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神ナリシ模倣者ト神門審判  作者: 高木カズマ
第六章 序 三大都市対抗戦・上
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第三話 帰還Ⅱ――密会と密談:count error

「はぁ……」


 未だに物陰からこちらの様子を窺うアリシアに、勇麻は疲れたような溜め息を吐いた。


 アリシアの過去――つまりは失われた彼女の記憶、それをアリシアに話そうとして拒絶されて以来、アリシアはずっとこんな感じだ。

 喧嘩……とでも言えばいいのだろうか。

 あの話の直後、車の中では狸寝入りをされ、空港についてからの移動中もコバンザメみたいに泉の背中にべったり。飛行機の中では続けて狸寝入りと来たものだ。

 意外に頑なな所のあるアリシアは、完全に勇麻から過去にまつわる話の続きをされる事を拒んでいた。


 天界の箱庭(ヘヴンズガーデン)に着くと勇麻はそのまま病院に輸送され、アリシアは一度結果報告と神の力(ゴッドスキル)の使用でボロボロになった身体の精密検査の為に背神の騎士団(アンチゴッドナイト)本拠地アジトへ向う事になった。

 そこで別れてからというもの、先ほど勇火が言ったようにアリシアはこの一週間、勇麻のお見舞いにも来てくれなかった。

 分かっている。悪いのは自分だ、色々と配慮……もとい彼女の気持ちを考えていなかったと、時間を置いた今なら分かる。


(まあ、拒絶されて当然の事はしちまった……よな)


 アリシアには六歳までの記憶がない。

 父や母と幸せに暮らしていた温かい記憶。そして『創世会』によって大勢の罪なき子供達を集めて行われた非人道的実験の記憶。そしてその地獄の中で出会った、大切な仲間達の記憶も……。

 過去のアリシアは、その辛い記憶も含めて全てが大切な宝物なのだとそう言った。奪われることは我慢ならない、記憶とは尊いモノなのだと、滂沱と涙を流して守ろうとしていた。

 だがそんな彼女の記憶たからものは無慈悲にも喰われ奪われ、アリシアは空っぽの少女として第二の生を生きる事となる。

 実験動物としての生。

 檻の中に囚われ、自由も人権もその全てが無い。失うモノさえ持てないような、そんな誰かの所有物として扱われる年月は何もなかった彼女に自由を渇望させた。


 そうして長いからの旅路の果てに少女が巡り合ったのが東条勇麻であり、愛すべきこの日常なのだとしたら。

 ようやく少女がその空っぽの器の中に注ぐことのできた温かいモノが、今のこの時間なのだとしたら。

 アリシアは手に入れた日常と平穏に縋るだろうし、それを壊そうとする存在はどうしようもなく恐ろしい侵略者に感じるはずだ。

 ましてその侵略者が、少女が誰よりも信頼を寄せる英雄ヒーローだと信じる少年だったとしたら……。


 アリシアが怯え傷つくであろう事は、あまりにも容易に想像できる。

 そんな簡単な事にすら気づかなかった自分が許せない。どうしようもなく度し難い愚者に思えて仕方が無かった。


 だがそれでも、いつかはアリシアに彼女の過去を話さなければならない。それが期せずして彼女達の物語を覗いてしまった自分の責任なのだと、そんな思いは変わらずに胸にあって。

