第四十五話 対抗戦武闘大会・本戦Ⅵ――予感する始動:count 1
スタジアム内部通路の内壁には、等間隔にスクリーンが取り付けられていて試合が観戦できるようになっている。
席を一時的に離れなければならない人への配慮なのかもしれないが、ガラガラで人気の皆無なこの状況を見て貰えば、あまり成功していないことは明らかだ。
まあ、金が余りに余っているのだろう。
応急処置を終えた身体は何だか重くて、歩く気にもなれない。
勇火は部屋に戻るでも控え室に向かうでもなく、医務室を出た少し先の廊下の壁に背を預けながら、漠然と試合を眺めていた。
そんな勇火の元へ、靴音が響く。
意図して音を響かせるような歩き方だった。「お前に用がある」名乗りもなくそう告げる不躾な足音に勇火は辟易したように息を吐いて、来訪者を迎え入れる準備をする。
そして――
「――よっす、こんなとこにいたのかよー、カミっち」
「……鳴羽、センパイ」
ぴたりと首筋に冷ややかな感触を感じつつもスルーする勇火の反応に、鳴羽はややつまらなそうに唇を尖らせ、横に並んだ。
同じように壁に背中を預けると、勇火の首筋に当てた缶ジュースを放ってくる。
かわいい女子でもないのにそういう事されると心の底からムカつくから辞めて欲しいと切に願う勇火だったが、口には出さなかった。
……というか、炭酸飲料を投げるなよ。
投げられた缶を勇火が渋々受け取るのを見ると、鳴羽も缶のプルタブを開けてぐいっと一気に黒々とした炭酸水を喉奥に流し込んで、
「一人でこんなとこで何してんだ。もしかして落ち込んでんのか?」
「そう思うんだったら声掛けないでくださいよ……」
うんざりと嫌そうに言うと、何が面白いのか鳴羽は快活に笑った。
そんな鳴羽の様子に、勇火は少し掛ける言葉を迷って。それでも変に言葉を選ばず、ただ思った事を口に出した。
「……惜しかったですね、試合」
「え、なに。カミっちってば俺の試合見ててくれたの?」
「ええ、まあ一応は。そこら中で流れてますし」
目を輝かせる鳴羽に、勇火は面倒くさげに頷く。
とはいえ、試合の内容自体は凄まじいモノだった。今も目蓋を閉じれば、血のたぎる光景が脳裏に浮かぶ程には。
――激闘の末、鳴羽刹那はブラッドフォード=アルバーンに敗北した。
試合終盤に鳴羽が放った『乾坤一擲、天地拳双骨』は、ブラッドフォード=アルバーンを場外ギリギリまで吹き飛ばし、なおかつ決定的なダメージを与えるに至った。
致命的な一撃に、ブラッドフォードはすぐには立ち上がることが出来ず、あのまま十秒以内に鳴羽の追撃があれば、あの一戦は鳴羽刹那に軍配が上がっていただろう。
しかしそうはならなかった。
『刹那捕縛』の濫用とモード・二重因の使用。さらにはその二つの併用。
無理に無理を重ね、己が身体に負荷を掛け続けた代償は『揺り戻し』という形で鳴羽刹那から勝利を奪っていった。
刹那の勝機を掴み損ね、勝利への十秒は敗北への十秒と変わった。
結局、鳴羽刹那は硬直が解けぬまま、立ち直ったブラッドフォードの一撃をまともに喰らい場外へ。
最後に二人の明暗を分けたものは何てことはない。勝負において最も重要で、それでいて人の手にはどうしようも無い物。
要するに時の運だ。
鳴羽刹那は強かった。
ただ、それでも勝てなかった。
ただ、その結果に後悔はないのか、鳴羽の顔に翳りはない。
「……いんや、俺の『刹那捕縛』はこの世界へのズルみたいなモンだ。んで、俺がズルしても勝てねえくらいあのオッチャンは凄かった。惜しくなんかねえ、完敗だ。完敗。いやー、世界にはすっげーやつが沢山いるなー、ホントさ」
