第十二話 対抗戦、開幕Ⅱ――祭りの裏、厄災と血祭り:count 7
標高五一〇〇メートル。
酸素も薄く、気温は容易にマイナスを下回る、生物が暮らしていくには極めて厳しい環境。標高だけならフランス最高峰のモンブランとほぼ変わらない、そんな高度に位置する街があった。
全長二キロという馬鹿げたスケールの巨大な岩石が、これまた映画か何かのように天空を漂っている冗談のような光景。
もはや一つの山と言っても過言ではない逆さ円錐型の浮遊大地のうえに作られた街、『天空浮遊都市オリンピアシス』。
今も世界最大規模の祭典に盛り上がるその街は、三つの実験都市によって共同で建築されたそうだ。
そんな空に浮かぶゲテモノ都市には、公式には発表されていない、今後も発表されることのないであろう技術が関わっている。
例えば――街をドーム状に覆う気温や酸素濃度を含む環境値を人間が過ごしやすい値に保つ結界。
例えば――逆円錐型の大地を浮遊させている動力源とも言える物体『匣の記憶』。
例えば――
「――ぐむむ。一定以上の『神性』を有する者を拒む結界か。円錐型の大地をすっぽり覆う形で展開しおって……」
それは、天空に浮かぶ大地と同等かそれ以上に異様な光景だった。
『世界終末の四十五日間』から五十年。科学史上主義だったこの世界に今では多種多様な異能が溢れている。
神の能力者に対する偏見や差別は依然色濃く残っているものの、オカルトや常識外れの超常に対する人々の全体的な敷居それ自体は、確かに下がっているだろう。
神の力とそれを扱う神の能力者。
科学の力で未だ解明できない、現代人類の最も身近に存在する神秘。
それらがもたらした影響は大きく、どんな荒唐無稽な話でさえも「あんな力が存在するんだから可能性はゼロではないでしょ」と、オカルトだ迷信だ世迷言だと切り捨てられない世の中になってしまった。
科学的根拠も何もない、不確かなオカルトに振り回されて一番迷惑しているのは現代の警察だろう。神の能力者などという物理法則の超越者に掛かれば完全犯罪など朝飯前。不可能な犯罪などそれこそ無いに等しい。
だからこそ、三つの実験都市は多くの人々に疎まれながらもそんな異常者達の受け皿として機能している訳だ。
しかし。
かつての常識が粉々に砕け散り、無意味なガラクタになり果てたこんな世界でも、だ。
アメジストのような輝きを秘めた紫髪と同色の瞳を持つ、一〇歳にも満たない幼女と。白髪の眩しい好好爺然とした老執事が標高五一〇〇メートルに浮かんでいるこの光景に遭遇したならば、誰だって流石に目を疑うはずだ。
まるでお人形のように整った顔立ちをした女の子だった。
明るく朗らかな笑みを浮かべれば天使のように愛らしく、ひとたび彼女が涙を浮かべれば誰もが慌ててその涙を拭き止めようとするだろう。
磨けば輝く宝石のような、未来という可能性の塊。
しかしながら彼女には未来の可能性など存在しない。
しかしながら彼女の顔に浮かぶのは年相応の天真爛漫な微笑みではなく、地獄の底のような乾いた笑みだけだ。
ここが打ち止め。行き止まり。終点にして終焉。
何故なら、絶望へと収束した可能性は、パンドラと呼ばれる幼女の未来をも焼き付くすのだから。
「これでは土台の大地を突き破って地中から結界内に顔を出すというのも無理じゃな。シーカーめ、面倒な事をしおって。というか、スネークのヤツは一体どうやって中に侵入したのじゃ? あの木偶、『知恵の実』と共についに最低限の『神性』すら失ったか」
パンドラが首を傾げると、浅黒い褐色の肌によく栄えるアメジストのような紫色の髪の毛が踊るように揺れる。
こてりと可愛らしく小首を傾げる動きはどこまでもあどけない子供のソレだ。故にその口から語られる内容が、どうにも不穏で歪で釣り合いが取れない。
「怖れながらパンドラお嬢様。スネーク殿には『設定使い』が付いております故、いくらでも誤魔化しようはあるかと」
そんなパンドラの疑問に答えるのは、すぐ隣に控える精悍な顔立ちをした老執事。
いつもはイタズラげに笑う薄紫色の瞳に今は最大級の嗜虐性を詰め込んだ少女は、老執事の解答に心の底からつまらなそうに鼻を鳴らして。
