第十四話 対抗戦、開幕Ⅳ――混戦混沌混難:count 7
競技開始前。
勇麻はEチームの皆を集め、彼らの顔を見回してから真剣な表情でこんな事を切り出していた。
「……皆、俺さ。やるからにはこの『対抗戦』勝ちたいと思ってる」
勇麻の言葉にシャルトルと勇火が意外そうな顔をする。確かに『対抗戦』での勝敗など、勇麻達の任務には関係のない、言ってみれば寄り道のようなモノだ。だがこれは、開会式を経た今の勇麻の紛れもない本心であった。
「……確かに俺らの本来の任務とは関係のない事かも知れない。そんなところに力を入れるくらいなら、もっと他にやるべき事があるのかも知れない。でも、俺達は曲りなりにも楓が選んだ仲間として、この『対抗戦』に出場するんだ。……沢山の人がこの日を楽しみにしてる。この日に全てを懸けてきた人だっているんだと思う。出場できない楓の為にもみっともない姿を見せるべきじゃないし、真剣じゃないのは他の選手達や応援してくれる人にも失礼だ。それに、それだけじゃなくて――」
「――ったくよ、お前はこういう時変に真面目になりすぎだっての。もっと簡単な事だろうがよ。気楽にいけよアホ勇麻」
言葉を探すように言い淀む勇麻に、泉が割り込みを掛ける。己の拳と拳を打ちつけ、少年は口の端をニィと吊り上げると、
「やるからには俺達が優勝する。……何言ってんだよアホが、そんなの当たり前の事だろうが。折角のお祭りなんだ、そうじゃねーだろうよ。極限まで楽しまないでどうするよ?」
やるなら勝つ。そしてそれこそが祭りを最高に楽しむって事だ。
泉修斗は当然の事でいちいち悩むなと笑い飛ばし、
「ま、俺達が全力で競技に挑めばそれだけ替え玉を疑われる事も減るはずだしね。それに、兄貴の言い分はもっともだよ。俺達は代表として選ばれた。だったら当然、それに恥じない姿を見せなきゃね」
「まあ私としてもぉ? 勝負事でわざわざ勝ちを譲ってやろうと思うような腑抜けになったつもりはないんでぇー、やるからには取りに行くつもりでしたしぃ。ぶっちゃけ何の問題もないというか東条勇麻ってばこんな単純な事で何悩んでるんですかぁーって感じですねぇー」
勇火とシャルトルもまた、それが参加するからには当然の姿勢であると肯定した。
真剣な顔をして話を切り出したはいいが、どうやら拍子抜けされてしまっていたらしい。
先ほどの二人の意外そうな顔の意味が分かった気がした。
勇麻はそんな仲間達の言葉と反応に、感謝とも感激とも言われぬ感情で胸がいっぱいになるのを感じていた。
こんなものは所詮は自己満足かもしれない。
自分達が祭りの異物である事は理解している。自分達の行いが、替え玉という不正行為が、代表として選ばれた他の選手達や応援してくれる人々を侮辱する行為であると分かっている。
それでも、あの大歓声にだけは、真っ正面から向き合える自分でありたかった。
人と神の能力者の垣根を越え、誰もが熱狂する世界最大の祭典。
東条勇麻は参加者の一人として、彼らの真剣さに恥じない人間でありたかったのだ。
それに、なんと言うか……
「楓、か……?」
こういう時に限って泉修斗という男は目ざとい物だ。
勇麻の微妙な表情から、その思考の表面を読み取った親友に勇麻は吐息を吐いて、
「……うまく言える気はしないんだけどな。なんつーかさ、あいつ今無理してるのが見え見えだろ? 強く在ろう、強く在ろうって……」
勇麻は楓の事を弱い人間だと思った事はない。
いつも独りぼっちで泣き虫だった彼女の味方であり続けようと誓った幼少期の頃ですらも。
