第三十七話 対抗戦武闘大会・予選Ⅱ――少年と手品師:count 2
――第一試合、第Ⅰ組。
(自称)弓酒愛雛親衛隊隊長、音無亜夢斗の夢は弓酒雛に愛の告白をすることである。
夢、という割には割と毎日。それこそ数時間に一回くらいの間隔で彼女の目の前やら忍び寄って背後から脅かすようにとか、それはもう様々なシチュエーションで彼女への愛を叫んでいたりする音無なのだが……。
まあ、そういう発作的狂行やおふざけで処理される類のモノではなく、真面目でシリアスな本気も本気の告白として受け取って貰いあわよくば良い返事を頂きたい、という話だ。勿論、同じく自称弓酒愛雛親衛隊隊長を名乗りやがる薬淵圭や沖姫卯月よりも早く、だ。
音無は一先ずそこまでを夢の第一歩としている。
彼の神の力『感覚脱落』はその手で触れた相手の部位の感覚を失わせるというやや特殊だが強力な神の力だ。
手足の感覚を失ってしまえば、人間碌に動くこともできなくなる。視覚を奪うことも、聴覚や嗅覚だって思いのままである。格上が相手でも充分に勝負する事ができる力だ。
だから自分の本気度を示す為に、あの海音寺流唯から一本取ってやることができれば、あわよくば最強と呼ばれるようなイケメンを翻弄するこの音無亜夢斗の姿に彼女がときめき惚れちゃったりなんてことがワンチャンあるのではないか、とかそんな安易な事を考えていたのだが……。
「無理だ、ワンチャンないわコレ……」
だがそれもその手で直接触れる事が出来れば、の話であった。
入れない。
目の前で行われる高度な戦闘に、音無亜夢斗では介入する事すら儘ならない。
完全に蚊帳の外に置かれている事を自覚しながら、誰よりも近くで彼らの戦いを見守ることしか音無にはできなかった。
蛇か龍のように自由自在にうねる水流と水飛沫の嵐の中、一人の少女が舞い踊る。
「鬱陶……しいし!」
ピンク系で統一されたゴスロリ衣装を含め、そのお人形さんのような容姿で一部の熱狂的なファンから暑苦しいもとい熱い声援を受けているのは服装お同じくピンク色の髪の毛をツインテールにした少女、リリレット=パペッターだ。
リリレットは海音寺の操る高圧水流やウォーターレーザーを無茶な挙動でどうにか掻い潜り、接近を試みようとしていた。
――初手で爪糸を躱され対戦相手を操れなかった場合は不利な戦いになるだろう、そう言われていたリリレットだが、開始早々下馬評を覆すような俊敏な動きを見せている。
未知の楽園で東条勇麻に敗北した時と同じ。何かを操り本人は直接戦わないタイプや遠距離タイプは距離を詰めて早急に術者本人を倒すべし。
リリレットの狙いもまさにそれ。離れた位置をキープし水を操り遠距離から攻撃を仕掛ける海音寺を早急に叩き潰そうと、自身の身体を疾駆させる。
本来苦手であるはずの接近戦に持ち込もうとするあたり、何らかの策があるのだろう。
これもまた、先の敗北で突かれた弱点を克服している証だ。
自身の敗北の経験を次に活かす。それを人は成長と呼ぶのだ。
だが、大人しくソレをやらせる海音寺でもなかった。
海音寺は常にステップを踏み、リリレットから最も遠い位置取りを選びながら、背後に待機させ今も地下から水を吸い上げ大きくなり続けている『海域』――直径五メートルはある巨大な水球――からの放水を続ける。
レーザービームのように躍動する尾を引く水流は、陽光を反射してきらびやかに輝き観客達を楽しませている。
その美しさとは裏腹に、まともに命中すれば肋骨など簡単に粉砕するであろう凶悪な高圧水流が、隙間を埋めるように次々と放射状に放たれていく。
それはまるでシューテイングゲームのよう、もしくはリリレットからすれば分厚い弾幕を潜り抜ける類のものか。
