第四十話 対抗戦武闘大会・本戦Ⅰ――対抗戦最後の朝:count 1
「はぁ、はぁ、……げほっ、ごほっ……!?」
台風が接近しているその空は、まるで神様が暴れているような有り様だった。
天が零した大粒の涙に打たれながら、ボロボロになって膝を突く海音寺流唯は、眼前に屹然と立ち塞がる南雲龍也を悔恨と後悔に塗れた瞳で睨み付けていた。
稲光りに雷鳴が鳴り響き、暗闇垂れこめる廃墟を照らす。逆光となる親友の表情は、ここからではよく分からない。
だがそれでも、昏い雨中でも輝きを損なわない一対の力強い瞳が、冷たくこちらを見下ろしている事は痛い程に理解できてしまった。
「……こんなものか」
正しさと正義。
二つの信念のぶつかり合いは、あまりにも呆気なくその決着が付いた。
たった一撃。
南雲龍也が拳を一度振るっただけで、海音寺は地に沈み敗北の汚泥を舐めている。
何をされたのか分からず、こちらが何かをする時間さえなかった。
勝負が始まる前に、勝負が決してしまったような消化不良感、それを生み出した自分自身に南雲は苛立っているようにも見える。
だが感情の矛先は、紛れもなく海音寺流唯を向いていた。
「こんなものなのかよ、海音寺。お前の正しさってヤツは……」
失望した。
買い被りだった。
期待外れだった。
そんな色を伴わせ海音寺を睥睨する南雲の声色は冷たく、突き放すような鋭さで海音寺の胸に突き刺さる。
「……お、れ……はっ……」
親友を止めたかった。
彼のしたことは正義でも英雄的行為でも何でもなく、ただの人殺しなのだと。そう、教えてやらねばならなかった。
犯してしまった間違いを、正してやらなければならなかったのに。
海音寺流唯は、正しさを追い求めてきた自分は、肝心な時にその正しさを貫く事ができない程にどうしようもなく弱い。
拳を握るも立ち上がれず、言葉を碌に返すこともできない海音寺についに愛想を尽かしたのか。南雲はくだらない時間を浪費したとでも言うように鼻を鳴らすと、それ以上何も言わずに海音寺に背を向けてその場から立ち去ろうとする。
「ま、て……龍、や」
その背中に必死で手を伸ばした。
今ここで彼を止める事が出来なければ、何もかもが終わってしまうような、そんな気がしたのだ。
南雲龍也は親友の呼びかけにも振り返らなかった。
ただ、その場で一度立ち止まると、まるで何かを期待するように――
「――黒騎士」
「……?」
「今背神の騎士団が追っている、悪党の名だ。そいつの潜伏先がこの前判明した。明日、俺はヤツの元へ行く。……多分、今日と同じことをしに」
明日もこの手で悪を殺す。
南雲は倒れる海音寺にそう宣言した。
どうしてそんな事をわざわざ伝えるのか、意味が分からない。
だって、そんな事を聞かされたら。
友達が、また罪を重ねるつもりだという事を聞いてしまったら。
そんなの、意地でも。
何が何でもどんな手を尽してでも――
「――止めたきゃ止めてみろ」
「――!」
海音寺の心を読んだかのように、南雲はぶっきらぼうに告げる。
「いつもの時間に校門の前、一〇分だけ待ってやる。まだ折れてないってんなら来い。それで最後だ」
感情の読めない声でそう告げると、そこで一度言葉を区切る。
そして、
「……なぁ、海音寺。俺はやっぱり頭のおかしなヤツだったよ。お前とは――違う」
少しだけ寂しそうに、小さくそう零して去っていった。
――翌日、早朝。
海音寺は約束の場所へ向かうべく、準備を整えていた。
窓の外、夜のうちに通り過ぎた台風の影響が未だに残り、窓枠の軋むような強風が雨粒を叩き付けている。
あの後、ボロボロの身体を引きずって何とか家に戻った海音寺は結局一睡も出来なかった。
ベッドに身を投げ出し瞳を瞑り、南雲の別れ際の言葉の意味を、彼が豹変した理由を、ずっと考えていた。
あれは、『子供殺し』を殺したのは本当に南雲の意思だったのだろうか。
そんな事を考える。
南雲龍也という人間は、相手が悪であれば躊躇なくソレを殺してしまえるような人間だっただろうか?