「『設定』、か。……まあよいわ。あんな便利屋に頼らずとも、斯様な結界、吾輩の力で突破は容易じゃ。――あまり侮るなよ『探求者』。貴様が『叡智』を、彼の蛇が『肉体』を司るように、吾輩が何を司るか。よもや忘れたとは言わせぬぞ」
凄絶な笑みを幼い相貌に刻み込み、パンドラが逆さ円錐の大地目掛けてその掌を翳す。
吹きすさぶ風の音に混じり、世界が震えるような異音が混ざる。
否、震えているようではない。事実、たった一人の幼女の存在が世界を軋ませ歪ませようとしているのだ。
随分と舐め腐った真似をしてくれた『探求者』への怒りを込め、パンドラは無限に等しい生命力から魔力を練り上げ始める。
不思議と慣れ親しんだ動作、感覚にパンドラを激しい頭痛が襲う。しかしこの程度の痛み、身体が爆発四散したエルピスと比べればどうという事はない。
「この程度の結界に穴を穿つ程度、今の吾輩でも造作もない事なのじゃと思い知らせてやろう。“どうやら、数世紀ぶりの本気らしい”しのう、喜べ探求者! 『神秘』を司りし吾輩の本領を見せてやるのじゃ……!」
――パンドラは『特異体』と呼ばれる特別な個体だ。
世界にたった三人しかいない例外中の例外。
彼らの存在を知る数少ない学者の一人は『特異体』を神の子供達のさらにその先、人類の到達点だと予想したらしい。
彼ら『特異体』が他の人類と大きく異なる点の一つとして上げられるのは、ある器官の有無だろう。
脳幹と呼ばれる部位に存在する『知恵の実』と呼ばれる特殊な器官。人類の脳には――神の能力者にも存在しない、彼女達『特異体』のみが持つ脳構造。
各種の神経核や神経回路と密接に絡み合うその部位が、パンドラの持つ特殊な力を制御する司令室だ。
『特異体』が振り翳すは神の力とは似て非なる異能。
遥か古。
世界にまだ神秘が満ちていた神々の時代の秘奥の儀。
パンドラが扱うその特異な力はかつてこんな名称で知られていた。すなわち――
――『魔術』。
「――其は、世界を手にする者。手中に収めるは万能の可能性、されど可能性は一点へ収束し、其はこれをもって三千世界へ厄災を齎さん――」
詠唱による自己暗示により、体内の生命エネルギーを効率よく望んだ形質の魔力へと変換していく。
変換した魔力を巧みに操り、世界に働きかける。
この世界の大気に満ちる五つの神秘『五大元素』より必要な元素を必要な数値分だけ己の魔力に取り込む。
パンドラの扱う魔術とはいわば世界との融合だ。魔力という媒体を通して世界の一部を自身に流し込む事で世界と同化する。そうして世界そのものを根本から操る神魔の術法。
……この場合の魔力とは無色透明で色のない純粋な力であり、絵筆のような物だ。世界に満ちる五つの神秘『火』『水』『土』『風』『真エーテル』。それら五大元素という絵の具を掬い取り、混ぜて、色を造り出し、世界と言うキャンパスに『魔術』という絵画を描いていく。
詠唱などによる自己暗示、五芒星や六芒星などの魔法陣は、この絵筆の形質を定め、描く絵画のタッチを決める為の行為だと考えて貰えればいい。
絵筆の質や大きさ種類その筆使いによって、描くモノが変わるように。練り上げる魔力の質や大きさ種類その使い方によって発動する『魔術』も変わる。
絵筆に掬い取る絵の具の分量で色が変わるように、己の魔力に取り込む五大元素の種類と量によって『魔術』の効果は変わる。
ナノグラム単位の誤差さえ許されないような精密作業。その究極的な精密動作を無意識下に指示・コントロールするのが『知恵の実』と呼ばれる脳器官であるならば。
『知恵の実』と呼称される極めて特殊な脳の構造。その身体的特徴こそが、『特異体』を『特異体』たらしめているというのは、あながち間違いでもないのかもしれない。
人間には扱えない魔術を扱う『特異体』。
人智を超えた神魔の術法。それをかつて人は神通力や神力や魔法。奇蹟と呼び湛えたと言う。
そんな異能を、『神』なる『神秘』が死んだとされるこの現代でパンドラは解き放つ。
「――万能の匣、起動」
