第五十三話 混迷極めるコイン裏Ⅲ――すれ違いの刹那、それぞれの思い:count 1
ボロボロの身体に鞭を打って戦場に赴くのは割といつもの事だが、まさか対抗戦でまで同じような無茶をする羽目になるとは思わなかった。
運が悪いと言えばそれまでだが、予期せぬトラブル発生との事で四試合目だったはずのセナ=アーカルファルとの試合が急遽一回戦へと繰り上げになったのだ。
医務室で手当てをしてくれた干渉レベルAマイナスの治癒系神の能力者の話では、骨折や内蔵破裂などは既に治っているらしい。
彼女の神の力は復元に秀でている為、材料さえあれば元の状態に瞬時に戻す事が可能なのだとか。
だが、失われた血と体力は回復していない。
本来は輸血を受けることが出来るハズだったのだが、勇麻の血液型と適合する血液がスタジアムにはないらしい。
セルリアに頼み込み、出来る限り勇麻の体液に近い濃度の生理食塩水を生成して貰い、それを輸血する事で無理矢理に体液をカサ増ししているような状態だった。
カーテンで区切られた医務室の一角で、身体中に包帯やらなにやらを巻き付けられて輸血の点滴と共にベッドに横になっている勇麻の周りにはシャルトルを除いた四姉妹と、勇麻の胸に耳を当ててちゃんと心音を確かめるんだと言って聞かない盲目のスピカ。そしてサファイアめいた碧眼を心配そうに細めるアリシアがいる。
脇腹をツンツンする度に勇麻の身体がぴくりと動く事を発見したセピアが夢中になってツンツンし始めるのをアリシアが必死になって食い止めようとし、取っ組み合いのミニマムロリっ子頂上決戦が勃発(大人な対応でスピカが一歩リード)する最中。セルリアは興味深々な様子で勇麻の身体を眺めて首を傾げていた。
「相変わらず無茶するわね~、アナタって。それに相変わらず無茶苦茶な回復力。この身体の中ってどうなっているのかしら~?」
「ちょ、痛いって、叩くな、つねるなっ! セルリア姉様マジで痛いってば!?」
「あらあら、嫌ねぇ~。アナタにお姉さまなんて呼ばれる筋合いはないわよ~」
ニコニコ笑顔でわりとガッツリ拒絶された。
「む、今度はセルリアが勇麻を虐めているのか……!?」
「セルリアおねーちゃん、怪我してる勇麻おにーちゃんを虐めたらめっ! なんだよ!」
「あらあらごめんなさい。あんまり触ってるとアリシアちゃんやスピカちゃん。それにシャルトルちゃんにも怒られちゃうわよね~。もうしないわ。東条勇麻の身体は私のモノじゃなくて……ええっと、シャルトルちゃんのモノ? アリシアちゃんのモノ? スピカちゃん? それとも天風楓のモノなの~?」
「いや、俺の身体は俺のモノでもあって誰のモノでもねえよ。ていうかセピアなんでお前右手を挙げて立候補する気満々なんだよ……!?」
ズタボロになってアドレナリンでも溢れているのか、重傷だった割にハイテンションな勇麻のツッコミにいつも通りジト目半眼で「んなっ」と短く答えるセピア。
未だにセピア語は習得できていないが何となくニュアンスは掴めるようになっていた勇麻はすぐさま直感的に理解した。
今のはそこはかとなく勇麻を馬鹿にしている感じの受け答えだ、と。
そんなベッド周辺の争いを壁に背を預けながら眺めていたスカーレが、
「にしても案外元気そうで安心したぜ。いや、試合の順番変更って聞いた時は『すぐにとかコレ無理だろ』って思ったけどこの様子なら何とかなりそうじゃねえか」
「簡単に言ってくれるよな、ホント……」
「大丈夫だって、馬鹿シャルトルとやり合った直後より酷い怪我だったってのにあん時より元気そうなんだから、何とかなるなる!」
からっとした気持ちのいい笑顔でそう言い切られると、ホントに何とかなるような気がしてくるから不思議だ。
「ていうか、シャルトルのヤツはどこ行ったんだ?」
「あら、あの子がお見舞いに来てくれなくて寂しいのかしら~?」