――否だ。
南雲龍也という人間は、己の正義を成す為であれば世界の法さえも捻じ曲げ変えてしまうような人間だっただろうか。
――否だ。
海音寺の知る南雲龍也という人間は、正義感の強い熱血漢で、困っている人を決して見捨てず全てを掬いあげる、そんな完全無欠な正義の味方だったハズだ。
……そうだ。確かに彼は出会った時からどんな悪をも決して見逃さない潔癖的な正義感の持ち主だったけれど、それはいつだって虐げられる弱者の立場に立っていたからだ。
笑顔のままに全てを救う熱血馬鹿。
南雲龍也はいつだって誰かを救うために戦っていた。
決して悪を裁くためではない。邪悪を憎んでいたからじゃない。そこに涙を流す弱者がいたから、絶望に心を折ってしまいそうな人たちがいたから、助けを求めることすら出来ない声なき声を確かに聞いたから、彼らの為にこそ拳を握り闘志を燃やす男だった。
昨日の南雲は、明らかにいつもの南雲龍也からかけ離れている。
それに何より、倒れ伏した海音寺に向けて放たれた南雲の言葉は、まるで、海音寺に自分を止めてもらいたがっているようにも思えて――
――なぁ、海音寺。俺はやっぱり頭のおかしなヤツだったよ。お前とは――違う。
何かを諦めたようなそんな拒絶の言葉は、あの男には似合わない。そう思った。
「……ああ、そうだよ龍也。誰に何を言われようと、僕が何度だって言ってやる。お前は僕と同じとびっきりの変人だ。分かっているんだろう、同類なんだから。今さら拒絶なんてされて、僕がお前を放っておける訳がないって事くらい。だから待っていろ、お望み通り僕がお前を絶対に止めてやる……!」
去り際の呟きを思い出し、決意を改める。
南雲龍也の身に何が起きたのかは分からない。それでも、何かしらの異常が起きていることくらいは分かるから。
道に迷い、苦悩し、何かに絶望したそんなときにこそ、友としてあの男の隣に立ってやるべきだろう。
馬鹿なことをしでかそうとしている馬鹿の頭を引っ叩く役目は、やはり海音寺にしか勤まらない。
何が出来るか分からないし、何も出来ないのかもしれないけれど。
昨日と同じように無様な敗北を重ねに行くだけなのかも知れないけど。
それでも海音寺は、親友とはそういうものだと思った。
「……よし、行こう」
ベッドから立ち上がり、ドアの外を見据える。
一睡もしていないにも関わらず、不思議と頭は冴え、身体には力が漲っている。
待ちきれず、気付けば約束より一時間以上も早くに海音寺は家を飛び出していた。
暴風雨の中を全力で駆ける。
吹き付ける強い風も、痛いくらいの雨粒も、不吉な曇天も意に介さず、無心でただ駆けた。
今の海音寺の歩みを止められる者なんて、きっとどこにも存在しないに違いない。
そう思えるほどに、進む彼の心には迷いがなかった。
だから。後悔した。
「……ああ、待ってくれ。それはあんまりだろう……!」
台風によって増水し黒黒とした水が勢いよく流れる用水路。奇跡的に流木に引っかかっている子犬の姿を見つけてしまった海音寺は、始めて声を震わせ足を止めた。
見てしまった。
視界に入れてしまった。
知ってしまったら、もう。引き返せない。
小さな柴犬だった。長時間水に浸かっていたのか、かなり衰弱している。すぐに引き上げて温めてやるか、動物病院に連れて行かなければきっと死んでしまう。
あぁ、助けないと……だが病院に連れて行ってやれるような時間がない。
とりあえず川から救い出すだけでも、海音寺の神の力なら、すぐにでも助けられる――いや、流れが速すぎる。