リリレットという敵機を落とす為、逃げ道を塞ぐように次々と高圧水流が撃ち放たれ、リリレットは一辺五十メートルの正方形のフィールドをめいっぱいに活用して回避し続ける。
高速機動の中迫る一撃を身体を半身にしてするりとやり過ごし、そのまま踏切りロンダート、宙を切って連続バク転と流れるようなアクロバットを見せつける。さらには両手の爪糸を地面に勢いよく叩きつけた反動を利用し、間一髪のところで身体を浮かせたり、四本の手足と十本の爪糸を駆使し、胴体へ叩きこまれる水の弾丸を紙一重で躱し続ける。
「なかなかやるね、なら……これはどうだい」
リリレットの変幻自在な動きをまるでサーカスの見世物でも見ているかのように海音寺は眺めている。
そして楽しむようにそう言って、腕を横なぎに振るった。
すると彼の背後に浮かぶ球体状の『海域』の半分が、巨大な波となって海音寺ごと石舞台を呑みこんでいく。
リリレットは舌打ち一つ、咄嗟に膝を限界まで撓め、大きく跳躍。足元を波に呑みこまれる前に空中へと脱出を図った。
垂直跳びで十メートル以上もの高さへ跳んだ少女に、会場からどよめきの声があがる。
十メートルなど、身体強化系の神の能力者でも、そうそう簡単に到達できるような高さではない。
自身の身体能力それ自体は決して高くないリリレットだ、何か仕掛けがあるのは間違いない。
しかし海音寺は自身の攻撃が回避されることを読んでいたのか、微塵も余裕の表情を崩さずに落下してくるリリレットを見つめて、
「なら次はこれだ……!」
海音寺の言葉に、一回り程小さくなった『海域』より靭る水の鞭が繰り出され、予測不可能な軌道の攻撃が自由自在に石畳のフィールドを跳躍する少女を吹き飛ばさんとする。
狙うのはリリレット=パペッターの着地の直前。自由自在に飛び跳ねる少女も、空中に居る間を狙われては手もとい足が出ないであろう。
水の鞭がうねり、地を這う蛇のような痛烈な足払いが襲いかかる。
しかし少女は当然のように回避不可の一撃を躱しきる。
彼女はなんと自身に接続していた爪糸を引っ張り、跳躍の途中での反則気味の二段ジャンプを決め、鞭撃が待ち構える地上からさらに上へと跳び上がり海音寺の攻撃から逃れてみせたのだ。
爪糸で接続した対象を自由自在に操る『人業劇』。
自らの力で自らの肉体を操るという荒業に打って出たからこそ可能となった、物理法則を無視した芸当。
先の限界を超えた跳躍や、無茶苦茶な挙動も全て、自分を自分で操るなどという無茶を成したからこそ可能だったのだ。
天風楓と並び最強とも評される実力者、海音寺流唯と対等に戦う可憐な少女のド派手な動きに会場も盛り上がり大いに湧き立つ。
しかしそこで唐突に異変が訪れた。
宙を舞うリリレット=パペッターが、空中で水の塊に頭から突っ込んだのだ。
「……!?」
何故宙に水が浮かんでいる? そんな根本的な事を考える余裕すらも失う。どれだけ爪糸で自身の身体を操ろうとも、空中に浮かぶ水塊から抜け出せないのだ。
スライムのように粘性があったり、特殊な液体を使用している訳でもない。
ただ、宙を浮遊する水に触れた途端、リリレットは己の身体が麻痺したように自由を失っていくのを感じた。神の力もうまく働かず自分の身体を操れない、脱出しようともがくほど深みにはまる底なし沼的な危機感を覚える。
まるで、他者の支配する常の法則とは異なる異世界の中に片足を突っ込んでしまったような。何もかもが手遅れになったような感覚。
リリレットは、歯を剥き出しに眼下の人物へと思わず声を荒げる。
「……これは、まさか……ッ!?」
