第十一話 対抗戦、開幕Ⅰ――世界一危険な障害物競争:count 7
『来場の皆様にお知らせします。現在、十二時より開始の『障害物リレー』に出場予定でした未知の楽園の選手団の到着が未だ確認されておりません。つきましては、競技開始の十二時に間に合わなかった場合。ルール通りに未知の楽園の出場選手を失格とし、『障害物リレー』はそのまま予定通りに開催いたします。何卒ご了承ください。繰り返します――』
会場に繰り返し流れるアナウンスに、観客達がどよめく中、小心者で小市民である東条勇火は、割と全力でテンパっていた。
(やばいやばいやばいやばいどうしよどうすんだよどうすればこれ勝てる気がしないよ何で俺が一走なんだよバカ兄貴……ッ!)
第一種目、『障害物リレー』。
東条勇火は天界の箱庭Eチーム第一走者として、『AEGスタジアム』のフィールド外側を走る陸上トラックに引かれたスタートライン上に立っている。
だらだらと流れる脂汗、走り出してもいないのに荒くなる呼吸。スタートラインに立って大歓声を直に浴びる。ただそれだけでここまで心臓の脈動が速くなり、思考が真っ白に白熱するなど予想してもいなかった。
鼓膜を突き破りそうな音の轟きに頭がくらくらする。どこを見渡しても人人人人……!
しかも同じスタートライン上に並ぶ人達は、そのどれもが勇火より格上の神の能力者なのだ。そう思っただけで身体は震え、足が竦む。これが武者震いだと虚勢を張るだけの心の余裕さえ勇火は失いつつあった。
普段から冷静で感情に流されずに物事を判断する事ができる勇火だが、真面目さと責任感の強さが空回りしたり一度パニックに陥った時の脆弱性は本人も認める弱点である。
今回は完全にその真面目さが悪い方に出てしまっていた。自己生産の不安と緊張に勇火が押し潰されそうになっていたその時。
勇火の――もっと言えば第一走者達の頭上一〇メートル程上空。何も無いその空間に突如シワのような歪みが生じた、その直後の事だ。
「は?」
と、何の面白味もない素の困惑声をあげるのも無理はないだろう。
何も無かったハズの頭上の空間。そこにまるで魔法か手品のようにいきなり虚空を割って現れた多量のナニカが、勇麻達目掛けて真っ逆さまに落下してきたのだから。
「はぁっ!?」
躱す、なんて選択肢を思い浮かべる余裕すら無かった。雪崩に巻き込まれる無力な林木のように、頭上から降り注いで来た何かに押しつぶされ、東条勇火は潰れたカエルのような情けない悲鳴を上げていた。
要するに勇火は上から降ってきた謎の何かの下敷きになっている訳だが、それにしたって理解が追い付かない。
だって、上空から落下してきたのはピンク色の髪をツインテールにして、その髪色と同じピンクを基調としたゴスロリファッションに身を包んだピンクマシマシの女の子だったのだから。
「お尻痛いし。アスティ、自分が時間間違えてたからって絶対適当に飛ばしたし……」
愛らしいクマの人形をその胸に抱えたどこか陰鬱な雰囲気を纏った少女は、やや涙目で唇をぶすっと尖らせ勇火の背中を座布団代わりにしたまま、何か文句を垂れていた。
痛いのは確実に彼女でなく勇火である。さらに、
「ん? なんでリリの下敷きになってるし?」
「……。いや、あの。落ちて来たの君だよね? どいて貰えると嬉しいんだけど」
「ん、ああ。えーと。ごめんなさい?」
何故か疑問符付きの謝罪を残して、自らをリリと呼称した謎のピンク少女が勇火の背中から何事もなかったかのように降りる。
何だコイツ、と現実とのピントがやや合わないままにうんざりする勇火。
なにやら会場も先ほどまでの大歓声からひそひそ声の集合体のようなざわめきに切り替わっているが、今の勇火にそんな事に気が付くだけの余裕はない。