分かっていてからかっているのか天然で誤解を招くような言い回しをしているのか、今いち判断に迷うセルリアの言葉に首を振って、
「……ちげえよ、子供か。単純に、こういう時にお前らと一緒じゃないなんて、珍しいなと思っただけだ」
☆ ☆ ☆ ☆
九ノ瀬和葉はその報告に思わず天を仰いだ。
「……それ、マジなの?」
『マジもマジ、大マジネ! 一々プロテクト解除する二手間取ったガ、クライムの記憶にあたヨ。アイツ、『雷雨の狂気』の一件で天風楓、東条勇麻の二人接触済みネ』
『それだけじゃありませんぞ、九ノ瀬氏。次の試合で東条勇麻とあたる新人類の砦のセナ=アーカルファルという名前の鎧っ子なんですがね? どうも彼女の中身が天風楓と入れ替わっているようでしてな。試合の順番が繰り上げではなくくじ引きで変更されたのも不自然ですし、クライム=ロットハートは二人がぶつかる次の試合中に何かを仕掛ける腹積もりなのでしょうな。このままですと十中八九……』
「予見で何か見たのね……」
「……ええ、それはまあ。しかし……我氏が見た時点までですと、結局クライム=ロットハートが何を目的として行動を起こしたのかははっきり分かりませぬが――少なくとも、天風楓と東条勇麻の両名がクライム=ロットハートの神の力の干渉下に陥る事だけは確かですな」
「……最悪だわ」
竹下悟の言葉に和葉は頭痛を堪えるように頭を抱えながら思わずそう零した。
最悪の状況というヤツを想定していない訳ではなかった。東条勇麻と天風楓が、既にクライム=ロットハートの干渉下にあるパターンだって考えていた。
しかし、クライム=ロットハートが東条勇麻と天風楓に接触していて、しかもその二人がこれから試合を行うなどと一体誰が想像できる? 最悪の展開ではないにせよ、下から数えた方が早いような状況である事は間違いない。
「あの二人がぶつかるのを、何としてでも止めないと。本当に大変な事になる……ッ!」
今和葉が動かせる人員はそう多くはない。生生や竹下悟をスタジアムまで引っ張り出している時間はないし、彼らに肉体労働を期待するのは間違っている。あの二人は裏方でサポートに回って貰うのが一番効率がいいだろう。
となると、現状の和葉に取れる手段は限られてくる。
ここまで来てしまったら出し惜しみをしている場合ではないだろう。敵にとっての『想定外』である〝彼〟もここで切るしかない。
和葉は素早くメールを打ち込み彼へと送信。
そして、現状の和葉が頼る事の出来る唯一の協力者であるもう一人にもこの情報を共有する必要があった。
何せ全身鎧に身を包んでいる状態では、セナ=アーカルファルの中身が天風楓であるなどと、彼女と近しい者でもそうそう気付く事は出来ないだろう。探し人と廊下ですれ違う悲しいニアミスが発生しかねない。
和葉は大慌てで東条勇火とも連絡を取ろうとするが……
「――ああ、もう! 繋がらないッ! ……そう言えばあの子の神の力、電撃系統だったのを忘れていたわ」
背神の騎士団への情報漏洩でも警戒して電源を切っているのか、神の力の使用によって電波障害が起きているのかは定かではないが、繋がらないのではどうしようもない。
和葉は勇火への連絡を一旦諦めて祈るような気持ちで最後の番号を入力し始める。
しばらく姿が見えないかと思えばいつの間にか和葉の元に戻ってきていて、気付けばまたふらりとどこかへと行ってしまう馬鹿用心棒へ、どうか届けと瞼をぎゅっと瞑りながら、
「……兄さん。お願いだから出て――」
呼び出し音が二度、三度と虚しく鳴り響き、そして……
『――あいよ。どした妹よ。兄ちゃん今喧嘩で忙しいんだけど?』
☆ ☆ ☆ ☆
「セナ=アーカルファル選手、五分前ですので。そろそろ準備、お願いしますね」
「……あ、はいっ!」
扉越しにノックと共に告げられた声に、鎧の少女は慌ただしく頷いた。
