第八話 チームメイトⅠ――疑念疑惑偽装:count 7
『設定使い』の力を利用した替え玉による囮作戦。
スネークの発案したこの作戦は、シャルトルを楓の替え玉として起用して『対抗戦』に出場させ『創世会』を誘きだし、見事釣り出された所を一網打尽にするというものだ。
囮のシャルトルによりリアルティを出す為に、幼馴染である勇麻達はともに『対抗戦』に出場。本物の楓は『創世会』が釣れるまで待機の四姉妹など背神の騎士団の他メンバー達や、スネークと『設定使い』が護衛する。世界だって滅ぼせそうな最強の布陣だ。正直言って誰が来たって負ける気はしない。
そして今、この作戦の要である囮――楓の替え玉であるシャルトルの『設定』が今まさに勇麻達の眼前で行われようとしていた――
「――『認識設定』」
その言葉は起句だ。
「――個体名『シャルトル』。上記の人物に対する世界の認識を、一定期間の間『天風楓』に対するものと同義とする」
言葉による世界改変。親しみやすい言い方をするのならば、言霊と言えば分かりやすいか。
言霊とは要するに一種の自己暗示であり、自己操作。自分の手で思うがままに自分を操る為の一つの手段だ。
『設定使い』が世界に働きかけ、干渉するのも大まかな原理は同じ。ただそのスケールが人間個人か世界全体かに変化するだけ。
その言葉をもってきっかけを作り、彼の持つ干渉力が世界を言葉のままに侵食していく。
世界の法則を書き換え上書きする神の子供達。
『設定使い』。
その名で呼称されるその男は、神の座に最も近い人物なのかもしれない。
「……これで、今から七日間。人々は君の事を『天風楓』と認識するだろう」
力の行使を終えた『設定使い』は顔色一つ変えず、莫大な干渉力を使用したと言うのに息一つ乱していなかった。
『設定使い』による『設定』の上書きは、皆が見守る中で粛々と行われた。先ほどまでのふざけたやり取りが嘘のような真剣な表情を浮かべる神の子供達を誰もが息を呑み見守る中、無事設定の書き換えに成功したらしい。
らしい、というのはぶっちゃけ成功なのか失敗なのか周りの人間からは判断できないからだ。
『設定使い』による『設定』は見た目的に派手な事は一つも起こらない。レインハートの『死蒼円』のような魔術の儀式めいた魔法陣だとか、干渉を受けたシャルトルが光り輝いたりだとか、そういう事は一切なし。シャルトルの前に『設定使い』が立ち、ただ事務的な言葉を発しただけだ。
(パッと見『設定使い』が何かした風には全然見えないし、何も変わってないように思えるけど……)
干渉を受けたはずのシャルトルでさえ、何とも釈然としない表情で楓と自分とを交互に見比べ己の身体をぺたぺたと撫でまわしている。
何を期待していたのか特に胸のあたりを重点的にぺたぺたと確認している為、勇麻は思わず噴き出しかけて慌てて目を逸らした。
「……はぁ。あのこれ、本当に『天風楓』になれてるんですかぁー? 見た目とかぶっちゃけ何も変わっていないというかぁー、全然実感ないんですけどぉ……」
胡散臭い通販グッズを手にした時のような半信半疑な目で『設定使い』を見やるシャルトル。
実際、勇麻から見ても見た目は何一つ変化していない。
イタズラ気に笑う翠の瞳に流れる綺麗なブロンドのセミロング。活発で計算高い、自分の可愛さという強みを理解している小悪魔めいた少女は、どこからどう見てもシャルトルだ。冬場だというのにへそ出しスタイルを貫き通す謎のこだわり含め、今のシャルトルに天風楓らしさは一ミリたりとも見受けられない。
ちなみに胸の大きさも、勿論以前のままだ。特別小さくもなければ、かと言って平均にあと一歩及ばない胸のサイズを、シャルトルは気にしているんだとかいないんだとか。
いっそ不満げですらあるシャルトルに『設定使い』はふんと小さく嘆息した。それから、何を当たり前の事を言っているのかとでも言いたげな顔で、
「別に君の見た目や姿形を変えた訳ではないからね。私が干渉したのは世界の認識の方だ。世界中の人々が君を天風楓だと認識するように『設定』した。下手な肉体変化などよりこちらの方が確実だ。故に、余程の事がない限り、この場で『設定』が改変された事実を知る我々以外に君の正体に勘付く者はあるまい」
「……余程の事があれば勘付かれるのかよ」
「私が操るのはあくまで『設定』。『事実』をねじ曲げる事はできない『設定』だ」
さらりと問題点を言ってのけた『設定使い』にジト目で突っ込むと、それすらも彼はのらりくらりと躱してしまう。
自分が操るのはあくまで『設定』。すなわちそれは、法則であって、事実や事象それ自体を捻じ曲げている訳ではないのだと。
リンゴをミカンに変化させるのではない。リンゴがミカンであると認識されるように世界の方を書き換える。
彼が手を加えた世界では、リンゴこそがミカンなのだ。その逆――ミカンがリンゴである必要すらない。
