第二十三話 対抗戦三日目Ⅳ――少年少女、目を逸らさずに前を向け:count 5
脇腹がじくじくと痛む。
限界を超えた筋肉の酷使に足が引き千切れそうだと悲鳴をあげる、脇腹と肺が刺すように痛み、身体に静止を要求している。
こんな馬鹿げた事はやめろと、脳から送られてくる再三の警告を無視して東条勇麻はアクセルを踏み続け、ひたすらトップスピードを更新し続けていた。
「くそ! まてよ……!」
「あはは! ホロロ知ってるー! そういう時はこうやって言うんだって。――待てって言われて待つお馬鹿さんはいないんだぜー!」
たった一本の旗を巡る熾烈な争い。
先頭を行くのは未知の楽園のホロロ。その少し後から天界の箱庭の東条勇麻と少し遅れて戌亥紗が追いかける。
旗のある頂点部分までは残り三〇〇メートルを切っている。先頭をいくホロロは、斜面から落下しないよう大きく弧を描くようにして走っている分、直線距離で旗を目指す勇麻達より不利なハズなのだが……そんなハンデを物ともせずに、無邪気な笑みすら浮かべて相変わらず勇麻の前を走り続けている。
まるで追いかけっこでも楽しむ子供のように。
「あのホロロって子っ、昨日も! 凄かったけど、一体……どんな神の力をっ、使って、るんだろうね……!」
勇気の拳の身体強化による加速に、自由落下でどうにか喰らい付いている戌亥が息も絶え絶えに後ろで叫ぶ。
十徳の念動力による重力補助は、慣れればこちらである程度制御できるのが強みだ。今の戌亥は、五秒ごとの着地のタイミング以外では常に力場をオフにし重力加速の恩恵を最大限に受けている状態だった。
「……身体強化系っぽいけどッ、確かにそれだけじゃ、説明がつかない、か……!?」
言われてみれば気になるところではあった。
初日の『マラソンリレー』ではトップでバトンを貰い受けるとそのまま首位を独走。スピード系の神の能力者かと思いきや、二日目の『三種競技』では『銃雨回避』は勿論、『射撃競争』でも全機撃墜を果たしたイヴァンナ=ロブィシェヴァの直後に彼女のお株を奪うような超精密狙撃を連続して行ってみせたという。
七七七機撃墜という記録も、わざと狙ってそこで辞めた気がしてならない。
また、その時に使用した銃は愛銃でも何でもなく、その場でイヴァンナから借りたモノだというのだから驚きだ。
「……ッ! 後輩くんッ、二秒後に右へ回避!!」
「……!?」
戌亥の叫びに合わせてタイミングよく右へ跳ぶ。
先まで勇麻が走っていたコース上へ、不可視の巨腕が振り下ろされたのはその瞬間だった。
トップスピードで走っていたため、急な跳躍に体勢を崩し危うく横転しかける勇麻。
それでも足腰を効かせて粘りを見せ、どうにか体勢を維持する。その状態で走りながら後ろを振り返り、視界に捉えたその人物に歯噛みした。
「リコリス……!」
白濁した髪を持つ褐色の女、リコリスが嗜虐的な笑みと共に地面を鷲掴みにした『遠き掴む毒手』を巻き取り、ワイヤーアクションのような大跳躍を見せていた。
「うわ!? なんかちっこいのがオマケでついてるよ!」
戌亥の言葉の通り、リコリスの背中にはちびっこいリコリス(?)がひっついていた。
リコリスと同じ褐色の肌に、白濁した白い髪。全体的にリコリスと比べてちみっこくて凄みが足りないが、特徴的なのは自身の体長ほどある異形に発達した右腕だろう。
「リコリスの姉御をいじめたトウジョウユウマとかいう男、自分、絶対許さないッス……!」
『発達超腕』の力をその身に宿すリヒリー=リーは、どういう訳か東条勇麻をじっとねめつけて私怨を燃やしているようだった。
後方には『遠き掴み毒手』をアンカーのように地面に突き刺し巻き取る事で、ワイヤーアクションのように凄まじい速さで距離を詰めてくるリコリスとリヒリー。
前方には四足歩行の野生の獣のような走りで旗へ迫るホロロ。
完全に二勢力に挟まれた状態となった勇麻は、背後へと気を配りながらそれでもホロロに必死で追いすがる。
「……アンタに好きにやらせると思うのかい? このアタシがいてさぁ……!」
「後輩くん……!」
「分かってる!」
まるで鞭のように『遠き掴む毒手』をしならせ、リコリスは勇麻達を壁面から一掃しようとしてくる。
