第三十四話 不穏の香りⅠ――守る決意、奪う決意:count 3
『三大都市対抗戦』五日目も無事に終わりを迎えた。
『人魚姫の滝登り』における天界の箱庭の成績はお世辞にも最良とは言い難いが、天風楓は見事四位でゴールし、戌亥紗や鳴羽刹那も十位以内でのゴールを果たし選手全員が健闘した。
新人類の砦の追い上げによって、僅差ではあるものの総合得点で抜かれ三位に降格はしたが『対抗戦』の本番はむしろここから。
未だ一位を独走する未知の楽園との得点差も明日以降の結果では容易に覆す事ができるはずだ。
選手達もそれを理解している為、みな表情は明るい。
恒例となったミーティングを兼ねて皆で夕食の席を囲みながら、明日から始まる『対抗戦』の大本命、『三大都市対抗武闘大会』への期待や興奮。そして高揚を隠しきれない様子で、選手達は明日の話に花を咲かせていた。
そんな表のお祭り騒ぎとは裏腹に、裏の事情を知る東条勇麻は深刻な顔つきででホテルの喫煙室にいた。
ガラス張りの部屋で紫煙を揺らすのは、海賊船の船長のような稲妻型の傷をその右目に走らせる隻眼の男。スネークと呼ばれ仲間達から厚い信頼を寄せられる背神の騎士団の団長は、勇麻の報告に対して難しい顔で煙を吐き出した。
この男が煙草を吸うイメージはあまり無かったが、煙草を咥え煙を吐き出す姿は似合い過ぎる程サマになっている。
「……女王艦隊、か」
勇麻がスネークと話しているのは対抗戦の裏で起きた新人類の砦による天風楓を狙った襲撃事件。その報告と対策についてだ。
あの後、海音寺によって選手村の『医務室』へと運び込まれた勇麻は、銃で撃たれた脚や身体中に及んでいた火傷の治療を受けた。
相変わらずの異常な傷の治りの早さとは言え、このホテルへと戻って来れたのもほんの一時間ほど前のこと。
そんなごたごたもあってか、勇麻自身も全貌を完全に把握している訳ではないが、今回の女王艦隊の襲撃は失敗に終わった事――楓の無事は確認されている。
勇麻からの連絡を受けて楓の無事を確かめた泉によると、そもそも〝楓の元にそんな連中は現れていない〟らしい。
彼女は彼女でトイレを探して道に迷ってしまったらしく、誰かに襲われたような素振りを見せることもなかったそうだ。
そもそも楓の周辺には基本的に黒米がついて目を光らせている。楓の身になにかあれば真っ先に黒米からスネークに連絡が入るようになっているのだ。
今回この男が動かなかった時点で、楓の身にまで危機の刃が届いていないのは明白である。
とはいえ、ターゲットであるはずの楓の前に誰も現れなかったというのは何とも信じがたい話である事も確かだ。
ロジャー=ロイは「想定外の事態が起きた」と言っていた。楓の元に向かった際に何かトラブルがあったということだろうか……?
と、黙り込み思案する勇麻の意識を引き戻すようにスネークが手を叩いた。
「ま、なんせよ、だ。敵が増えたからと言ってやることは基本的には変わらねえ。俺達は天風楓を守りつつ、替え玉を使って『創世会』を叩く。が……替え玉の件を知られちまったってのは、単純に痛手だな」
情報がどこかから漏れたのか。それとも、何らかの方法で出場してるのが楓ではないと気付いたのか、それは分からない。
だが、今重要なのは替え玉が判明した原因を探る事ではない。
『天空浮遊都市オリンピアシス』を訪れたのは信用のおけるメンバーのみ。彼等を信じないという選択肢は存在せず〝悪意による情報の漏えいはあり得ない〟そう結論付けた以上、終わってしまった事を悔いるよりも今後の対策を立てることが先決だ。
『創世会』を敵に回しているのだ。この段階で裏切り者探しをしているようでは、背神の騎士団に勝ち目はない。
「なあ、スネーク。アンタは連中が動きそうな理由に何か心当たりはないのか? 連中のトップ……確か『女王』だったか? 女王艦隊の連中はその神の子供達からの命令で動くって話を聞いたんだけど、なにせ『対抗戦』には出て来ないからな。俺はソイツがどんなヤツか知らなくてさ」