普段のセナ=アーカルファルの無口さと無愛想さを知る者が聞けば首を傾げたであろう、慎ましやかでどこか控えめな印象を与える柔らかな声の主は、当然セナ=アーカルファル本人ではあり得ない。
全くもって彼女らしくない猫耳のような二つの突起が飛び出たフルフェイスのヘルメットもとい兜を被り、全身をライダースーツのようなピタリと身体に張り付く黒系の衣装に身を包むその少女の正体は、天界の箱庭の最強の優等生こと天風楓その人であった。
「――よしっ」
パシッ、と。楓は気合を入れるように両頬を叩き、兜を被り直す。
まだ時間はあるが、逸る気持ちがこれ以上立ち止まっている事を許さなかった――
――新人類の砦の神の子供達寄操令示によるテロ事件……通称『死の饗宴』で受けた精神的外傷によって神の力が使えなくなった天風楓。
彼女を強引に対抗戦に出場させようとする『創世会』の策謀を阻止する為、楓の相談を受けた勇麻は背神の騎士団に協力を打診した。
結果、楓の身を守りつつ『創世会』を釣り上げる為に背神の騎士団と勇麻たちは囮作戦を実行する事に。今回の対抗戦には『設定使い』の力で認識を誤魔化したシャルトルが楓の替え玉として出場し、よりリアリティを出す為に勇麻たちもサポート選手として彼女を支えるという展開になった。
天空に浮かぶ都市を楽しむアリシアの笑顔に癒されながら、自分も大会を楽しもうとする楓だったが、心に差す暗い影はなかなか晴れようとしない。
強くなり、困っている人を救いたい。そう願い不断の努力で手に入れた筈の力は言う事をまるで聞かず、自らの不調が逆に多くの人に迷惑を掛けている事を自覚して落ち込む楓。
そんな楓を仲間たちは元気づけようとしてくれている。その気遣いが、さらに楓の心を重くしていた。
そして、楓の為にボロボロになりながら対抗戦を戦う仲間達の姿に思わず目を逸らし、自分を執拗に責めていた楓は、アリシアの言葉と思いによって自分がまたも傷つく事から逃げていたことに気付く。
命を削り懸命に戦う彼らの姿から逃げずに向き合った楓が得たものは、悔しさとも敗北感ともつかぬ胸を突く大きな痛みとそれと同等以上の憧憬であった。
自分の弱さが恥ずかしい。言い訳ばかりで弱気になっては泣き言を零して俯いては立ち止まる。
自分可愛さに優しさという殻に閉じこもって、自分以外を傷つける臆病者の自分に嫌気がさして、けれども嫌のままで終わらせたくないと。皆が信じて、愛してくれる天風楓という少女を自分もちゃんと信じて好きになってあげたいと、そう思えたのだ。
強くなりたい……
少女は願った。強くなって、いつもボロボロになってしまうあの人の力になるんだと。
沢山守って貰った。だから今度は自分が傷つく彼を守りたい。そう思ったから。
そして、ただ願うだけではきっとダメなのだと、弱いまま、戦えもしないままに楓は戦う事を決意したのだ。
そして今、天風楓はついにその舞台に――ずっと立ちたかった彼の前に並び立たんとしていた。
守られるべき弱き者としてではない。対等な対戦相手として、今日楓は初めて東条勇麻の前に立つ事になる。
ボロボロで偶然頼みでカッコも何も付かなくてただ運が良かっただけのような道のりだった。
ブラッドフォード=アルバーンとの予期せぬ出会いが無ければ、きっと天風楓の決意など誰に届く事も無く儚く風と散っていた事だろう。
だがそれでも。
大勢の力や協力、偶然や幸運を得て辿り着いた道のりだとしても、天風楓はようやく辿り着いたのだ。
ゴールラインではなく、スタートラインへと。
ここから始めよう。
強くなりたいと願い続けた少女の、強くある為の戦いを。今日、この瞬間から。
彼へとずっと伝えたかった言葉と想いが、確かにこの胸にあるのだから。
生唾を呑みこみ、深く一度だけ深呼吸。
まだ舞台にも立っていないのに何の覚悟だとは思いつつ覚悟を決めて控室の扉を開け放ち、選手入場口を目指して少女がその一歩を踏み出し歩き始めたその瞬間だった。
