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神ナリシ模倣者ト神門審判  作者: 高木カズマ
第五章 引キ篭モリ聖女ト逃亡者ノ集イ旗
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第四十四話 夜明け前Ⅲ――最強を求めた獣

 神器『ウロボロスの尾』とアリシアは白亜の巨城中央の尖塔。その最上階にある彼女の寝室より行き来する事のできる隠し空間――通称玉座の間にいるハズだとクリアスティーナは言っていた。


 『ウロボロスの尾』というこの街のアキレス腱でもある重要な『神器』を保管している関係上、普段はその空間へのクリアスティーナ以外の人間の立ち入りは禁止されている。


 だが今は状況が状況だ。今回のみの特例として隠し空間へと繋がる扉の隠し場所を勇麻はクリアスティーナから教えて貰った。

 クリアスティーナしか知らないこの扉の開けば、隔絶されていた玉座の間が尖塔内の座標に固定され、人の行き来が可能になるのだそうだ。(最初クリアスティーナは空間転移で勇麻と一緒に隠し部屋まで跳ぶと言ってくれたが、未知の楽園(アンノウンエデン)の住民全てを地上へ転移させるという大仕事が待っているクリアスティーナにこれ以上負担を掛ける訳にもいかないとこれを丁重に断った)

 『神門審判ゴッドゲート』によって空間を直接繋げてしまったアリシアはやはり例外中の例外。

 そして気になるのは、アリシア以外にその高セキュリティを突破し『ウロボロスの尾』とクリアスティーナとの接続を切断した人物がいるという事だ。


 それが何者であるかは定かではないが、碌でもないヤツである事は間違いない。

 なにせソイツのおかげで未知の楽園(アンノウンエデン)は崩壊の危機にあり、『ウロボロスの尾』と接続したアリシアはその命が危ぶまれている。


 よって勇麻は、スピカの戦いで瓦礫の山となった白亜の巨城の跡地をひた走り、クリアスティーナが引き篭もっていた尖塔へと単身向かっていた。


 そして、城門を越えて少し進んだ場所に彼らは勇麻の到来を待ち構えるようにして立っていた。

 警戒心も露わに歩調を緩め、ある程度の間合いをとって勇麻は立ち止まる。瞳を細めたまま、彼らへと言葉を投げかけた。


「……生生しょうじょう竹下悟たけしたさとり。何の用だ。俺はこれ以上アンタらと戦う理由も、そんな時間もない。アンタらが崇めてる聖女様とやらならもういないぞ。クリアスティーナは、もう自分が変えたモノと向き合うって決めたんだ。アンタら――」 

「――いやいや、なにやら激しい誤解をされているようですな、東条氏。我らはそもそも非戦闘員ゆえ、例え戦闘の動機があれどもこの状況では両手を上に掲げて自爆を選択するしかありませんですしおすし」

「そーそ。アタシ東条勇麻と戦う理由もうないしネ。ディア君や東条勇麻の戦いもあの子の選択も、全部神の力(ゴッドスキル)使って見てたヨ。勿論、今の未知の楽園(アンノウンエデン)の状況もネ」


 こんな状況でシュークリームを頬張っているふくよかなお腹をした竹下悟と、エセ中華少女の生生はどこか憑き物が取れたような顔で笑って、威嚇するような勇麻の言葉を遮った。

 その緩みまくった調子の声色に毒気を抜かれた勇麻に、竹下悟と生生は少しばかり自虐的な笑みを浮かべる。


「東条勇麻の言う通りヨ。結局アタシ達あの子に嫌われる事を恐れてたネ、踏み込むコト怖い。だからきっとあの子の味方のふりして、満足してた。ホントはあの子独りぼっちにしてるの、気づいてたのに」

「我々逃亡者の集い旗(エスケイプ・フラッグ)は、彼女に救われたのです。たった独りで全てを背負ってしまった彼女がその未来で、少しでも肩の荷を下ろせるようにと、彼女の為に行動してきたつもりでした。ですが、家族ならば。ただ一言『ありがとう』と。そう伝えてあげればよかったのですな……」


 勇麻は彼女達の言葉を肯定も否定もしなかった。

 少しばかりの瞑目の後、警戒を捨てて一つの問いを投げかける。


「……クリアスティーナの所には行ってやらないのか」

「ええ、我氏としても彼女の元へ駆けつけたいのはやまやまなのですが……、気を失って倒れてる他のメンバーも回収してやらねば」

「非戦闘員のアタシ達が治療してあげないと、皆死んじゃうからネ」


 勇麻は一言、そうか、と短く頷いて二人を横を通り過ぎる。

 互いにもうこれ以上の会話は必要ないと判断したのだろう。生生と竹下悟が、それ以上勇麻へ何かを言う事はなかった。

 三者は決して振り返ることなく、交わることさえなくその距離は少しずつ離れていく。

 その背中に、


「――アスティを助けてくれて、ありがとネ」


 背後からそんな声が投げかけられた。

 東条勇麻は振り返らなかった。その言葉の意味を失ってしまわない為に、今は前に走り続けるしかなかったから。



☆ ☆ ☆ ☆



 生生と竹下悟の横を通り過ぎ、瓦礫の山を避けて中庭に辿り着いた時には、全力で走り続けた勇麻の息も荒くなっていた。


 白亜の巨城はその大部分が崩れていたが、中庭の被害は少ない。

 そもそも聖女が暮らしていた尖塔は、城からは半ば独立した造りになっている。崩落の直接的な被害は受けていないのだ。


 本来、尖塔と城とを繋ぐ空中通路は城の回廊の三階から伸びていた。

 だがロの字型の回廊は崩れ、尖塔へと侵入する為の経路は空中で途絶えてしまっている。

 勇麻の勇気の拳(ブレイヴハンド)で尖塔の壁を壊す事も可能かもしれないが、防御殺しの一撃が発動でもして塔を完全に壊してしまった場合、隠し部屋は空中座標に固定されてしまい、今度こそアリシアの元へと向かう手段を完全に失ってしまう。

 そんなリスキーな手段をここにきて取りたいとは思わない。

 