「僕は途中で失格になったからね。『クライミングフラッガー』での君の戦いは見させて貰ったよ。あれは素晴らしかった、闇雲に放ったと見せかけてフィールド全体を利用した攻撃。そして一手二手先の事をも読み、狡猾に張られた最後の一手。見ているこっちまで手に汗握ったよ」
だから、と海音寺はお茶目にウィンクを決めて見せて。
「僕もただ闇雲に攻撃していた訳じゃないんだ。付け焼き刃で悪いけど、ちょっと真似させて貰ったよ」
上に向けて放たれた水流は落下し地に降り注ぐ。リリレットと同じ、そんな事はないだろうという人の常識・思い込みを利用した罠。
リリレット=パペッター目掛けて放った水流攻撃のうちのいくつかが、地面に落ちることなく空中に停滞していた。
それこそまるで、蜘蛛の巣を張り巡らせるように。
……しかしこの男、一体どれだけの数、どれだけの量の水塊を同時に操っていたのか。
地を這う津波や、地上から振るわれるしなる水の鞭も、その全てがシャルトルの注意を上空から逸らす為の布石。
そんな事実に気付いた時には既にリリレットは糸に絡み取られ、その身動きを封じ込められている。
ここまで全て、この男に誘導されるがままに。
これは、それだけの話である。
「……抵抗してもいいけど、多分意味はないかな。そこは既に僕の支配する海域だ。君は僕の領域に踏み込んだ。そこから先は、僕が全てだ」
『海域創成』。
文字通り、自らを支配者とする絶対の海域の創成主が哀れな迷い子に牙を剥く。
それから僅か数秒の内に決着は着いた。
☆ ☆ ☆ ☆
天界の箱庭の選手達は順調に予選を勝ち上がっていた。
僅か五分で勝負を決めた海音寺流唯を皮切りに続く天風楓(中身シャルトル)がチェンバーノ=ノーブリッジとナギリ=クラヤを全力全開の暴風によって開始三秒で場外へ吹き飛ばし最速記録を更新。
続く泉は貞波嫌忌と憎まれ口を叩き合いながらの殴り合いを制し、対炎熱系の強力な神の力を有するシャロット=リーリーに『火炎纏う衣』を封じ込められかなりの苦戦を強いられながらも肉弾戦に持ち込み何とか撃破。
鬼のような形相で女子をボコボコに殴り倒した男との異名を轟かせながらも決勝トーナメント進出を決める。
東条勇麻の弟だからという理由でしつこくリヒリーに狙われた勇火も切り札である『疑似神化』を使わずに何とか勝利を収め、チームメイトである泉修斗との対戦が決定した。
Ⅴ組では狩屋崎礼音がまさかの敗北。彼の慢心に付け込んだシーライル=マーキュラルが勝利を収めている。
これで勇麻を除く天界の箱庭Eチームの面々は、全員が決勝トーナメントへとその駒を進めたことになった。
そして第六試合。
全くの無名から『対抗戦』でその実力を示した十徳十代と新人類の砦内でもかなりの上位に位置する自称三流手品師トレファー=レギュオン。
この二人が激突する予選屈指の好カードに多くの注目が集まっていた。
『ま、アタシこんな危険な試合、棄権させて貰うとするヨ。か弱い美少女の生生チャンには化物どもの相手なんて無理無理ネ』
エセ中華少女の生生は飄々とそんな発言を残して棄権したらしい。
結局、彼女は一度もまともに戦うことなく対抗戦を終え、この日もスタジアムにも顔を出さずにホテルの自室に竹下悟と共に引き籠っているらしい。
その神の力を含め生生は戦闘向きではないものの、初めて出会った時からどことなく底知れなさを感じさせる少女である。
まともに戦わず、極力表舞台に姿を現さないスタイルを含め、実は超強いのではないか、とかそんな事を想像してしまう。
「……ま、生生じゃなくてもこんなの棄権したくなるのは分かるけどな」
控室で苦笑を浮かべる勇麻が見つめるモニターに映る二人の神の能力者。
底知れなさで言えば、生生に負けず劣らず得体の知れない男たちだった。
片やまだ幼い、ランドセルの似合うような背丈の少年。