「――よお、ちょっと待ちなって。アンタが――ええっと……天風楓か?」
後ろから楓の細腕をがしりと掴み、確認するように問いかける声があった。
まるで時間が止まったかのように身体が硬直し、頭が真っ白になる。ねっとりと、空気が重い。
扉を出た瞬間を狙われた。
それはつまり、ここにいるのがセナ=アーカルファルではなく天風楓であると確信しての行為に他ならない。
(まずい……わたしだってバレ、てる? でも、どうして……何でこのタイミングで……)
心臓が凍り付いたように冷たいのに、脈打つ鼓動は駆け足をするように速い。あと少し。あと一歩で目的にたどり着くという高揚感が、油断や慢心を生んだのは否定しない。
でも、だからって、タイミングが悪すぎだ。
楓がセナ=アーカルファルと入れ替わっている事を知る人物は少ない。楓の師でもあるブラッドフォード=アルバーンと、その部下である軽薄そうな白い騎士クレボリック=シンボルとセナ=アーカルファル本人の三人。彼らから女王艦隊に情報が漏れたのか。それとも楓を狙う『創世会』に勘づかれたのか。
兜越しに楓を見据えるのは、刺客にしては少しばかり幼さの残る声と短めに切り揃えられた黒髪に混じる金髪が特徴的な少年だ。細身で小柄だが、鍛え抜かれている事が一目で分かる日焼けしたしなやかな肉体を持つその少年は、見る者がみれば未知の楽園という弱肉強食の世界でかつて猛威を振るった喧嘩屋こと九ノ瀬拳勝その人であると分かっただろう。
しかし楓は、勇麻からその名前をちらっと耳にした事はあっても、どんな容姿でどんな少年であるかを詳しく聞いた事などなかった。故に、楓は彼が創世会もしくは女王艦隊の刺客であると考えた。
拳勝が楓を守る為に行動しているなどと、楓には分かる訳もない。
――そして誰にとっての幸か不幸か、九ノ瀬和葉からの着信があった時点で九ノ瀬拳勝はスタジアムの外。多種多様な出店や屋台、大道芸人などの路上パフォーマーで盛り上がるスタジアム前広場にいた。
広場で偶発的に行われる力試しの野試合と称した乱闘喧嘩騒ぎの中心にいた彼は、現在スタジアム内部で発生している幾つかの高度な戦闘とは無関係の位置にあり、かつ和葉からの指示を受けてセナ=アーカルファルがいるであろう控室に最も近い入口からスタジアム内部へと簡単に侵入する事が出来たのだ。
もし拳勝がスタジアム内部で発生している幾つかの戦闘のうちの一つでも見つけてしまっていれば、妹の指示などすぐさま届かなくなっていただろう。
そして拳勝に楓の確保を頼んだ和葉にとっても想定外だったのは、〝彼〟よりも先に拳勝が楓の元に辿り着いてしまった事だろう。
いかに拳勝の方が距離が近かったとは言え、まさか〝彼〟より先に楓を確保するとは和葉も思わない。もし〝彼〟が先に楓の元に辿り着いていれば、もう少しスムーズに話は進んだだろう。少なくとも、楓が拳勝を敵であると認識するような事態にはならなかったハズだ。
基本的に戦うことしか頭にない戦闘馬鹿のMVP級の偶然の活躍は、果たして誰にとっての幸運で誰にとっての不運だったと言うべきなのか……。
そして、九ノ瀬拳勝の声に対して答えを出せぬ楓は、その場で微動だにせぬまま肯定も否定もせずに沈黙を選択した。願わくば何か状況が好転して欲しい、そんな縋るような思いはしかし、
「……」
「おっと……人に名を尋ねるときは自分から、だったっけか。俺は九ノ瀬拳勝、喧嘩屋――だったんだが、最近は諸事情あって用心棒をやってる。んでよ、誤魔化そうとすんのは別にいいけど、アンタ、天風楓なんだろ? ウチの我儘姫もとい依頼人サマがアンタに用があるとかなんとかなんでな、悪いけどちょっと一緒に来てくんねえかな?」
この相手を誤魔化すのは不可能だ。それを直感で理解した途端、楓は些か強引な手段に打って出た。
全神経を楓の左腕を掴む相手の右腕へと集中させる。相手の意識の継ぎ目、油断とも呼べないようなほんの僅かな息継ぎとでも呼ぶべき気のゆるみを、全力で探り――
