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神ナリシ模倣者ト神門審判  作者: 高木カズマ
第六章 破 三大都市対抗戦・下
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第三十五話 不穏の香りⅡ――嘘と真実、無意味な答え合わせ:count 3

 黒い闇の色の布にきめ細かい白の砂浜の砂粒をばら撒いたような、そんな繊細で儚い星空だった。 

 未だ眠る気配を見せない天空浮遊都市オリンピアシスの中心部と異なり、外周フェンス付近に位置する『選手村』は明かりが少なく穏やかな空気が流れている。

 一応十二月というだけあって、夜の帳が降りれば気温もかなり下がる。

 空に浮遊しているのと同様何らかの仕掛けによって快適な気候が維持されているとはいえ、夜間は長袖のうえから一枚上着を羽織るくらいがちょうどいい。


 十徳十代はホテルの喧騒から離れ、一人物思いに耽るように夜空を見上げていた。

 とある人物との待ち合わせの為に。


「――あぁ、海音寺くんから話は聞いているよ」


 気配を消して近づく足音に反応し、そちらを見もせずに十徳が言う。

 

「……あぁ、それで君は、一体何を知りたいんだい?」

「――。ヤツの殺し方」


 そのあまりに率直な物言いに十徳は内心苦笑しつつ、そこでようやく足音の主へと視線を向ける。


「……あぁ、残念だけどそんな都合のいい答えは用意してあげれない。なにせ僕は逃げた者だからね。でも、……あぁ、そうだな。だったら僕の記憶を貸してあげよう。もう語られることのないあの男の根幹であり絶望であり全てだったものだ。あの男と対峙するうえできっと君の武器になるだろう」


 しばしの沈黙の後、足音の主が頷く気配があった。

 彼の力があれば、相手の記憶を覗き見ることも盗み取る事も容易い。


「……あぁ、一応言っておくけど、これは僕にとっても大切なものだ。僕がこうして目的を失ってなお生きてきたのもその記憶があったからこそ。だからどうか、傷つけずに複製しておくれよ」


 そうして、仮面越しのどこかくぐもった声が、直後に響いた。


「――『影抜き』」



☆ ☆ ☆ ☆



 喫煙室で東条勇麻と分かれ、自分の部屋へ戻る途中。スネークは自動販売機で口直しの炭酸飲料をぐいっと一息に煽った。


 最悪の気分だった。


 そもそも煙草なんてモノ好きでも何でも無い。悪友であり相棒でもある副団長テイラ=アルスタインが悪ふざけで送ってきた珍しいだけの高級煙草なのだが、煙いし不味すぎるしで咳と涙を我慢するのでいっぱいいっぱいだ。

 どれだけ歳を積み重ねてもこれを楽しめるような精神的余裕は現れそうにない。

 一瞬で空になったボトルをゴミ箱に投げ捨て、歩みを再開する。

 口の中の不快感は消えない。

 胸の中で疼くモヤモヤとした晴れない感情も、消えてくれる様子はなかった。

 

 胸の中に巣くった感情の正体ははっきりしている。

 罪悪感と呼ばれるその呪いは、もうかれこれ数十年単位でスネークを苦しめ続けている。

 

 だがそれでも歩くと決めたのだ。

 自分を曲げてでも、信念を投げ捨ててでも叶えたい願いがあったから。

 この胸を苛つかせる靄もまた、スネークが受け入れるべき報いであろう。


 と、不意にその足を止めて立ち止まったスネークが虚空に向けて口を開いた。

 

「泉、どうかしたか?」


 スネークの前方。

 まるで待ち伏せでもするかのように曲がり角の向こう側で壁に寄り掛かり身を潜めていた少年へ、何気ない調子で声を掛ける。

 返事の代わりに隠す気のない舌打ちが聞えて、スネークは思わず苦笑した。

 相変わらず自分の感情に素直というか、遠慮というものを知らない子だ。

 生意気を通り越して頼もしささえ覚えるが、スネークは自分がこの少年から好かれていない事に最初から気づいていた。

 ……いや。好かれていないというのは語弊があるか。


 これはもっと、それ以前の問題なのだから。


「……アンタ、今暇か」

「ああ、俺の方はまったくもって構わんぜ」


 悪びれもせずに姿を現すや否や、ぶっきらぼうに吐き捨てる泉に頷きスネークは近づこうとするが、泉は手を前に翳して、


「そこでいい。そう長く取らせねえから立って聞けや」

「……何だ、残念だ。俺としてはこのまま一杯お前さんに付き合って貰うのも吝かじゃねえんだがな」


 くいっと酒を飲むようなジェスチェーで肩を竦めておどけるスネークに、


「未成年に酒進めてんじゃねえよ、アホが」

 

