第六話 新たなる舞台へⅡ――白亜の街に紛れる白い影:count 7
『天空浮遊都市オリンピアシス』。
文字通り遥か天空、標高五一〇〇メートルを漂う空の街。
ヘリから空に浮かぶ逆さ円錐の大地へと降り立った勇麻達は、その後黒米の案内で競技会場を目指す事となった。
街の中央に聳え立つドーム型の巨大建造物――『Advance Eden of the Garden Stadium』……通称『AEGスタジアム』に、各都市の代表選手が集められ、開会式前に初顔合わせを行うのだそうだ。
「開会式は一〇時半から。現在時刻が八時十分なので、団長たちと合流後でも、顔合わせの時間は十分にあります」
勇麻達を先導する黒米が苦笑混じりにそう教えてくれたが、勇麻を含めた一行は興味津々に辺りを見渡すのに忙しくてほとんど話を聞いていなかった。視線を巡らせれば周囲に広がるのは絵本の中に迷い込んだかのような真っ白な町並み。
「ほぇー」とか、「はぁー」とか、「うわぁ」とか、
口を半開きにしながらそんな頭の悪そうな感嘆符ばかりを呟いて、田舎者感丸出しにキョロキョロとあっちこっちに視線をやっている。
「……こりゃ確かにいい街だ。効率重視のデザインの天界の箱庭にゃあり得ねえ街並みだな」
「へえ、泉センパイに美的な感性とかあったんですね」
感心したように頷きながら当たりを見回す泉に、意外そうな声を勇火があげた。
まあ芸術など、それこそ泉のイメージから最も遠く離れた位置にありそうだと勇麻でも思うので、その反応も無理ないだろう。
だが当の泉はそうは思っていないらしい。不服さを隠しもせずに、勇火にギロリとその鋭い視線を向ける。
「あ? 勇火オマエな、俺は芸術には相当うるさい方だぞ? かなりだ。かーなり、うるさい」
いやもう既にその絡みがうるさいですと言いたげな勇火。しかし兄と違って懸命な判断力を持つ弟は、鬱陶しい兄貴分の先輩によるダル絡みを兄との数えきれない喧嘩によって鍛え上げた精神力でどうにか耐えき抜き、ブチブチと血管の引き攣りそうな笑みを浮かべる事に成功した。
「へえ、そうなんですか。……具体的にどのあたりが?」
「あ? お前知らねえのか? 芸術は爆発だって有名な言葉あんだろ。俺も一時期研究してたんだよ、一番派手でカッコよく見える爆炎の出し方とかなァ!」
「……あ、はい。何となく知ってました」
自信満々、超得意げな顔で芸術を語る泉修斗に東条勇火は思わず死んだような目をしていた。
「とりあえず、戦隊ヒーロー物の連中は爆炎が足りねえよな!」
「いや泉センパイ、俺もうこの話割と興味ないと言うかどうでもいいんですけど……」
さらに追い打ちを掛けるように続く泉の芸術は爆発トーク。
二人の会話をさりげなく聞き拾っていた勇麻は、雲行きの怪しさを感じて勇火を生贄にそのまま何事もなかったかのように歩きながら周囲の見物を続ける事にした。
降り立った白亜の街は太陽の輝きに照らされて光り輝き、勇麻が生きてきた十七年間の年月の中で一度も体験した事のないような幻想的な雰囲気に満ちている。辺りをこうして軽く散策しているだけで冒険気分を手頃に楽しめて、まるで自分が物語の登場人物になったような錯覚さえ覚えてしまう。
標高五〇〇〇メートルと言えばフランスのモンブランとほぼ同等の高度な訳だが、そんな高所にある都市だというのに息苦しさはおろか、肌寒さすら感じない。それどころか街は温かい春の陽気に満ちていて、今日がクリスマスだということを忘れてしまいそうになる。