 だが勇麻は知っている。

 こんな時に勇麻の隣にあって、鮮やかな手際で問題を解決してくれる心強い相棒を。

 残り体力を無視した全力疾走で白亜の巨城の尖塔へとたどり着いた勇麻に、


「はあい、東条くん。もしかして、お姫様の部屋の鍵をお探しだったりするかしら?」


 果たしてその人物は、その尖塔に寄り掛かるようにして勇麻を待っていた。


「……お前が居てくれなかったらどうしようかと思ってたぜ」

「あら、心外ね。信じてるって言われたし、信じてるって言わせたのはあなたじゃなかったかしら?」

「あくまで俺のせいかよ」


 短めの髪の毛は黒と白の混じった(マーブル)。幼さの残る童顔にツンとした凛々しい青い瞳がのっている。トレードマークの猫耳キャップを頭に乗せた少女、九ノ瀬和葉は片目を閉じて勇麻をからかうようにくすりと笑っていた。


 ――『聖女』と『悪魔』の戦場に赴くとき、交わした言葉を覚えている。

 互いを信じ互いを送り出したあの時。

 勇麻は聖女と悪魔の戦いに決着を着けるために。和葉は戦うレインハートとスピカ、そしてアリシアを助け出す為に、それぞれ互いの勝利を信じて最善の手を打つと約束したのだ。

 だから彼女は此処へ来る。そう勇麻は確信していたし、彼女とダニエラが連れてくると言った増援を疑いもしなかった。

 だからこれはほんの軽口だ。

 和葉が来ることを確信していた勇麻からの信頼の証と言えるだろう。そして和葉も分かっているからこそ、余裕の微笑で答えたのだ。


「状況は分かってるか?」

「ええ、ついさっきまでダニエラが一緒だったんですもの。未来さきはともかく、現状は問題なく理解しているわ。ま、分からない未来ソレを掴む為だからこそ、人は必死になれるんでしょうけどね」

「ああ、まったくもって同感だ」


未知の楽園(アンノウンエデン)の真の姿を知り、本当の意味でのアリシアを巡る冒険が始まったあの時。東条勇麻は九ノ瀬和葉と共にいた。

 見知らぬ土地へ二人で飛ばされ、殺されかけて、それを和葉に助けられ、二人で知恵を絞って数々の問題を乗り越えてきた。 

 今勇麻が生きて此処に立っている事だって、和葉が隣に居てくれたからこそだ。


「じゃあ行くか」 

「ええ、そうね。随分と時間が掛かったけれど、東条くんの依頼、今度こそ果たしに行きましょうか」


 これでようやく役者は揃った。

 

 冒険の始まりを二人で迎えたなら。

 やはりその終わりは、九ノ瀬和葉と肩を並べて二人で踏み出すべきなのだ。

 そんな確信があった。


「……覚悟はいいかしら、東条くん」

「ああ、」

「それじゃあ、行くわ」


 和葉は硬く閉ざされた尖塔の壁面へとその手を当てて、


「『貼り付け(ペースト)


 と、短く囁くように告げた。

 『横暴なる保存者(バックアッパー)』。

 保存した情報を対象に上書きする九ノ瀬和葉の神の力(ゴッドスキル)

 その最大の特徴は『上書き前』と『上書き後』に必ず世界に生じる『矛盾パラドックス』を世界に勘付かれないようにする事。『世界を騙す』技術にこそある。

 本来、緻密で繊細な感覚によって行われる『貼り付け(ペースト)』。それを乱雑に結果のみを貼り付け上書きした場合、発生した矛盾に世界が耐えきれず、上書きした対象は崩壊する。


 ――丁度、こんな風に。


 バゴンッ、と。巨大な石壁が壊れるような音を立てて、人の侵入を拒んでいた尖塔の壁にヒト一人が通り抜けられるくらいの穴が生じた。

 和葉の『横暴なる保存者(バックアッパー)』によって道は開けた。

 なら後はアリシアの元へと進むだけだ。


「進もう、目指すはクリアスティーナの寝室。そしてそこからのみ行き来が可能な隠し空間――玉座の間だ。そこに『ウロボロスの尾』とアリシアが待っている」

「聖女の寝室ね……。ええ、悪くないわね。後でウチの馬鹿兄貴について彼女に根掘り葉掘り聞く為にも、証拠品の一つくらい見つけておきたいものだし」


 神妙に呟いた勇麻に、嫌でも気の抜けるような返答が返ってきた。

 勇麻は隠しもせずに溜め息を吐いて、辟易したような半眼での視線を和葉に向ける。


「和葉お前、勝手に人様の部屋漁るつもりかよ……」

「失礼ね、東条くん。これは強制捜査というヤツよ。合法的物色と合法的略奪だわ」

「略奪に合法もクソもないだろ……。お前あれか、頭に合法って付けとけば何でも許されると思ってるクチか?」

「喧しい人ね、東条くん。あなた知らないの? 未知の楽園(アンノウンエデン)は弱肉強食なの。あなたって『聖女』に勝ったのでしょ? なら彼女の部屋を漁るのは勝者の東条くんの権利よ。そして東条くんの権利ならそれは私の権利と言っても過言ではないわね、ええ」

「どういう思考回路を通したらその答えに繋がるのか俺は知りたいよ……」 

「ほら東条くん、何でもいいけど気合を入れて私を守りなさいな。用心棒代理はまだ継続中なのよ。『ウロボロスの尾』と聖女との接続を切った何者かがどこかに潜んでいるんでしょう? 私、か弱いから敵と会ったらあっさり死んじゃうわよ? 信頼してるんだから、東条くんがちゃんと守ってくれないと」

「あー、へいへい、わかりましたよ未知の楽園(アンノウンエデン)一の美少女情報屋さん」

「あら、分ってるじゃない」


 くすり、と口元に手を当てて和葉は楽しそうに笑い、呆れきった勇麻を置いて軽やかな足取りで前に進んでいく。

 その懐かしいやり取りがまた出来る事を内心嬉しく思いつつ、いつものように東条勇麻は九ノ瀬和葉の後に続くのだった。



☆ ☆ ☆ ☆



 日の出を今か今かと待ち望む未知の楽園(アンノウンエデン)の空が、いつになく歪んでいるように思える。

 先の縦揺れで地下七七七メートルに作られた街の構造に致命的なダメージが入っているのか、次元という階層を支える柱が一度砕けた事により次元がたわむように歪んでしまっているのか、判別はつかない。