干渉レベルCプラス、海音寺流唯の『海域創成』は自然界に存在する水を自由自在に操ることが出来るが、操る為にはその水に自身の干渉力を通し支配する必要がある。
この流れの速さだ。海音寺の出力では、半端な水量を操ったところで荒れ狂う水の流れに力負けしてしまう。子犬を助けられるだけの水を確保する頃には既に子犬は視認できる範囲外へと流されてしまっているだろう。
助けるのなら直接飛び込み、身体の周囲の水の流れのみを操り、泳いで助けるしかない。
ここまでの思考は僅か二秒。
かろうじて子犬は海音寺の視界に映っている。必至で流木にしがみ付いて、今にも濁流に飲み込まれそうになっている命が、確かに見えている。
逡巡があった。
胸を引き裂くような痛みが、海音寺を襲う。
だが、それでも少年は決断した。
「~~~ッッ、ごめん……っ!」
顔をぐしゃぐしゃにして、血が出るほどに唇を嚙みしめ拳を握り、海音寺は小さな命に背を向けることを選択した。
海音寺は勢いよく目を背けると、逃げるように走り出す。
許してくれとは言わない。
分かってくれとも言わない。
でも、ごめん。僕は、助けてやれない……ッ!
大切な親友なんだ。
今行かなければ、すべてが手遅れになってしまうかも知れないんだ。
だから、ごめん。
僕は弱くて、友達一人殴れないような、どうしようもなく情けないヤツだから。全てを救う事なんて、出来ないから。
今日、龍也の元に間に合わなかったら、きっと海音寺流唯はこのあと一生それを後悔する。
今日だけは、絶対に遅れる訳にはいかないんだ。
大切な友達が、待っているから――
だから。
「……」
だから、
「……ぐ、あ」
だから。だから、だからッッ!
「――あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッ!!」
――だからって、見捨てられる訳、ないだろうっっっ!!
喉を傷めつけるように絶叫し、髪の毛を掻き毟り、狂乱の体の海音寺が荒れ狂う濁流へとその身を躍らせる。
激流に逆らうことなく、自身の『神の力』で最低限の舵を取って、必至に流木にしがみ付く子犬を追いかける。
汚い泥水を何度も飲んだ。
汚い水が目に染みる。
流れている流木や大きなゴミに何度もぶつかり、水中へ潜れば黒々とした闇に飲み込まれるような恐怖に囚われそうになる。
それでも必死で水を掻いて水を操って、流木にしがみ付いている子犬の元へ。
〝生きたい〟と強く願う命へ、海音寺は必死に手を伸ばした。
……頼む、届けッ!
その指先が、激流の中震える小さな命に確かに届いた。
「ぷはっ!? はぁ、げほっごほ、がは……よしっ、よく頑張ったぞ。大丈夫、こっちだ!」
触れたその小さな身体は、寒さに凍え震えていたけれど。
思わず安堵してしまうような確かな温もりがあったのだ。
――分かっている。
海音寺流唯はきっとこの選択を後悔するだろう。
だが、それでも。
自分の大切なモノを言い訳にして、目の前で助けを求める小さな命を見捨てるようならば、海音寺流唯は一生自分のことを自分で許せなくなる。
「……ほら、もう大丈夫だ。大丈夫。僕がついてる、大丈夫だから……」
川からあがり、震える子犬を抱きしめる。
自身の選択を後悔しみっともなく涙を流し、それでも助ける事ができた命の温もりに喜び安堵する。
途方に暮れる迷子のような少年は、一度だけ視線を学校の方角へ向けた。
砕ける程に歯を食い縛り、拳を握る。けれど腕の中の小さな命が、海音寺の踵を返し正反対の方向へと走らせていた。
この仔を動物病院へ連れて行く。
