第二十四話 対抗戦三日目Ⅴ――少年少女、臆することなく前へ往け:count 5
その瞬間、東条勇麻は自分の肌が一気に粟立つのを感じた。
「あの人、本当にやりやがった……!」
朱色に染まった震えるその手に握りしめられた白の旗に、勇麻は身体の震えが収まりそうにない。
あの状況、あれだけの速度の中で、固い岩肌に自らその指を突き立てるという行為にどれだけの恐怖があっただろう。
どれだけの勇気が必要だっただろう。
どれだけの覚悟があっただろう。
女の子が自身の身体をボロボロに傷つけてまで掴み取ろうとした勝利。
それにどれほどの意味があるのか、感情が籠められているのか、男である勇麻に完全に理解しきる事はできないのかもしれない。
けれど、一つだけ確かな事がある。
「女の子にあんなの見せられて、俺が応えられなきゃ、そんなの嘘だろうが……ッ!!」
踏みしめていた大地を破裂させ、東条勇麻は疾風の如き速度で戌亥の元へ駆けた。
背後から迫っていた不可視の腕も、身体を叩く瓦礫の散弾も、追いすがる他の選手達も、その全てを無視する。
勇気の拳が熱く燃え上がる。下半身の筋肉が膨張と圧縮を繰り返し、一歩踏み出すごとにさらに少年の身体が加速する。
もっとだ。もっと。もっと速く……!
一刻も早く、先輩の元へたどり着け……!
「戌亥先輩ッ!!」
「ごめん、後輩くん……後、お願い……!」
戌亥までの距離が二〇メートルを切った時点で、立っているのがやっとな戌亥がズタボロに裂けたその左手を大きく振り抜いた。
彼女の血で所々が朱色に染まった紅白斑の旗が宙を舞い、回転しながら勇麻目掛けて一直線に飛翔する。
「……ハッ! まずっ、ボケとった!」
呆けていたホロロが我に返ったように自身の真横を通過していく旗に反応し、流石の反力で旗に飛びついた。
ホロロの手が伸びる。
勇麻も必死で手を伸ばす。
距離的にはホロロの方が圧倒的に近い。だが、旗は勇麻目掛けて飛んでいる。一度ホロロが捉え損なえば、そこで勇麻の勝ちだ。
――届け。
――届くな。
――届け……!
――届くな……!
少女と少年の思念が交錯し、そして。
「やった! ホロロの勝ち――!?」
ホロロの白く細い指の先が、白と赤の斑の旗の柄を上に弾くように僅かに触れ――旗の軌道がかすかにズレた。
驚愕、動揺、それでも必死に反応し、軌道の変わった旗へと手を伸ばす。
だが。
「――ッ!?」
無情にも旗は勇麻を避けるように弧を描いてその頭上を通り過ぎていく。そして斜面へぶつかるその寸前。血に塗れたその旗を異形の巨腕が掬い上げた。
「悪いけど、この旗と優勝は姐さんの物ッス、引っ込んでな負け犬野郎……!」
マジックハンドのように伸縮するリコリスの遠き掴む毒手に運ばれ距離を稼いだリヒリー=リーが、自身の身長ほどある異形の右腕のリーチを生かして落下する旗を奪取したのだ。
このままリコリスが不可視の腕を巻き取ってしまえば、勇麻が追い付く事は難しくなるだろう。
勝利を確信したリヒリーの顔が嘲笑に歪んでいる。
この状況で、そしてこの言葉。
「……はいそうですかって、引き下がれる訳ねえだろうが……ッッ!」
勇麻の頭に血が昇らない訳がなかった。
怒りの感情を爆発させる勇麻に、勇気の拳が呼応する。
メジャーを巻き取るように、凄まじい速度で遠ざかっていくリヒリーに勇麻は渾身の跳躍で飛びついていた。
「――なっ!? ちょ、アンタ、どこ触って……つか、キ、キモイ! 離れろッス!! この変態野郎!」
「その旗は戌亥先輩が死ぬ気で掴んだモノだ。お前らなんかに渡す訳にはいかねえんだよォぉおお!!」
リヒリーの異形の右腕に足を絡めるようにしてしがみ付き、旗を掴む掌を強引に腕力でこじ開けようとする勇麻。