 それが勇麻に言葉を詰まらせるのだ。


 それでも言うべき言葉は言うべきだ。逃げる事は必ずしも悪だとは思わないが、人として通すべき筋という物もある。

 自分が悪いと思った時に謝るという事は、案外難しいモノなのだと勇麻は知っていたから。

 だからこそ、そこで逃げるような腑抜けにはなりたくなかった。


「あのさ、アリシア」


 びくんっ、と。小さな肩が飛び跳ねるように弾み、さらに小さく縮こまろうとするアリシア。

 勇麻はなるべくアリシアを刺激しないように、優しく穏やかな声色でゆっくりと言葉を続ける。


「この前はなんて言うか……急にごめん。前に言った事についてだけど、お前が嫌がるなら無理に話したりはしない。約束する。でもこれだけは覚えていて欲しい」


 今度はテレビの陰から恐る恐るその顔を覗かせるアリシアに、勇麻はその相好を崩して、


「今も昔も、お前はそう変わってねえよ。誰かの為に何かが出来る、そんなヤツだ。それだけは俺が保障しといてやるから、そう心配すんな」


 そう言って立ち上がると、まるでその目で見てきたような勇麻の言い草に困惑するアリシアの頭をわしゃわしゃと撫でつけ、勇麻は部屋を出た。

 そのまま玄関までノンストップに移動すると、間延びした声が聞える。


「どっか出掛けんのー?」


 ベランダから響く勇火の問いかけに、


「ちょっとレインハートから呼び出しがあってな。あ、夕飯までには帰るから俺の分も準備頼むわ」

「はいよー。お土産買ってきてもいいよ」

「あのな、遊びに行くワケじゃねえんだ。そんなもん買う暇はないし東条家にそんな余裕はありません」


 握りしめたスマホの液晶画面にはつい先日登録したレインハート=カルヴァートからの新着メッセージが表示されていた。

 内容は至って簡潔。


『レインハート:十四時十五分頃、北ブロック第二エリアにあるバス停横の貸倉庫まで来てください』


 第二エリアは勇麻達が暮らす学生寮のある第五エリアのお隣だ。時刻は午後一時三十分。指定された場所ならバスに乗れば三十分程度で到着するだろう。



 扉の締まる音が学生寮に響く中、相変わらずテレビの裏でフナムシみたいになっていたアリシアはポカンとした表情のまま寮を飛び出していった勇麻の残像をその瞳に捉え続け、


「……弟くん」

「なに、アリシアちゃん」

「お主も勇麻も、何だか――変わったのだ。……何か、あったのか?」


 アリシアの実直な物言いに洗濯物を取り込みながら勇火は苦笑を零して、


「さあ、何だろうね。ただ、俺も兄貴もきっと――もう逃げる事を諦めたんじゃないかな?」


 少なくとも敗北にも確かな意味はあったのだと、額の割れるようなあの痛みを思い出しながら、東条勇火は足掻き続けることを決意した男の表情でそう言った。



☆ ☆ ☆ ☆



 指定された集合場所へ約束の時間のおよそ五分前に到着すると、既にレインハートが待っていた。

 耳を澄まし周囲の気配へ注意を払っていたのか、勇麻が十メートル圏内に入った途端、閉じていた切れ長の瞳がスイッチが入ったかのように開かれる。


「時刻通りですね、東条勇麻」

「そういうお前は流石と言うか何というかかなり早いだろ。結構待たせちまったか……?」


 その様子だと十分以上待っていたんじゃないか、という勇麻の言にも彼女は眉一つ動かす事が無い。


「十分前行動は基本です。もっとも私の場合、不測の事態に備えて二十分前には目的地に到着するようにしています。……とはいえ急な呼びかけに応じて貰った私は文句を言う立場にありません、早速ですが場所を変えましょうか」

「お決まりの文句にも乗らない辺り、流石レインハートって感じだな。いつもと格好違うけど、いつも通りみたいで一安心だ」


 彼女の格好は勇麻の言葉通りいつもの戦闘用の装束とはかけ離れている。

 モデル体型の彼女の長い脚がよく栄える黒のスキニー、上は白と黒のボーダーのシャツ。うえからトレンチコートを羽織り、首にはマフラーというちょっとおしゃれな格好。街に違和感なく溶け込む為の変装だというのだが、彼女ほどの容姿とスタイルを持つ人間は何をしても目立つ事は避けられないと勇麻は思う。

 というか腰に刀を佩いている時点で実は溶け込む気なんてさらさらないだろお前とツッコみたい。


 勇麻の軽口にレインハートはよく分からないとばかりに首を横に傾げていた。


「? よく分かりませんが、その様子では足の怪我ももう何とも無さそうで何よりです。ここから先は歩きですから、最悪の場合私がアナタをおぶる事になっていました」

「……レインハート、お前も冗談なんて言えたんだな」

「いえ、事実ですが? というか、団長命令でした」


 ……それは本当に最悪だ。

 女の子におぶって貰う男という情けなさすぎる絵図らは元より、シスコン軍曹ことレアード=カルヴァートに発見された場合絞首刑物の重罪判定を下されるに違いない。

 二重の意味でぞっとする勇麻を見るレインハートは、表情など微動だにしない癖に少しだけ満足げにも見えた。

 

 おしゃれではなく変装だと割り切っているからか、何の躊躇もなく下水道に飛び込んでいく彼女の案内によって地下通路を進む事三十分以上。

 巨大迷路と化している複雑怪奇な地下通路を進み辿り着いたのは『背神の騎士団(アンチゴッドナイト)』の本部アジトだった。

 二度目の本部アジト訪問。わざわざここまで呼び出された時点でうすうす察してはいたが、そこで勇麻を待ち受けていたのはこの男だった。


「よお、ボウズ。久しぶりだな、あれからちったぁ背ぇ伸びたか?」

「久しぶりって、ちょっと前にも会っただろ。そんなすぐに背なんて伸びるかよ。それに、あいにく成長期は去年までだ。……それで、アンタみたいな人がどうして俺なんかを呼んだんだ? スネーク」


