第二十一話 対抗戦三日目Ⅱ――様子見では済まない戦場:count 5
【三大都市対抗戦 三日目 第三種目『クライミング・フラッガー』】
参加人数
・各チーム二名まで。
勝利条件
・浮遊する『天空浮遊都市オリンピアシス』。その逆さ円錐の大地の先端に設置された一つの旗を奪取し、南側に用意されたゴール地点へと到達する。
基本ルール
一、神の力の使用推奨。
一、競技中の選手は、『天空浮遊都市オリンピアシス』の大地に何らかの形で接触している事。他者や物体を通してでも可。五秒以上連続して接触が無かった場合、その時点でパラシュートが開き失格となる。
一、他選手に対する殺害行為を禁じる。死亡者を出してしまった時点で失格。
一、スタート位置はそれぞれ北、東、西に設置し。ゴールは南側とする。
一、フラッグと共にゴールへ戻ってきた選手の所属する都市に得点を与える、都市対抗競技とする。
一、失格による脱落選手が出た場合、該当選手と同チームの選手もその時点で失格とする。
勝利時獲得点数
・勝利都市:六〇点
出場選手一覧
・天界の箱庭
Aチーム 『リーダー』海音寺流唯、戌亥紗
Bチーム 『リーダー』狩屋崎礼音、横森真理真
Cチーム 『リーダー』北御門時宗、十徳十代、
Dチーム 『リーダー』弓酒愛雛、沖姫卯月
Eチーム 『リーダー』天風楓、東条勇麻、
・未知の楽園
Aチーム 『リーダー』リコリス、リヒリー=リー、
Bチーム リリレット=パペッター、ナギリ=クラヤ、
Cチーム 『リーダー』貞波嫌忌、竹下悟
Dチーム 『リーダー』ドルマルド=レジスチーナム、アブリル=ソルス
Eチーム 『リーダー』ホロロ、シャラクティ=オリレイン
・新人類の砦
Aチーム 『リーダー』ロジャー=ロイ、エバン=クシノフ
Bチーム セナ=アーカルファル、クレボリック=シンボル
Cチーム 『リーダー』ドラグレーナ=バーサルカル、シーライル=マーキュラル
Dチーム 『リーダー』トレファ―=レギュオン、イヴァンナ=ロブィシェヴァ
Eチーム 『リーダー』ユーリャ=シャモフ、ゲオルギー=ジトニコフ
補足
・失格チームは失格直前の順位を問わず脱落となる為、例外なく付与される得点の対象外となる。
・競技終了後にルール違反が発覚した場合も失格となる。その場合、本競技で得た得点は没収とする。
☆ ☆ ☆ ☆
『クライミング・フラッガー』は対抗戦の中でもかなり人気のある競技だ。
ビーチフラッグ、というものがあるだろう。
真夏の砂浜に立てられた一本のフラッグを巡って全力ダッシュをして皆で旗を奪い合うという例のアレだ。
それを切り立つ崖というか、断崖絶壁でやってしまおうというアホな思いつき企画が競技化したもの、それが『クライミング・フラッガー』だ。
『天空浮遊都市オリンピアシス』は、山をひっくり返したような逆さ円錐型の浮遊する大地のうえに築き上げられている。その先端部分――つまりはひっくり返した山の頂点。そこに設置されたフラッグを、断崖絶壁をロッククライミングするかのように下りながら奪取し、ゴール地点まで持って帰ってくるというのが一連の流れだ。
『――「三大都市対抗戦」も既に三日目、現在一位はなんと未知の楽園! この二日間、大勢の予想を覆して高成績を叩きだしてきたダークホースが、今日も勝利を掻っ攫っていくのか!? それともォ、現在二位につけている大本命新人類の砦がここで巻き返しなるか!? 一方、前人未到の七連覇を狙う天界の箱庭は現在第三位と低迷中、ここで勝てなければ少し苦しいかー!? 現在得点は上から一六〇、一〇〇、七十五。未知の楽園を追いかける二都市にとっては、この『クライミング・フラッガー』の勝利得点は絶対に欲しいはず! さあ、大事な大事な中盤戦の大一番「クライミング・フラッガー」まもなくスタートだぜぇーッ!』
文字通りに崖っぷちのスタートライン上に立って、東条勇麻は顔を青くしていた。