横に薙ぎ払う大ぶりな一撃を跳んで躱し、大上段から振るわれる三連撃を左右に細かいステップを踏み潜り抜ける。直接背中を掴もうと直進する腕を、背中に触れる寸前にバク宙で躱す。まるでリコリスを挑発するかのように、勇麻は不可視の巨腕に着地すると曲芸師のようにそのうえを走ってみせた。巨腕が鬱陶しげにその身を捩って暴れ始めると勇麻は慌てて壁面へ飛び降りホロロの追跡を再開する。
終わりのないいたちごっこのような展開に、両者焦りと苛立ちが加速する。
執拗に勇麻を狙い続ける魔手の攻撃に、斜面に巨大な穴がいくつも生じていく。
戌亥の嗅覚による危機察知がなければ、全てを躱すことは難しかっただろう。
彼女の的確な指示のおかげで、ホロロを追いながら全ての攻撃を回避する事ができていた。
しかし。
いくらリコリスの『遠き掴む毒手』本体を躱す事が出来ても、彼女の攻撃によって破壊され飛び散る壁面の瓦礫を全て躱すというのは土台不可能な話だった。
ギリギリのタイミングで回避しなければリコリスは攻撃の軌道を修正してしまう。
故に勇麻達は、散弾のように小岩や瓦礫が飛び散る空間を享受する他なかった。
人の握りこぶし程ある石礫が雨のように降り注ぐ中、勇麻はできるだけ戌亥を庇い、岩の散弾を己の身一つで受け続けた。
十回に満たない回避を繰り返しただけで、勇麻の制服は血塗れのボロ雑巾のようになっていた。
「……ねえ後輩くん。助けて貰っておいてこんな事言うのもなんだけどさ、このままじゃあジリ貧だと思うんだよね、紗さんは」
「それは……分かってるけどッ、でも、だからってどうすれば……」
「ノンノン。思考放棄はいけないなー後輩くん。ところで紗先輩には秘策があるのだが、一丁ノッテみない?」
勇麻の背後でちょいちょいと手招きする戌亥。
正直戌亥先輩の秘策とか不安でしかないが、彼女の言う通りこのままではジリ貧なのもまた事実。
勇麻は走る速度を一旦落として戌亥に並びその秘策とやらの内容に耳を傾ける。
「……マジですか?」
数秒後にやや引き攣った顔でそう尋ねた勇麻に。
「大マジです」
自信満々の笑みで戌亥紗は答えたのだった。
☆ ☆ ☆ ☆
少女の意地が、揺るがない強固な男の意志が、真っ正面から衝突する。
『――天界の箱庭Eチーム「リーダー」天風楓!! ヴァーサス!! 新人類の砦Aチーム「リーダー」ロジャー=ロイ!! 事実上の最強決定戦と言っても過言ではないこの超好カード!! シオンちゃんの予想とは裏腹に天風楓は終始防戦一方だーッ! 自慢の『風の衣』を剥され、どんどんダメージを蓄積していってる模様!! このまま最強ヒロインは素敵オジサマを前に敗北してしまうのかーッ!!?』
不可視の腕が大地を削り、紙一重で回避し続ける少年の汗が踊る。
観客たちは手に汗握る攻防に一喜一憂し、思い思いの選手へと声援を送り、反対に目の敵にしている選手へ向けて野次を飛ばす。
『――未知の楽園Aチーム「リーダー」のリコリス、一日目に続いて東条勇麻に対して凄まじい猛攻だァッ! シオンちゃんからは上手く視認できないが、リコリスの「遠き掴む毒手」が次々と壁面に大穴を穿っていくぞぉ! 何やら凄い剣幕だが、二人にはシオンちゃんには知りえない深い因縁でもあるというのかーッ!?』
ビックスクリーンに映し出される映像を見ながら、天風楓は祈るように手を組み、少年たちの無事を願っていた。
「……シャルトルさん、勇麻くん……」
どうか怪我だけはしないで欲しい。
ボロボロになりながら血反吐を吐いて強敵に立ち向かうシャルトル。
石の散弾を身体に受けながらも必死に勝利へ喰らい付く勇麻の真剣そのものな表情。
それらを見ていると、楓の心臓が不気味に高鳴る。
衝動じみた鼓動をどうにか抑えつけ、楓は願う。今の楓には願うことしかできないから。
皆には勿論勝ってほしい。楓も仲間達を心の底から応援している。けれど、無理だけはしてほしくなかった。
勇麻たちは否定するだろうから極力言わないように、思わないようにしてきたが、自分のせいで彼らを厄介ごとに巻き込んでしまったのは言い逃れしようのない事実。