 ただ一つ言えるのは、このまま何もせずに時間の経過に身を任せていればディアベラス達は朝日を見る事もなく地の底に生き埋めになると言う事だ。


「それで、アンタがわざわざ出張ったって事ぁ、何か具体的な策があるんだよなぁ、ダニエラ=フィーゲル?」

「その声……。こうして直に会うのは初めてだね、ディアベラス=ウルタード。ま、策って程大層なモンじゃないが、多少はマシになるだろうさね」


 不敵な笑みで視線を交換すると、ダニエラが手の中の何かをディアベラス目掛けて放り投げる。

 反射的に受け取ったそれは、


「……石? いや、宝石か何かの類かぁ?」


 キラキラと七色に光り輝く、宝石にも似た飴玉サイズの鉱物だった。

 まじまじとダニエラから放られた石を見つめていたクリアスティーナが、不意にディアベラスの肩をつつく。


「……あの、ディア君は、あの方と知り合い、なのですよね?」

「ん、あぁ……。まあ、なんだぁ。利害の一致から一時期協力関係だった事があってなぁ。それだけだ」


 『聖女』との死闘に敗北し、肉体を次元の狭間に閉じ込められた後。ディアベラスはダニエラと個人的な協定を結んでいた時期があった。ダニエラは元々反『操世会』のレジスタンスのメンバーの一人ではあったが、表舞台に出るのは夫の方でダニエラ自体は当時は全くの無名。ディアベラスが彼女に辿り着いたのはある意味奇跡だったと言えるだろう。

 ディアベラスは『白衣の悪魔の遺産』についての情報を彼女に提供し、ダニエラは『操世会』が滅んだあの日、クリアスティーナの身に何が起こったのかをあくまで推測としてディアベラスに伝えていた。

 ディアベラスが次元の狭間に閉じ込められていた関係上顔を合わせるのは今日が初めてだし、知り合いと呼んでいいのかは微妙なラインだ。


「そう、ですか。……ダニエラさん、貴方はこの石をどこで……?」

「それを拾ったのはアタシじゃないさね。それからね、アンタは随分とアタシに気安く話しかけてくれるが……」


 露骨に粗雑な態度で、ダニエラはクリアスティーナの問いに応じる。明らかな不信と嫌悪に、場の空気に緊張が走る。ダニエラはそんな周囲の反応を無視して、キッと眦も鋭くクリアスティーナを見据え、突き放すように言った。


「クリアスティーナ=ベイ=ローラレイ。アタシは未知の楽園(アンノウンエデン)の代表としてアンタの決断を見届ける為にこの場所に立っている。その事を忘れるんじゃないよ」

「……ええ、分っているつもり、です……」


 大の大人でさえ震え上がるような形相で、脅すようにそう忠告したダニエラの言葉を、けれどクリアスティーナは震えながらも目を逸らす事無く全て受け止めた。そこには不安も焦燥も恐怖も見え隠れしたが、それでも「逃げない」という確かな覚悟が感じられた。

 それを見てダニエラは満足したのか少しだけ頬を緩めて、


「……ま、とにかく。その石の事だったらそこのほわほわした嬢ちゃんに聞きな」


 彼女が適当にあごをしゃくった先にいた露出度の高い青系の衣装に身を包んだゆるふわブロンドヘアーの少女――セルリアが、瞬時に凍りついた空気を物ともせず、ダニエラに代わって終始にこにこしながらその石を見つけた経緯を語り始めた。


「……なるほど。そういう事でしたか」

「おい、納得してるとこ悪いがぁ、結局この石ころは何なんだ?」

「この石は私の干渉力を込めた特殊な鉱石……『輝石』です。各次元にいる『案内人』のみが持っている、通行許可証のような物と考えてください。私に選ばれた『案内人』達はこれを使う事で空間に亀裂を作り、各次元を自由に行き来する事ができるのです」


 未知の楽園(アンノウンエデン)にアリシア奪還作戦の本隊として駆けつけたセルリア達は、勇麻達がいるオリジナルの未知の楽園(アンノウンエデン)とは別次元で勇麻達を探す過程で『案内人』を倒し『輝石』を手に入れた。

 ……本来は監督役のように裏側から全てを操作する『案内人』を打倒してしまうような者達だ。もとより、停滞を打ち破る者として『招待客』の資格を認められていたのだろう。セルリア達は偶然手に入れた『輝石』によって空間に生じた亀裂に飲み込まれ、オリジナルの未知の楽園(アンノウンエデン)に飛ばされたところ、それを予測していたダニエラと九ノ瀬和葉に拾われる形で合流したのだそうだ。


「……つまり何だ、こいつがあればぁ、お前じゃなくとも他の次元との道を繋げられるって事かぁ?」

「ええ、そういう事になります」

「……アスティ。『ウロボロスの尾』からの供給がある今なら、『多重次元空間』を維持しながら、他の次元へと道を開く事は可能かぁ?」

「……可能ではありますが、一つまでです。それ以上の力の行使はアリシアさんの負担が許容できない領域にまで一気に到達する可能性が高い。万が一アリシアさんが倒れでもすれば、その時点で力の供給が途切れ『多重次元空間』を維持できなくなります……!」

「分かった。ならアスティ、『多重次元空間』を構成する未知の楽園(アンノウンエデン)の数はいくつある?」

「私達が今いるオリジナルを含めて五つです」


 その膨大な数に思わず毒づいた。


「クソ。五つかぁ、改めて聞くと馬鹿みてぇに数が多い」


 しかし弱音を吐いている暇はない。ディアベラスは新たに得た情報を頭の中で整理しつつ、今取れる最善を導き出す。


「……よし、アスティは『多重次元空間』の維持と、他次元への道を一つ開いてくれぇ。もう一つはこの『輝石』を使う。セルリア、だったか。この『輝石』はお前ら四人が使え、『招待客』として認められたお前らが適任だろぉ。ダニエラ、こっちの未知の楽園(オリジナル)でなら外周区をまとめてるアンタが一番顔が効く。こっちはお前に任せるぞぉ」