『天空浮遊都市オリンピアシス』の外周北側。楕円形の街の淵……つまりは崖と大空が広がるエリアに、勇麻を含む天界の箱庭》代表選手達は立っている。
実況用や中継カメラの無人機があたりを飛び交い、取材班のヘリコプターなんかも付近を飛び交っている。おそらくあのヘリコプターの中には、シャルトルが全力を発揮する為に『始祖四元素』のセルリア達が乗り込んでいる機体もあるのだろう。
『AEGスタジアム』からはかなり離れているとはいえ、ごった返す大空のおかげで寂しさや静けさなんて物とは無縁の活気と騒音に満ちていた。
周囲に未知の楽園や新人類の砦の選手の姿は見えない。というのも、スタート位置が三都市でそれぞれバラけているからだ。
天界の箱庭は北側から。未知の楽園は東側、新人類の砦は西側。別々の位置から同時にスタートしフラッグの設置された頂点に近づくにつれて接敵、唯一のゴールである南を目指してフラッグを奪い合いながらこの一二〇度の前傾斜の斜面を駆け登る、つまり最終的には三都市入り乱れての大混戦が予想される。
この競技を考えたやつは頭がおかしいと、勇麻は真剣にそう思った。
だってだ。考えてもみてほしい。……まさか人生の中で垂直どころか一二〇度の傾斜の壁面をわざわざ下って行く事になるなんて、一体誰が想像できるだろうか。
山をひっくり返したような、と説明した通り、スタートラインから山の頂点までの距離はおよそ二〇〇〇メートル。普通に登山ができる感じである。
装備は防弾チョッキのような形状の着衣型パラシュートのみ。命綱などなにも無しで、なおかつ神の力による妨害が許可されているという狂った状況下で二キロという距離を下って旗を掴み取り、また上まで登って来なければならないのだ。
最終的にはたった一本のフラッグを巡り様々な神の力が容赦なく飛び交う、一日目の『障害物リレー』よりも酷い地獄になるのが容易に想像できた。
ぶっちゃけ、今すぐ泉あたりと交代したいところだ。
二日目の暴走の件で出場禁止をスネークから言い渡されていなければ、普通に押し付けたい。
「顔真っ青ですけど大丈夫ですかぁー、東条勇麻」
そんな勇麻の顔を下から覗き込むようにして隣のシャルトルが尋ねてくる。彼女の言葉通り顔色が悪い勇麻とは異なり、シャルトルは一切の緊張を感じさせない自然体のままだった。
やはり、シャルトルのように風を操る神の能力者は空を飛ぶ事にも慣れている分、この『クライミング・フラッガー』に対して命懸けという感覚がないのだろう。
勇麻は男の子の意地として精一杯の強がりを見せるべく、引き攣った笑みを張り付けたまま心配げなシャルトルの方を見る。
「は、ははは。何言ってんだよシャルトル。こ、これくらい大丈夫大丈夫全然どうってことないぜ?」
全然大丈夫じゃなさそうだった。
冷や汗ダラダラなそんな情けない少年の姿にシャルトルは一度嘆息して、それからにこぱっと可愛らしい笑みを広げる。
今の勇麻には何故かそれが悪魔の笑みに見えた。
「まあ、安心してください東条勇麻。もし私がコントロールミスって無様に落下しても、ちゃんと追い付いてキャッチしてあげますから。お姫様のように私に身を委ねてキャッチされちゃってください!」
「いや、何でそこでぐっと拳を握り込む? どうして俺を落下させる気満々なんだよ! 落とさないように努力してくれよ!!」
「まあまあ、細かい事はいいじゃないですかぁー。要するに、大船に乗ったと思って安心して落ちちゃってくださいってコトですよぉー」
「いや、だからまずあのお腹ぞわぞわする浮遊感がアレだし普通に落ちたくないんだけど! 」
やたらニヨニヨしてるシャルトルに叫んだりなんだりしている内にも、競技開始の時間は迫っていく。
持ち前のリーダーシップを発揮して、それぞれのチームの選手に声を掛けていたのだろう。Aチーム『リーダー』の海音寺流唯が勇麻達の元にもやってきた。
海音寺の力みの一切感じられないリラックスした声が、勇麻の意識を引く。
「やあ東条君。体調は平気?」
