつもりだ。
しかし、勇麻との出会いを経て大きく成長し大きく変わった和葉と言えども、こればかりはどれだけ頭を捻り唸っても理解できなかった。
兄の悪癖に常日頃から振り回され痛い目を見ている事も相まって、明らかに不要で状況を悪化させるだけの無意味な戦いに身を投じようとする思考回路それ自体がもう受け付けないのだ。
二人とも本来別の目的があって、それを達成する為には戦いを回避すべきだと分かっているにも関わらず、つまらない意地を張って殴り合うとか正気の沙汰ではない。
本末転倒も良い所だ。
なにせ、この手の子供の意地の張り合いみたいな展開になって状況が好転した事など一度もないのだから。
しかし拳勝と行動を共にしていれば嫌でも分かってしまうのだ。自分には決して理解できないけれど、彼等が意地を張るだけのナニカがそこにあるという事実を。
その微妙に納得の出来ないもやもやとした感覚に、彼女が猫耳キャップの上から頭を掻き毟りたくなるのも仕方がないのかもしれない。
「……とにかく、二人とも天風楓を助けるって共通の目的があるんだから、ここは一旦協力して――きゃっ!?」
和葉がどうにかこの場を仕切り直そうと声をあげた瞬間だった。直前まで和葉の顔があった空間が、ひとりでに凍り付いた。
異変の兆候に気付いた駆が咄嗟の判断で和葉を抱き抱え光速離脱していなければ、今頃和葉はその命を凍結させられていただろう。
寸での所で和葉を救った駆は、和葉を抱いたまま勢いよく振り返って、
「貴様……っ」
「何を憤るか、天風駆。ここは戦場である。僅かな油断、偶然、不運、それら不確定要素という名の理不尽があまりに呆気なく他者の命を奪う地獄だ。そして小生は小生に下された命令を完遂するのみ」
まるで暗殺術じみた不意を突く氷道のやり方に憤り低い声で唸る駆に、しかし『絶氷』はまるで取り合わない。
冷気の照準を定める媒体として使用しているのだろうか、白い冷気を発する氷刀の切っ先を薙いだ態勢のまま、感情をまるで感じさせない冷たい瞳で和葉と駆を見据えている。
その瞳を見つめ返してしまって、和葉は激しく後悔した。
命を奪う事への躊躇の無さ。それが与えられた命令であるならば、善悪正誤など関係なく完璧な形で遂行しようとする機械じみた行動原理。
感情が凍てついてしまったかのように、その男の瞳からは人間らしい温かみが一切感じられない。
目の前の男が人間という存在からかけ離れた怪物に思えて、和葉は駆の腕の中で悪寒に身を震わせる。
氷道の放つ身も心も侵食し絶望に凍てつかせる冷気に、対峙しているだけで和葉の心がひび割れていくのが分かる。
しかし、そんな絶望の冷気を吹き飛ばすように傲慢な熱気を周囲に振り撒く男がいた。
「……おい、氷野郎」
泉修斗。
和葉と駆の眼前、距離的に最も強く氷道真の冷気の影響を受けているはずのその男は、己の心身を侵食しようと這い寄る冷気を片っ端から燃やし溶かしながら、闘志に燃える瞳で最強の一角をねめつける。
和葉からでは伺い知れぬ事ではあったが、氷道真を映し出すその虎のように鋭い吊り目には、単なる闘気では説明のつかないような複雑な感情の嵐が渦巻いているようであった。
それは後悔であり雪辱であり怒りであり決意であり喜びだ。余人には理解できない燃え盛る熱量だ。
少なくとも、この場において泉修斗にのみしか理解できない想いがあることは間違いなかった。
「なんであるか」
「テメェの目的なんざ俺の知った事じゃねえけどよ、天風駆ぶちのめすのは俺だっつってたのが聞こえなかったか?」
「貴殿の個人的な事情に、小生が付き合う道理はないが」
そう、泉には目の前の男を倒さねばならぬ理由があった。
かつての己の敗北を、守られてしまったという事実を、守れなかったという現実を、勝利へと覆す為に。
例えそれが自己満足に過ぎずとも、ここだけは譲れない。
……だから、逃げるなんざ許さねえぞ、最強。決着を付けさせろ。そうじゃねえと、俺は……きっと前に進めねえ……!!
