第二話 帰還Ⅰ――再会の純白:count error
十二月初旬。
未知の楽園から勝利の凱旋を果たした勇麻を待っていたのは、泉の燃える拳撃によって右足を砕かれた事によるいつも通りの入院生活だった。
とは言えネバーワールドで左腕が吹き飛び引き千切れたのとは異なり、今回は健全なただの骨折。
天界の箱庭の科学力を集結すれば、骨折など一週間そこらで完治するかすり傷も同然。
あっという間に骨をくっつけ宣言通り一週間で退院を果たした東条勇麻は、喜び勇んで学生寮に帰宅すると同時、玄関先でほんの数日前に退院していた東条勇火に捕捉され見事に囚われていた。
具体的には、仏頂面で睨んでくる弟の鬼気迫る勢いに、兄はたじたじなのだった。
「“兄貴”、俺が何を言いたいか、分かる?」
「えーと……、おかえりなさい?」
「やっぱり全然わかってないじゃんかよ! このアホはーっ!!」
バヂィ! と勇火の怒りに呼応するように飛び散る火花に、勇麻は思わずびくんっと震え身を縮める。
電流ビリビリのおっかなさは、数週間前に嫌と言う程思い知らされているのである。
帰りの車中で泉に聞いた話によると、あれからすぐに意識を回復した勇火は今回のアリシア奪還作戦に自分も参加しようとしてスネークやテイラーにかなり無理を言ったらしい。ただ、背神の騎士団も奪還作戦に怪我人を連れていく訳にはいかず、結局最後まで許可が出る事はなかった。
勇火はその際にかなり拗ねていたらしく、泉も出発前に散々嫌味を言われたようだ。
帰ったら文句を言われることを覚悟しておけとは言われていたが、まさか靴を脱ぐことさえ許して貰えずに玄関口で怒涛のお説教を受けるなんて展開になるとは思わなかった。
そして、いつも通りのお説教の内容はこんな感じだ。
「これだから“兄貴”は本当にいつもいつも俺に何も言わずに勝手に出て行って勝手にボロボロになって帰ってきて……ぐだぐだぐちぐちぐだぐだぶつぶつ……」
そう。いつも通り。
東条勇火はいつものように、無茶をしてばかりの兄を叱っていた。
優等生の弟として、常識枠で安全地帯の東条勇火として、馬鹿ばかりする劣等生の兄を叱る。その少年の横顔は、勇麻のよく知る東条勇火のソレであった。
互いにその命を懸けた兄弟喧嘩。
あの時の勇火の言葉に、その気持ちに嘘はない。例えクライム=ロットハートの干渉力の影響下にあり、一部の感情がより強調されていたとしても、吐き出された鬱屈と激情の全てが偽物であることなど決してありえない。
それでも勇火は己の心に巣くう陰鬱な感情と折り合いを付け、正面から向き合い、これからも自分で結論を出していくのだろう。
こうやって馬鹿な兄を支える弟で在り続けるように。
力無き者の一歩を。
敗者の価値を。
憧憬と挫折を。
劣等感を。
東条勇火はその全てを己の糧に変えて、迷い傷つきながらも止まることなく進んでいくのだろう。
きっといつかは、兄さえも越えて――
「――なんだよ、その目は。本当に反省してるのか? 説教中に何笑ってんのさ、馬鹿兄貴」
「いーや、何でもねえよ、弟よ」
勇麻はニヤリと嬉しげに笑って、わしゃわしゃとその頭を撫でようとする。が、兄からの愛情表現は思春期真っ只中の弟の手刀によって鬱陶しげに跳ね除けられた。
「なんか、兄貴……少し見ないうちにキモくなった?」
「なんか弟が少し見ないうちに酷くなった!?」
ただ、少しずつ成長して兄離れをしていく弟に、勇麻は頼もしさと同時に一抹の寂しさを覚えるのだった。
説教はおよそ一〇分間にわたって続き、ようやく靴を脱いで部屋にあがる事を許された勇麻は、そこでこちらをじっとりと見つめる視線がある事に気づく。
「……?」
視線は廊下の先、学生寮のリビングへと通じる扉あたりから。目を凝らしてみると、まるで勇麻の様子を覗き見るかのように、僅かに開いた扉の隙間から一対の碧眼がこちらを警戒するように窺っている。