「……海音寺先輩か。俺ならご覧の通り何とも大丈夫」
「そうか、良かったよ。今回は君達の出来に掛かっていると言っても過言ではないからね」
「いや、こんな時にプレッシャー掛けないでくれよ……」
顔色最悪のまま勇麻がゲンナリしていると、唐突に肩に腕を回され元気な声が耳元で再生された。
「げんなりしている暇はないのだぜー、後輩くんに後輩ちゃん!」
「うわっ!? だ、誰だアンタ! ……って、たしか海音寺先輩のチームメイトの……」
シャルトルと勇麻の間から顔を覗かせるように、いきなり二人の肩に腕を回してきたやたら距離感の近い茶髪のショートヘアーの女性に、勇麻は見覚えがあった。
涼しげな肩だしTシャツに、下はスパッツ一枚という快活な印象を与えるなスポーティーな少女だった。クラスの男子に混じって泥だらけになるまで遊んでるボーイッシュ女子を、そのまま大きくしたような印象の人だ。
勇麻より年上のハズだが、格好とフレンドリーな雰囲気のせいかお姉さんという感じはあまりしない。
直近の記憶を掘り起し、彼女が控室などで海音寺と一緒に行動を共にしていたのを思い出す。
確か名前は……
「はいはい。戌亥紗さんだよー、今日はよろしくね~! 後輩くんに後輩ちゃん!」
「~~~ッ!!?」
にこぱっと眩しい笑顔を咲かせる戌亥は、やたら好意的に勇麻とシャルトルの肩を叩いてきた。かなり密着した体勢になっている為、背中に感触を感じる。あまり胸は無いように見えたが、ぺたりと密着しているせいか、やけに生々しい柔らかさが伝わる。というかひょっとしなくてもこれは“つけていない”生の感触なのでは……!?
しかし、ここで変に反応すれば隣のシャルトルあたりの地雷を踏むのは目に見えている。
心の内で、でっちあげ般若心経を唱えポーカーフェイスな勇麻なのだった。
そんな勇麻の苦悩も知ってか知らずか、海音寺は額に手を当てて苦笑を浮かべながら、
「……ご覧の通り、元気だけが取り柄のやかましいヤツだが、こう見えても優秀な僕の仲間だ。いざとなったら彼女を頼ってやってくれ。構われると喜ぶからね」
「あー、海音寺先輩なんですかその言い方! 人をかまってちゃんみたいに言って!」
「事実構ってちゃんだろ、紗は」
「べーだ。もう先輩なんて知らないんですからね。先輩なんていなくてもー、私には後輩くんと後輩ちゃんがいるんですから。ねー、後輩くん! 後輩ちゃん! これ終わったら先輩抜きで遊びに行っちゃうんですから!」
「は、はは……(平常心平常心平常心……)」
「ぬぬ……こう、遠慮なしに無邪気にガッツガツ来るこちらから距離感が測りにくいセルリア姉ちゃんに通ずるこの感じ……私の苦手なタイプかも知れません……」
戌亥紗はしばらくそうして勇麻とシャルトルとスキンシップによるコミュニケーションを楽しんだのち、
「あとは坊や先輩だけだね! あ、いたいた。おーい、坊や先輩ー! 今日はよろしくお願いしますねー?」
残る一人、十徳十代を見つけると。表情の一切変わらない少年の元に楽しそうに駆けて行ってしまった。
無表情のまま、まるでぬいぐるみか玩具のようにごちゃごちゃと撫でまわされている十徳十代。何だか凄いエネルギッシュな人だな、と他人事のように感想を抱く。
「……というか坊や先輩って何だよ……」
「ははは。……さて、紗に任せておけばチームワークについても特に問題もなさそうだね。という訳で、変更なしで作戦通りに行こうか。“楓ちゃん”も分かってるね?」
「……ええ、了解してますともぉー。なにせ私はぁ、“あの”天風楓ですからねぇー、まあ任せておいてください」
「マジでやるのか……」
相変わらず爽やかな笑みの海音寺に、シャルトルは敵愾心剥き出しの笑みで答える。身から出た錆びとは言え、開会式前から正体を見抜かれた上、あれから何事もなかったかのようににこやかに接してくる海音寺には色々と思う所もあるのだろう。
海音寺は相変わらず嫌味にならない爽やかな笑みで頷くと、その瞳に真剣な色を帯びさせて崖下に視線を固定した。
