第一七話 一つの終局Ⅰ──全ては掌の上で
何をもって勝利とするかによって、取るべき選択という物は変わりゆく。
例えばそう、相手を無力化させるのが目的なら、別に無理して戦う必要だってない。
相手の飲み物に睡眠薬でも混ぜてしまえばいいのだから。
例えばそう、相手を油断させる事が目的なら、わざと敗北する事にだって意味が出てくる。
長い目で見れば、その敗北にこそ意味があるのだから。
これもつまりはそういう事。
勝たなくても勝てる事はあるし、勝っても負ける事だってある。
重要なのは物事の切り口と見方であり、故に正解は一つとは限らない。
☆ ☆ ☆ ☆
「ちょこまかちょこまかとっ!!」
レアード=カルヴァートの苛立ち混じりの声が聞こえる。
彼が腕を振るう度に、アスファルトを突き破って跳び出る巨大な岩の杭が、勇麻を貫かんとする。
まるでモグラ叩きを何倍速かにしたような速さで突き出てくる杭を、しかし東条勇麻は全て躱していた。
「おおおおおォォォォォォォォォォォォオオオッ!!?」
見える。
杭の出現するタイミングが手に取るようにわかる。
地面の不自然な盛り上がり具合を、レアードの視線の先を、地面を震わす振動を、勇気の拳の効力で、五感含む身体能力全てを強化した勇麻は見逃さない。
時には素早いステップワークで杭を避け、時には目の前に立ちふさがった巨大な杭を右の一撃で粉々に打ち砕く。
着実にレアードとの距離は縮まる。
拳が届く位置へ、一撃を与えられる場所へ、射程圏へと踏み込む。
だが、レアード=カルヴァートに勇麻の拳が届く寸前、勇麻の背筋を悪寒が襲った。
思わずブレーキをかけ後方へ跳ぶ。さっきまで勇麻がいた辺りへ、レインハート=カルヴァートの放った斬撃がピンポイントで突き刺さったのは次の瞬間だった。
衝撃で地面が削れ、飛び散ったアスファルトの破片が勇麻に降り注ぐ。
大きな破片は身体を捻るようにして何とか躱したが、多数の小さな欠片が勇麻の身体を叩いた。
鈍い痛みに思わず顔をしかめる。
「痛……っ! てか破片でコレとか喰らったら洒落になんねぇって……ッ!」
相変わらず半端じゃない威力だ。
あのまま進んでいたら、勇麻の首は飛んでいたかも知れない。
そう考えると再び背筋がゾクッとした。
嫌な汗が頬をつたう。
「無事ですか、レアード」
そう言ってレアードのすぐ傍に、姉のレインハートが跳躍し着地。
弟に背中を預けるようにして刀を構えている。
「あぁ、僕なら平気さ。……でも正直、ここ最近の連戦のせいで、殆ど体力が切れかかった状態ってのはツラい物があるけどね。いつもならもう終わってるのに」
レアードは右腕で汗を拭いながらそう言った。
既に戦闘はレアード=カルヴァートVS東条勇麻、レインハート=カルヴァートVS泉修斗の枠を超え、ニ対ニの乱戦になってきていた。
「レアード、もう少しの辛抱です。普通にやれば負けるような相手ではありません」
「ああ、分かっているよ姉さん。早く冷房の効いた所へ行きたいし、さっさと終わらせよう」
二人の言葉に、思わず勇麻が食って掛かる。
「……黙って聞いていれば、随分な自信だな背神の騎士団。でもアンタらの事情なんてこっちには関係ない、アリシアの為にも勝たせてもら──」
「勇麻、しゃがめ!」