「あっ、おい。暴れんなって。別にアンタとは喧嘩しようとか思ってねえよ!」
――失敗。やはりまだブラッドフォードのような達人の領域に掠りもしない素人に毛が生えた程度の楓の実力では、相手の呼吸を読み切るなど不可能だった。
掴む手を力任せに振り払って全力で駆けだそうとした瞬間、楓の逃亡の意志を目ざとく感知した拳勝が逆に楓の動きを抑えに掛かったのだ。拳勝の手が先ほどよりも強く楓の細い腕に食い込む。
神の能力者としても非凡の域にあるであろう筋力で締め上げられ、痛みに兜から悲鳴が漏れ出た。
「……っ、はな、して……ッ!」
なおも抵抗し拘束から抜け出そうと暴れる楓に、拳勝は困ったように片目を瞑目して所々に金髪の混じった短めの黒髪を掻き上げる。
「うーん。アンタって今、力消えてんだろ? アンタが最強の優等生サマだってんなら喧嘩すんのも吝かじゃねえんだが、無力なヤツを殴るのはあんま好きじゃねえんだわ。頼むから大人しくしてくんねえかな?」
「いやっ、やめて、ください! 離して……っっ!」
「いだっ、ちょ、おい、蹴るなって。……あーこれもう、駄目だな。悪い、ちょっと殴るぞ――」
何か諦めたように溜息を吐き、拳勝が左の拳を引き絞ったその直後。
「――必殺☆ 超絶ダイナミックメテオインパクトウルトラキーーーーックッッ!!!!」
そんなふざけた発声が響き渡ったかと思うと、楓の腕を掴んでいた九ノ瀬拳勝の身体が凄まじい勢いで吹き飛んでいった。
「……ふう。いやぁ、我ながら今のライダーキックはなかなかにすっげえー完璧じゃね? こう、囚われのヒロインを助け出す的な超絶燃えシチュエーション的にもさ。つうか、実際にこんな機会に恵まれるとは思わなかったけどな! 苦節十七年。地道なイメージトレーニングを続けたかいがあったってヤツだなー、うんうん」
「あの……えっと……」
先ほどまで少年が居た場所に立ち、満足げに額の汗を拭う学ランマントにテンガロンハットという奇妙な出で立ちをした黒髪黒眼の少年は、楓にとっても見覚えのある人物であった。
「おっと、いっけね。肝心の女の子を放ってちゃヒーロー的にマズイよな。こほん、俺は鳴羽刹那! 刹那でいいぜ? アンタは……ええっとー、そう。鎧の人! 名前は忘れたけど、その鎧アレだろ? これから試合出るヤツだろ? アンタの試合、ちゃんと見た記憶あるぜ? 鎖の姉ちゃん相手にすっげえかっけえ格闘技決めてた試合! いやー、あれ凄かったよなぁ。俺さ、あれ見てアンタのファンになっちまったんだよ!」
「そ、その。えっと……ど、どもです……」
一応別都市の選手同士だと言うのに目をキラキラさせながら怒涛の勢いで距離を詰めてくる鳴羽。
やたら馴れ馴れしいその態度に押され反応に窮する楓は、状況も忘れて啞然としながらそう返すのがやっとだ。
しかし兜で表情が隠れてしまっている為か単に鈍いからか、鳴羽は目の前の少女の困惑に気づく様子がまるでない。
ニカッと、無邪気な少年のような笑みを浮かべて、
「だからさ、事情はよく分かんねえけどアンタ今困ってんだろ? だったらここは俺に任せてくれ。あのよく分からんヤツは俺が抑えとくから。……試合、出たいんだろ?」
「……ッ! あの、ありがとう、ございます……!」
「おう。良いってことよ。礼ならいらない……ってヤツだぜ」
勢いよく頭を下げ、選手入場口へと向かう楓に手をあげて答え、お約束の台詞を言えたことに感無量になる鳴羽。しかし、遠ざかっていく足音とその背中に何かを思い出したようにハッとすると、
「あ、いっけね。忘れるとこだったわ。おーい鎧の人ー、アンタさー、ええっと……天なんとか楓って女の子どっかで見なかった?」
その問いかけに、びくりと楓の肩が震えた。
(……まさか、さっきの人と争っている時の声を聞かれて、疑念を持たれている……?)
