第四十三話 夜明け前Ⅱ――絶望覆す一手
神器『ウロボロスの尾』。
『ウロボロス』とは己の尻尾を飲み込み環となったヘビもしくは竜を図案化したものである。
北欧神話では自らの尾を咥えて眠るヨルムンガンドと呼ばれる大蛇が登場したり、キリスト教では物質世界の限界を象徴するモノとされている。
古代における象徴の一つであり、様々な意味を持つ記号とも言えるだろう。
そしてこの『神器』もまた、そういった象徴を元にして何者かによって製作された代物だ。
象徴するのは無限の循環。
不死の解釈をねじ曲げ、接続した使用者が生命力……すなわち干渉力を消費した分だけ世界からそれを組み上げ供給するというある種の永久機関を構築する頭のイカれた『神器』である。
しかし名前の通りこの神器はウロボロスの尾を象ったもので、本体にあたる部分が存在せず、『神器』のみでは一つの環として完成しえないという不完全性をも同時に有している。
つまりこれは、使用者が『ウロボロスの尾』に接続する事によって初めて完全な『ウロボロス』として無限の循環という記号を得て機能する『神器』なのだ。
『ウロボロスの尾』を保管、管理、研究していた未知の楽園の上層部『操世会』は、この極めて強力な『神器』の使い手なりうる者として、稀有な才能を持った少女とその神の力に目を付けた。
当時、地下に作られた未知の楽園では慢性的な土地不足に悩まされていた。不足する土地とは裏腹に、受け入れを希望する神の能力者は増える一方。
未知の楽園としても、神の能力者を受け入れる事によって発生する各国からの莫大な支援金をより多く受け取る為に、できるだけ沢山の神の能力者を受け入れたかった。
そこで白羽の矢が立ったのが、当時既に干渉レベルAプラス相当の力を有していた『特例寵児育成研』で管理されていたクリアスティーナ=ベイ=ローラレイという十歳の少女だった。
高い『神性』を有しているとは言え適合率は決して高くは無かったが、『ウロボロスの尾』の使用者として彼女を登録し、『ウロボロスの尾』との接続に耐えられるようにと幾度もの調整と手術、投薬を繰り返して何とか適合に成功。『ウロボロスの尾』の試験的な運用にこぎつけた時には、彼女は十五歳になっていた。
『ウロボロスの尾』を接続したその少女は無限に湧き上がる干渉力をもってして、言われるがままに『未知の楽園』を複製し同座標上の別次元に同じ実験都市を複数作り上げ、ともすれば崩れてしまう不安定なそれを無限に湧き出る干渉力で永続的に維持し続けた。
それこそが『多重次元空間』。
より多くの実験動物と金を確保するべく『操世会』と『特例研』がクリアスティーナを利用して造り上げた歪な実験都市の実態。
『操世会』が崩壊し『白衣の悪魔』達無き今もなお残り続けている、未知の楽園最大の秘密だ。
だが、神の能力者の超常的な力と研究者達の叡智と技術の粋、そして『神器』の神秘を以ってして造り上げられた『多重次元空間』は、クリアスティーナ=ベイ=ローラレイと『ウロボロスの尾』との接続を何者かによって断たれた事により、今まさに崩壊を迎えようとしていた。
☆ ☆ ☆ ☆
クリアスティーナ=ベイ=ローラレイは『ウロボロスの尾』から力の供給を受ける事によって『多重次元空間』を維持している。
その『ウロボロスの尾』との接続が、何者かによって外部から断ち切られてしまった。
クリアスティーナのみでは、『多重次元空間』を維持するだけの干渉力を常時出力し続ける事は不可能であり、『ウロボロスの尾』との繋がりを断たれた時点で『多重次元空間』は崩壊、連鎖的に未知の楽園も崩壊する……ハズだった。
しかしそこへ神門審判のアリシアが介入したことで状況は大きく変わる。