彼のやっている『設定』とは、要するにそういう類のインチキ。
世界を支配する規律とやらを好き勝手に書き換え改変し、後から認識という名の事実が勝手に現実に追い付いてくる。
結果として、事象そのものを直接捻じ曲げているようにすら思える力。それが、『設定使い』の力の正体。
故に、様々な制約があるとはいえ、『設定使い』の描いた屏風の虎は本物の虎となる。それはすなわち、この男が創造主にも似た万能を司る事を意味している。
「もし仮に、最初から天風楓の偽物かも知れないと疑念を持たれた状態で、シャルトル君がその疑念を後押しするような行動をしてしまえば、あるいは……。もっとも、それでも『設定』が解ける訳でもなく、見た目は天風楓のまま変わる事は無い。私達以外の人間は彼女を誤認し続ける訳だが」
要するに、この場にいる背神の騎士団の七人と、勇麻達五人。そして『設定使い』を入れた十三人以外の人間からは、今のシャルトルは天風楓に見えるという訳だ。
(……ちなみに何故この十三人のみが例外なのかと言うと答えは単純、護衛する側の混乱を防ぐために『設定使い』が『設定範囲』からこの十三人を除外したからである)
天風楓らしくない行動をすれば怪しまれはするが、それでも見た目は完全に天風楓であり、変装などをしている訳ではないので、どこをどう探ろうが決定的な証拠は出てこない。例え偽物である事が発覚したとしても、『設定』が解ける事はない。
なるほど。それが本当なら、確かにこれは文句のつけようのないとっておきの替え玉になるだろう。
「それじゃあお嬢ちゃんはこっちの眼鏡とローブを」
「あ、はい。ありがとうございます」
スネークが楓に変装用の眼鏡とローブを手渡す。
楓は自分に成り替わっているというシャルトルに複雑そうな視線を向けながらも、渡されたローブにおずおずと袖を通し始める。
『設定使い』が変えたのはあくまでシャルトルに対する認識のみなので、楓に対する周囲の認識は変わっていない。
その為、楓がそのままの格好で突っ立っていると天風楓が二人いるという異常事態が発生してしまうのだ。この変装は、楓の替え玉の存在に勘付かれないようにするためのものだ。
「なあ。いちいちそんな変装しねえでも、『設定使い』が天風楓の設定も変えちまえばいいんじゃねえのか?」
策を練って相手を騙すだの相手の裏を搔くだの、そういうこそこそしたまどろっこしい作業が嫌いなスカーレは、眼鏡をかけてローブをまとい目深にフードを被る楓を見て、自分の事でもないのに窮屈そうに呻く。
すると『設定使い』本人がその疑問に答える。
「私の干渉力も無限ではないのでね。なるべく、無駄な労力は使わないに越したことはないのだよ。それに、神の力の制約もある。『設定』の重ね掛けとその維持は、そう幾つも同時に出来るものではない」
『設定使い』は予想外にスカーレの疑問に丁寧に答えていた。心なしか機嫌も良さそうに見えるので、もしかすると説明好きな人種なのかもしれない。
「へー、まどろっこしいのなー」
自分で聞いておいて興味なさげなスカーレはともかく、その説明を聞いた勇麻は『設定使い』の神の力の性能に改めて息を呑んだ。
重ね掛けはそう幾つもできない、という事は、少なくとも二つ以上の『設定』を、『設定使い』は同時に上書きし維持する事が可能だという事だ。
似たような神の力を持っていた九ノ瀬和葉はその力の特性上、保存した情報を上書きできる対象は一度に一つまで。しかも三十分経過する前に元に戻さなければ、保存した情報が消えてしまい上書き前の状態に復元する事ができなくなってしまうという面倒な制約まで存在した。
干渉レベルAマイナスと干渉レベルSオーバーの差があるとはいえ、やはりその自由度と世界に対して干渉する力は別格だ。
やはり彼の力は、神の子供達の中でも破格の力だと言えるだろう。
「今のお嬢ちゃんは神の力を使えない。幸か不幸か、神の能力者ならば無意識のうちに周囲に発しちまう干渉力の余波みてえなモンも、一般人並みにまで落ちてるからな。そこまで本格的に誤魔化す必要もねえのさ」
最後にスネークが楓に『設定』を掛けない理由をそう捕捉する事で皆の注目を自分に集めた。
壁にその巨躯を預けていたスネークは、少女達の準備が整ったのを見計らってその背中を離すと、切り替えるようにパンと手を一つ打った。
「よし、そんじゃあ早速シャルトルには『天風楓』として、同じ天界の箱庭代表選手らとの顔合わせに臨んで貰おうか。『設定』がきちんと働いてるか、確認ついでにな」
☆ ☆ ☆ ☆
「それで? 何で俺まで顔合せに付き合わなきゃいけないんだ?」
開会式前に顔合わせが行われる選手控室を目指して通路を歩きながら、東条勇麻はややうんざりとした調子でそう零した。
