第四十四話 対抗戦武闘大会・本選Ⅴ――その刹那を:count 1
「――参った、参った。降参だ。俺じゃあ逆立ちしたってアンタにゃ敵わないってことがよーく分かったよ」
……割に合わない。
十徳十代と対峙した際に抱いた一番の感想はそれだった。
シーライル=マーキュラルの信条は長いモノには巻かれろ、である。
偉い者にへこへこと頭を下げて媚を売り、楽な流れへと乗っかり出来得る限りの楽をする。
人生ことなかれ主義。
どれだけ効率良く楽にスマートに生きて行けるか。
有能な怠け者を地で行くこの男にとって、負けると分かっている戦など戦うまでもなく回避するべき代物だ。
十徳十代などという得体の知れない相手とのバトルなんて以ての外。そもそもドラグレーナが早々に負けてしまった今となってはこうして決勝に残っていることすら胃が痛い。
上司より有能で目立つ部下など目の敵にされるだけ。百害あって一利なし。
仮病を使ってでも休みたい案件だ。
……もっとも、頭からの命令となれば嫌でもやらねばならないのが組織に所属する人間の世知辛いところであるが。
「……あぁ、いい試合だった。ありがとう」
その十徳十代といえば、僅か三分で決着した試合の対戦相手に向けて、何食わぬ顔でそんなことを言っている。
こんなランドセルの良く似合う小学生に気を遣われたうえ手まで差し伸べられるのは屈辱以外の何物でもないが、シーライルは割り切る男である。
基本的に、自分より偉いヤツ、強いヤツ、凄いヤツ、歳とってるヤツ、このあたりの人間には低姿勢。間違っても敵視されないように細心の注意を払って接するようにしている。
十徳十代とかいうこのガキも、シーライルからすれば死んでも敵対を回避すべき要注意人物だった。
シーライルはそんな胸中のドロドロとした思惑を微塵も感じさせないいい笑顔で、差し伸べられた小さな手をしっかりと取って立ち上がると、その肩にぽんと手を置いて、
「……いや、こちらこそいい勉強をさせて貰いましたよっと。君なら優勝だって夢じゃない、俺の分まで頑張ってくれや」
朗らかな笑顔で十徳を称賛し激励するシーライルの姿が巨大なスクリーンにアップで映し出され、互いの健闘を讃え合う両選手へ、会場からは温かい拍手が贈られる。
……敗北しながらも自身の株をあげる方向に持っていく強かさ、自然と好印象を与える対人能力の高さ。そして自身の優秀さを隠す消極性こそが、シーライルが中間管理職という貧乏くじを引き続ける理由なのかも知れないことに、本人は気づいていない。
☆ ☆ ☆ ☆
ブラッドフォード=アルバーンにとって、戦とは何かを証明する為の手段であった。
弱者を認めず強者のみを追い求める戦闘狂にも思える数々の言動の本質は、弱き者を戦いに巻き込みたくないという彼の優しさ、思いやりをこそ発端としている。
他者と競い合うことは楽しいし、強敵との戦いには心が躍るが、それでも彼は自分の中に常に一線を引いて生きてきた。
――この拳が向かうのは、自らよりも強き者のみ。
強い者が弱き者を支配するのは当然の理。ならば支配者たる強者には弱者を守る義務があるハズだ。
そんな骨董品めいた信念を、ブラッドフォードは五十年以上に渡り貫いてきた。
彼が極端に自分より弱い者を忌み拒絶するのも、弱い者虐めが許せない彼のある種潔癖なその理念が強く影響しているのは明らかだ。
そして彼の根幹にあるその優しさは、彼もまた弱者であったからこそのものである。
ブラッドフォードは貧弱な虐められっ子として、辛い少年時代を過ごしている。