魔力に“色”を与えたパンドラがその力を掌に集約し、術式を形成。パンドラのみが扱える固有魔術『万能の匣』を起動する。
少女の掌を中心に、世界に歪みが生じる。
まるでピンと張った布の真ん中を摘み捩じり上げるように、少女の掌を起点に空間がぶわっとさざ波だってよじれ、皺が走る。まるでそれは熱狂するライブで湧きおこるウェーブのように伝播しどこまでも広がっていく。
世界に一斉に走った罅割れ、それはまるで碁盤の目だ。もしくは古都京都の街並みを思わせる直線的なラインだった。それが三方向――X軸、Y軸、Z軸方向へと何本も何本も生じ、どこまでもどこまでもその直線が伸びていく。
規則正しく、それぞれが直角に交わるように、立方体を形成しながら世界に切り込みを入れて走る罅割れ。それがボロボロと崩れ、剥がれて、そうして空から切り取られた空色のキューブが、少女の掌という一点を目指して収束していく。
まるで世界から何かを強奪するかのように、数えきれない程の莫大な力が集まる。
お湯で満たされた風呂の栓を抜いたような、強大な重力を持つブラックホールに吸い寄せられるような、パンドラにとってかつて慣れ親しんだ“らしい”そんな感覚。
ナニカを思い出す度に鈍痛が頭を襲うが構わない。
気付けば、少女の掌の中には無色透明の立方体が一つ生じていた。
大きさは一辺が五センチ程度、文字通りの掌サイズ。小さな彼女の掌にギリギリ収まるような大きさでしかない。
だというのに、その立方体が周囲へ放つ禍々しさ、その小さな体積に秘めた情報量とエネルギーの密度のようなモノが、少女を中心に世界に不安定な歪みを生じさせている。
――ぶち壊してやるッ!
あらゆる意味で純真、善と悪の区別さえつかない程の穢れなき無垢だった少女。
そのどこにこんな感情が眠っていたのか。抑えきれない怨嗟の激情を込めて、パンドラは牙を剥き出しに終わりの言葉を口にした。
「――最愛なる世界へ贈りし厄災!!」
詠唱を完成させ、魔術の発動キーとする。
箱を開けてみるまでその中身は確定しない、という『万能の可能性』を内包した術式。
その中から『結界を貫く』という一つの可能性を抽出し、一切の躊躇なく世界へと解き放たんとするその寸前。
「――お待ちを、『厄災の贈り物』」
「……」
結界に守られた円錐の大地とパンドラの間に突如として割って入った男の声に、パンドラは路傍の石を見るようなしらけきった感情の消え失せた視線を向けて、
「……、」
そのまま、無造作に無感動に、その腕を振るった。
――小さな太陽の如き閃光と爆発が、瞬時に視界を埋めた。
爆音と表現するのも生温い音、音、音、音!
破壊の奔流。
その余波と音波とがやや遅れて吹き荒れ、少女の紫の髪を背後へと吹き揺らす。少女の傍に立つ老執事も、その紳士服が風に揺れるが、爆発の余波が老体を叩く中一ミリもその体幹がブレる事は無い。両者とも顔色一つ変える事無く空中に佇み続けている。
標高五一〇〇メートルで突如として発生した大爆発は、とてもじゃないが生身の人間が五体満足で耐えられるような代物ではなかった。
この高度まで飛翔している時点でただの人間である事はあり得ないが、それでも先の火力は些か以上に過剰であろう。
道端の不良一人制圧するのに、戦車部隊を持ち出すようなものだ。
哀れみを通り越して、もはや呆れしか浮かばない。
たかが二メートルにも満たない炭素で構成された生命体など、灰塵も残さずに消滅する事は間違いないだろう。
空気の読めない無粋な邪魔者を消し飛ばしたパンドラは、以前として冷めた表情のまま、爆発四散し跡形もなく消滅しただろう男が居た空間へと視線を向ける。
爆発によって発生した黒煙で視界はゼロに等しいが、別に彼女もいちいち死体の有無を確認するつもりもなかった。
パンドラは、相も変わらず路傍の石を見下ろすような凍える瞳で、己が消し飛ばした下手人へと忠告するように告げる。
「……今の吾輩は虫の居所が悪い。今ならばまだ許すのじゃ、何処へともなり消えるがよい。『探求者』の手の者よ」
「……いやはや、出会い頭に私を殺しておいて今なら許す、と来ましたか。流石はシーカー様と並び称される『特異体』パンドラ様。噂以上のじゃじゃ馬っぷりだ」