『聖女』によって次元の狭間に閉じ込められていたアリシアは、何者かの介入によって『聖女』と『ウロボロスの尾』との接続が断たれた瞬間、『聖女』からアリシアへの干渉が無くなった隙を突いて次元の狭間を脱出。……これはおそらく、力の供給がなくなった為、自身の持つ干渉力全てを『多重次元空間』の維持へと割かなければいけなくなった結果だと思われる。
外に出たアリシアは何らかの方法――おそらくは『天智の書』――ですぐさま現状を理解。
未知の楽園が崩壊する事を避ける為、自身がクリアスティーナと『ウロボロスの尾』を繋ぐケーブルやアダプタのような『中継ポイント』となる事でクリアスティーナに力の供給を再開。
『多重次元空間』の崩壊による連鎖的な未知の楽園の崩壊を食い止める事に成功する。
アリシアの咄嗟の機転によって事態は好転したかのように思えた。
だが……、
「……このまま『ウロボロスの尾』に接続し続ける事は彼女にとって非常に危険です。……早く彼女の接続を切らないと、アリシアさんの身体が負荷に耐えきれずに焼き切れてしまう……ッ!」
『ウロボロスの尾』と接続しクリアスティーナへ干渉力を供給し続けるアリシアを止めなければ、アリシアは死ぬ。
だがアリシアと『ウロボロスの尾』との接続を断てばクリアスティーナへの力の供給は止まり『未知の楽園』は崩壊する。
崩壊、という言葉が具体的に何を示しているのかは分からない。だがおそらく、そうなれば誰も助からないような最悪の事態が訪れるであろう事だけは、ディアベラスとクリアスティーナの会話のニュアンスから伝わってくる。
「……どうする、どうすりゃいいんだよ……クソッ!!」
思わず拳を地面に打ちつける。
神の子供達の少女との死闘の果てに最後の最後で東条勇麻が得た物は、八方ふさがりの絶望の袋小路。
――そんなふざけた結末、認められる訳がなかった。
「……東条勇麻、気持ちは分かるがぁ、こういう時に焦っても事態は何一つ好転しねぇ。今俺達が何をすべきかを一度確認すべきだぁ」
「……そんなの、そんなのアリシアを助けるに決まってるだろッ!!」
「だから落ち着けってぇ、そのアリシアを助ける為の具体的な方法を考えるっつってんだよぉ。……アスティ、まず問題になってんのは『ウロボロスの尾』とお前の接続が断たれた事にある。再接続は可能かぁ?」
ディアベラスは激昂する勇麻をのらりくらりと躱しながら、冷静に現状と問題点を見直そうとクリアスティーナに問いかける。
確かに現状最大のネックになっているのは『ウロボロスの尾』とクリアスティーナの切断が切れた事にある。これさえ解決できれば、アリシアが無理をして『ウロボロスの尾』と接続する必要はなくなるハズだ。
だが。
「……ごめんなさい、現状では不可能です。そもそも私は『ウロボロスの尾』との適合率があまり高くありません。研究者達の手によって強引に調整や投薬、肉体改造を繰り返し、さらに専門的な儀式や手順に則ってようやく接続できたに過ぎない。それを強引に切断された以上、一から手順を踏む必要があります。あの『神器』はそういう代物なのです。『神門審判』で半ば強引にパスを開いて接続したアリシアさんは例外中の例外。私だけでは再接続は十中八九失敗します。力になれず、すみません……っ」
蒼白な顔で答えるクリアスティーナは、己の無力さを責めるように唇を噛んで俯いてしまっていた。
間接的とはいえ、自分の神の力や神器がアリシアや未知の楽園崩壊の原因を作ってしまった事をかなり気にしているように見える。
そのあまりに弱々しい姿に、熱くなっていた勇麻の頭も冷えていく。
「全てを自分で背負うな」などと説教するように言った手前、ここでクリアスティーナに無駄な責任を感じさせるわけにもいかない。それ以前に勇麻自身が一人で熱くなって周りに怒り散らしていたのではいい笑いものだ。
そもそも今のこの状況はこの場にいる誰が悪い訳でもない。クリアスティーナやディアベラスに当り散らすのは見当違いだし、そんな行動で問題が解決に向かうハズもない。
ならば勇麻もあくまで冷静に最善を考えるべきだ。
