第三十八話 対抗戦武闘大会・予選Ⅲ――決勝トーナメントへの道:count 2
選手搬入口付近、人気のない通路の一角でイギリス海軍風の軍服の裾が靡く。
軍服を纏う影は三つある。そのうちの一つ、古臭い騎士風の白い甲冑の上から軍服を羽織った金髪の美丈夫がいた。だがどういう訳か美しい金の髪は焦げつき乱れ軍服は所々が燃え落ち破れ、白い甲冑にも幾重もの傷が刻まれていた。
とは言えそれもそのはず、新人類の砦Bチーム所属のクレボリック=シンボルは対抗戦武闘大会・予選第四試合を戦い、雷を扱う少年に完膚なきまでに叩きのめされ敗北しているのだから。
しかし本人は先の敗戦について少しも気にしていないらしい。
試合中よりもいっそ真剣な表情で自らの上司に詰め寄り問いかけていた。
「本当によろしいのですか?」
「なに、こやつらが共に了承しているのだ。構うまい」
「……『インヴィシブル』、私が言いたいのはそういう事ではないのですが……」
「フン、ならこの件を女王へ報告でもするか? 『インフレキシブル』。今ここで戦争になろうとも我は一向に構わんが」
好戦的で野蛮な笑みを浮かべる上司にほとほと困り果てたようにクレボリックは肩を竦めて、
「……遠慮しておきましょう。私は確かに女王にも忠誠を誓っていますが、この剣は彼女一人のモノという訳ではない。私は夢見る乙女全ての味方なのですから」
クレボリックから熱い視線を注がれ、その少女はどこか気恥ずかしそうに慌てて視線を逸らす。
そんな仕草も愛おしくて、クレボリックは自身の信念の正しさを再確認するように深く深く頷くのだった。
……単に人見知りを発揮しているだけの少女の反応を、なにか勘違いしているのもいつも通りのクレボリック=シンボルと言えよう。公然と全ての女性の味方を名乗る彼は、所謂愛多き女性の敵でもある。イケメンだからって何でも許されるとは限らないのだ。
そんな女王艦隊きってのイケメン(変態)紳士の戯言は無視してブラッドフォードはもう一人の部下へと視線を向ける。
「『インドミタブル』、こやつ用の兜を作れ。甲冑は不要だが、流石に顔出しする訳にもいくまい」
岩と石で造られた兜と甲冑に素顔を覆い隠す、誰にも素顔と心を晒さない女。
今もその表情さえ窺い知れぬ部下の心情を、しかしブラッドフォードは知ろうと思ったことは一度もない。
そしてそれこそが、セナ=アーカルファルが未だにブラッドフォードの下に大人しく付いている最大の理由でもあった。
「……了解した」
短く答えると、甲冑に包まれた掌をその少女の額に翳し、『意志を纏いし者』を発動。少女の頭の形に合わせて、フルフェイスヘルメットのような完全に顔を覆い隠すタイプの兜を周囲の鉱物や岩石から製造していく。
一分もせずに脳天部分に三角の突起が二つ、左右対称についた猫耳ヘルメットじみた兜が完成し、少女は嬉しそうな声をあげる。
「わぁ……す、すごいかわいいです!」
「……せいぜいその恥ずかしい格好で人前に出て恥を搔け」
ぶっきらぼうに吐き捨てるセナ。
……しかし、彼女の名を借りて恥ずかしい格好で出場するのだから、恥を搔くのは実は彼女の方なのでは? とか思わなくもないが、恩人にまさかそんな事を言って恥を搔かせる訳にはいかない。少女は迷った末に口を閉じた。
真実ばかりを話すのが優しさではないのである。
「あ、あの……ホントに色々ありがと、ね! わたしの我儘も聞いてくれて……」
「……別に、元から興味がないだけだ」
言って、ぷいとそっぽを向いて歩き出すセナ=アーカルファルの後を苦笑を浮かべながらクレボリックが追う。
ブラッドフォードは相変わらずにマイペースな部下たちを気に掛けもせず、兜を被り素顔を隠す少女の両肩にそのいかつい手を置いた。
「小娘、いつぞや貴様は吠えたな? 『強くなりたい』と。我はあの時の貴様の魂の叫びを忘れぬ。なにを恥じる必要もない、クレボリックの阿呆ではないが……その想いが貴様を支えてきたことを我は知っている。故に、今こそ示すが良いのである、貴様の強さを。――示したい者がいるのであろう?」
迷いはなかった。
短い期間ではあったが、ブラッドフォードの元で修行をやってきた事を少女は誇りに思っていた。
ブラッドフォードの問いかけに、少女は力強く頷く。
「……はい、わたし。わたしは……憧れた背中の隣に立ちたい。後ろで守られているだけなんて、もう嫌なんです……!」
「ならば顔を上げよ、天風楓。貴様の強さに胸を張れ。存分に示すが良いのである。貴様はこのブラッドフォード=アルバーンが認めた強者であるのだから」
ある少女の意地を見た。
その少女の意地に、悔し涙を流した。
だから今度は、自分が意地を張ろう。
どこまでも自分本位に自分勝手に、皆に迷惑を掛けて心配を掛けて、それでも譲れない物の為にいっぱしに胸を張って意地を張るんだ。
「――はい!」
それが天風楓の勇気ある選択だった。