ロジャー=ロイが何を考えて天風楓を狙っているのか、たかが数度対峙しただけでその考え全てを読み取れる程勇気の拳は万能じゃないし、ましてや理解掌握でその思考を受信する事ができる程、勇麻はロジャー=ロイに対して割り切った感情を抱くことができない。
理解掌握の発動条件は拒絶や先入観を捨て去りありのままの相手を見て、分かり合いたいと願い望む事。相手の存在をただ許すことが必要になってくる。
楓を狙い複数人の部下を使って自分を襲わせたロジャー=ロイに対して理解を望めるほどに、東条勇麻は冷静でもお人好しでもなかった。
怒りの感情はまだ色濃く胸のうちで渦巻き燃え上がっている。
だが、ロジャー=ロイが女王とやらの命令を受けて動いているのなら、ロジャー=ロイの思考を知る必要なんてない。
女王とやらの行動原理を知ることが出来れば、楓を狙う理由についても予測が立てられるかも知れない。
勇麻の問いかけにスネークは少し考えるように顎に手を当てて、
「俺もそう詳しい訳じゃないが、そうだな……『女王』エリザベス=オルブライトは平和を愛する神の子供達だ。だが、それだけでヤツを争いを好まない穏健派だと思うと痛い目を見る。むしろその逆、ヤツの平和思想はこれ以上ないくらい過激な理念の元に成り立ってる。それこそ、『世界征服による世界平和』なんて子供向け番組の悪役みてえな事を真面目に考えているような狂った女だ。そんなヤツが天風楓を何の為に狙うか、答えは簡単だろ」
スネークは珍しくその顔にシニカルな冷笑を浮かべて、
「『平和』の為、だろうよ」
「なんだよそれ……」
勇麻はスネークの言葉に思わずそう呟いていた。
――平和の為。
なるほど、それは素晴らしい言葉だ。
平和、平和、平和。
その言葉を真の意味で実現できると言うのなら、確かにそれは何を犠牲にしたって惜しくない、そう思えるだけの価値があるモノなのかも知れない、と勇麻だって思う。
だが、違うだろう。
そもそも誰かが犠牲になる前提の平和なんて、平和と呼んじゃいけない。
それは『平和』という綺麗な皮を表面に被せただけの、腐りきった悍ましい別のナニカだ。
自分達にとって都合の悪い汚い部分を覆い隠し、綺麗で素晴らしい部分だけを人目に晒して美しいだろと押し付け胸を張る行為。
美しく立派で豪奢な夜景の綺麗なビル群を湛え、開発で枯れ果て腐臭を発する森のことは無視するような酷い欺瞞。
平和という名で装飾されただけの、都合のいい醜いエゴの塊だ。
そんな悲劇を喜ぶ世界のどこに平和があると言えるのか。少なくとも東条勇麻は女の子を傷つけて喜び笑って仲良く肩を組み合う不気味な世界の一員に加わりたいとは思えない。
勇麻の感じた嫌悪にも似た感情をスネークも抱いているのだろう、嫌そうに眉間を歪めながら勇麻に同調する。
「そういう意味じゃ『創世会』も『女王艦隊』も同じだ。どっちの目的もどうせ碌なモンじゃねえ。連中に天風楓を渡してやる訳にはいかねえのは変わらねえんだ。天風楓は、絶対に俺達で守り通す」
方針は今まで通り。楓を死守しつつ、連中のふざけた悪巧みを阻止する。
そうスネークは言う。
とは言っても、楓につける護衛は今まで通りに黒米だけともいかなくなるだろう。
『創世会』はともかく、『女王艦隊』は本物の楓が誰であるかを知ってしまっている。
直接的な襲撃が発生する可能性が高い以上、戦力の割り振りを再考する必要があった。
話し合いの結果、『創世会』が動いた場合に備えあえてフリーにしていた『設定使い』を楓の護衛に回し、今まで通りスネークはいつでも動ける準備をして待機。勇麻たちも同様に、カモフラージュとして替え玉と共に対抗戦の参加を続行。
基本的なスタンスは変えずに、巨大な戦力である『設定使い』を楓につけることで『女王艦隊』を牽制する。
背神の騎士団のメンバーや『設定使い』とも話し合って細かい修正は入るだろうが、今後のだいたいの方針は決まった。
「……で、ボウズ。お前さんはどうするつもりなんだ?」
「なにが」
答えた勇麻に、何をしらばっくれてんだかとスネークはからかうように笑って、
「お前さん、この件をまだ天風楓にゃあ伝えてないんだろ? お嬢ちゃん本人にも情報と状況を共有させた方が安全なのは確かなんだ。それを躊躇ってんのはあの子の心情を思って、ってとこか」