勇麻が彼女を守ろうと思い、そして守ってきたのは、それが単に彼女の笑顔を見ていたかったからだ。その泣き顔を見ていられなかったからだ。
弱いから守ってあげよう、などと思った事は一度もないし、神の力を失った今でもそれは変わらない。
だが、無理をし過ぎる子だという事は知っている。努力家故に、一途故に、真面目故に、強さ故の危うさ。張りつめたピアノ線がぷつりと切れるような、強靱であるが故の許容量を超えた時の脆さ。強さと同時にそんな儚さを天風楓という少女は秘めている。
それが顕著な形で表面化したのが、独りで全てを抱え兄の為に死のうとした夏休みの一件であり、ネバーワールドを巡る一件『死の饗宴』より続く楓の抱える問題だ。
今日の開会式だって同じだ。思わず見とれる程に凛とした少女の横顔に、覆い隠された負の感情が一ミリも無かったとは思えない。
「俺は楓なら今回の問題も乗り越えられると思ってる。でも、それでも、なんか放っておけなくてさ。……元気づけてやりたいって言うか、励ましてやりたいって言うか、そのケツ引っ叩きたいって言うか……とにかく、楓に何かしてやりたいんだよ。それでさ、今の俺達が楓に出来る事って何だろうって考えたら、護衛以外には“コレ”しかないんじゃないかなと思って」
「つまり兄貴は……」
「なるほどです。ま、アナタらしいというか、そういう理由があった方が盛り上がるものですしねぇー。いいんじゃないんですかぁー? 私としても天風楓にいつまでもうじうじされるのも鬱陶しいですしぃー。神の力もろ被りな件についていずれ白黒つけなきゃなのに、一生あのままじゃ困ります」
「ハッ、確かにお前らしいモチベーションだな、勇麻。だが良いぜ、乗ってやるよ」
勇麻は三人の顔をもう一度見回し、今度は笑みと共に力強く頷いて。
「出場できなかった楓に、優勝トロフィーを持ち帰る。いつまでもトラウマ引き摺ってる泣き虫姫の背中を、俺達で押してやるんだ!」
合図なんて必要なかった。
四人は自然と互いの肩に腕を回し円陣を作る。誰もが不敵な笑みを浮かべ、視線が勇麻に集中するのが感じられた。
掛け声は短く、簡潔に。
「――絶対勝つッ!」
「「「おうっっ!!」」」
掛け声に合わせ足を踏みだし、勝利への一歩とする。少年たちは未だ恐怖に囚われた少女の為、平和を願う祭典に恥じぬ人間である為に、優勝を誓い合うのだった。
☆ ☆ ☆ ☆
「――楽勝だ、例外気取り」
割れんばかりの大歓声の中、その台詞だけが何故だか鮮明に勇麻の耳朶に響き渡った。
「勇火ィいいいいいいいいいいいいいいいいいーーっっっ!!!?」
興奮を抑えられない。感情の高ぶりを吐き出すように、勇麻は格上を一瞬で蹴散らした弟の名を観客たちにも劣らぬ声量で叫んでいた。
そんな兄の絶叫に気付いた勇火は気恥ずかしげに頬を搔いて、
「――こう、嫉妬の欠片もない無邪気な反応をされると、俺としては少し複雑なんだけど……っと、そう簡単にはいかないか……っ!」
背後に気配を感じた勇火は、バトンを待つ兄から目を逸らしチラリと後ろへ視線をやる。
すると少し後方に、怒り狂って歯を剥き出した鬼のような形相をしたドラグレーナ=バーサルカルと、冷静な表情を少しも崩さないユーリャ=シャモフの姿が映る。
「ざけんなざけんな……ざっけんなァッ!!」
ドラグレーナは地中から噴き出すマグマの勢いに乗り、さらに巨大なマグマの魔手を先行させ勇火をトップから引き摺り下ろそうとする。
ユーリャも同様。自らの力で生み出した樹木の爆発的な成長速度を利用し勇火に追いすがり、同時に無数の蔦や蔓が勇火の手足を絡め取ろうと迫りくる。
だが、
「――遅いッ!」
一言で断じた。