 クリアスティーナが口元を固く引き結んで頷き、セルリア達四姉妹はそれぞれ顔を見合わせた後お安い御用だとばかりに不敵に笑う。

 ダニエラは面倒くさげに頭を搔くと嫌々という調子で溜め息を吐いた。だがそこにディアベラスの指示を不可能だと取り下げる様子は一向にない。

 ディアベラスはそれぞれの反応を肯定と受け取って勝手に話を進める。


「いいかお前ら、こっから先は時間との勝負だぁ。アリシアの負担を考えると、アスティの神の力(ゴッドスキル)にこれ以上頼る事はできねぇ。手動で未知の楽園(アンノウンエデン)の馬鹿どもを避難誘導する必要がある。……スピカ、お前の神の力(ゴッドスキル)で危機を街中に呼びかける事は可能かぁ?」

「えっと、攻撃力とかカンケーなしにただ大声で叫ぶだけ? だったらこの街一つくらいヨユーだよっ!」 


 身体はボロボロで誰の目にも疲労困憊なのは明らかだというのに、元気いっぱいのスピカの返事がこれ以上なく頼もしい。この中で一番幼い彼女ですら、目前に迫る危機に果敢に挑もうとしている。

 そんな中でディアベラスが泣き言を吐く訳にはいかない。

 ディアベラスはいつもと打って変わって優しい笑みを浮かべてわしゃわしゃとその小さな頭を撫でつけながら、


「よっしゃ、分かったぁ。ならスピカは四姉妹についてけ。レインハート、スピカが無理しすぎねぇようお前も頼む。残る二つは……」

「アタシら『虎の尻尾』のコネクションとネットワークをフル活用して『精神感応テレパス』系統の神の能力者(ゴッドスキラー)を掻き集めてるさね。後三分でこっちに着くそうだ。……残り二つはそいつらに任せな」


 ダニエラはスマホを耳に当て、部下からの報告を受けながら不機嫌そうに顔を歪めていた。

 照れ隠しなのか、本当にいやいやなのかは分からないが、今は使えるものは全て使わせて貰う。


「なら遠慮なく頼らせて貰わぁ。恩に着るぜぇ、ダニエラ」


 行き当たりばったりではあるが、どうにか手筈は整った。

 東条勇麻にあれだけ大口を叩いた手前、何としてでもアリシアの限界が訪れる前に未知の楽園(アンノウンエデン)の全人間をオリジナルの未知の楽園(アンノウンエデン)中心区へと集めなければならない。 

 だがおそらく、これだけではどう考えても時間が足りない。

 五つもの未知の楽園(アンノウンエデン)の全住民を避難させ、誰一人欠けることなく地上へと脱出する。

 その為にはきっと、もうひと押しが必要だ。


「……おし、平和ボケした連中の馬鹿尻に火ィ尽ける役は俺に任せろぉ」


 身体中の骨が砕かれ、少しでも身体を動かそうとする度に神経が磨り減るような激痛が走る。

 だが動ける。まだ戦える。

 痛みに脂汗を流しながら、ディアベラスは自分の隣の少女の可憐な横顔をサングラスの横から盗み見る。立ち上がろうとする度に痛みに呻くディアベラスを、心配そうに見ている少女。

 彼女が傍にいるだけで、自分はどんな痛みにも耐えうる事ができる。そう思えた。

 大切なモノの為に、ディアベラス=ウルタードはもう一度立ち上がる。

 ドレッドヘアーの『悪魔』はいつも通りの不敵でニヒルな笑みをその強面に浮かべて、


「準備はいいかお前らぁ。掌の隙間から零れ落ちたモン何もかも救い上げてぇ、幸福な結末(ハッピーエンド)とやらを掴むついでにぃ、調子こいて踏ん反り返ってる運命様とやらに吠え面搔かせてやろうじゃねえかぁ。こんくれぇの絶望に押しつぶされる程ぉ、俺達未知の楽園(アンノウンエデン)の馬鹿どもはヤワじゃねえってなぁ……ッ!」


 逆襲の狼煙をここに上げたのだった。

  


☆ ☆ ☆ ☆



 聖女の暮らす尖塔は、外見よりも明らかに内部の面積が広かった。

 外から見た感じでは各階に小さな部屋が一つあれば上出来くらいの直径しかなかったハズなのに、円形の尖塔内部には人が十人横並びでも余裕で通れる通路と、ざっと見ただけで十数を越える扉とが存在した。

 天井も想定していたより遥かに高い。四階建てと説明を受けているが、純粋な高さだけで言うなら十数階建ての高層ビルくらいはあるかもしれない。

 こうなってくると塔内部の面積は外から見て予想できるものとは明らかにかけ離れている事が分かる。


 そもそも白亜の巨城はクリアスティーナによって造られた物らしい。彼女が造った、という事は城の建築に『神の力(ゴッドスキル)』が使用された事は明らか。城とは独立しているとは言え、この尖塔も何らかの形で彼女の神の力(ゴッドスキル)の影響を受け内部空間が歪んで広がっているのだろう。


 そんな適当な予測を立てながら、二人は急ぎ先へと進んでいく。

 窓など一つもないが、塔の中は明るく日中のように先まで見通せる。 

 何か光源がある訳でもないのに、不思議な感覚だった。よく観察して見ると、尖塔を構築する石材が淡く光を放っている事に気が付く。何らかの力を帯びているのか、まるで魔法のように幻想的な鉱物だと思った。