この巨大な大地が浮遊している理由同様、どうせ常識では語れないような異能が関わっている事は疑いようもなかった。
世界最大規模の祭典というだけあって凄い人の数だ。まだ朝食の時間だというのに、路上は観光客達の楽しげな歓声や笑い声に溢れ、唐突に始まる弦楽器による華麗な路上ライブがまるでRPGのBGMのように街中に響き渡る。
観戦に来たのであろう彼らの熱気と高揚感が、こちらにも伝染してきそうだった。
「……と、ホントにスゲエ人だな。下手したらはぐれて迷子になんぞ、コレ」
進めば進むほど……街の中心地へ近づけば近づく程に増える人の波に肩を押されながら、勇麻が呻く。
道幅が狭い事も災いしているのだろう。いつの間にか周囲はちょっとした満員電車みたいな人口密度になっていて、前を行く黒米の背中を追う事も困難だ。
「アリシアー、あんま勝手に先行って、迷子になるなよー」
黒米のさらに前。
人一倍その好奇心を発揮して、見る者全てが珍しいとばかりに顔を輝かせる純白の少女へ手を振る。
手を振りかえすアリシアは、けれど勇麻の言葉など意識に全く留めている様子がない。次から次へと興味の対象を移し替えて、知らない場所へ連れてきてそわそわするペットのように動き回っている。だがまあアリシアの動きはきちんと黒米が把握している。彼の前をふらふらと漂っている内は、一先ず問題はないだろう。
「きゃっ」
と、そんな短い悲鳴で、勇麻は楓が人の波に押し流されるようにしてどんどんと後ろに流されていっているのに気が付いた。
お人好しにも程があるというか、遠慮がちですぐ人に道を譲ってしまう楓は、こういう人混みを抜けるのは苦手らしい。
「ほら、楓。お前もだ」
「……え、あ――」
……あっちもこっちも面倒見が必要なヤツばっかだな、なんて苦笑を浮かべながら立ち止まった勇麻は人混みに苦戦してる楓に手を差し出した。
楓は一瞬ポカンと呆けたような表情をした後、驚きと羞恥に顔を染めて石像みたいに硬直していたがやがて石化の魔法が解けたのか、
「――あ、その、……ありがとう。勇麻くん」
遠慮がちに差し出されたその手を――勇麻の指先をちょこんとつまむように遠慮がちに――掴んで、少し面映ゆげに上目づかいで微笑んだ。
その心が温かくなるような優しい笑みに勇麻もつられて笑って、
「お、やっと笑ったな楓」
「え?」
「いやさ、ここ最近の楓、無理して笑ってるのが多かったからさ。やっといつものが見れたなって思って」
ここ最近の楓が見せていたどうにか取り繕ったような無理のある笑み。神の力を使えない楓の今の状況を考えればそれも無理ないのかもしれないけれど、それでもあの笑みは胸が痛む。
だから無理ない楓の笑顔を見れたことが勇麻は純粋に嬉しかったのだ。
何をそんなに驚いたのか、勇麻の顔を直視したまま固まってる楓を勇麻はからかうような声色で、
「で、ちょっとは緊張とかほぐれたか?」
「……。も、もう、いきなりへんな事言うの辞めてよね、勇麻くん。……おかげで別の意味で緊張しそうです」
楓はにへらと脱力したように笑った後、むすっと頬を膨らましてぷいと楽しげにそっぽを向いた。
最後の方の早口がよく聞き取れず、その意味不明なリアクションに勇麻も笑って、
「何だそれ」
「勇麻くんには内緒。それより、早く行こ? 黒米さん達どんどん先行っちゃってるよ」
言われて前を見てみると、確かにかなりの距離が開いてしまっていた。このまま見失うのは流石にマズイ。開会式に代表選手が迷子で遅刻など、大問題になってしまう。