何が何でもこの場で喰らい付く。否応なしに湧き上がる闘志と高揚感にその身の燃焼速度を加速させながら、泉修斗が吠え猛る。
「ハッ、そうかよ。だったら……テメェの個人的な目的なんざに俺が付き合ってやる必要もねえって事だよなァッ!!」
感情を露わに、泉修斗の足元が爆裂した。
燃え盛る両足の裏を爆発させ、発生した衝撃波と爆風に乗った泉修斗が火矢の如く氷道真へと殺到する。
拳を振りかぶり、さらに肘先をブースト。加速し打ち出された炎拳は空気の壁を突き破り、拳は放射状に拡散する空気の膜を伴って氷道真へと一直線に殺到する。
氷道は、しかし動じない。
ゆるりとした所作で翳した氷刀の刀身で拳の一撃を受ける。両者の衝突に、炎熱と冷気が互いを喰らい合い、衝撃波が吹き荒れて変幻自在の炎と化した短髪を揺らしながら泉修斗は獣じみた獰猛な笑みを浮かべて挑発。
「あの女がお前の狙いだろうが知った事じゃねえ、なあ、おい。今から俺に付き合えよ季節外れのかき氷野郎が……ッ!」
「……良いだろう。命令の障害となるモノは何であろうと排除する」
ため息のような間の直後だった。あくまで事務的な言葉と同時、氷道真の冷たい瞳が、泉修斗を敵と認識した。
ゾッと、ある程度氷道から離れた位置にいる和葉でも分かる程に、周囲の温度が急激に下がっていく。肌が粟立ち、身体に震えが走る。それが寒さによるものなのか、恐怖によるものなのかは分からない。
ただ一つ確かに言えるのは――
――このままじゃ不味い、泉修斗が殺されてしまうっ!
弱肉強食の未知の楽園で磨いてきた直感が泉の危機を告げたその瞬間、和葉は支えを失ってお尻から地面に落下した。
「きゃっ!? ……もうっ、さっきからなんな……」
理由は単純。和葉を抱き抱えていた駆が、和葉を降ろす間もなく宙に放棄して、そのまま目にも止まらぬ速さで泉修斗へと強烈な飛び蹴りをぶちかましたからだ。
横合いからの奇襲に、駆の運動エネルギーを受け取って玉突き事故のように吹き飛ぶ泉。
泉はそのままの勢いで頭から通路の壁に突き刺ささると、すぐさまコンクリを融解させながら頭を引き抜き、怒り狂った形相で天風駆に向けて吠えかかる。
「テメェッ! 何の真似だマジでぶっ殺されてぇのか!?」
「馬鹿か君は! 氷道真に長時間触れるな! 愉快な燃える氷像になりたいのか!!」
駆の叫ぶような罵倒に泉は一瞬怪訝げな表情を浮かべるも、氷道を殴り付けた自分の右拳を見た瞬間にその虎のような強気な瞳を戦慄にぎょっと見開いた。
マグマのような粘性を持ち、自由自在にその形状を変える泉の燃える拳が、三分の一程凍ってしまっていたのだ。しかも現在進行形で氷結範囲が広がりつつある。
慌てて最大火力で右拳を燃え上がらせる。氷結の侵食はなんとか食い止めたものの、既に凍り付いてしまった部分はどれだけ高火力で熱しても溶ける素振りさえ見せない。まるで泉の拳を覆う氷が外部からの干渉全てを阻んでいるような、そんな異質な手応えだった。
泉は未だ信じられないと言った表情で氷道へと視線を向けさらにそこで思わず舌打ちをした。
泉も和葉や駆と同様に感じ取ったのだろう。
氷道真の干渉力が急激に高まり、しかもそれが周囲へと広がるのではなくその内側へと向かい収束していることを。
思わず乾いた笑みが漏れるような純度と密度だった。寄操令示という正真正銘の怪物との戦闘経験を持つ泉でさえ、今の氷道真は底が見えない。
ひたすらに氷道真という器の形へと凝縮され圧縮された超絶無二の干渉力は、まるで名工によって鍛え上げられた一振りの魔刀であるかのように、おぞましい程の存在感と冴えを周囲の人間に印象付ける。