 と泉は眉間にしわを寄せたまま冷たく一蹴。まさに取りつく島もない。

 つい先日ビール瓶を何本も開けてた不良少年が何を今更と、スネークは泉の言葉がおかしくて笑った。


「ま、いいや。それで、話ってなんだ。若者の恋愛相談とかならおじさん大喜びだと言いたいとこだが……その様子じゃあ、もっと重たくつまらんクソ真面目な話なんだろ?」


 視線で先を促すスネークに、泉はしばしの間沈黙を貫いた。

 やがて、何かの覚悟を決めたかのように両腿の脇の拳をぎゅっと握りしめると、


「スネーク。テメェ、どうして動かなかった?」

「……動かなかった、というと……?」


 まどろっこしいのは性に合わねえと言わんばかりに、一言目から言葉少なに核心を突く泉に、しかしスネークは表情を微動だにしない。

 はっきりとした言及を避けた言葉足らずな彼の発言に反応するという事は、つまり共通の認識を共有する者である証拠。

 もし仮に泉修斗の言葉に心当たりがあったとして、素直に反応してやるような馬鹿はいないだろう。

 しかし泉もその程度では引き下がらなかった。

 少年は、大人スネークに対する苛立ちを隠しもせずに目を剥いて、


「とぼけてんじゃねえよ、下手くそが。女王艦隊(クイーン・フリート)の襲撃。楓んトコに敵が来なかったってのは嘘だろ」

「……おいおい、俺の記憶が正しけりゃ、お前さんがお嬢ちゃんに直接確認を取ったんじゃなかったか? 東条勇麻ボウズにもそう報告したハズだろ。だいたい、天風楓は今現在神の力(ゴッドスキル)を使えない。そんな状態で敵襲を受けたんなら、それこそ俺が動かなけりゃどうしようもないだろう」


 黒米からの連絡がなく、スネークが動いていないにも関わらず天風楓が無事だった。

 その事が既に楓の元に敵襲がなかったことを証明していると主張するスネークに、しかし泉は譲らない。

 柳眉を吊り上げ、鋭い目つきでキッとスネークを見据えて離さない。


「俺はなぁ、アイツが糞みてえに泣き虫なガキの頃からアイツのことを知ってんだよ。それこそ一緒に風呂入ってたくらいの歳からずっとだ。その俺が楓のヤツの嘘を見抜けねえとでも思ってんのか? あいつの作り笑いくらい俺も勇麻も勇火だって、一目見りゃそれで分かんだよボケ」

「……分からんな。だとしても分からん。もし俺が嘘をついてるって言うならそれはまだいい。お前さんが俺を信用してないのは何となく分かってるし、理解もできる。だが、どうしてお嬢ちゃんがここで嘘を付く? 被害者であるお嬢ちゃんまでお前さんらに嘘を吐く理由が俺にはまったく想像できんのだが」


 首を傾げ尋ねるスネークの言葉は、その全てが全くもって正論であった。

 泉の発言が正しい場合、楓が嘘を吐いている理由も襲撃を受けて無事な理由も、説明がつかないのである。

 そもそも『創世会』と敵対し楓を守るために今回の作戦を立案した『背神の騎士団(アンチゴッドナイト)』の団長であるスネークが、楓の危機を傍観するような真似をする動機も見当たらないのだ。

 泉修斗にスネークを論破できるだけの言い分があるとは思えない。


 だが、泉はそれでも確信を持ってスネークを睨み続けている。

 睨み続け、楓が嘘を吐き、スネークもまた嘘をついているのだと、その視線でもって糾弾し続けている。

 元より理論でモノを言っているのではない。泉修斗はその胸の内で燃え盛る感情のまま、思うがままに言葉を吐き出し、嘘偽り無い思いをスネークに向けてぶつけていた。


「それでも楓は嘘を吐いてやがるし、テメェも俺達に嘘をついてる。それは紛れもねえ事実だ。違うか?」

「……違う、と俺がそう言ったところで、今のお前さんはそれを信じるようには思えねえんだがな」


 困ったように頭を搔くスネークに、しかし泉は逃がす気はないとばかりに歯を剥いて噛み付く。

 その燃え盛るマグマの如き炎の身体を明滅させ、猛獣のように獰猛に笑う。


「なら誓えよ、スネーク」


 それは計算ずくの挑発であり、ありのままの感情をぶつけた感情の爆発でもあった。

 