「ゲ、マジかっ!」
後方からの泉の怒号に、勇麻はほぼ反射的にその身を屈めた。
全身をマグマのように燃え上がらせた泉が、勇麻の髪の毛スレスレを通り抜け、レアード達の元へ突っ込んで行く。
まるでジェット機のエンジンのように、足の裏を爆発、ブーストさせて爆発的な加速力とスピードを得たのだ。
少しかすったのか勇麻の髪の毛の先端から焦げ臭い匂いがした。
泉の跳び蹴りがレアードの身体を吹っ飛ばす直前。
「だからさ、そんな物効かないよ」
言葉と同時、レアードとレインハートを守るように、岩と土で生成された巨大な盾が出現する。
地面を割って現れた土の盾に、泉の炎を纏った跳び蹴りはその勢いを完全に殺されてしまう。
「チッ、お硬い野郎だ」
「だから言ったんだ、調子に乗るなと」
「そんな物の陰にコソコソ隠れやがって、この玉無しがッ!」
「……僕がそんな低レベルな挑発に乗ると思うなよこの爆発スライム男ォッ!」
レアード=カルヴァートの防御は硬い。
泉の一撃で土の盾を壊す事は容易ではない。
そもそも泉の神の力は己の身体の性質をマグマのような炎へ変質、変換することにより、攻撃と守備、どちらもこなす事ができるバランス型の力だ。
爆発によるブーストを利用した手数の多さと変形による柔軟性、炎の身体には切り傷などのダメージが通りにくいというアドバンテージ。
どの攻撃も平均して威力が高く、尚且つ、相手の一撃をある程度無視しながら、スピードを生かして手数の多さで相手を圧倒する、短期決戦型のスタイル。
だがその反面、一撃で相手を仕留めるような大技は持っていない。という欠点もある。
岩石や土を自在に操り、高い防御力を誇るレアードとの相性はあまり良くない。
長期戦になれば、爆発によるブーストも使えなくなりジリ貧になるのは確定的だ。
だが、
「泉ィッ!! どけぇぇぇぇぇぇええええええっ!!」
そこへ、凄まじい勢いで東条勇麻が踏み込んで来た。
咆哮と共に振るわれた右拳がレアード=カルヴァートの造り出した土の盾に触れて――
――刹那、右腕がほんの一瞬赤黒く明滅。
次の瞬間、爆発が起こった。
ズバシィィィィィイイッ!!!
という甲高い爆音が炸裂。
めり込んだ拳は、泉の一撃を軽々防いだ土の盾を完膚なきまでに粉々に粉砕した。
まるで土の盾自らが爆発したかのように、細かい砂粒程の欠片となって弾けて消える。
これまでとは比べ物にならない破壊力、明らかに威力が異常な一撃。
あまりに呆気なく土の盾が破られた事に動揺を隠せないのか、レアードが目を大きく見開いているのが土煙のカーテン越しに見えた。
(勇気の拳に防御は通用しない! これなら!)
東条勇麻の神の力、勇気の拳に防御は意味をなさない。
そもそも勇気の拳とは勇麻の精神状態に大きく依存する特殊な神の力だ。
ポジティブな感情や感情の昂ぶりを読み取り、自身の身体能力を強化する。
その逆に、ネガティブな感情や弱気な心を読み取れば、勇麻の身体能力は弱体化してしまう。
精神状態に応じた身体能力の変動、だがそれだけが勇気の拳の力ではない。
防御の無効化。
いや、それでも表現としては足りない。
無効化どころか、逆効果。
勇気の拳は防御を前にした時、その威力を何倍にも増幅させる!!!