少し駆け足で追いかければすぐに追いつけるだろう。
「やっべ、急ぐぞ楓」
「うんっ」
楓の手を引き、勇麻は人の波をひた走る。
指先をちょこんと握る頼りない感触が、いつの間にかしっかりと勇麻の掌を握っていた。
こうやって手を繋ぐのも懐かしいが、今更意識するような事もないだろう。
泉の言う通り、幼い頃は風呂にも一緒に入ったような仲なのだから。
人混みを抜け黒米達に何とか追いついた勇麻と楓は、息を整えながら急激に道幅が広まった事に気づいた。
先ほどまでの住宅街のような細く少し入り組んだ通りを抜け、道幅の広い大通りに出たのだ。おそらくここがメインストリートなのだろう。
ひとまずこれだけ大きな通りなら、先のようなすし詰め状態になる事もありえまい。
勇麻はしっかりと繋いだ手に視線をやった後、楓の方を見て、
「よし、もう平気だな」
「え、あ……う、うんっ。そそ、そうだよね。これくらいなら、流石にもうはぐれたりしないよ」
勇麻の言葉に何故か若干のタイムラグを経て飛び跳ねるような勢いで手を離した楓。
あ、あはは……、と。何故かぶんぶんと高速で腕を振る楓。ここまで走って来たからかやたら顔も赤い。
挙動不審な楓に首を傾げつつ、まあ元気がある分には問題ないなと適当に勇麻は結論付けた。
ここで、広い道に出た事により、街の雰囲気も一変している事に勇麻は気づく。
これまでは街の景観を見せる為に一切の余計な物を排除していたというのに、打って変わって観光客向けの様々な店や施設が軒を連ねている。他にも通りには様々な国の様々な屋台が出店していて、その雑多な雰囲気が、先ほどまでの神秘的な空間とはまた違った形で勇麻達の興味を引いた。
「む、アレは――」
ふと、これまで皆の間をふらふらと節操なく漂っていたアリシアが、何かに気づき勇麻の裾を引っ張って急ブレーキを掛けた。
何事かと勇麻が振り向くと、少女の視線の先、そこにあったのは本格インドカレーの屋台だった。
「勇麻、楓、見ろカレーだ! 本格インドカレーなのだ!」
「アリシアちゃんのテンション、まさかのカレー屋さんで今日一!?」
何故かこの容姿でカレー好きという無駄なキャラ付けを獲得しつつあるアリシアが些か興奮気味に叫び、しきりに屋台を指差して騒いでいる。
屋台の濃い髭を蓄えた超インド風のおっちゃんがニコリとこちらに手を振りかえしているのを見て、何故だかアリシアはアイドルに手を振りかえされたように普段無感動な目を輝かせ感激の声を上げた。
アリシアの反応に気をよくしたのか、おっちゃんは嬉しげにインド語で良く分からない事を捲し立てた挙げ句、なにやらこちらにサムズアップしてくる。真っ白な歯が眩しい。
「あ、あはは……あのお店の人、既に容器にカレー盛り付け始めてるんだけど。ひょっとしなくてももう買わないと収集つかないんじゃ……」
お人好しな楓が冷や汗を流しながら言う。その予想を裏付けるかのように、おっさんは大盛りカレーの容器を掲げてこちらに向けてサムズアップをしていた。
そのサムズアップにびしっと応えるアリシア。とりあえず、眼前でよく分からん友情の芽吹きがあった事だけは理解した。
……お前の感動の基準が分からない。心の中でアリシアにそうツッコミつつ、勇麻はげんなりしたように――内心は微笑ましいさ一杯に――息を吐いた。
「分かった、分かったからアリシアさん落ち着いて。カレー屋台は逃げないから」
まだまだ花より団子という感じのアリシア。