 勇麻を先頭にして、はぐれてしまわないように和葉がその背中を掴みながら後ろを走る。

 この明るさなら流石にはぐれる事はないだろという勇麻の意見は、口に出した途端に和葉に一瞬で棄却された。

 和葉曰く「東条くんは手を離すとふらふら勝手に死にそうで怖いから」との事だ。

 目を離すと迷子(勝手に冥界行き)になると思われているあたり、中々の信頼度だと思う。

 和葉の前で二度死にかけた(そのうち一度は心臓()失)だけの事はあると、自分でもそう思う。


 なおその後、絞り出すように和葉が「……手を離すと不安だから、その……私が手を繋いであげてもいい、のよ……?」とぼそりと呟いていたのだが、生憎脳裏に蘇った心臓を握りつぶされたトラウマと不名誉な迷子っ子の印象を持たれている事によるダブルショックを受けていた勇麻はちっとも聞いていなかった。

 最終的な結果として、知らぬ間に敗北にうなだれていた和葉を、気を取り直した勇麻が首を傾げながらも先導するという代わり映えしない行軍風景が残る。


 一階は何もない。走る二人はそのまま二階への螺旋階段を見つけ、一歩一歩確かめるように駆け足で階段を登って行く。


「それにしても」


 ふと、(さっきの敗北のショックからか)これまで口数少なかった和葉が前を行く勇麻に話しかけた。


「襲撃も妨害も、何もないわね。曲がりなりにも未知の楽園(アンノウンエデン)の崩壊を企むような相手なんでしょ? この尖塔に侵入した時点で、何らかのリアクションがあるものと思っていたけれど」

「……こう何事もないと、拍子抜けってか?」


 ……勇麻自身、同じような事を考えてはいた。

 相手が何者かは分からないが、『ウロボロスの尾』とクリアスティーナの接続とを切断したという事は、本来であればクリアスティーナ以外は侵入できない玉座の間に力技で入り込んだ実力者だという事だ。

 そんな敵ならば勇麻達が尖塔に侵入した事にも即座に気が付き、何らかの対応をしてくると思ったのだが……。


「まあ、そうね。けど、正直言って妨害がないのも不気味よね。これならまだ何かしらの反応があった方が対応なり対策なり立てられるというものなのだけど……」

「侵入者をあえて放置して泳がせ、俺達に情報を与えない事で優位に立とうとしてる……とか?」

「もしくは、何も考えずに到着を待ち構えてるただの馬鹿か……って言うのは流石に楽観論かしら?」


 後者だったら気が楽だが、おそらくそれはないだろう。

 敵は依然として目的も正体も不明なアンノウン。それこそこちらの動揺を極限まで誘うために、焦らすように敢えて姿を隠していると思っていた方がいい。

 それに、こういう楽観的な事を言った直後に限って、何者かの妨害が入ったり襲撃があったりするのはお約束という物だ。


(こういう何気ない会話がフラグになったりすんのかね、おお怖……)


 やや緊張感にかけるくだらない感想を思いながら、勇麻はひたすら足を動かす。

 そうして何事もなく長い螺旋階段をひたすら駆け上がり続けて二階を通りすぎ、三階の踊り場に差しかかる――といったタイミングだった。

 

「よお」


 ソレは、勇麻達の予想を裏切って何の脈絡もなく突然視界の中に入り込んで来た。

 勇麻達から隠れようともせず、堂々と階段に腰掛けていたその人物は、明らかに前者の賢しい隠遁者ではなく、後者の愚か者だ。


「戦闘音が鳴り止んでから、なかなかアンタが来ないから心配したんだぜ? 何だよ、やけに遅かったじゃねえか。何かあったのか?」


 だがしかし、何も考えていないただの愚者と斬り捨て鼻で笑うには、その者の強さは鮮明なまでに勇麻の脳裏に焼き付いている。

 勇麻も、そしてその後ろに続く和葉もまた、侵入者を待ち構えていたその男の存在に階段を登る足を止め、茫然自失と言葉を失った。 

 

「でも、それでもアンタは来た。んでもってだ。アンタが此処に来たって事は、……東条の旦那。今はアンタが『最強』って事で、俺の次の喧嘩相手って事で、いいんだよな?」


 東条勇麻はその男を知っている。


 おそらくは、勇麻よりも年下の少年だった。

 日に焼けた肌と、子供のようにキラキラと無邪気に輝く瞳。ところどころ金髪の混じった短めの黒髪は、セットされることもなく無造作に放置されている。

 どちらかというと痩せ形な体型。しかしそこに秘められた攻撃性と凶暴さは野生の豹のそれではない。

 強さを追い求め、強敵との心滾る戦いを望み、『最強』に会いたいと語る真性の戦闘狂バーサーカー


 ……身体が震える。

 知れず、勇麻はその拳を、血が滲み出る程に強く握り込んでいた。

 身体の震えも、きつく握りしめた拳も、恐怖からくる物でも絶望からの物でもない。どうしてこのタイミングでよりにもよってお前なのだという、行場のない激しい怒りからだ。


 九ノ瀬和葉の義理の兄にして、無謀にもかの『聖女』に戦いを挑み敗北した結果、何らかの契約を交わした『案内人』。

 『痛みの王(ペイン・エンペラー)』をその身に宿した喧嘩屋の少年。

 

「……九ノ瀬、拳勝……ッ!」

「はいよ、未知の楽園(アンノウンエデン)の喧嘩屋兼『案内人』こと、九ノ瀬拳勝くんだ。さあ旦那、俺と楽しい『喧嘩』をしようや」


 九ノ瀬拳勝が、東条勇麻を待ち構えてそこにいた。


「どうして、お前がこんな所にいやがる……ッ!?」


 食いしばった歯の隙間からこぼれた声に、勇麻の感情が乗る。

 しかしその荒々しい炎のような怒りの切っ先を向けられてなお、その男はこれから始まる出来事への高揚に満ちた笑みを浮かべ続けている。


「どうしてもこうしても、俺は『聖女』との契約に従って『案内人』としての役割を果たした。なら当然、報酬を貰わなきゃだろ。……『最強』への挑戦権。それが『聖女』との取引の際に俺が要求したモンだ。つまりだ、もう分かるだろ東条の旦那。俺とアンタは今から互いに命を燃やし尽すような、そんな熱い喧嘩をしようって言ってるんだぜ」