無防備な顔面に連続して拳が突き刺さる。何度も何度も、顔の形が変形しそうな程に至近からいいパンチを貰い続ける。鼻血が噴き出し、歯が欠ける。脳が揺さぶられ、それでも勇麻は決してリヒリーから離れようとしない。
それ以上の力を両手に籠め、リヒリーの手から戌亥が勝ち取った旗を取り返そうとする。
「キモイって……言ってんだろうがァーッ!!」
根負けしたリヒリーが、絶叫と共に旗から手を離し、勇麻の身体を全力で蹴り飛ばした。
まるでサッカーボールのように斜面を転がる勇麻。一〇メートル程斜面を転がり、リコリスが作った穴で動きを止めた少年は、泥まみれになりながらもその右手に掴んだ旗だけは手放さなかった。
よろよろと立ちあがった少年の視線の先、ゴールへの道を塞ぐように長身の女が立っている。
「よお、ズタボロじゃないか。似合っているよ東条勇麻」
「……リコリス」
その女は白濁した長髪を揺らし、腰から尻尾のように伸ばした遠き掴む毒手をスパイクのように地面に打ち込んで身体を支えていた。
その肩に自分と瓜二つの少女を乗せ、私怨にその瞳を禍々しく輝かせる褐色の大女は、都合四度、東条勇麻の前に立ち塞がることとなる。
「……ちょうどいいや。アンタには言っておきたい事があったんだ……」
身体の軸がどこかにズレてしまったかのように、立ち上がった勇麻の身体が頼りなくふらふらと揺れる。
けど、それでも。
揺るぎない意志と、この拳があれば。
東条勇麻は戦える。
何度だって立ち上がる事が出来る。
「へぇ、またアタシに説教かい。懲りずに馬鹿の一つ覚えみたいに、耳の痛くなるような正論で人を痛めつけるんだろ? このどうしようもないアタシに今更何かを言ったところで、どうにかできると本気で思ってんのか? ……なあ、答えてみせろよ東条勇麻!!」
自嘲するような笑みと共にリコリスが吠え、不可視の腕が勇麻目掛けて大上段より振るわれる。
少年を一刀両断すべく振るわれる極大の手刀。
それを勇麻は、拳の一振りで跳ね返す。
だがリコリスとてそれは想定内。自身の攻撃が勇麻の拳で破壊されるのは既知の光景だ。
大ぶりでド派手な攻撃はフェイク。
リコリス本体は勇麻との距離を詰めるべく、壁面を蹴り疾走を開始していた。
「無理なんだよそんな事は。アンタに出会って変わった人間もいるのかも知れねえ。けどアタシは無理だった! どこまで行ってもアタシはくだらないアタシのまま、救いなんてどこにもないのさ……ッ!」
勇麻の懐に飛び込んだリコリスが、後ろに引き絞った右の拳を振り抜く。
顎を撃ち抜かんとする軌道の一撃、しかし勇麻は既に拳を引き戻し、迎撃の体勢を整えていた。
狙うはカウンターの一撃。リコリスの右ストレートを首を振って躱し、握り固めた右拳をその顔面へと深々と突き立てんと拳を勢いよく振り抜いた。
が、
拳に返ってきた手応えは想定外の空。
勇麻の拳とリコリスの拳は共に空を切り、どちらも仇敵を捉える事はなかった。
理由は単純、尻尾のように伸びるリコリスの遠き掴む毒手が、攻撃の瞬間に急制動を掛けるように壁面にその爪を突き立てリコリスの身体を後ろへと引き戻していたからだ。
「――フェイント!?」
驚愕に目を見開く勇麻は、ふと己の頭上に影が差しているのを見る。
拳を振り抜いた姿勢で固まる勇麻は、空中に取り残されたように置き去りになっているリヒリーの存在にそこでようやく気付いた。
「変態は死ぬッス……!!」
異常に発達した少女の右腕が、何の遠慮も躊躇も無しに東条勇麻の脳天目掛けて鉄槌のごとく振り下ろされた。
鈍い音が衝撃を伴って身体を走り抜けた。