鳴羽刹那が楓を探している理由は分からない。だが、理由が何であろうとここで正体がバレるのはマズイ。
心臓の鼓動が再び早く大きくなるのを感じる。
顔をフルフェイスのヘルメットで覆っているというのに、何だかその内側を覗き見られているような錯覚を感じて、その場で立ち止まり振り返りもせずに静かに首を横に振った。
それを見た鳴羽は手を振りながら気の抜けるような声で、
「そっかー、ありがとなー鎧の人ー。試合頑張ってくれよー!」
(……ごめんなさい、鳴羽さん……!)
楓は僅かに罪悪感を感じながら、それを振り払うように力強く床を蹴りつけ駆け出した。
皆に迷惑を掛けてでもこの意地を貫き通すと決めたのだ。
今更になって罪悪感に立ち止まることは許されない。
自らの願いのため、自らの想いのため。
天風楓は憧れの待つ戦場へと駆けた。
☆ ☆ ☆ ☆
鎧の少女の背が見えなくなったのを確認して、鳴羽刹那は自分が吹き飛ばした相手が埋もれているであろう瓦礫の山に改めて目を向ける。
「さてっと、今ので終わり……って事はないんだろ?」
「いってえなぁ……あぁ、今のは中々に痛かったぜ」
どこか嬉しそうに毒づきながら瓦礫を押し退けて現れた少年は、鳴羽よりもいつくか年下のように思える。
所々に金色の混じった黒髪。
体つきは決して大きくない。しかし、細く小柄ながら引き締まった筋肉質な肉体と、戦意に爛々と輝く一対の瞳が、野生の獣と相対したような一瞬足りとも気を抜く事を許さない威圧感を周囲に発露し、鳴羽の肌を震わせる。
「いや、なんか知らんけど俺もすっげぇー痛いんだけど、足。これ、アンタの能力か?」
心臓が早鐘を打つような、脈打つ足の痛みが鳴羽の笑みを歪ませていた。
少女に余計な心配を掛けないようにと、我慢していた脂汗がドっと噴き出してくる。
異様な痛みは眼前の少年の神の力か? そう問う鳴羽に、立ち上がった九ノ瀬拳勝は獰猛な笑みを広げ堂々と答える。
「あぁ、そうだぜ。けっこう効くだろ? 俺の『痛みの王』はさ、俺を含めて、俺と戦うヤツの痛覚を引き上げるんだ。こんな風にな」
「……ふーん、すっげえんだな、アンタ」
「ありゃ、天風楓相手の時と比べると微妙なリアクションだな。お気に召さなかったか?」
冷めたような鳴羽の反応に、拳勝は意外そうな顔をした。
鳴羽刹那という少年は、もっとこう……騒々しくて喧しい良くも悪くも拳勝好みの感情の起伏の激しい男だと思っていたからだ。会って数分と経っていないにも関わらず、テンション低めのその姿に違和感を覚える。
しかし鳴羽は、相変わらず楽しくもなさそうに拳勝を見据えて、
「……いや、アンタの力は素直にスッゲェと思うし、蹴りの痛み引き上げられて平然としてるのもスゲェと思う。けど、俺は一生懸命頑張ってるヤツの足を引っ張るヤツは好きじゃねぇんだ。これから試合だってヤツに、アンタはこの痛みをぶつけようとした訳だろ?」
鳴羽刹那にとって、生きるとはその一瞬一瞬で全力を尽くし、人生というその刹那を駆け抜ける事である。