そして、一人で走り出した少女の背中を眩しげに眺める白獅子は巌のような顔に貼り付けた微笑を少しだけ別のものへと変えながら、
「対抗戦、であるか。……ふむ、我も少しばかり興が乗ったな」
言って、ブラッドフォードは踵を返すのだった。
行先など決まっている。
その老兵もまた、若き力に感化され奥底にて眠る血が沸いた、それだけの話なのだから。
☆ ☆ ☆ ☆
――第七試合、第Ⅶ組。
『大地破断』。
大地を操るピア=ナルバエスの神の力。
干渉レベルAマイナスと、女王艦隊においても旗艦を任せられるほどの実力を持ちながらも経験不足とうっかり屋の性分が災いし凡ミスを多発させる彼女はずっとロジャー=ロイに付き、彼のセクハラもとい指導を受けてきた。
頼りない。胸が大きい。凡ミスが多い。ドジっ子ウエイトレスさん属性。見てるといじり……からかいたくなる。胸がすごい。不器用。いざと言う時に慌てすぎ。一人前なのは胸だけか。
……などなど散々な評価を貰って来たピア=ナルバエスではあったが、その破壊力に関してはロジャー=ロイのお墨付きを貰っている。
なにせ彼女の拳は、触れただけで大地を割る。
「はぁーっ!」
三つ編みに束ねた紫色の長髪と、豊満な胸が大きく揺れる。
少女渾身の気合と共に振り下ろされた拳が、スタジアム中央に用意された石舞台に放射線状に地割れを走らせた。
深いモスグリーンの髪と豊満な胸を揺らしながら、リズ=ドレインナックルが慌てて地割れの範囲から飛びずさる。
「あら、大ぶり過ぎよ、お嬢ちゃん☆ そんなはりきった攻撃っじゃ、テクニシャンなおねえさんには当たらない――!?」
無茶苦茶だった。
ピアは両手を自分で作った地面の亀裂に突き刺すと、そのままショベルカーのように地面を掘り返し、海で水かけ遊びでもするかのような調子で瓦礫と岩と石を散弾銃の如くぶちまけたのだ。
放射状に広がる回避不能の面攻撃、リズは瓦礫の直撃を受け悲鳴と共に吹き飛ばされる。
(く……っ! 何なのよこの子ッ、パワー馬鹿にも程がある、無茶苦茶じゃない……!)
正確にはピア=ナルバエスは腕力に頼っている訳ではなく彼女の『大地破断』によって土砂崩れの概念を疑似的に再現しているだけなのだが、傍から見れば腕力で地面を掘り返して岩石を投げ飛ばしているようにしか見えないのだから仕方がない。
だが、もっと滅茶苦茶なのは回避不能の土砂崩れを完全に回避してのけた鳴羽刹那の方なのかも知れないが。
「はは! すっげーや! 女の子の細腕でこんなことが出来るヤツは初めて見たぜ!」
ヒーローのマントのように肩に引っ掛けた学ランが靡く。テンガロンハットを片手で抑えながら、鳴羽刹那は岩石と瓦礫の雨の中を疾走していた。
「いいよなマッチョ系ゴリラ女子、腹筋割れてる女の子ってすっげーかっけーって思うぜ俺!! てか俺もその地面爆発させるのやりてーんだけど、どうやったらゴリラになれんの? やっぱ筋トレ?」
「ひ、酷い! わ、私ゴリラじゃないもん……ッ!」
……ちなみにピア=ナルバエスは怪力な訳ではないので勿論腹筋は割れていない。むしろ最近ダイエットの必要性を感じているくらいだった。
噛みあっているようで噛みあってない会話を交わしながら、両者の距離は次第に縮まっていく。
鳴羽が指を鳴らすと、それが合図であるかのように途端にその動きがガラリと変わる。
飛んでくる岩石を拳で砕き、巨大な瓦礫は押しつぶされる前に潜り抜ける。時速二〇〇キロにも迫る速度で飛来する物体の軌道を見極め対処する。
まるで早送りのような挙動で回避不能の攻撃を躱し続ける少年に、ピアは怯えたように青ざめる。
「こ、こっち……来ないで!」
足元の地面目掛けて拳を振り下ろす。
するとそれだけでピアの拳を中心に大地が爆発的に盛り上がって隆起した。
「うぉおっ!?」
足場が生きているかのように蠢いて隆起し、勢いよく空中に投げ飛ばされる鳴羽。流石に空中とあっては持ち前の素早さも発揮できないのか、感嘆の声を上げながら両手両足をバタつかせている。
ピアはその隙を狙って、またも亀裂に手を突っ込み岩石を砲弾のように鳴羽目掛けて投げつけようとする。
しかしその直前、隆起し山のようになったフィールドの裏側。ピアの背後から回り込んでいたリズ=ドレインナックルが背後からピアに抱きついてきた。
「なっ、力が抜けて……っ」
「はーい隙あり。おねえさん的には~、一発まともなの貰ったらアウトなアナタの方が危険なのよねぇ~。という訳で美味しそうな坊やは後回し、先にアナタから頂くわね強敵」
物理的な衝撃に体性があり白兵戦になれば相手の力を吸収することが可能なリズの中で、倒すべき優先順位は明確だった。
脚でがっちりと少女の胴体にしがみ付き、背中から手を首に回して身体をエビ反りにピア=ナルバエスの首を締め上げるリズ=ドレインナックル。
彼女の『吸収変換』がみるみるうちにピアから体力や干渉力を奪っていき、その意識をも落とさんとする。