助けた者として最後まで責任を果たす事、一度掴んだ手は、何があろうと離さない。
絶対に途中で見捨てたりなんかしない。
それこそが海音寺の求める正しさであるのだから。
☆ ☆ ☆ ☆
夢から目覚め、勇麻はまず大きく伸びをした。
「……」
悪くない朝だ。
あれだけ濃密な夢を見ていたというのに、睡眠はしっかりと取れているらしく頭も体も軽い。
夢らしからぬ夢の光景は、今日も鮮明に記憶に残っている。
相変わらずこんな光景を見る意味は分からないが、少なくとも得体のしれない悪夢よりはましだと思った。
夢の中の彼が最後まで信じていたように、東条勇麻もその胸に抱いた憧憬を信じている。だから、猜疑心のようなものは湧かなかった。勇麻の気持ちを夢の中の彼が代弁してくれたから。
……それに、彼の最後の選択は。勇麻にとっては少し切ないながらも親近感の湧く、納得のいくものだったから。
『勇麻くん、起きてる?』
扉の外、隣の部屋に泊まっている楓が、扉越しに遠慮がちに声を掛けてくる。
枕元で充電しているスマホを見ると、昨日設定した起床時間ぴったりだ。ちなみに誤作動を起こしたのかアラームは鳴っていない。
さすがは幼馴染、下手な目覚まし時計よりも正確である。
「ああ、今丁度起きたところだ」
『そっか、良かった。勇麻くん、あんまり朝強くないから、寝坊しちゃうかもって思ってたけど……そうだよね、今日は決勝トーナメントだもんね。お寝坊さんでも目は覚めるか』
「……ま、泉の野郎はいつも通りに爆睡してやがるけどな」
泉はともかく、勇火まで時間を過ぎて寝ているのは珍しい。
まあ、勇火は昨日試合の後に父と母を元の宿に強引に送り返したりとか『対抗戦』以外でも大変そうだった。きっと疲れがたまっているんだろう。
「楓はもう準備できてんのか?」
『あ、うん。わたしは、もう平気だよ。スピカちゃんも起きてる。……アリシアちゃんとセピアちゃんはまだ当分起きそうにないけどね』
あはは、と苦笑する楓からは彼女たちを起こそうとした努力の痕跡が感じられた。
「そっか」
今日は十二月三十一日の大晦日。
三大都市対抗戦、その最終日。
『創世会』にその身を狙われている楓にとって、そしてその楓を守ると決めた勇麻たちにとっても、決して気を抜くことは許されない最後の一日だ。
身体と頭を起こすことを考え起床時間を早めに設定したはいいが、特にやることもない。
勇麻は顔を洗いスポーツウェアへ着替えを済ますと、外で待たせていた楓と『選手村』の周りを軽く散歩する。
大晦日の早朝だというのに、薄い長袖一枚で肌寒さを感じないというのは季節感が狂いそうになる。
昇りたての太陽の日差しがぽかぽかと心地よく、時折吹く爽やかな風は、隣を歩く楓の優しいブラウンの髪を揺らす。
道端に咲くサクラソウも、春のような陽気に当てられて顔を覗かせたのだろう。紫色の小さく可憐な花を、誇らしげに咲かせている。
薄手のニットにカーディガンを羽織った楓は、優しい風に目を細め、なんだか楽しそうに鼻歌を歌っている。しゃがみこんでサクラソウを見やり、手で優しく触れてみたり、何だかご機嫌だ。
心地のいいハミングに勇麻は黙って耳を澄まし、しばしの間心洗うような穏やかな時間が流れる。
「ねえ勇麻くん、覚えてる? わたしが初めて勇麻くんと喧嘩した日のこと」
一曲分を歌い終わった頃だ。楓が唐突にこんな事を切り出してきた。
「ん、ああ……あれは確か、楓がまだ幼稚園児だった頃の……」
予想外ではあったが、言葉に引っ掛かった記憶を手繰り寄せると、意外と鮮明に過去の出来事が思い出されていく。