周囲の気温を急速に奪っているのは、刀身であり器である氷道真の口より漏れる静謐な吐息の影響によるもの。つまりは僅かな余波でしかない。
この男が本気になって世界に干渉すれば、地球全土を氷と雪で覆い付くし氷河期を到来させる事も出来るかも知れない。そう思わせるには十分な干渉力だった。
「この化け物を相手にするには基本的に一撃離脱を繰り返すしかない。触れる事なく離れた空間を凍てつかせるようなヤツだ、射程がどこまであるかも分からない。馬鹿みたいにまとまっていれば最悪一撃で全員やられかねない。……九ノ瀬、作戦は失敗だ。君は今すぐここを離れて増援を呼べ」
「で、でも……」
「分からないか!? 既に楓と東条勇麻の試合は始まってしまっているんだぞッ!」
「……!」
ショックと驚愕に和葉の呼吸が詰まる。モニターを見やれば、確かに駆の言う通り東条勇麻と天風楓は既に石舞台に上がってしまっている。氷道真という絶対的な敵の登場に気が動転していた和葉は、モニターの映像にまで気を回す余裕がなかったのだ。
しかし……とするとあれだけ楓の近くに居たはずの拳勝は間に合わなかったという事になる。
和葉たちと同じように何者かの妨害を受けたのか。それとも……。ともかく、手遅れになる前に次の一手を早急に打つ必要がある。
「未だにクライム=ロットハートの目論みが成された訳ではない。僕たちの敗北はまだ決まった訳じゃないんだ。けれど、状況は最悪だ。今から試合を強引に止めるにしても、僕達だけじゃこの化け物を突破できない」
「あァ!? 誰がンな事言った! こんなかき氷野郎別に俺一人で……」
駆の言葉に泉が声を荒げて反論する。しかし、その過剰な反応が彼も内心では余裕を喪失している証拠でもあることにこの場の誰もが気づいていた。
もっとも、この状況で強がりを吐けるだけでも泉修斗の胆力は称賛に値するものであるのは確かだ。
和葉も駆も泉の発言は敢えて取り合わずに、
「あとは言わずとも分かるだろう、九ノ瀬和葉。この状況を打開する為の一手を、君が打て……!」
「わ、分かったわ。ごめんなさい、ここはお願いするわね……!」
「敵前で作戦会議とはいい度胸である。――行かせると思うかね?」
ひとまず氷道の視界から逃れようと廊下を走りだそうとする和葉に、当然氷道が応じる。刀の切っ先を逃げる和葉へ向けようとして――
「テメェの相手は俺だっつってんだろボケ、無視してんじゃねえよ……ッ!」
「ああ、お前の相手は僕達だ!」
再び足裏を爆裂させ氷道との距離を詰めんとする泉の爆炎が視界を覆い、光剣を手にした駆が瞬間移動の如く和葉の元へ駆け氷結の一撃より和葉を庇う。
駆が走らせた光速の一閃が和葉を捉えんとする冷気を寸前の所で切断し、泉の爆炎が氷道真を呑みこんだ。
ギリギリで凍結を逃れた和葉は、そのまま曲がり角を曲がり氷道の視野から外れる事に成功する。少女の足音は、途絶えていない。
「お前みたいに能力の射程に制限がなさげなヤツはだいたい相手を視界に捉える事で狙いを定めてたりすると思うんだけど、どうなんだい。図星だったりするかな?」
「――答える義務は小生にはない……が、流石は鼠の親玉であるな。どうやらうまく逃げられてしまったようである」
実際の所、氷道が対象を凍結させるのに目視は決して必要ではない。そして、初見時に視界の外側からの攻撃を受けていた和葉も本能的にそれを理解していたらしい。
氷道真はサーモグラフィのように周囲の温度の分布を可視化し、それによって対象を見分け狙いを定めている。
和葉は氷道の干渉力で低下した周囲の冷気を自身に貼り付けする事で体温を誤魔化し、『絶氷』の照準から逃れる事に成功していた。