「……いや、アンタは悪くない。こっちこそ大きい声を出してすまなかった」
「まぁ、お前の気持ちも分かるが落ち着けたみてぇで何よりだぁ。それで、状況は理解できたかぁ?」
「……ああ。つまり、現状アリシアを介する以外、アンタが『ウロボロスの尾』から力の供給を得る手段はないって事だよな?」
一つ深呼吸をしてから、再確認するようにクリアスティーナに尋ねる。
勇麻の表情から灼熱の怒りが消えた事に少しだけホッとしたのか、クリアスティーナは先よりもしっかりと勇麻の目を見て頷く。
「そう、なりますね……」
「分かった。……あと、一つ教えてくれ。俺には『多重次元空間』ってのがそもそもよく分からないんだけど、それが崩壊すると『未知の楽園』が崩壊するってのは、一体どういう意味なんだ?」
まずは現状を正しく認識、理解する。
問題とそれを解決する為には何が必要か、何をすべきか。計算式の答えを導くためには問題を正しく理解しなければ何も始まらない。
「言葉通りの意味です。『多重次元空間』が崩壊すれば『未知の楽園』も崩壊します。そもそも今の未知の楽園は『多重次元空間』によって幾重にも積み重ねられた同一の実験都市の集合体のようなものなのですから。積み木の塔が崩れれば、それを作り上げる積み木も地面に叩き付けられるのは自明の理です」
要は、この『未知の楽園』は階段のない巨大なビルのような物だとクリアスティーナは言う。
同座標上に複数存在する未知の楽園。
『多重次元空間』とはすなわち、次元という複数の階層を持つ階段のない巨大なビルだ。
二次元的な地図などの平面上で見れば複数の都市は全て同じ座標上に重なって存在し、立体的に視れば高さが異なっている為決して交わらない。
自分達のいる階層から他の階層へ移動する為の階段は存在せず、それぞれの階層ごとに世界は独立している。部屋の間取りは同じ、ただそこで暮らす住人と、その住人達が作り上げた部屋の内装はそれぞれ異なっている。
この階層を自由に行き来できるのはこのビルのオーナーである『聖女』と。
その『聖女』から特別な権限を与えられた階層ごとの責任者『案内人』だけ。
他の住民は自分たちが暮らす街と全く同じよな街が同座標上に複数存在している事など微塵も知らずに、弱肉強食の自由を謳歌している。
それが多重次元地下実験都市『未知の楽園』の正体だ。
そして『ウロボロスの尾』との接続を断たれた今の状況は、その巨大なビルの柱を抜いてしまったようなものだ。
そうなればどうなるか、答えは単純だ。
柱という支えを失ったそれぞれの階層、すなわち異なる次元に存在していたそれぞれの未知の楽園が、一階――つまりは今勇麻達がいるオリジナルの未知の楽園目掛けて収斂するように一斉に降り注いでくる。
巨大なビルの倒壊。
全ての階層が押し潰れるように崩落し重なれば、中にいる住民がどうなるかなど誰にだって明らかだろう。
おそらくは誰も助からない。
未知の楽園は未知の楽園に押しつぶされ、何もかもが瓦礫と化した終わった地獄が完成する。
「……最悪だ」
思わず頭を抱える。
これではアリシアを助けたところで何も解決しない。
最悪、助けたアリシア諸共瓦礫の下で皆仲良く押し潰される未来が待っている。
「……あぁ、こいつぁ考えられる限り最悪の状況ってヤツだろうなぁ。……ったくよぉ、女一人救ってハッピーエンドってトコでこうも余計な蛇足を付け足されると、神の子供達なんて名で呼ばれてる身としちゃあ神様とやらに一言物申したくなる気分だぜぇ」
時間はない。
こうしている今も、アリシアの肉体は刻一刻と限界に近づいている。
クリアスティーナが『ウロボロスの尾』と再接続することはできない。
アリシアが倒れれば、事実上『多重次元空間』の崩壊は避けられず、未知の楽園は住民全てを道ずれに崩壊する。
何だこれは。
思わず笑ってしまうような、手の取っ掛かりすら見つからないような盤面。