「泉ィ!」
「勇麻にしてはよくやった!」
「無駄口叩いてないでさっさとぶっ飛ばしてやれ!」
目の前に立ちふさがっていた、鬱陶しい盾は排除された。
大振りの一撃の後で、すぐさま動く事が難しい勇麻に変わり、泉が目をギラギラと光らせレアードの懐へと飛び込んで行く。
レアードは盾を壊されたという事態を呑み込めないのか、泉に対応しきれていない。
その顔面目掛けて泉は拳を振りかぶる。
が、レアードの肩を掴み、後ろへと押し倒すようにして、レインハートが泉とレアードの間に割り込むような形で飛び出してきた。
「なに!?」
入れ替わったレインハートは、泉の一撃を刀で受け止める。
普通なら泉の拳は、レインハートの刀でズタズタに引き裂かれていただろう。
だが、今の泉の身体はマグマのような炎と化している。実体はあるが、並大抵の傷に意味は無い。
そのまま激しくぶつかり合う。
「邪魔すんなよ、無表情ロボット女ァ!」
「戦いとはこういう物ですから」
叫ぶ泉とは対称的にレインハートの声はどこまでも落ち着いていて、どこまでも冷めていた。
だがもう一人、感情的に叫ぶ人間がいた。
「貴様ッ! 姉さんを侮辱するヤツは俺がぶっ殺してやる!」
「な、レアード? 何を余計な事を──」
姉を侮辱された事に怒ったレアードが、またもレインハートと入れ替わるような形で泉に襲いかかってきたのだ。
いつの間に造り出したのか、岩の剣を握りしめて泉に殴りかかる。
殺意の籠もった重く速い一撃。
その乱雑な攻撃を両腕をクロスして受け止め、泉は犬歯を剥き出しにして叫ぶ。
その表情からは苛立ちが見て取れた。
「うるっせえんだよシスコン! 邪魔ばっかりしやがって。引っ込んでろ!」
「な!? ぼ、僕はシ、シスコンなんかじゃ……ッ!!」
「泉、お喋りもいいけど、そのままソイツ抑えてろ!」
勇麻は叫びながら、再びレインハートへと突っ込んで行く。
レインハートの力は危険だ。
彼女の展開する半径三メートル程の不思議な紋様の内側にいると、無数の不可視の刃に身体中を切り裂かれてしまう。
だが、今はレアード=カルヴァートもギリギリ紋様内にいる。
仲間が範囲内にいるなら、その力は使えないハズだ。
それならば、
(先に厄介な方を潰す。今なら俺の拳だって届くぞ!!)
風のような速さでレインハートの懐目掛けて飛び込んで行く勇麻。
しかしレインハートは相も変わらず、落ち着いた、どこか冷め切ったような無表情な瞳で勇麻を待ち受ける。
「なるほど、近づける内に私を討ち取ろうという魂胆ですか」
刀を軽く握り上段に、そして肩の力を脱いた独特の構え。
「単純な力量だけなら勝てると、そう思われているなら、心外です」
「じゃあやってみろよ! 俺を真っ二つにでもしてみやがれ!」
レインハートは勇麻の挑発を無視して、
「ハッ!!」
気合いと共に踏み込み、勇麻の身体を斜め上から下に一刀両断にせんと、刀を振り下ろす。
攻撃の気配を感じさせないような、滑らかな一撃。
だが、勇麻が真っ二つになるような事はなかった。
「なっ、刀の側面を正確に弾いた……!?」
勇麻は空中で捻るように身体を何回もコマのように横回転させ、勢いをつけた右の蹴りでその一撃を弾き返していた。
もちろんインパクト部分は刃のついていない刀の側面だ。
恐ろしいくらいの正確さ。
だが、勇麻の目には全てが見えていた。
「今なら届くぞ! レインハート=カルヴァートッ!!」
勇麻は着地の瞬間に身体の重心を前へ。身体が持つ勢いの全てを前方方向へ変換し、そのまま頭からレインハートの鳩尾へ体当たりをブチかます。
「うぐ……っ!?」
レインハートが呻き声と共に怯む。
ここだ。
ここがチャンス。今なら……届く!!
「うお、おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおオオオオオオオオオオオオォォォォォォォォォォォォォォォォォォオオオ!!!」
右手が熱い。
勇気の拳が勇麻の感情に共鳴するように、唸り声を上げる。
空気を引き裂くように振り抜かれた拳は、アッパーカット気味にレインハートの顎を打ち抜いた。
右手首に人を殴った衝撃が跳ね返り、固い拳がレインハートの脳味噌を揺らす。
そしてそれとほぼ同時に、勇麻の身体が無数の不可視の刃に切り裂かれた。
血が吹き出し、勇麻の周りに血の彼岸花が咲き乱れる。
「ぐっ!」
「がぁッ!?」
予想外の痛みに苦痛の呻きが漏れ、勇麻は今日何度目かも分からない驚愕を胸に覚えた。
(……く、まさか仲間が紋様の外側に出たのを確認して、それで……ッ!?)