だがそこへ、空中へ投げ飛ばされていた鳴羽が降ってきた。
「はは! 俺見参っ! 必殺、ライダーキーック! ってか!?」
「空気の読めない坊やね――っ!?」
空中で強引に身を捻り身体の制御を取り戻したのだろう。落下により加速を得た鳴羽の飛び蹴りが二人の頭上から襲いかかる。
リズが慌ててピアから離れ、ピアもまた前方へ転がるようにして蹴撃を回避。
丁度二人の中間地点へ降り立った鳴羽へ、両者同時に攻撃態勢へ。偶然ではあるが挟撃を仕掛ける。
リズ=ドレインナックルの拳。ピア=ナルバエスは大地を伝う衝撃波。
しかし指を鳴らした鳴羽刹那は、ピアが地面に拳を突き立てんと拳を振り上げる間に既に接敵・迎撃を終えている。
一人だけ生きている時間が異なっているような倍速の挙動。まるでスローモーションの世界に生きているかのようだ。
鳴羽の蹴りにピアが吹き飛ばされ、リズが拳を振り抜こうとする間に身体を反転。学ランマントが音を立てて翻る。そして気づけば、鳴羽の拳が先に相手の鳩尾に突き刺さっていた。
「きゃっ!」
「あぁんっ!?」
時間が戻り、ピア=ナルバエスとリズ=ドレインナックルが二人同時に吹き飛んだようにも見える光景の中。
唯一異なる時間に生きる鳴羽刹那のみが、テンガロンハットに手をやり、心の底からワクワクとした楽しげな笑みを浮かべ立っていた。
「……楽しいな。やっぱすっげえヤツとやり合うのはワクワクしてしょうがねえや。父ちゃんと母ちゃんから貰った俺の人生、立ち止まるなんてもったいなくてありえねえ。だから、この瞬間を最高に楽しませて貰うぜ……!」
立ち上がり迫りくる強敵二人を見据え、鳴羽刹那は生き急ぐようにそのギアを上げていく。
「走り抜けてやる、この人生!」
指を鳴らす小気味良い音が高らかに響き、いっそ気持ちのいい打撃音が石舞台上に連続して響き渡った。
☆ ☆ ☆ ☆
Ⅶ組の試合を見届けた勇火は胸を撫でおろすように息を吐くと、試合で掻いた汗を流すためにシャワールームへ向かうことにした。
なにせ四試合目だった勇火の出番からⅦ組目の第七試合までは中二試合しか余裕がない。鳴羽の試合を見る為には悠長にシャワーを浴びている時間もなかったのだ。
と、通路内を歩いていると丁度試合を終えた選手の一人が歩いてくるのが目についた。
「げ……鳴羽センンパイ」
「あ、おー! カミっちじゃんか。予選突破おめっとさん! なあなあ、ところで俺の試合見てた? 見てた?」
「……ええ、まあ一応偶然たまたま見てましたよ。そっちこそ、予選突破おめでとうございます」
相変わらず無駄に人懐っこいというか、馴れ馴れしい人だと勇火は嘆息しながら答えた。
鳴羽の試合が気になって結果を見届けてからシャワーに行こうとしていた、なんて死んでも言いたくない雰囲気だ。
「これで俺もカミッちも決勝トーナメント進出! 一回勝てば二回戦で戦えるな! 楽しみにしてんぜ~、負けんじゃねえぞ!」
結構な強さで背中を叩いてくる鳴羽の奇行に戸惑いながらも、勇火としては苦笑を零すしかない。
なにせ勇火の次の相手はチームメイトであり頼れる先輩でもある泉修斗であり、鳴羽刹那の相手はおそらくは北御門時宗、彼のチームのリーダーに当たる男だ。
名実ともに格上の相手と当たる事が現時点で二人とも決まっている
「鳴羽センパイは明日の試合も勝てる気でいるんですね。俺なんか今から明日のことを考えて、胃が痛くなりそうだ。そのメンタルは俺も見習いたいですよ」
自信満々な様子の鳴羽に皮肉った言い方をすると、どういう訳か鳴羽はよく分からないという風に首を傾げて、
「んん? いや、何を言ってんだ? カミっち。明日の事なんて、明日になってみるまで分かんないぞ」
「は、はぁ……?」
当たり前ではあるがその実よく分からない事を言われて、これまた首を傾げ返す勇火。
そんな難しい表情の勇火を見て、鳴羽は先輩風を吹かすように苦笑して馴れ馴れしく勇火の肩に腕を回すと、いきなり前方を指さして、
「ったく。わかってねーなー、カミッちは。勝てる勝てないとか、そんな分からんことは明日考えればいいだろ? 今は今を楽しむ為にあるんだ、だったら未来もきっと今を楽しむ為にある。だから俺達は未来を想って笑えるんだ。ほら、笑え、楽しいことを想像すんだよ。難しいこと考えるのはその時になってからだ。その時を精一杯生きる為に、その時頭絞ればそれでいいのさ」
「……要するに、するだけ無駄な悲観ならするな、前向きに考えろってことですか?」
「? カミッち。お前は空も飛べるしカミナリビリビリだしすっげーヤツだけど、たまによく分からんことを言うよな」
「いや、アンタが単にものすごい馬鹿なだけだと思うんですけど……」
「ワクワクしろって事だよ」
今更、鳴羽の指さす先にモニターがある事に気づいた勇火は、その目に飛び込んできた光景に思わず目を見開いた。
通路の壁に埋め込まれたモニターの中ではⅧ組目の試合の決着が今まさに着こうとしていたのだ。