 その男は行方不明になっていた妹などに見向きもせずに、目前の東条勇麻のみを見据えている。 

 ただこの時を待っていたと。

 闘志と戦意に燃える瞳が、拳勝のこの戦いに懸ける強い思いを物語っている。

 だが今の勇麻にとってはそんなものは迷惑以外の何物でもない。

 今は拳勝と呑気に喧嘩をしている時間など欠片も存在しないのだ。一刻も早く苦しむアリシアを救うために、彼女の元へ駆けつけなければならない。


 だが拳勝は、おそらくそれを許しはしないだろう。

 『アリシアって子を救いたいなら俺を倒してみろ』。おそらく拳勝は、勇麻を本気にさせる為だったらそれくらいの事を平気でするハズだ。悪意もなく、敵意もなく、ただ純粋に勇麻と喧嘩がしたい一心で悪役に徹するだろう。

 血の滾るような、命を燃やして互いの全てを懸ける、身も心も沸騰するような闘争を求めるこの男は、頭のネジがどこか外れている常識外の狂人なのだから。


「……兄さん、見損なったわ」


 勇麻がその怒りに身を任せて続けて何かを言う前に、完全に兄に無視された形になっていた九ノ瀬和葉が一歩注目を集めるように前に出る。

 すると拳勝は、本当に今妹の存在に気が付いたとでも言う風に目を丸くして、 


「お、和葉じゃん。なんだよやっぱりお前も旦那と一緒だったのか、久しぶりだな。ちゃんと飯食ってたか?」

「……あなたが戦う事が好きだという事は知っているつもりよ。……妹である私よりも、誰かとの喧嘩を優先させるくらいにはね。でも、それでも、あなたがこんな事をするような人だとは思っていなかった……!」


 怒りに肩を震わせる和葉の非難に、しかし拳勝は何を言われているのか分からないらしく首を傾げている。自分がどれだけの人間に迷惑を掛けているかを理解してもいない、その悪びれもしないふざけきった態度が妹の怒りにさらなる油を注いだ。

 歯を砕ける程に食いしばり、和葉は握った拳を眼前で薙ぎ払って、


「とぼけるのもいい加減にして頂戴ッ。兄さん、あなたがここにいるって事は『ウロボロスの尾』の接続を切断したのはあなたなんでしょう!? どうしてこんな事をしたの。この街を滅ぼしてでも東条くんと戦いたかったとでも言うつもり!?」


 だがどれだけ和葉が怒鳴り散らして糾弾しても、拳勝は本当に何も分からないようで、釈然としない表情のまま頭を搔いている。

 それはどこか理由も分からないのに叱られ尻尾をまるめる飼い犬のようにも見えた。


「妹よ、すまん。ちょっと本気で何言ってんだか兄ちゃんには分からねえんだが……。『ウロボロスの尾』? 未知の楽園(アンノウンエデン)を滅ぼす? 一体何の事を言ってんだ?」 

 

 さすがの和葉もこれには愕然とした。

 しかし、少し冷静になって改めて考えてみると、勇麻と敵対しようとしている拳勝が今更ここでとぼける理由など何もない。

 それに和葉の記憶の中の兄の姿と照らし合わせても、目の前の拳勝が嘘をついているようには見えなかった。

 ……おそらく、拳勝は本当に何も知らないのだ。

 勿論、『ウロボロスの尾』とクリアスティーナの接続を切断したのも別人、九ノ瀬拳勝は未知の楽園(アンノウンエデン)崩壊を目論んでなどいない。

 そもそも拳勝にはこの街を積極的に滅ぼす理由が存在しない。

 『ウロボロスの尾』など知らなくて当然だ。ただ強い奴と戦いたい拳勝にとっては、弱肉強食の自由を謳うこの街を破壊して得られるメリットなど何もないからだ。

 和葉もその事に気がついたらしく、脱力したように、


「兄さんじゃ、ない……?」

「何の事だかよく分からねえけど、俺はここで旦那が来るのを待ってただけだぞ。『ウロボロスの尾』なんてものは知らねえし、未知の楽園(アンノウンエデン)が崩壊するとか普通に初耳だ。てかそれどういう事だよ、世界の危機とか兄ちゃん何も聞いてねえぞ」

「そ、そう……! 兄さんじゃないのね。なら、丁度いいわ。兄さん、私の話をよく話を聞いて。今、未知の楽園(アンノウンエデン)は崩壊の危機にあるの。詳細の説明は省くけど、私と東条くんはそれを止める為に行動している。この塔のどこかに、未知の楽園(アンノウンエデン)の崩壊を目論む何者かが潜伏している可能性が高いわ。こうなると、兄さんが此処にいてくれたのは好都合ね。兄さんも今から私達に協力してそいつを倒すのを手伝って――」


 ならば、何も知らない拳勝に事情を説明すれば未知の楽園(アンノウンエデン)崩壊を阻止する為に勇麻達に協力してくれる――


「おいおい。なに勝手に話進めてんだよ、妹よ。俺はそんな事やらねえぞ」


 ――ハズがない。


「なっ、……どうしてッ!? 未知の楽園(アンノウンエデン)が崩壊するなんて初耳だって、そう言っていたじゃない!? ウロボロスの尾の接続を断ったのも、兄さんじゃないのでしょう!?」

「ああ、初耳だ。だけど未知の楽園(アンノウンエデン)の崩壊を食い止めるなんて一言も言ってないだろ。勝手に話を進めんな。いつも依頼持ってくる時もそうだけどよ、お前ちょっとは人の話とか、も少しちゃんと聞いた方がいいぞ?」

「~~~ッ!! 今の兄さんだけには言われたくないわよッ! この馬鹿! 分からず屋! 甲斐性なし!」


 そうだ。

 九ノ瀬拳勝は生粋の戦闘狂バーサーカー

 例え世界が滅びようとも、目の前に心躍り血肉湧く戦いがあるならば、世界の危機などそっちのけで嬉々として戦場に飛び込む。

 こいつはそういうタイプの男だ。


「……つうか、俺と旦那の喧嘩の邪魔すんな。俺はもう待ちくたびれたんだよ。これ以上、くだらねえお喋りに時間使いたくねえんだ。っつー訳で和葉さ、ちょっとあっちで遊んでろ。つうかそこどけよ。俺はずっとこの日を待ってたんだ。未知の楽園(アンノウンエデン)が崩壊するだか何だか知らねえけど、これ以上俺の喧嘩の邪魔するんだったら、妹のお前だろうが俺もキレるぞ」