オンオフを切り替えたその横顔からは先までの親しみやすい和やかな空気は消え去り、透き通った集中力のみが残る。
師走の水面を思わせる静かで冷たい気迫に、海音寺が精神を研ぎ澄ませているのを肌で感じる。
そんな海音寺の有り様に、勇麻もまた気持ちを競技へ向けて高めていく。
……そうだ。今は競技に集中しよう。
昨日は確かに色々な事があった。南雲龍也の過去にまつわる不思議な夢も見た。けれど今の勇麻のにとっての現実は過去の出来事ではない。
今の勇麻は夢から醒めて、三大都市対抗戦の舞台に選手として立っている。目の前に広がるこの光景こそがこの瞬間唯一の真実だ。
ならば東条勇麻は天風楓の為、天界の箱庭代表を応援してくれる皆の為。勝利を目指し全力を尽くす義務がある。
『――さあそろそろ競技開始時間が近づいてきた訳だけど、どいつもこいつも準備はいいかーッ!? あん? 断崖絶壁が怖いって? あー大丈夫大丈夫! 落っこちても背中のパラシュートが自動的に開く仕組みになってるから、観客のおめーらは安心して選手達を応援してくれよなーっ! まあ、なにかしらトラブった場合も、すぐ下のオリンポス山の山頂で救助隊チームが不測の事態に備えてるんで死にはしないっしょ! 多分ッッ! さあ、そんな訳でぇーっ、「三大都市対抗戦」第三種目! 「クライミング・フラッガー」、スタートォオオオオ!!!」
実況の音羽シオンの叫びと、開幕を告げるブザー音が辺りに一斉に鳴りひびいた。
途端。横一列に並ぶ天界の箱庭の選手達は、
揃いも揃って一斉にその身を崖下へ――集団自殺でもするかのように大空へと投げ出した。
「くっ……どうとでもなれ……!!」
勇麻は僅かな躊躇いを残しつつ、次々と大空に跳び込んで行く仲間の後を追って地面を蹴りつけ勢いよくダイブ。
重力に身を任せ、風を切って真っ逆さまに落下する。
両手を広げ、途端、吹き上げる風に身体を押し上げられるような感覚を覚え、内臓が零れたような不快な錯覚が身体中を這いずりまわる。
落ちる、落ちる、どこまでもどこまでも堕ちて行く。
(……怖い怖い怖い!!! 死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ!! マジで、死ぬぅッッ!!?)
脳内を支配するのは絶対的な死の恐怖。
首筋を死神に舐められたような不吉な浮遊感が、勇麻の本能に刻まれた恐怖を刺激し目前に迫る死を脳が予感し拒絶する。
怖い。死ぬのがただただ恐ろしい。そんな恐怖から勇麻の心を守ろうと、強制的に意識をシャットダウンしようとする力が脳内で働く。
しかし勇麻は強い意志で意識の糸をしっかりと掴み、気を失う事を自分に許さない。
……ああ、確かにこの状況は恐ろしい。ネバーワールドの絶叫マシーンでもここまでの恐怖は感じなかった。下手をすれば今すぐにでもチビりそうなくらいに恐ろしい。
それは人として、生き物として、当然の反応であり本能だ。
だがその恐怖にこそ抗ってみせる。
そうだ、恐怖とは決して悪ではない。
恐怖を乗り越えようと絞り出す勇気こそが、東条勇麻の力となるのだから。
悲鳴が溢れそうになるのを必死でこらえ、勇麻は奥歯を思いっきり噛みあわせるようにしてその名を呼んでいた。
「――シャルトル……!!」
「分かってます!」
『クライミング・フラッガー』のルールの一つに、競技中、選手は必ず『天空浮遊都市オリンピアシス』の一部――すなわちはこの岩肌に触れてなければならない、という項目が存在する。
何らかの方法で空を飛べる選手の圧倒的有利を失くすためのルールである。
だが、必ずしも触れ続けている必要がある訳ではない。
正確には、五秒以上連続して接触が無かった時点で失格になる、と書かれているようにインターバルのような猶予が存在する。
一度触れればリセットされる五秒間の猶予。
開始直後のその時間が意味するのはすなわち、水泳で言う跳び込みのような、出来るだけ距離を稼ぐ時間である。