と、彼女以外にも落下してきたらしい人影のうちの一つが、地面に倒れ伏せる勇火を上から覗き込みながらこんな事を言い始めた。
「あら、どこかで見たような顔した坊やね。これはひょっとして生き別れ的な展開かしら?」
「リズ姉、そんなめんどうな味付けしなくてもソレ普通にアレの兄弟ネ。ほら、苗字一緒だし、チームも同じヨ」
「あら残念。可愛らしかったから拾っていこうかと思ったのに」
「リズ=ドレインナックル! どうして上着を脱いでいるのだ貴様は! 全国の目がある場でまた破廉恥な……! だから私はこいつを連れて行くのは反対だったのだ公序良俗違反女め。私達未知の楽園の女性が皆おまえのような変態だと思われたらどうする!?」
「ふむふむ、なんでもすり抜け可能な透過人間のレギン氏が言うと説得力がありますなー。偶然を装って妹のお風呂に凸しちゃうお姉さまってどう考えても変t
「ぎゃぁあああああああああああたたた竹下悟っ、貴様適当な事を言うな!!?」
「ま、何はともあれ無事間に合ったみたいで良かったじゃん。不戦敗貰って対抗戦から逃げ出した臆病者の逃亡者の烙印押されずに済んだみたいで何より。まあ俺達にはそれもお似合いかもしれないけどさ」
☆ ☆ ☆ ☆
“虚空を割って突如として現れた選手達”への大歓声が響く中、スタジアム内に設置されたスタートライン上に、十五人のランナーが横一列に並ぶ。
高まる緊張感と熱量。唾を飲み込む音、己の心臓の鼓動さえ鳴り響きそうな極限の集中と自己の内面の静寂の中に選手達はいた。
そしてそれをどこまでも包み込む、観客たちの大歓声。
『障害物リレー』の開始位置についた各選手達は、スタートの瞬間を今か今かと待ち構えていた。
そして――乾いた火薬の炸裂音が響く。
スタートの合図と共に、出場選手達はスタートラインを一斉に蹴り付けようとして――その数多が開始直後に盛大に打ち放たれた特大の神の力の妨害を受ける事となった。
どこの馬鹿がやらかしたのか、スタート直後から大爆発かと見紛うような轟音と共にコースの半分が崩壊し陥落したのだ。
“どういう訳か中途半端な崩壊に終わった事が幸いしてか、かなりの人数が残った”が、それでもこの競技の過激さと派手さを見せつけるには十分だった。
スタート直後。初っ端から観客たちの盛り上がり様は最高潮、勝利を掛けた壮絶なサバイバルマラソンが幕を開けた。
☆ ☆ ☆ ☆
【三大都市対抗戦一日目、第一種目『障害物リレー』】
参加人数
・各チーム三名
勝利条件
・一人四〇キロ、三人で合計一二〇キロのコースをバトンを繋ぎ制限時間内に走破する。
基本ルール
一、神の力の使用推奨。
一、規定のコースから外れた場合失格。
一、制限時間内にゴールできなかった場合失格。
一、他選手に対する殺害行為を禁じる。死亡者を出してしまった時点で失格。
一、バトンの紛失、破損、その他要因で次の走者にバトンを渡す事が出来ない。もしくはゴール時にバトンを保持していない場合失格。
勝利時獲得点数
・一位:五〇点
・二位:四五点
・三位:四〇点
・四位:三五点
・五位:三〇点
・六位:二五点
・七位:二〇点
・八位:一五点
・九位:一〇点
・十位:五点
出場選手、走巡一覧
・天界の箱庭。
Aチーム 浦荻太一、和家梨仁志、戌亥紗。
Bチーム 香江浅火、上久保七春、『リーダー』狩屋崎礼音。
Cチーム 鳴羽刹那、十徳十代、『リーダー』北御門時宗。
Dチーム 音無亜夢斗、沖姫卯月、薬淵圭。
Eチーム 東条勇火、東条勇麻、『リーダー』天風楓。
・未知の楽園。
Aチーム ???
Bチーム ???
Cチーム ???
Dチーム ???
Eチーム ???