七歳の頃に世界終末の四十五日間を経験し、神の能力者になった彼は、保護された先である新人類の砦で同年代の子供達からイジメを受けた。
運動が得意な子供が不得意な子供を虐めるのと同じ、典型的な神の力の優劣による差別。イジメだった。
とはいえ彼も黙ってやられていた訳ではない。神の力を振りかざしてくる相手に対して、自身も神の力で対抗した。
しかし、自分より弱い相手の神の力を封じる神の力など、そもそも意味がない力なのだ。
闘争の掟が通じる相手には、そんなモノがなくとも勝つことは出来るし、闘争の掟が通じぬ相手と戦えば、ブラッドフォードは普通の子供より身体能力がやや高いだけのただの人間。相手が同じ神の能力者なら、その優位すら消えてしまう。
つまりこれは自身にとって都合のいい逆転劇の介在を禁じる神の力。
大番狂わせを許さず、劇的な勝利を認めない。積み上げてきた研鑽、己の実力のみで戦う事を強要するこのはた迷惑な神の力は、当然もやしのように貧弱な少年が持っていようとも何の効果ももたらさない無価値な代物であった。
子供とは残酷だ。
弱いモノは強いモノからひたすらに全てをむしり取られる。
その身をもって非情な現実を学んだブラッドフォードは、故に強さを求めた。
己の神の力に見合う強さを。自分の我を貫き通す為にひたすらに自身の肉体を磨き続けたのだ。
弱き者の語る言葉に力はない。力ある言葉は、力の元にのみ生まれる。
別に暴力を特段肯定する訳ではないが、それがもっともシンプルな法であることは明らかだ。
だからシンプルに最強を目指す。簡単な話だった。
ひたむきで狂気的な努力は身を結び、彼が十三歳の誕生日を迎える頃にはかつての苛められっ子を馬鹿に出来る者はどこにも居なくなっていた。
そしてそれから月日は流れ、理想を遂げる為に貪欲に力を追い求め続けたブラッドフォードは、二十代半ばで一つの頂点へと到達する事になる。
新人類の砦の治安維持部隊、その長へと就任したのだ。
実力が認められての大抜擢だった。
デスクに座ってふんぞり返るのではなく、自ら現場に赴くタイプであった彼の存在は瞬く間に街の暗部にも知れ渡り、その桁違いの強さでもって犯罪者たちを震撼させた。
また、組織の内外に強い影響力を持ち始めた彼は『争世会』に対しても発言力をも強めていき、最終的には三十歳の若さで新人類の砦の実質的な支配者へと登り詰めることになる。
干渉力基準ではなく武力的な面から見た神の力の強度によって、様々な権利、身分、資産が分配される社会制度を築き、強者が弱者を保護管理する仕組みを作り上げていく。
『強さで虐げるのではない、守り支配せよ。その力の義務を果たせ』
そんな文句で強者による弱者の支配と統治を謳った。ブラッドフォードが実現したモノは、若かりし頃に彼が夢見た理想そのものの世界であったのだ。
『女王』と呼ばれるとある少女が台頭するまでのおよそ二十数年間に渡り新人類の砦を支配してきた彼を嫌う者は多い。
しかし、新人類の砦にブラッドフォード=アルバーンが君臨していた時代には、窮屈ではあったが確かに秩序が存在していた。
ブラッドフォードの定めた法に逆らう者にはブラッドフォードの拳がくだるという圧倒的にシンプルな掟が、犯罪行為への抑止力として機能していたと語る者もやはり多い。
――それと同時に、力が全ての価値を定める世界となった結果、新人類の砦では人工的により強力な神の能力者を生み出そうとする非合法な人体実験が横行するようになり、後の寄操令示やエリザベス=オルブライトのような異端児を生み出し、ブラッドフォード自身の失脚にも繋がっていたりもする訳だが――しかし、それら清濁全てを合わせて彼の功績が大きいことに変わりはない。