黒煙が充満し一メートル先さえ見通せない状態であろうと、『特異体』たる少女の前には視界の有無など関係ない。
未だ晴れない黒煙の先、パンドラの一撃で跡形もなく消滅したハズのその男――『創世会』幹部、『三本腕』が一人。
『白衣の男』は、煤一つついてない白衣を風に翻し、困ったように肩を竦めていた。
タイミング、破壊の規模、威力、速度。何をどう考慮しても、避けられるような時間はなく、パンドラの一撃が男に直撃したのは間違いない。
それだと言うのに目の前の男は何事もなかったかのように五体満足で、なおかつ僅かな汚れさえも見受けられない。
明らかな異常。
オカルトですら説明できるとは限らないような、奇蹟とも恐怖現象とも呼べる超常現象。
世界の法則から逸脱した反則だった。
しかしパンドラも老執事も、誰一人として目の前の光景に僅かな驚愕さえ浮かべなかった。
ただどこまでも退屈そうに、初めからその結果を分かっていたとでも言うかのように、パンドラは白衣の男に対する嫌悪感を隠そうともせず吐き捨てる。
「黙れ、外道。吾輩をあまり怒らせるな。貴様ら『創世会』の手の者を見ると、無性に殺したくなる」
「それは脅しのつもりですか?」
「脅し? 何故吾輩がそんな弱者の真似事をせねばならんのじゃ?」
白衣の男のふざけた物言いに失笑を隠しもしないパンドラ。
この暗く激しく燃え滾る憎悪と殺意は偽りなき本物だ。『創世会』に関するモノを目にすれば、脳裏にあの瞬間が蘇る。
自分を庇い、凶弾を受けて爆発四散する友の姿。
そして怒りと絶望のままに人間の命を奪った、あの瞬間を。
パンドラはもう戻れない。
命の尊さを、人間の価値を、友達の大切さを、それらを知ってしまったからこそ、二度と戻れない。
戻ってはいけない。
裏で全ての糸を引いていた卑屈で陰湿なあの男をこの世で最も惨く凄惨な方法で惨殺するまでは、決して止まれない。
赦さないし。赦せない。そんな事は赦されない。
そう誓った運命の日を、パンドラは昨日の事のように鮮明に思い出せる。
思い出せてしまう。
だから。
ともすればいつ爆発するかパンドラでさえも制御できない、激しい感情の末端を人間の尺度で語られる事にパンドラは笑ったのだ。
――何一つとして面白くない、と。
対する白衣の男も、眼前の存在から発せられる圧巻の怒気に怖じ気付く事もなく、慇懃無礼な対応でそれに応じる。
「これは失礼を。何分、弱体化しているとお聞きしておりましたので」
中々に肝っ玉の据わった男だ。常にあの『探求者』の傍に仕えているだけはある。
パンドラは無感情にそれだけを評価した。
「それにしてもさきの一撃……あれが貴方様の魔術ですか。確か……『万能の匣』、でしたか?」
「貴様の尺度で測ろうなどとは思わぬことじゃ、人間。カバラだの錬金術だの、貴様ら人間の言う『魔術』とやらは、吾輩達の力を――その神秘を再現しようと躍起になって、結果として偶発的に発生した“別物”、的外れな学問に過ぎん。『知恵の実』を持たぬ者が扱える力ではないと言うのにのう。……もっとも、“あえてその的外れなフォーマットに力を落とし込む事によってこの世界に適した形と出力で吾輩達の力を振るう場合もあるが”……吾輩達の力は根本的な理論方式からして貴様ら人間のモノとは異なっておるのじゃ。ま、『魔術』でも『魔法』でも『奇跡』でも、呼び名は好きにすればよいがな」
呆れたように冷め切った声色で告げるパンドラに、しかし白衣の男は傲慢な笑みを広げた。
「……確かに、そうなのかもしれませんね。しかし――しかしですね、パンドラ様。我々人類も手にしたのですよ? 今から半世紀ほど前に。その神の力とやらを」
「……ふん、神の恩恵にあやかって増長したか、人間。その飛翔能力は貴様の物ではあるまい。大方『探求者』のヤツが『逆説的人類設計図』を使ったか。……単なるダメ元の捨石か、余程のお気に入りか、一体貴様はどちらなのじゃろうな?」