暴走寸前の少女の首根っこをひっつかみ、勇麻は視線で黒米に了承を貰って、屋台でカレーを購入した。
世界中の通貨が使えるようになっているらしく、日本近海、太平洋に浮かぶ天界の箱庭で主に使われている日本円でも買い物をする事が出来た。
一五〇〇円とそこそこの値段のカレーは、インドを名乗っているだけあってそこそこ本格的だ。
渡されたトレーには使い捨て容器にたっぷり注がれたカレーと、扁平型のナンと呼ばれるパンが乗せられている。
「勇麻、何だこれは?」
渡されたアリシアは初めて見る形態のカレーに首をかしげていた。カレーはカレーでも、ライスのないカレーに困惑しているらしい。
「あー、インドのカレーはな、ライスのかわりにこのパンにルーを付けて食べるんだよ。これが本場の本格派ってヤツだ」
「なるほど。これが本場の食べ方なのだな……ごくり」
勇麻も別にインドカレーの食べ方のマナーに詳しいワケではないが、適当にそんなアドバイスを送っておいた。
アリシアは本場のカレーに戦慄し、ぶるぶると高揚感にその小さな身体を震わせている。
ここからでも伝わるインドカレーの香辛料の味わい深い香ばしい香りが、勇麻の食欲をも刺激する。
なるほど。これは今までパッケージのカレーくらいしか食べたことのないアリシアが戦慄するワケだ。そんな納得をする勇麻に、
「……というか、アリシアちゃんって辛口食べれたっけ? インドカレーなんて、かなりスパイス効いてると思うけど、大丈夫かな?」
「……あ、」
勇麻も完全に失念していたそんな問題に今頃になって気付いた楓が、心配げに呟く。勿論アリシアは辛口はおろか、中辛さえアウトな完全無欠な甘口派。そんなお子ちゃま舌の彼女がスパイスてんこ盛りの本格インドカレーなんて物を口にしたらどうなるか。
「っやば、アリシア! ちょっと待っ――」
勇麻は慌てて無謀な暴挙に出ようとしている少女を止めようとするが、時既に遅し。
ぱくり、と。
たっぷりのカレールーを付けたナンを何の躊躇いもなく勢いよく口の中に放り込んだアリシア。瞬間少女の顔から噴き出す玉のような汗。さらにその白磁のような肌が、一時停止した幸せそうな笑みのままどんどんと内側から毒々しいほどの朱色に染まっていき……。
「ひゃ――」
「……ひゃ?」
ぷるぷると、小刻みに身体を震わせるアリシア。
意味不明な呟きに思わず勇麻がそう尋ね返すと、爆発寸前の時限爆弾のような危うさを見せる少女は、俯きがちだった顔をあげて、
「ひゃっ、は……ひ、ひゃらいのらぁああああああああああああ!!?」
真っ赤になった舌を出す少女は、両目から大粒の涙を零しながら、口から火を噴きそうな勢いで脱兎の如く駆け出してしまった。
「……」
立ち尽くす一行。
まるでギャグ漫画か何かのように砂煙を巻き上げて走り去るアリシアの背中を、皆が黙りこくってしばしの間現実逃避気味に眺めていた。
「……って、何ボサッとしてやがるアホ勇麻! 早く追え! あいつが迷子になったら、絶対碌な事になんねえ!」
と、最初にスタンから回復した泉が叫ぶ。
「……くっ、あのアホ……!」
「待って、私も……!」
泉の声に我を取り戻した勇麻が慌てて走り出し、その後に楓も続く。
アリシアを追いかけて走り出した二人の背中を眺め、泉が溜め息をついた。
「……ったく、あいつらホントに自分達の置かれてる状況分かってんのか?」
「まあ、まだ時間もありますし、あれくらい余裕のある方がいいのではないでしょうか。張りつめているだけでは心は砕けてしまうものですしね」