 まるで一か月ぶりの友達に声を掛けるような気安さで話しかけてくるのは、荒々しいオールバックに、海賊船の船長みたいな隻眼の男だった。

 首もとには明らかに不似合いな女性用のデザインのネックレスが掛けられている。ライオンの鬣のような無精髭はある種の強さの象徴のようにも思えた。

 冬だというのに筋骨隆々の上半身を大気に曝し、樹齢数千年を超える大樹のような安心感と、獰猛な猛禽類のような鋭さを併せ持った大男、背神の騎士団(アンチゴッドナイト)団長、スネークが立っていた。

 スネークは荒々しくも友好的な笑みで勇麻を迎え入れる。


「なあに、お前さんの耳に入れておきたい事があってな」

「……楓の件か」

「ま、そういう事だ」


 立ち話も何だ、と言って適当に近くの部屋に案内され、勇麻とスネークは会議室っぽい部屋に腰を落ち着けた。

 すると黒米がどこからともなく現れて、勇麻とスネークの前にお茶の入った湯呑を置いて行く。相変わらずの仕事人ぶりだ。

 暖房が効いていないのか部屋はやや肌寒く、勇麻は湯気の立つ液体でありがたく喉を潤わせた。

 同じようにスネークが茶を啜る音も聞こえる。

 


 ……およそ一週間前の事だ。

 勇麻が天界の箱庭(ヘヴンズガーデン)に戻り病院に入院した次の日の事。

 勇麻とアリシアが帰ってきたという知らせを受けた天風楓が勇麻のお見舞いにやってきた事があった。


『楓……?』

『はぁ、はぁ。おはよう、勇麻くん。久しぶり……、でいいんだよね?』

『あ、ああ。おはよう。久しぶりって程でもないんだけど、なんかそんな感じがするよな、実際』


 息を切らして勇麻の病室を訪ねてきた楓は目の下に隈があり、顔色も良くなかった。手に膝を付き、荒い呼吸を繰り返すのはここまで走って来ただけではなく、体調自体が良くないせいであるように思える。

 あまり眠れていないのかもしれない。

 ちゃんと帰ってきてくれて良かった、そう言って儚げに微笑む楓は今にも砕けてしまいそうに思えて、勇麻の心をかき乱した。

 不安定というか、心の均衡の狂った人を見ているような、今の楓からはどこか危うさを感じるのだ。

 その理由に勇麻は心当たりがあった。


『アリシアちゃんにもね、会って来たの。その……ほんとに皆がちゃんと帰って来てくれて、良かった。あのままアリシアちゃんとお別れなんて、絶対に嫌だったから……』


 ネバーワールドで起こったテロ事件――世間じゃ一部が面白がって『死の饗宴』なんて物騒な名で読んでいるあの事件――以降、楓はずっと無理をしているような笑顔を浮かべている。

 それ以前にまるで勇麻達を避けるかのように、会う回数が少なくなっていた。

 天風駆が主神玉座フリードスキァルヴを求めて天界の箱庭(ヘヴンズガーデン)にやって来た時と同じ、良くない兆候だった。

 一人で抱え込んでしまう癖のある楓を、しかし当時の勇麻は彼女の事を考えれば軽率に会う事を選択できずにいた。

 勇麻自身も絶望と無気力と怠惰の底にいる中、自分のせいで傷ついてしまった楓に会うだけの勇気がなかったのだ。

 結局、自分可愛さに楓を傷けてしまう事を恐れた勇麻の怠慢だ。


『勇麻くん、実は、その……少し、相談したい事があるの』

 

 だから、そんな風に話を切り出された時勇麻は何よりもまず驚いてしまった。


『こんな時に相談なんて、あはは……何言ってるんだろうね、わたし。勇麻くんも大変な目に遭ったばかりなのに……迷惑、だよね……』

 