勇麻たちが対抗戦に出場する事になったのだって、楓の存在を隠蔽する為。シャルトルが買って出てくれた囮役によりリアリティを持たせる為だ。
他の選手達には悪いが、勇麻達は別段勝利にこだわる必要はない。
それなのに、どうしてなのだろう。
シャルトルは格上の強敵に対してどれだけボロボロになろうと諦めようとしない。
もう立っているのもやっとなハズなのに、それでも何度倒れても少女は立ち上がるのをやめようとしなかった。
シャルトルは楓の戦闘スタイルを真似してその身に風を纏ってはいるものの、明らかにロジャー=ロイの攻撃を受け流しきる事が出来ていない。
何発も拳の直撃を受け、血反吐を吐いて、彼女がそこまでして楓を演じる理由なんてないハズなのに。
もう諦めてしまっても誰も彼女を責めないのに。
そしてそんなシャルトルの奮戦に応えるかのように、東条勇麻も死力を尽くしている。苦しげに脇腹を抑えながらも、勇麻は決して走る足を緩めようとはしない。
どうして皆、そんなになってまで戦うのだろうか。
心臓が気持ち悪いくらいに跳ね回る。二人が更なる傷を負う度に、楓の胸に鋭い痛みが走る。
自分のせいで誰かが傷つく事への恐怖が楓を襲う。スクリーンの向こう側で繰り広げられる死闘に、シャルトルと勇麻の血の滲むような姿に、心が叫ぶのだ。
そんなに頑張らなくたっていいのに。諦めてしまったって、誰も責めないのに。ただ自分は、彼らに傷つかないでいて欲しいだけなのに……。
「……そんなにボロボロになってまで、戦う意味なんて――」
「楓」
不意に隣のアリシアが、楓の手を包み込むように握った。
「目を離してはきっとダメなのだ」
「アリシア……ちゃん……?」
純白の少女は、スクリーンを注視したまま真剣な声色で言う。
「勇麻もシャルトルも本気で戦っている。楓、それをお主が、私たちが逃げては、きっとダメなのだ」
「……」
全てを見透かしたような言葉が、楓の胸を射抜いていた。
……そうだ、本当は分かっている。結局これは天風楓が逃げているだけなのだろう。
傷付くのを恐れているのはシャルトルでも東条勇麻でもない。
いつだって弱虫な天風楓なのだから。
だけど。
「……どうして、なんだろうね。アリシアちゃん」
アリシアの言葉は最もだったけれど。それでも、楓は思わずにはいられなかった。
「……どうしてみんな逃げてくれないんだろう。わたしなんかが神の力を使えなくなったばっかりに、皆があんなにボロボロになるなんて、やっぱりそんなの間違ってるよ。だって、勇麻くんたちが傷付くことで今もわたしは笑ってるんだよ? みんなをそんな酷い目に合わせてまで、わたしは……」
一日目の終わりに勇麻と見上げた星空を思い出す。
『俺達、勝つから。次は、もう負けない。だからなんていうか、その――楓、お前も負けんじゃねえぞ』
自責の念にかられているだろう楓を励まそうとした、勇麻なりの不器用なエール。
あの言葉の通り、今も勇麻は楓に誓ったように勝利を掴もうと必死に戦っている。
でも、楓は――
何の力もない天風楓の為にそこまで身体を張る意味なんて、本当にあるのだろうか。
「……あ、あはは、何言ってるんだろうね。わたしなんかの為に皆が戦ってるとも限らないのに、こんな風に思う事もおこがましいよね……」
自分でもよくない思考に陥っているのは分かっている。それでも、今の楓にはそんな風に俯くしか出来る事がない。
無力で弱くて泣き虫な天風楓には、戦う事なんて出来そうになかった。
負けるんじゃねえぞと、そう言って貰えたのに。
――天風楓は戦うことさえ出来ていない。
きちんと戦って、負けることさえも出来ない。
歓声に掻き消されたのか、隣の少女からの返事はなかった。
アリシアは依然としてスクリーンを注視している。その姿に楓は、応援を放り出して自分勝手に不安や思いを語っていたことが途端に恥ずかしく思えてきた。
だから、アリシアが唐突にあげたその声は、楓の意識を不意討ちで襲った。
「――楓は勇麻が好きか?」
「……うん。わたしは勇麻くんが好きだよ――」
何の脈絡もなく発せられた、あまりに気負いのない問い掛けに思わず素で答え掛けてから、楓は自分が何を口走ろうとしたのかを数秒遅れで理解し、そして。