スネークの言う通り、勇麻はまだ楓を狙った襲撃があったことを楓本人に伝えていない。
泉もそのあたりのデリケートな事情を理解してくれていて、楓の無事を確認した際も直接そういうことには触れないようにしてくれた。
襲撃を受けて勇麻が怪我をしたことも、泉に頼んで黙って貰っている。
今勇麻は、スタジアムで偶然出会った未知の楽園の知り合いの所へ遊びに行っている、という事になっていた。
「……別に、わざわざ伝える必要もないだろ。『創世会』も『女王艦隊』も同じ、楓を狙う俺達の敵だ。敵が多少増えただけで、状況が変わった訳じゃない。自分が狙われてるって事を、楓だってもう分かってる」
「……だからこれ以上無駄にお嬢ちゃんに心労を掛けるような情報を伝えるべきじゃない、と」
「……あいつは馬鹿なくらい優しすぎるヤツだから。俺のこの様を見ればまたぞろ自分のせいだと思って塞ぎこんじまう。俺は、あの子に笑顔でいて欲しいんだよ。俺達のやることが変わらないんだったら、今まで通りでいいだろ。イタズラに楓を傷つけるようなことはしたくない」
楓は何かと色々な事を一人で背負い込みたがる癖がある。人に迷惑を掛けたがらない部分と、意外と負けず嫌いな部分が空回りしてしまうのだろうが、きっと今回の件だって楓を狙った襲撃で勇麻が怪我をしたことを知れば彼女は自分を責めるだろう。
楓は少しも悪くないのに、勘違いも甚だしい罪悪感を抱えるに決まっている。
理由は分からないが、折角彼女が前向きになれているんだ。その笑顔に水を差すような真似はしたくなかったし、するつもりもなかった。
どこか拗ねたような、そんな言い訳じみた勇麻の言い方にスネークは苦笑して、
「……あいよ、ボウズの言い分は分かった。『設定使い』や他の連中にも、そういう風に言っておこう。確かにお嬢ちゃんが狙われてるって状況それ自体に変化がある訳じゃねえ。俺達が知っていれば、どうとでもなる事だしな」
「すまない、助かる」
「これくらいでいちいち頭下げんじゃねえよ、ボウズ。男が廃るぞ」
とは言え、これは勇麻の都合で私情。
楓を護衛する背神の騎士団側からすれば、事実を伝えて楓自身にも危機感を持って貰った方がやりやすいに決まっている。
楓の心を慮って快諾してくれたスネークの懐の広さに勇麻はただただ感謝して頭を下げるが、スネークは心底嫌そうに勇麻の頭を小突いた。
そのまま灰皿に煙草の先端を押し付け、喫煙室の扉に手をかけたスネークは背後に軽く手を振って、
「それよりお前さんも今日は早く寝ろ。体力を回復させんにゃそれが一番なんだ。『対抗戦』で勝つためにも、大事なモン守るためにも、必要な事だろ?」
そんな教師じみたお節介な言葉を言い残して、勇麻の前から立ち去ったのだった。
「……」
だが、何故だろうか。
いつもは大きく感じるその背中が、今日はやけに小さく丸まっているような気がして、
「? スネークも疲れてんのか?」
勇麻は思わず目を擦り、視界に映る男の姿に訝しげに眉を潜めた。
☆ ☆ ☆ ☆
メインストリートを境とした崖側の区画。すなわち楕円形の大地の外周付近に作られた『選手村』と呼ばれるそのリゾート施設。
対抗戦出場選手とその関係者たちが宿泊しているとあるホテルのスイートルームの一室は、とある少女の為の玉座の間として彼女の部下たちの手によって勝手な改造がなされていた。
持ち込まれた巨大な背もたれを持つ仰々しい玉座。黄金や宝石をちりばめた数々の調度品や、高級絵画。バスルームのお風呂は女王の要望で技師にジェット水流の噴き出す電気風呂へと改造させられている。
そんな後から付け足した機能の一つ。戯れに取り付けられた、異質極まりない装飾があった。
装飾、と呼ぶには重々しいソレは反逆を起こしたモノを縛り付ける為に付け加えられた、柱に埋め込められた鎖とそれに繋がる手枷。
罪人を吊し上げ自由を奪うその拷問器具により、後ろ手に手首をくくられているその男は、自身が絶体絶命の死地にあるにも関わらず不協和音じみた不快な哄笑を響かせるのを止めようとしない。
「さて、それじゃあ始めましょうか。――ロジャー=ロイ」