決して確信があった訳ではなかろうが、敵の瞬時の判断に内心舌を巻く氷道。しかしそんな感情は任務をこなすうえでは無用とばかりにすぐさまに消失していく。
その胸に残るのは、目の前に立ち塞がる邪魔者を排除するべしという機械的な指令だけだ。
「だが問題はない。順序が変わるだけの事だ。貴殿らをここで排除し、次はあの娘だ」
氷刀を中段に構え直す氷道に、泉と駆は引き攣ったような不敵な笑みを浮かべた。
「おい、電飾男。テメェみたいな雑魚と一々やりあうのも面倒だ、あのクソ氷をどっちが先に粉々に出来るか勝負しねえか?」
「……いいね、頭の悪い馬鹿にわざわざ付き合わずに済む。目的を達成し、ついでに格の違いを見せつける事も出来る。まさに一石二鳥の提案だ」
吐く息は白く、身体の温度がどんどん奪われていくのを感じる。それでも虚勢を張って強がって、不可能を可能と笑い飛ばす。
そういう男がいることを、彼等は知っているから。
そういう男の姿を、その目で見てきたから。
「「行くぜ、氷道真ォッ!!」」
もう、絶対に負ける訳にはいかなかった。
☆ ☆ ☆ ☆
「――起動、『平和の支配者』ッ!」
エリザベス=オルブライトの身に宿る力が世界に干渉し、世界に満ちる法則性を書き換えて行く。
本来絶対不変であるルールの改竄。
自身の中に宿る神の力の一端をもってして、物理法則を超越した結果をこの世界に招き起こす。その結果を発生させる為に世界に働きかける力の強弱こそが干渉レベルの差として数値化される。
故に干渉レベル測定不能《Sオーバー》である神の子供達は、その規模からして単なる神の能力者と比較して桁外れなのだ。
「『悪魔の一撃』、『支配する者』。――平和への迎合を拒むその二人を、潰しなさい」
「!?」
「!?」
……例えば、最強クラスの神の子供達二名の神の力を一瞬で支配してのける事も。
……例えば、距離や整合性を無視して『偶然の死』という概念を遠隔地から直接相手に叩き付ける事も。
……例えば、空間ごと捩じ切るような防御不可能な必殺必至の斬閃を繰り出す事も。
……例えば――
「……くっ、『舞台設定』――ッ!」
――『設定』によって世界から自分達の立つこの戦場を切り離し隔離して、神の子供達の巻き起こす大破壊の影響を抑え込む事も可能なのである。
何とか滑り込みで『設定』を世界に反映されたその直後だった。
鮮血色の破壊の雨と、空間ごと捩じ切る斬撃が平和の号令に従い驟雨の如く降り注いだ。
莫大な干渉力を消費し続け空間を保っている『設定使い』に、それを回避もしくは防ぐだけの余力は残されていない。元より、『設定使い』が同時並行的にこの世界に反映できる『設定』の数には限りがあるのだ。
例えるならば今の『設定使い』は両手が塞がっている状態で、これ以上の『設定』の重ね掛けは不可能。
いかに『設定使い』であろうとも同じ干渉レベルSオーバーの神の子供達の一撃をまともに受ければタダでは済まないだろう。
被弾を覚悟で世界と無関係な人々を守ることを選択した『設定使い』。故に、その尊くも甘い判断は、彼へと致命的な破壊を齎す。
そのハズだった。
「ちょいと、どいてろ」
ディアベラス=ウルタードとクリアスティーナ=ベイ=ローラレイの意志を無視して放たれた絶対的な破壊の干渉を一手に引き受けたのは逞しい右の掌を盾のように掲げた海賊船の船長じみた大男だった。
「スネークッ!!」
その腕力でもって盛大に突き飛ばされた『設定使い』がスネークに庇われた事への怒りと屈辱を露わに叫ぶ。
しかしスネークの巨体は既に鮮血の雨に呑みこまれ、彼の立つ空間は聖女の一閃によって滅茶苦茶に捩じ切られてしまっていた。