スタジアム内部の通路はかなり広く、人が数十人は並んで歩けそうな程だ。選手やスタッフ専用という事もあり通路は薄ら暗く閑散としていて、勇麻達以外の人間は誰一人として見当たらない。無骨に飛び出た鉄骨や、うちっぱなしのコンクリートの壁が、無人の通路のダンジョン感を増しさせていた。
そんな人工物の洞窟に、甲高い少女の声が響く。
「決まってるじゃないですかぁー、アナタ達と今の私は幼馴染って事になっているんですから、一緒に行動していないと怪しまれるでしょう? それにそもそも、顔合わせっていうのは代表とそのサポート選手両方が立ち会うのが常識なんですぅー」
「……まさかお前に常識を説かれる日がくるとはな」
シャルトルに顔合わせの件は任せ、楓の護衛に集中しようとしたその矢先にシャルトルに捕まってこのザマだ。
勇麻も最初はきっぱり断ろうとしたものの、楓本人に「私は大丈夫だよ。シャルトルさんも……その、慣れない事で緊張してるだろうし、勇麻くんがついててあげて? ね?」などと言われては、シャルトルの誘いを断る口実も上手く機能してくれない。
……ちなみにそんな楓と勇麻のやりとりに勇火が頭を抱えていたのは言うまでもない事なのだった。
ぐいぐいと勇麻の腕を強引に引くシャルトルは、か弱い少女に似合わない力を発揮していた。
流石は神の能力者、根本からしてただの人間とは異なる異能者と言ったところか。
「てか、その設定ならなんで泉と勇火を置いてきてんだよ、お前……」
幼馴染はいつも一緒設定が台無しだろ、という勇麻のごく当然のツッコミに、しかしシャルトルはぷいとそっぽを向いて、
「それは……その、アレです。敵情視察における少数精鋭というヤツです」
「これから仲間になる奴らを敵情視察してどうする」
おい、と。思わず真顔でツッコむ勇麻。
顔合わせをするのは、何も対抗戦で競い合う他都市の選手ではない。協力して勝利を目指す、同じ天界の箱庭の代表選手達だ。
そんな勇麻の指摘に、しかしシャルトルは片腹痛いとばかりに鼻を鳴らして、
「分かっていませんねぇー、東条勇麻。同じ天界の箱庭の人間だからこそ、です。どこに『創世会』の刺客が紛れ込んでいるか分からないと、そう私は言っているんですよぉー」
「――ッ!?」
シャルトルの言葉に、勇麻は身体に電撃が走ったように瞠目する。
なるほど、言われてみれば確かに……それは、考えてもいなかった可能性だ。
彼ら『創世会』が楓を狙っているのだとしたら、同じ代表選手として接触を図るのが一番手っ取り早い。
だが、それなら尚更泉や勇火も連れて万全の状態で向かうべきではないのか? という勇麻の疑問を、シャルトルはこれまた得意げな笑顔を浮かべて、
「泉修斗や東条勇火を連れていては私が動きにくいんですよぉー。アナタ以外にも天風楓を知る人間がいると、それぞれの反応の差異からボロが出かねませんしぃー。綿密な打ち合わせも無しに複数人と完璧に話を合せるなんて無理です。逆に東条勇麻だけなら、アナタ一人に話を合せる形で軌道修正も容易です。……とにかく、まだ私の正体がバレる訳にはいかない以上、ここは少数精鋭で向かうのが得策なんですぅー」
「うーん、そんなもんなのかぁ……?」
自信満々に断言するシャルトルに押し切られる形になって、勇麻は首を傾げた。
……何だか言葉で丸め込まれた気がしなくもないが、理に適っているような気がしないでもないから強く言い返せない。
それにもう此処まで来てしまった以上、顔合わせにシャルトル一人を放り出すという選択肢は勇麻の中には存在していなかった。
こうなったら乗りかかった船だ。
諦めたように息を吐き、気持ちを切り替える事にする勇麻。
シャルトルと何だかんだ言い合っている内に、控室の扉はもう眼前にまで迫っていた。
「いいかシャルト……」
「天風楓です」
もうどこで誰が聞き耳立ててるか分からないんですからね? と、シャルトル改め『天風楓』は勇麻の言葉を遮る。
いつもはかなりふざけたヤツだと思っていたが、こうして一度真面目モードに入ると彼女ら背神の騎士団は本当に頼りになる。
確かに不用心だったと、勇麻は咳払いして、改めてシャルトルに話しかける。
「いいか楓、こういうのは第一印象が大切だからな。楓なら楓らしく、礼儀正しくおしとやかに――
「じゃ、いきますかぁー。はい、たのもー」
「蹴破るような勢いでドアを開け放ちやがった、だと!?」
激しく狼狽する勇麻を無視して、ずんずん扉の向こう側へ踏み込んで行くシャルトル。
全然真面目モードじゃなかった。理由は分からないが、何故かシャルトルは完全に浮かれきっている。
慌てて止めようとするも時既に遅く、シャルトルの後から遅れて室内に飛び込んだ瞬間、浴びるように多量の視線が二人目掛けて突き刺さってきた。
室内には既にさまざまな人がいた。