呼ばれ、無言で女王の傍らに現れた金髪を刈り上げた中年男性が、その手にした黄金の巨槍の切っ先を下手人へと突きつける。
首の皮にその鋭い切っ先が触れ、生じた切り傷から暖かい血が流れ出る。
しかし。
「――ひ」
その男――クライム=ロットハートは、依然として不快な嗤い声を響かせ続けていた。
「ヒヒッ!? キャヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒ……ッ!」
不気味で、狂気じみた、道端で出会っても絶対に関わりあいにもなりたくない類のその男に。
しかし女王――エリザベス=オルブライトは少しも怯むことなく真っ正面から対峙し、あまつさえにこやかにほほ笑みかける。
「こんばんは、クライム=ロットハートさん。ご自分がどうしてこんな風に繋がれているのか、理解はできていますわよね?」
「キヒッ、キヒヒヒヒヒヒャハハハッ! いやー、いやいや。女王様チャンよォ、それは俺チャンに対しちゃ意味のねえ質問チャンってヤツっしょ。なにせ怨みチャンや怒りチャンなんてのは、息をするように買ってるモンでねえ。身に覚えがあるかと聞かれれば……そりゃまあ身に覚えがあり過ぎて分からねえ! と、答えるしかない訳ですよー俺チャンとしてはさー」
敵地のど真ん中で拘束され、生殺与奪を握られたうえで女王へ向って平然と無礼な口を叩くその精神性は異常の一言では片づけられないような底知れなさを感じさせ、自然と周囲に嫌悪と畏怖の感情を植え付けその精神を圧迫する。
神の力を使わずとも人の心を支配する術に長けたその男は、縛られていながら対等な狂敵として彼女達の前にあった。
女王を敬愛するロジャー=ロイの怒りを買い、その手元が怒りに狂えば己の首が落ちるというのに、クライム=ロットハートは歪な笑みをその顔に貼り付けたまま愉しげに身体を揺らす。
首の傷が広がり、さらに血が零れ落ちるのにも構わずにいるその様は、誰の目にも狂人にしか映らない。
しかし、クライム=ロットハートという男の狂気はその悪意によって計算された狂気なのである。
……それに気付ける人間が何人いるかはさておき。
そんなイカれた哄笑を響かせる男を前に、女王は表情を微塵も揺るがすことなく問いかける。
「分かりましたわ。では、私の質問に答えてください。ドラグレーナ=バーサルカルの精神に干渉し、東条勇麻を殺すように仕向けたのはアナタですか?」
「ああ~、はいはいはい。そゆコトね。そういうことチャンね」
小馬鹿にしたような口調に、槍の切っ先がさらに深く首筋に食い込む。だがこの程度の痛みに声をあげるのは三流。冷や汗を流すなど三流以下だ。
だからクライムは嗤う。笑い、哂い、嗤う。
恐怖や痛みといったものを微塵も表には出す事無く、あっけらかんと己に掛かった疑いを肯定した。
「それならやったのは勿論俺チャンだぜ。てか、他にンなこと出来るヤツいないっしょ?」
「……そう。それは、とても悲しい事ですわ。私はアナタと友好的な関係を築いていきたかったのですが、アナタは私の築いた平和を乱そうとするのね。それはつまり、私の憎むべき争いを好む敵だということなのでしょうかそうなのでしょうそうなのですね。ええそれはとても悲しいコト。私は平和を愛し争いを憎みます。その私に刃を抜かせようとするアナタは、一体どういう理由をもってして私の平和を脅かすのですか? 何があればアナタは平和を……平和を平和を平和を私の愛するこの平和を乱すことが許されると思い上がるのです???」
「――ッ!?」
軽薄な行為と言動の代償は、神の子供達の身も凍るような殺気でもって支払われた。
戦争を軽蔑する者の艦名を冠する『Sオーバー』の少女の怒り。
生きとし生ける者ならば、悪寒を感じざるを得ない上位存在からの圧が目の前の矮躯から発せられ、これには流石のクライムもその不健康な肌に数瞬鳥肌を浮かべる。
……何が最弱の神の子供達だ。
クライムは内心で愚痴るように苦笑し、目の前に佇む正真正銘の化け物を直視する。