 今にも泣き出しそうな顔で不安げに尋ねてくる楓を、勇麻は真剣な表情でじっと見据える。

 迷惑なんかじゃない。

 否、迷惑なんていくらだって掛けて欲しいのだ。

 一人で抱え込まれ、楓に何の相談もして貰えない方が、ずっと堪える。

 楓の悩みを分かっていながら自分可愛さに声を掛ける事もできなかった東条勇麻に、そんな言葉を言う資格なんて無いのかもしれないけど、それでも。

 勇麻は、覚悟を決めてこう言った。


『聞かせてくれ、楓』


 ベッドの端に座りぽつりぽつりと楓が語るのは、あの事件以降、神の力(ゴッドスキル)が使えなくなってしまったという事。そしてそんな状況だと言うのに、開催まで一か月を切った『三大都市対抗戦』の代表に選ばれてしまった事。神の力(ゴッドスキル)の不調を理由に参加を辞退しようとしたが、何故か何度申請しても辞退を取り下げられてしまう事。

 勇麻に全てを打ち明けた楓は、途中、こんな独白を零していた。


『結局、わたしはいつも通り怖がってるんだ。またこの力で、誰かを傷つけてしまうかもしれない。わたしの意志と関係なしに振るわれる風が、大切な誰かを傷つけるかも知れない。……そんな恐怖に縛られて、誰かが傷つこうとしている場面でもぜんぜん動けないの。自分の心ばかりを守ろうとする、臆病で情けなくて、強くなんて全然なれない、あの日から全然変わってないなーって、ちょっと落ち込んじゃって』


 あの日、というのは楓の兄……天風駆が公園で人身売買組織に攫われた時の事だろう。

 あの時、楓は恐怖と自分可愛さから兄を助ける事も、周囲に助けを呼びに行くことさえ出来ずに、建物の隅で震える事しかできなかった。

 そんな弱い自分が嫌で、優しいだけで誰も助けられない自分が嫌で、楓は楓なりに強くあろうとしていた。

 そのはずなのに。


『別に神の力(ゴッドスキル)を使えない事が嫌なんじゃないの。そんな物関係なく強くなるって決めたしね。でも、誰かを助ける手段を持っているのに、自分可愛さにその力を使う事もできない自分の弱さが嫌いなだけ』


 そう言って笑う楓を見るのは、心が締め付けられるようで辛い。

 作り笑いではないけれど、その笑顔は無理をしているのが一目で分かるような歪なモノでしかなかったから。


『……楓は、弱くなんかないだろ』


 東条勇麻には、そんな気休めの安っぽい台詞を口に出すのが精一杯。

 

『変わってないなんて事はないだろ。少なくとも楓は、必死に変わろうとしてるじゃねえか。その意志があれば、何の問題なんてない。……ほら、その。何だ。今はまだちょっと、乗り越えようとする心に身体が追い付いてないだけだ。条件反射っていうかさ? 神の力(ゴッドスキル)を使う事に、身体の方が恐怖を覚えちまってんだよ。だから、――楓が弱いなんて事は絶対にない』

『勇麻くん……』


 励ます事が出来たのか、少しでも楓の心の助けになれたのか、それは分からない。

 けれど、今楓に言った事は全て、勇麻の嘘偽り無い本音だった。

 東条勇麻というちっぽけな少年から見て、天風楓という少女は泣き虫で誰よりも心優しい思いやりに溢れ、誰よりも強くあろうと必死な、そんな一途で努力家の女の子なのだ。

 だから天風楓が弱いだなんて事は、絶対にない。

 その思いだけはどうか伝わっていて欲しかった。

 そんな勇麻の思いが少しは届いたのか、楓もその表情を緩め、


『ありがとね、勇麻くん。こんなくだらない話を聞いてくれて。何だか気が楽になったよ』

『ったくよ、これだから優等生サマは。頭が固いんだよ、頭が。せっかくいいもん持ってるんだからさ、もっと有意義な事考えろよ。――自分責めてるだけじゃ、何も産まれないからよ」

『……、うん。そう、だよね……!』


 楓が浮かべた笑みが、気のせいか少しだけいつもの柔らかな笑みに近づいているような気がした。

 思い上がりでなければ、自分の言葉は少しでも楓の力になれたのかもしれない。

 勇麻もまた安堵の息を吐いて頷き、そこからは久しぶりの少女とのくだらない会話に花を咲かせた。


 楓は勇麻の身の回りの世話も一通りやりたがった。甲斐甲斐しくおしぼりで勇麻の身体を拭いたり(前は自分で出来るからと背中をお願いし、下半身は全力で死守した)、ベッド含む病室の掃除をしたり(泉の馬鹿が持ち込だR級の封印指定危険禁書があったのでベッドの下は全力で死守した)、さらには食事の手伝いまでも。