「テメェに正義があるんなら、その胸に誇りがあるってんなら、今此処で真実を答えるとそう誓えよスネーク。テメェが誓うってんなら、俺はそれがどんな内容であろうと信じてやる。二度とテメェを疑わねえと俺も誓ってやろうじゃねえか」


 狂犬の如き剥き出しの闘志の内側に潜む泉修斗の冷静さに、スネークは内心で舌を巻く。


 泉自身、スネークがどうしてそんな行動に及んだのか分からないが故の問いかけでもあったのだろう。

 怒りを滲ませ睨んでいるものの、泉は泉でスネークが敵だとは思っていない節がある。

 そうでなければ一対一でこんな会話をしようとは思わない。

 泉修斗という少年は、考え無しの馬鹿ではないのだから。

 だがそれでも、スネークという男を泉は完全には信用していない。

 スネークが『創世会』の敵であるとは思っていても、自分達の完璧な味方であるとは決して思っていない。

 ……泉修斗にとって大切なのは世界の行く末でも『天界の箱庭(ヘヴンズガーデン)』の平和でもないのだ。見据えているものが違うのだから、共通の敵を持っていても当然取るべき道は異なってくる。

 泉が見極めたいのは、自分の道とスネークの進む道とが相容れるかどうか。

 共存が可能であるかどうかなのだろう。


 組織の長として率先して戦場に現れ正義を成してきたこの男の真意を、泉修斗は汲み取りかねている。

 誰もがスネークという男の輝かしい光の部分に目が眩む中、この少年だけは眩い光の陰に隠れて見えない暗闇をも見ようとしているのだ。

 けれど、スネークという男の器は余りにも大きく深すぎて。

 たかが十七年しか生きていないちっぽけな泉修斗では、その混沌とした影をどうしても掴み切れなかった。

 だから、まどろっこしい事を辞めて直接問いかける。


 なんとも泉らしい、豪快でいて実直でそれでいて効果的な一手だった。


 この少年は、スネークという男の立ち位置や周囲の言葉に惑わされることなく、真実のみを見つめ、自分の目で判断しようとしている。


 その真摯な姿にスネークは好感を覚えていた。

 泉修斗という少年もまた愛すべき自分の家族なのだと再確認しつつも、自分のやってきた行いを鑑みれば、そんな資格はないことが痛い程に分かってしまう。

 それがどうしようもなく辛く、痛くて、でも自らに相応しい罰だともスネークは思うのだ。


 ならば、やはり自分が取るべき道は。 

 真摯な少年にどう応えるべきか、そんな事は初めから分かり切っていて。


「――泉。思えばお前さんは、初めかっらそうだったな。テイラーからお前らの話を聞いた時は、そりゃ笑ったモンだ」

「……あぁ?」


 だからこそ泉も、こんな喧嘩を売るような真似をした自分にまさか慈愛の籠った優しげな瞳が向けられるとは思わなかったのだろう。

 困惑した様子の泉に、スネークは言葉を続けた。


「短気で口が悪くてすぐに手が出る。粗暴で乱暴で好戦的、目立ちたがり屋のトラブルメーカー。だが不思議な程に、お前さんはよく周りが見えている。暴発するかと思いきや、ここぞって時にだけ変に冷静なおかしなヤツだが……そんなお前さんだからこそ、ボウズや高見なんかを引っ張ってこれたんだろうな。ボウズがある種の象徴リーダーで、高見を参謀とするんなら、さしずめお前さんは連中を導く司令塔だ。お前さんみたいなタイプのヤツが居たからこそ、ボウズも破綻せずにここまで来れた。俺はそう思う」

「ちょ……おいスネーク、テメェ。いきなり何意味の分かんねえことをペラペラと――」

「――だから後悔している。お前さんには話しておくべきだった。反対されても、怒りを買い軽蔑されてブン殴られても、それでもアイツらの事を一番ちゃんと見てきたお前さんにだけは、最初に言っておくべきだった」