レインハートは勇麻の一撃が直撃する寸前に、レアードが紋様の範囲内から出た事を確認していたのだ。
これには敵ながら見事な判断と言うほかない。
レインハートは血の塊を吐き出しながら、背中から地面に落下。
勇麻は全身を切り裂かれた激痛で倒れ込み、その場で悶絶するようにのた打ち回る。
その完全な相討ちに、レアードが悲鳴を上げる。
「姉さん!!?」
泉を振り払い、レインハートの元へと駆け寄るレアード。
その瞳は怒りに満ちた色で勇麻を見ていた。
「この……っ! 姉さんをよくも!!」
「……レアード、私なら大丈夫ですから落ち着いてください」
「もう我慢できない。姉さんこいつらは俺が──」
「駄目ですレアード。彼らは生きたまま捕らえます。これは組織としての方針でもあり、私の中では決定事項です」
レインハートはまだ何か言いたそうなレアードを黙らせると、片膝に手をついて立ち上がった。
彼女もダメージが無い訳ではないらしく、身体が少しフラついているようにも見えた。
その会話を聞いていた泉が、倒れている勇麻の方へ寄ってきた。
「聞いたか今の。あの無表情女、アレで俺らを殺さないように手加減してるみたいだぜ」
「くそ……、分かってはいた事だけどやっぱり強いな」
「おい勇麻、それよりこのままじゃ……」
「ああ。正直言って、殺されないようにするので精一杯だ。とてもじゃないけど、手筈通りにとか言ってられない」
「チッ、だから言ったんだよ。最初から策とか関係なく、全部ぶっ飛ばせば良かったんだ」
「それができる相手なら最初からそうしてる」
「あ? おい勇麻テメェ、それは『俺じゃ勝てない』って言ってるのかよ」
「……勝てない、とは言わない。けどそれが難しいって事は……泉、お前も分かっているハズだ」
泉修斗は決して弱くは無い。
むしろ『Cプラス』という干渉レベルは、高等学校なら特待生クラスの優秀な神の能力者として扱われるレベルだ。
さらに同じ干渉レベルCプラスの神の能力者の中でも、泉修斗の実力は上位の方に位置している。
だがその泉修斗をして、目の前の相手には勝つ事は難しい。
そもそも干渉レベルにおけるアルファベットの差は、それだけで致命的な実力差がある事を示している。
決して不可能という訳では無い。
決して前例が無いという訳でも無い。
ただ、立ちはだかる壁の頂が、限りなく高く遠いのだ。
難易度が尋常じゃない。
泉がやろうとしている事は、戦車一台で軍隊の一師団を相手に勝利を収めようとしているような物なのだ。
「分かってるんだよ、難しいって事くらい。でもだからってどうするんだ? このままグダグダ言ってたって削られていくだけだぞ、どっちにしてもどこかで覚悟を決めなきゃなんないだろ」
「泉……」
「それに今負けたら、俺らは捕まる可能性が高い。どっちにしてもアリシアと合流できなくなるぞ。そうなったら全部無駄だ。勇火の頑張りも、お前の決意も、何もかもな」
「くそ、……くそっ! 俺の考えが甘かったのか」
実力で劣る勇麻達が用意していた搦め手を実行に移すには、勇麻達が自然な流れで敗北する必要があった。
勇火に『アリシア』のダミーを担がせ、それをワザと相手に見せつける。勇火と『アリシア』が二人で逃走しているように相手に思わせ、勇火がある程度の距離を稼いだ時点で勇麻達はワザと負ける。
勇麻達を倒した背神の騎士団が、『アリシア』のダミーを担いだ勇火を追いかけている内に、一人で別方向に逃げているアリシアと合流し、安全圏まで脱出する。
そういう手筈だったのだ。
だが、予想以上に背神の騎士団の追手が強くて、ワザと負ける為に手を抜けるような余裕は全く無い。
少しでも気を抜けばその場で殺されかねないのだ。
それに、もし仮にワザと負ける事ができたところで、レインハート=カルヴァートは倒した勇麻達を捕らえておくつもりのようだ。
それではアリシアと合流出来なくなってしまい、そうなってはアリシアが捕まるのは時間の問題になってしまう。
それに、囮という危険な仕事を任せてしまった勇火の救援に向う事も、難しくなるだろう。
「勇麻、何でもいいからさっさと決めろ。どっちにしても、俺は俺のやりたいように、目の前のクソ共をぶっ飛ばす」
そう言った泉の口調は苛立ちの色を隠せていなかった。
いや、あえて隠していないのだろう。
泉はそこで変に遠慮するような奴では無いのだ。
なぜか勇麻は、その無遠慮が場違いにも嬉しかった。
(だから俺も考えろ。何を間違い、そして今何を正すべきなのか)
勇麻は考える。
今の状況は確実に『失敗』の状況だ。
このままでは敗北する。
ならば、ここからどうすればいい?