やたらと余裕のある黒米にそう言われ、そんなもんなのかねえと泉は頭を搔いた。
☆ ☆ ☆ ☆
アリシアを追う勇麻と楓は、屋台や各種店舗の立ち並ぶ大通りを外れ、狭い路地へと入っていた。
……アリシアを見失った。
端的に現在の状況を説明するとすれば、この一言に尽きる。
「はぁ、はぁ、はぁ……ゆう、まくん。アリシア……ちゃん、は……?」
「ダメだ、いない。確かにこっちの路地に入って行ったのを見たんだけどな……」
息を荒くした楓の問いに、勇麻は首を振る。
アリシアを見失った中、唯一の救いがあるとすれば街の中央に聳え立つ『AEGスタジアム』の存在だろう。あれを目指して進めば、とりあえず道が分からなくとも迷う事はない。最悪アリシア一人でも、スタジアムに行くことは可能なはずだ。そしてスタジアムへ向かえば、必然的に元の大通りに再び出る事が出来る。
入れ違いになる可能性を考慮して、泉達には元の場所で待機してもらっているが、軽いパニック状態にあるだろうアリシアに一人でスタジアムに向かうという判断が出来るかどうか……。
「とにかく、この辺りを手分けして探そう。十分後、何もなくてもここに集合で」
「うん、分かった」
T字路で二手に別れ、勇麻は純白の少女の姿を探し回る。スマホで確認した時刻は八時二十分。三十分にもう一度ここに戻ってくる手はずだ。
白亜の路地は入り組んでいて、まるでちょっとした迷路のようになっている。
冒険気分どころか、本当にちょっとした迷宮探索のような事態になっている状況に、勇麻は軽い眩暈を覚える。迷路に迷い込んだアリシアと一生再会できないのではないかというような、何の根拠もない妄想に囚われそうになる。
「くそ、あの馬鹿。無駄な心配掛けやがって、見つけたらお仕置きだ……!」
軽口を叩くも、何か嫌な予感がする。
どこかで感じたような、強烈な胸騒ぎが先程からだんだんと強まってきているのだ。
早くアリシアを見つけてみんなと合流しなければという感情ばかりが逸り、この予感の既視感の出所を探ることができない。
もたつく思考がもどかしく、勇気の拳の力も借りてひたすらに大地を蹴り続ける勇麻は、曲がり角を曲がった瞬間。そこであってはならないモノを見る事となる。
「――ッ!!?」
それが視界に飛び込んできた瞬間、勇麻は反射的に急ブレーキを掛けていた。急制動に、足の裏が地面を削って上滑り甲高い音を鳴らす。
勇気の拳で滅茶苦茶に上昇した身体能力任せの無理な挙動に、肉体が悲鳴を上げているのが分かる。
だがそれでも、――例え片足を犠牲にしてでも停止しなければならない理由がそこにあった。
「……嘘、だろ。なんで、アンタが此処に……」
強烈な胸騒ぎ。
膨らみ続ける嫌な予感。
さらにはその胸騒ぎの既視感その正体。全ての答えが、今東条勇麻の眼前に広がっている。
「やあ、久しぶりだね東条勇麻くん。まさかこんな場所で君に会えるなんて思いもよらなかった。実に幸先がいい。これは私の想像だにしない展開だ」
――美形の男だった。
高い鼻とエメラルドのような碧眼。黄金のように輝く金髪はうなじのあたりで長さを整えられている。
身長は百八十前半。東洋人ではありえないスラッとしたモデル体型と高い鼻梁や白い肌、透き通った碧眼などの身体的特徴が、彼が西洋人だという事を示している。
歳はおそらく二十代半ばだろう。
男はやくざの着るような純白のスーツに身を包んでいたが、その身からにじみ出る高貴なオーラが、白スーツの持つ胡散臭さや悪印象をまとめて打ち消してしまっている。