将棋ならば詰んでいる、とでも表現すべき状況に勇麻は拳を痛い程に握り締めた。
……何もできない。
自分の無力さにここまで打ちのめされたのも久しぶりだ。
何が皆で一緒に居に天界の箱庭へ帰るだ。何がもう大切なモノを失いたくないだ。
言葉ばかりはご立派で、本当の絶望を前にしたら何もできない。
東条勇麻は、目の前で大切な人が傷つきながら必死で稼いでいる時間を無為にして、崩壊する街並みを眺めているしかないではないか。
思わず天を仰ぐ。
夜明け前の未知の楽園の空は墨汁を零したように真っ暗で、ここが地下なのだという事を勇麻に思い出させる。
できることなら、もう一度皆で地上の太陽を見たかった。
勇麻は、現実逃避気味にそんな事を考えて――
「――地上? ……待てよ。未知の楽園の崩壊を食い止める事ができないなら、何も無理に止める必要なんてねえじゃねえか。壊れて倒れるのが分かっているビルにいつまでも閉じこもっている馬鹿なんていない。何だよ、簡単な話じゃねえか!!」
「……! 東条勇麻、お前、まさかぁ……」
そうだ。どうしてすぐに思いつかなかったのか。端から解答が存在しないと分かっている問題に頭を悩ませるなんて馬鹿な話だ。これはもっと単純な話だったのだ。
解けない問題があるのなら、解ける問題を解けばいい。
……問題をすり替えろ。
端から不可能な物を物理法則をねじ曲げてまで可能にする必要などどこにもない。
可能な範囲で解ける問題に、その問題自体を改変してしまえばいい。
勇麻は逸る気持ちを抑え、静かに独り自問自答する。
未知の楽園が崩壊すると困るのは何故?
分り切っている。この街にいる全ての人が死んでしまうからだ。
なら、誰も死ななければ、未知の楽園が崩壊しようと構わないとも言える訳だ。
結果として全員が死んでしまう最悪の未来を回避する事ができるのならば、解けない問題は勝手に解消する。
そんなものに頭を悩ませる必要なんてなくなる。
東条勇麻の出した答えは、ただ一つ。
「逃げればいいんだよ。未知の楽園の皆で、地上に!」
活路が見えた。
方向性が定まった。
何も見えない暗闇はもう存在しない。
視線の先に見えた微かな光を掴むため、後は必死になって手を伸ばすだけだ。
絶望するのはもう終わりだ。
ここから始まるのは一方的な反撃。
――皆で帰る。
絶対に勝利を掴む為に、東条勇麻は最後まで絶望へと抗い続ける。
☆ ☆ ☆ ☆
東条勇麻の言葉に、誰もが泡を食ったように言葉を失った。
崩壊する未知の楽園から皆で地上へ逃げる。
あまりにも簡単で単純な解決方法。
倒れる事が分かっているビルに閉じこもるアホはいない。
ならそのビルが倒れる前にビルから逃げてしまえばいいなど自明の理だ。
目の前に並んだ無理難題に目が眩み、複雑に物事を考え過ぎていたのだと、実感させられるような答えだった。
「――確かに、それが一番現実的な手段だぁ。崩壊するなら逃げればいい、最強の神の子供達相手にたった一人で逃げずに立ち向かった男の発言とは思えねぇ程にいっそ潔い答えだ、嫌いじゃねぇ。……だが、具体的にどうやって地上へ行く気だぁ? さっきの揺れでエレベーターが壊れてるかも分からねえし、何より未知の楽園の住民全員を乗せれる程大きくはねぇ。全員を地上へ運ぶ程の時間も当然ないぞぉ?」
「分かってる。エレベーターを使ってたんじゃ全員は助けられない。地上行きのエレベーターに乗る権利を巡って争いが起きるだけだ。そもそも別の次元の街のやつらまで手が回らない」
「なるほどねぇ、ホントに“全員”助ける気かぁ。いいね、お前のそういう無謀さ、俺ぁ好きだぜぇ。で、だったらどうするよぉ?」
ディアベラスの問いに、勇麻は無言でその視線をクリアスティーナへと向けて、
「頼めるか」
「……私、ですか……?」
勇麻の問いに自信なさ気に視線を泳がせるクリアスティーナを、勇麻はじっと見つめる。