争いを好まず人殺しを良しとしない平和を愛すると公言する平和主義者が掲げる矛盾《殺気》は、故に他の誰からぶつけられるソレよりもドス黒くて悍ましものであった。
自身の主義を捻じ曲げてまで発する呪いじみた感情が、女王の周囲で鎌首をもたげる蛇のように渦を巻きクライム=ロットハートを値踏みするように注視しているのが分かる。
武力を支配する彼女の『平和の支配者』の力が、目前の〝敵〟を見定めんとしているのだ。
だが、そんな腹の探り合いこそはクライム=ロットハートの十八番。
その右目に宿りし『心傷与奪』があれば、化け物女の真意であろうとも手に取るように分かる。
恐れる意味など、ありはしない。
殺気の嵐のただ中にありながらクライムはニヤリとその口角を吊り上げて、
「キハハ! 争いとか、平和とか、別にそんな大仰チャンなことを考えてた訳じゃないてば。女王様チャンのトコを尋ねた時に、……えーと、ドラグレーナちゃんだっけか? あの子とはたまたまお話する機会があってな。ほら、俺チャンってばついついシーカーちゃんから貰った戦力チャンで遊んで壊しちまって、今手持ちがゼロな訳じゃん? だからちょっとばっかしぃー、使えそうな手駒をレンタルしよっかなーとか思っちゃった訳で。別に平和を脅かすとか、そんな物騒な事は微塵も考えてないっしょ。ほら、女王様チャンてばこの通り! 反省してるから許してチョンマゲッ!」
手を縛られながら勢いよく頭を下げるクライム=ロットハート。その狂行に慌ててロジャー=ロイが槍を首から外さなければ、自らその首を切断し命を失っていた所だ。
……クライム=ロットハートというこの男、どうもこの綱渡りとも言える女王とのやり取りを危険とも何とも思っていないような節がある。
『最弱最大』の名で知られるエリザベス=オルブライトとその力たる『平和の支配者』をそもそも恐れていないのか。分からない。行動も目的もその一切が読めない。
――そんなロジャー=ロイの思考も、クライムには手に取るように理解できてしまう。
(バーカ! 筒抜けちゃんよぉ、お前らが俺チャンをまだ殺す気が無いってコトくらい。こちとら洗脳と読心のエキスパート、心の動きと乱れは俺チャンにとっておやすみ前の絵本を読むより容易いっしょ……!)
事実、クライムは現状のエリザベス=オルブライトを危険だとは認識していなかった。少なくとも現段階では。
彼女から放たれた殺気は本物でも、それが殺意の無い飾りのような殺気である事をその右目は見抜いている。
一見一つのミスが命取りとなるギリギリの綱渡りも、彼にとっては白線の内側をただ歩く行為になる。
そんな百戦錬磨のロジャー=ロイでさえもある意味で圧倒するクライム=ロットハートの奇行に、しかしエリザベス=オルブライトもまた一切動じない。
彼女を揺さぶるつもりでアクションを掛けているクライムとしては面白くない展開だった。
すべてがクライムの思惑通りとはいかぬまま、盤外の戦場は痛み分けの平行線を辿りつつあった。
女王は殺気の中に慈悲を、嚇怒の中に慈愛を込めて堂々たる態度で静かに。それでいて謳うように言葉を紡いでいく。
「私は争いごとが嫌いです。人を傷つけることが嫌いです。戦いが嫌いです。人が死ぬことが嫌いです。戦争が嫌いです。――ですから正直者は好きです。嘘は争いを生みますが、自分の非を正直に認める者は時に争いを回避します。ですから私は、アナタを傷つけることなく許しましょう。私の目指す平和に協力してくれるアナタの過ちを、アナタを信じ見逃しましょう」
ですが、と。エリザベスはそこで一度言葉を区切って、
「それも今回限り。次はありません。私も心を鬼にして、アナタを傷つけるでしょう。例外も特定も特赦も特権も無意味で無価値……平和より優先されるものなどあってはなりません。ですからどんな壮大な理由があろうと、何も考えていなかろうと、私の平和を乱した時点で私はアナタを平和の礎とします。ええ、平和を乱す者は、平和を齎す女王の手によって裁かれる義務がある……!」
ゾッ!! と、まるで津波のような勢いでクライムの肌が粟立った。
(……くっ、はは……、やっべ。これはひょっとしなくても、やべえのに目ェ付けられた感じじゃね……?)