 元よりまどろっこしいのは嫌いな性分だ。

 どこか飄々としながら、豪放磊落。

 粗暴粗雑粗野と三拍子が並ぶ大雑把さで戦場を駆ける、情に厚く騒がしい事や楽しい事が大好きな愛多き正義漢。

 それがスネークという男だった。

 策を弄したり、暗躍したり、誰かを騙したり嘘を吐いたり謀ったり。そういうのが性に合わないのは自分が一番分かっている。

 でも、それでも。大嫌いな卑怯な手段に手を染めてでも、己を曲げて偽ってでもスネークには叶えたい望みがあった。

 悲願があった。

 願ってやまない宿望があった。命を賭しても達成するべき使命があったから。


 丸太のようにごつい筋骨隆々の首に掛けられた女物のペンダント。似合いもしないそれをお守りか何かのようにぎゅっと握りしめて、スネークは意を決して切り出した。


「泉修斗。お前さんに真実を話そう。俺は、俺達は――」


 だから話そう、全てをここで。

 これで己の罪を清算するつもりは一ミリもないけれど。それでも真っ正面からぶつかって来てくれたこの少年にだけは、せめてもの誠意を見せたかった。

 自分も正々堂々とありたかった。

 いつかかつての純粋無垢な少女のように。

 曲がった事は嫌いなんだ。だから今だけでも、この少年のように真っ直ぐな自分であろう。

 

 だから、真実を語った。

 包み隠さずに、その全てを。



 ――――――――――――――――、―――――――――。



「……なんだよ、ソレ」


 全てを聞いた泉修斗は愕然と、ただそれだけを零していた。


 スネークは、楓の襲撃の真偽について結局触れなかった。

 否、そんなことは話すまでも無かった。

 話すまでもなく、泉修斗は全ての答えを知ってしまったのだから。


 これまでの人生、その全ての前提を根底から覆されたような、空白にも似た放心状態に叩き込まれ泉修斗は憔悴しきったような表情でその場にへたり込んだ。

 そしてそのまま、それ以上の言葉が、いつもの軽快な毒吐きさえも、何も出てこようとしない。

 いつもは猛虎のように鋭い瞳も驚愕に見開かれ動揺に揺れ動き、好戦的な笑みを湛える口元は間の抜けた穴を開きっぱなしにしている。

 燃え盛る肉体はぶるぶると迷子の子供のように震え、滝のような脂汗を流していた。


 そんな泉を慮るように、スネークが深々と頭を下げる。だが、言ってることの半分も頭に入ってこない。


「すまない。だが、こうする他に方法がないんだ。勿論、彼女の無事はこの俺が保障しよう。敵の手に渡ることもないと断言できる。――俺達だって、出来ればこんな事はしたくないんだ。誰もが希望を信じているさ。だが、もしもの場合は……分かってくれとは言わない。許して貰おうとも思わん。お前さんらには俺を恨み殺すだけの理由がある。だが、俺はやり遂げなければならん。それが罪を犯した俺に出来る、唯一の償いだからだ」

  

 それでも、頑として否定しなくてはならなかった。

 そうしなければ、何かを叫んでいなければ、泉修斗という人間が――否、存在がきっとここで崩壊してしまう。


「だからってッ! そんなのおかしいだろうがッッ! なんであいつらが、そんなこと……! いや、だから。……違うっ、ちょっと待てよッ! そもそもの話から、俺は意味が分からねえって言ってんだッ! 罪、だと……? テメェの、その話が本当だってんなら、俺達はなんだ。……俺達は一体――まさかッッ!!?」

「……つまりはそういう事だ。この世界の現状、その全ては俺の責任みたいなモンなんだよ。だから俺は狡猾の蛇(スネーク)なんだ」


 諦めたように自虐的に笑うスネークの姿は、何だかいつもよりずっと老け込んで見えて、泉修斗の本能的な直感が先の話の全てが真実だとそう告げている。

 スネークという男を泉修斗は最後まで信用することができなかったけど、彼の漢としての在り方は疑っていなかった。

 嘘をつかないと言った以上、この男は約束を守る。

 これはそういう男であり、ならば告げられた言葉はその全てが真実で――


 ――しかし泉修斗は、やはりその何もかもを認められない。


 駄々をこねる子どものように、単にその口から語られた事実とやらを認めたくなかった。

 だって、それを認めてしまえば最後、絶望が泉を呑み込むことになる。

 もう二度と立ち上がれなくなるかもしれない、そんな種類の絶望が。

 それだけはダメだ。

 だって、泉修斗は誓ったのだ。息の詰まりそうなガラスの棺に横たえられ眠る友に、強くなると。

 立ち止まらないで歩き続けると、今度は俺が――。


 ――助ける、と。


 そう、誓ったのだ。


 だから、だからだからだから……!