鳴羽は自身の敗北を満面の笑みで認めた。心の底から楽しそうに、無邪気に笑うのだ。
「でも、残念っちゃ、残念だよなぁー」
「何がですか?」
「いやさ、俺言ったじゃん? 俺らどっちも勝ち上がって、二回戦で戦おうぜって話。オッチャンとの試合はすっげえ楽しかったし、悔いはねえんだけどさ。それが出来なかったのは勿体ないなぁって思ってさー」
ずりずりと壁を伝うように腰を下ろす鳴羽は、飲み干した缶ジュースのふちをガジガシくわえながら残念そうに言った。
その時の鳴羽がまるで餌を取り上げられた犬のような顔をしていて、彼が心の底から勇火と戦うことを楽しみにしていたのだという事を伝えてくる。
「だったら、今からやりますか? ここで」
「へ……?」
「ぶっちゃけ、やることなくて暇なんですよ。鳴羽センパイさえよければ、今すぐにでもボッコボコにしてやりますけど?」
肩を竦め冗談めかして言う勇火に、鳴羽は最初きょとんとして。それから、ワクワクして堪らないといった調子で目を輝かせ始める。
そんなこと考えもしなかったとばかりに高揚感を爆発させて、鳴羽刹那は勢いよく立ち上がった。
勇火もまた既に壁から背中を離し、いつでも動けるような態勢を取っている。
「すっげーよ。やっぱ頭いいな、最高かよ、カミっち……!」
「……アンタは変わらずすっごいアホですね、鳴羽センパイ。本気にしないでくださいよ、俺まで楽しくなっちゃうでしょう」
両者ともに好戦的な笑みを広げ、そして。
弾かれるようにベンチから立ち上がり距離を取った次の刹那、拳と拳が交錯した。
☆ ☆ ☆ ☆
【三大都市対抗戦 六日目 第五種目『三大都市対抗武闘大会・本選』】
参加人数
・予選通過選手十六名
勝利条件
・相手を気絶・もしくは降参させる。場外に押しやる。ダウンからのテンカウント、テクニカルノックアウトで勝利とする。
基本ルール
一、一辺五十メートルの正方形の石舞台上で戦う。
一、神の力の使用推奨。
一、審判の判断に従わない場合は失格。
一、事前に許可を受けた物以外の武器の使用を禁止。破った場合失格。
一、他選手に対する殺害行為を禁じる。死亡者を出してしまった時点で失格。
一、他、これ以上競技の続行が不可能な状態にあると判断された場合失格。※今回はテクニカルノックアウトとし敗北扱いとする。
勝利時獲得点数
・本競技は予選と本選、二日間に分けて行われる競技であり、本選に勝ち残った時点で得点を得る事が確定する。一勝する度に得点が上昇する形となっている為、順位ではなくベスト○○の形で得点をつける。
・優勝:一〇〇点
・準優勝:八〇点
・ベスト4:六〇点
・ベスト8:四〇点
・ベスト16:三〇点
一回戦
・第一試合
海音寺流唯 VS 天風楓
勝者:海音寺流唯
・第二試合
泉修斗 VS 東条勇火
勝者:泉修斗
・第三試合
シーライル=マーキュラル VS 十徳十代
勝者:十徳十代
・第四試合
鳴羽刹那 VS ブラッドフォード=アルバーン
勝者:ブラッドフォード=アルバーン
・第五試合
リコリス VS シャラクティ=オリレイン
勝者:リコリス
・第六試合
ユーリャ=シャモフ VS 弓酒愛雛
・第七試合
セナ=アーカルファル VS アブリル=ソルス
・第八試合
ロジャー=ロイ VS 東条勇麻
二回戦
・第一試合
海音寺流唯VS泉修斗
・第二試合
十徳十代VSブラッドフォード=アルバーン
・第三試合
リコリスVS第六勝者
・第四試合
第七勝者VS第八勝者
準決勝
・第一試合
第一勝者VS第二勝者
・第二試合
第三勝者VS第四勝者
・決勝戦
補足
・失格選手は失格直前の順位を問わず脱落となる為、例外なく付与される得点の対象外となる。