まるで異国の王子か貴族のような男は、その甘いマスクに似合う微笑を乗せて、落ち着きある声で親し気に勇麻に話しかけてくる。
「さて、私と君の間柄でこんな挨拶も今更不要とは思うが、親しき中にも礼儀ありだ。改めてこう言わせて貰うとしよう。息災だったかい? 東条勇麻くん」
「なんでアンタみたいなヤツが此処にいるのかって聞いてるんだ! 答えろ、『設定使い』ッ!!」
飄々とした態度を崩さない『設定使い』へと、勇麻は身体中の毛穴を逆立たせる勢いで全神経を集中させる。
敵か味方かも分からない、正体不明の存在。
世界を順守し、かつての師であり恩人でもあるシーカーを止める事こそが己の目的だと語る男。
だが今なら分かる。
目の前の男から感じるこの圧倒的な圧力、存在感。同じ人間だとはどうしても思えない、高次の存在を前にした時のような本能的な畏怖。
間違いない。この男は最強の一角、物理法則を超越した異常者達の中でさえも異常者として君臨し続ける例外中の例外。
干渉レベルSオーバーの化け物、『神の子供達』だ。
「……ほう、しばらく見ないうちに実にいい顔になったな。その様子を見るに、私の忠告も無駄ではなかった、と言う訳か。……ふん、『狡猾な蛇』めが何やら『性質』を弄っていたようだがこの様子ならば問題はあるまい。ざまあみろと高笑いしたい設定だ」
「訳わかんねえ事喋って一人で勝手に納得してないで俺の質問に答えろ。どうしてアンタが此処にいる? 一体何をしにきた。まさかと思うけど、アンタも対抗戦の代表選手ってわけじゃないよな?」
勇麻の問いに、『設定使い』は心の底から残念そうに笑った。
「代表選手か。そうだったら面白かったのだがね。生憎、神の子供達は対抗戦に出てはいけないという不文律があって私は出場することができない」
出来る事ならば、一選手としてこの祭りに参戦したかった物だ。そう語る『設定使い』は、本心を偽っているようには思えない。
もしかするとこの男は本当に対抗戦に出場したかっただけで、ただ祭りを見物に来ただけなのかもしれない。浮かび上がってくるそんな甘い希望的観測を振り払い、勇麻は男に向ける視線と警戒の色をさらに強める。
「なにやら、随意と嫌われてしまったようだな。私は本当の事を口にしただけなのだが……」
『設定使い』は少し寂しげに肩を竦める。
脱力した所作。だが、まだ気を抜くわけにはいかない。
確かにこの前は勇麻と楓の危機を助けてくれた人物ではあるが、この男の底の知れなさが、勇麻の本能に警戒を解くことを許さない。
「だったら何故? という顔だな。……そう怒るな、君のような力を持つ者が、そう軽率に感情を荒げる物ではないよ。安心してくれ、君の質問にはきちんと誠意をもって答える事を約束する。まずは……そうだな、私が此処に来た理由から話そうか――『認知設定』」
「!?」
『設定使い』がそう言った直後の事だった。
唐突に、何の脈絡も連続性も整合性もクソもなく、気が付けば『設定使い』が腕の中にアリシアを抱いていた。
「どうした? ああ、彼女が気になるのか。心配は無用、眠っているだけだ」
男の腕の中で安らかな寝息を立てる少女は、まず間違いなくアリシアだ。
だが一体どこから、どのタイミングでどうやって現れた……?
瞬きすらすることなく『設定使い』を凝視していた勇麻は、声を上げることも叶わず、アリシアを人質に取られたという現実を前に、ぐにゃりと地面が歪むような錯覚を覚える。
(やばい。マジでヤバい……!!)