立て直しの早さは流石の一言に尽きるだろう。
だが、それでも。
『疑似神化』を発動した東条勇火に先を行かれた時点で、スピード特化型でもない彼女らに逆転の目はない。
離れていく。
世界が、景色が、空気の壁が、ドラグレーナの操る魔手が、ユーリャの蔓や蔦が、大歓声が。
この世の全てを置き去りに『雷翼』を迸らせ、東条勇火は地面を走る稲妻のように飛翔する。
それは心地のいい感覚だった。
現実の勇火を縛り付け自由を奪うしがらみ全てを振り切って、東条勇火はただ一人、光と化して風をも追い抜いて行く。
全てが勇火の遥か後方へ線となって流れる中、握りしめたバトンを前へ。自らの想いごと次へと託す為に。
「兄貴!!」
崩落したスタートラインの手前で弟を待っていた兄へ、白いバトンが手渡された。
「任せた――」
「――任せろ」
そのやり取りは、すれ違いざまの一瞬の間だった。交わされた短い言葉、ただそれだけで十分だった。
速度を落とす事無く、満足げにそのまま高速離脱する勇火。
確かに受け取った想いとバトン、勇麻はそれをきつくきつく握りしめて――
「――ざっけんなァァアアアアアアアアアア!!!」
ドラグレーナ=バーサルカルの咆哮に勇麻の両脇の地面から、勇麻を握りつぶさんとマグマの魔手が出現する。
殺意を持った攻撃も、相手を殺してしまえば自分が失格になる事も全て忘却した怒り狂った大地の業火の一撃。
燃え滾るマグマの魔手が、左右両方向より挟み撃ちに東条勇麻を押しつぶすべく殺到した。
ドッッ、パッァン!! と、まるで鬱陶しい蠅を叩き潰すような一撃。掌が空気と地面を叩く盛大な衝撃音が鳴りひびく。
じゅっっ!! 空気も何もかもを焼き焦がすような音色と共に、少年の居たはずの場所は地獄へとその姿を変えていた。
人一人など圧倒いまに焼け融けドロドロのアメーバのようにしてしまうであろう熱量。
既にその地獄に少年の姿はない。だがそれは、魔手によって焼け融けた訳でも、押し潰されてしまった訳でもなかった。
まずドラグレーナが異変に気付いたのは、観客達の大歓声だった。
観客たちの視線はとある一点へ。
空中、
「……んだ、その……」
地面にひび割れを走らせ、巨大な崩落を飛び越える少年の大跳躍に会場が湧き立っていた。
「……カエルみてえな、っざけた跳躍力はァ!?」
既に東条勇麻の身体は空中へと勢いよく射出され、ドラグレーナ=バーサルカルの怒りの一撃はすんでのところで少年を取り逃がしていたのだ。
背後、驚愕を叫ぶドラグレーナに東条勇麻は空中でニヤリと笑って、
「悪いな。この大歓声、負ける気がしねえんだ……ッ!」
勇気の拳は、東条勇麻の精神状況に呼応してその身体能力を増減させる神の力だ。
さらに言えば、ある程度意識的に相手の感情を読み取る力をも有している。
ならばこの大歓声。
東条勇麻を応援する人々の声援が、その気持ちが東条勇麻の力に、ひいては勇気の拳の力にならない訳がなかった。
……右の拳を中心に、燃えるような熱量が広がる。人々の熱狂が、高揚が、興奮が、熱い感情の全てが勇麻の中に入り込んでくるような感覚。
勇気の拳が歓喜に吠えているかのようだった。熱く昂ぶる。身体に力が漲る。回転率が、あがる。
「――行っっけぇえええ!! 勇麻くんッッッ!!」
もはや音の塊と言っていい大歓声の中、そんな声援が確かに聞こえた気がした。
大崩落を跳躍し着地と同時、撓むほどに力をため込んだふくらはぎが筋力の全てを解放し、地面を力強く蹴り付けた。
ドンッ! と、爆薬が破裂するような轟音と共に、大地に放射状にひび割れが走る。
解き放たれた矢のように東条勇麻が疾走を開始した。