頭隠して尻隠さずと言うか、一房の流れるような白髪が扉の隙間から零れ落ち、廊下側にフライングよろしく飛び出してしまっていた。
東条家の学生寮に分布する白髪の少女などただ一人しかいない。
まず間違いなく、この視線の主はアリシアだろう。
「……何やってんだよ、本当に……」
呆れたように呟くと、視線の主はびくりと身体を震わせて、まるで人見知りな猫か何かのように部屋の奥に引っ込んで行ってしまった。
「そういえばこの一週間、お見舞いにも行きたがらなかったけど……。兄貴、アリシアちゃんに何かしたの?」
あまりに不審で不自然なやり取りに勇火は首を傾げて最もな疑問を尋ねてくる。
勇麻は辟易したように息を一つ吐いて、
「何も――いや、あいつにとっては、凄く嫌な事だったんだよな……」
気落ちしたように言って勇麻は無遠慮に――元より自分の家だ。何の遠慮がある――扉を開けて、座卓の前にドカっと座り込むと、今度はカーテンに簀巻きになってこちらの様子を窺う視線の主――ミノムシかお前は――アリシアをちらりと視界の端に収め、もう一度疲れたように短く溜め息を吐いた。
……色々とマズったなぁ……。
未知の楽園からの帰路の中、意識を取り戻したアリシアとのやり取りを思いだして、勇麻は自分の軽率さを責めるように頭を掻き毟るのだった。
☆ ☆ ☆ ☆
「――おかえり、アリシア」
ずっと言いたかった。
この何気ない日常を、いってらっしゃいとお帰りなさいという当たり前を、幾度となく繰り返していたかった。
大切だった。尊かった。取り戻したかった。何度だって言おう。彼女が望む限り、彼女の帰る場所であろうと、東条勇麻はそう思う。
それが東条勇麻の心の底からの願い。偽らざる本音であったから。
崩れ落ちた未知の楽園から住民全ての力を結集して脱出し、アリシアも無事取り戻して天界の箱庭への帰路に着くワゴン車の中。
くすぐったいくらいの喜びが胸で弾けて、まだ半ば寝ぼけ眼でぼけーっとしているアリシアに、勇麻はそんな言葉を投げかけた。
ぱちぱちと、純白の少女は現実のピントを合わせるように幾度か瞬きを繰り返して、きょろきょろと辺りを見渡した。
アリシアの右隣には戦闘の疲労からかいびきをたてて眠る泉が居て、そのさらに隣には泉に寄り掛かられて何故かガチガチの様子のスカーレが。後部座席にはシャルトルとレインハート。そしてスピカが静かに肩を寄せ合って寝息を立てている。運転席に座るのはセルリア。助手席には無心にお菓子をぽりぽり頬張るセピアという並び順であった。
どうやらアリシアは、この現実をまだ現実と認識しきれていないらしい。
困惑に眉根を寄せながら、
「……勇麻、私は、皆は……どうして……未知の楽園は……」
何故、どうして。どうして自分は助かっているのか。どうしてこんなに沢山の人が此処にいるのか。
自分は『天智の書』に身体を乗っ取られ、未知の楽園諸共瓦礫の底へ沈むのではなかったのか。他の人達は皆無事なのか。矢継ぎ早に尋ねたくなる疑問さえも言葉に詰まり、無理解に放り込まれたアリシア。
何処かの『神器』とそっくりな、そんなお馬鹿な女の子に向かって、勇麻は当たり前の事を当たり前のように言ってやった。
「決まってるだろ。皆、お前を助けに来たんだよ。家出なんてしてんなバカ娘、さっさと帰ってこい! ってさ。……あ、皆は無事だから、そこんとこは安心していいぞ。誰一人として欠けてない。未知の楽園は崩れちまったけどな」
ぽかんと。
アリシアは心の底からそんな表現が似合う間の抜けた表情をして固まっている。
中途半端に開いた口からは、言葉を漏らす事も出来ない。感情の起伏が少なく、いつも何処か眠そうな瞳は驚愕に見開かれていた。