「これで、文句はないでしょう……!!」
シャルトルが自身の神の力を発動。自由落下しながらもその両腕を大きく横に薙ぐ。
周囲の風を操り気流を操作し、集団飛び降り自殺になりかけていた天界の箱庭の面々を、下から吹き上げる風によって速度を殺し斜面目掛けてゆっくりと近づけて行く。
一歩間違えれば高速で荒れた岩肌に叩き付けられ悲惨な人間大根おろしが多量に完成する状況下で、シャルトルはその超精密なコントロールをやり遂げて見せた。
「うぉ、おおおおお……ッッ!!?」
速度がほぼゼロになり、斜面が近づいた段階で勇麻が吠えた。
勇気の拳で上昇した身体能力を如何なく発揮、手を斜面の岩肌の突起部分に引っ掛け、どうにか自由落下状態から脱する。
――海音寺流唯は、水流を纏い碇のように岩壁に打ち込み自身を縫いとめ。
――戌亥紗は、シャルトルの風で岩壁に接近すると両腕両足を使って死足歩行の獣のように軽やかに岩壁への着地を決め。
――狩屋崎礼音は、チームメイトの横森真理真の操る髪の毛に絡め取られ、真理真と共に着地。
――十徳十代は、念動力で難なく速度を殺して岩壁に張り付く。
――北御門時宗は、鞘から抜刀した日本刀を岩壁に突き立て身体を支える。
――沖姫卯月は、涎を垂らして『リーダー』の弓酒愛雛を抱えながら、鞭のようにしなる腕を岩のでっぱりに巻きつけて身体を固定する。
――そしてシャルトルもまた、全員のサポートを終えて自身の力で飛翔すると斜面へと取り付いた。
各々の選手がそれぞれの方法で斜面へと着地、そこで五秒が経過。脱落者を出す事無く、天界の箱庭の選手達はスタートダッシュに成功する。
「よし、じゃあ作戦通りここからは二手に分かれよう。勝ちに行くよ、皆……!!」
海音寺の号令に気合十分に皆が頷き声をあげる。
当初の予定通り天界の箱庭の選手達は二手に分かれ、それぞれの役割を果たす為に旗を目指して壁面を下って行く。
☆ ☆ ☆ ☆
「クライミング・フラッガー」というこの競技において、全員で馬鹿正直に旗を目指す必要性はさほどない。
フラッグは一本しかない早い者勝ちの争奪戦。しかもフラッグに辿り着いて終わりなのではなく、それを保持して一番上まで戻ってくる必要がある。
最初に旗を手にするかどうかは問題ではない。最後に旗を持って頂きへとたどり着いた者が勝者となるのだ。
であれば、馬鹿正直に旗を取りに下へ向かう必要すらもない。
この前傾斜の壁面において素早く行動できる者以外は、旗を取りにいく理由がない。
戻ってくる選手を待ち伏せし、ゴール付近で奪ってしまう。
これが最善手であり、最適解。そしてどの都市も考える事は同じであった。
で、あれば。
唯一のゴールがある南側の斜面。ゴール手前付近。
「強者の匂い……」
「まあ、当然こうなるとは思っていたけどね。いっそ過剰気味な戦力を用意しておいて良かったよ。まさかここまでのメンツが揃うとは」
「フンっ。情けないなぁ、ビビっているのかい海音寺。何なら僕一人で全員片づけてやっても構わないけど?」
「んでもいいけどさ、やるんだったらさっさとしてよね。コレ、髪超痛むんだから」
「いひっひひ、雛ちゃんっ、姉ちゃんにしっっっっかり掴まっとってなぁ!? じゅるり」
「ひぃい~~!! 卯月ちゃ……! これ、おちっ、おちるぅぅう……ッ!!?」
北御門時宗、海音寺流唯、横森真理真、狩屋崎礼音、沖姫卯月、弓酒愛雛。
「リリ、なんでこんな役に……重い……」
「ふむ。リリレット氏、しっかり頼みますぞ。なにせ我氏、この場の誰よりも重力に愛されております故!! 重力の擬人化娘グラビ子ちゃんの愛が重すぎて困っちゃうよネ!!」
「悪いなリリレット。なにせ俺達、自分だけじゃこの急斜面に立ってもいられねえもんでな。決して楽がしたい訳じゃないんだ。いやー、残念だなー、妹より非力な兄で情けないなーはっはっはー」