その光景を見て。褐色の肌に白濁した白髪を持つ女だけが、嗜虐に満ちた微笑みを浮かべていた。
☆ ☆ ☆ ☆
……思わず立ち上がり、叫んでしまった。
息も荒く頬を赤くして、縮こまるように座席に収まる楓。そんなどこか小っちゃくなってる彼女に、
「うむ、楓も勇麻のためならそんな大きな声が出せるのだな」
「うぅ、その言い方はやめてよアリシアちゃん……、」
「ほう。つまりは……そういう設定か」
「へえ、なるほどなぁ……ボウズもなかなか隅に置けないヤツじゃねえか」
「お二人実は仲良いですよね!?」
隣に座るアリシアが割と空気を読まずにぶっこんでくるのだった。
☆ ☆ ☆ ☆
【一日目、第一種目。障害物リレー】
【途中経過】
第一走者、着順
一位、天界の箱庭Eチーム・東条勇火。
二位、新人類の砦Cチーム・『リーダー』ドラグレーナ=バーサルカル。
三位、新人類の砦Eチーム・『リーダー』ユーリャ=シャモフ。
四位、未知の楽園Bチーム・ナギリ=クラヤ。
五位、天界の箱庭Cチーム・鳴羽刹那。
六位、未知の楽園Dチーム・『リーダー』ドルマルド=レジスチーナム。
七位、未知の楽園Eチーム・シャラクティ=オリレイン。
八位、未知の楽園Aチーム・リヒリ―=リー。
先頭集団十七キロ(計五十七キロ)地点通過、現在順位。
一位、天界の箱庭Eチーム・東条勇麻。
二位、新人類の砦Cチーム・シーライル=マーキュラル。
三位、未知の楽園Bチーム・『リーダー』リズ=ドレインナックル。
四位、天界の箱庭Cチーム・十徳十代。
五位、新人類の砦Eチーム・ルフィナ=アクロヴァ。
六位、未知の楽園Dチーム・サマルド=ドレサー。
七位、未知の楽園Eチーム・ビリアン・クズキ。
八位、未知の楽園Aチーム・『リーダー』リコリス。
以下、失格により脱落。順不同。
バトン破損により失格、天界の箱庭Aチーム・浦荻太一。
コースアウトにより失格、天界の箱庭Bチーム・香江浅火。
コースアウトにより失格、天界の箱庭Dチーム・音無亜夢斗。
コースアウトにより失格、未知の楽園Cチーム・竹下悟。
コースアウトにより失格、新人類の砦Aチーム・ピア=ナルバエス。
コースアウトにより失格、新人類の砦Bチーム・クレボリック=シンボル。
コースアウトにより失格、新人類の砦Dチーム・メリー=コクラン。
☆ ☆ ☆ ☆
二〇キロ地点。
スタジアムからの折り返し地点であり、『障害物リレー』も全一二〇キロのうち六〇キロが走破された事になる。全体の折り返し地点に到達した事を告げる場所であった。
街のまわりをぐるりと一周するメインストリートを使用したコースは道幅自体はそこそこあるが、第一走者のユーリャ=シャモフが生み出した樹木によっておよそ半分の面積が覆われ、残った半分もドラグレーナ=バーサルカルが溶岩で溶かした地面が冷えて中途半端に固まっている為、ごつごつでこぼことしていて走りにくくなっている。
そんな悪環境の中を、選手達は互いを気絶させバトンを破壊しようと妨害を繰り返しながら突き進む。
残り半分の後半戦、レースは予想外にも混戦の様相を呈していた。
勇麻は自分目掛けて吐き出される高圧水流のカッターを上方向への跳躍で躱し、ユーリャの生み出した巨大樹木を足場に天地逆様に着地する。そのまま足場を蹴りつけて加速を得ながら地面へ着地し、足を止めることなくすぐ後方に迫る男へ苛立たしげに叫んでいた。
「……しつけえ!」
シーライル=マーキュラル。
まるでミサイルか何かのように丸みを帯び後方へ向けて尖っている流線形の独特な金髪が特徴の西洋人。軍服の上から大きなロングコートを纏い、立てた襟元で口元を隠した男。