 勇麻はわざわざそんな事やらないで大丈夫だと言ったのだが、


『だめだよ、勇麻くん。ちゃんと食べないと、怪我だって早く治らないんだよ?』


 リンゴに包丁ワンセットを手にした楓を止める事は出来ず、器用に剥かれた一口サイズのリンゴを美味しくいただく事となる。

 ただ……、


『はい、勇麻くん』


 ニコニコと善意一〇〇パーセントの笑みで差し出されたりんご(つまようじ装備)には流石に冷や汗を垂らし、


『いや、楓さん? あのね。俺が怪我したの足だから。リンゴくらい一人で食べられますよと言うか何と言うか……』

『え? ……あ、』

 

 勇麻の指摘に所謂「あーん」とやらに発展しかけている状況に今更のように楓が気づき、遅れてゆで上がるようにその顔が赤面していく。


『あ、あはは……! わわっ、わたしってば何やってるんだろうねー! なんというか、これは勘違いっていうかとにかくそのわたしがおっちょこちょいで勘違いしてただけだから深い意味はないし気にしないで!!』 


 どうやら医療行為としての必要に迫られた「あーん」と、それ以外とでは心理的ハードルがかなり異なってくるらしい。

 自分の行為が本来必要ない物――つまり恋人同士がやるような「あーん」のシチュエーションだと分かった瞬間の楓の慌てようから、現実逃避気味にそんなことを考える勇麻なのだった。


 なんだかんだで誰かと一緒にいると時間はあっと言う間に過ぎ去り、楓はその日の三時頃には病院から帰って行った。

 


 楓が帰宅してすぐ、勇麻は行動を開始した。

 精神的な問題から神の力(ゴッドスキル)が使えなくなっているという楓の問題は、他の誰かが解決できるモノではない。彼女自身が自分の手で決着を付けねばならない問題だ。

 だがそれ以外の部分。楓からの話で一つだけ、どうしても引っ掛かる点があったのだ。

 楓の代表辞退を頑として認めない天界の箱庭(ヘヴンズガーデン)……つまりは、『創世会』。 

 そのどう考えても合理的でない不自然な決定に、勇麻はどうしようもない胸騒ぎを覚えたのだ。



 現在、『三大都市対抗戦』における『天界の箱庭(ヘヴンズガーデン)』の成績は現在大会六連覇中。

 前人未到の七連覇に掛けて、今年の優勝にも期待が高まっている状況だ。

 『創世会』とて、優勝都市に支払われる莫大な賞金は手に入れたいハズ。

 そんな中で、本来なら潰しておくべき不確定様子――代表選手の一人が神の力(ゴッドスキル)を使用できないという緊急事態を、野放しにしておくメリットは存在しないハズなのだ。

 であれば、何か裏の意図があるに違いない。

 そんな危機感を持った勇麻は秘密裏に背神の騎士団(アンチゴッドナイト)にこの事を相談、調査を依頼していたのだ。



「それで、結果は聞くまでもないとは思うけど……」

 

 お茶を半分ほど飲んでから、勇麻がそう話を切り出すと予想通りに神妙な顔でスネークが頷いた。


「ああ。残念ながら当たりだ。『創世会れんちゅう』が何を企んでるかはまだ微妙なトコだが、天風楓が狙われてる、それは確かだろうよ。連中の計画に利用するつもりか、単に邪魔だから殺害するつもりかは知らんがな。ま、こうも回りくどい手を使ってる以上、前者の可能性が高いが……」

「どっちにしても見過ごせる訳がない。俺は天風楓の味方であり続けるって子供の頃から決まってるんだよ。だからあの子を泣かせようとするヤツはブッ飛ばす、『創世会』だろうが例外じゃない」


 そうだ。言うなればこれは決定事項。

 楓が泣いていればその涙を止める為に拳を握るのだと、楓が恐怖を押し殺しているのなら震えるその手を握ってやるのだと、幼い頃にそう決めた。

 だから相手が誰だとかそんなのは関係ない。 

 天風楓を傷つけるというのならば、東条勇麻はそれを決して許しはしないのだから。


「……なあ、スネーク」


 勇麻は揺るぎない決意をその瞳に宿しながら、改まってその男の名を呼んだ。

 纏う空気がより一層研ぎ澄まされた少年に、スネークは目線で先を促す。勇麻は緊張感と共に一度生唾を呑みこんで、一歩奥へと踏み込む。

 すなわち。


「いい加減に話して貰えないか? 『創世会』の目的を、背神の騎士団(アンチゴッドナイト)が、あいつらと戦うワケを」


 それは、今回の密会にあたって勇麻が自身に課した二つの目的の内のもう一つであった。

 勇麻が個人的に設定した目標の一つは天風楓の問題に関する対処方法の協議。そしてもう一つが、勇麻達と背神の騎士団(アンチゴッドナイト)共通の敵である『創世会』についての情報を得る事だった。