すぐさまドーム状に膨れ上がり拡散する爆発の余波から身を守る為、世界を切り離している『設定』のリソースを流用する事でどうにか自身に張り巡らせたなけなしの防壁がビリビリと頼りなく揺れる。
『設定使い』の力によって一時的にこの空間を世界から切り離し、ここでの破壊の影響が余所に及ぶことはない。ないハズなのに、彼らの埒外の力ならばそんな設定の壁など撃ち抜いて世界を揺るがしてしまうのではないか。そんな錯覚さえ覚える破壊が場を席巻し、視界を一瞬で奪った。破壊の雨に呑まれた直後から、スネークがどうなったのか確認できない状況だ。
世界から切り離したスタジアムの通路が発生した熱量によって一瞬で消し飛び、足場さえ不確かな異空間に投げ出される。
白と黒。相反する二色が混沌と揺蕩い、混ざり合っては乖離する不可思議な空間は、『設定使い』がその『設定』でもって一時的に造り上げた置換世界だ。
切り取った分のスタジアムが全て破壊され消失した為、剥き出しの土台が露わになったと考えて貰えれば構わない。
破壊されたスタジアムの残骸が塵となって舞い上がり、粉塵となって視界を遮る中。エリザベス=オルブライトは満足げな笑みを浮かべる。
並みの神の能力者ならば上下左右の概念さえ理解できずまともに立つ事さえ難しいその空間で、しかし最強の兵器を侍らせる女王は揺るがず、どこか優雅な仁王立ちで二人の神の子供達の破壊の凄まじさを確認していた。
「やっぱり思った通りだわ……! 素晴らしいのね! アナタ達って!」
パンと合掌するように両手を合わせ、まるでサンタさんから貰ったクリスマスプレゼントで遊ぶ子供のように無邪気にはしゃぐ女王に、ディアベラスがサングラス越しにも分かる程に怒り狂い血走った目を向ける。
「……おい」
低く低く昏い、世界を呪うような声色は、一般人が耳にしていればそれだけで卒倒するような干渉力が籠められていた。
だが女王はその端正な顔に張り付けた楽しげな笑みさえ剥すことなく、不思議そうな様子でディアベラスを観察している。
「今すぐこのふざけた戒めを外せぇ……。じゃねえと、俺達はテメェを何度ぶち殺そうが決して許せなくなっちまう……ッ」
ディアベラスは己の隣で俯き震える少女の手を優しく包み込みながら、可視化できるほどの殺気を迸らせている。
……そう。彼ら逃亡者の集い旗はソレを絶対に許せない。
自分達の人生を何者かの手で理不尽に操られ、自分達の意志を無視した行動を強要される事を。そんな理不尽な地獄から、自分達を救い上げてくれた少女がいるから。
自分の手を汚して、沢山のモノを幼きその背に背負って、独り泣き続けた馬鹿な少女がいた事を知っているから。
だが、彼らの感情はこの場において何の意味もなさなかった。
「うふふ、そんな心配は無用ですよ、ディアベラス。なにせアナタの持つ『人を殺す力』はこれからは私がしっかりと管理し運用してあげるんですから……! だから、私を殺してしまうだとか、許せなくなるとか、そんな無駄な心配はする必要はないんです! だって、アナタ達はもう私の所有物なのですから。……兵器に感情とか、不要でしょ?」
「……エリザベス、オルブライトォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ!!」
あまりにも傲慢なその物言いに頂点に達したディアベラスの赫怒が、エリザベス=オルブライトを焼き殺さんと死の輝きとなって放たれた。
エリザベス=オルブライトに逆らう事を禁じるなどの具体的な〝命令〟を出していないとはいえ、デフォルトでもある程度の強制力を持つ『平和の支配者』をあっさり跳ね除けてみせたディアベラスの干渉力は、やはり神の子供達に相応しい常識の埒外にあった。