先ほどの殺気など比にならないような、粘着性のある圧。
妄執とでも呼ぶべき女王の感情に絡めとられて、クライムはから笑い浮かべるのが精一杯だった。
これ以上この空間にいてうまく嗤い続けていられる自信がない。頬が引き攣っていないか、冷や汗が流れていないか、足は震えていないか、一度心を立て直す必要がありそうだ。
それくらい、今しがたぶつけられた〝感情〟は本物だ。
……ああ、全くもって恐ろしい相手だ。
こいつらのような規格外の化物と対峙すると、まだまだ自分も存外ヒトなのだと痛感させられる。
全く未知の領域に立つ会話不能な上位存在を前にしたような緊迫感に心臓が飛び跳ね破裂しそうだ。
だが、そのスリルもまた堪らないと。クライム=ロットハートは、次の遊びを思い浮かべその顔に刻む笑みを深めるのだった。
☆ ☆ ☆ ☆
捕縛し縛り上げたクライム=ロットハートを解放して、静けさを取り戻した玉座の間。
「良かったのか、姫さん。あいつを解放しちまって」
「アナタは不服なの? ロジャー」
ティーカップを片手にくつろぐエリザベスに問いかけると、こちらをからかうような視線と共に質問が返ってくる。
周囲に人影は見えず、二人きり。
故にかいつもより砕けた口調だった。
「分かり切ったことを聞く人だな、アンタも。面倒な女だってよく言われないか? 婚期がおくれますよ」
「ええ、それはもう。耳にタコができる程にアナタに言われるわね。私のいじわるな騎士、ロジャー=ロイ」
意図的に軽口で返して、女王もそんなロジャーの態度を好むように口元を和らげる。
予定調和のやり取りだ。
ロジャー=ロイが女王の決定に異を唱えることなどない。
彼は助言はすれど、意見はしない。
彼女の決定に確認は取れど、異は唱えない。
彼女の正義こそが、ロジャー=ロイが貫くべき意志なのだから。
「例え敵であれ、誰かが傷つくのは我慢がならないわ。あの男のように場を搔き回して無駄に被害を拡大させるようなやり方なんて以ての外、論外ですわ。本来ならすぐさま私の力で縛って、私のモノとして平和の為に有効活用してあげたいのはやまやまなのですけど……」
女王はティーカップを口元へ運んで、紅茶で自らの舌を湿らせると、
「ねえ、ロジャー。私の『平和の支配者』はこの世のありとあらゆる『兵器』を『武力』を『暴力』を支配する力ですわ。拳銃に刀や大砲。戦艦に戦闘機にミサイル。そしてアナタたちのような神の能力者の持つ神の力。人を傷つける力を有するモノならば、平和を乱し争いを激化させる『力』であれば、その『力』が何であれ私のモノであるのがこの世の理。でもねロジャー=ロイ、私は『力』の支配者なの。そして『力』とはね、総じて使われるモノを指す言葉なのよ」
『暴力』を振るうのは人間で。
『武力』を運用するのは軍人で。
『神の力』を使うのは神の能力者だ。
故に彼女の神の力は人の人格を縛れない。心を縛れない。行動を縛れず、感情を縛れない。
ただ『力』のみを支配し、それを己のモノとして行使する。それを振るう者本人に関しては、彼女は直接干渉することができない。
だからこそドラグレーナ=バーサルカルはエリザベスに従いながらも彼女を嫌うし。
だからこそブラッドフォード=アルバーンはエリザベスに従いながらも反逆の機を虎視眈々と伺い続けるし。
だからこそロジャー=ロイはエリザベス=オルブライトに忠誠を誓っている。
「あの男はね、ロジャー。使う側の者なのよ。彼はその『神の力』で『武力』を使わせ、『暴力』を振るわせる。私と同じ、舞台を見下ろし演者を使役する支配者。だから私にはあの男は支配できませんの。支配者が他の支配者に対して取れる行為は決まって戦争なのですもの。……まったく、嫌になってしまうわ」
彼女が支配できるのは、彼女が『武力』と認識したモノだけ。
要するにクライム=ロットハートという男の神の力は、エリザベス=オルブライトが『力』として認識することができない。支配する事のできないモノであるという事だ。