凡人の心を一太刀に叩き折るような主人公気取りの例外同士の激突。それを見てなお呑み込まれることなく純粋な興奮と好奇心に瞳を輝かせて、鳴羽刹那は言う。
「ほら見ろよ。あんなすっげーヤツらと戦えるんだぜ。すっげーよなー、対抗戦ってさ……!」
能天気というか考え無しというか、その清々しいまでの前向きさには敵わないなと内心認めつつも、肩に回されたその腕を勇火は振り払って、
「……勘違いしないでくだいさよ、鳴羽センパイ。俺、アンタと戦うどころか決勝まで進んで馬鹿兄貴を倒すつもりでいますから」
明日の試合に怖気づき弱気になっている訳ではないと、そう告げる少年の顔には不敵な笑みさえあった。
☆ ☆ ☆ ☆
強者を求める男と強者を盲信する男との決闘は、その一撃にて全てが決する。
会場の誰もが誰ともなしに、それを本能的に理解していた。
――第八試合、第Ⅷ組。
ブラッドフォード=アルバーンの『闘争の掟』によって資格無しと判断されたエバン=クシノフは、白獅子の痛烈な一撃を受け痛む腹をさすりながら場外よりその光景を眺めていた。
完膚なきまでに叩きのめされ敗北しておきながら、エバン=クシノフにそれを悔やむ様子はない。
反省も後悔も後回しでいい。それよりも今は、瞬き一つすることなく目の前の戦いを網膜に刻み付けていたかった。
なにせあのブラッドフォード=アルバーンが『対抗戦』のような公の場で戦うなんて事は、この先二度とないかも知れないのだから。
ブラッドフォード=アルバーン。
たとえ女王に敗れた敗北者であろうとも、その男が強さでもって守り続けた何かは、確かに次の世代の胸に憧れを落としていた。
資格ある猛者を前に血が沸く感覚も、久方ぶりであった。
左腕を前に、右拳を腰だめに引いて構える獅子の鬣のような白髪を持った男の名はブラッドフォード。
神の能力者でありながら神の力ではなくその肉体を磨き続けたその男の視線の先では、侍風の和装に身を包んだ男が鞘に納まった刀の柄に手を掛け静かにその時を待っている。
北御門時宗。
彼の『臥薪嘗胆』は能動的な溜め状態を対象に付与し、溜めれば溜める程次の一撃の威力が拡張される一撃必殺だ。
そしてこの男は、試合が始まってからまだ一度も鞘から刀を抜いていない。
彼我の距離は一〇メートル。
彼らほどの実力者であれば、互いに一歩踏み込めば必殺の間合いである。
落下する塵一つ見逃さぬと言った集中力でタイミングを計る両者の間に当然言葉は一つもない。
だが彼等は感じ合っていた。無言で無動でされど確かに互いの『攻め』の意志を鬩ぎ合わせる。
先に動いたほうが負ける――所謂後の先を取る、という理論でさえもこの場合通じるかどうか。相手の初動に合わせて寸分たがわぬタイミングで踏込みを起こして応じなければその時点で敗北が決まるような確信もある。
それでも容易に動けないのは、タイミングを見誤れば今度こそ確実に後の先を取られカウンターを喰らうからだ。
敵対し相対し、けれども意思を通じ合せることによってのみ、彼らの勝敗は決する。
観客の声援さえも遠く、自分の心音さえも遠ざけて、相手の鼓動と呼吸を掴み取る。
果てしない探り合いの果て、両者がその一歩を踏み出したのはやはり全く同じタイミングであった。
「――、」
「……、」
すれ違いざま、一閃。
踏み込みから一撃を繰り出すタイミングまで、ほぼ同時。
居合いと拳の一騎打ちは、しかし勝敗までは同着とはいかなかった。
「……無念、也」
半ばから刀身の折れた刀の切っ先が石畳の舞台に突き刺さり、白獅子を背に侍が膝を着く。
共に強さを求めた強者同士、共に繰り出した超絶技巧の技は完成の域にありどちらが勝っていてもおかしくなかったように思える。
それでも決着を分けた要素があるとするならば、刀と拳のリーチの差をも物ともしないブラッドフォード=アルバーンの弛まぬ鍛錬によって鍛え上げられた至高の肉体にこそあったのだろう。
リーチの異なる刀と拳ならば刀を繰る北御門の一撃が先に届かねばおかしいのだ。
それが同着だった時点で、ブラッドフォードが北御門の予測と動きを超えた速度でもってその懐に入り込んでいたことが分かる。
「胸を張るが良いのである北御門時宗。貴殿の一太刀、実に見事であった……! 久方ぶりの胸躍る戦いに敬意と感謝を」
刀が振りぬかれた直後、最大速度へ到達する前の刀身を叩き折り、そのまま鳩尾に拳を沈めたブラッドフォード=アルバーンを背に、北御門時宗がそのまま地に倒れ込む。
白獅子は自分とはまた違う強さを持つ強者へ敬意を表し、決勝トーナメントへとその駒を進めるのだった。
☆ ☆ ☆ ☆
――第九試合、第Ⅸ組。
はっきり言って、自分がなんのために『対抗戦』に出ているのか、リコリスは分からなくなっていた。
「……」
東条勇麻との事実上三度目の直接対決に敗北し、リコリスは僅かに残っていた八つ当たりのような感情諸共その目的を失った。