 ゾクリ、と。拳勝から発せられる殺気に産毛が逆立つ。 

 思えばこの男の本気の声色を聞いたのはこれが初めてかもしれない。

 いつも飄々として、ただ戦いを愉しんでいた拳勝の本気の殺気。

 その顔に笑みを浮かべてはいるが拳勝の目は本気だ。一ミリも笑ってはいない。

 空腹の肉食獣の前に躍り出たような迫力と凍てつくような瞳に睥睨されて、和葉は声をあげる事さえ出来ずに固まってしまっている。

 兄を前にして、妹が恐怖に震え硬直してしまっている。


「……なんだよ、それ」


 勇麻が拳勝に感じていた恐怖は、そんな和葉を見た途端に塵も残さずに吹き飛んだ。

 

 代わりに勇麻が一歩、右腕を広げながら和葉を庇うように前に出る。

 そのまま和葉を下がらせ、妹へ殺気を向ける兄と対峙する。

 これ以上この男と和葉を喋らせたくない。

 静かに、勇麻の中で拳勝に対する昏い怒りが燃え上がる。ともすれば憎悪に発展してしまいそうなその怒りの感情を、どうにか境界線ギリギリで抑え付けて、勇麻はキッと拳勝を睨んだ。


 ……妹が兄貴に恐怖し怯えるなど、そんな光景は絶対にあってはならない。

 拳勝の言葉を、東条勇麻は認める事ができない。

 まともに会話が成立しない事を理解して、だが勇麻は威嚇するように低い声で拳勝に対して警告する。


「……そこをどけ、拳勝。今俺達は急いでる。悪いけど、アンタとの喧嘩にかまけてる余裕はない。終わったらいくらでも好きなだけ遊んでやる。だからそこをどけ。アンタをこんな形で、ぶっ殺したいなんて思いたくない……ッ!」


 それは九ノ瀬拳勝をどこか憎み切れない東条勇麻からの、本気の警告だった。

 これ以上、勇麻の前で和葉を傷つけるというのなら、勇麻は拳勝を本気で敵と認識せざるを得なくなる。

 そんな事はしたくない。

 だがその想いが彼には届かない事を、否。届いたところで何の意味もない事を、東条勇麻は理解していた。


「悪いけど旦那、そいつはできない相談だ」

 

 ある意味では勇麻の信頼を裏切る事無く、九ノ瀬拳勝はニヤリと心の底から愉しげに笑ってそう言った。


「今日ここで未知の楽園(アンノウンエデン)が滅びちまうっていうのなら、ますます後回しになんざ出来るかよ。アンタはあの『最強』を下して俺の前に立っている。以前の俺が逆立ちしても勝てなかったあの『聖女』を倒したアンタは、今まさに『最強』の頂に立ってるって事だろォ!? そんなの我慢できるかよ。『聖女』に負けて『案内人』なんぞをやらされた時からずっと楽しみに待ってたんだ! なあやろうぜ旦那ァ! 血沸き肉躍る、男と男の喧嘩ってヤツをよォ!!! 俺に見せてくれよ! 『最強』に届いたその拳をッッ!!」


 この男に友情や絆を解いても何の意味もない。世界平和など鼻で笑い飛ばされる。

 より強い敵と本気で戦えるのならば、親しい人間から憎まれる事すら惜しまない。

 この男に存在する絆とは、すなわち拳と拳の殴り合い。戦い、信念と拳とを互いにぶつける事でしか他者と繋がれない悲しい獣。

 それこそが九ノ瀬拳勝という男だった。


 会話は通じない。

 想いは届かない。

 戦いを回避する術などどこもない。


 アリシアを救うため、東条勇麻はこの男を一刻も早く排除しなければならない。

 もう、戦いは避けようもなかった。

 状況を理解して、拳勝の言葉を噛み締めて、震える吐息を絞り出す。

 ……九ノ瀬拳勝に対してこれ以上の説得は無意味、時間の浪費だ。

 ある種の諦観をもって、勇麻がゆっくりと拳を構えようとしたその時。



「あぁ? アホ勇麻が最強だ? 馬鹿かよ、笑わせる気あんのかそのジョーク」


 

 心の底から相手を馬鹿にしたような嘲りの直後、尖塔内部を太陽と見紛う灼熱の輝きが照らした。突如グンと上昇する気温に、まるで自分達が蒸し釜の中にいるような気分になる。

 勇麻が視界に捉えたそれは炎だった。巨人の腕を模した、轟々とドロドロと燃え盛る傍から溶解する猛々しい炎腕。

 それを認識したと思った瞬間炎の腕がブレた。

 城の倒壊によって破壊された三階の空中通路部分をぶち抜いて現れた極大の爆炎の腕は、その巨躯に見合わない俊敏な動きで九ノ瀬拳勝を呑み込むと、勇麻達の立つ階段とは反対側の壁に凄まじい勢いで叩き付けた。

 轟音と燃焼音が混ざり合って耳を貫き、屋内に熱風が吹きつけ、衝撃に足場が揺れる。破壊の焔が聖女の住処を蹂躙する。暴れ回る熱量は、人間を灰にしてなお余りあるような莫大な熱エネルギーで、階段の手すりや周辺のドアノブを飴細工のようにドロリと溶かしてしまう。