真っ赤になって爆発した。
「――って、わああああああっ!!? ちちち違うの! あの、わわわっ、わたっ、わたしはね!? そのあの幼馴染的な意味で!? 人として好きというか、これは家族みたいな好きというかなんというか……ていうかアリシアちゃんはいきなり何を言って――」
頭に血が登ったように顔を真っ赤にして、わたわたと全力で首と手を横に振る楓。
そういう人形なのだと言われれば納得してしまいそうな程に必死に首を振り続ける楓に、しかしアリシアは相変わらずのマイペースさで首を横に傾げながら、
「勇麻も楓が好きなのだ」
「はぇ……っっ!?」
不意打ちの連続に顔を真っ赤にして呆ける楓を、透き通るような碧い二つの宝石が見据えている。
綺麗で汚れの無い、純白と碧。それはまるで、どこまでも空気の澄み渡る冬の青空のようだった。
呆ける楓にアリシアは言葉を続ける。
「お主の兄も、泉も弟くんも、高見だってそうだ。勿論私も楓が大好きだぞ? ……シャルトルや他の姉妹たちだって、お主を何だかんだで認め気にかけているように見えるのだ。楓はたくさんの人に愛されている。だから、楓は楓が愛する人達が信じる天風楓を。楓が信じる人達が愛する天風楓を。もっと信じてみてもいいのではないか? きっとこの戦いには、ボロボロになるだけの価値がある。勇麻達はそう思ったからこそ、歯を食いしばって頑張っているのだろうからな」
「わたしを愛する人達が信じる私……」
力を失い、戦えもしない天風楓の価値。
優しいだけで強くもない。
誰一人として救う事のできないこんな泣き虫を信じてくれる人々が確かにいるというのなら。
「わたしは……戦えないわたしが、出来ることは……」
ならば天風楓には何がある。
何が残っている?
戦えない彼女に今、出来る事とは何だろうか。
天風楓の価値とは一体……。
自身の内側、思考の波に埋没しようとしていた楓に、ついでアリシアは少しだけ不機嫌げな視線を向けた。
「……それとな楓。私は少しお主に怒っているのだぞ」
「えっ、わたしに……?」
アリシアを怒らせるような行いに全くもって身に覚えがなく、困惑する楓。
アリシアは楓のその無自覚すらも気に入らないのか、口先をすこし尖らせて、
「……自分のことを『わたしなんか』だなんて言わないで欲しいのだ。楓は楓を卑下しすぎなのだ。私は楓が大好きなのに、楓が私の好きな楓を馬鹿にすると、私は悲しくなる……どうしたらいいのか分からなくなる……」
「アリシアちゃん……」
少し拗ねたように俯くアリシアを、楓は思わず抱き締めていた。優しく小さな親友の頭を、楓は胸に抱いて優しく撫でる。
そうすることで自分の方が力を貰ってるということを理解しながら、もし自分からもこうして触れあう事で彼女に何かを与えることができているならいいなと思った。
「ごめんね。わたし、皆の気持ちも考えずに無神経だったよね……」
「……屋台のカレー、また食べたいのだ」
「……うん。分かった。明日一緒に行こうね、アリシアちゃん」
結局。弱いのは、傷付くことを恐れて逃げていたのは、他の誰でもない天風楓だったのだ。
自分を思う大切な人達から目を反らし、臆病風に吹かれてまた全てから逃げてしまう所だった。
力がなければ何もできない自分。優しいだけで強くない自分。戦えないことが苦しくて、自分が戦えない言い訳を探していた。
自分を貶めてしまった方が楽だから、その楽な道へと逃げようとしていた。けれどそれは、自分を信じ愛してくれている人達をも貶める行為だ。あってはならない唾棄すべき裏切りだ。
それこそ、天風楓が自分の弱さに敗北したと認めたと同義なのだ。
楓は顔をあげ、再び前を見据える。
スクリーンに映るのは苦しげに荒い息を吐く仲間たちの顔。楓にとって鋭い痛みを伴うその光景を、しっかりと瞳に焼きつけようとする。
楓は自分に自信が持てない。泣き虫で弱虫で、ドジでノロマでいつもおどおどしていて情けない、優しいだけで強くない天風楓はそんな天風楓が嫌いだった。
嫌いだったから、こんな自分を救ってくれた人達に恥じない強い自分になりたかった。彼らのようにカッコいい人間になりたかったのだ。