時代錯誤の侍風男。筋肉質で大柄な身体付きの糸目の男。優男風大学生。小中学生くらいの童顔の少年に、気の弱そうなおどおど少女まで。
値踏みするような視線、既に集まっていた代表選手とそのサポート選手達の中にざわつきが生じる。耳打ちされる言葉の中には「あれが最強の優等生……」「天風楓」「天界の箱庭の暴風姫か……」なんて単語が聞き取れた。
そんな注目を一身に浴びる中、スポットライトの中心に立つ『天風楓』は、清々しい程の笑顔を浮かべて控室の選手たちを見渡すと、
「お、皆さんが今回私の足を引っ張りにわざわざご足労頂いた暇人の方々ですかぁー! 私の輝きを引き出す為にありがとうございます。短い期間ですが、よろしくお願いしますね! 仲良くやりましょう!」
爽やかに大胆不敵に、そんな事を言い切った。
――耳が痛い静寂が空間に張り付く。
空気が凍り付く瞬間、というものを東条勇麻は初めてその身で体験した。
「(ちょ、シャルトルさん!? いきなり何やってんのですかアナタはッッ!?)」
「え、天風楓って『最強の優等生』なんですよねぇー? だったらこれくらい不遜な感じでも別にいいんじゃないですかぁー? なにせ最強ですしぃー」
「(よくねええええええ!! 優等生でもなんでもねえじゃん! 世間を舐め腐ったただのクソガキじゃん!! お前他人事だからって、絶対遊んでるだろおおおおおおおお!!?)」
「あははー! いくら事実でも、そこまで言われちゃ天風楓が可哀想ですよぉー? 東条勇麻」
「(今ッ! この瞬間ッ! 天風楓はおまえだああああああああああああああああッッ!!)」
ぐわっくんぐわっくんと、シャルトルの胸倉をつかんで高速振動させる勇麻。楽しげなシャルトルの悲鳴が、ドップラー効果を伴って響く。
周囲の視線が殺気を孕んだものへ変わっているのを肌で感じつつも、それらを直視する事もできず現実逃避にシャルトルを揺さぶり続ける勇麻。
しょっぱなからもう泣きたい。
一瞬、「この馬鹿実は天風楓の偽物なんですよー、あははー」と、カミングアウトしてしまおうかと本気で思ったくらいだ。
「これはこれは、威勢のいい女の子だ」
と、不意に、殺気溢れる集団から一人の男が勇麻とシャルトルに向かって歩み寄って来た。
大学生くらいの年齢の男だ。後ろに、同年代の軽薄そうな男を二人、金魚の糞のように引き連れている。
三人に共通する点は、その顔に浮かべる薄ら笑い。
やたらと高級そうな趣味の悪いピンクのスーツに身を包んだ、目鼻立ちの整った金髪の二枚目の青年だった。
美形、と呼ぶにふさわしい顔立ちだが、表情や仕草から滲み出るプライドの高さが、近寄りがたい雰囲気を発している。
いかにも傲慢そうなその男は、口元の軽薄な笑みをさらに歪めた。
「でも、その強気な態度、僕は嫌いじゃないよ。天風楓ちゃん」
馴れ馴れしく下の名前を呼びシャルトルに向けてウィンクを飛ばす男。隣のシャルトルが、ぶわっと鳥肌を走らせるように背中を震わせたのが分かる。
……何だこいつ、と勇麻が眉を寄せ胡乱な物を見るような目で男を眺めていると、一瞬、両者の視線が合わさった。
男はまるで勇麻を馬鹿にするように鼻を鳴らして嘲弄を浮かべて、そのまま何事もなかったかのようにシャルトルに向けてキザッたらしい笑みと、白光りする歯をのぞかせる。
「しかしね、そうツンケンしていては折角の気味の愛らしさが台無しじゃないかい? 自分を大きく見せようと威嚇をするのも結構だが、そういう強がりは君には似合わないよ。……ああ、名前も名乗らずに失礼、僕は狩屋崎礼音。ふふ、そうさ。あの狩屋崎カンパニーの御曹司さ」
「……まさか、狩屋崎カンパニーって、あの……?」
大きく両腕を横合いに広げ、尊大な態度を取る男……狩屋崎の言葉に、勇麻は驚愕の声をあげた。
狩屋崎カンパニーと言えば、天界の箱庭きっての大手広告代理店だ。
テレビのCMなどで、その名前を聞かない日は一日も無いという、勇麻ですら知っている大企業である。
そんな勇麻の反応に、狩屋崎は後ろにのけ反り大袈裟に驚いて見せて。
「おお、君のような田舎者にまで僕の会社が知られてるだなんて、これはこれは……実に光栄だ。そうだね、後で楽屋においで。庶民の君に特別に僕のサインをあげよう」
「はぁ……?」
くすくすと笑う取り巻きと、何やら芝居ががっかた仕草で瞳に掛かった前髪を掻き上げる狩屋崎。途端、吐き気のするほど甘ったるいシャンプーの匂いが風に乗って勇麻の鼻孔を侵食してくる。
何が悲しくて男の髪の毛の匂いをかがなくてはならないのか、勇麻は途端に渋い顔をした。
よく分からないが目の前の男に馬鹿にされているというのは分かる。
あまり関わり合いになりたくないタイプの男に、勇麻はげんなりしながらも極力反応しないように努める。
狩屋崎は何を言われても言い返さずに無抵抗な勇麻を見下すようにまたチラリと一瞥して、