 そして反対側へと吹き飛んだ拳勝と勇麻達とを分つように、勢いよく炎の壁が生じた。

 声の主は当然壁の反対側、九ノ瀬拳勝を阻むかのように壁の番人として立ち塞がっている。


「嘘、だろ……」


 その声を聞いた瞬間、勇麻は反射的に和葉を庇うように階段に押し倒していた。

 その甲斐あってどうにか火炎と熱風の被害を免れる事ができたが、危うくこちらまで丸焼きにされる所だった。

 でもそんな些細な事、今は少しも気にならない。その聞き覚えの在り過ぎる声に、自分の感情がおかしな方向へ熱く昂ぶるのを感じる。


「……この声、まさか……!?」


 驚愕と興奮に思わず漏れた声に、炎の壁の向こう側からやや毒を含んだ返答が返ってくる。


「あ? ジジイかテメェは。いちいち腰抜かしてる暇あったらさっさと先にいけや、このアホ。こっちは丁度暇してんだ、テメェばっかに楽しみ取られてたまるかよ。このイカレ野郎の相手は俺がやる。だからテメェは余計な事してねえでさっさとアリシア助けて来い」


 それ以上、言葉なんて必要なかった。

 今この場であの男にどんな言葉を贈ろうとも野暮で蛇足で無粋なだけ。

 だから、ただ一言、


「任せた……!」

「テメェもな」


 和葉の手を引いて、東条勇麻は振り返ることなく階段を駆け上がる。

 背中は預けた。

 こんな時誰よりも頼りになる、最高の親友に。



☆ ☆ ☆ ☆



 東条勇麻と九ノ瀬和葉が上へ行ったのを確認して、その男は面倒くさげに溜め息を一つ吐いた。

 視線の先には奇襲で炎の腕を叩き付けた九ノ瀬拳勝が、全身に重度の火傷を負いながらも狂喜の笑みを張り付けて立っている。


「……いってえなぁ、痛え、今のはすげえ痛くて熱かった。神経が暴れ狂って引き千切れそうだ。誰だか知らねえがアンタも結構強くて面白そうじゃねえか。……けどよ、俺が今戦いたいのはアンタじゃねえんだ。そこをどけよ、雑兵。俺は東条勇麻を……『最強』と熱く拳をぶつけ合わねえと気が済まないんだよォ!!」

「……はぁ」


 九ノ瀬拳勝の吠えるような発言に、男はもう一つ溜め息を吐いた。あまりに見当違いな言葉に興が削がれたとでも言うかのように。

 折角の楽しみな殴り合いに水を差された気分だとでも言いたげに、男は額に手を当て呟く。


「最強、あぁ、最強な……」


 炎熱地獄の中をその男は悠然と歩きながら、獰猛に笑う獣へと言葉を突き付ける。


「……『最強』ってのは要するに一人限りの頂点だ、周りに誰もいねえ孤独な天辺だ。……あのアホはそんな大層な物を求めちゃいねえよ。ましてや『最強』なんかじゃねえ。あいつはな、俺がどっかの誰かと喧嘩してんのを見ると殴って止めに来るようなバカなお人好しだ。人に喧嘩すんなって言っておいて、その口でテメェは人の顔面殴ってくるようなムカつくクソアホだ」


 炎の隙間から、その男の姿が垣間見える。

 燃え盛る炎と同様に短く逆立った赤茶色の髪と、虎のように鋭い釣り目。総じてガラの悪いヤンキーのような強面の男だ。

 ……本人は全力で否定するだろうが、彼を良く知る人物に言わせれば、負けず嫌いで誰よりも熱い心を持ち、義理堅く友情に厚い男でもある。


「あぁ、俺は知ってる。あのアホは誰かの上に立って踏ん反り返るんじゃねえ、誰かの隣に立って笑っていたいなんて小ッ恥ずかしいことを言いやがる。あいつが拳を振るうのは誰かを倒す為じゃねえ、誰かを救うために拳を振るうんだ。あいつは強くなる為に強くなるんじゃねぇ、強くならなきゃ助けられないから強くあろうと足掻くんだ」


 いつもは好戦的に歪んでいる粗野で野蛮で毒ばかり吐く口元は、けれど今は静かに何かを噛み締めるように言葉を並べ立てる。

 身体付きは総じて細めだが、野生の虎のようなしなやかさを併せ持つ筋肉質な身体。

 だがその強靱な肉体も、今はドロドロと燃え煮えたぎるマグマのように不定形に蠕動しながら、静かに燃え上がり火の粉を散らしていた。


「東条勇麻っつーあのクソアホ野郎は『最強』なんて夢見ちゃいねえよ。あいつの見てる夢は子供ん頃から変わらねえ、もっと青臭くて、今どき幼稚園児でも口にしねえような壮大な綺麗ごとだ。テメェの自分本位で自己満足な願望押し付けんなハゲ」


 その男――泉修斗は、燃え盛る炎の壁を背に、九ノ瀬拳勝の前に番人として立ち塞がっていた。 

 とある男の背中を追わせることを許さない、最強の炎の番人は、今までの神妙な顔付きを一瞬で破り捨てると、舌なめずりでもするように獰猛に笑って、

 

「最後に一つ教えてやる、この俺をシカトするアホと、調子に乗ったクソアホ勇麻どもをぶっ飛ばすのはこの俺だって十年前から決まってんだよこのボケ。順番も礼儀も守れねえ行儀のなってねえガキが。俺をシカトして『最強』だのなんだの吠える前に、この中で一番強いのはこの泉修斗だっつー現実を教えてやんよォ!」


 最後の最後で泉修斗らしく、全ての事情を無視した自分本位で自分勝手な宣戦布告を突き付けたのだった。


「ハッ、なかなか面白いじゃねえか。いいねぇ、気が変わった。いいぜ、まずはアンタからだ、泉修斗。喧嘩屋として、売られた喧嘩を買わねえわけにもいかねえしな。『最強』じゃなくても、アンタとやりあうのは面白そうだ……ッ!」

「あ? んでテメェが上から俺が面白そうとかどうとかほざいてやがんだオメデタ金箔頭。おせちの季節まで冬眠しとけやボケ。楽しむのは俺だけで充分なんだよ、テメェは熱と痛みにひいひい喘いでやがれ……ッ!!!」


 『痛みの王(ペイン・エンペラー)』と『火炎纏う衣(フレイムドレス)』。


 共に戦いの中に悦びを見出す二人の少年が、その意地と誇りを懸けて真っ正面から衝突する。

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