・競技終了後にルール違反が発覚した場合も失格となる。その場合、本競技で得た得点は没収とする。
☆ ☆ ☆ ☆
――鳴羽刹那が勇火の元を訪れる少し前まで、時間は遡る
ローブを纏った正体不明のその来訪者は、かろうじて見える口元にふてぶてしいまでに自信に満ちた不適な笑みを張り付け、勇火の元へ現れた。
『あなたが東条勇火くんでいいのかしら?』
『……むしろ俺がアンタの名前を知りたいんですけど。一体どちら様ですか?』
驚いたことに、その人物の声は女性のものだった。
勇火は内心の動揺を隠しつつ、不躾な足音の主の問いかけに半眼で答えると、彼女――少女は、何がおかしいのかくすくすと笑う。
訝しげな勇火の視線に気づいたのか、お上品に口元に手を当てるとこほんと一つ咳払いをして、
『いえ、ごめんなさい。兄弟なのに、こんなにも反応が違うものかと思うと何だかおかしくって』
『……もしかして兄貴の知り合いですか?』
膨らむ嫌な予感に思わず尋ねると、次に勇火を襲ったのは後悔の感情だった。
『ええ、そうよ。私は九ノ瀬和葉。東条くんから話を聞いてないかしら? 未知の楽園で大変お世話になった大恩人の超美少女情報屋がいるって』
美少女情報屋を自称する少女は、そう言って話を切り出した。
☆ ☆ ☆ ☆
一回戦第六試合が始まり、観客たちが大いに沸き立つ中。表の喧騒具合はかなりの高まりを見せていた。
試合中、スタジアム内の人口は自然と客席側に大きく傾き、解放直後は詰まった排水溝みたいな人口密度になる内部通路はガラガラになる。
スペースを利用した売店、トイレなどがある場所は多少の人影が見られるものの、それすらない箇所は表の喧騒が嘘のような無人っぷりだ。
無為に流れる試合の映像は、いっそ虚しさすら感じさせる。
人目につかず死角となるのか、試合中に一人で通路を歩く観光客を狙ったスリや恐喝などの軽犯罪もいくつか発生しているくらいだった。
しかしそれも彼女たちにとってはあまり関係のない話だ。
周囲の喧騒や世間の注目などどこ吹く風と言った調子で、人気のないスタジアム通路に姦しい声を響かせる少女たち。
スリや恐喝なんて恐れるに足らず。
蛮行に及んだその瞬間、犯人たちは命乞いと共に裸足で逃げ出すことになるのは必然だった。
「シャラちゃん惜しかったよねー」
「ほんとだぞ。なのにシャララは負けたのを気にしすぎだ。なにがしばらく一人にしてくれー、だ。ホロロは今すぐおつかれパーティーしたかったのに……」
並んで歩く少女は二人。
ひとりは黒髪碧眼の優し気で全体的に柔らかそうなふわふわした雰囲気の少女ビリアン=クズキ。
そしてそんなビリアンのやや先を落ち着きなく歩くのは、包容力抜群の彼女とは正反対の天真爛漫さを振り撒く褐色金髪少女ホロロ。
その華奢で非力そうな見かけとは裏腹に、とっても強い未知の楽園期待の幼きエースである。
「ホロロちゃん。どっちにしてもパーティーのまえにやることがあるんじゃなかったの? ていうか、今向かってる途中だよね」
「……おっと、そうだったそうだった」
ホロロとビリアン、それにシャラクティ=オリレインを合わせた三人は、家族であり姉妹であり親友でもある未知の楽園凸凹トリオである。
二人は先ほど試合を終えた凸凹トリオの一角通称シャララことシャラクティ=オルレインの元を訪ね、その帰り道に少しばかり寄り道をしようとしているところだった。
「でもホロロちゃん。東条勇麻さん……だっけ? これから試合なのに、いきなり尋ねたら迷惑なんじゃないかな……?」
「うーん、でもなー。あれは流石に言っておかないとマズイと言うか。ぶっちゃけ試合どころじゃねーぞーって言うか。一応シャーマンなホロロとしては見過ごせないと言うか……」