「部外者には話せない、とは言わせないぞ。アリシアの事は勿論、俺の弟や幼馴染も狙われてるんだ。勇火に関しては直接的な被害が出てる。これ以上、連中の事を放置することはできない。アンタ、知ってるんだろ。連中の……『シーカー』の目的を」

「……」


 事あるごとに様々な人物からはぐらかされてきた『創世会』の目的を、東条勇麻はもう無視する事ができない。

 なにせこちらは実害が及んでいるのだ。敵の狙いが勇麻達にもある以上、ただしく敵の目的を知らなければ、勇麻は常に後手に回る羽目になる。

 詰問するような勇麻の視線を、スネークは目を逸らす事無く真っ正面から受け止めてみせた。

 場に沈黙が降り、視線の交錯が十数秒間にも渡って行われる。

 まるで大型の肉食獣を前にしたような緊張感、身じろぎすれば、少しでも臆病さを見せれば、途端に噛み殺されるのではないか、そんな物騒な考えが勇麻に脂汗を流させる。

 永遠にも感じられる十数秒間が過ぎ去る。

 やがて、観念したように瞑目したスネークが大きく息を吐き出し、ピアノ線のように張りつめていた空気がやや弛緩した。

 そして男は、目の前の少年の意志を確かめるように、


「……後戻り、できなくなるぞ」

「構わない」


 即答する。


「真実なんざ誰もが言うような素晴らしいもんじゃねえ、たいていは知らない方がマシな毒みてえなモンばかりだ。ボウズ、お前さんは、自ら日常に帰る可能性を放棄しようってのか?」

「違う。俺は日常に帰る為に真実を知らなきゃならないんだ」


 断言する。


 それが東条勇麻の拳を握る理由。

 大切な人達と、その人達が笑い合う小さな世界を守る。その為なら、東条勇麻はどんな我儘せいぎでも貫く事が出来るのだと、その身をもって証明したのだから。

 例え、後から身を裂くような後悔が勇麻を襲おうとも。

 それでも、この身を突き動かす衝動に。感情に。嘘を付きたくは無かった。

 天風楓を、東条勇麻の愛する日常を脅かす影を、見逃してやることなどできない。

 

 そんな勇麻を見てスネークは子の成長を喜ぶような柔らかな笑みを湛え、


「……随分いい顔をするようになったな、ボウズ。力も方法も持たず、自分本位に感情を振りかざしてたあのお前さんが、見違えるみてえだ」

「……違う。別に、俺は大して変わってねえよ。あの時と同じ、これだって俺の我儘で自分勝手だ」

「違わねえさ、少なくとも今のボウズは最善を尽くそうとしてる。人の気持ちも考えず、ただ自分の気持ちの為に救いっつー自己満足を振るってた頃とは大違いだ」


 ネバーワールドでの一件を掘り返され、途端に歯切れが悪くなる勇麻にスネークは首を振った。

 けれど勇麻は、そんなスネークの称賛の言葉を素直に認める事ができない。

 俯き、どこか自嘲するように、


「それでも俺は……傲慢だよ……」


 ……だって、自分が一番よく分かっている。 

 『天智の書』の言う通り、東条勇麻は傲慢だ。

 駄々をこねる子供のように己の負けを認めず、『自分がその結末を認められないから』などと言う理由にもならない理由でみっともなく抗い続けるその姿は、お世辞にも潔いとは言えず、本来なら褒められた物ではないだろう。

 自分本位で自分勝手、ネバーワールドで、楓の気持ちも考えずに無謀な愚行に挑み続けた頃と、勇麻の本質は何ら変わってなどいない。


 結局、東条勇麻は自分の為にしか戦う事を知らない。


 思えば、東条勇麻は最初からそうだった。

 南雲龍也ヒーローを殺してしまった責任感、罪悪感から英雄の代役を演じていた時だって、免罪符欲しさに拳を振るっていた。許しが欲しくて、紛い物の英雄であり続けた。結局はこれも自分の為だ。


 今はその方向性が少し変わっただけ。

 我欲の為に拳を振るい続けている所は、あの頃と何一つとして代わり映えしていない。

 力だってあの頃と同じで何もない。神の子供達(ゴッドチルドレン)なんて怪物と比べれば無力なままだ。以前として誰かを救う方法も満足に持たぬままに、欲望だけは人一倍大きい。