「ところで、これからちょっとどうだい、子猫ちゃん。そんな冴えなくてつまらない男――これは失敬、僕とした事が口が滑ってしまった。一先ず暇そうなツレの彼は捨て置いて、僕と一緒に高級ランチでも。いやいっそ、君が僕のサポートメンバーに――」
「い・や・で・す」
全てを言い終わる前に、シャルトルは己の手を取ろうと伸ばされる狩屋崎の手をひらりと躱すと、勇麻の背中に隠れるようにして狩屋崎礼音を拒絶した。
「なぁ、に……?」
絶句し、固まる狩屋崎。
笑みは引き攣り、中途半端に吊り上がった口元がひくひくと、陸に打ち上げられた魚のように動いている。
シャルトルはそんな狩屋崎へ天使のような笑みを浮かべたまま、勇麻の腕に自分の腕を絡ませて。
「だ、か、ら、結構ですって言ったんですよぉー。親の七光り野郎。私、あなたみたいな弱っちい人に興味ないので、あと目つきがやらしくてキモイので無理です。そろそろ、パパとママのところに帰ったらどうですかぁー?」
むにっ、と。勇麻の腕に何だか柔らかい感触が押し当てられ、思わず背筋がびくんと跳ねる。
シャルトルは、その反応を楽しむかのようにさらに勇麻に密着しながら挑発するように嗜虐に満ちた笑みを向け、狩屋崎の怒りにガソリンを注ぐのに余念がない。
完全に狩屋崎をおちょくって楽しんで……
……いや、ちょっと待て。
シャルトルの表情に勇麻がある事に気付いた。何というか、こう。彼女の目は一ミリも笑っていなかった。
シャルトル――怒っている?
「僕が弱い……だと? じゃ、じゃあなにか、その冴えない男に、僕が負けるとでも君は言いたいのか!? 干渉レベルAマイナス『流麗雪火』のこの僕が!?」
優雅な笑みも、人を見下す優越感に満ちた瞳も、余裕を失っていた。大勢の前で傷つけられた自尊心に、煽り耐性のない狩屋崎の怒りはどんどん大きく膨らみ続けていく。
「……おい、楓。もうやめろよ。その辺に――」
見かねた勇麻が止めに入ろうとするも、シャルトルは聞く耳を持たない。
肩を震わせ引き攣った笑みのままに叫ぶ男の剣幕に、シャルトルは一ミリも動じなかった。ニッコリとした笑顔のまま勇麻の静止も振り切って、さらに毒を盛り返す。
「ええ、ですからそうだと言ってるじゃないですかぁー。あなたが東条勇麻より強い? 冗談はそのおめでたい頭だけにしてください。あ、もしかしてあなた、見た目通りに頭まで弱いんですかぁ?」
ぷるぷると小刻みに震えていた狩屋崎の動きがピタリと止まった。やがて金髪の男は、その瞳に憎悪の炎を灯して楓を見据えて、
「……こっちが下手に出てれば調子付きやがって、舐めんじゃねえぞこのガキがぁああ!!」
唾を多量に飛ばしながら、シャルトル目掛けて飛びかかってきた。
激昂し、頭に血が昇った狩屋崎に対しシャルトルはゾッとする程に冷静だった。
冷徹、と言い換えた方がいいかも知れない。
恐ろしく冷めた半眼を向け、真剣のように研ぎ澄ました手刀を無策で突っ込んでくる馬鹿目掛けて無感情に振り抜こうとして。
「――いい加減辞めろよ、アンタも」
「!?」
一歩、シャルトルを庇うようにいつの間にか前に出ていた東条勇麻の右手が、獣の如く少女に飛びかからんとしていた狩屋崎の右腕をがっしりと掴んでいた。
瞠目し、己の腕を掴む少年の手を振り払おうとする狩屋崎。しかし勇麻の右手は万力のように腕に深々と食い込み、骨が握りつぶされかねない痛みに狩屋崎は焦りを募らせる。
「このアホの第一声が気に食わなかったってんなら謝る。でも、アンタも男なら、こんなことで女の子に手ぇあげてんじゃねえよ」
「くっ、この……離せ! 貧乏人がッ!」
シャルトルに東条勇麻以下だと罵られた狩屋崎が、その勇麻本人から告げられた言葉に当然従う訳がなかった。
自分の行動を邪魔をされたことと。そして容易に腕を掴まれた事への怒りから、左の拳を握りしめ、目障りな男の顔面へと冷気を伴った拳を叩きこもうとする。
――遅い。
勇麻の瞳が音もなく鋭く細まり、正当防衛という名の反撃に、勇気の拳が歓喜に唸りを上げる。
狩屋崎の拳をいなして、そのまま顔面目掛けてカウンターを打ち込むビジョンを幻視する。勇麻は確かに見えたその光景をなぞるように、己の身体を操ろうとして――その時だった。
「君達、いい加減にしなよ」
唐突に視界一杯に現れた男の声に、勇麻も狩屋崎もその動きを停止させた。
流れる水流のように、優雅で理知的な男だった。
歳は、狩屋崎よりも大人びて見える。髪染めされていない黒髪を撫でつけたような優男風ヘアーに、目鼻立ちの整った顔立ちは美形と呼んで差支えないだろうが、周囲を必要以上に威嚇するようなどこか刺々しい美形である狩屋崎とは異なり、優しくどこまでも集団の中心に溶け込みそうな雰囲気を纏っている。
何というか身体中から良い人オーラというか、マイナスイオンとか出てそうな人物だった。
(――っ、……?)