碧い一対の宝石と見つめ合い、時が止まったような錯覚を覚えそうになる中。
ぽろり、と。その瞳から零れ落ちる一滴の輝き。
「あれ……? あれ、あれ?」
自分でも気づいていなかったのか、蛇口が壊れたように生じては流れていく瞳の雨滴にアリシアが戸惑ったような声をあげる。
ポロポロと零れる滴を少女はまるで隠すように必死に掌で拭おうとする。けれど拭っても拭っても止めどなく溢れるそれは止まらない。
「あれ? おかしい、のだ。これは、……何なのだ。私は、どうして……悲しくなんて、ないのに……涙が……」
あはは、と。作り笑いなど出来もしない癖に下手くそな笑みを浮かべようとするアリシア。けれどやはり泣きながら笑うなど、そんな器用な真似をアリシアが出来るはずもなく、戸惑う少女の瞳から流れる涙は止まりはしない。
勇麻はどこか微笑ましげな顔でそんな少女の様子を見やって、
「知ってるか、アリシア。涙ってのはな、嬉しくても出てくるらしいぜ」
「嬉しい……。そう、か。私は、今、嬉しいのだな。あぁ、でも。私は……皆に黙って、一人で勝手な事をして……それで……皆にっ」
表情の変化に乏しい少女の顔に歪みが走る。
それはきっと罪悪感からくる類の感情だ。
勇麻達に何を告げる事も無く天界の箱庭を勝手に離れ、自分を受け入れてくれた背神の騎士団の人達を裏切り、散々に迷惑をかけ、『天智の書』の暴走により未知の楽園の崩壊を招いた事に対するどうしようもない自責の念。だというのに、大勢の人達が自分を助けに来てくれたという事実に、無神経な心は喜びを感じてしまっている。
どこにも自分の居場所がないような、すわりの悪さに少女は喘いでいるのだろう。
浅はかな自分は今すぐ何処かへ消えてしまいたい。でも、それでも、確かに少女の胸にも譲れないモノがあって――
「――俺を助けてくれようとしたんだってな」
「……」
「その為にわざわざ未知の楽園まで来て、自分一人で何とかしようとしたんだってな」
「……」
「一緒なんじゃねーの?」
怒られるとでも思ったのか、涙を流しながらぎゅっと目を瞑っていたアリシアは勇麻の言葉に「えっ、」と再び驚きの声をあげその綺麗な碧い瞳をめい一杯に見開く。
俯いていた顔をあげてこちらを見上げるアリシアに、勇麻は何も知らない子供に諭すような優しい口調で告げる。
「だから、俺やこいつらがお前の為に此処まで来た理由。人って、理屈とか合理性とか投げ捨てて感情で動いちまう生き物だし。俺もアリシアに心配掛けたって自覚はあるからさ。……その、ありがとな。俺の為に動いてくれて」
「勇麻は、私を怒らないのか……?」
「あのなー、そんな顔してるヤツを怒れるような精神力、今の俺には残ってないっての。てか、言ったろ? アリシアが俺を助けようとしたように、俺もお前を助けたくて無茶やったんだ。だからおあいこ。そもそも怒るに怒れねえんだよ」
まるで小動物のように、瞳を涙でいっぱいにして上目使いにこちらの顔色を窺っている少女に勇麻は呆れたように息を吐いた。
突っ走り具合では似たり寄ったりどころか、勇麻の方に軍配があがりかねないくらいだ。
何せ二度程死にかけたり、最強の神の子供達相手にたった一人で挑んだりと、今回は数えきれないくらいの無茶をこなしてきた自信がある。
「……でも、私のせいで沢山の人に迷惑をかけてしまったのだ。私が勝手な行動をしなければ、『天智の書』が暴走する事も、未知の楽園が崩壊してしまう事だって……ッ」
「アリシア」
自分を責め、過去を悔やむアリシアの言葉を勇麻は静かに遮った。
その感情に身に覚えがあったから。昏く、冷たく、粘質にいつまでも心を苛む罪の感情、自責の念は放置しておけば手におえない程の巨大な絶望に、心の闇となる。
自分を責め続けていても何も始まらない。己の罪と逃げずに向き合い、乗り越えようとする意志がなければ、人は容易く悪感情に呑みこまれてしまう。