どのような敗北が目の前にあり、それを回避する為に必要な要素を考える。
そもそも、全てにおいて読みが浅かった。
このままでは全滅の可能性だって十分に考えられる。
アリシアを守る事はおろか、弟と友人までも失ってしまうかもしれない。
それは駄目だ。
そんな事だけは絶対に許されない。
あの人のように、笑顔で全てを救うとはいかないかもしれない。
それでも助けると、そう決めた。
たとえ偽物であろうとも、誰かの代わりでしかなくても、それでもアリシアを助けると、そう約束した事だけは嘘にしたくなかった。
これは自分のための行い。
東条勇麻には、アリシアを絶対に助けなければならない理由がある。
ならば、一度ついた嘘は突き通さねばならない。
嘘に嘘を重ねるように全てを塗りつぶし、正義の味方のふりのまま、紛い物のまま、アリシアを救う。
そして誰かを救う為に、弟や友人が傷付くなんて展開は論外だ。
なら、そのために東条勇麻は今何をするべきだ。
何を偽って何に勝利すればいい?
(この二人に勝つ事は決して不可能な事ではない。難しいってだけで不可能な訳ではない)
だったら無理を通せばいい。
自分の実力を偽ってでも、この二人を倒すのだ。そうすれば全てうまくいく。
東条勇麻は偽物のヒーローを演じきる事ができる。
その為には……
「泉」
「あ? 何だよ」
「協力してくれ。アイツらをぶっ飛ばすにはお前の力が必要だ」
泉は目を丸くして驚いたような顔をしていた。
訪れたのは一瞬の静寂、そして──
「はっ、ははは。あっははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははっ!!!!」
その言葉に泉修斗は腹が裂けそうになるほど笑っていた。
嬉しそうに、天に向かって大声で吠える獣のように哄笑し続ける。
ひとしきり笑い終えると、口の端を歪めて、まるで映画の悪役のような顔で口を開いた。
「いいね。最っ高だ! その言葉を待ってたぜ。存分に暴れまわって、お高くとまった高位の神の能力者様共の鼻っ柱をイイ感じにぶっ潰してやろうぜ」
「ああ、実力差なんて知るもんか。俺はアリシア助けなきゃいけないんだ。その為なら“自分の強さを偽って”でもアイツらをぶっ倒す」
再び立ち上がった勇麻は、燃えるような闘志が秘められた瞳で、レインハート=カルヴァートとレアード=カルヴァートを睨みつけた。
こんな作戦でも何でも無い、ただの根性論の押し付けみたいなこの選択は、論理的でも正しい選択でも無いのだろう。
むしろ確率としては低い方、分の悪い賭けというヤツに違いない。
だが、何故だか勇麻はこの選択こそが勝つために必要な物だと思った。
敵は強大だが、今なら何でも出来るような、そんな気がした。
不思議な気分だ。
「作戦会議は終わりましたか?」
「わざわざ待っていてくれるなんて、随分優しいんだな」
「さすがは干渉レベルB、俺らと違って高レベラーの方々は慈悲深いことで。ついでに深ぁぁぁい墓穴でも掘っててくれるとありがたいぜ」
「私達とて抵抗せず降参して頂けるなら、それに越した事はありません。ですから期待していたのですが……どうやら、そう上手くはいかないようですね」
「ふざけるなよ。お前らみたいな奴らに屈服なんてしない。絶対に」
勇麻は、どこか融和を期待するようなレインハートに鋭くそう言い放った。
勇麻の言葉にもレインハートの表情はピクリとも動かない。
感情を押し殺したロボットのようで、人間味に欠けるその姿は、やはり所属する組織の色を表しているのだろうか。