観客共の喧しい大声援。どこを見渡しても自分よりも幸せそうな顔で埋め尽くされている。
苛立ちもしないが、かと言ってこんなモノでやる気になる程リコリスはめでたい人間でもなかった。
出場を何度辞退しようとしたか分からない。
だがそれでも、チェンバーノやリヒリーの馬鹿どもがうるさく喚くから、つい石舞台に立ってしまった。
リコリスのⅨ組は、他の組と比べて一人多い四人の選手を相手に決勝トーナメントへの出場権を掛けて戦わねばならない。
ただでさえ面倒な乱戦が、より面倒になっていよいよリコリスはやる気を失う。
対戦相手の内訳は薬淵圭とかいう天界の箱庭のヤツが一人に、ゲオルギー=ジトニコフとかいう様々なモノに炎を付加する新人類の砦のおっさんが一人。残る二枠が未知の楽園で、リコリスともう一人、ビリアン=クズキとかいうトロそうな少女が選ばれている。
……いちおう都市毎で競ってるんだし、ビリアンとかいうガキに任せる形で適当に援護してやりつつ適当な所で負けるか。
リコリスはぼけーっと死んだ魚のように覇気のない瞳でそんな事を考えて、
「――姉御ーっ! リコリスの姉御ーっ、頑張るっすスー!! 絶対勝てるっスよー!!」
「リコリス! 可憐な君には美しい僕がついている! 負けて戻って来ても、この胸で僕が君を受け止めよう! だから存分に戦っておいで――ッ!」
そんな馬鹿二人の声が、リコリスの耳朶に届いた気がして、
試合開始を告げる実況の声が響くと同時。リコリスの身体は勝手に動いていた。
☆ ☆ ☆ ☆
――第十一試合、第ⅩⅠ組。
鋭く先端の尖った枝と蔦が、逃げ惑う少女たちをどこまでも追いかけてくる。
まるで爆風のような速度で成長し続ける植物の猛威。狩る側と狩られる側、生態系の逆転劇に、人は大自然そのものの前では無力であるという事を思い知らされるのだ。
戌亥紗は成り行きで共闘することになった未知の楽園のサマルド=ドレサーと共に、突如として屹立した林の中で荒く息を吐いていた。
戌亥は危険に対して鼻が利く。その嗅覚が、三六〇度全方位からの危険を訴えている。
未知の森林に危険は付き物。しかし戌亥紗は、別段サバイバルホラー系のトラブルに巻き込まれた訳でも、森の中に潜む敵のアジトを襲撃している訳でもない。
今は『対抗戦』真っ只中、殺風景だったはずの石舞台が、今やアマゾンのジャングルのような有様となっていた。
ユーリャ=シャモフ。
たった一人の神の能力者によって、僅か数分のうちに鬱蒼とした森林が天空浮遊都市に爆誕していた。
「はぁ、はぁ、流石に……まずったね。どうしよっか、サマちゃん」
一応敵であるサマルドを早くも愛称で呼び始めた戌亥を、ポニーテールに眼鏡をかけた大人しめな少女はあえてスルーして話を続ける。
理知的な見た目通り、こういう手合いはリアクションを返されると嬉しくなってさらに行動がエスカレートするのを知っているのだろう。
「……あまり意味がなかった。ユーリャ=シャモフの足を止めたところで、彼女はその場から微動だにせずとも私たち殲滅できる。罠にはめた時点で決めきれなかったこちらの負け、ね」
身体中の汗腺から接着剤のような液体を分泌するサマルド=ドレサーの『粘液接着』。サマルドが認識した対象に触れるまでは空気に触れても気化せず、粘着性を失わない特性を持つそれを戌亥は石舞台上に撒かせて、罠として使った。
その鋭い嗅覚で液体の位置をかぎ分け、戦闘中にうまくユーリャ=シャモフに踏ませることに成功するも、ユーリャは一歩も動くことなく戌亥たちを圧倒。
ついには石舞台中央まで追い詰められてしまっていた。
周囲を取り囲む木々は全てユーリャの支配下。この最後の会話だって、向こうは全てを把握している。作戦会議に意味はなく、戌亥たちに与えられたこの時間は、投降を促すものであるとはっきり理解できる。
だけど。
「そうだね。でもね、紗さん思うのですよ。『対抗戦』は戦争じゃない、スポーツの祭典だ。ならこういうときどうすればいいのか、答えは一つなんだよね」
戌亥紗は、絶体絶命の逆境の中、人懐っこい笑みを浮かべて、
「最後までフェアプレーで勝利を目指す! 諦めなんて犬でも食わないってことを、教えてやるんだぜ……!!」
大自然そのもの、生命の神秘さえも意のままに操るような遥か格上を相手に、戌亥紗はそれでもこのお祭りを心の底から楽しんでいた。
☆ ☆ ☆ ☆
――第十二試合、第ⅩⅡ組。
ドラグレーナ=バーサルカルは苛立っていた。
一日目の『障害物リレー』では東条勇火と東条勇麻にまんまと出し抜かれ、三日目の『クライミング・フラッガー』では十徳十代を相手に屈辱的な敗北を喫した。
苛立ちを発散しようと任務にかこつけて東条勇麻をいたぶってやろうとすればクライム=ロットハートとかいうクソ虫にいいように操られ途中からの記憶がない。