「罪悪感を感じるなとは言わない。でも、自分を卑下するのはやめてくれ。人は前を向いてなきゃ腐っちまうんだ、それを俺は色んな人から教わった。あの輪を見てないアリシアには分からないかも知れないけど、あの人達には必要だったんだよ。不変との決別が。……そもそも皆が助かったのはアリシアが自分を顧みずに『ウロボロスの尾』でアスティに力を供給してくれたからだろ。誰もお前のせいだなんて思ってない。だから、これ以上自分を責めないでくれ。俺も、皆も、お前を責める為じゃなく、助ける為にここに来たんだから」
「そんな、でも。……私は……帰ってもいい、のか? そんな事が、許されるのか? 私は――」
「そんなの当たり前だろ」
不安そうに言い淀むアリシアに、勇麻は躊躇うことなく断じた。
許すも許されないも、そんなものは知った事ではない。
そもそも勇麻はアリシアを助けたくてここまで来たのだし、この場にいる全員が勇麻と同じ理由を胸に未知の楽園にまで駆けつけてくれたのだ。
だからそんな問答は不要。あえて言うのならば、今更そんな他人行儀な事を言うなんて許さねえぞ、なんて所だろうか。
アリシアが勝手に天界の箱庭から出て行った事を怒っていない訳ではない。勇麻だって、本当は自分の事を棚にあげて言いたい事は沢山ある。
だが、それはアリシアを思うが故。
アリシアが大切だからこそ、勝手に危険な手段に出たアリシアに対して怒りを覚えるのだ。
だから許可だのなんだのそんなまどろっこしい話はこの場において意味がない。
大切なのはアリシアが何を望むのか。
問題はそれだけだ。
「もし、お前が望むなら――、一緒に帰ろう、アリシア。お前の帰る場所へ」
それはアリシアが本当に得たかった物。その身を賭しても守りたかった物が帰ってきた瞬間だったのかもしれない。
「~~~ッ!!?」
もう色々と我慢の限界だったのだろう。
勇麻の言葉にアリシアは衝動的に前のシートに突っ伏すように顔を押し付けると、声をあげる事無く、肩を震わせ涙を流し続ける。
「心配、したのだっ! ほんとにほんとに心配したのだっ! 勇麻が、勇麻じゃなくなっちゃうような気がして。それが、怖くて……だから、私は……ッ!!」
「心配かけてごめん、でも、もう大丈夫だ。俺は俺だよ。いなくなったり、しないからさ」
震える華奢な背中を何度も何度も安心させるように優しく撫でてやる。
こんな小さな背中に少女は重すぎる宿命と過去を背負い生きている。
普段無表情のくせに感情豊かで天然で、自分は辛い所を見せない癖にお節介焼きで、孤独を嫌い友人と賑やかに過ごす事が大好きなさびしがり屋の癖に独り自己犠牲に走ろうとする、何てことのない日常を謳歌する事を望む、そんな女の子には重すぎる業。
少しでも自分がそれを軽くする事が出来ていればいいなと勇麻は思った。
「……勇麻、」
「ん?」
ぼそり、と。
押し付けたシートから僅かに顔を勇麻へ向けて、アリシアが囁くように呟く。
「ただいま、なのだ」
「ああ、おかえり」
たった一人の少女を取り戻す為に立ち上がった少年の、少年だけの正義の物語。
それがようやく、きちんとした形で区切りを迎える事ができた。
そんな気がした。
☆ ☆ ☆ ☆
ここで一つ。微かな思い違いがあった事を記しておこうと思う。
東条勇麻にとってアリシアという少女は特別な存在なのだと『天智の書』は言っていた。
彼女がいなくては生きていけないくらいに、彼女に救われた紛い物の英雄は彼女に依存し執着していると。
なるほど、東条勇麻という存在にとってのアリシアという少女の立ち位置は確かにそうなのだろう。
東条勇麻という少年に生きる意味を与え、役割を与え、立ち上がり拳を握る理由を与えた彼女はまさに物語のヒロインだ。
ならばアリシアは?