「そのわりにはホロロちゃん。シャラちゃんの試合が終わるまで完全に忘れてたみたいだけどね」
「そ、そんなことない。ホロロちゃんと覚えてたぞ」
ぷいとあからさまに視線を逸らすホロロにビリアンは苦笑する。
ある種万能の神の力をその身に宿し、戦闘においてその才能を遺憾なく発揮する天才少女、などと言われようともホロロはホロロ。
天真爛漫で抜けていて、考えなしの猪突猛進タイプである。
ビリアンかシャラクティのどちらかが一緒にいてあげないと、気移りしやすいこの子の事だ。すぐにトンチンカンな方向へ暴走してしまうことも知っている。
彼女の気持ちの切り替えが早いのは、その忘れっぽさも起因しているとビリアンは思うのだった。
そんなホロロが自力で思い出した要件だ、確かにそれは重要な事なのだろう。
ホロロが東条勇麻という人へ伝えたい事の内容が何なのかは聞いていないしわざわざ聞き出すつもりもないが、とりあえずホロロが道に迷わないように付き添おう。
ニコニコと穏やかにほほ笑みながらさりげなく道を誘導するビリアン。
三人の中で最年長なだけあり、その面倒見の良さはもはや貫禄すら現れ始めているのであった。
そして――
――そんな彼女達のやり取りを眺める粘つく視線が、一つあった。
☆ ☆ ☆ ☆
クライム=ロットハートは退屈していた。
玩具にしようとしていた女王艦隊の連中は女王に取り上げられ、エリザベス=オルブライトから強く釘を刺されたクライム=ロットハートはしばらくの間、女王艦隊で遊ぶことができなくなっていた。
氷道真はクライムの指示待ちで待機中のため別行動。
対抗戦もいよいよ最終日。仕掛けは上々、あとは最高のタイミングを待つだけであるというのにも関わらず、この段になってクライム=ロットハートは今回の任務に飽き始めていた。
スタジアム内部の廊下を、身につけた貴金属類をじゃらじゃら鳴らしながら歩き回り、ぐだぐだと愚痴を零す。
「あーあー、つまんねえなつっまんねえーじゃんよー。どっこに転がってねぇかなぁ、俺チャン専用の遊び道具がさー」
『創世会』から補充された人員は既に使い倒し廃人と化していて、これ以上遊んでも面白くない。
せっかく手に入れかけた玩具も、女王に取り上げられてお預けを喰らった。
既に目を合わせた二人に関してはそのタイミングを待たねばならない為、今すぐには遊べない。
有り体に言えば欲求不満なのだ。
遊びたい。
愉しいことがしたい。
女子供の悲鳴が聞きたい。痛みに苦しみに恥辱に絶望に啼く顔が見たい。ヒトが壊れる瞬間の慟哭を狂乱をこの胸に刻みつけたい。
この衝動を思う存分にぶちまけたい。
ここ数時間、クライムが考えることと言えば、与えられた任務よりもその身から溢れる欲望のことばかり。
全くもって集中出来ていなかった。
この七日間、クライムは沸き上がる自らの衝動をよく我慢したと自分でもそう思う。
シーカー直々の命である以上、遊びが過ぎておじゃんにする訳にはいかないと自身を自制し自重して、できるだけ目立たないように行動してきたつもりだ。
だがそれももう限界だった。
そもそもクライムがシーカーの元に付くのは、誰を気にすることなく自由に好き勝手に遊べる環境が欲しかったから。
こんな風に自分を縛り付けるなんて、本末転倒も良いところである。
シーカーの邪魔をしない限り、クライム=ロットハートにはありとあらゆる行為が犯罪が殺人が全てが許されている。
だから。
邪魔をしない範囲でなら、もう。
なにかも。全部ぶっこわして殺して壊して犯して愉しく遊んでもいいだろう?