(くそがぁ……! 何混乱してんだ馬鹿野郎! 今すぐ立ち直れ、思考を再起動しろもう一度心を燃やせここから何が起きようともそれに対応して見せろ! ビビってんじゃねえ、怖気づくんじゃねえ、立ち止まるんじゃねえ!! 今までの全てが灰になろうとも今俺達はまだ此処にいる! だったら――)


 拳を握れ、歯を食いしばれ、闘志を燃やせ、まだ何も戦ってすらいないのに、どうしてこんなにも心に冷たい影が差す……!? 

 必死で自身を鼓舞した。焚き付けた。

 それでも未だショックから立ち直れずに、愕然と固まる泉にスネークは一転。


「……話は終わりだ。俺から話すべきことは全て話した。これ以上は何を言っても言い訳にしかならんだろうからな。後は――〝全てを忘れてくれ〟」


 感情の籠っていない事務的な声で淡々とそう告げた。


(――な、ァ……?)


 その感情の落差に泉は付いて行けず、一瞬言葉の意味を判断できなかった。

 先ほどと同じかそれ以上に唖然とし間抜けを晒す泉に、スネークはどこか失望したような声色で苦笑を零す。


「おいおい、なんだその顔は。全て教えてそのまま解放してもらえると思ったのか? 流石にそりゃあ……認識が甘いぞ、泉修斗」

「――!?」


 死刑宣告のようなその最後の言葉に、ようやく泉の意識が現実に揺り戻された。

 脳内で火花を散らす衝撃に弾けるように立ち上がり、目の前の怪物から飛び退こうとして、泉は背後に立つ誰かにぶつかった。

 驚嘆が、少年から呼吸を奪った。

 ――あり得ねえ……ッ!

 驚愕と同時、歯噛みする。

 つい一秒前まで、後ろに人なんて立っていなかった。

 まるで空気から湧いて出たような存在に、泉は激しく焦燥しその場で勢いよく振り返る。

 そうして視界一杯に飛び込んできた白スーツの金髪の姿に、泉は絶望のような眩暈を覚えた。


「テメェもグルかよッ、『設定使い』……!」

「ふむ……。そこの男と同類扱いされるのは非常に不本意な設定だと言っておこうか。私には私で、遂げねばらなぬ悲願せっていがある。そこの男は利用してやっているだけの間柄せっていに過ぎぬ」 


 設定使いはそれだけ言うと至近の泉から興味なさ実に視線を外し、疲れきった表情をしたスネークを見て嘲笑を浮かべる。


「……それで、蛇よ。少し見ぬ間に随分とやつれているが、本当にやってしまっていいのだな?」

「ああ、構わない。今、泉修斗に俺達の邪魔をされる訳にはいかないんのでな」

「その癖にわざわざ真実を全て話してやるとは、貴様も無駄な事をするものだな。ほとほと、貴様のその人間のような歪な感傷せっていは気に食わない。……だが、彼の誠意に対して少しでも筋を通そうというその姿勢せっていは、私は嫌いではないがな」

「……お褒めにあずかりどうも光栄なこって、全然嬉しくないな」


 緊張感に欠けたやり取りに誤魔化されそうになるが、まるでここまでのやり取り全てを見てきたような言葉だった。

 否、事実彼は本当に二人の会話を全て見ていたのだろう。

 何せ相手は『設定使い』。

 言葉一つで設定を捻じ曲げ、世界のありようを歪める神の如き神の子供達(ゴッドチルドレン)