二つ以上の物が関わる時、物事には必ず複数の視点が存在する。
東条勇麻視点による二人の関係性ではない、アリシア視点による二人の関係性について、『天智の書』は少なくとも今を生きるアリシア側の視点を詳しくを語らなかった。
記憶を奪われ、大切なモノを悉く喪失し、それすらも忘れてしまった空っぽの少女。
汚れなきキャンパスのような純白。
過去を失った今のアリシアにとっての英雄は間違いなく東条勇麻だろう。
ならば彼女にとっての東条勇麻とは何なのか。
そんな部分に対する認識が、甘かった。
東条勇麻は自身が彼女へ刻んだモノを、甘く見ていた。
☆ ☆ ☆ ☆
セルリアの運転するワゴン車は既に『エル・ビスカイノ生物圏保護区』を抜け、既に都市部……とまではいかないまでも、民家や田畑の立ち並ぶ通りを走っている。ようするに田舎道というヤツだ。
泣き疲れたのか、それとも日常へ帰還する事のできる安心感からか、アリシアはすっかり眠ってしまっていた。
隣に座る勇麻に寄り掛かり、安心しきった表情で静かな寝息を立てる少女の横顔に勇麻は一人決意を固めていた。
(……アリシアにちゃんと話そう。俺が見たこの子の過去を。あの地獄の中でも希望を見失わず、抗い続けた子供達がいた事を)
勇麻が見たアリシアの過去を、アリシアに伝える。
それが、『天智の書』との戦いを通して、自分の醜く卑しい本音を認めた勇麻がやらねばならない事だった。
正直に言って今でも恐ろしい。
過去の出来事を話す事をトリガーに、アリシアに過去の記憶が蘇るのではないだろうか。
もしそうなったら、アリシアの心は、あの拙い笑顔はきっと勇麻ではなくパックを向く。
もしそうなれば、今まで通りの関係ではいられないだろう。
勇麻の元にはもう居てくれないかもしれない。
勇麻にあの下手くそな笑顔が向けられることは、もうないのかもしれない。
東条勇麻はパックという英雄の代替品でしかなかった、そんな現実を突きつけられるかもしれない。そんな恐怖に、心臓を握り潰されそうになる。
取り戻したはずの日常を、今度は自分の手で破壊するという愚行。
だが、それでも構わない。
例えアリシアが東条勇麻を見向きもしなくとも、それでも今アリシアを助けたいのだと。あの時勇麻は断じる事が出来たのだ。
だからこれは一つのケジメだ。
あの時の言葉に、覚悟に、偽りは無かった事を証明する。
有耶無耶にしていた事を清算する。
単なる自己満足だと言われればそれまでだ。それでも勇麻は、アリシアには嘘を付かずに、逃げる事無く真っ正面から向き合いたかった。
……ただ、ありのままをそのまま話して彼女を傷つけるつもりも毛頭ない。伝えるのはただただ事実だけでいい。残酷すぎる現実など、アリシアを傷つけるだけだ。
どんな言葉を尽し、何をどう説明をすべきか。
「どうすっかな……」
頭を掻き毟る。
言わねばならないとは分かっていても、それでも内容が内容だけに全てを話してはショックが大きすぎる。どこをどう話し、何をどう濁して薄めるべきか。
勇麻が脳天からプスプスと煙が出そうな程に足りない頭を悩ませていると。
「ん、ふぁ……」
「あ、わり。起こしちまったか」
肩のあたりで身を捩る気配。見れば、隣で眠っていたアリシアがまだまだ眠そうに目元を擦っている。
「む、もう家か……?」
「まだだ、空港にもついてねえよ」