「キヒ……!」
想像する。それだけで。震える。
人を壊す瞬間を、血の生暖かさを、耳朶を揺する心地のいい叫喚を、助けを乞う歪んだ絶望の表情を、想起するだけでその身に染み付いた快感に身体が打ち震える。
麻薬のような中毒性、心にこびりついて忘れられない破壊の快感は、禁断症状となってクライム=ロットハートの身を焼き焦がしていた。
「キヒ、ヒッヒヒ……! あぁ、こんなの俺チャンらしくないよなァ? つーかさ、俺チャンだってかなり頑張ったじゃんか。だってあとちょっとなんだあと数時間後には俺チャンの心傷与奪で勇麻チャンをぶっ壊して楓チャンもオーダー通りに料理できるんだからよォだったら少しくらい遊んでもいいよなァ……??? そうっしょ!? そうじゃん!! そうだよなぁ!?」
ブツブツブツブツと。涎を流し口から泡を飛ばしながら、血走った目を見開いてクライム=ロットハートは哄笑をあげる。
キヒヒ……ヒヒヒヒッ……! と、横に裂いた笑みから漏れ出る不快な嗤い声は、聞く者の背筋を粟立たせる異質な迫力があった。
一人ぶつぶつと言葉を漏らし、哄笑するその様は、傍から見れば頭のイカれた壊れた狂人にしか見えないだろう。
そしてその評価は決して誤りではない。
何故ならクライム=ロットハートという男は人として破綻した正気の狂人。悪意をもって悪を成す根っからの極悪人なのだから。
刹那的快楽を心の底から愛し信奉する破綻者は、遠慮も躊躇もしない。
たった今、そう決めた。
己が衝動を解き放つ。
ただただ反射的に、心のあるがままにその欲求をぶちまけると。
あと彼に足りないのは、壊しがいのありそうな玩具くらいで――
「……へぇ?」
――と、心地のいい解放感に浸っていた時だ。対面からこちらにやってくる二つの人影がクライム=ロットハートの目に止まった。
クライム=ロットハートは引き裂いた狂った笑みを隠すように俯き、くすんだ金髪の隙間から覗くようにこちらへ近づいてくる人影をじっと観察する。
並んで歩く二人の少女。黒髪碧眼のおっとりとした優し気な雰囲気を纏った芯の強そうな少女と、褐色金髪の元気いっぱいで底抜けに明るい無邪気そうな少女。
楽しげに談笑しながら歩く二人は、誰の目から見ても幸せそうで、仲睦まじい姿は心の奥が温かくなるような微笑ましさだ。
こうしてすれ違いざまに聞こえる会話だけでも、二人の絆の強さ。互いへの思いやりが手に取るように分かる。
……ああ、なんて美しい友情だろう。
なんて涙ぐましい愛情だろう。
クライム=ロットハートの『心傷与奪』は洗脳に長ける一方、相手の思考の内容を事細かに読み取ることはできない。
そのかわりに心の色から喜怒哀楽といったおおまかな心理状態をリアルタイムで読み取り、相手の心の反応から相手がやられたくないこと、言われたくない言葉、それらを読み取る能力に長けている。
人の嫌がる事をやらせたらこの男の右に出る者はいない。
決して戦闘タイプの神の能力者ではないにも関わらず、彼は敵の思考の急所を突き続けることで相手を圧倒し、その心ごと破壊してしまう。
だから、クライム=ロットハートは人の感情の機微が好きだった。
些細なことで喜び、悲しみ、動揺し、絶望して簡単に壊れて行く人の心というヤツは、どうしようもなく脆く故に面白い。
彼等はいつだって綺麗で繊細なガラス細工をぶち壊すような言いようのない快感をクライム=ロットハートに与えてくれる至高の玩具。
最高級の贅沢品だ。
……ヒトなんてのはみんな俺チャンの玩具だ。
だから当然、クライム=ロットハートの脳裏に浮かぶのは、この二人の少女で愉しく遊ぶには何をするべきか、という思索だった。
この二人の友情を引き裂いて、ぶち壊すには何をするのが一番か。
……それとも片方を徹底的に絶望させる為に、どちらか一方をぐちゃぐちゃになるまで目の前で使い潰すか。