初日と比べ、かなりのハイペースで身長が伸びたような気がするものの、相変わらず小学生サイズなことに変わりはない。
前髪を一直線に切り揃えたぱっつんヘアー。中性的な愛らしい童顔は、しかし不愛想で表情にあまり変化がない。どこかジトッとした覇気のない半眼も合わさって、物静かで暗い印象を与えている。
天界の箱庭Bチーム、十徳十代。
リーダーの北御門時宗が見出した才能の塊のような少年は、その凄まじい干渉力で格上であるハズの相手をも抑えきり、天界の箱庭の『クライミング・フラッガー』勝利に大きく貢献した。
その実力は未だ未知数。公式発表では干渉レベルAマイナスという事になっているが、明らかにそれでは説明のつかないような莫大な干渉力を持っている。
対するは道化のような恰好をした胡散臭い長身痩躯の男だ。
シルクハットを被り赤い長髪を靡かせる美形の男は、口を引き裂くような笑みを浮かべ小さき対戦相手を見下ろしている。
燕尾服風に改造した軍服を纏い、申請済みの武装としてマジシャンが持っているようなステッキをその手に握っている。
トレファー=レギュオン。
『クライミング・フラッガー』で見せた正体不明の手品のような一幕に魅せられた観客も多いだろう。
『右手に杖を帽子からは鳩を』なる詳細不明の神の力を使う彼もまた、未だにその実力が計り知れない者の一人だ。
「……これまた恐ろしい子供がいたものだ。才能と言うものはげに恐ろしい……私がアナタくらいの歳の頃は、路傍で拙い手品を披露し、ほんの数人からの乾いた拍手と稼ぎにもならない小銭を頂くのが関の山でした。それが今のアナタはどうだ。大観衆の前に立ち、僅か数日の立ち回りのうちに観客たちの心を確かに掴んでいる。私のような三流からすると、何とも羨ましい限り。ですが……観客の皆様が私のような三流にご期待くださるのならば! ええ、えぇ……!! 御覧に入れて差し上げようではありませんかっ! 我が陳腐な軌跡をッ! 予定調和の手品で輝かしい才能を打ち砕き踏みにじる喜劇を今此処に……!!」
「あぁ……、才能か。確かに神からの貰い物という点で、それは間違っていないのかもしれないけど。僕のこの力が僕自身の才能によるものだったら、どれだけ良かっただろうね。まあ、それはそれとして」
わざとらしく、芝居がかった言動のトレファー=レギュオン。
そんな対戦相手にも一向に動じることなく、相変わらず僅かに宙に浮遊したままの十徳十代は感情の起伏の薄い半眼を僅かに見開いて、
「……あぁ、こちらも久しぶりに興が乗って来たところだ。悪いけど勝たせてもらうよ――」
直後。
トレファー=レギュオンへと翳した十徳十代の右手が、地面から勢いよく飛び出した杭の槍衾によって貫かれ縫い止められた。
なにか重要な栓を抜いてしまったように傷口から鮮血がシャワーのように噴き出し、石畳の舞台に赤の供物が捧げられ開戦を告げる悲鳴と歓声が同時に沸いた。
「……!」
「才能あるアナタはまさしく〝出る杭〟だ。おっと勘違い召されるな。喜劇の幕開けはこれより、まだ演目は始まってもおりますまいぞ……!」
まるでバトンのようにステッキを手の中で弄び、トレファー=レギュオンは踊るようにステップを踏む。
その奇怪な動きに合せるように次いで彼の影から大量の鷹が湧いて生じ、十徳目掛けて一斉に爪を剥き襲い掛かっていく。
トレファー=レギュオンは芝居がかった動作で頭のシルクハットを手に取り、両手を横合いに広げて演説をするように叫ぶ。
観客達の熱狂が加速させるように、影から飛び立つ鳥の群れの勢いは止まらない。
「能ある鷹は爪を隠す。ならばアナタは隠しもしない爪によって切り裂かれればよろしい。こんな風に……!」