凡夫から鍛え上げた拳一つでのしあがり、一時代を築いた豪傑。
それこそが、『白獅子』ブラッドフォード=アルバーンなのである。
そしてこの男の強さは、『女王』の支配の前に屈した今となっても決して揺るがずに挑戦者の眼前に立ち塞がる――
「――はァッ!」
指を鳴らす、音が鳴る。
学ランマントが風に靡き、頭のテンガロンハットが揺れる。
神の力の発動と共に少年は逸脱し、時の流れを外れた拳が幾度ともなくその巨体に突き刺さる。
しかし鋼の如きその肉体は小揺るぎもせず、山のように不動。
刹那のうちに鳩尾に撃ち込まれる二連撃も、しかしダメージを与えられない。
少年の武器である擬似的な高速機動戦闘は、確かにブラッドフォードを圧倒するだけのポテンシャルを秘めている。
だがそれでも、どれだけ素早い回避不能の拳を持っていても、決定打を与えられないのでは勝機はない。
鍛え上げられた異次元の肉体という名の盾の前に、そんな当たり前の現実を思い知らされる。
ヒットアンドアウェイ。一撃離脱でブラッドフォードからすぐさま飛び退いた鳴羽刹那は、手首の運動をするように拳をぷるぷると振るわせた。
「つええ……っつうか、硬っえなぁ、オッチャン……」
「誇るが良いのである、小僧。貴様の強さ、確かにこのブラッドフォード=アルバーンに届いている」
……何が届いている、だ。
鳴羽刹那は、悔しさと嬉しさをほぼ同量噛み締める。
拳はダメージを与えるに届かず、それでいて相手はまだ録な反撃もしていない。
まるで歯が立たない鳴羽刹那を何故か称えるブラッドフォードの声に、しかし鳴羽を嘲笑うような響きはなかった。
……きっとこの男には、自分にはまだ見えていない世界が見えている。
そう思うと、鳴羽は心が高揚して浮き足だって仕方がなくなる。
速く、早く、迅く。疾く。
一分一秒も待っていられない、今すぐにでも、そこに立ってみたくてどうしようもなくなるのだ。
自分より凄いヤツがいる。
自分より凄いヤツが生きる世界がある。
そんな事実を痛感し、まだ見ぬ新しい明日へ手を伸ばすこの感覚をこそ人は『ワクワクする』と呼ぶのだろう。
この胸踊るワクワク感が、身体がうずうずする高揚感が、鳴羽刹那は大好きだ。
一秒一秒を噛み締めて、全力で生き急いで駆け抜けても足りないくらいに広いこの世界が大好きだ。
「いやぁ、にしてもアンタすっげえな! まさかこっちの攻撃がちっとも効かないなんてさ、こんなの初めてだぜ俺。どうすりゃ良いんだか分っかんねえわ……って、いっけねいっけね。戦ってるアンタ相手にこんな事言ってるようじゃマズイか」
「……他者の強さを素直に認めることが出来るのは、強者の条件の一つであると我は思うがな」
闘争の掟。
ブラッドフォード=アルバーンより弱い者の神の力を封じる神の力。
背神の騎士団の黒米や、同じ女王艦隊のエバン=クシノフ。
数多くの実力者を相手に猛威を振るってきたブラッドフォードの異能が、鳴羽刹那を相手には発動していない。
事実それは、闘争の掟が鳴羽刹那はブラッドフォード=アルバーンと対等以上の強さを持つ者であると認められたという事に他ならない。
記録上の干渉レベルではブラッドフォードに劣っているはずの鳴羽だが、このあたり闘争の掟の強さの基準は少しばかり曖昧だ。それとも鳴羽の干渉レベルが、記録よりもずっと高位のものなのか……。