 そういう設定にしてしまえば、そのままそっくり世界がそうなるのだから、彼にとっては全てが予定調和の出来事で全てが即知の過去である。


 と。その時だった、場違いな閃きが泉の脳裏を貫いた。絶体絶命の死地、死に物狂いで活路を見出そうと高速回転していた脳みそが唐突に導き出したのは、


「――シャルトルから、ロジャー=ロイとの戦闘に関する記憶を奪ったのはアンタらか……」


 自身が窮地に立っている事を忘れたような、茫とした言葉が口からこぼれていた。

 自身の言葉を発端に、泉の思考はさらなる加速を帯び、深みにはまっていく。


 ……そうだ。鈍感な勇麻のアホはシャルトルの記憶障害を純粋にケガによるものとして心配していたが、似たような経験を以前に泉はしているではないか。


 誰かにとって不都合な記憶の一部を切り取られる。そんな不愉快で許しがたい経験を。


 ロジャー=ロイとの戦いの中で、きっとシャルトルは気が付いてしまったのだろう。

 敵の狙いに。

 自分が天風楓の替え玉であることが、女王艦隊クイーン・フリートにバレているという事に。

 必死に天風楓を演じそれでも正体を見破られた彼女は、それを勇麻たちに伝えようとした。

 だから、余計なことを喋られる前に彼女の記憶は消された。もしかすると、戦闘中に彼女と情報を共有していた他の姉妹たちの記憶も弄られているかもしれない。

 誰によって?

 そんなの決まっている。目の前の黒幕面した傲慢な男たちによってだ。


 そもそも始めから何かがおかしかったのだ。

 スネークも設定使いも何故敵が動くのを待つ? 敵の行動に合わせて守りに入るのを嫌った替え玉作戦が攻めの一手だというのなら、ああ確かにそれはそうだろう。

 だが、いくら敵の動きが無いにしたって、スネークも『設定使い』もあまりにも動かな過ぎる。

 この二人が揃ったその時点で、天空浮遊都市オリンピアシスに潜む敵勢力など即座に発見し叩き潰すことが可能であるハズなのだ。

 まるで何かが起きるのを待っているみたいではないか、そう思った事は決して一度や二度ではない。そして現に、スネーク達は何かが起きるのをずっと待っていたのだ。

 罠を張って獲物を捕まえる狡猾な狩猟者ハンターのように。


「……へ、高見の野郎が誰の力パックったか想像がついたぜクソッタレ。あのくそ猿はテメェらから卑怯で狡すっからい手を覚えてやがったんだな。外道どもが」

「……」

「あぁ? んで黙ってんだよ、オマエ。俺みてえなガキにこれだけ言われたんだぞ。何とか言えよオイ……!」


 声が震える。

 怒りに見開かれた瞳が、感情の振幅に合わせるように激しく揺れ動く。

 ――俺の怒り(しつもん)に答えろよ、クソ蛇野郎。

 好戦的で短気な泉の怒りが、恐怖や絶望といった負の感情を消し炭に変えて燃え上がる。


「アイツはお前の仲間じゃねえのか? なあテメェ、言ってたよなぁ。背神の騎士団(アンチゴッドナイト)のメンバーは家族みたいなモンだって。シャルトルは、あの四姉妹はテメェの家族なんじゃねえのか……? 目的の為だったらテメェらは家族の頭ん中までホイホイ弄るのか!? なあ、オイ。答えろよスネーク……ッ!?」


 激憤に駆られる泉の咆哮に、まるでプログラムのように無感動で事務的な返答があった。


「あの子らが真相を知る必要はない。全ては俺の罪。俺のみが知り、背負えばいいモノだ」

「そうかよ……。よーく分かったぜクソ蛇野郎、テメェらのやり方ってヤツが」


 泉は怒りに肩を震わせていた。

 それはスネークに対する怒り、だけではない。

 自分一人が傷つけばそれで全て済むと思っている傲慢さ。巻き込まないことが相手に対する思いやりだと思っている勘違い具合。瞳に宿った狂気じみた妄執。悲劇に酔うその姿から何から何まで、この男は泉修斗を苛立たせる。


「……あぁ、ムカつくな。反吐が出るほどにムカつくぜ。けどな、テメェがそのエゴを振りかざすように、この俺が黙ってそれを受け入れるとか思ってんじゃねえぞォッ! ――ッ、らぁあああああああああああああああああああああああああああああッッ!!」