勇麻の方法を成功させるためにはクリアスティーナの助力は必要不可欠だ。彼女にできなければ、全員で地上へ帰ることは果てしなく不可能な物になってしまう。
「クリアスティーナ、アンタの力で未知の楽園の住民を地上へと一斉に転移させる。他の次元の街のやつらも含めて、全員。それ以外に、皆で生きて未知の楽園を脱出する手段はない……っ!」
「!!」
勇麻の言葉にクリアスティーナが瞠目する。驚かれるのなんて分かっていた。いくら彼女が『神の子供達』とはいえ、どれだけ難しい注文を出しているかは勇麻だって分かっているつもりだ。
でも、その無理を通さなければ、皆で生きて帰るなどという無理もまた通る道理はない。
「……別次元の未知の楽園も含めた住民全員の一斉転移……? 無理、です。複数次元を同時並列的に把握して、そのうえ各空間の人間の位置座標の特定、捕捉、さらにそれを一斉に書き換える? 出来ません……そんなこと、私にはとても……っ」
怯えるように首を振るクリアスティーナに、それでも勇麻は引き下がる訳にはいかなかった。
心を鬼にして、卑怯を承知で頭を下げて、東条勇麻は最低な言葉を並べたてる。
「無茶な願いだってのは百も承知だ。でも、もうこれしかないんだ! ……アンタは一度、この街の人々を救った。成りたくもない英雄に、成りたくもないのになっちまった。でも、だったら出来るはずだ。自分から願ってくれ、クリアスティーナ。アンタが守った物をもう一度守る為に、アンタが変えた物を無駄にしない為に、今度は自分の意志でアンタが『救国の聖女』になるんだ! 頼むよクリアスティーナ、俺達を救えるのはもうアンタしかいない。お願いだ、アンタの力を貸してくれ。俺達を助けてくれ……ッ!」
自分がどんな最低な行いをしているか自覚はある。
クリアスティーナがその言葉に決して首を横に振る事ができないと分かって口にしたのだ。
人の心を弄ぶ外道になった。吐き気さえ覚える最悪な気分。
だがそれでも、東条勇麻はもう目の前の少女に縋るしかなかった。。
彼女に頼って、彼女に救われる事でしか、勝利を掴み取る道は残されていない。
自分の力が足りない事が悔しい。あれだけ偉そうな言葉を並べておいて、結局クリアスティーナ一人に全てを押し付けようとしている自分が許せない。自己嫌悪に死にたくなる。
でも、だからと言って、たったそれだけで全てを諦め投げ出せるほど、東条勇麻は人間が出来ていない。
幸福な結末が欲しかった。
辛い事も苦しい事も悲しいことも確かにあって、それでも最後には皆が手を取り合って笑っている、そんな未来が欲しい。そう願う事は、間違いだろうか。
……いや。
例えそれが、間違いでも構わない。
今なら勇麻は、胸を張ってそう断じる事ができる。
誰一人欠けることなく皆で共に地上へ帰る。
その為には、クリアスティーナ=ベイ=ローラレイの力が必要だ。
「……なあ、アスティ。転移させる人間を一か所……一つの次元にまとめる事が出来たとしたら、地上への一斉転移は可能かぁ?」
と、ここまで考え込むように黙り込んでいたディアベラスが、二人のやり取りに口を挟んだ。
クリアスティーナはディアベラスの言葉を吟味するように少し目を閉じて、
「……それなら、はい。可能です。一か所に集まっていれば、個々の人物に対してではなく、人の密集した空間そのものを書き換えるだけで事足りる。人数に関係なく、どうとでもなります……!」
ホッとどこか安堵した表情で、クリアスティーナが力強く肯定した。
「本当か!? クリアスティーナ!」
「ええ、問題はありません」
「よし、なら決まりだなぁ」
二人の視線がディアベラスに集まる。ドレッドヘアーを束ねた褐色のサングラスは、二人と視線を合わせるとふてぶてしい不敵な笑みを浮かべて、