「だが、小僧。強き者よ。貴様はようやく我が踏み潰すに足る強さに届いただけである。そこは謂わば始点の白線上だ。我を越えるには、些か足りぬぞ……!」
「……げっ!?」
一転、攻勢に出たブラッドフォード。
戦闘に最適化された筋肉が躍動し、適切な出力、速度でもって鳴羽刹那との距離を詰めてくる。
対する鳴羽は咄嗟に指を鳴らして、振るわれる拳が直撃するまでの僅かな時間でその拳の側面へ回り込むと、
「どりゃあ!」
ブラッドフォードの一撃が空を切ると同時、ブラッドフォードの肘――つまりは関節部分を狙った蹴りを放つ。
関節を逆に折り曲げてやろうという一撃は狙い違わず直撃するも、しかし。
「脆い部分を突いていこうというのは良い。だが、足りぬわ……!」
「っぶね……っ!?」
まるで巨人と対峙しているような威圧感に思わず怯む。それでも何とか伸ばされた左手を紙一重で躱した。その指先が僅かに髪に触れる。胸の高まりとは対照的に、思わず笑っちまうくらいに生きた心地がしない。
バックステップで距離を取ろうとする鳴羽に、ブラッドフォードはここぞとばかりに追撃を掛ける。
石舞台を蹴り付け、石畳に罅割れを残すようなブラッドフォードのさらなる加速に、鳴羽も慌てて速度を上げようとするが――
「やっべ、時間ミスっ……ッ!?」
――時間切れだ。
間に合わない。
振り下ろされた剛腕に反応しきれず、白獅子の拳が鳴羽の脳天を打ち、石舞台へ叩きつけられた身体がボールみたいにバウンドする。
猛スピードのダンプに撥ねられたような衝撃。
血反吐を吐きながら、それでも必死でがら空きの胴体を守るように腕を交差させて――交差した腕の中心その一点を、ブラッドフォードの拳が撃ち抜いた。
鳴羽刹那が、低空飛行の弾丸となって射出された。
轟ッッ!!! と、耳元を掠める風切り音が、水切り石のようになった自分が発生させているのだと思うと気が遠くなる。
頭がおかしくなるような痛み。痛覚が千切れそうな、そんな錯覚を覚える。あまりの痛みに意識を失うどころか何故か頭が冴え、視界は明瞭。自分の身体がバウンドしながら次々と石畳が眼前を通り過ぎて行くのが分かる。
吹き飛ぶ勢いからして、このまま行けば場外まで一っ跳びなのは間違いない。
「……くそ、なろっ!」
――こんなスゲエ奴と戦える楽しい時間を、そう簡単に終わらされて溜まるか……!
鳴羽は、痛む身体を無視して空中で体勢を整えると、バウンドのタイミング、その規則性を掴み見計らったように両手両足を強引に接地する。摩擦に指先や掌がつま先が削がれ、発生する熱量に石畳に擦過痕が刻まれる。
この一瞬に全力を!!
気合と根性で痛みに耐え、勢いをどうにか殺そうと歯を食いしばる。
二十メートル以上の轍を刻み、両手両足をボロボロにしながらそれでも場外ギリギリで何とか踏みとどまった。
しかしこれで終わりではない。
荒く息を吐く鳴羽の視界に、追撃の手を緩めずこちらへ迫るブラッドフォードの姿が映る。
一息つく間もない。鳴羽に落ち着かせる猶予など与えず、仕切り直しをさせる間もなく終わらせるつもりか。
「……終わって、たまるか。友達にさ、言ったんだよ。今日をワクワク生きろって……だったら俺が、あいつの分までワクワクしてぇじゃねえか……!」
こちらの攻撃は録に通らず、相手の一撃は貰えばその時点で致命的。
実力差は圧倒的で。
勝算は万に一つもなく。
鳴羽を強者と認める白獅子には油断も慢心も見当たらず、付け入る隙はどこにもない。
――だったら……!