殴って壊して言葉で壊して嬲って壊して脅して壊して切って壊して繋いで壊して潰して壊して抉って壊して遊んで壊して犯して壊して叩いて壊して殺して壊そう。
遊び方は選り取り見取り。壊し方もまた千差万別。
この素晴らしい世界はクライム=ロットハートを愉しませるための玩具でこんなにも溢れている。
「……アぁ、やっぱ世界はこうじゃなきゃ愉しくないっしょ……!」
顔を俯かせたまま、クライム=ロットハートは下卑た笑みを裂ける程に引き裂き呟く。
背後の少女二人は気づかないし、知りえない。
邪悪な男のその表情そこに籠められた意味と、彼に目を付けられることの絶望を。
ならばこそ、劇的に。
驚愕と衝撃を伴う絶望を叩きつけよう。
思い付いたが吉日。
善は急げだ。
自身のインスピレーションと欲求とを爆発させるべく、悪魔のような男が動く。
「――ねえキミたち、お金。落としたよ」
背後から掛けられた声に、二人がきょとんとした表情で振り返る。勿論、お金を落としたなんて真っ赤な嘘だ。
きょとんとした顔でこちらを見る褐色金髪は警戒心ゼロ、まるで好奇心の塊だ。こいつならば赤子の手を捻るように簡単にいくらでも落とせる。絶望に染めるのも簡単だ。その落差は見物だろう。
対する黒髪碧眼は正体不明のクライムに対して困惑と強い警戒を抱いている。分かりやすい優等生、それでいて恐怖を感じていないあたりなかなかに肝が据わっている。
落とすのは容易ではないだろうが、屈服させた時の達成感はこちらが上に決まっている。
なら、クライム=ロットハートが真っ先に壊すべきは――
クライムの口の端がほんの一瞬、心の底から愉快そうに吊り上がった。
だがそれは誰にも気付かれることなく、溶けるようにどこかへ消えていく。
思考は一瞬。声を掛けた際の両者の感情の色合いから、最初の標的を一瞬で定めたクライムは途端にその表情をパッと輝かせて、
「あれ? もしかして未知の楽園のビリアンさんとホロロさんですよね? うっわー、すげえ! 本物だーっ。感激だなー! あの、俺、一日目のリレー見てからファンなんですよねー、握手して貰っていいですか!?」
有無を言わせぬ調子で捲し立て二人に近寄ると、黒髪碧眼の少女ビリアン=クズキに右腕を差し出して――
☆ ☆ ☆ ☆
対抗戦武闘大会・本選。一回戦第六試合
ユーリャ=シャモフVS弓酒愛雛の試合は、一回戦屈指の人気カードとして注目を集めていた。
なにせ、色んな意味で衝撃のデビューを果たした身体から艶めかしくアルコールの汗を分泌する合法未成年飲酒少女『酒羅童子』弓酒愛雛と、根強い人気を誇る苦労人『フッド』の愛称で親しまれる『母なる緑』ユーリャ=シャモフの激突だ。
強さ議論もほどほどに、今となっては二人の魅力を語り合っての信者共の殴り合いが、ネットの掲示板では加速している。まさに祭りの名にふさわしい騒ぎとなっていた。
しかし、その誰もがこの光景ばかりは予想していなかったであろう。
「らからぁ、あらしはねぇいっつもいっへるんでふよぉ~。聞いてるんれふかぁ! ろじゃー=ほい~! ……ひっく」
試合が始まって僅か一分。
気化したアルコールにあてられたユーリャ=シャモフはへべれけの酔っ払いと化していた。
頬を赤らめ、瞳はとろんと落ち、ろれつも録に回っていない。体温がいつもより上がっているのか、眼鏡のレンズが曇っていた。録に見えていないに違いない。
事実明らかに挙動不審なユーリャは、ロジャー=ロイに対する意味不明なお小言を虚空へ向けて繰り返しながら気持ち良さそうに身体を揺すっている。
普段の生真面目でお堅い気苦労耐えぬしっかり者の委員長気質が一転、酒の席でめんどうな絡み方をしてくる親戚のおば……人みたいになっていた。
……ちなみに、ユーリャ=シャモフの酒癖の悪さを知る彼女と親しい女王艦隊のメンバーはこの対戦カードを知った瞬間から笑いを噛み殺すのに必死だった。
女王艦隊が違った意味で試合を楽しむ中、ロジャー=ロイも酔っ払いユーリャが爆誕した途端にゲラゲラと腹を抱えて笑い転げていた。