・新人類の砦。
Aチーム ピア=ナルバエス、エバン=クシノフ、『リーダー』ロジャー=ロイ。
Bチーム クレボリック=シンボル、セナ=アーカルファル、『リーダー』ブラッドフォード=アルバーン。
Cチーム 『リーダー』ドラグレーナ=バーサルカル、シーライル=マーキュラル、シャロット=リーリ。
Dチーム メリー=コクラン、『リーダー』トレファ―=レギュオン、イヴァンナ=ロブィシェヴァ。
Eチーム 『リーダー』ユーリャ=シャモフ、ルフィナ=アクロヴァ、ゲオルギー=ジトニコフ。
補足
・失格チームは失格直前の順位を問わず脱落となる為、例外なく付与される得点の対象外となる。
・競技終了後にルール違反が発覚した場合も失格となる。その場合、本競技で得た得点は没収とする。
☆ ☆ ☆ ☆
『障害物リレー』。
名前の通り、障害物競争のリレー版。
一見、参加者を馬鹿にしてるのかと思われるこの競技だが、小学生の運動会のような可愛らしい種目名に騙されてはならない。
その競技内容は三大都市対抗戦一過酷と言われる程の長距離マラソンだ。
ルールは簡単だ。オリンピアシスをぐるりと取り囲むるように走るメインストリート、その一周四十キロのコースをぐるりと走って次の選手へバトンを繋ぎ、三人一チームで計一二〇キロを制限時間内に走破するマラソンリレーだ。
制限時間オーバー。バトン紛失、または破損により次の走者にバトンを渡す事ができない、もしくはバトンと共にゴール出来ない。他選手を殺してしまった場合。または上記に類する状況となり走行を継続できない場合、そのチームは失格となる。
……これだけであれば、『障害物リレー』が対抗戦一過酷な競技と呼ばれる事はなかっただろう。
この競技を過酷にするルールは一つ。
走行中の選手に対する妨害が許可――否、禁止されていない事にこそある。
殺意の有無にかかわらず他の選手を殺害してしまった場合は即失格だが、逆に言えば死ななければ何をしてもいいという事にもなる。
バトンの破損も失格になる為、これらのルールは積極的にバトンの壊し合いを推奨している節がある。
最も、ピンポイントにバトンのみを狙った攻撃よりも、大雑把に相手の意識を刈り取る意図で直接攻撃を仕掛けてくる可能性が高いだろう。
神の能力者は普通の人間と比べて極めて頑丈だ。それもこのような『対抗戦』に選抜されるような使い手ならば多少手荒な真似をしても死んでしまう事はないだろう。……そんな大雑把な判断をする選手が大多数のハズだからだ。
どちらにしても、このレースが神の力による妨害必須のサバイバルマラソンだという事に変わりはない。
“同じコースを走るライバル全てが致死級の障害物となりえるマラソンリレー”。
詳細を知らされていない制限時間に背中を押されながら、四〇キロという長距離を走りバトンを繋ぎ奪い合うバトン争奪長距離走。
それこそが『障害物リレー』。
……そういえばサポート枠の選手として出場する事になった時、判子を押した書類や誓約書の中に、競技中の事故死の可能性について触れられていた気がする。
スネークに急かされて勢いで処理してしまったが、やはりあの手の書類はきちんと読むべきだと今更ながら後悔するが文字通りもう後の祭りなのだった。
「……競技を考えた奴も、嬉々としてこれに参加してる奴も皆頭のおかしな馬鹿ばっかりだ……!」
競技開始前に発表されたルールを頭の中で噛み砕いて再確認しながら、背中に展開した『雷翼』の力によって風を切るように進む東条勇火は冷や汗を浮かべながら毒づいた。
マイナスにマイナスをかけるとプラスになるように、気が動転している所に気が動転するような事態を重ねると一周回って落ち着くものらしい。
謎の少女達の落下騒ぎにより冷静さを取り戻した勇火は、初手で巻き起こったコースの大崩落を急展開した『雷翼』の力で飛翔しどうにか難を逃れていた。
だが消耗は思いのほか激しい。
序盤は雷翼を使わずに様子見する予定でいたため、かなり無理矢理な発動になってしまったのが原因だろう。