隕石の衝突かと見紛うような豪快な一撃に、勇麻の顔面が壁面に深々とめり込む。
一撃離脱。リコリスはリヒリーを不可視の腕ですぐさま回収すると、地面に沈み込み動かない勇麻を睥睨するように見下ろした。
「……なんだ、もう終わりかよ正義の味方。言いたい事があるとか大口叩いてた割には情けない結末だね」
リコリスは拍子抜けしたように言って、それから勇麻を嘲弄するような笑みを浮かべると、気絶してなお旗を手放そうとしない勇麻の右手にその手を伸ばす。
「……まあいい、アタシはアンタの鬱陶しい正義感とか大切なモノを滅茶苦茶に出来りゃ何だっていいんだ。アタシみたいなゴミクズに負ける無様なアンタが見れれば少しは溜飲も下がるってもんだろ? そんな訳だ、悪いけどこの旗はまた貰っていくよ」
そうして旗を掴もうと手を伸ばしたその瞬間だった。
「あ?」
リコリスの手首を、掴むものがあった。
それは気絶したはずの東条勇麻の左手であった。
「――俺相手に気を抜くのが少し早かったんじゃないか? リコリス」
「……このっ、狸ヤロウがぁッ!?」
「言っただろ、アンタには言いたい事があるって……ッ!」
狸寝入りを決め込んでいた勇麻はリコリスの腕をグイと力強く引き地面に押し込み、その反動を利用して飛び上がるように起き上がる。リコリスは強かに壁面に叩き付けられ、肺から空気を強引に吐き出さされた。
「姉御……!?」
ダルマ落としのように宙に取り残されたリヒリー目掛け、勇麻は左のハイキックを叩きこむ。反射的に異形の右腕を盾のように掲げ勇麻の蹴撃をガードした途端。赤黒いオーラが明滅し、リヒリーが弾かれたように遥か上空まで吹き飛び、すり鉢状に上へ向けて広がる斜面に轟音と共に突き刺さった。
「テメェ……! よくもォッ!」
怒り狂ったリコリスが勇麻目掛けて飛びかかる。しかし勇麻は冷静だった。
血塗れのままにリコリスの攻撃を回避し続けながら口を開く。
「なあ、リコリス。アンタ、俺に助けてくれって言ったよな? いいぜ、だったら俺がアンタを助けてやるよ。八つ当たりも逆ギレも逆恨みだって何でもいい、それでアンタが救われるって言うのなら、いくらでも俺にぶつければいいさ。一つ残らず全部俺が受け止めてやる」
「はあ!? いきなり何を言って……頭湧いてんじゃねえのかテメェッ!」
遠き掴む毒手を斜面に突き立て軸として、円を描くようにリコリスは自身の身体を振り回す。
まるでモーニングスター。横合いから首を刈り取るようなリコリスの一撃を、勇麻は身をかがめてやり過ごした。
「でもそれじゃアンタは救われない。その胸を苛む苦痛は、一生薄れる事はないぞ、リコリス!」
知ったような勇麻のその言葉に、リコリスの中で何かが切れた。
「うるせえよ……」
怒りに肩を震わせる彼女は、いつもより一回りも二回りも小さく見える。
まるで見知らぬ土地で迷子に震える子供のようで、激情を吠える彼女はまるで涙を流す鬼のように思えて。
「……うるせえんだよッ! 空っぽなアタシには、もうこれしかねえんだ。見当違いな復讐に逃げ続けてたアタシには、もうそれ以外の生き方が分からねえ。誰かに全部なすりつけて、憂さ晴らしするみてえにソイツをぶん殴って生きてきたんだからな……! そんなアタシの苦しみが温室育ちのアンタなんかに分かるか!? ぬくぬくと正義の味方ごっこなんかに興じる余裕があったアンタなんかに、分かる訳ねえだろッッ!」