戦えもしない天風楓に出来ることなど、やはり何もないように思えてしまう。
でも。
そんな楓を好きだと言ってくれる人がいる。
戦えるか戦えないかは関係ない、天風楓という人間を見てくれる人達が確かにいてくれるのだ。
だから天風は、弱いままでも戦わなければならないのだろう。
自分を信じてくれる人がいる限り、自分の弱さから逃げずに戦わなければならない。
強くなくとも強くあろうと振舞う事はできるから。
戦えなくとも戦おうとすることはできるから。
だからせめて刻み付けよう。
天風楓を愛し信じてくれる人達がいるという事実から、目を逸らして逃げ出してしまわないように。
この胸に走る痛みを、いつか己の強さへと変える為に。
それが今の自分が出来る精一杯の戦いだと思ったから。
☆ ☆ ☆ ☆
戌亥紗の提案した秘策を決行する。
……という決定を下したことを、既に勇麻は後悔し始めていた。
「戌亥先輩、ホントにやるからな!? ホントにやっちまっていいんだよな!?」
「おうよ、ドンと来いよ後輩くん! 君の中の熱いパトスをこの紗さんに全てぶつけるんだ!!」
頭のうえ。ばんざいした両手に神輿のように戌亥紗を担いで、東条勇麻は涙目のまま絶叫していた。
戌亥紗プロデュース、人間ロケットカタパルト。
作戦は単純。身軽な女の子である戌亥紗を、勇気の拳の超パワーで旗目掛けて放り投げる。
秘策と呼ぶのもアホらしい超原始的な単純かつ明快な脳筋作戦だった。
「優勝杯を彼女さんにプレゼントするんだろッ! だったら君がその手でこの状況を打開するのだ後輩くんっ!!」
「ぶふぉッ!? このタイミングでなんかこの人とんでもねえ勘違いしてるし!」
少しでも狙いが狂えば、そのままオリンポス山へダイブ。ゴール地点付近で戦っているだろう戌亥紗のチームメイトである海音寺流唯を巻き込んでの失格になってしまう。
戌亥はカーリングみたいにホロロにぶつけるくらいの感覚で投げてくれれば後はどうにでもなる、とか言っていたが果たしてそこまでのコントロールが自分に出来るものなのか。
しかし、これ以外に打開策が思い浮かばなかったのも事実。先頭を行くホロロは旗まで既に一〇〇メートルを切っている。彼女の速度ならもう十秒も掛からないだろう。
そして優勝を狙うのなら、これ以上考えている余裕もなかった。
勇麻は戌亥の両の脇腹を挟むようにして身体を固定している両手にさらに力を籠めて、いっそ投げやりに――
「いっけぇえええええぇぇッッ!!」
サッカーのスローインのような投球フォームから、戌亥紗が凄まじい勢いで射出された。
ドン! と、空気の壁を引き裂き、壁面スレスレを砲弾のように飛ぶ戌亥。ホロロを容易に追い抜くであろう速度で進む戌亥は、しかしあまりにも速度と勢いが付きすぎた。
このままでは旗を通り過ぎ、オリンポス山上空へその身が投げ出される事になってしまう。
しまった、と勇麻が顔を青ざめさせる中。しかし戌亥は冷静かつ豪胆だった。
「――ォォォオオオオオオオオオオオおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」
次の瞬間彼女が取った行動は、勇麻や他の選手達。そして中継を見ていた観客達にとっても予想外のモノだった。
凄まじい速度で突き進む最中。誰よりも雄々しい雄叫びと共に、戌亥紗はその両手をスパイクのように地面に突き立てたのだ。
――ガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリギャリッッ!!
思わず目を逸らしたくなるような、痛々しく生々しい音が響き渡る。
少女のきれいな爪は剥がれて飛び、掌はズタボロに傷つき、摩擦に火花と血とが散華し削り取られた地面が瓦礫となって宙を舞う、ブレーキをかけた戌亥紗の身体はみるみると減速していく。
砲弾と化した少女は大地を削り取りながらそのまま唖然とするホロロを追い抜き、そして――
「――ぶいっ!」
血塗れの左手に白の旗を握りしめ、震える右手でオリンピアシスの頂点にして最下端ぶらさがる戌亥紗は、零れるような笑顔で勝利のVサインを決めていた。