スタート直後の妨害を予想はしていたものの、まさかここまで大規模な妨害が来るとは思っていなかった勇火のミスだ。
雷翼を展開するとエネルギー残量が丸分かりになってしまうという弱点がある為、出来るだけ温存しておきたかったのだが、脱落しては元も子も無い。
とりあえずは咄嗟の判断で崩落から逃れた自分を褒める事にした。
“一、規定のコースから外れた場合失格”。既に足場の崩落に飲み込まれコースを外れた何名かは失格扱いで脱落している。
『さあ、さあさあー!! いーよいよ始まりました第一種目、障害物リレー! いきなりコースが崩落するなど初っ端から想定外の事態もあったけれどォ、まだまだ半数以上の選手が残ってるぜぇーっ! そんな訳で、トップを行くのは意外や意外、全くのノーマークだった天界の箱庭Cチーム・鳴羽刹那! スタートダッシュを成功させ、一歩リードと言った所かぁー! そしてそのすぐ後を追うのが新人類の砦の二人、Eチーム・『リーダー』のユーリャーシャモフとCチーム・『リーダー』のドラグレーナ=バーサルカル! 現在のトップ集団はこんな感じだけど、まだまだ勝負は始まったばかりなのだぜい! ちなみにシオンちゃん一押しの注目選手はー、何と言っても主人公は遅れてくるスタイルでやってきやがりました未知の楽園の馬鹿野郎様共だぁーッ! 派手派手な演出ゴクローアリガトォオオオっ! いやー、まさか虚空からいきなり現れるとは思わなかったぜッ、一体どんな奇跡もとい神の力を使ったのか! そりゃ注目しない訳にはいかないでしょってんだ――』
実況の少女の言葉通り、競技開始直前に“特大の空間転移”をぶちかまして滑り込んできた未知の楽園の選手達に観客は大盛り上がりだった。
その下敷きになった勇火にとっては迷惑な話でしかなかったが、大会を盛り上げる実況役としてはありがたい事だったのだろう。
どこの馬鹿がやったのか知らないが、もしかしたら案外兄貴の知り合いあたりが関わってるのかもしれない。何かこちらの顔を見てそれっぽい事も言ってたし。と、勇火は落下してきた彼らを思い出しながら適当にそんな事を考えた。
『――って感じだったんだけどざーんねん! スタート直後に炸裂した新人類の砦Aチーム・ピア=ナルバエスの「大地破断」によって発生した崩落に巻き込まれ、未知の楽園Cチーム・竹下悟は早くも脱落してしまった模様ーッ! 見かけ通りに機敏な動きは不得意らしいっ、でもなー飛べない豚はこの祭りじゃただの豚扱いだぞーッ! 一体何しに来たんだ頼むぜ竹下悟ーっ!!?』
毒舌実況少女の容赦ないナレーションが響く。そんな完全なネタ枠扱いにわなわなと震える男が一人。
「うむ。これはこれは、中々に手ひどい実況ですナ! ですが我氏、小さな女の子に詰られてちょっとゾクゾクしてしまい一生の不覚なり……がくっ」
震えは震えでも、歓喜の震えであった。
スタート地点に発生した巨大な亀裂の底でそんな遺言を残し倒れる団子っ腹のぽっちゃりボディに、チームメイト達は好き勝手にぼやいていた。
「運動嫌いが急にその気になって出張ったと思ったら……サトリンてば一体何の為にトップバッターで出てったんだ? ついにお笑い芸人としての素質を自覚しちゃったのかよ」
「うんにゃー、嫌忌クン。悟クンはアタシとのスマ〇ラ一〇〇本先取勝負に負けたから罰ゲームで嫌々トップバッターやっただけヨ。でもまあ、悟クンなら多分先手で攻撃来るって分かってたネ。単にニブチンだから動けなかっただけヨ。責めないであげて」
「お前らさぁ! 人が徹夜で攻略法練ったりしてる時に良い御身分だな本当にインドア組はァ!?」
「うう、私が姉らしくカッコよく活躍する所を、アスティに見せるハズだったのに……」
派手に登場した未知の楽園の連中の中から既に脱落者が出ているらしい。
実況の少女のナレーションに、観客達からドッと笑いが生まれているのが勇火の位置からでも容易に分かる。
登場して早々に出落ち担当となってしまった竹下悟に同情しつつ、勇火は先頭集団――新人類の砦の背中を追いかける。
(てか、先頭の二人はどんな化け物だよ。コースの地形が変わってるんだけど……!)