「分かるんだよ!! 俺も、アンタも、根底に抱えてるモノは一緒なんだ! 過去に犯した罪の罪悪感と免罪符を求める自分。それがアンタを苦しめるモノの正体だろう!? アンタが悲劇を許せなかったのはなんでだよ。アンタが復讐を重ねたのはどうしてだ。そうしなきゃならない過去があったんだろ!? それを繰り返せば自分は許されるって信じてたんだろ!? ……勇気の拳を通してアンタの感情が流れ込んでくるんだ。自分の行いをどうしようもなく悔やみ怒り絶望し憎悪して、それでも必死に許しを乞うアンタは、俺とどこまでも一緒だったんだよ!」
叫びに叫びを返す。
否定の言葉を否定する。
転じてリコリスという存在の肯定でもある勇麻の言葉にリコリスは狼狽え、思わずたたらを踏んだ。その心の隙を勇麻は見逃さない。ふらふらの身体に鞭を打って、勇気の拳のギアを一段階強引に引き上げ、地面を爆発させる勢いで蹴り付けた。
そして、拳を、握る。
「でも、それじゃアンタは救われない。過去からいつまでも目を背けて、場当たり的に形だけの免罪符を求めたって、その気持ちは軽くなったりはしない。いいや、しちゃいけない。それは、俺達が抱いて前に進むべき痛みだからだ。近道も裏技も存在しない。俺達は前に進む為に、自分の罪と真正面から向き合って一緒に生きて行く他にないんだよ!!」
痛みを、過去を、犯した罪を否定して前に進む事なんてきっとできない。
だって過去とは今の自分を構成する大切な部品だ。自分自身だ。過去の否定は自分を否定する事であり、自分を否定したまま前に進める程、人という生き物は強くない。
「認めろよリコリス、アンタは空っぽなんかじゃない」
「やめろ……」
「何もなくなんてない」
「うるさい……っ」
「アンタの過去に何があったかまでは知らないけど、それでも確かに大切に思える何かがあったハズなんだ。アンタはソレを自分の手で壊してしまったのかも知れないけど、それを今でも激しく悔んじまうくらいには大切だったんだろ?」
「……もう、黙れよォオオオオオオオオオオオオ!!!」
白髪の悪鬼が、髪を振り乱し吠え猛る。
彼女から飛び出した無数の不可視の腕が、迫る東条勇麻を粉砕するべく頭上から流星のように降り注ぐ。勇麻はその全てを拳一つで打ち砕き、あるいは颯爽としたステップで潜り抜け、リコリスとの距離を縮めていく。
「だったらその大切なモノの為にも前を向けよ。いつまでも見当違いの復讐に逃げるな。許されたいなんて思うなら甘えるんじゃねえよ。過去に囚われて死んだように生きるんじゃなくて、死ぬ気で今を戦えよッ! それこそがアンタに出来る本当の贖罪なんじゃねえのか!?」
何度でも言ってやる。
それは、自分自身にも深く突き刺さる言葉でもあったけれど。
「――自分の罪を恐れるなッ! 一センチでも一ミリでも構わない。勇気を出して前に進め、リコリス……ッッ!!」
だからこそ勇麻は、彼女の思いが痛い程に分かるのだから。
右の拳が炸裂する。
けれどもリコリスを打ち砕いたその拳に、赤黒いオーラは灯らなかった。
リコリスとて本当は分かっていたのだろう。けれどディアベラスの言う通り、今まで逃げ続けてきた彼女はその向き合い方を知らなかっただけだったのだ。
今度の今度こそ。勇麻は自分の拳が彼女にしっかりと届いたような、そんな気がした。
☆ ☆ ☆ ☆
「他の誰でもない、私は私達自身の為に、アナタに勝ちます。そうでなければ、意味がない。何も証明できないんですよ、私は……」
風が吹き荒れ収束し、光の屈折がその槍を確かに空間へと映し出す。ずっしりとした確かな存在感を持つその槍は、しかし幻影の魔槍である。
『幻想魔槍』。
四大元素の力を重ねあわせる事により、あり得べからざる空想上の槍をこの現実世界に投影する始祖四元素四人の力を結集した最終奥義。
世界さえも騙し欺く幻槍。
その極大の干渉力が、周囲の空間をビリビリと震わせる。