だが、それはクライム=ロットハートがエリザベス=オルブライトの天敵であるという事には結びつかない。
何故なら彼女には、世界を七回滅ぼしてなお手に余るほどの『武力』があり、『力』なき支配者など一瞬で滅ぼせるだけの圧倒的な『戦力』を有しているのだから。
だからこそ、許されるのは今回限り。次はクライム=ロットハートを裁く。
エリザベス=オルブライトは戦争を嫌い、人を傷つける事を嫌い、争いを傷つける者を嫌う平和主義者ではあるが、平和を乱す者を滅ぼす痛みから逃げ出すような臆病者ではない。
「……ドラグレーナやブラッドフォード。私に敵意を持っている者の反乱を警戒して、クライム=ロットハートの情報を全員に共通させなかったのが裏目に出ましたわね。全くもって油断も隙もない男です」
「ま、確かにな。あのあたりの連中が自らの意志でクライム=ロットハートと接触してれば、もっと厄介な事になってただろう。今回の件で、姫さんの支配のうえからでもあいつの洗脳は上書きが可能だって分かったし監視の目を光らせているが、逆に利用されそうなのが恐ろしい」
「いつもなら可愛い悪あがきも楽しめるのですけどね。今は大事な時期。面倒事を避けようと思って面倒事を呼び込んでしまうだなんて、皮肉なものだわ」
クライム=ロットハートの力を新人類の砦の住人であるエリザベスたちは把握できていない。だが、洗脳や精神感応のような他者の精神に対して干渉する力だということは分かっている。
暴走したドラグレーナを含め、ロジャー=ロイ含む女王艦隊全員の力の『支配権』は再確認済みだ。
ドラグレーナのように、支配が解けかかっていた者には再度『平和の支配者』を用いてクライム=ロットハートの洗脳を解除し支配の再上書きを行っている。
「そういえば、明日からは『武闘大会』でしたわね」
「……ん、ああ。そういえばそうか。六日目七日目の競技は毎年恒例だったな。ま、トーナメントは王道中の王道だしな。代わり映えもしないが、同時に盛り上がり具合も遥か昔から変わらねえ。俺としては、ボンキュッボンのおねえさんの身体に合法的にタッチできる最高の……じょ、冗談だってば姫さん。俺が興味あるのは出会った頃から姫さんの身体だけいでっ!?」
ロジャー=ロイの声が裏返ったのは怒った女王がセクハラ騎士を問答無用に殴りつけたから。
つまり、いつも通りだった。
「ど、どっちにしたって最悪ではありませんか! このロジャー=ロイ! アナタ本当に死刑にいたしますわよ!?」
お冠な女王を必至で窘めるロジャー=ロイ。そんなロジャー=ロイを女王は怒り眼で見つめ、長い付き合いの騎士に昂ぶった感情をぶつけるように、ツンケンとした不機嫌気な口調で言う。
「それよりも、分かっていますわよね? 私たちの本来の目的は対抗戦で優勝し、『シーカー』との対談権を得る事。天風楓の件にばかり気を取られ、そちらが疎かになってはいけないんですからね」
「ああ、分かっているとも」
言われるまでもない事であった。
ロジャー=ロイは、女王の手を恭しく取って、
「俺ぁな姫さん、アンタの槍だ。だから万に一つも敗北はねえ。世界を収め君臨する女王の一番槍は、立ち塞がる障害全てを穿ち貫き切り開く。……ま、アンタはいつも通り玉座に踏ん反り返って見ていてくださいや。アンタの夢への道のりを、俺がこの手で切り開くところってヤツをさ」
跪き、その手の甲に優しく口づけをした。
さあ、ここからが本番だ。
恥ずかしがり屋の平和とやらを引き摺り出そう。
向こうが出てこぬのならばこちらから歩み寄り、鎖と棘で守られた頑強なその扉を槍でもって突き破るのだ。
☆ ☆ ☆ ☆
女王の元を去り、ホテルの外へ出ると門の外に一人の男が直立不動で待っていた。
「おお、わりわり。氷道チャン待ったぁ?」
「三時間と二十五分程」
おかしなナリをした男だった。
ダイバースーツのような身体に張り付くタイプの軍用インナーに防弾チョッキと軍用パンツ。その上から羽織を纏い、腰には和装の鞘を差している。
視界を確保する為に掻き上げ後ろでに纏め下げている髪の毛は、まげとポニーテールの中間のような長さだった。