先を行く新人類の砦の二人が通過した後のコースは酷い有り様になっていた。
コースの中央を覆い尽くすように、上方向ではなく選手達の進行方向へと、地面と平行に巨木が伸びて生い茂っている。さらには樹木の被害を受けていない地面は何故かマグマのように焼けて白熱し、ドロドロとオレンジ色に焼け爛れている始末。
鬱蒼と生い茂る樹木が移動を阻害し、融解した地面の粘り気と熱が走者の足を取り体力をじりじりと奪っていく。
同じコースを走るライバル全てが障害物となるという言葉の意味を、勇火は肌で感じていた。
『さあさあさあ、現時点で既に脱落の情けない選手一覧はこんな感じだーっ! 天界の箱庭Bチーム・香江浅火。Dチーム・音無亜夢斗。未知の楽園Cチーム・竹下悟。新人類の砦Aチーム・ピア=ナルバエス。Bチーム・クレボリック=シンボル。Dチーム・メリー=コクラン。以上の六組みが……って、うん? ううん!?? ちょっと待ってくれーッ、競技開始と共に「大地破断」でグラウンドに甚大な被害を出したピア=ナルバエスが脱落しているぞー!? これは一体、どういう面白事態だーッ!?』
驚愕する実況少女シオンの紹介にあったのは、紫色の長髪を束ねて後ろで三つ編みにした少女、ピア=ナルバエス。
成長期真っ盛りの大きな胸を持つ十八歳の少女は、新人類の砦のエース、『ドレッドノート』ことロジャー=ロイのチームメイトだ。
「ふ、ふええ……、な、なんでなんですぅ~!? へ、変な目の人が、わっ、私を見た瞬間、体が動かなくなって……それで、それで……いつの間にか穴の底に……ろ、ロジャーさんにまたイジメられるよぉ~~!」
「……あ、危なかった。今のは幸運だっただけだ。彼女が私のすぐ隣にいなければ、今頃コースアウトで失格。ホロロにブーブ喧しく文句を垂れられる所だった。いや、脱落を逃れたとはいえ今の私の順位は八位。実質最下位争い組。こんな無様を晒したのではどうせ馬鹿にされるに決まっているそうに違いないああくそもっと早くに気が付
亀裂の中でたゆんたゆんな胸を揺らしてむせび泣くピア。女王艦隊ナンバーツーの(胸囲)力を持ち『ジブラルタル』の名を冠する少女は、競技後に行われるであろう上司のセクハラ紛いのからかいを想像して、さらに緑眼から流れる涙の勢いを強くする。
初手で選手諸共コースを破壊するという大技に打って出た彼女は、しかし未知の楽園Dチーム、右目を左右非対称の紺色の髪で隠したクールな印象の少女シャラクティ=オリレインの『石縛の魔眼』によって、神の力の発動ごと行動を封じ込められていた。その結果、そのまま自分で作った亀裂に飲み込まれるという珍事が発生していた。
まさかの展開に沸き立つ会場。スタジアムのスクリーンにアップで映し出されるピア=ナルバエスの泣き顔に男衆のやたら低い声の汚い声援が響く。
『まあ、負け組集団は面白きょぬーのピアちゃん以外は割りとどーでもいいので放っておいてェー、ここでトップ集団の様子をもっかい見てみよーッ! ……おっとぉー、ここでただ一人崩落に巻き込まれる前にスタートダッシュを成功させていた天界の箱庭Cチーム・鳴羽刹那がみるみる順位を落としていくぞー!? お腹痛くなっちゃったのかーッ!?』
黒髪黒目の能天気そうな少年、鳴羽刹那は実況の言う通りにどんどん後ろからやって来る選手に抜かれていた。
耳に掛かる程度のやや長めくらいの黒髪。ピアスなどの装飾品は一切なし。学校指定の学ランをマントのように肩に羽織り、中にはワイシャツではなくVネックのガラTを着ている。頭には学生帽……ではなく、カウボーイが被るようなテンガロンハットというやや奇抜ないでたちの少年だ。
スタートダッシュで獲得した一位からみるみる内に順位を落としていく少年はしかし、極めてマイペースな調子でキョロキョロと周囲に目をやり興奮に顔を輝かせていた。
「ほあー、どいつもこいつもスッゲーなー、あの地面爆発させるヤツ! なあ、アンタ見たろ!? アレ超かっけえじゃん! 俺も練習したら出来るかなー? なー? ……って、アンタそれ飛んでるじゃん! 跳んでるじゃなくて飛んでる! フライってる! なにそれかっけーっ真似してえ!!?」
「いや、知らないですけど……。てかさっきからアンタ誰……!?」
「あれ? まだ言ってなかったけ? 俺は鳴羽刹那。刹那でいいぜ! えーと、フライくん!」
「東条勇火ッ!! 誰が揚げ物クンだ! 前後の発言と発音が噛みあってないんだよ!」
どうやら自分の順位よりも他の選手が使う神の力に興味があるらしい。