「くくっ……なにが面白いって、アレだよな。ユーリャのやつは酒呑むたびに記憶が飛んでるから、自分の酒癖の悪さを知らねえってのがケッサクだよな」
控室のモニターに映る同僚の姿にお腹を抑えながら、ロジャーがそう零した。
自身の痴態を前世界へ向けて放映して、後々この惨状を知り燃え尽きた灰のようになるユーリャを想像しただけでお腹が痛い。
これだけで今後一年は弄りのネタに出来る。
ただ、ロジャー=ロイ的には実に美味しい展開になったと言えるが、ユーリャと対峙した敵さんにとっては狙いを外したと言うほかないだろう。
なにせユーリャは酔いが回るのは早いが、意識を落とすとなるとそうとう手間だ。
そのうえ、酔っぱらった彼女は――
弓酒愛雛は冷や汗ならぬ冷や酒を流していた。
アルコールを摂取した弓酒愛からは既におどおどとした気弱な気配は消え失せ、幼い容姿にそぐわない妖艶な色気を纏った美少女と化している。
花魁の如くはだけた露出度の高い水着じみた改造浴衣は、しかし単なるファッションではない。彼女の場合、皮膚の汗腺から分泌されるアルコール成分がどれだけ空気中に気化するかが勝負を分ける為、できるだけ肌を露出する必要があるのである。謂わばこれは合理的露出だ。
今の彼女は先日ドラグレーナを圧倒したことで記憶にも新しい『酒羅童子』の力によって一時的に身体能力が上昇し、その人格さえも普段の彼女からはかけ離れたものへと豹変している。
ドラグレーナを一撃で昏倒させて見せた、ネット上で『裏雛ちゃん』などと呼ばれ早くも親しまれ始めている謂わば覚醒モードの弓酒愛は、しかし酔いの回ったユーリャ=シャモフを前に攻めあぐねていた。
「……きいてるんれふかって、いってるんれふっっ!!」
「ふふふ、随分と大きくて可愛らしい駄々っ子さんね。でも残念ねぇ、私はあなたのロジャーさんとやらではないのだけど……!」
駄々っ子のような所作で腕を振り回すユーリャに呼応するように、杭のような樹木が弓酒愛の足元の石畳を突き破る。
槍衾のように多数顔を出したかと思うと、弓酒愛目掛けて杭木の大群が爆発的に伸長した。
あわや串刺しになるところを突き出た緑の杭のうちの一本、その先端に飛び乗ることで回避してみせる弓酒愛。
軽業師のような華麗な身のこなしに浴衣が危うげに靡き、肌色成分を求める観客席から悲鳴じみた歓喜の声援が降り注ぐ。
しかし弓酒愛には客席に意識を割いている余裕など欠片もなかった。
若木が成長し枝分かれするように、飛び乗った杭状の樹木の幹からまた新たな枝葉が伸び、獲物に喰らい付く蛇のように弓酒愛に襲いかかって来るからだ。
動きを読みずらい攻撃に対して弓酒愛もまた捉えどころのないふらふらとした挙動――酔拳でその全てを紙一重に回避、もしくは鋭い蹴りと手刀で迎撃していく。
しかし石畳を突き破って爆発的な成長を見せる樹木群の勢いは止まらず、弓酒愛の健闘を嘲笑うように枝を伸ばし重なり合い隣と融合することで幹を太くし、喰らい合うような歪な成長を遂げて行く。
樹木のなかに取り込まれそうになり、弓酒愛は慌ててその場から脱出。鋭くとがった枝葉によって防御力の低い衣装を貫き皮膚に裂傷が走るも、何とか樹木に取り込まれることだけは避けた。
浴衣を翻して着地した弓酒愛が振り返ると、ついさきほどまで彼女が立っていた場所に、半径三メートル、高さ三十メートルほどの大木が聳え立っていた。
「これは……凄まじいわね」
確かにユーリャは予選でこの石舞台の八割を覆い尽くす森林を造り上げて見せたこともある。
だがあれはあくまで視界を奪う事が目的であり、ユーリャが操るのも背の低い植物や樹木ばかりだった。
それが僅か十秒でこの規模の大樹を造り上げるなんて、いくらなんでもやり過ぎだ。
それに僅かではあるが、この大樹は弓酒愛を取り逃がした今も成長を続けているように見える。だが、成長と同時に根元が腐り始めている様子を見るに、神の力をまともに制御出来ているとも思えなかった。