 傲慢で我儘な、幼きあの日憧れた正義の味方からはほど遠い度し難い愚者だ。

 誰かに褒められるような高尚な志など抱いていない。ただ自分の大切なモノを失いたくないと駄々をこね、抱きかかえた日常に縋り付くだけの欲深い人間。

 それが東条勇麻なのだから。


 ただ一つ変わった事があるとすれば、勇麻が自分のそんな愚かさを認め、開き直ることが出来た所だろうか。

 欲深くても愚か者でも我儘でも傲慢でも、大切な人を救えるのならばそれでも構わないと、そう思える事が出来た。

 敗北も後悔だってするのかも知れないけど、でも、自分の思いのままに傲慢に挑戦し続ける事を決めたのだ。


「いいんじゃねえの、それで」


 なのにスネークはカラッと笑って、そんな東条勇麻をあっさりと肯定してみせた。


「大切なのはその傲慢をどこまでも貫く覚悟だ。今のお前さんには、ちゃんとそれがあるように見える

けどな。……ま、なんにせよ、そんな顔をするようになったボウズに全てを黙ってるってのは、不誠実か」

 

 スネークは改めて真っ直ぐに勇麻の瞳を見据えると、少しだけ声のトーンを落として、


「まず、最初に謝っておく。今のお前さんには、まだ全てを話す事はできない。だが、これから俺が話す事は全てが嘘偽り無い事実だと誓おう。それでも構わないか?」

「……分かった。今はアンタから聞き出せる情報があるってだけで満足してやる」


 正直に言って知っている事全てを話して欲しいという思いはあるが、きっと今それを言ったところでどうにもならないのだろうという事を勇麻は直感的に理解していた。

 この条件を呑まなければ、おそらくスネークは何も話してくれない。

 少しでも情報が欲しい勇麻としては、この条件を呑む以外の選択肢など存在しないに等しい。

 勇麻の答えにスネークは安堵したように息を吐き、「ありがとう」と心の底からの感謝を示した。それから、内緒話をするように少し身を乗り出して、


「俺も全てを把握しているワケじゃない。ただ一つ言えるのは……連中の『計画』はずっと大昔、それこそ天界の箱庭(ヘヴンズガーデン)ができた五十年前よりもっと前から積み上げられてきた、この惑星全てを巻き込む『壮大な計画マグニフィセント・プロジェクト』だって事だ。そしてその計画にはおそらく……神門審判アリシアや天風楓も組み込まれている」

「あいつらは何を狙っている? アリシアや楓を使って、一体何をしようとしてるんだ?」

「……ボウズ、お前さんも本当は知っているはずだぜ。連中は、神門審判ゴッドゲートを『巫女』と呼ぶ。それが何を意味するか、分かるか?」


 スネークの言う通り、『巫女』という言葉には聞き覚えがあった。

 黒騎士ナイトメアによって見せられたアリシアの過去、あの地獄の中で、白衣の男や『シーカー』がアリシアの事をそう呼んでいたのを勇麻は確かに覚えている。

 だが、それが何を指すのかなど、勇麻には少しも検討が付かない。


「『巫女』って、神社とかにいる、あの巫女か……?」


 勇麻が巫女さんに抱くイメージなど、せいぜいが初詣の時にお守りや絵馬や破魔矢を売っている白衣と緋袴の所謂巫女装束に身を包んだ綺麗な女の人、くらいのものだ。

 あとは舞のようなもの(確か、神楽と言ったはずだ)を踊ったり、何かと神聖なイメージがある。

 要約すると、神社にいる神様に仕える女性、というイメージが正しいだろうか。

 ぼそぼそとそんな事を口にすると、スネークはまあだいたい合ってると軽く頷いてから。


「――古来、巫女にはある役割があったそうだ。呪術的な儀式における依り代……すなわち、『神降し』や『神懸り』を執り行う儀式、『かんなぎ』。神の子供達(ゴッドチルドレン)なんて呼ばれてる少女が『巫女』、だなんて、いかにも意味ありげだと思わないか?」

「それは、どういう意味だよ。アリシア……『巫女』に『神降し』って、アンタまさか本気で言ってる訳じゃないよな? ……おいおい、神の力(ゴッドスキル)でも何でもないそんな呪術だの儀式だの信用できるかよ、完全に怪しげなオカルトの領域じゃねえか、そんなもん」


 魔法とか呪術とか、そんなもの余りにも現実味が無さすぎる。

 そうやってスネークの言葉を端から否定しようとする勇麻を、スネークは鼻で笑って一蹴する。

 