あれは勇麻や泉が小学一年生で楓がまだ幼稚園児だった頃の話か。
勇麻と泉が小学校にあがると、一足先に幼稚園から戻ってくることになる楓と勇火は、勇麻たちが帰ってくるのを待ちながら二人で遊ぶことが多くなっていた。
そんな中、楓が近所の悪ガキと喧嘩をして泣かされるという事件が起きたのだ。
勇麻と泉が学校から戻ると泣きじゃくった勇火が助けを求めに来たのを覚えている。慌てて走れば、マンションの前の公園で楓は四つも上の三年生の男子と取っ組み合いの喧嘩をしていたのだ。
あの心優しく気弱で引っ込み思案の楓が、だ。
勇麻と泉は驚き顔を見合わせると、まず泉が喜び勇んで喧嘩の輪に加わり、勇麻は喧嘩相手の上級生から楓を守りながら、ボロボロに泣く楓を必死で引き剥がした。
……今になって思い返せば、この辺りから泉は既に泉修斗として完成していたんだなぁと思う。小一のガキが喜び勇んで年上と喧嘩しようとするなよ、あの馬鹿。
一部始終を見ていた勇火から話を聞いてみると、喧嘩の理由は三年生の悪ガキが楓の遊んでいた玩具を奪い取って目の前で壊したから、というものだった。
その後泉が上級生を見事泣かして、楓に謝らせる事に成功するも楓は頑なに首を縦に振らず、その男子の謝罪を拒んで勇麻たちを困らせた。
『世界の誰もが皆仲良くなれればせんそうもなくなる』そんな絵空事ごとを抱いていた当時の勇麻にとって、相手がちゃんと反省して謝っているのにそれを認めないという行為は、ある種最も嫌悪する許し難い行為だったのかも知れない。
苛々した勇麻は初めて楓と口論になる。しかし楓は「ごめんねする人がちがう」の一点張りで勇麻の言う事を全く聞かず、泣くばかり。
結局、勇麻の望んだ『仲直り』はなされないまま、三年生の男子は帰ってしまい、勇麻は楓との口論の最中に怒ってマンションへ戻ってしまう。おかしな空気に困り顔の泉や勇火が目を離したうちに楓は家出。
先の楓のオモチャを奪って壊した男子を探しに行き、案の定途中で迷子になってしまう。
楓がいない事に気付き慌てた泉と勇火は急いで勇麻を呼び戻し、楓の捜索を開始。
街中を走りまわって迷子になった楓も無事見つけることが出来たものの、夕飯の時間をとうに過ぎて部屋に戻った為に母にはこっぴどく叱られたものだ。
楓と出会って一年と少し。いつだって勇麻の後ろをちょこっちょこ付いてきて、いつだって勇麻の言う事にこくりと頷いていた楓が初めて勇麻の言う事に首を振ったのがこの時だった。
「あん時の楓は頑固だったよな~、何言っても聞かないし、挙句の果てに勝手に出て行って勝手に迷子になって、いつも通りに大泣きするし。楓を探すんなら雨雲の中心を目指せば良いって言った泉のヤツは天才だと思ったなマジで」
昔を思い出して感慨深そうに呟く勇麻とは裏腹に、楓はやや慌てたようにわたわたと手を振り顔を赤くする。
「あ、あれ? そ、そんな恥ずかしい感じの話だったっけ? わ、わたし的には尾行の途中で怖い男の子に捕まったのを勇麻くんたちが助けてくれた~みたいな感じで記憶してたんだけど……!?」
「ははは、幼稚園が尾行てなんだそれ。喧嘩相手に捕まるどころかその途中で迷子になってたじゃんか。そんなメルヘン成分あの話にはねえよ。……まあ、小っちゃい頃のことだしなぁ、勝手に迷子になったのを美化しちまったんじゃねえの?」
どうやら幼かった楓は記憶を美化していたらしいが、そんな事実は欠片もない。
だいたい小学生が幼稚園生を誘拐とか、普通にニュースになるわ。
しかし楓はどうしても今の話を信じたくないらしく。
「……え、ほんとに? ほんとのほんと?」