そんな時代錯誤な侍の杓子定規な言葉にクライムは苦笑を零す。
「おいおい氷道チャンよぉ~、そこは『ううん今着たところ!』くらい言ってみせる度量がないと女の子にモテないぜ」
「小生の主は男性であったと記憶しているが」
「そゆとこだよ~。融通チャンってもんが凍りついてんのかよ、氷道チャンはさ。……ま、いいや。それで? 俺チャンの周りを嗅ぎまわってるヤツ誰だか分かった?」
軽い調子のクライムの問いに氷道は懐から一枚の写真を取り出す。
監視カメラに映った映像を何度も拡大したような、解像度の荒い画像だ。
そこに映っていたのはフードつきのボロローブをまとい正体を隠している人物だった。シルエットから少女であることは窺えるが、それ以上の情報はこの写真からでは掴めない。
「……? んー背神の騎士団ちゃんじゃねえな。どこの所属だ」
「おそらくは未知の楽園」
「……ま、いいや。なんであれ俺チャンの周りを嗅ぎまわるような罰当たりな小ネズミちゃんは殺しちまっていいぜ。……氷道チャン、これは〝命令〟じゃん?」
「…………命令であれば、小生は従うのみ。それこそが正しい行いであるのだから……」
「おっけーおっけー、分かってるならおっけーチャンじゃん。じゃあ、そういうコトだから後は頼んだわ」
踵を返し、ひらひらと手を振りながら氷道に背を向け立ち去るクライム=ロットハート。そんな上司の姿を氷道は黙って見送った。
街の中心部から離れた『選手村』付近には人の気配がまるで感じられず静けさが満ちている。心地の良い夜風が氷道の後ろ髪を揺らす中。
氷道は白い吐息を吐き出すと、ゆっくりと背後へ振り返って静かに口を開く。
「……聞いていたのであろう? 出て来い鼠。抵抗しなければ痛みなく終わらせる事を約束しよう」
有無を言わせぬ鋭い視線が射抜いた方向から寸分たがわぬ正確さで、白旗をあげる声と手が上がる。
壁の向こう側から出てきたのはチャイナドレスの上からぼろローブを纏った少女だった。
「……いつからバレてたネ」
「小生は氷を司る神の子供達だ。周辺の温度分布を感じれば生物とそれ以外との違いは一目瞭然である」
「アチャー、つまり最初からカ。九ノ瀬和葉も厄介なこと頼むヨ、割に合わないネ」
エセっぽい言葉遣いの中華少女の言葉にも眉一つ動かさず、氷道は淡々と命令をこなそうと手を翳す。
逃走を諦めたのか、少女は氷道に対して欠片も抵抗する素振りを見せなかった。
もっとも、彼女は生存を諦めた訳でも死ぬつもりでもなかったということが、この後すぐに判明するのだが。
「――ッ!?」
手を翳した瞬間だった、眩い光が氷道の視界を埋め尽くした。
暗闇の中、至近で巨大なカメラのシャッターを焚かれたような目潰しに、一瞬氷道の動きが硬直する。
二秒も掛からず再起動を果たした氷道は自分が隙をつかれたことに驚愕を抱きつつも殺害対象である少女を問答無用で凍てつかせようとする。
「――、」
が、手応えはない。
既に氷道が手を出せる範囲から少女は消え去ってしまっていた。
(ホテルの中へ逃げたか……)
あの中には氷道に匹敵する強大な神の能力者が少なくとも三人。背神の騎士団の団長のスネークもいる事が確認されている。
ホテルごと全ての宿泊客を凍結させる事も可能だが、彼らを相手に軽率に騒ぎを起こすのは得策であるとは言えない。
(……まあいい、少なくとも警告にはなったであろう。これ以上鼠が嗅ぎまわることもあるまい。……だが、先の光は一体……?)
命令を果たせなかった罪悪感か、氷道真の胸の中で言語化できない感情が靄となって揺蕩っている。
それと同時に現状に安堵してしまっている自分がいることに氷道は気づいていた。
謎の光が消え去ったであろう方角を睨んでいた氷道はやがてゆっくりと視線を戻すと、くるりと踵を返しクライムの背を追うようにオリンピアシスの闇へとその姿を溶かしていく。
まるで少女の命を奪わずに済んだ事にホッとしているかのような、そんな不可解な自分の心理状況に何度目かも分からない疑問を抱きながら。