その雰囲気に勇麻は一瞬既視感にも似た違和感を覚え、頭の隅に引っ掛かったその感覚の正体を手繰り寄せようとする。
妙な懐かしさ……いや、それだけじゃない。不吉と悲哀の入り混じったような、この感覚は一体――
――だが、つかめない。
必死で糸を手繰り寄せようとするも、その不思議な感覚の影を掴む間もなく、違和感とその正体は記憶の奥底へ溶け入るように消失してしまい、後にはモヤモヤとしたしこりだけが胸の奥に残った。
そんな勇麻の心境などつゆ知らず、優男は狩屋崎の拳を受け止め勇麻の眼前に掌を突き付けたまま、諭すように語りかける。
「狩屋崎、君も立場ある人間だろ。感情的になりすぎるのは、どうかと思うよ。どんな理由があったとしても、年下の女の子に対する暴力はダメだ。それに、人を見下す悪癖も直した方がいい」
「……チッ、」
狩屋崎はこの男が苦手なのか、露骨に顔を顰めて舌打ちをしていた。優男はついでシャルトルの方へも等しく視線を向ける。
「楓ちゃん、君もだ。君が強いのは此処にいる皆が知っているけど、僕たちは仲間なんだから、ああいう言い方はよくないと思う。分かるよね?」
シャルトルを怒鳴りつけるワケでもなく、責める訳でもない。男は彼女自身の良心と常識に問いかけるように、むしろ優しく話しかけてくる。
こんな叱られ方をされては、まるで自分が大人げなく酷く我儘な子供のように思えてしまい、反抗するのが恥ずかしくさえ思えてくるのだ。
まるで教師のよう。
いや、幼稚園や保育園の先生の方が近いかもしれない。
「……。ごめん、なさい」
あれだけ暴言の止まなかったシャルトルがどこか気まずそうに謝罪すると、男は満足げに頷き、最後に勇麻の方に視線を向けた。
その瞳が、ほんの一瞬。見つめられている勇麻ですら気づかない程に僅かに歪み、瞬きするよりも早く穏やかな色を湛え直す。
「自分は関係ないって顔してるけど、君もだよ」
「え、俺……ですか?」
事実あまり関係ないと思っていた勇麻は驚いて思わず聞き返していた。
何故か敬語になってしまった勇麻に男は人好きのするイタズラ気な笑顔を浮かべ、
「そう。何と言っても喧嘩は両成敗だからね」
「いて」
ていや、と。脱力する掛け声と共に勇麻の眼前に突き付けていた掌を手刀に変えてそのまま軽く勇麻の頭を叩くと、両者の諍いを仲裁するために間に割って入った優男は二人を解放してパンと手を叩いた。
勇麻も掴んでいた狩屋崎の腕から手を離し、狩屋崎は苛立たしげに勇麻の手を振り払う。
「はい、喧嘩は終わり。今から僕達は共に対抗戦を戦う仲間なんだからさ。必要以上に仲良くしろとは言わないけど、お互いに敬意をもって接してくれよ。僕たちは皆の代表として、此処に立っているんだから」
優しく笑いかけられて、年上の包容力にやられたのか、無意識のうちに頷く勇麻とシャルトル。
男は勇麻とシャルトルの頭を、妹や弟を可愛がる兄のようにわしゃっと撫でつけ、
「よし、分ればよろしい! ……狩屋崎も、いいよね?」
後ろで憎々しげに歯を食いしばる男に、確認するように問いかけた。
身体を震わす狩屋崎は男の問いかけを無視して勇麻とシャルトルを見据えると、私怨の籠った声で。
「後悔、することになるぞ。この僕の……狩屋崎家時期当主、狩屋崎礼音の誘いを断った事! そして数々の侮辱! この僕を怒らせたこと、本気で後悔させて――」
「――ねえちょっとレオン。早く戻ってきてって言ったのにいつまでグダグダやってんの?」
と、不意に控室のドアが開き、新たな乱入者が顔を覗かせた。
長い金髪をオブジェのように纏めあげたきつめのメイクの女だった。かなりのこだわりがある事が伺えるあの髪型にも何か御大層な名前があるのかもしれないが、勇麻からしてみればドデカいソフトクリームか何かにしか見えない。
「……真理真」
真理真と呼ばれたキャバ嬢のようにぎらっぎら赤いラメ入りドレスで着飾った二十歳くらいの女は、不機嫌気そうにネイルを弄りながら、
「つか、ナニ。レオンなにそんなしょんべん臭そうなガキ相手に必死になってんの。バッカみたいでウケるんですけど」
「僕は別に……もういい、戻るぞ、真理真」
「タシは最初から戻ってきてって言ってんじゃん。今日の衣装選ばなきゃなの。田舎臭いのはほっといて行きましょ」
真理真は心の底から勇麻達には興味がないようだった。そのドライさに狩屋崎も熱くなっていた感情をクールダウンさせる事が出来たのか、憎悪を残しつつも静かな声で、