神の力発動の起点を選ばない彼の破壊の光弾は、女王の頭上直近よりノータイムで降り注ぐように展開される。
自分自身では戦う力を何一つとして有していない最弱の神の子供達であるエリザベス=オルブライトならば、『悪魔の一撃』が僅かに掠っただけで致命傷を与えられるだろう。
数多の光弾は最大最弱を一瞬で蜂の巣に――
「――お願いね、クリアスティーナ」
実際に彼女がそう発音した訳ではないだろう。
ディアベラスの悪魔の一撃が発動してから、エリザベス=オルブライトへ直撃するまでの時間はコンマ一秒とない。故にそれは、エリザベスが思念で念じたものをディアベラスが幻聴として感じ取ったに過ぎない。
だが、その呪いの言葉が発された事は疑いようもなかった。
何故ならば、次元と空間を司る『支配する者』の力によってエリザベスを庇うような位置に転移したクリアスティーナが、ディアベラスの悪魔の一撃の直撃を浴びたからだ。
『次元障壁』は発動している。
「……あす……てぃ……?」
しかしそれは、降り注ぐ血の雨からエリザベスを守る傘であるかのように展開され、その僅か一ミリにも満たない極薄の壁の上にいるクリアスティーナは、その守りの恩恵を受けられない。
散弾のように打ち込まれた悪魔の一撃は、少女の身体をズタボロに破壊し尽していた。
雨のように降り注ぐ多量の鮮血を透明な傘越しに仰ぎ見ながら、エリザベスはまるで悪さをしたペットを躾けるかのように言った。
「まったく、ダメじゃないのディアベラスったら、悪い子ね。アナタもこれからは平和を愛する私の兵器として、平和を成す為に生きるのですよ? 人に銃口を向けてはなりません。だって、兵器は正しく扱わなければ人を傷つけ、殺してしまうのですから。丁度、こんな風に」
『戦争を軽蔑する者』エリザベス=オルブライトの干渉下にあるこの世界では、彼女に向けられる敵意も殺意も憎悪も闘志も、その全てが力を縛る枷として跳ね返ってくる。
故に、ディアベラス=ウルタードの抱く世界を焼き滅ぼす程の嚇怒は、総てそのままディアベラスの力を縛る枷となる。
そして、大切な人を自らの手で傷つけたことを知った人間の感情はあまりにあっけなく崩壊する。
「う、ああ……が、ぐ、うぁあ……アァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!!!?」
ディアベラス=ウルタードの世界を焼き尽くす程の制御不能の怒りが悲しみが絶望が、ディアベラス=ウルタード自身を焼き尽し縛り付けた。
この瞬間、ディアベラスの力の支配権は完全にエリザベス=オルブライトの手中へと堕ちたのだ。
その事実をエリザベスは満足げに受け止め、改めて自分の所有物が生み出した戦果を確認するように辺りを確認した。
「さて。『特異体』の騎士様は期待外れでしたわね。……まあ、後は『設定使い』を私のモノにしてしまえば、シーカーと言えど私を無視する事はできなくなるハズですわ。頑張りませんと――」
既に煙は晴れている。しかし先まであの大男がいた場所に、人影は見当たらない。故に少しばかり拍子抜けしたような声色で嘆息した女王の声に、しかし返答があった。
「――だれが、期待外れだって?」
「!?」
声はエリザベスの背後から。慌てて振り返った女王の視線の先、そこには『悪魔の一撃』と空間圧搾による空間斬撃を受けてなお出血一つない怪物が立っていた。
その身体、まさに『不壊の盾』の如く。
神の子とすら称される二名のSオーバーの一撃を受けてなお、筋骨隆々のその鋼の肉体は小揺るぎもしない。