ドラグレーナ=バーサルカルよりバトンを受け取り、現在三位につけているその男の猛追に勇麻はうんざりしつつあった。
さらに、それだけではない。
「あら☆ おねえさんの事も忘れてもらっちゃ困るわ」
「くっ……!?」
右横の樹木の陰から飛び出てきた女の拳を急ブレーキを掛けて躱しつつ、勇麻は現在三つ巴を演じる二人を鋭い視線でねめつけた。
リズ=ドレインナックル。
地味に高順位につけていたナギリ=クラヤから四位でバトンを受け取り、ここまで凄まじい勢いで追い上げてきた体力馬鹿女。……おそらくはナギリのあまった体力と干渉力を全て吸い取り己の力へと変換しているのだろう。その掌に触れるだけでこちらの力を奪われる厄介すぎる相手だ。
素の格闘戦も強く、神の力の性能を抜きにしても強敵だった。
「くそっ、キリがねえ。ここでブッ飛ばしちまったほうが早いか!?」
リズの拳が眼前を通り過ぎたのを見て、再度アクセルを踏み込む勇麻。
だが勇麻のすぐ左横を並走するリズは一向に離される様子がない。どこからそのエネルギーが湧いてくるのか、やけにツヤツヤテカテカとした柔肌を惜しげもなく見せつけ露出しながら、勇麻のバトンを執拗に狙い続ける。
(ちげえ、こいつッ! この樹から力を吸い取ってんのか!?)
よく観察すると、リズは時折ユーリャ=シャモフの残した巨大な樹木を掌で撫でるように触れながら走っているのが分かる。
神の力によって急成長を促した樹木には彼女の干渉力が多く残留しているのだろう。リズがやけにツヤツヤテカテカしていて元気なのは、随時エネルギー補給をしながら体力満タンの状態で走り続けているからだ。
「ねえ逃げないでよ、坊や。おねえさんとー、仲良く遊ばない?」
「ドーピング野郎め。俺は遠慮しとくよ、代わりにあっちの水も滴るイイ男の方をオススメするけど?」
「あははッ、冗談はよして。濡れ鼠は趣味じゃないわ」
勇麻の左側より放たれるのは、右手に持つバトンを狙った右の掌底。勇麻はあくまでガードするのではなくリズの攻撃を弾き返す意図で左腕を盾のように掲げる。
だが弾くタイミング、狙いは掌ではない。触れても問題のない、彼女の腕を弾くためギリギリまで引きつけて――
――パリィ、からの反撃。
そのまま左腕を地面へ平行になるように勢いよく倒す。振り下ろされる裏拳ぎみの一撃にリズの弾かれた右腕が巻き込まれ、勇麻の左腕に上から抑え込まれる形になる。
がら空きとなった彼女の顔面めがけてそのまま乱雑な軌道でアッパー気味の左フックを放つ、が、それは判断ミスだったと遅れて気付く。
「!?」
抑え込んでいたはずのリズの右手がぐにょりと腕に絡み付き、そのまま体重移動を利用され左腕をグイと背中へ捻り固められそうになる。
だが勇麻は腕を後方へと捻られた時のベクトルを利用して左足で地面を蹴り、自分の腕を掴むリズに全体重をあずける形で軸として利用し反時計回りに回転。そのまま勢いよく繰り出された右の蹴りが、ぐりんと真横から正面へと回り込むようにしてリズを撃ち抜いた。
後方へ転がるように弾き飛ばされるリズと、跳ね返ってきたエネルギーで己の回転力を相殺し進行方向へ背を向けてその場に着地を決める勇麻。両脚を大きく開き、左手を地面についた蜘蛛のような体勢でふぅと残心。
そんな勇麻へ、水と風二つの力を纏ったシーライルが有無を言わさず突撃してくる。
「濡れ鼠ってより、洗車のでっけえブラシって感じだな。巻き込まれたらいい具合に頑固汚れも落ちそうだ。俺なんかより、あの色ボケ女の汚れをごっそり落としてくれると助かるんだけど……!」