「覚えていろよ、君達は絶対に僕が潰してやるからな……!」
そう捨て台詞を残して、肩を怒らせながら選手控室のドアをけ破るようにして外に出て行ってしまった。慌てて後を追う子分一と二が消えてから、優男は疲れたように息を吐く。
「はぁ。まったく、狩屋崎は……。彼も根っからの悪いヤツじゃないんだけど、些か性格が歪んでいてね。許してやって欲しい」
「ああ、いや。どっちかって言うと悪いのはコイツだし」
「ちょ、なんで私になるんですかぁー! どう考えてもあの男が――」
シャルトルの頭を軽く小突く。
納得いかないという風に喚くシャルトルに、勇麻はこめかみをひくひくと引き攣らせながら。
「お前のあの第一声が無ければここまでややこしい事になってなかっただろッ!」
「ぐ……それを言われると、……でも、あいつが、アナタをあんな風に……から……ごにょごにょ……」
何やら後半が不明瞭で聞き取れないが、シャルトル自身にも最初の宣戦布告については思う事があるらしい。
うぐぐと、何かに葛藤するようにしばらく唸っていたシャルトルだったが、やがて息を吐くとしょんぼりと肩を落として自分の非を認めた。
「私が、悪かったです。確かに、この状況に少々調子に乗ってふざけ過ぎました……」
「まあ、狩屋崎以外の人達はそんなに気にしてないみたいだし、僕の方からも皆には謝っておくよ」
「なんか、色々ありがとうございます。ええと、……」
「ああ、僕は海音寺流唯だ。よろしくね」
先ほどから何かと勇麻達を庇ってくれているこの優男の名前が分からず困っていると、彼自ら助け舟を出してくれた。
相変わらずの爽やかな笑みと共に、自然すぎる所作で爽やかに手を差し出してくる。
思わず、というか反射的に手を差出し握手してしまう勇麻に、海音寺は確認するようにこう問いかけた。
「君の名前は……東条勇麻君、で良かったかな?」
「え、ああ。そうです……けど。なんでまた俺の名前を?」
いきなり自分の名前を言い当てられて驚く勇麻に、海音寺は大したことじゃないと苦笑を浮かべて、
「さっき彼女がそう呼んでいたからね。聞き間違えていたらいけないと思って。……ところで、君のその制服、もしかしてだけど槙原先生の所の生徒さんかい?」
海音寺は勇麻の学ランに僅かに目を細め、そんな事を尋ねてくる。
まさかこんなところで死んだ魚のような目をした数学教師、槙原萌の話題が出るとは思っていなかった勇麻は一瞬目の前の優男が何の話をしているのか分からず言葉に詰まってしまう。が、数秒の硬直を経て、ようやく思考回路が正しい場所へと繋がった。
恐る恐る、こんな人の口からは到底出てこなさげな人物の名前を口にする。
「えっと、槙原萌って数学先生ならいるけど」
「おお、そうかそうか。いやぁ、懐かしいなぁ。実は僕も槙原先生のクラスにいたんだけどね。高校時代は色々とバカやってあの熱血教師によく怒られたなぁ」
「熱血、教師……?」
誰だそれは。
「教えて貰えたのは短い間だったけど、尊敬できる、凄くいい先生だった。僕が高一の夏に家庭の事情とかで学校を辞めちゃったんだけど……。そうか、彼の今の教え子とこうして対抗戦の舞台に立てるなんて、夢みたいだよ」
かつて落としてしまった大切な物を思い出すような、どこか哀愁漂う表情で遠くを見つめる海音寺に、勇麻は眉を顰める。
自身の知る槙原萌とあまりにかけ離れた――いっそ対極にすらあると言える高評価に困惑するしかなかったのだ。
尊敬する要素など皆無の反面教師ぶりを見せつけるあの槙原萌をこの人が尊敬? 同姓同名の別人の可能性の方が高いのではないか。
「あの、確認したいんだけど。槙原先生って、天パの?」
「そうそう、あの天パ頭。僕の友人なんかは、あの頭がお気に入りだったらしくてね。ちょっかい出してよく怒られてたもんだよ。鳥の巣男とか、スチールウール先生とか呼んだりしてね」
今度は楽しかった昔の出来事を思い出したのか、海音寺は愉快気に笑った。
どうも槙原萌に対する二人の人物像がかけ離れているようだが、天パ頭で槙原萌という名前の数学教師、となると流石に別人という線は薄い。というか、もし仮にあんなのが二人もいたら数学教師界はたまったものじゃないだろう。
となると、今の槙原萌はともかく昔の彼は熱血教師だった、という事だろうか。
何というか、この見るからに優等生な海音寺流唯という男が認める熱血教師が、どういう過程を経たらあの無気力帰宅部数学教師になるのか。経年劣化にしても劣化しすぎだろと言いたい現状に、勇麻は思わず。