「なんと。まだそんなところだったのか」
くぁ……と、アリシアは欠伸と共に大きく伸びをして、
「むぅ、流石にこうも時間が掛かるとなると少し退屈なのだ。……あ、そうだ勇麻、何か土産話的なモノはないのか? とびきり面白いヤツ」
「面白い話って……振りが雑すぎだろ」
「ならばまずしりとりをしよう」
「話題が唐突すぎるな」
「ぶゆうでん」
「いきなり終わらせに来たし話させる気満々じゃねえかよ!?」
勇麻がげんなりしつつ言葉を返すと、アリシアは鼻息荒く言い返してくる。
「勇麻、考えてもみるのだ。思えば私はクリアスティーナ=ベイ=ローラレイに閉じ込められていて、未知の楽園での出来事を全然知らない。どういう経緯でお主と聖女とが共闘関係になるのか、全く想像がつかないのだ。何があったのか気になるのは当然だろう」
確かに、アリシアは今回の事件の当事者……それもかなりの中心人物でありながら、その詳細をほとんど知らないという特殊な立ち位置にいたりする。
自分が知らない間に何があったのかが気になるのは、当然と言えば当然の事だろう。
(……けどなぁ、何があったって言われても「身体を捩じ切られたり心臓を握りつぶされたりで二回ほど殺されかけたけど、相手がどうしようもない馬鹿野郎だったから仲直りできた」なんて言ったら色々と話がこじれて余計な心配掛けるだけのような気がするしなぁ……)
改めて客観的に見ても正直意味不明だ。
自分の心臓を握りつぶした相手に手を差し伸べるとか、字面だけを見れば正気の沙汰ではないだろう。そもそもなんで生きてんだよお前、という話にもなる。
――実際、砕けた心臓が再生し穴が塞がった理由は勇麻自身にも見当がつかない。
だが、何が勇麻を救ったにせよ、このまま放置していいような問題ではないような気がする。
心臓を握りつぶされた後、勇麻はクリアスティーナによって外周区の道端に飛ばされたらしい。勇麻を助けてくれたダニエラは、輸血以外の事はしていないと言っていた。つまり東条勇麻の心臓と開いた穴はダニエラ達が勇麻を見つけるまでの短時間で再生したという事になる。
おそらく、勇麻が完全に死ぬ寸前に生きるための機能が復活した――あの重傷を負って死なずにいたという事は、おそらくそういう事なのだろう。
明らかに尋常な事ではない。何らかの異能が関わっているとしか考えられない結果だ。
手掛かりはないに等しい。唯一心の端っこに引っ掛かっている部分があるとすれば、あの夢のようにおぼろげな懐かしい誰かの声――
「――ま、勇麻っ、聞いているのか?」
「あ、悪い。えーと、何の話だっけか」
「面白い土産話。勇麻の武勇伝でも可、なのだ」
「あー、そうだな。まあ、面白いかどうかはおいておくとして……」
蘇った直前のやり取りに勇麻は頭を軽く搔いて、逡巡の末にアリシアの反応を窺うようにこう切り出した。
「アリシア、お前に……その、なんだ。後で、大事な話がある」
「? 今じゃダメなのか」
今ではダメだ。
なぜなら勇麻がしようとしている話は面白い話でも土産話でも武勇伝でもない。
とある少女の過去の話なのだから。
じゃあ何故土産話を求められているこのタイミングでそんな事を切り出すのか、と言われると答えは単純だ。決意が強く残っている今のタイミングで切り出せなければ、また弱い自分に負けて尻込みしてしまう気がしたから。それだけである。