「へ、へへ。な、なんか私まで吊るして貰っちゃってすみません、ほんと……(な、ななななんで私みたいなぼぼぼ凡人が逃亡者の集い旗の方々とぉ~~!!? うぅ……気まず過ぎるっ、重いのもきっと私みたいな余計なオマケがくっついてるからだ。ああ、いっそ自分から飛び降りて失格になってしまおうか……いやでもそんな事したらホロロになんて言われるか。うぅ……た、助けてくれッ、ホロロ~ビリアン~!!)」
リリレット=パペッター、竹下悟、貞波嫌忌、シャラクティ=オリレイン。
「……海域創造か。厄介な相手がいるな……」
「おやおやおや。こんなにも大勢の方に集まって頂けるなど恐悦至極。手品師冥利に尽きる、というモノですなぁ……!」
「トレファ―。貴様、壁面歩行まで出来たのか?」
「フン、相変わらず面妖な技を使う男だ、味方ながら薄気味が悪いヤツめ」
「……フン、」
「やれやれ、この舞台では私はさほど役に立てそうにありませんが。さて、どこまでやれるものか」
エバン=クシノフ、トレファ―=レギュオン、イヴァンナ=ロブィシェヴァ。ゲオルギー=ジトニコフ、セナ=アーカルファル、クレボリック=シンボル。
総数合計十六人もの選手が鉢合う事になるのもまた、必然だと言えるだろう。
海音寺は一度冷静に周囲に視線を巡らす。
状況的には真っ先に到着した新人類の砦の選手が一足先に場所を陣取っている所に、かなり遅れて天界の箱庭の選手が到着し、今まで少し離れた場所から様子を窺っていた未知の楽園の選手達が海音寺たちに便乗する形で現れた、と言ったところか。
先に到着し、高所を確保している新人類の砦が一歩抜け出しているような状況。未知の楽園としては、自分達と新人類の砦との実力差を鑑みて、三つ巴の状況を作りたかったか。あわよくば天界の箱庭との共闘に持ち込もうという算段だろうか。
「……気を引き締めて行こうか、皆。ここだ。此処を取れるかどうかが、勝負の分かれ目になる……!」
海音寺の静かな言葉を、この場の誰もが肌で感じ、理解していた。
高まる戦意に空気がびりびりと痺れるような緊張感を孕み始める。
睨み合いは、数秒と続かなかった。
「――先手必勝、と行かせて貰おうか」
打ちこんだクナイを足場に立つ女、冷たい氷のような印象を与える青みがかった長髪が特徴のイヴァンナ=ロブィシェヴァが、マントのように羽織った軍服の裾を翻す。腕を横合いに広げる動きに軍服が踊り、内側から大量の暗器、投擲物がおもちゃ箱をひっくり返したように飛び出した。
投げナイフ。手裏剣。クナイ。ブーメラン。トマホーク。ダーツの矢。千本。チャクラム。投石。
イヴァンナは空中で回転するそれらを自分の指を一切傷つけずに一気に鷲掴みにすると、目にも止まらぬ速さでクロスした腕を解放するように横薙ぎにし、眼下の敵目掛けて乱雑に投げ払った。
狙いも付けぬ下手な鉄砲――かと思ったそれらは、全てが寸分違わず天界の箱庭と未知の楽園の選手達一人一人へと殺到する必殺へと変貌する。
――イヴァンナ=ロブィシェヴァ。二日目に行われた『三種競技』の第三種目『射撃競争』にて、用意された飛翔する円盤型の的一〇〇〇機全てを撃ち落とした千発千中の女。
『幸運の投げ輪』。彼女の投げた物は、その全てが例外なく標的へと命中する投擲の神の力。
まさに神に愛された一投が、急所を確実に射抜くべく数多の敵へと降り注ぐ。
が。
「愚鈍也ッ!」
斬ッ!! と、岩壁に突き刺した刀を足場に頭上へと跳躍したのは侍風の男、北御門時宗。腰に差した二刀目を振り抜いた北御門の斬撃が天界の箱庭側へ飛来したその全てを切り払い、
未知の楽園側は各自が自身を狙った投擲物にそれぞれ対応し全て迎撃――「ノーウッ!!! 我氏のなごやか癒し系フェイスに石がァ!?」――竹下悟を除いて――する。
しかしそれらは全て注意を逸らす陽動。彼らが投擲物の迎撃準備に入る頃には既にイヴァンナは二丁のアサルトライフルを両脇に抱えるようにして構えていた。
「――フルファイアッ!」
――ドガガッガガッガガガッガガガガガッガガガガガガッガガガガガガガガガガッッッ!!!!