目の前を走る少年を追い抜こうとしていた勇火は、いきなり後ろを振り返り並走し始めた少年に激しく狼狽していた。
年齢はおそらく勇麻と一緒くらい。些か童顔ではあるが、年上である事は間違いないだろう。
何だここは兄達以上の変人の巣窟かよ……と、早くもゲンナリし始めツッコみが雑になる勇火に、まるで学生の持久走のようなノリで仲良しこよしの並走を始めた少年、鳴羽刹那は自己紹介を始める始末だった。
(でもこの人、一応天界の箱庭の人だし、敵ではないからなぁ……正直ちょっと鬱陶しいけど、流石に仲間は振り払うに振り払えない……)
勇火が競技以外のどうでもいい事で思い悩んでいたその時だった。
勇火の握る白色のバトン目掛けて、摂氏四〇〇度を超える蒸気の狙撃――と言うより砲撃が飛来した。
「――ッ!?」
発生した現象はド派手かつ美麗。
空中を勢いよく走る灼熱の空気砲を、鮮やかな黄色の閃光の瞬きが打ち払う。
――花弁のように背中に展開される八枚に分れた雷翼の一枚。さらにそのうちの三分の一を消費し、咄嗟に周囲に放電する事で蒸気を弾き勇火は難を逃れたのだ。
一応気を利かせて鳴羽を守るように球体状に放電を展開したのだが、杞憂だったらしい。
勇火より一瞬早く接敵に勘付いた鳴羽は、テンガロンハットが飛ばないように手で押さえ、“空いている右手の指を鳴らした”かと思うと、既に蒸気砲撃の射程圏から大きく距離を取っていた。
ガリガリと熱せられた地面を削り土を巻き上げながら停止する鳴羽と、宙でピタリと静止する勇火の二人はそいつの姿を目視する。
下手人は、勇火と鳴羽の少し後方。現在第五位を走る筋骨隆々のトサカのような髪型をした巨漢の名前は……。
「ガハハ! 良い反応だな若人どもよ! 俺はドルマルド=レジスチーナム。天界の箱庭の方々と見た。大恩ある方の故郷とはいえ、勝負は勝負! そのバトン、砕かせて貰おうか!」
未知の楽園Dチーム・『リーダー』ドルマルド=レジスチーナムその人が、牙を剥いて笑っていた。
暖かいとはいえ、一応季節的には真冬だというのにタンクトップ一丁のドルマルド。
見ているこっちが寒くなりそうな絵図らのハズなのだが、赤熱する筋肉質な全身の肌から蒸気を噴き出すこの男に関してはそういう気持ちが一切湧いてこない。
まるで歯磨き粉のCMのようにキラリと光る歯と笑顔が、蒸気男の暑苦しさを倍増させていた。
「次から次へと、暑苦しくて鬱陶しいな……っ!」
「すっげー!? なあ、見ろよ。トー〇スだ! 実物なんて生まれて初めて見たぞ!?」
「あんな子供にトラウマ刻み付ける筋肉ダルマ機関車が居て堪るか! 敵ですよ! 敵! てか、アンタ俺より年上でしょ!? もっとしっかりしてくれませんかお願いだから!」
前へ進みながらも臨戦態勢を整える勇火と、何やら愉快な勘違いをした鳴羽。対照的な二人の反応に、ドルマドルは愉快げに腹を揺らして、
「ガハハ! 威勢も良い! 実にいいな! だが、威勢だけではこの世界生きてけんぞ!」
「熱血馬鹿はウチの兄貴一人で足りてるっての!」
ボシュッッ!! と、汗腺のようにドルマルドの表皮上に存在する噴射腔から高温の蒸気が勢いよく噴き出した。
忍者の煙幕のように広範囲に広がった高温の白煙が勇火と鳴羽の視界と体力を奪う。その煙中を主たるドルマルドが蒸気の力を借りて爆走し、二人目掛けて暴走列車の如く突き進む。
勇火は純粋な電撃使いではない為、生体電気の動きから相手の動きを察知するような芸当はできない。
だが、ドルマルドは良くも悪くも巨大だった。
その巨漢に見合わぬ速度で煙の中を爆走するドルマルド。
大樹がコースの半分以上を覆っている為、ある程度はコースを絞る事が出来たのも大きかっただろう。
ドルマルドの巨体が高速で移動する際に空気を押しのける為、散布された白煙の動きからだいたいのタイミングを予測できるのだ。
(――右、速いっ!?)
コースアウトギリギリ。右脇から振り抜かれた筋肉質な拳を全力で掻い潜らんとする。ブォン! と、冗談のような風切り音と共に白煙が切り裂かれた。射出された弾丸のような速度で放たれた拳を躱し切れず、すれ違いざまに巨大な拳が背中に掠る。
ドルマルドの背後をとったものの飛行中の接触で完全にバランスが崩れた。飛行を維持する事ができず、地面へ激突。何度か跳ねるようにバウンドし、ようやく自由を取り戻して制動を掛ける。ザザザと靴底が地面を削り取り顔を上げると、至近でドルマルドと目があった。
――何故?