 咆哮と同時、泉修斗は全力を解放。

 瞬時に自身の身体を最大出力で燃焼、膨張させ、そのまま最大火力の大爆発を巻き起こす。

 暴れ狂う炎と衝撃波が炸裂。目前にいた『設定使い』を炎と黒煙が呑みこみ、衝撃波が全てを破壊し薙ぎ払う。

 圧倒的な熱エネルギーによって泉を中心とした半径五〇メートルの半球状のドーム空間が跡形もなく消失し、残りは衝撃波で全て消し飛んだ。

 加減も何もない、今の泉修斗における自滅覚悟の最大火力フルバースト


 それは事実上、自分達の止まっていたホテルを全壊させるあまりにぶっ飛んだ蛮行であった。

 今の時間帯は選手達が夕食を食べに別館へ行っている為、無人に近い状況ではある。だがそれでもホテルの従業員や食事が終わった人間などが戻っている可能性はあった。

 巻き込まれた者がいないとは絶対に言い切れないだろう。それが分かっていてなお、今の泉にはこうするしか道がなかった。

 それを躊躇わないだけの理由があった。

 泉修斗は天秤の左右、そこに乗るモノの重さを比べどちらを選ぶかの選択することができる人間だった。

 それを失うことを、泉修斗は他の誰を犠牲にしても許容できなかったのだ。


(クソが! あんな偉そうなこと吠えておいて一番のクソは自分テメェじゃねえか! 自分弱さに周り巻き込んで……これでトチりやがったら、それこそ死んでも死にきれねぇだろうがァ……!!)


 泉修斗の本能が導き出した最適解は、極炎による煙幕を張っての逃亡。それも周囲の被害を度外視した強行。自分勝手に周囲を巻き込み傷つける、決して褒められない行為である。

 強敵と戦うことに喜びを覚える泉にとって、最大限の屈辱を伴う選択であった。

 しかし今は犠牲がいなかったことを信じるしかない。

 なんでもいいし、誰でもいい。スネークの口から語られた真実を、この情報を誰かに伝えなければならない。

 そうでなければ何もかもが手遅れになってしまう……!

 

「死ね。くそったれのチート野郎どもが、二度もほいほい記憶弄られてたまるかってんだよッ!」 


 八つ当たりのように毒づきながら、ポケットから取り出したスマホを操作する。震える手で画面をタッチし番号を入力していく。そして通話ボタンに指で触れようとして、


「話の途中にどこへ行くのだね。そもそも人の目の前でいきなり炎上爆発するなど、失礼だとは思わないか?」


 ドンと。どういう訳か炎に呑みこまれたハズの『設定使い』と正面衝突した。

 いつの間に先回りされたのか、そもそもあの爆炎をどうやって……いや違うそうじゃないそんなことはもうどうでもいい……!


「……いや、そもそも普通の人間は爆発などできないか。となると、常識で礼儀を語るのもおかしな話だな」


 衣服にすら焼け跡一つ残さず、場違いな疑問に首を傾げる『設定使い』という男が、どこまでも異端で異常で気味が悪い。

 サァと、血の気が引いていく。

 いつの間に正面に回り込まれたとか、泉の全力の最大火力フルバーストを至近距離でもろに喰らってダメージを受けた様子がないのは何故だとか、そんな些細な事は本当にどうでもいい。

 

 ――どうして泉修斗は自分で跡形もなく消し飛ばしたハズのホテルの廊下を走っているんだ……?


「――脚本設定シナリオせってい。泉修斗の爆発は不発した、と。……まあ、私に出来るせっていはせいぜいこんなものだ。チートなどと言う呼び名は、そこでつまらん顔をしている男にこそ相応しいと思うのだがね」


 彼我の圧倒的な実力差。

 怒って玩具のナイフを振り回す子供の頭を片手で押さえつけ、上から優しく諭すような、同じ土俵にさえ立たせて貰えていない絶望感。

 『設定使い』がその整った顔に湛える微笑が、絶望と恐怖に委縮した身体を無理やり怒りで動かす泉の心の最後の堤防を、木端微塵に打ち砕いていた。

 そして、思った。


 ――こいつ、馬鹿にしてやがるのか?


 そんな場違いな怒りが浮かぶほど、泉は自分の変わらぬ無力さに悔し死ぬかと思った。

 握りしめた拳、掌に爪が食い込み血が流れる。

 砕ける程に歯を食いしばらなければ、涙が溢れてしまいそうだった。

 

 ――ああ、本当に情けない。そうだ、このクソに馬鹿にされて何をアホみてえに突っ立ってんだ、俺ぁ。


 あまりの怒りにぐちゃぐちゃの頭が瞬間冷却された途端、さらなる怒涛の怒りがうねりを上げて泉修斗の胸中に押し寄せてくる。

 許容を越える感情の激情に頬の筋肉が吊り上がり、思わず笑ってしまう程の行場の無い怒り。


 混乱? 絶望? 恐怖? くだらねえくだらねえくだらねえ……ッ!!