鼓膜を破裂させかねない轟音が連続して鳴りひびき、多量の空薬莢が排出される傍から地上へ雪のように降り注いでいく。
毎分六〇〇発もの鉄の雨をバラ撒く二丁ライフルの銃撃による不意打ち。流石の実力者達も、これには対応できないかに思えた。
だが、イヴァンナは自身の仕事に苛立ち紛れに軽く舌打ちすると、
「……必要最低限の仕事はこなした。あとは貴様らの出番だ、トレファ―」
「おやおや、これは珍しい。珍しさと驚きのあまり目玉が飛び出してしまうところでした。アナタともあろう人がしくじったのですか? イヴァンナ女史」
「くどい、最低限の牽制はこなしたと言っているだろう。撃ち殺されたいか、道化師」
トレファ―、と呼ばれた赤い長髪にシルクハットを被った胡散臭い痩せこけた青年のからかうような言葉にイヴァンナは吐き捨てるようにそう言うと、弾丸を吐き出し尽したアサルトライフルを何の感慨もなく投げ捨てた。
「あは、おお怖い。ではこの飛び出た目玉に免じて今回ばかりは見逃してもらいましょうかねー」
イヴァンナの精神を逆なでするように笑う青年の瞳から綺麗なガラス細工じみた球体が涙のようにボロボロと零れ落ちる。
太陽光を受けてきらきらと輝く半透明なその球体は、実はガラス細工でもなんでもなく本物の人間の眼球だったりするワケだが、イヴァンナは差し出された瞳が自分を見ている事に気付きながらも瞳とそれを差し出すシルクハットの青年を無視して、煙の立ち込める下方へと意識を集中させている。
「……いきなり危ない人だね」
硝煙の晴れた先には、誰もが予想したような地獄絵図は広がっていないかった。
海音寺流唯の前に展開された巨大な大波の盾が、全ての銃弾を包み込むように呑みこんでいたからだ。
否、それだけではない。遥か地上――いや、海上から、と言った方が正しいだろうか。エーゲ海から巻き上げた巨大な水柱が海音寺の元へと竜巻のように立ち昇っていた。盾となった大波も、そこから発生したものなのだろう。
『海域創造』。
自らの海域を造り出し広げていく海の神の能力者は、不敵な笑みを広げる。
「でもまあ、そちらがその気ならしょうがない。思惑通りに動くのは些か尺だけど、一時共闘と行こうか未知の楽園の皆さん?」
海音寺の問いかけに貞波嫌忌は、くっくっくく……と低く笑いを零して。
「まあ、こうして大波の盾で守って貰ったご恩もあるしな。俺達なんかでよろしければ協力させて貰いますよ、優男くん」
「……よく言うよ。僕が君達も守るって、最初から分かっていたんだろう?」
頭上を取られている時点で、有利は新人類の砦にある。
あのままこの場で未知の楽園の選手が全員落とされていれば、天界の箱庭にとってもあまり面白くない展開になっていたのは確かだ。
それを承知で、貞波達は回避行動を取ろうとしなかったのだとしたら。……この男、かなりのやり手だ。
「まあなんでもいいじゃないか。その顔で似合わない邪推をしている暇があるなら、さっさと敵さんを片付けないか? 誰が旗を取ってここまで来るか知らないけど、主役様が来る前に舞台の掃除は終わらせるべきだ」
確信犯の笑みを浮かべ肩を竦める貞波は、それからイヴァンナへと嘲笑うような視線を向けて。