故に、どんな事であろうとひたむきに努力し頑張っている人間は好きだし、自分に出来ない事を出来る人間は、誰であろうと尊敬していた。
人と人の持つ可能性。いつ終わるともわからない儚く短い刹那の時間の中、最大限に自分を輝かせようとする人の輝きが好きだった。
そして、だからこそ、許せない事もある
問い掛けに、拳勝は答えなかった。
ただ、鳴羽刹那の中で膨らむ闘志に呼応するかのように、狂暴な笑みで応じる。
「……カッコよくねえよ。うん、やっぱここン所が気持ち悪くてなんか許せねぇ。ワリ、アンタちょっと今からブッ飛ばす」
瞑目し自らの胸に拳を当てた鳴羽が、一人答えを見つけたように頷いた。そして、鋭利な目付きで拳勝を睨みつけて宣戦布告。
ぶつけられるその敵意に、拳勝が全身を歓喜に震わせた。
「――かっ! はははははははは!! ……わざわざこんな所まで来て『対抗戦』に出られねぇって聞かされた時は退屈な仕事だと思ったが、こいつはいいや! どいつもこいつも俺好みの喧嘩馬鹿ばっかじゃねぇか!! 俺は九ノ瀬拳勝だ。アンタ名前は!?」
「――鳴羽刹那」
「そうかい、覚えたぜ鳴羽刹那! なあ、刹那。今から俺と最っ高に熱い喧嘩をしようぜ……!」
同時、地を蹴る両者。
握り固め振りかぶった拳が二つ、一点で交錯して――
「――ワリ、俺ってさ、人の顔と名前覚えんのは苦手なんだ。ええっと……アンタ何だっけ? けんちん?」
肉と骨を打つ鈍い音が響き、一人吹き飛んだ九ノ瀬拳勝を見下ろすように。
拳を振り抜いた態勢で鳴羽刹那がそう言った。
――今、何が起きた?
肉が弾け飛んだような熱を頬に感じながら、拳勝は自分だけが殴り飛ばされている現実を反芻する。
地面を蹴りつけるタイミングは間違いなく同時だったハズだ。
鳴羽刹那と九ノ瀬拳勝、両者の俊敏性や瞬発力、総じて素早さにそこまで差があるようにも思えない。
だというのに、気がつけば鳴羽刹那の拳が一手早く拳勝の顔面に炸裂していた。
「……おもしれぇ、アンタ良いなァ! 鳴羽刹那ッッ!!」
一〇倍に引き上げられた痛覚の中、拳勝は頬を痙攣させながら心の底から楽しげに吠える。
未だ戦ったことのないタイプの強敵を前に、拳勝の興奮はこの日最高潮の物へと達していた。
直前に電話で妹に頼まれた事など既にすべてを忘却し、眼前の強敵へと喰い掛かる姿はどこまでも血に飢えた獣のソレであった。
自らを満たす為、胸の高鳴りと血の滾り、生の実感を求めて九ノ瀬拳勝は戦場へと身を投げ出す。
かつてと変わらないように思える闘争と悦楽を求める刹那的獣。
しかし、今の彼は闘争そのものに酔いしれるだけの信念無き獣ではなかった。
和葉との契約を経てなお、拳勝は未だに大切なモノや守りたいモノとやらが自分に何を与えているのか、自分が何か変わったのか、それともこれから変わるべきなのか、何一つとして分かっていなかったけれど。
敗北の悔しさを知った孤独な少年は、飢えていた。
血沸き肉躍る闘争の果てに得られる、格別なる勝利の味に。