 何が愚行だ最善手だ。自滅覚悟の最大火力フルバースト? んなモン敵にケツ見せ尻尾振って逃げてる時点で、何の意味もない。馬鹿げている。ふざけている。ちゃんちゃらおかしくて笑ってしまいそうだ。あいつらの事になっただけでこんな簡単なことが分からなくなる程動揺するか。あまりにも惰弱で貧弱で情けなくて反吐が出る。

 天秤の左右を選択する? 違うだろ、そうじゃない。そんなウザったいモノはこの燃え盛る炎で天秤ごとぶっ壊してこそだろう。それでこそこの舐め腐った野郎共の鼻を明かせる、それこそが最ッッ高に楽しいハズだ。そうでなければ意味なんてない!

 

 何より泉修斗は、こういう絶望的な場面でこそ口の端を吊り上げて笑う男だったはずだろうが……ッ!


「――目クソ鼻クソを笑うって言葉知ってっかよ。クソして死ねやクソが……!」


 好戦的で野蛮な笑みを刻み、心からの感謝クソッタレを送ろう。

 わざわざノコノコと目の前に現れてくれた黒幕気取りのクソ野郎どもを、まとめてブン殴る絶好の機会を与えてくれたその慢心に。


 泉は神の力(ゴッドスキル)を発動しようとして――最大火力フルバーストの反動で失敗し――己のアホさ加減に再び苦笑するように喉を鳴らし、目障りな野郎全員ブッ飛ばす気満々で構えを取った。

 目の前に立ちはだかる絶望に、泉修斗は炎の燃え尽きた生身の身体のまま拳を握りしめて飛びかかって――


 『設定使い』は、その行為を勇猛ではなく蛮行と評し苦笑した。


「そうか。ならば君は全てを忘れるがいい。――『記憶設定』。今日行われたスネークに関するやり取りの内容を、改竄する――



 ――言葉と同時。意識と記憶が罅割れ












 




 



 消えた。











☆ ☆ ☆ ☆



 意識を失い床に倒れた泉を抱きかかえ、スネークはその手に握った彼の携帯端末を操作する。

 思った通りだった。通話画面はこちらの目を逸らさせるフェイク。その裏で起動されていたボイスレコーダー機能に、新たな録音音声があった。

 スネークは日付と時間を確認すると、そのままデータを消去した。


 ……やはりこの少年は頭がキレる。

 おそらくは真実を知った場合に自身の記憶に干渉される可能性を考えて、対策を取っていたのだろう。

 高見の件で一度痛い目を見ているだけあって、大胆さの中にも冷静さと慎重な判断が見受けられる。

 しかしそれでも、まだ甘い。

 一人で来たのはスネークが真実を話しやすいように油断させる為だったのだろうが、味方ではない可能性を少しでも疑ったのならスネーク相手にやはり無謀という物だ。

 もっとも複数人で来たところで、何が変わった訳でもないだろうとは思うが。


 スネークの語りがかなり時間を食ったせいか、音声記録は一時間にも渡っていた。

 だがそれも、消去となればあっという間。

 デジタルな機器は何の感慨も躊躇いもなく、操作一つで貴重な情報をもゴミとして処分してくれる。

 泉修斗が身体を張って辿り着いた貴重な真実データは、何の痕跡も残すことなくその全てが消え失せていった。 


 これでいい。

 この少年が納得なんてする訳がない。真実を知った泉修斗はまず間違いなく、スネークの邪魔をする。

 であれば語った真実も、忘れて貰う他ない。

 全てが終わった後で、好きなだけ憎んでくれていい。殺しに来るならその刃をも喜んで受け入れよう。だから今だけは、誰にも邪魔をされる訳にはいかない。 

 スネークが失敗すればまた世界に悲劇が広がる。

 もう、あんな思いをする人が生まれるのは沢山だ。彼女のような悲劇を繰り返す訳にはいかない。ここで全ての決着をつけると、そう決めたのだから。


 スネークは泉を彼らの部屋に運びながら、神へと懺悔するようにぽつりと小さく呟いた。


「……それでも俺は、俺がやらねばならんのだ」


 無意識のうちなのか、それが自身を縛る誓いなのかも分からない、そんな独り言を。



 誰もが信じたがる都合の良い『神』なんて何処にもいない事を、狡猾な蛇はこの世の誰よりも知っていた。

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