危機的状況であるにも関わらず、勇火は思わず訝しげに眉を顰めた。驚愕よりも先に困惑があったのだ。
勇火は繰り出された拳を掻い潜り、ドルマルドの背後を取ったハズ。拳が掠った事で多少のタイムロスはあったが、全身を使った大振りの拳を放った直後だ。一撃の威力は大きいがすぐさまの追撃が可能だったとは思えない。
だがそこで気づく。
(……そうか! 蒸気を逆噴射――拳の先から逆噴射して殴った直後に拳を引き戻して、硬直する時間を潰してるのか……!?)
タネが分かった所で何もかもがもう遅い。
『蒸気機関者』。
身体中から灼熱の蒸気を噴き出す神の力を操る男の、肘の先から噴出する蒸気の勢いで加速された拳が再び勇火目掛けて放たれる。
油断した、気の緩みを完全に突かれた。硬直した身体は接着剤で固定されたように動かない。
じわじわと熱に侵された思考は、解決策を導き出せないでいる。
躱す術はなく、逆転する力もない。
唯一見えるのは敗北の結末、ただそれのみ。
干渉レベルCマイナスの少年は、苛立ち混じりに歯噛みする。成す術はなく、迫りくる巨漢の拳を恨めしげにねめつけて、
パチンッ、と。指を鳴らす小気味のよい音が響いた。
「む」
砂埃が舞い上がり、学ランの裾がマントのように翻る。
まるで倍速映像でも見ているかのように、いつの間にかドルマルドの懐に入り込んでいた鳴羽刹那が、下からカチあげるような右の掌底で蒸気の剛腕を弾きあげ軌道を逸らしたのだ。
鳴羽刹那はニヤリと好戦的な笑みを浮かべ、
「ボサっとするとあぶねっぞ! えっと、カミナリくん……?」
「ガハハ! 想像以上にやるではないか! では、これなら……むっ!?」
振るった拳の勢いを殺すように蒸気を逆噴射するドルマルド。大振り直後に生じるハズの隙を力技で埋めすぐさま追撃を仕掛ける大巨漢に対し、しかし鳴羽刹那はその一手先を行く。
肩に羽織った学ランの裾がくるくる踊る。
ドルマルドが次の攻撃動作に移るまでの間に、流れるような体捌きで半回転。巨漢の鳩尾に肘鉄を打ち込みさらに半回転、回し蹴りを追加で叩きこみ、さらに回転。強烈な踏込み、間髪入れずに両手で押し出すような掌底を叩きこむ。目にも止まらぬ連撃と、身体全体を使って伝播された衝撃に内臓が揺れ、ドルマルドから苦しげなうめき声が零れる。
「ぐ、う。ハハ……すばしこい、ヤツめッ!」
反撃とばかりにドルマルドが拳を振り降ろそうとした時には既に鳴羽は後方へと飛びずさっている。ドルマルドの拳はワンテンポ遅く、鳴羽を捉えるには至らない。
だが。
「浅いぞ、少年……!」
ドルマルドはその拳を躱される事は織り込み済みだとばかりに獰猛な笑みを広げて、そのまま地面を全力で殴りつけた。
地面が揺らぐ衝撃と同時、噴き出した蒸気が衝撃波のように勇火と刹那を飲み込み、吹き飛ばした。
「くっ……!」
「うおっ!?」
直近で蒸気を受けた鳴羽は宙に巻き上げられ一時的に無防備な状態になる。相手の想定外の一手への驚愕、というよりも純粋な感心と素直な驚きに満ちた声をあげる鳴羽はどこまでも呑気だった。ドルマルドが勝利を確信したように笑い、蒸気の力で加速された拳をアッパーカットに容赦なく振り抜く。
勇火は鳴羽刹那がその剛腕の前に吹き飛ばされる姿を幻視して、
ゴッッ!!!