弱体化しているのは事実だが、それをただ認めてやるのも癪だ。何より、例え今のパンドラの力が全盛期の何億分の一だろうとも、目の前の人間に負ける道理もない。
逆に今の短いやり取りで敵の手の内の殆どを察したパンドラは、主に絶対の忠誠を誓っているらしい白衣の男へ最大限の悪意を込めた言葉をプレゼントしてやる。
しかし白衣の男は、そんな悪意に対して微塵も動揺する素振りを見せない。いっそ満足げに満面の笑みさえ浮かべている。
「生憎、私は捨石にするには生き汚すぎましてね。この飛翔能力を与えられる過程の試行錯誤で十七回程、適合できずに死亡しました。……『逆説的人類設計図』は確かに強力ですが、扱いにくい。シーカー様が結局使わなかった理由がよく分かる。特定の個人に対して使用するならともかく、安易に用いれば瞬時に人類を滅ぼしてしまう」
「……ふん、その不死性が貴様の神の力か。身の丈に余る力をその身に宿した気分はどうじゃ、小さき者よ」
「ええ、実に愉快爽快痛快ですとも厄災の贈り物様。……なにせ、今の私ならば貴方様のような超常を相手に、足止めの役を担う事さえ出来るのですから……!!」
風切り音と共に男が懐から取り出したのは巨大な包丁。多くの人命と鮮血を吸った殺人包丁を握りしめ、白衣を靡かせ空を舞う男が、パンドラへと襲いかかる。
踏み出した男の姿が、次の瞬間には霞と消える。
む、と鼻を鳴らすパンドラ。白衣の男の独特の暗殺歩法に、完全に視線から下手人を取り逃がしてしまった事を理解する。
特異な暗殺術を極めた男に、空を渡る力。そして殺しても殺しても何故かリセットするように蘇るその不死性。
なるほど。それらをもってすれば、確かに人外魔境の存在である『特異体』にも手が届くかも知れない。
が、
「片腹痛いのじゃ」
パンドラはそんな男の勘違いを鼻で笑い――幼き幼女の腕が、次の瞬間白衣の背中から鮮血と共に飛び出していた。
「がはッ!?」
「どうした? 吾輩の足止めをするのではないのか? 貴様が足を止めてどうするのじゃだらしがない」
ぷらりと。まるで百舌鳥の早贄のように幼女の腕によって串刺しにされた白衣の男。身体を貫通した穴は奇妙な事に四角柱型にくり抜かれていた。
脱力し、少女の腕に凭れかかるように手足を投げ出した男の瞳からはどんどんと生気が消えうせていく。
くだらない男のくだらない命の灯が、もう間もなく燃え尽きようとしているのだ。
――『匣の中身は開けてみるまで分からない』。
そんな万能の可能性を司るパンドラに、何をどうやって勝とうと言うのか。
パンドラの魔術『万能の匣』が発動した時点で、ただの神の能力者風情に万に一つも勝ち目はない。
パンドラは白衣の男が神の力を発動させる間もなくその命を握りつぶして――
「――ほう」
パンドラが貫いていたハズの白衣の男の肉体が消失していた。
いつ、どのタイミングで男が消えたのか、いまや万能に近い能力を誇るパンドラでさえも見当がつかなかった。
幼女の細腕にこびりついていた男の血や臓物も、綺麗さっぱり消失している。
そしてこれもまたいつの間に現れたのか、パンドラの視線の先、およそ十メートル程前方。
最初に現れた時と同じように、白衣の男は染み一つない白衣を翻し、空に立っていた。
人の首を断ち続けた殺人包丁を右手に握りながら、男はニッコリと。見せつけるように両手を広げて、
「貴方様の足止め、私でもどうにか勤まるようですね」
「……どうやら、ただの不死身ではないようじゃな。不死者を殺すつもりで力を叩き込んだのじゃが……」
「ええ、ただ死なないだけでは、貴方様を足止めする事などできる訳がない。どうです? 少しはやる気になって頂けましたか? 厄災の贈り物」
「ふむ」
パンドラは思案するように短く呟いて、直後。
「……くだらないが退屈しのぎには丁度よい。あの男を殺すしゅみゅれーと、とやらを、貴様でしてやろうか」
幼女の顔が凄絶に歪み、白衣の男もまた嬉々としてその殺気を受け止める。
その手に万能の可能性を手にしながら、希望を失ってしまった幼女。
誰かと繋ぐことが出来たかもしれなかった小さなその手を、パンドラは腐った男の濁った鮮血で穢していく。