「……ったく。やってくれたな、お嬢さん。踏ん張る為の足場ごと消し飛ばしてくれやがって。おかげさまでこの気色の悪い空間を無限に落下していく所だったぜ」
「……チッ、もったいぶらずに無事なら無事とさっさと出てくれば良いものを。貴様は一々無駄にカッコつけねば満足に戦う事も出来ないのか」
「そういうお前さんも、一々俺に突っかからんと会話も出来んのか? 見てくれの通り、繊細な作業とかそういうのは苦手なんだよ。ご存知の通り魔術も使えん半端者なもんでな、この空間に立つ感覚を掴むのにちょいとばかり時間が掛かっちまった」
足場さえない異空間を足裏で掴み蹴りつけて此処まで戻って来たスネークの嘆息に対して隠す気のない露骨な舌打ちで応じる『設定使い』。
相も変わらずスネークに対しては嫌味な美丈夫に、心底嫌そうに肩を竦める。
そんな余裕すら感じさせる二人のやり取りに、エリザベスは絶望はおろか喜びの滲むような羨望と期待の眼差しを向けて笑みを湛える。
「……前言撤回、ですわ。やっぱりアナタは素晴らしいわ、反逆の騎士様。世界最強の男の異名は伊達ではないという事かしら」
「やめてくれこっ恥ずかしい。そう大したモンじゃねえさ。世界最強なんて看板は俺には荷が重すぎる。せいぜい『狡猾の蛇』くらいがお似合いだ。だがな……最大最弱。アンタの蛮行を止めるには俺程度の大根役者でも十分だ」
どこか飄々としながらも豪放磊落なその男の声色が、スイッチが入ったように後半部分で切り替わる。
低く、鋭い。ともすれば脅すようなその言葉に、エリザベスは一抹の恐怖と期待が入り交じったように笑みを引き攣らせる。
「……と、申しますと?」
「今すぐそいつら二人を解放しろ。お前さんのやり方は個人的に見過ごせねえ」
「断る、と私が答えたらどうなさるおつもりで?」
「その平和の企て、悪いが全力で踏み潰させて貰おう。この身に宿る我が傲慢に賭けて」
「うふふ……あはっはははははははははははははははははは!! 私の前で私の平和を踏みにじると堂々宣言なさるなんて……! ええ……やはり、やはりアナタは是が非でも私の所有物にしなければなりませんわ。だって、そうする事がこの世界を平和へと導き醜い争いを消滅させる最大の近道なのですもの! ああ、どうか。私の膝元に傅いてくださいな、私に逆らう素敵な騎士様……ッッ!」
愛する平和を否定され、エリザベス=オルブライトの周囲に生命に本能的な悪寒を与える不可視の力が渦巻く。異質でどこか異端な危うさを持つ艶美な哄笑が響き渡り、交渉が決裂したことを告げた。
平和を愛する女王の号令に従い、心を殺された兵器がスネークに襲い掛かる。
「……『設定使い』、少し暴れる。援護はいい。ただ、この空間が壊れねえようにちょいと気張ってくれ」
「言われなくても貴様などを助けてやるつもりは毛頭ない。そもそも、今の私はこれ以上『設定』を重ね掛けできない、戦力としては期待するな。だが……指示通り空間の維持は任されよう。心置きなく暴れるがいい、狡猾の蛇」
「――了解っと。んじゃ、ちょっとばかし本気で行く」
眺めているだけで頭がくらくらするような白黒のその世界に、唯一色付いた異分子達。
彼らは各々が各々、使い方次第で容易に国一つ滅ぼすことが可能な程の力を秘めている。
世界の形を、その在り方を、捻じ曲げ改変し改暫する力、それが干渉力。
測定不能を叩き出す規格外のSオーバー達が持つその力は、局地的に新たな世界を創世するに届きうる異端の力である。
故に凄まじい干渉力を誇る彼らのぶつかり合いは、天地創造の神話にも似ていた。