肉と肉のぶつかる鈍い音が、勇火の耳朶を叩いた。
しかしそれは、勇火を助けた鳴羽刹那がドルマルド=レジスチーナムの拳の直撃を受けてひしゃげた音ではない。
突如二人の間に割り込んで来た筋肉の塊が、空気引き裂く蒸気の剛腕を抑え込むようにがっしりと受け止めたのだ。
ドルマルドが自分の一撃を受け止めて見せた好敵手を前に「ほう」と楽しげに口の橋を吊り上げる中、乱入してきた筋肉の塊――もといボウズ頭の男は極めて落ち着いた声色で、
「……こいつは俺が相手をする。お前たちは先に行け」
「アンタは確か……」
「Aチーム・浦荻太一。俺の事は気にするな、勝利を狙うのならこれが最善手だ。海音寺さんがいれば同じ事をしていただろうからな」
「――ッ! すみません、頼みます!」
そう、これは各チーム対抗であると同時に、大きな枠で見れば各都市対抗の大きなチーム戦でもあるのだ。
チームという利を活かせという浦荻の意図を即座に理解した勇火は、お礼もそこそこに戦闘からの離脱を図る。
そんな勇火を満足げに見届けて、ドラム缶のような大きさに膨らんだ上腕二頭筋にさらに力を籠める浦荻が、ドルマルドの前に立ち塞がる。
膨張するように膨らむ筋肉に、ドルマルドは目の前の男が純粋な身体強化系だと当たりを付けた。
対峙する浦荻の糸目が、その鋭さを増す。
神の力で強化された筋肉質な身体から、虎をも屠るような威圧感が放出される。
練り上げられたその闘志に応えるかのように、ドルマルドの全身から熱い蒸気が噴き出した。
「来い。……格闘戦がお望みなのだろう? むさ苦しい男同士、互いの足の引っ張り合いでもするとしよう」
「仲間の盾になるか……熱い! 実に熱いな! ウラオギィ!」
唐突に始まったフィジカル極振りの男達による熱い格闘戦に呑気に目を輝かせていた鳴羽を強引に引っ張り、再びトップの背中を追う勇火。
先頭集団とかなり差を付けられてしまった。後続もかなり距離を詰めているハズ。まだまだレースは始まったばかりで時間も距離も残されているとはいえ、この遅れは取り戻さなくてはならない。
(……それにしても、ホントに助かった。“アレを此処で切る事にならなくて良かった”。折角の奥の手、ここぞという時までとっておきたいよな、やっぱ)
以前順位は変わらず五位をキープしたまま。スタートダッシュのブーストを終えた勇火はひとまず雷翼の使用をやめ、己の足で大地を蹴り付け前に進む。
「あの、鳴羽センパイ。さっきは助けていただいてあり……」
「なあなあ! さっきの人超クールじゃなかった? なんか仕事人って感じだよなー。ああいう落ち着いた大人になりたいよな、ダンディって感じの。うんうん。あ、でも別に禿げたくはないけどな。なあ、お前もそう思うだろ? えーと、ゆうやけくん……? ゆうだちくん? だっけ?」
「俺の周りの年上はこんなのしかいないのか……」
感謝する気が溶けるように消失していく。
人の話を全く聞かずに相変わらず呑気な事を捲し立て並走してくる鳴羽刹那に、東条勇火は頭を抱えるのだった。
☆ ☆ ☆ ☆
【一日目、第一種目。障害物リレー】
【途中経過】
先頭集団三十七キロ地点通過、現在順位。
一位、新人類の砦Eチーム・『リーダー』ユーリャ=シャモフ。
二位、新人類の砦Cチーム・『リーダー』ドラグレーナ=バーサルカル。
三位、未知の楽園Bチーム・ナギリ=クラヤ。
四位、天界の箱庭Eチーム・東条勇火。
五位、天界の箱庭Cチーム・鳴羽刹那。
六位、未知の楽園Dチーム・『リーダー』ドルマルド=スチーナム。
七位、未知の楽園Aチーム・リヒリ―=リー。
八位、未知の楽園Eチーム・シャラクティ=オリレイン。
以下、失格により脱落。順不同。
バトン破損により失格、天界の箱庭Aチーム・浦荻太一。
コースアウトにより失格、天界の箱庭Bチーム・香江浅火。
コースアウトにより失格、天界の箱庭Dチーム・音無亜夢斗。
コースアウトにより失格、未知の楽園Cチーム・竹下悟。
コースアウトにより失格、新人類の砦Aチーム・ピア=ナルバエス。
コースアウトにより失格、新人類の砦Bチーム・クレボリック=シンボル。
コースアウトにより失格、新人類の砦Dチーム・メリー=コクラン。