そんな絶望的な状況だからこそ、鳴羽刹那は不敵に笑っていた。
勝利へ至る道筋は唯一つを除いて全て途絶えた。ならばもう奥の手を使うしか道はないだろう。
ここで全力を尽くせないくらいならば、負ける意味すら感じない。
今、この刹那。鳴羽刹那は戦っているのだ。ならば、たとえこの命を削ろうとも目の前の戦いに全てを賭さなければ失礼だ。意味がない。この胸の高鳴りを、止めたくない。難しいことを考えるのは後回し。今は今を楽しむ為にこそきっとある。
鳴羽刹那は、この一瞬一秒を全力で生き急ぐとそう決めているのだから。
「すぅ……」
大きく息を吸い込む。握った両の拳を軽く緩め、中指を親指に掛ける。
準備はいいか、さあ行くぞ。この刹那をこの身に刻み込む我が神の力、その真髄を見せてやる。
「後も先もねえ! 俺は、今! アンタに勝つぞ! オッチャンッ!!」
――『刹那捕縛』。
指を鳴らすことで発動する、鳴羽刹那の神の力。
その効力は、一定時間――ランダムに三十秒から一分間のあいだ――鳴羽刹那の『行動権』を二倍にするというものである。
人間の動作を分解し、そのひとつひとつがパーツであると仮定したうえで、例えば相手が『歩く為に右足を上げる』というワンアクションを行っている間に、鳴羽は『右足をあげる』『あげた足を前に踏み出す』という二つのアクションをこなす事が可能となる。
『行動権』は両者の速度に左右されなず、例え光の速さで動く人間が相手であろうとも、鳴羽の行動は必ず一手多く、一歩先を行く。
(分かりやすくカードゲームに例えるとするなら、一ターンに二回行動できるボルバルザークのようなものだ、と鳴羽は皆に説明しているのだが、あまり理解は得られていない)
一見無敵にも思えるが、持続時間は運まかせ。そのうえ連続して使用すればどこかしらのタイミングで『揺り戻し』と呼ばれる硬直状態に陥ってしまう、不確定要素の多い神の力でもある。
とはいえ、ブラッドフォードを含め、数々の強敵と互角以上の戦いを演じることが出来ていたのは、この神の力があったからこそだ。
そして、指を鳴らすことで発動するこの刹那捕縛には、もう一段階上位の奥の手が存在していた――
「――モード、『二重因』ッ!」
右と左の指を同時に鳴らしたその刹那、鳴羽の動きが世界の流れから外れた。
まるでコマ落ちで映像がスキップされるような、存在しえない異質な時間に、鳴羽は重心を前へ。背後は場外。背水の陣をひく鳴羽はそこで地面を一蹴りで二度蹴りつけて急発進急加速。
一人だけ倍速の時を生きているかのように、学ランマントが揺れる。そうして気付けば、拳を振り上げた少年の身体がブラッドフォード=アルバーンの懐深くに飛び込んでいて、
「――『一閃二撃、連々拳破』ァ!」
がら空きになっていたブラッドフォードの顎に、二撃分の威力を内包した拳が叩き込まれた。
『刹那捕縛/モード・二重因』
左右の指を同時に鳴らすことで発動する鳴羽刹那の奥の手である。その力は、一つの動作に複数の意味を内包させるというもの。
つまりは動作の重ね掛け。
一度しか振るっていない拳に、もう一撃分の力が内包される。一手で二手分の力を発揮するチートスキルだ。
本来は幾重にも意味を内包させることが可能らしいが、二重因での重ね掛けは二重まで。
それでもブラッドフォードに対してダメージを与えられなかった鳴羽刹那の拳の威力は、単純計算で二倍以上に膨れ上がっている。
鳴羽の早業の転身に、ブレーキを踏むことも儘ならなかったブラッドフォードは、自身の加速そのままに鳴羽の拳を受けていた。
威力はさらに倍増、顎をうち据えた強烈な一撃に脳が揺さぶられ、強制的にブラッドフォードの動きを鈍らせる。
顎が上がり、身体がのけ反る。生じた隙を掴むが如く、鳴羽刹那はその一秒を。その一瞬を逃さない。
――その勝機を、捕縛しろ――
二重因状態で、さらに指を鳴らす。
『刹那捕縛』が発動、加速度的に増す負荷。だがそれがどうした、後でどうなるかなんて事はその時に考えればいい。
僅か十秒であるが『行動権』を得た鳴羽刹那はブラッドフォードが態勢を整える前に、両拳を腰だめに。大きく息を吸い込み、一秒で二秒分もの力を蓄えて、力強い踏み込みと同時。一息に――
「『乾坤一擲ッ、天地拳双骨』ッ!!」
――咆哮。