ロジャー=ロイは目の前の少女が持つ槍の圧力をその肌で感じながらも、虚勢を張るようにあえておどけて肩を竦めて見せた。
「証明? 俺に勝つことで御嬢さんが本物の天風楓だって事を証明するとでも?」
「いいえ、全然違います」
シャルトルはロジャー=ロイの言葉をきっぱりと否定。
その瞳に灯る闘志は、戦闘が始まって以来ついぞ萎える事はなく、それどころか次第に熱量を増して少女のボロボロの身体を突き動かしていた。
「女の子の意地ってもんをですよ……ッ!」
少女が吠える。そして、大きく引き絞った槍を持つ右手を――
――全力で振り抜いた。
轟音を纏い、幻想の槍は解き放たれ、吹き荒れる衝撃派が世界を揺らした。
――『幻想魔槍』はこの地球上のどこにも存在しない、空想の槍だ。
対峙した敵が、術者の振る舞い、光りの屈折や風の流れ、そして質感からあたかもそこに槍があるように錯覚し、その錯覚そのものを概念として固定化し世界に留めて撃ち出す。
まさに人の幻想が生み出す魔想幻槍。
その槍は対峙する敵が感じたままの威力で敵を穿つ。
避けられないと思えば槍は必中。
その切っ先に死を感じれば槍は必殺。
爆発すると予感すれば槍は爆炎を撒き散らし、その鋭さに息を呑めば槍は全てを貫き切断する。
まさに変幻自在。
幻想のまま幻想の中の力を振るう魔槍は、シャルトルの手から解き放たれた途端、音速を遥かに超えるスピードでロジャー=ロイ目掛けて飛翔しそして――
「――」
回避や防御はおろか目視さえ儘ならない一撃が、ロジャー=ロイの鋼の肉体を障子紙でも破くようにあっさりと突き穿っていた。
ロジャーの身体を突きぬけた槍はそのまま勢いを殺す事無く壁面を貫通。天空浮遊都市オリンピアシスの土台である浮遊島の大地をやすやすと貫き、反対側からエーゲ海へと落下。轟音と共に莫大な水柱を巻き上げた。
「……はぁっ、はぁはぁ。はぁ……」
その光景にへなへなと全身から力が抜け、シャルトルはその場に尻もちをついていた。
そのまま数秒、唖然と口を開け放心したように固まるシャルトル。
「……やった、勝った……勝ちましたっ!」
実感なんて何もないままに、自分でもよく分からない達成感と高揚感が遅れて一気につま先から脳天まで吹き抜けていく。その未知の感覚に脳髄が痺れる。
東条勇麻の役に立てた。自分の果たすべき仕事を、今度こそやり遂げる事が出来た。
そしてなにより……証明したのだ、自分達の価値を。
かつて圧倒的な力の差で天風楓に敗北したシャルトル達四姉妹は、ずっとこの日を待っていたのだと思う。
あの敗戦で失ったのは自信か、誇りか、矜持か。それが何かはよく分からないけれど、あの日以来ずっと抱えていた天風楓に対するコンプレックスや引け目、劣等感のような言葉に出来ない心のモヤモヤを、今ようやく吹き飛ばす事が出来た、そんな気がしたのだ。
「天風楓じゃない……私達が、あの、ロジャー=ロイをぶっ倒したんですよ……!」
おそらく、『幻想魔槍』を前にしたロジャー=ロイがイメージしたのは神速の槍。
回避も防御も不可能、圧倒的な速度で敵対者を打ち砕く神の一刺し。
相手の想像にその威力を依存する部分が最大の長所であり欠点でもある『幻想魔槍』だが、今回はまさに“神引き”だったと言っていい。
神速を得た槍の貫通力と破壊力はシャルトルの想像を有に越えていた。
あれだけの速度と破壊力、そして貫通力のある一撃だ。
いくらロジャー=ロイと言えども、あの一撃をまともに受けて無事なハズがない。
土台の破壊によって巻き上がった土煙がシャルトルの視界を覆い隠してはいるが、煙が晴れればそこには無惨に引き千切られバラバラになった中年男性の死体が――
(――あれ?)