「おいおい。神の力(ゴッドスキル)が怪しげなオカルトじゃないって一体誰が言ったんだ? こんな意味の分からん力、正直言って一番オカルトだろ」

「それは……」


 天界の箱庭(ヘヴンズガーデン)神の力(ゴッドスキル)を研究、管理する実験都市ではあるが、その研究成果の大部分は神の力(ゴッドスキル)の制御方法や成長を促進させる方法の確立にとどまっており、そもそも何故『世界終末の四十五日間(リアルラグナロク)』なんて物が起こったのか。何故人類は突然神の力(ゴッドスキル)なんて力に目覚めたのか。それら根本的な部分は未だに明らかにされないでいる。

 科学的な視点から力そのものの成長を促す方法が確認されただけで、神の力(ゴッドスキル)という異能が科学的な見地から説明できる訳でも、その存在の法則性や実在が証明されたワケでもない。

 つまりスネークの言う通り、勇麻達の持つこの力は今やもっとも人類の身近に潜むオカルトと言っても過言ではないかもしれない。


「ま、とにかく。俺が今お前さんに言えるのは此処までだ。ただ、『シーカー』の野郎がやろうとしている事は世界を大きく揺るがす厄災を招く。それだけは確かだ、信じて欲しい。背神の騎士団(アンチゴッドナイト)は、『シーカー』の企みを潰す為に俺が作った組織だ。この世界に悲劇を撒き散らすあの男を、俺はどうしても止めなきゃならねえ」


 スネークの放った台詞の後半に、勇麻は一瞬怖気のようなものを感じた。

 己の決意を語った時のスネークの鬼気迫る表情に、勇麻などでは到底想像もできないような、底知れない感情の発露を感じ取ったのだ。それこそ、自分の命を賭してまで絶対にやり遂げるという、執念のような意志を。

 自分の事を完全に棚に上げた「何故そこまで」という勇麻の視線だけの言外の問いに。


「それが俺の掲げる傲慢な我儘って奴なのさ、ボウズ」

「……」


 一転、重くなった空気を蹴り飛ばすようにスネークは笑った。


「それで、どうするんだ、ボウズ。事実の一端ってヤツに触れて、怖気づいたか?」

「……怖気づくも何も、肝心な事はさっぱりじゃねえかよ」

「がっはははは! 違いねえ。聞くまでもない愚問だったな!」


 不満を隠そうともしない勇麻に、スネークは何故か愉快気だ。

 何が全てを話さないのは不誠実、だ。結局『創世会』の目的はさっぱり分からないまま。アリシアと楓が狙われているという事実を、改めて再確認させられただけだ。


「それに、何を知ろうとも俺の決意は変わらない。楓やアリシア、皆を助ける為だったら『創世会』だろうが神様だろうが、何だって敵に回してやる」


 その表情に勇麻の覚悟を垣間見たのか、スネークは満足げに頷くと、


「それじゃ決まりだな、ボウズ。『創世会』の胸糞悪い企みを、俺達でぶっ潰すとしようぜ」

「異論はねえよ。それで、具体的にどうする?」

「まずは、狙われてる天風楓のお嬢ちゃんをなんとかしねえとだ。……いいか、『創世会』からの圧力でお嬢ちゃんは『三大都市対抗戦』に参加せざるを得ない。だが、参加すれば確実にその身を狙われる事になるだろうな。そこで、だ。一つ、俺の考えたとっておきの作戦があるんだが……乗ってみねえか?」


 悪巧みをしていそうな顔で、そんなことを嘯いた。

 ……何か碌でもなさそうな事を考えてるのは丸わかりだが、楓の件に対しては他に頼れる組織もない。

 『創世会』の息の掛かった神狩り(ゴッドハンター)など論外だし、それ以下の組織では太刀打ちができないだろう。

 なし崩し的に選択肢を潰して行った結果、スネークの案に乗らざるを得ない。それに、たった今共に『創世会』を潰すと宣言したばかりだ。

 断る理由は見つからない、そう判断して勇麻が先を促す。

 するとその大男は、こんな事を言ってきやがった。


「よし、ボウズ。とりあえずお前は――天風楓のパートナーになれ」

「は?」


 唐突すぎる発言に思わず素っ頓狂な声をあげる勇麻。今までの話の流れから一見、まるっきり見当違いな方向へ話がぶっ飛んで行った……ようにも思えるが、そうではないことを天界の箱庭(ヘヴンズガーデン)の住民である東条勇麻は知っていた。

 そう、スネークはおそらく『三大都市対抗戦』のあのルールについて言及している。


「あー、理解の遅いヤツだな。つまり、だ。あの嬢ちゃんのサポート選手として、『三大都市対抗戦』に出場するんだよ、お前らも」

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