どんな事があっても、背神の騎士団に屈する訳にはいかないのだ。
絶対に。
だが、それを聞いて声を荒げたのはレアード=カルヴァートだった。
「ふざけるなだって? ……それはこっちのセリフだ! 僕たちの邪魔をしやがって、僕たちなら彼女を幸せにする事ができるのに。迎え入れの体制だって万全だ。何も問題は無かったんだ。それなのにこんな邪魔をしやがって、彼女がどれだけ危うい立場にあるのか、君たちは今の状況を本当に理解しているのか?」
レアードの不快な言葉が勇麻の耳を通った。
その言葉の内容と、アリシアの状況を重ね合わせた勇麻は怒りで気が触れるかと思った。
レアード=カルヴァートの正気を疑う。
やはりコイツは訳の分からない危険な組織のメンバーだ。
そうじゃなければ、こんな事言えるはずが無い。
勇麻は頭が沸騰しそうになるのを何とかこらえる。
「ふ、ざける……な。本当にふざけるなよ!! あれだけの事をしておいて、どの口で言っていやがるっ!?」
拳を握り潰さんばかりの勢いで激情する勇麻に、レアードは頭を抱えて喚いた。
「ああもうっ! それが意味分からないんだよ。その言い方じゃあ、まるで僕たちが悪役みたいじゃ――」
「やめなさいレアード。今彼らに何を言っても無駄ですよ。頭に血が昇っていて、こちらの言葉など、まともに届いていません。だからこそ早く無力化して捕らえなくてはならないのです」
レインハートは怒りを見せる弟の言葉を遮るようにそう言った後、ボソリと最後に付け加えるように呟いた。
「……それに、私は何かこの状況に、作為的な物を感じるのです」
そう呟いたレインハートの言葉は、レアードにも、勇麻たちにも届かなかった。
「ああクソッ! 分かったよ姉さん。さっさとこの面倒臭い連中黙らせて、本命を確保しに行こう。手加減できる保証は無いけど、殺さないように殴る場所くらいは考えてやることにするよ」
戦闘は最終局面。
おそらく次の激突でどちらかに流れが傾くだろう。
勇麻は拳を硬く握りしめて、構えを取る。
既に身体中傷だらけだったが、痛みは微塵も感じない。興奮により分泌されるアドレナリンが痛みを掻き消している。
怒りはあった。
勇麻は本能に身を任せるように、己の内側に巣くう、その怒りの感情を受け入れる。
だが理性は失わない。
不思議と感覚は冴えわたっている。
怒りの感情を抱える自分を、一歩引いた所から冷静に見下ろしている自分がいるようなイメージ。
客観的に己を見つめなおす事で、ただ感情に呑まれるのではなく、制御する。
勇気の拳が高まっていくのが分かる。
右手に熱を感じる。
(こんな戦いさっさと終わらせる)
勇麻の視線の先ではレインハート=カルヴァートとレアード=カルヴァートが、共にこちらに突撃してくる構えを見せていた。
(それでまたアリシアと遊びにいくんだ。また行こうって、そう約束したから)
勇麻の隣の泉は、この状況を楽しんでいるのか、その顔に獰猛な笑みを浮かべていた。
(……くる)
ゾクリとした寒気のような気配を受け取った勇麻は、気持ちを改めて引き締めた。
そろそろ敵が動く。直感が勇麻にそう告げていた。
敵は格上、だがそれでも勝たなくてはならない。
否応なしに高まる緊迫感。
空気が熱を帯び、戦場の緊迫感は最高潮に達する。
戦場の流れが動く。
この場にいる全員がそれを感じていた。
「いくぞォッ!!」
勝利への一歩を、互いが、互いの目的の為に踏み出した。
その時だった。
レインハート=カルヴァートとレアード=カルヴァートが、走り出したその瞬間に唐突に顔面から地面へ倒れた。
「え?」