十徳は右手を貫き己を縫いとめる杭から強引に脱出すると、血の斑点を残しながらも地面を転がり鷹の軍勢から脱出し空を飛ぶ。
風を切り裂き、一直線に飛び逃げる十徳。
十徳はチラリと背後を流し見て、逃げる獲物を追従する鷹の大群が、しっかりと背後に付いてきていることを確認すると百八十度方向転換。
急転進で鷹の大群目掛けて突っ込むと、視界いっぱいに全ての鷹を視認した瞬間に念動力でまとめて地面に叩き付けた。
十徳の念動力は強力だが、相手の存在をなんらかの方法でしっかりと認識する必要性があるのだ。
数を数える事も儘ならい軍勢を相手にするならば、その全てを視界に収めて一度に押し潰すのが最適解だ。
とくに表情を変えることもなく、石舞台に再び舞い戻った十徳。
しかし。自身の放った鷹が一網打尽にされてなお、トレファーの芝居がかった仕草は余裕を失わない。
嘆くように額に手を当て、劇場で謳う俳優のように、
「なるほどなるほどーぉ! そうやってアナタは他の有象無象を蹴散らしてきたのでしょう。取るに足らない者達を、その強靱な爪で一掃してきたのでしょう。けれども努々お忘れなさるな、十徳氏。例えアナタが忘却しようとも蹴散らされた彼らはそれを決して忘れないということを……!」
トレファーが指を鳴らす。途端、念動力で押し潰されていた鷹の群れがぼじゅりと水っぽい音を立てて崩れた。
崩れたそれらは墨汁のような粘性の強い液体となり、十徳の念動力の干渉から逃れるように蠢き地面を這いずると、伸びあがって少年の足へと纏わり付き始める。
逃れようとして飛びずさり、そこで十徳は自分の身体が普段の何倍も重く感じられる事に気付いた。
「ほうら、彼等は足の引っ張り合いをご所望だ。飛びぬけて優秀な者が集団の攻撃の的になるというのも、三流的には実に美味しい展開! なんと言いましょうか、人の愚かさとはかくも愉快に喜劇的だ!」
「ぐ……!」
呼吸までも重苦しい。
身体に鉛が詰め込まれたような不快感に十徳が珍しく表情を曇らせる。
それを見てトレファー=レギュオンは喜悦に口元を引き裂き、ステッキを振り回して大笑する。
「あハハハハ!! ええ、ではではそろそろ予告通りに才能の塊を打ち砕き踏みにじってさしあげねばなりますまいて。え、どうするのかって? それはもう踏みにじるといえば足の裏以外にありますまい! ただ――私、いくら長身と言えども十徳氏のような大きなお方を踏み潰すには些か足りない。もっと大きな足の裏が必要だ」
トレファー=レギュオンはパチンと一際大きく指を鳴らして、
「あ、それではそれではー!? タネも仕掛けも満載な陳腐な奇跡をご覧あれ。例えば、こんな風に足が……大きくなっちゃったッ!? ――とか」
これは何の冗談だと、誰もが疑うような現象が起きた。
長身とは言え二メートルには届かないくらいの背しかなかったトレファー=レギュオンが爆発するような勢いで膨張したのだ。
およそ十倍、身長二十メートル。
一瞬のうちに巨人と化した手品師は、重低音の嗤い声を響かせてその足をゆっくりと持ち上げる。
ただそれだけの動作にスタジアムが大きく揺れて頭上の鳥がばたばたと逃げ出し、常識を逸したを超常現象に観客達から悲鳴があがる。
そんな拍手喝采大声援を受けて、トレファー=レギュオンは高らかに哄笑する。
「――It's Magic ! あハ! アハハッハ! これだけあれば充分事足りるでしょうか!? えぇ、アナタという出る杭はこのトリファ―=レギュオンが踏み潰して埋め込んで差し上げましょうとも! もう二度と日の目を見る事が敵わない程、それは地中深くまで徹底的にねえ……ッ!」
そして足元で黒い影のような液体に絡め取られて身動きの取れない十徳十代を、蟻を潰すように踏み潰した。