ドラグレーナの暴走を止める為にロジャー=ロイには腹を殴られ、洗脳を解除する為にまたあのいけ好かないクソ女に支配権を上書きされた。
そうして、腸が煮えくり返りそうな怒りに身を焦がすドラグレーナ=バーサルカルの感情の矛先は、当然のように全く無関係な者へと向けられる。
プライドが高く好戦的なドラグレーナが暴力を向ける相手はいつだって自分よりも弱く脆い弱者ばかりだ。
負けること、舐められる事、蔑まれる事が我慢ならない彼女は、基本的に勝てる喧嘩しかしないし一方的な蹂躙にこそ喜びを覚えるタイプの人間だ。
圧倒的な実力差で相手を蹂躙し強者の悦に浸る彼女は、まさにブラッドフォード=アルバーンと真逆の理念を持っていると言えるだろう。女王に対して敵意を持つ者同士である彼らが手を結ばないのも、このあたりの価値観の違いによる不仲が原因であった。
そしてだからこそ、対抗戦武闘大会・予選、第ⅩⅡ組。そこでドラグレーナと激突する二人の選手など彼女にとって都合のいい餌に他ならない。
天界の箱庭Dチームのリーダーでありながらここまで大した活躍もしていない弓酒愛雛と、どこの所属かも忘れた香江浅火などという男もドラグレーナにとっては至上の馳走だ。
事実、やらしい目つきで無謀にも飛びかかってきた男の方はマグマで一通り焼いた後にたっぷりと蹴り飛ばして遊んでやった。
男の聞くに堪えない汚い悲鳴もいつもなら腹を抱えて大爆笑するような大好物ではあったが、今のドラグレーナの嗜虐心を満たすにはどうしても物足りない。弱者をいたぶるのは好みだが、それでも多少の歯ごたえがなければつまらない。ドラグレーナは、悉く我儘で自己中心的な女だった。
……もっとだ。
この胸の奥で激しく燃える嚇怒の炎を掻き消すだけの快感が欲しい。
心を震わす苦痛の叫びを、絶望をもっと……!
ドラグレーナのギラつく肉食獣のような視線が、ついで舞台の端で身体を小さくしている改造浴衣に身を包んだ少女、弓酒愛雛へと向かうのは当然の流れであった。
そして――
「――アハ、おいおいどこ行こうってんだァ、逃げ場なんてどこにもないぜお嬢ちゃーんっ!」
「きゃあっ!?」
ぶるぶると恐怖に身体を震わせ、痛みに逃げ惑い、甲高い悲鳴をあげる弓酒愛雛はドラグレーナの嗜虐心を満たすにはまさにうってつけの餌であった。
「う、うぅ……もう、やめてください……い、痛いよぉ……」
ここまでいたぶりがいのある獲物がかつて存在しただろうか。
弓酒愛の表情、反応、仕草、その全てがドラグレーナの心をくすぐり満たしていく。万能感と高揚に頬が勝手に緩み、裂けるような笑顔がひとりでに浮かんでいた。
(これだよ、こーいうヤツが欲しかったんだよアタイはさァ。抵抗がねえからいまいち刺激に欠けるが、素材としてはまさに極上だ……!)
喜悦に頬を上気させドラグレーナが拳を振り上げ足を振り抜き暴力を振るうたび、心地いい悲鳴が響き渡る。
瞬殺などしない。
神の力を使うことさえ勿体ない。
その気になれば一瞬で終わるであろう勝負を、ドラグレーナはどこまでも引き延ばす。
肉体言語で徹底的にドラグレーナという恐怖を刻み込み、教え込む。
その苦痛を、絶望を、恐怖を苦しみをどこまでもどこまでも味わい咀嚼し愉しむように。
「さぁて、いい感じに暖まってキタしお客どもにサービスでもしとくかぁ? その鬱陶しそうな服でも裂いてその無駄にデケエ乳でも晒してやりゃあもっと面白え事に……あれ……?」
ふと、舞台の四隅へ追い詰めた弓酒愛へ歩み寄ろうとしたドラグレーナが何もない所で躓きよろめいた。
そこでようやく、ドラグレーナは違和感に気付き眉を潜める。
……何かがおかしい。
身体の芯がどこかぶれているような、世界がぐわんぐわんと揺れて回っているような不思議な感覚がドラグレーナを襲っていた。
「おと、……とっとと……?」
違和感に気付いてしまえば、あとはあっという間だった。
ふらふらとその場でたたらを踏む。異常事態が起きているのは分かるが頭がうまく働かない。
何が起きているのか、何をされたのか、その全てが分からず、ただ世界が歪み揺れている。
いつも以上に熱く上気する頬、心を満たす高揚感と快感、何故こんなにも気分がいいのか愉快なのか、疑問らしき思考は浮かぶもそこから何をどうすれば回答へたどり着けるのか、それすらも分からないドラグレーナに隅で震えていたはずの弓酒愛雛が何故か口を開いた。
「……ポ、ポーランド産のウォッカ、スピリタスはボトルの口に火気を近づければ引火し爆発するほどにアルコールの度数が高いお酒だそうです。気化したアルコールを吸い込めば、それだけで酔ってしまう程に」
「……?」
何を言っているか分からない。
言葉の意味さえもつかめない程に酩酊しているドラグレーナに、同じように頬を桜色に染めた弓酒愛は改造された露出度の高い浴衣をさらにはだけさせ、艶めかしい肌をさらに露出させる。
艶やかな彼女の肌を這うように、珠の汗が浮かび年齢に見合わぬたわわな果実の間を流れて行く。