「ああ、ほんとに」
「勇麻くん。今の全部忘れてなかったことには……」
「……ならないな。生憎、鮮明に思いだしちまったよ」
「あ、ぅう……、は、恥ずかし過ぎるよぉ……」
自ら墓穴を掘った事に気付き、穴があったら入りたいと言った調子で真っ赤になった顔を覆う楓。珍しく往生際が悪い。
珍しくボロを見せた幼馴染の後輩をニヤニヤと眺めつつ勇麻は、
「それで、その懐かし恥ずかしな思い出話がどうしたって?」
「え? あ、あぁ。うん。なんかね、凄い唐突なんだけどふと思い出して……。あの時、わたしが勇麻くんの言うことを全然聞かなかった理由とか色々。勇麻くんは、……覚えてる?」
「……まあ確かに、あの頃の楓って今よりずっと大人しかったし、小学校にあがるまでは我儘らしい我儘なんてあれっきりだったもんな。細かい事も覚えてはいるけど……流石にそこまでは思い出せねえや。つうか、ホントに唐突だなオイ」
「あ、あはは……わたしも自分でそう思うんだけど、ね」
最近、昔のことをよく思い出すのと楓は言う。
あの夢の影響で過去に思いを馳せることが多くなってた勇麻は少し驚いたように目を見開く。偶然か、それとも……。
「それで、理由はなんだったんだ?」
「それはねー、内緒なんです……!」
尋ねた勇麻に楓は含みのある笑みを浮かべ、つんと胸を張って勿体ぶる。
そんな楓の意味不明な答えに勇麻は気の抜けたような抗議の声をあげた。
「はぁ、何だよそれ」
「勇麻くんが優勝できたら、教えてあげましょう」
「……優勝賞品にしてはしょぼくてやる気が出ないな」
「あ、勇麻くん酷い。そんなこと言っちゃうんだ。折角追加賞品も用意してあげようと思ってたのにな~」
「ソレ、後出しならいくらでも言えるヤツな」
そんな取りとめのない話をしている間にも時間は過ぎる。
寝坊助どもを起こしにそろそろ部屋に戻るか、なんて話になった頃、またぞろ唐突に楓はこんな事を言った。
「勇麻くん。今日の試合、頑張ってね。わたしも……頑張るから」
「ああ、任せとけ……!」
楓からの激励に、勇麻は当然とばかりに力強く返事をする。
なにせこちとら対抗戦初日から、楓に優勝杯をプレゼントすると決めているのだ。
それが、ネバーワールドでの一件以来悩みを抱え続けている楓への勇麻なりの精一杯のエールであり、一人苦しむ楓へ今の勇麻がしてやれる唯一のことなのだから。
しかし勇麻は気づかない。
勇麻の勝利を願い楓の表情に、かつてない決意の色が浮かんでいることに。
楓のオモチャを取り上げようとした上級生に、勇火が泣きながら言った言葉を楓は覚えている。
『おまえなんて、こわくない。きっとにいちゃんが、やっつけてくれるんだから……!』
『ハッ、お前の兄貴って一年生の東条だろ? ないない、あんないっつもヒーローごっこで遊んでるような間抜けなガキに、誰が負けるんだよバーカ。あんなダッセエやつがヒーローとか、お笑いもんだぜ』
兄の傷癒えぬ当時の天風楓にとって、勇麻は自分を救ってくれた全てだった。
勇麻のちっぽけな背中は幼い楓にはとても大きくて、憧れそのものだった。
その憧れを嘲笑われて、馬鹿にされて、我慢ならなかったのだ。
だから、謝罪に首を縦に振らなかったのも、謝る相手が違うと思ったのも、自分一人であの暴言を撤回させに行ったのも、楓にとっては至極当然のことで、譲れない事だった。
大切な人。憧れの人。ずっとその後ろを追いかけて、その背中を見つめてきた。
楓が泣いている時、途方にくれている時、いつもその手を伸ばし助けてくれる少年が、天風楓はずっと――