パン、と。
風船が割れるような音を立てて潰れたのは、十徳十代ではなくトレファー=レギュオンの方だった。
「――なッ!?」
まるで初めから巨大化などしていなかったかのように、瞬きをするとそこには元のサイズのトレファー=レギュオンが立っている。
石畳みを貫く杭や、亡霊のように人の足を引っ張る黒い液体も、どこにも何もない。それどころか無数の杭で貫かれたはずの十徳十代の身体には傷一つついていなかった。
まるでそれらは初めから在りもしない空想の幻だったとでも言うかのように。
常に笑みを浮かべていた顔を蒼白にし、トレファー=レギュオンはその痩躯を震わせながら戦慄いた。
目の前の少年は、十徳十代は。
干渉レベルAマイナスのトレファー=レギュオンという脅威を前にして、その瞳を閉じて立っている。
その立ち姿に、初めてトレファー=レギュオンが平静を失った。
「……まさか、まさかまさかまさかッ!! 見破ったと……否、見ず破ったと、そう言うのですか……? 私の手品の種をッ!」
「……あぁ、僕はこう見えて色々な神の力を見てきてね。少しばかり詳しいんだ。……僕が気になったのはね、君の力があまりにも……一貫性がなく多彩過ぎるという事だよ、手品師くん」
神の力は万能じゃない。
神の能力者は神じゃない
炎を操る神の能力者は水を操れない。空を飛ぶ神の能力者は海中で息ができない。誰にだって得手不得手があり、出来る事と出来ない事がある。
真に万能なのは神であり、神の能力者はその力の一端を扱う者。
であるならば、特別な例外でもない限りその不条理で不可解な万能さには必ず何らかの種がある。
すると十徳はマイクに拾われないように、わざと声量を抑えて、
「……あぁ、こういうタイプは認識を誤認させる精神感応系の場合がほとんどだ。僕は君の派手な言動と動作から、視覚または聴覚に働きかけるタイプだと仮定した。そこで念動力で耳を覆い、瞳を閉じた。……正確なところは把握していないが、それで君の術中から脱する事ができたみたいだし、あながち間違ってはいないんだろう。まあ、別段興味もないけど」
「ぐぐ……ッ、きっ、貴様……私の力を、この奇跡を前にしておいて興味がない、だとォッ!?」
十徳の言葉に額に青筋を浮かべ歯を剥き出して激昂するトレファー。相手の地雷を踏んだ事に遅れて気付いた十徳は、少々申し訳なさげに頬を搔いて、
「あぁ……、これはすまない。自虐はするが他者から蔑まられるのが耐えられないタイプの人か、君は。生粋の目立ちたがり屋でナルシスト、まあ手品師奇術師の類いにはぴったりだと僕は思うよ」
「……今すぐ瞳を開けろ、小僧。この私を前にしておいて……私を無視するなァーッ!」
仕込み杖はおろか、握っていたステッキを神々しい宝剣へと変えたトレファー=レギュオンが、十徳十代目掛けて真正面から斬りかかる。
十徳は依然として瞳を閉じたまま、周囲に張り巡らせた念動力の力場の膜に触れたトレファー=レギュオンの反応を元にその斬撃をひらりと躱し、振り向きざまに掌を翳す。
ただそれだけ。
同極を近づけられた磁石みたいに、トレファー=レギュオンの痩躯が吹き飛び場外へと叩き出された。
「……あぁ、別に悪気は無かったんだ、気に触ったようなら許しておくれ。それに、君のようなタイプには致命的だろうからね。観客の前で種は明かさないでおいてあげたんだ。少しは感謝して欲しいくらいだ」
いつも通り、抑揚のない棒読みで謝罪の言葉が告げられる。
観客席とグラウンドとを隔てる壁に頭から突っ込んだトレファー=レギュオンの赤い長髪が風に揺れ、次の瞬間その身体からぐったりと力が抜け落ちた。
とくに感慨もなく踵を返す少年に、爆発するような歓声が降り注いだ。