焦る思考。湧き上がる自身の無能さと『設定使い』への怒りに、右の拳が白熱していく。
相手は神の子供達。
たった一人で正攻法で勝負した所で勇麻に勝ち目は万に一つも存在しない。そもそもこの場で求めるべき勝利は神の子供達の打倒ではなくアリシアの救出。相手の油断や隙をつき、どうにかアリシアを奪還してこの場から最速で逃走する。この男の目的が何かは分からないが、それが出来なければ勇麻はこの男に生殺与奪を握られる事になるのはまず間違いないだろう。
「『座標設定』――おっと、随分と怖い顔だな少年」
「なっ!?」
刹那。勇麻の眼前、僅か十センチ先に『設定使い』が存在していた。
高速移動や瞬間移動、空間転移の類ではない。
気がつくと、当たり前のように、疑問を持つほうがナンセンスだとでも言いたげに、東条勇麻の目の前に男は立っていた。
まるでこれが正しい世界の在り方であると、そう主張するかのように。世界に彼が移動したという痕跡は残っていない。
最初からそこに居た。それが正しい答えであると、ほかならぬ勇麻の理性が認めてしまっていた。
神の子供達を名乗る化け物との距離は腕一つ分もない。『設定使い』の気紛れ一つで勇麻は殺される。
一瞬で懐深くまで入られたことを鑑みれば距離を取る事に意味はない。ならばやられる前にやるしかないだろう。先の先を取る。相手の攻撃前に、こちらの一撃をどうにかして打ち込むしか勝機はない。
(くそっ、動け、俺の身体……ッ!?)
硬直し緩慢な反応を示す肉体を意思の力で無理やりに動かそうとする。
だが『設定使い』の方が速い。
否、そもそもこの男の前に、物理的な速度など意味をなさないのだと勇麻は今までの経験から直感的に悟っていた。
だからこんな抵抗も無意味。
東条勇麻は次の瞬間に敗北を味わうだろう。だが、それでも、負けを認める事だけはしない。この命が続く限り、どれだけボロボロになり果てても抗い続けてやる。そんな覚悟を拳に込め、逃れられない敗北をその目に刻み付けようとして――
――そんな勇麻の思考とは裏腹に、『設定使い』は腕の中の少女をゆっくりと丁寧な動作で勇麻に受け渡した。
「―――――は?」
「すまない、君の大切なものを奪おうなどというつもりは毛頭なかったのだが、どうやら誤解させてしまったようだ」
軽い女の子とは言え――ずっしりと腕にくる柔らかくあたたかな感触は間違いなくアリシアのものだ。
穏やかな吐息が聞える。『設定使い』の言っていたように、どうやら本当に眠っているだけらしい。
意味が分からず間抜け面で唖然とする勇麻に、『設定使い』は腰を折って頭を下げた。
その行為と言葉がどんな意味を持つのか勇麻は数秒ほど思案した末に、この男が謝罪をしているのだという結論に辿り着いた。
未だに狐につままれたような顔をしている勇麻に、『設定使い』は一つ息を吐く。
「私が此処に来た理由を話すと言っただろう? 要するに、彼女が理由だ。偶然、独りで行動している所を目にしたモノでね。危険を感じ保護させて貰った。背神の騎士団に伝えておいたほうが賢明だろう。いくら護衛をつけているとは言え、今『神門審判』を集団の輪から離すのは危険だ、とね。餌を使って誘き出すつもりだろうが、連中をあまり甘く見ない事だ。そして勿論、彼女も――」
『設定使い』がパチンッと指を鳴らして、一言。
「――『脚本設定』」
「あれ? 勇麻くん……って、アリシアちゃん見つかったの!?」
突如、聞きなれた声が勇麻の耳を撫でた。
ハッとして振り返ると、まるでソレが合図であったかのように偶然曲がり角から顔を出した天風楓が、勇麻とアリシアを見てその表情を喜色に輝かせて駆け寄ってきた。
「アリシアちゃん、寝ちゃってるの?」
「あ、ああ……」
何が何だか分からない。
勇麻は混乱した頭のまま先の言葉の意味を尋ねようとして――
「――消え、た……?」
振り返るとそこには、誰の人影も無く。
つい数秒前まで確かにそこに居たはずの神の子供達『設定使い』は、跡形もなくその姿を消していたのだった。