と、そこまで思考を進めてシャルトルは今更のように非常にマズイ事に気付く。
今回の相手はロジャー=ロイ。絶対無比な強敵でありシャルトルの正体に勘付きつつはあったが、彼自体は決して悪人という訳ではない、ましては今は殺しはご法度の三大都市対抗戦の真っ最中。
(……や、ヤバいです。勢い余ってあのオジサン、殺してしまいました……ッ!!)
任務で救いのない悪人を始末するのとは訳が違う。
罪もない命を、女の子の意地でうっかり奪ってしまった……!!
だんだんと現実を認識してその顔を青くするシャルトル。
ひとまず状況を確認する為、大慌てで土煙を取り除こうと再び神の力を発動させようとして、
そこでさらにシャルトルの顔を青ざめさせる現象が起こった。
「――いってて……近頃の子は加減ってモノを知らないな、こりゃ。オジサンを殺す気かっつうの」
「ッ!?」
土煙を割って現れたのは、『幻想魔槍』によってその肉体を木端微塵に粉砕されたハズのロジャー=ロイその人だった。
幻でも立体映像でもない。
ロジャー=ロイはシャルトルの想像とは裏腹に五体満足でそこに立っている。
「何だい御嬢さん。人を幽霊でも見るような目で見て。それともダンディなオジサンの魅力に惚れちまったかい?」
「なんっ……で、私の一撃は……確かに、アナタを貫いて……」
シャルトルは目の前の男を殺さずに済んだ安堵よりも、あの一撃を受けてなお健在なロジャー=ロイへの疑問と恐怖にその唇を震わせていた。
ロジャー=ロイの右肩の付け根。
そこには確かに槍の貫通した風穴が残り、こうしている今も血が噴き出している。重傷といえば重傷と呼べる傷ではある。
だが先の一撃の破壊の規模にはまるで合っていない。
至近距離から大砲の砲撃を打ちこんだハズなのに、額からの出血を見せつけながら今のは痛かったなどと称賛を宣うような、圧倒的理不尽がそこにはあった。
「いやー、それにしても今のはもんの凄い効いたわ。まさかこうも簡単に貫かれるなんてな。こりゃ認識が甘かったと認めるしかない。無礼をお詫びしよう、名も知らぬレディ。たまには貧乳も……っと、そうじゃなかった。……貴女の意地、確かに見させて頂いたよ」
不条理とも言える結果を前に愕然とするシャルトルへさらなる絶望を突きつけるように、ロジャー=ロイは渋さと色気の同居した年月を刻んだその顔に胡散臭い笑みを浮かべて宣言する。
「だが、悲しいかな俺の評価は覆らなんだ。アンタは天風楓じゃあない、確認すべき事は確認できた。――ほんじゃ後は、ウチのワガママ姫さんの為に勝利を持ち帰らせて貰うとしようかいね」
『震え恐怖に』。
この男の持つ神の力の名前。その神の力にどんな力が秘められているのか、それはまだ分からないけれど。
その名に込められた意味だけは、少しだけ理解できた気がした。
ゆらりと立ち上がった最強が、最強の鍍金の剥がれかかった少女へと容赦なく襲いかかる。