上下、牙を剥く獣の咢のように縦に連なる拳が打ち出され、無防備のブラッドフォード=アルバーンの胸と鳩尾を全くの同時に打ち据えた。
勢いよく押し出された拳が、愚直に凄まじい拳撃二打二倍の衝撃を伝播させ、ブラッドフォードの肉にめり込むように突き刺さる。
拳圧に学ランマントが靡きテンガロンハットが上空へと舞い上がる。ようやく世界の流れに追いつき臨界に達したエネルギーが、ブラッドフォード=アルバーンを吹き飛ばした。
☆ ☆ ☆ ☆
……なぜ自分は勝ち上がってしまったんだろう。
決勝戦の舞台に立ちながら、リコリスはどこか不思議そうな顔で虚空を眺めていた。
先も言ったように、今のリコリスにこの対抗戦を戦うモチベ―ションはとくにない。
東条勇麻に対する八つ当たりのような憎悪や復讐心といった鬱屈とした感情は消え失せ、それ以上に失ってしまった妹たちへの罪滅ぼしに何をすればいいのか分からない。
目的を失い、またも道に迷うリコリス。
予選で適当に負けてしまおうと思ったハズなのに、どうして自分はあの時勝ってしまったのか。自分で自分が分からない。
「おい……」
対戦相手の姿も碌に見もしない、そのやる気のない態度に苛立ったのか、対戦相手の少女が声をあげた。
声に視線をやると紺色の髪をしたクールで生真面目そうな印象の少女がこちらを睨んでいた。細身の身体。年の割にはやや長身か。左右非対称の前髪で、右目を隠している。
……確か相手の動きを止める魔眼使いの少女だったはずだ。
シャラクティ=オリレイン。
彼女には悪いが、予選ではくじ運に恵まれて決勝トーナメントにあがってこれた、というような印象しかない。
もっともそのラッキーは続いていると言っていいだろう。
なにせまともに戦う気のないリコリスがこの一回戦の相手なのだから。
シャラクティは、そんなリコリスの心中を知ってか知らずか、苦虫を噛み潰したような顔をして、
「年上のアナタにあまり言いたくはないが……。アナタがここに立っているのは、昨日の予選で私の友人を蹴落とし勝利したからだ。リコリスさん、私の友人の敗北を貶めるような真似だけは、私は看過できない」
「……なにが言いたいんだい? ガキ」
「やる気がないのなら、去れ」
前髪の奥の右目をギラリと瞬かせ、シャラクティは一切の躊躇なく言い切った。
有無を言わせぬその口調に、リコリスは思わずその口角を吊り上げる。
お仲間ごっこに勤しむだけの周囲に依存しきった甘ちゃんの根性なしだと思っていたのが……なかなかどうして面白い。
「なあ、アンタ。シャラクティとか言ったっけ? アンタはさ、一体何のためにこの対抗戦を戦ってるんだい?」
「そんなの決まっている」
リコリスの問いかけに、シャラクティは迷うことなく断言する。
「大切な友人の為だ」
「……そうかい」
リコリスはその答えを転がすように、しばしの沈黙ののちに納得したように頷いた。
その表情に刻まれた笑みは、先ほどより心なしか穏やかなものにも見えた。そのリコリスの微かな変化を、シャラクティは敏感に感じ取り警戒するように眉をひそめる。
彼女の言葉からは、誰にも曲げる事はできないであろう強い信念を感じる。全くもって下らないとは思うが。ナヨナヨしたお仲間ごっこも、ここまで来るとああ確かに……
「……そいつは、悪くないね」
予選で何故自分が本気で戦う気になったのか。リコリスはその理由が少しだけ分かった気がした。
そして。もしかしたら自分にも、眼前の彼女と同じように。信念になり得る絆が、大切だと思えるものがあるのだとしたら。それはきっと――
「だったらアタシも、どっかの馬鹿どもの為に戦ってみるのもいいかも知れないね」
それが罪滅ぼしになるかはわからない。
でも。それでも。
大切なものから逃げるのはもうやめよう。目を逸らすことなく、自分がおこなう全てに対して発生するであろう責任とか結果とかそういう諸々のモノと向き合って行こう。
まずはそう、この鬱陶しい絆とやらから始めるのがいいかもしれない。
口元に湛えた微笑を、少しずつ不敵な笑みへと変えていく。
萎えていたはずの心には、いつの間にか熱い闘志が燃えあがっていた。
聞き飽きた二つの声援を背中に受けながら、リコリスは勝利を目指す一歩を踏み出す。
試合開始の合図が鳴った。