「ひとまず俺とクリアスティーナで、未知の楽園の住民を一か所へと集め、一斉転移の準備を行う。東条勇麻、お前は一刻も早く『ウロボロスの尾』に接続しているアリシアの元へ行けぇ。アスティと『ウロボロスの尾』の接続を切断したヤツがアリシアに危害を加えねぇとも限らねえしなぁ。無事合流出来たら事情を話し、可能な限りアリシアに『ウロボロスの尾』とアスティとのアダプタ役を継続して貰う。んでこちらの準備が整い次第、接続を解除ぉ。アスティの『支配する者』で全員仲良く地上へ脱出する……と、まぁこんな所かぁ」
「分かった。でも、アリシアに限界が来たらそっちの準備が出来てなくても接続は解除させて貰う。……すげえ勝手な話だけど、あの子が死んじまったら何の意味もねえんだ。もしそうなったら、ディアベラスとクリアスティーナは間に合ったヤツだけでも連れて地上へ逃げていてくれ。そしたら俺達も俺達で、どうにか地上へ帰る方法を見つけるから」
「分かった、とは言わねえがぁ、それでいい。安心しろ東条勇麻、そんな事には決してなりはしねぇ。こっちはこっちで絶対に間に合わせて見せるさぁ」
勇麻の言葉にディアベラスは力強くそう言った。
反対されるワケでもなければ、否定されるような事もなかった。ただ、言葉で引き留めるのではなく、己の行動と結果で示すというディアベラスの覚悟があった。
その頼もしい言葉が、勇麻にはどうしようもなく嬉しかった。
だがここで一つ、当然の疑問と問題も浮上する。
「……ですが、具体的に別次元の未知の楽園の人々を、どうやって一か所に集めるのですか?」
「――そいつに関しちゃ、こっちでも協力できるかも知れねえさね」
クリアスティーナの発したごく当然の疑問に、ディアベラスでも勇麻でもない。第三者が割り込みを掛けた。
――砂埃が舞い上がる。
それは、城門前に猛スピードで突っ込んでくる影。
赤い機体、風を切って進む機能美に満ちた流線型のボディ。低く唸る怪獣のような咆哮を炸裂させて、その影は暴れ馬のように荒々しく大地を駆ける。
ぎゅるぎゅると、火花を散らして乱雑にその車体を回転させながら、『聖女』と『悪魔』の戦場へ一人の少年とともに待ったを掛けたあの真紅のスポーツカーが、再びクリアスティーナ達の前に停まっていた。
であれば、運転席から出てくるその声の主は当然、盗賊団『虎の尻尾』の頭領の――
「――ダニエラ!!」
「はん、ようやくアタシの出番さね。おっと、いちいち事情の説明なんて野暮な真似はいらないよ? なにせアタシの過去視の炯眼は、盗賊らしく誰かが導き出した答えを横から掻っ攫うのが得意でねえ。……人手と具体的な手段が欲しいんだろ? だったらコイツらを使いな」
勇麻の叫びに応えるかのように橙黄色に染めた髪を三つ編みにした女盗賊の頭領ダニエラ=フィーゲルが、くいっと力強く顎をしゃくる。
それが何かの合図になったかのように、乱暴に停めたスポーツカーの中から続々と人影が降りてくる。
「……いったた……、もう、一体何なんですかぁー。言葉遣いは荒いし運転は荒いし人使いは荒いし気性は荒いし、ひょっとして私達、最悪なのに目を付けられてません???」
「あらあら~。私は楽しかったわよ? 何だかジェットコースターみたいで」
「いやセルリア姉楽しそうに笑ってないでアンタの治癒でセピアをどうにかしてやってくれよ。あのオバサンの暴れ馬みてえな運転に酔っちまったのか、今にも吐きそうな真っ青な顔して……っておいバカバカ!? リスみてえにほっぺた膨らませながらこっち来るんじゃねえよセピア!! お前それ絶対ワザ……ぎゃあああああああああああああああああああああッ!!?」
見覚えのある緑青赤黄の四姉妹の気の抜けるようなじゃれ合いに、勇麻は涙腺が緩むのを感じた。
間違えるハズがない。あの姿あの声あのやり取り。いつの間にか見慣れた光景になったそれは、勇麻のよく知る頼もしい仲間達に他ならない。
「……ふん、人の事をオバサン呼ばわりしたアホガキにはしっかり裁きが下ったようだから、アタシからの鉄拳制裁は勘弁していてやるとするさね。で、どうだい東条勇麻。何か感想は?」