「それにしても、出会い頭に銃弾ぶっぱと来ましたか、これまたよほど上等な教育受けてきたんだろうなぁ。住む世界の常識が俺みたいな凡夫とは違うや。正直付いていけそうにないね。……というか、じゃらじゃら武器出してるけどソレってルール違反じゃない訳?」
「安心しろ。さっきのは麻酔弾だ」
「そういう事言ってんじゃないんだけどなー」
「一応、神の力の性質によっては武器の使用申請が許可される事もあるらしいよ。発動する為の媒体としてとか、その選手のスタイルにもよるみたいだけど。神の力の延長として処理されるらしいね」
「だからそういう事言ってるんじゃないんだって。……真面目すぎるヤツらはこれだからよぉ!」
軽口を叩き合いながらも、戦闘は次のフェイズへと移行する。
様子見などでは済まない、三勢力入り混じる予測不可能な戦場が、今幕を開ける。
☆ ☆ ☆ ☆
そして。
『天空浮遊都市オリンピアシス』南側ゴール地点で三勢力入り乱れての混戦が勃発し、しばらく時間が経過した頃。
旗を目指して先端へと移動していた勇麻達もまた、想定外の敵と遭遇していた。
「……ああ、ここで彼が来るのか」
念動力を用いて一二〇度の壁面に立てない勇麻と戌亥紗の補助をしていた十徳十代が、感情の感じられない声で呟く。
「ふんふん、くんくんくん……。うーん、あの人かーなりヤバい匂いがするね。後輩くんに後輩ちゃん、それに坊や先輩。下手すると全滅コースもありうるかもですよ。ここは散開するのが一番だと思うけど、どうする?」
難しい顔をしながら犬のように鼻を鳴らす戌亥紗の予測はおそらく間違いではないだろう。
勇麻達の前方――否、正確には下方、だろうか。
短く刈り上げた金髪と無精ひげが特徴的な、渋い顔立ちの中年男性だった。
クールビズさながらにネクタイを取っ払ったふざけたピンク色のシャツの上から、イギリス海軍風の黒の軍服をギリギリまで着崩して纏ったその男は、葉巻を咥え紫煙を燻らせながら胡散臭い笑みを湛えてこちらを見ている。
ロジャー=ロイ。
『ドレッドノート』の艦名を冠するその男は、まるで旗になど興味はないとでも言いたげに悠然と腕を組み、勇麻達を待ち構えていた。
「よぉ、はじめましてになるな、天界の箱庭の麗しき御嬢さん方。……あぁ、男共には別に用はねえんでちょっと黙っててくれな。――ごほんっ、俺はロジャー=ロイ。『女王艦隊第一艦隊旗艦』とか、『ドレッドノート』とか、まあ呼び名は色々あるが、御嬢さん方には親しみを込めてロジャーオジサマって呼んで貰えると、オジサン喜んじゃうかな」
「……御託はいいです。旗も取らずこんな所で待ち伏せだなんて……一体何のつもりなんですぅ? 随分と余裕がおありみたいですけどぉー、まさか英国紳士様がこんな場所でナンパでもなさるおつもりですかぁー?」
「まあ、なんだ。俺は青い果実ってのは本来そこまで好みじゃないんだが……」
「ちょっ、この変態オヤジどこ見て――」
ロジャーロイは戌亥紗とシャルトル(天風楓に見える)をチラと一瞥してから口の端を吊り上げ、
「――個人的に確かめなけりゃならん事が出来ちまってな。ちょいと悪いがお付き合い願おうか『暴風の姫君』」
全てを見透かすような透徹な青い瞳が、シャルトルただ一人を射抜いていた。