思わず間の抜けたような声が勇麻の口から漏れ出していた。
勇麻の視線の先、地面に倒れ伏した彼らは動かない。
なにが起きたのか理解の追いつかない勇麻は、そこでようやく気が付いた。
レインハート=カルヴァートとレアード=カルヴァート、うつ伏せに倒れる両者の背中から、黒い刃物の先端が飛び出している事に。
おそらく腹側から刺され、背中まで貫通したのだろうその刃は、闇から取り出したみたいに不気味に黒光りしている。
まるで刺された事に今さら気が付いたみたいに、彼らの傷口から鉄臭く赤黒い液体が溢れだしてきて、赤い湖を形作っていた。
ペンキをぶちまけたようなその惨状に、勇麻は場違いにも学校の文化祭でみられる手作りの演劇を思い出していた。
だから、その光景を見てもなお信じられない。現実味がいつまで経っても湧いてこない。
勇麻は身体中から嫌な汗が吹き出すのを感じた。
「なん……だよ、これ。この剣、一体どこから?」
勇麻は取り乱したように頭に左手を当てる。
倒すべき敵が倒れたのは喜ぶべきことであるはずなのに、頭の端に何かが引っ掛かったみたいに、眼前に広がるこの光景を受け入れようとしない。
「意味が分からない。だって、誰もいなかったじゃないか。ここには俺ら四人しかいなかった。それなのに、一体何が起こったんだよ」
「勇麻……」
「はは、おかしいのは俺か? ……そうだよな。倒すべき敵が倒れてくれたんだから、こんなに取り乱すのはおかしいよな。どこの誰がどうやったのかは知らないけど、感謝するべきなのかもな。スマン泉、さっきのは全部忘れて――」
「――違う」
勇麻の言葉を遮った泉の様子がおかしかった。
「俺は見たんだ。奴らの影の中から出てきた“人間の手”が、奴らの腹に剣を突き刺すのを」
どこか放心状態というか、心ここにあらずな様子の泉が呟いたその言葉が、勇麻の頭で何度もこだました。
大きく見開かれた泉の瞳に浮かんだ感情を、勇麻は理解しない。
したくもない、のに。
「はあ……はあ……はあ……、はあ、はあ、はあはあはあはあッ!!」
酸素の吸い込み方を忘れた。
過呼吸気味になりながら、勇麻は自分の頭の端に引っ掛かった違和感の正体を探りあててしまった。
頭が痛い。
傷口に無理やり、はんだごてを当てがうかのような感覚。
突き刺すような激痛が、徐々に勇麻の身体すらも蝕んでいく。
ふらふらと、ともすれば倒れてしまいそうになりながら、勇麻は思う。
きっと本当は気付いていたのだ。
あの黒い剣を見たその時から。
ただ、見たくない物から。現実から、目を背けていただけ。
だから、
「よう。また会ったな、『二代目』。いや、……東条勇麻」
真後ろから声が聞こえた。
振り返ると、そこに立っていたのは仮面を被った一人の男だった。
不気味に笑う不吉な仮面を着け、黒いローブに身を包んだ男。
まるでその姿はこの街の夜そのもので、闇そのものだった。
彼がそこに立つだけで、周囲の暗闇が、彼に道を譲っているかのように錯覚してしまう。
身を隠す必要性を失った今。闇の中で、闇はさらにその輝きを増していた。
「この前お預けになっちまった勝負の続きといこうじゃないか。もっとも、イルミナルミとのバトルを見た限りじゃ、あまり期待はできなさそうだけど」
勇麻の影を踏むようにして、黒騎士はそこに立っていた。
東条勇麻にとって少なからぬ因縁を持つ、不吉に笑う不気味な仮面。
もう二度と会いたくないと拒絶し、もう一度会いたいとも渇望した宿敵。
そんな男のあまりにも唐突過ぎる出現に、
正体不明の悪寒が、勇麻の首筋を舐めていった。