……これではっきりした。
面倒なことになったと、弓酒愛は内心で毒づく。
――酩酊状態のユーリャ=シャモフは、自身の神の力をまともに制御できず、所構わず力を暴発させる〝絶対に酒を飲ませてはいけない〟タイプの神の能力者だったのだ。
「でもまあ、私がやることは変わらないわ」
劣勢にありながらも妖艶な微笑をさらに深め、その身にさらに濃密な酒気を纏わせていく弓酒愛雛。
はだけた浴衣の胸元をアルコールを多大に含んだ雫が流れ、人差し指でそれを掬った弓酒愛は指に舌を這わせ舐め取るようにアルコールを摂取。自身の酔いをさらに加速させていく。
〝酔い〟という概念を直接相手に叩き付ける彼女は、相手に応じて戦い方を変えることはない。
例えどれだけお酒に対する耐性があり、酔いにくい相手であろうとも許容を上回り押し潰すのが弓酒愛雛の戦い方だ。
どれほど劣勢でもそれを曲げる気はないし、曲げたところで意味もない。
こと自分の得意分野で相手を上回る事もできずに、どうして勝利を名乗れようか。
彼我の距離は二十メートル。駆け抜ける間に、ユーリャ=シャモフの干渉力ならば先の規模の大樹をいくつか創造できるだろう。迫りくる枝葉、踊る弦と蔦、刺し貫く杭木の槍、それらを潜り抜けユーリャへと接近できるかどうか。
まずそれが、この試合におけるターニングポイントの一つ。
そしてもう一つ。
時間を掛ければ掛けた分だけユーリャの支配する緑の領域は広がっていく。しかしそれと同時に、空気中のアルコールの濃度もどんどんと上昇し、ユーリャ=シャモフが酔い潰れてダウンする確率も上がっていく。
いつどちらに訪れるとわからない、時間経過による制限時間で二つ目。
ふとした瞬間に勝利の天秤が傾く、混沌とした戦場を前に。弓酒愛雛は常時の彼女からは考えられないような誘うような笑みを浮かべて、
「蕩けさしてあげる。正々堂々、真っ正面から貴女のことを酔い潰してあげるわ」
さあ、ここから先は根競べ。
どちらが先に根を上げるか、飲み比べと行こうではないか。
☆ ☆ ☆ ☆
「あれ? もしかして未知の楽園のビリアンさんとホロロさんですよね? うっわー、すげえ! 本物だーっ。感激だなー!」
突然声を掛け詰め寄ってくるその男に対して、ビリアンは言い知れぬ危機感を感じていた。
理由は自分でもよく分からない。ただ、フレンドリーながら有無を言わせぬ迫力と、気付いた時にはこちらの懐に入り込んでいる神出鬼没さに、長年弱肉強食の世界を生き抜いてきたビリアンの本能がけたたましい警鐘を鳴らしている。
隣のホロロは全くの無警戒。きょとんとした顔のまま、好奇の視線で男をのんびり眺めている。純粋と言えば聞こえはいいが、鈍感にも程がある。
(ホロロちゃんは私が守らなきゃ。私の方が、お姉さんなんだから……!)
ビリアンは意図的に一歩、拒絶の意思を示すように後ろに下がろうとして、
「――あの、俺、一日目のリレー見てからファンなんですよねー、握手して貰っていいですか!?」
「――!?」
意識の空隙を突くように差し出された右手に、身体が硬直してしまう。
こちらの行動を読まれている……っ!?
ぞくりと、今更背筋に恐怖を感じるがもう遅い。
呼吸と呼吸の間、意識と意識の狭間の無意識の瞬間を針に糸を通すようなタイミングで狙い打たれたビリアンは、反射的にその右手を受け入れてしまう。
そして、そして、そして。
男の笑みが致命的な色を帯びて、ギラリと刃が輝いて、一閃。
「――おいおい、握手にしちゃー随分とまー物騒な右手だな。つーか、そいつは悪手だぜ、クライム=ロットハート」
足元。
絶句するビリアンと黙する金髪の男。両者の重なる影から飛び出した宵闇を煮詰めたような漆黒の剣が、クライム=ロットハートの右手――から伸びる凶刃を、間一髪で阻んでいた。