目頭が熱くなっている勇麻に、ダニエラは自分の手柄を誇るように胸を張ってそう言った。
勇麻がクリアスティーナとディアベラスの戦う戦場に来る前、予言のようにダニエラが言っていた到着するだろう背神の騎士団の援軍とは、彼女達四姉妹の事だったのだ。
「シャルトル……! セルリア……! スカーレ……! セピア……! お前ら……!ッ!」
胸が詰まってしまい、碌な感想を言えそうにない。
感極まって泣きそうな勇麻に、シャルトルはここぞとばかりにアピールするように胸を張って、
「まったく、強い癖に相変わらず情けないヤツですねぇー。なにこれくらいで泣きそうになってんですかぁー、東条勇麻。アナタの戦いはまだ終わってませんよぉー? 私が頼りがいがあり過ぎるのはよぉーく分りますが、これくらいで感動されるのも心外です。なんといいますかぁー、そのー、ごほんっ。……仲間、なんですから。私がアナタを助けに来るのは当然です。だからちゃんと頼ってください。アナタは一人なんかじゃない。いつだって、その隣に並んで戦いたいと思う誰かがいるんですから。……ええ、私だって、その。多少は? アナタの為に戦ってあげますよってコトです。(……よぉーしいい具合に言えました! これくらい言っておかなければ、あの新参者に全てを食われそうな勢いでしたしっ! この普段は恥ずかしい事の一つや二つを言い切れちゃう感じの空気、ひょっとして私大勝利なのでは!?)」
それは小さな宣戦布告。
自分もその誰かの一人だと。東条勇麻の隣に並んで戦えるのだという宣言だった。
思い上がるつもりなんて微塵もない。けど、それでも、かつては敵として全力で拳をぶつけ合ったシャルトルがそう言ってくれた事が、勇麻には涙が出るほどに嬉しかった。
……後半の独り言(?)のような囁きは小さすぎてよく聞き取れなかったが、きっと感動的な事を言っていたに違いない。これ以上勇麻の心を揺さぶるような言葉を言われていたら涙腺が決壊しそうなので、聞えなかったのは丁度良かったかもしれない。
シャルトルの言葉に続くように、今度はスカーレが己の拳と拳を男前にぶつけ合わせながら、
「ま、そういう事だ。いつか言ったろ? アタシらはこれでも正義を語る側の人間だって。だからテメェ一人でどうにもならない時はこのスカーレ様を頼んな。アンタじゃ無理な事でもアタシら四姉妹がパパッと解決してやるさ」
「……な、」
「セピアちゃん。スカーレちゃんが折角ノリノリなんですから、そんな事言っちゃダメでしょう~? 確かに、“彼”に置いて置いてけぼりを喰らって落ち込んでた数分前が嘘みたいなテンションですけど、折角の登場シーンでカッコつけたいから一生懸命空元気を出してるのに、それに触れたらあまりにも可哀想じゃない~」
「今全てを暴いて公開処刑にしたセルリア姉が一番アタシを傷つけてるんですけどぉッ!!?」
息ピッタリの懐かしいやり取りに勇麻は泣き笑いしそうになりながら、
「……お前ら、ほんっとうに変わらねえなぁ……!」
そして、車に乗っていたのは何も四姉妹だけではない。
よっぽどぎゅうぎゅうに押し込まれていたのか、さらに二人の人影がスポーツカーの中から顔を出した。
激闘を潜り抜け辿りここまで着いた二人は、どちらも身体中ボロボロだった。
衣服は返り血と自分の血に塗れ、満身創痍の身体を引き摺るように彼女達は勇麻の元へと歩いてくる。
片方は、モデルのような体型と、長く美しい金髪。まるで能面のように美しくも無感情な顔立ちの女性。
もう片方は、黄色のショートヘアーに褐色の肌。瞳を覆い隠すように頭に巻かれた白の包帯も、血に赤く汚れている。いつも天真爛漫に笑う、盲目の幼い少女。
「スピカ、レインハート……」
レインハート=カルヴァート。
そしてスピカ。
勇麻の前に並んだ二人は、何かを堪えるようにぎゅっと唇を噛み締めていた。