「わ、わたしの汗腺から出る汗は、理論上、そのスピリタスより高濃度のアルコールです。厳密には、〝酔い〟という概念を直接叩き付けているらしいですけど、小難しいのでそういう事になっています。……あなたが私のことを舐めて掛かって来てくれて、マグマを使わないでくれてよかった。そしたらもっと危ない勝ち方をするしかなかったから……」
それに、と。弓酒愛はそこで一度言葉を区切ると己の二の腕を流れるアルコールの水滴を舌を這わせるようにして舐め取り、うっとりと恍惚とした表情で、
「……ひっく。――それにね。今までのお礼をするなら、こちらの方がやりがいがあるでしょう?」
酒を口にした途端、弓酒愛の口調と目つき纏うその雰囲気が一変した。
おどおどとした気弱で控え目な雰囲気は、年齢にそぐわない強気で妖艶な大人の色香に包まれ消え失せる。
常に人から視線を逸らす瞳には強気な光が灯り、どこか不自然なほどに据わっている。不安そうに引き結んだ口元には余裕のある微笑が宿る。
豹変と言っても差し支えない程の変貌に、しかし思考能力を奪われているドラグレーナは意味を見出す事が出来ず――
―ー瞬間、歪むドラグレーナの視界から弓酒愛雛が掻き消えた。
酩酊する視界と思考の中で、それは瞬間移動のように思えたかもしれない。
だがその正体はとある特殊な体術による歩法。見慣れない独特の動きが、酔いで機能の低下しているドラグレーナの視覚に追随を許さず、消えたと錯覚させる。
捉えどころのない、蛇かスライムを彷彿とさせるしなやかで予測不能な挙動でもって瞬時にドラグレーナの死角――その右側面に跳び込んだ弓酒愛は、そのまま背を反り跳躍・バク転を切る。
浴衣の裾をはためかせた美しいサマーソルトキックが酩酊するドラグレーナのこめかみを一撃で打ちぬいた。
「かは……っ!?」
――テクニカルノックアウト。
ばたり、と。棒を倒すように直立のままドラグレーナの身体が地面に落ちた。
完全に沈黙し白目を剥いたドラグレーナの戦闘継続は明らかに不可能。芸術的な一撃で勝負を決めたのは、誰が予想しただろう庇護欲を搔きたてるような幼く気弱な少女であった。
『酒羅童子』。
干渉レベルBプラス。自身の汗腺からアルコールを分泌し、操る弓酒愛雛の神の力。
勿論、液体も気化したアルコールも操作する事が可能だ。今回は気化したアルコールをドラグレーナに吸わせ続け、酩酊状態に追い込むことに成功している。
そしてその最大の特徴は、酒を口に含み酔えば酔う程に身体能力が上昇する事にある。
――つまり、弓酒愛雛は超実用的な酔拳の使い手だ。
それも自らの発する酒気で酔うことができる自己完結型の。
ちなみに彼女は十五歳、未成年である。
華麗な着地を決めた弓酒愛は、一瞬前までの雰囲気を霧散させ元のおどおどとした弱気で自信なさげな少女に戻ると、
「……そ、それから。一つ良い事を教えてあげます。お、大人しそうな女の子だって、馬鹿にされて痛い事をされれば怒るんです。ちゃんと、怒ってるんです! お、覚えて帰ってくださいね……っ!」
倒れ伏したドラグレーナを睥睨して、おっかなびっくりそう告げたのだった。
直後、想像だにしていなかった観客の大歓声に驚いた弓酒愛雛は浴衣の裾を踏んづけて思いっきりひっくり返ることになる。
その際、とびっきりの放送事故が起こる訳だが、何が露わになってしまったかは少女の尊厳を守る為、明言はしないこととする。
ただ、ジャパニーズ浴衣に関する論争スレが世界中で乱立したことは言うまでもないのであった。
☆ ☆ ☆ ☆
対抗戦武闘大会・予選大会は順調に進んでいた。
現在、予選十六試合のうち十五試合までが終了し、残るはⅩⅥ組の試合のみとなっている。
ここまで、勇麻の知人の中だとリコリスも四人の混戦を突破して決勝トーナメント出場を決めている。
戌亥先輩も格上のユーリャ=シャモフを相手にサマルド=ドレサーを巻き込んでうまく二対一を作りだし、善戦を演じたが惜しくも敗退。
第一競技で勇火が手合せしていた暑苦しい蒸気男、ドルマルド=レジスチーナムと逃亡者の集い旗との抗争でおなじみ竹下悟はセナ=アーカルファルという選手に負けてしまったらしい。
全身を鎧で覆った性別も年齢も全く分からない不気味な相手だが、何でも試合を見ていた人の話によると女の子だったそうなので驚きだ。
また海音寺のチームメイトである浦荻とレギン=アンジェリカ、そしてロジャー=ロイが激突したⅩⅥ組の試合も衝撃的だった。
全ての攻撃を透過する無敵のレギン=アンジェリカにロジャー=ロイも苦戦する中、一瞬の隙を突かれた浦荻がロジャーに落とされ一対一の展開に。
透過を利用しロジャーを相手に有利に試合を進めていたレギンは、ロジャー=ロイの渾身の一撃をすり抜けた直後、背後より放った不意打ち気味のカウンターの一撃を放つ。
その一手が決め手になるかと思われた瞬間、ロジャーに触れたレギン=アンジェリカが何故か血を吐いて倒れて試合は決着。