シーライルはまず気流を操り己の腕の周りに空気の流れを作り、そこへさらに水を纏わせるようにしてドリルのように高速回転させている。
気流と水流の二重螺旋構造。
勇麻はそれを見てほんの一瞬、床屋で回っている三色のアレを連想して――
「――っ!?」
突き出されるドリルのような手刀による刺突を、連続後方倒立回転――要するに連続バク転で回避。そのまま一際鋭く跳躍し今度はバク宙。空中で体操選手のように身体を捻り、竹トンボのように回転を加えた蹴りで突進してくるシーライル放つ一撃とどうにか拮抗する。
互いに弾かれるようにして距離を取って着地し、反転。すぐさま追いかけてくるであろうリズ=ドレインナックルとシーライル=マーキュラルから少しでも距離を取るべく、勇麻はさらに強く大地を踏みしめ蹴りつける。
詳細不明の制限時間が存在し、なおかつ後続が続々と追いかけてくる『障害物リレー』では、追いかけてくる他選手をいちいち相手にしていたのではきりがない。
速度で撒けるのなら逃げるのが一番なのだ。
先まで勇麻がいた場所に風によって威力と速度を増した水の弾丸が突き刺さり、地面を抉る。
間髪入れずに走り逃げる勇麻を追うシーライルとリズ。シーライルは、逃げる勇麻の背中目掛けて無数の水弾を勢いよく発射する。
牽制目的の、威力よりも数の弾幕を意識した攻撃。躱せる隙はなく、それは横殴りの雨のように降り注ぎ勇麻の足を止めるかに思えた。
だがそうはならない。
一位を争う三者の間に新たに割り込む影が生じたのだ。
「……ああ、僕も混ぜてはくれないかな?」
抑揚のない、亡霊のような声色だった。
放たれた数多の水弾は割り込んで来た少年にぶつかる前に、見えない透明な壁にぶつかるようにして弾けて消えた。陽光を受けて煌めく水しぶきが、まるで砕け散る宝石のように儚く美しい。
突如として出現した乱入者に、思わず勇麻も立ち止まり振り返る。
そこに居たのは、一直線に切り揃えられた前髪――所謂ぱっつん前髪が愛らしい小学生くらいの見た目の童顔の少年だった。
この年齢で『三大都市対抗戦』に出場している事を除けば、どこにでもいそうな少年ではある。
――声に一切の抑揚がなく、感情をうかがい知れない。どこにでもいそうな容姿であるだけに、どこかちぐはぐな印象を受ける不気味さはあるが、その程度の事は充分に許容できる範囲である。
しかし、一つだけ看過できない点があった。
「……ああ、自己紹介がまだだったね。僕は十徳十代。天界の箱庭の人間なのでね。一応君の仲間、だと思って貰っても構わないんじゃないかな? 僕の鳴羽刹那も、君の弟くんと仲が良かったようだしね。東条勇麻くん」
その少年の足は地面についていない。
羽根や翼の類がある訳でも、風を纏ったり足元にロケットブースターを積んでいる訳でもない。
まるで幽霊か超能力者のように、ぴたりと空中に停止するように浮遊していた。
そう。この少年は念動力で、自らの身体を浮遊させ、操っている。
「へえ、アタシ若い子は好きだけど……坊や、ちょっと違うわね?」
「あまり目立つのは好きではないけど、仕方ない。何でこんな事をしなきゃならないのか、勝手に僕を巻き込んだ北御門さんからは後で何らかの代償を頂くとして。少しだけ相手になってあげるよ、ひよっこ」
レースは混戦。
状況は混沌。
予想は混難。
どのチームが一位を手にするのか、誰にも予測ができぬまま、それでも確実に終わりは近づいていく。
☆ ☆ ☆ ☆
ビリアン=クズキは人の心が読める神の能力者だ。
(うーん、後ろのリコリスって人、どうも私のことは端から眼中にないみたい……?)