それでも堪え切れないものがあったのか、幼いスピカは両肩を細かく震わせ、時折鼻をすすっている。
やがてレインハートが、勇麻をじっと見据えたままゆっくりとその口を開いた。
「……お互い、言いたい事は色々とあるでしょうが……感動の再会は一先ず後回しです。東条勇麻、アナタと私達で、仲間を絶対に救います。私はアナタに賭けたのです。だから、私の期待、もう裏切らないでくさだいね」
「ああ……」
「……勇麻おにーちゃん、……全部終わったら、スピカの頭いっぱい撫でてくれなきゃ、やだからね……」
「ああ……ッ!」
暖かい物が、勇麻の中に流れ込んでくる。
絶望に屈した人間なんてここには誰もいない。
皆が皆、自分達の勝利を。ハッピーエンドを信じている。
そしてそれを自分達の手で絶対に実現させようという、強い意志を感じた。
……皆で一緒に、誰一人欠けることなく生きて帰るんだ。
勇麻の中で確かな決意となった想いは、皆へと伝播し広がっていく。
東条勇麻は一人じゃない。
そんな当たり前の事実に、死の恐怖に竦み上りそうになる心が激励される。
「……あの、すみません東条勇麻。それで、こちらの方々は一体……?」
勇麻達が勝手に盛り上がる中、申し訳なさげに声を上げたのは置いてけぼりを食らっていたクリアスティーナだ。
彼女は突然乱入してきたダニエラ達の存在に困惑して、どう対応していいのか分からず困ったように眉根を寄せながら弱々しく勇麻に問いかける。
「あー、それもそうだよな。ディアベラスとクリアスティーナには何の事だか分からねえか」
勇麻へと視線を送るクリアスティーナを見て、ダニエラの表情がほんの一瞬僅かに険しくなるが、誰もそれに気が付かない。
勇麻は熱くなった目頭を擦りながら順々に、
「俺を助けに来てくれた仲間達だ。シャルトルにスカーレ、セルリアにセピア。ダニエラ=フィーゲル。それから知ってると思うけどレインハートにスピカ。……そして今は、アンタの力になってくれる仲間でもある」
「……私の、力に」
「なるほどなぁ、あの時言ってやがった『俺よりもっと頼りがいのあるヤツらが向かってるから』ってのはこの事って訳かぁ」
勇麻の言葉にクリアスティーナが息を呑み、ディアベラスが納得したように頷く。
全くだ。
これ以上に頼りになるやつらはそうはいない。
勇麻は自分の事でもないのに誇るように胸を張る。
ダニエラはそんな光景を見て満足げに笑い、手の中の“不思議な輝きを放つ石”を勇麻に掲げて見せながら、
「ま、こういう訳さね。幸いこっちには拾った“秘密兵器”もある。こっちの事はアタシらが何とかする。だから騎士様は、さっさとお姫様を攫いに行っちまいな」
しっしと、厄介者を追い払うように手をやるダニエラに勇麻は苦笑を浮かべた。
本当に、最高の気分だ。
誰もが幸福を願い、最高の勝利を目指して、互いの手を取り合って一つの絶望に抗おうとしている。
負けるつもりなど最初から毛頭ないが、最初の絶望感が嘘のように東条勇麻の胸は希望で包まれていた。
クリアスティーナは、ダニエラの掲げた“不思議な輝きを放つ石”を見て驚いたように息を呑んでいたが、逆に何かに納得したように頷いて、改めて勇麻を真っ直ぐに見据えた。
「分かりました。未知の楽園の人達は私達に任せてください。……東条勇麻、アリシアさんの近くに『ウロボロスの尾』と私の接続を切断した何者かがいるハズです。目的も正体も分からない相手です、気を付けてください。それに……何か、嫌な胸騒ぎがするのです……」
「ああ、分かった。未知の楽園の崩壊を企むようなヤツだ。どっちみち、味方じゃねえだろうからな。……ありがとう、皆。アリシアは俺が必ず連れてくる。だから皆、頼んだぞ……!」
東条勇麻は走り出す。
目指すは崩れ瓦礫の山と化した白亜の巨城、その破壊の中央に忘れ去られたようにぽつんと佇む聖女の尖塔。
そこできっと、アリシアが待っている。