終わってみればそこに立っていたのは息一つ乱していないロジャー=ロイただ一人。
やはり個人総合優勝候補筆頭は伊達ではなかった、ということか。
レギンには悪いが、勇麻はロジャー=ロイが勝ち残ったことに少しだけ安心していた。
勇麻は個人的にあの男に大きな借りがある。『クライミング・フラッガー』で散々にシャルトルを痛めつけてくれた件や楓を襲撃した件、それらの礼をせねばならない。
勝手に負けて貰っては困るというものだ。
弓酒愛雛が下馬評を覆しドラグレーナ=バーサルカルを倒すという大番狂わせを見せた以外はほぼ予想通りのメンツが勝ち上がったと言っていいだろう。
そして次の予選最終試合もそうなると、きっと誰もがそう思っている。
「負けられねえよな……」
……そう。きっと誰もが一緒だ。
負けられない。負けたくない。勝ちたい。優勝したい。そんな思いを抱えてこの武闘大会に挑み、そして決勝トーナメントの舞台に立てるのは一組のうち一人だけ。もっと言えば優勝できるのは一人だけだ。
どれだけ強い思いを抱いていても、どれだけ負けられない理由を背負っていても、それを本当の意味で貫ける選手は真の意味では一人しかいない。
最も過酷で誤魔化しの効かない一発限りの真剣勝負。それ故に、トーナメントというものはこうも熱いのだ。
知っての通り、勇麻たちの目的は『対抗戦』で優勝する事ではない。
彼らの目的は天風楓を守ること、『創世会』の企みを阻止することにこそあり、他の参加選手たちのようにこの大会に全てを賭けている訳でもなければ、勝つための努力を積み重ねてきた訳でもない。
この舞台に立ちたくてずっと夢を見てきて、それでも立てなかった人達だって沢山いる。そんな人達の夢をも踏みにじって、自分がこの舞台に立っているのだと思うと腹の底がひゅっと冷えるような嫌な感覚を覚える。
……分かっている。
自分達のような異物が、この大会に出場し共に競い合うこと自体がおこがましく失礼にあたるのかもしれないなんて事は。
そんな罪悪感にも似た後ろめたい感情を、勇麻は最初から感じていた。
だからこそ、彼等の夢に努力に決して失礼のないようにここまでを精一杯全力を尽して戦ってきたつもりだし、楓に優勝杯を届けたいという気持ちだって本物だ。
こんな自分達を応援してくれている天界の箱庭の人達の声援に応えたいという気持ちだってある。
でも、今はそれ以上に思うのだ。
ロジャー=ロイ。
あの男にだけは、負けたくない。
何故そう思うのか。
どうしてこんなにもあの男が気に入らないのか。
その理由は分からない。だが、向こうも同じ事を思っている事だけは、疑いようもない程に確かだったから。
「……海音寺先輩」
「やあ、東条君」
選手入場口を進んだ先、壁にもたれかかるようにして爽やかなオーラを纏った優男が待っていた。
口元に優しげな微笑を貼り付け、勇麻を見る瞳には郷愁と慈愛の色が浮かんでいる。これから試合に臨む後輩を心配し、激励しに来てくれたのだろう。
海音寺の行動が何となく勇麻には理解できる。それはきっと、この街にやってきたから勇麻が見続けている夢にも原因があるのだろう。
だから、今なら分からないこともないのだ。
勇麻を見るその瞳に郷愁の色が浮かんでいる理由も。
選手控室で初めて会ったあの日。初対面の海音寺流唯が、勇麻を見て苦渋と悔恨に満ちた物悲しい懐かしさを感じていた訳も。
海音寺が、それとなく勇麻の事を気にして陰から見守ってくれている事も。
「これから試合でガチガチになってる後輩の緊張をほぐしてやろうかと思ってたんだけど……その様子だと必要なさそうだね」
「今の俺が緊張してないように見えます?」
「色々あった割には落ち着いてるように、ね」
片目を閉じて、勇麻の内側を覗き込むように瞳を細める海音寺。その優しい瞳を見ていると、どうしても思い出してしまう。
あの夢の世界のことを。
「なあ、海音寺先輩。俺さ、アンタに少し聞きたいことがあるんだよ」
「ん、なんだい。僕が知っていることであれば、喜んで教えるけど」
唐突にそう切り出すと海音寺は少しばかり面食らったような顔をして、それからどこか嬉しそうにそう答える。
勇麻としては、この爽やか万能系イケメン優男の驚き顔が見れただけで何だか勝ったような気分だ。
だからもうひと押し。この人が想像だにしていないことを言ってやろうというイタズラ心がその一言を告げさせた。
「対抗戦が終わったらさ、教えてくれよな。龍也にぃのこと、それにアンタのことも色々さ」
ポカンと。唖然という言葉がよく似合う表情の海音寺に見送られ、勇麻は予選最終試合、第ⅩⅥ組の予選の舞台へと駆け出していた。
海音寺は離れて行くその背中へ苦笑交じりに、
「……ああ、勿論だとも東条君。気が済むまで話してやるさ、僕のたった一人の親友の話を――」
懐かしむように瞳を細め、そう呟くのだった。