「……てか、海音寺先輩って、歳いくつなんですか?」
半世紀くらいの年月が経っていそうな槙原萌の劣化具合に、そんな頓珍漢な質問をしていた。
今ならあの先生とこの人が不老不死の吸血鬼で、長い長い気の遠くなるような年月を経て、槙原萌の性格が捩じれたのだと言われても信じられるような気がした。
やや的外れな勇麻の質問の意図をぼんやりとだがくみ取った海音寺は、
「ん、ああ。僕は二十五だよ。と言っても、社会人じゃなく一留した院生なんだけどね。槙原先生が担任だったのは十六の時だから……彼の生徒だったのは九年も前の事になる」
二十五。十六。九年前。
その数字の羅列に、勇麻は今度こそ胸を稲妻で撃ち抜かれたようなはっきりとした衝撃を覚えた。
胸が痛み、頭に僅かだが確かな頭痛を感じるのは、未だに勇麻自身の中であの出来事との決着が付けられていないからか。
(この人、龍也にいと同い年だ……)
二十五歳とはつまり、南雲龍也が生きていれば今年迎えていたであろう年齢で。
九年前とは東条勇麻が南雲龍也という憧れを殺してしまった年であり。
十六歳とは南雲龍也が死亡した年齢だ。
別に珍しいワケではない。今年二十五歳の人間ならば、それは全員に当てはまる数字だろう。だが、ただの偶然とはいえ、この数字は勇麻にとって非常に意味のある物に変わりはなかった。
それにしても、と海音寺は激しく動揺する勇麻に気づかず、今度はシャルトルの方へと振り返ってこんな事を言った。
「驚いたよ楓ちゃん。以前とはだいぶ雰囲気が変わったね。まるで――別人みたいだ」
「「ッ!?」」
同時に息を呑む勇麻とシャルトル。
胸を稲妻で撃ち抜かれたような衝撃が冷めやらぬ中、ついで頭をガツンと殴られたような驚愕に襲われる勇麻。混乱の度合いが頂点に達する中、勇麻は自分達が全く考慮していなかった一つの可能性に突如として突きあたる。
代表選手の中に、楓を知る人物がいる可能性に。
マズイ、マズイマズイマズイ……!
こうもはやくもボロが出るとは思っていなかった。何もかも、あまりにも軽率過ぎた……!
これまで海音寺流唯という男に感じた不思議な感覚や妙な偶然を脇に押しやり、緊急事態に勇麻の脳ミソがスパークを散らす。
雰囲気が変わった? 当然だ。なにせ中身はまるでも何も全くの別人。背神の騎士団の四姉妹、シャルトルなのだから。
だが、こんな所で偽天風楓の正体に勘付かれるワケにはいかない。
どうにかして誤魔化さねば。
勇麻は胸中の動揺をひた隠しにしながら、何とかその場しのぎの言葉を紡ぐ。
「へー、楓と海音寺先輩は知り合いだったんですか?」
「ああ、とは言っても、彼女が小学生くらいの時だったから、当時と印象が変わるのも当たり前だ。ね?」
「……え、あ、あー、あはは。そうでしたねぇー、懐かしいです」
曖昧に笑うシャルトルに、勇麻は心臓が爆発しそうな緊張感を覚えるが、幸い海音寺はそれ以上過去の話を掘り返そうとはしなかった。
白々しい勇麻の問いに関しても、人が良い先輩は何を疑う素振りさえなく今の楓の激変ぶりをそう解釈してくれたようだ。
なんとか誤魔化せたようだ。海音寺流唯と楓が出会っていたのが昔で良かった、と。勇麻が内心ほっと安堵の息を吐く。
ほんの僅かに気の緩んだ、その瞬間だった。
「――なんて風に、安易なカマ掛けに引っ掛からないように、次からは気を付けた方がいいと思うよ」
勇麻の横を通り過ぎる形で耳に顔を寄せた海音寺の口から、ぼそっと勇麻にしか聞き取れない声でそんなささやきが漏れた。
「アンタ――ッ!?」
「おっと、そろそろ開会式が始まる時間だ。東条君、楓ちゃん。君達も準備をした方がいいよ。遅れて悪目立ちなんて展開は避けるべきだろうからね。――紗、太一、仁志、僕達も行こう」
狩屋崎とは違い、嫌味にならない板についたウィンクに勇麻は唖然と声も出ない。
少し離れた所からやり取りを見守っていたらしいパートナーの三人に声を掛けると、海音寺流唯は人懐っこそうな大学生くらいのお姉さんとガタイのいいボウズ頭の青年とザ日本人という顔つきの青年を連れ控室を去っていく。
女の人がこちらに手を振っていたが、反応している余裕もなかった。
「……あのぅー、東条勇麻」
「……」
背後で顔面蒼白になっているシャルトルの方を振り向く事さえ出来ず、勇麻はその優男の消えた方向を凝視し続けた。