『思考の壁』。
干渉レベルBプラスの読心能力。相手の思考を読み取るだけでなく、過剰のゴミデータを脳のリソースを圧迫するウイルスのように流し込む事で一時的に相手の思考そのものをシャットダウンさせる事ができる、強力な神の力。ただし強力な反面思考をシャットダウンさせるためにはかなりの集中力と干渉力を必要とするため、連続使用も乱発もできない。使いどころの限られてくる力であった。
現在ビリアンは七位。だが、そのすぐ後ろには八位のリコリスという名前の選手がいる(いちおうチームメイトだが、話しかけても全て無視された)。実質的に最下位を争っていると言っていいだろう。
六位の選手とはかなり差があり、走っての逆転は難しい。そもそもビリアンはどちらかと言うとあまり体力に自信がない。
折角第一走者のシャラクティ=オリレインが必死に八位の選手を引き離してバトンを繋いでくれたと言うのに、遊びのように流して走っているリコリスに追いつかれてしまうくらいなのだ。
八位も六位も、どちらもビリアンと同じ未知の楽園の選手なので出会ったところで戦闘に発展しないのは唯一の救いか。
そもそも彼女が『対抗戦』に出場しているのは親友のホロロが代表選手に選ばれたからであって、本来ならこんな場で勝利を求めて競い合いに興じるような好戦的な性格をしていないのである。
場違いと言えばどこまでも場違い。
だが彼女は、そんな場違いな場所であっても委縮し縮こまってしまう事はない。
黒髪碧眼でふわふわとした優しげな印象を与えるビリアン。日系アメリカ人の彼女は、日本の大和撫子らしくおだやかなで思いやりに溢れた心を持ちつつ、アメリカ人らしい大雑把で物怖じしない豪胆な所を併せ持っていた。
(……ひとまず、この人には私を抜いて貰おうかな。もしこの人の策が成功するなら、私もおこぼれにあやからせて貰わないと勝ち目がないみたいだし……。せっかくシャラちゃんが七位で繋いでくれたんだもの。ビリでホロロちゃんに繋いだら、あの子また変に自分を責めちゃうよ、きっと)
脇腹が痛くなった風を装って、ビリアンは徐々にペースを落としていく。リコリスはやはりビリアンなど眼中にないのか、一定のペースを保ったまま見向きもせずにビリアンを抜いていく。
抜かれたビリアンは一転、今度はリコリスの後ろを付かず離れず、全力で手を伸ばせば届くくらいの一定の距離を保って走り始める。
(うーん、多分あと二十分くらい? で、仕掛けるみたいだし、私も乗り遅れないように集中力をあげといたほうがいいかな。タイミングが重要みたいだし)
よし、頑張るぞ! と。自分がこれから打って出る賭けの危険性を考慮してなお揺るがない呑気な心の掛け声と共に、自身の干渉力を制御し始めるビリアン。
普通ならば十人中九人が躊躇うような方法を頭に思い浮かべ、それでも彼女の心を埋めるのは恐怖ではなくここまで頑張った仲間と、これから頑張る仲間への気遣いだった。
ビリアン=クズキ。
一見まったく荒事に対する耐性がなさそうな少女ではあるが、それでも彼女は弱肉強食の未知の楽園を生き抜いた逞しき孤児である。