要するにあれだけの死闘を潜り抜けてなお、東条勇麻は勇気の足りないビビリ男だという事だ。
しかしアリシアは勇麻のそんな思いなど知る由もない。
純粋な疑問に首を傾げるアリシアに、勇麻は困ったように眉を寄せる。
「今じゃダメだ。何というか、その……二人だけで話したい。大事な事だから」
運転席のセルリアが口笛を鳴らした。
何を勘違いしてるかは知らないが、訂正するのも正直微妙だ。
今車内にいる仲間達は信用のおけるメンバーだ。でも、だからと言って失われたアリシアの記憶を勝手に人前で喋っていい訳がない。
仮に過去を語る時が来たとしても、それはアリシア自身の口から発せられるべきだろう。
勇麻はアリシアの記憶と彼女自身に真摯に向き合うと決めていた。
だからこの話を聞くべきはアリシアただ一人を除いて他にはいないのだ。
「……聞きたくない」
「……え?」
だから、そんな拒絶の言葉がアリシアの口から飛び出したのだと気が付くのに、勇麻は数瞬の時間を要した。
ただただ困惑する勇麻の理解を置き去りに、アリシアは不安そうに問いかける。
「勇麻は……お主が言う大事な話とは、一体何の事なのだ?」
「何って、だからそれはお前の過去の――」
拒絶の理由が分からない。慌て、焦り、思考が空回りする。
嘘で取り繕う? でもやましい事など何もない。何とか絞り出した言葉は何の飾りもない紛れもない真実であった。
けれど、だからこそ。意味が分からない勇麻を置き去りにして、アリシアは表情を暗くする。
その感情の薄い顔に、ある種の怯えさえも刻み込んで。
「……やっぱり、やっぱりなのだ。勇麻、天智の書に何か言われたのか? だから急にそんな事を言い出したのだろう?」
「ちょ、待てアリシア。落ち着いてくれ、俺の話を――」
「――嫌だ……ッ!」
車の中で、すぐ近くでは皆がまだ寝息を立てているという事さえ忘れて、アリシアは勇麻の話を遮るように絶叫する。
そのまま、まるで子供みたいに自分の両手で耳を塞ぎ、勇麻に背を向け逆隣の泉に顔を押し付ける。
呑気に熟睡している泉が、鬱陶しげに身を捩った。
「どうしてだよ、アリシア……」
勇麻は思わぬアリシアの拒絶に茫然と言葉を零すしかなかった。
答えなど期待していなかったその呟きに、けれどアリシアは声を微かに湿らせながらこう答えた。
「……勇麻が、すごく辛そうな顔をしていた。話せばきっと今が壊れるって、そう分かっている顔なのだ。だから聞きたくない。私は、今を壊してまで過去のことを知りたいとは思わない。それなのに……勇麻は、今を壊してまで私の知らない過去が大事なのか? 私じゃない私の話が、大事なのか?」
「アリシア……」
勇麻は答えるべき言葉を見つけられない。
そうだ。
考えなかった訳ではない。勇麻の話をきっかけにアリシアの記憶が復活する可能性を。そうなればアリシアの心は勇麻から離れ、パックの方を向くのではないかと。そんな傲慢な恐怖を覚えた事を。
傷つくのは自分ばかりだと思っていた。でも違うのだ。
誰よりもそんな結末を恐れているのは、他の誰でもない、今目の前にいる純白の少女で――
「……嫌、なのだ。やっと私は、帰る日常を見つけたのに……」
いやいやと、怯える子供のように首を振る少女の震えたその声が、勇麻の耳の奥に傷跡のようにこびり付いて離れなかった。




