第四十二話 夜明け前Ⅰ――勇気を出してその一歩を君に
……もうすぐ夜が明ける。
ディアベラスは瓦礫に凭れかかりながら、その戦いの結末を眺めていた。
決して破る事が出来ないと思っていたクリアスティーナの『次元障壁』を少年の拳が破ったあの時、何かが変わるのだと思った。
自分では変えようがなかったとある少女の運命を。
救ってやることができなかったあの優しい女の子の心を、あの少年なら救えるのではないかと。
身勝手な期待を抱き、他力本願に願ったその祈りは、確かに届いた。
けれど。
……けれど自分は、もっと根本的な所で間違っていたらしい。
『……ディアベラスなんて問題外だ。これ以上苦しむ彼女を見たくない? だったらアンタが手を差し伸べろよ! 苦しむ妹の隣で一緒に苦しんでやるのが兄貴の務めじゃねえのか!? 何勝手に終わった気になって絶望してあきらめてんだ馬鹿。殺す事が救いだなんてそんなの認めねえ。それはアンタの自己満足だろうが!』
結局、ディアベラスも逃亡者の集い旗の馬鹿どもと同じだったのだ。
クリアスティーナの事を思っているようで、己の事しか考えていない。
クリアスティーナの為と言い聞かせてきた行動の全てが、己の慰めに過ぎない。
とんだ自己満足野郎だ。
クリアスティーナの背負っていた物の重さを知っていたはずなのに、一緒にそれを背負おうだなんて、ディアベラスは考えもしなかった。
ただ苦しむクリアスティーナを一刻も早く楽にしてやりたいと、もうこれ以上彼女が全てを背負い一人で頑張ってしまう事がないようにと、少女の安らかな終わりだけを求め続けた。
結局、ディアベラスは全てを少女に押し付けて、その少女諸共本来自分が背負うべき過去や罪を抹消しようとしていただけなのかもしれない。
浅ましすぎて涙が出てくる。いっそ死んでしまいたいくらいだ。
ぼんやりと、サングラス越しに見上げる未知の楽園の夜明け前の空は闇が溶けたように暗い。……こんなものを掛けていたんじゃ、見えるモノも見えはしねぇ。大切なモノほど曇っちまう。
自嘲するように呟いて、ふと向こうから東条勇麻が歩いてくるのが見えた。
大切な人を救いたいなどと宣いながら、殺す事しか思いつかなかった大馬鹿野郎へ引導を渡しに来たのかもしれない。
そんな事を考えて、
「ん、立てるか?」
ディアベラスは、差し伸べられた手を呆けたように見つめた。
東条勇麻は思考停止したディアベラスの再起動を待つつもりは無いらしい。ディアベラスの腕を掴み、強引に肩を貸して立ち上がらせると、そのままその身体を引きずるように歩き出した。
東条勇麻は何も言わない。
真っ直ぐ前を、地べたに座り込んで両手に顔を埋め涙を流し続ける少女を見て歩き続ける。
そんな勇麻の横顔にディアベラスはどうしても尋ねたい事があって、身体が痛むのも無視して口を開いた。
「なぁ。俺ぁ、やっぱり間違ってたのか」
否定して欲しかったのか、肯定して欲しかったのか、それすらも分からない。
だがそれでも、この少年はディアベラスの望む答えを持っている気がして、
「知らねえよ、そんなの」
東条勇麻はどこか不機嫌気な顔でたった一言そう断じた。
それから、少しだけその表情を柔らかい物へと変えて、
「俺は、殺す事が救いになるなんて認めない、ただそれだけだ。何が間違ってるとか、正解とか、きっと誰にも分からないんじゃないのか? そんなもの、誰か一人の考え方で決めていいものじゃないだろ。考え方の数だけ間違いも正解もある、それでいいんだよきっと。……でもさ、アンタがあの子を助けたいって思った事。それだけはきっと間違いじゃなかったんじゃないか?」
ディアベラス=ウルタードは許せなかった。
クリアスティーナが孤独に苛まれている事が。
クリアスティーナ独りに責任を押し付け、笑っている世界が。
クリアスティーナが苦しみ独り泣き続けている事が。
助けたかった。
どうにかして、彼女を地獄のような苦痛の連鎖から解き放ってやりたかった。
だって、愛していたから。
もしかすると、ディアベラスの方法ではクリアスティーナは救えなかったのかもしれない。
ディアベラスの求めた救いは醜く歪んでいて、間違いだらけの欠陥品だったから。
東条勇麻は否定も肯定もしなかったが、きっとディアベラスは最初から間違っていたのだろう。
けれど、その全てが間違いだとはディアベラスも思わない。
それでも確かに、助けたいとそう願ったのだ。
『救国の聖女』でも『白衣の悪魔の遺産』でもない、明るく朗らかに笑う、優しくて誠実で真っ直ぐな、クリアスティーナ=ベイ=ローラレイという名前の女の子を救いたいと心に強く願った。
ならその思いは、決して無駄ではないハズだ。
だって、その思いさえあれば。
「クリアスティーナ……」
今己の目の前で涙を流す女の子へ、ディアベラス=ウルタードはきっとその一歩を踏み出せるのだから。
「……ディア、くん……?」
戸惑い、怯え、緊張に震える涙声がディアベラスに届いた。拒絶される事を恐れ、ならばいっそと自ら大切な人達を拒絶し逃げ続けた少女の声。
それはきっと、今までディアベラスが聞こうとしてこなかった物だ。
ディアベラスはそっと、少女と視線を合わせるように跪き、
「ごめんなぁ、アスティ……。俺ぁ、俺達がもっと、お前にちゃんと言ってやるべきだったんだよなぁ……」
視界が歪む。
サングラス越しの世界は、どうにも視野が悪い。
レンズが壊れでもしたのか、クリアスティーナの顔が滲んで歪んで見える。
……本当に、大事な時に大事なものが曇って碌に見えやしねぇ。
「例えお前がどんな風に変わろうとも、救国の聖女なんてモンになろうとも、変わらねぇ。俺は、俺達は……」
そして、その震える肩をそっと、壊れてしまわないように抱きしめた。
「愛してる。お前の事を、ずっと。いつまでも……」
「……ぐっ、ひっく。……う、ぅうう……うああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ……っっ」
「俺達を助けてくれて、ありがとう……ッ!」
簡単な話だったのだ。
たった一歩、彼女の隣へと寄り添い、その想いを届けるだけで良かった。
ただそれだけで、こんなにも救われる少女が居たのだ。
『救国の聖女』でも『白衣の悪魔の遺産』でもないただの少女の温かな慟哭が、夜明け前の未知の楽園に響き渡った。
☆ ☆ ☆ ☆
……少年の温もりに、氷のように凍てついた心の殻が溶けていく。
クリアスティーナの人生は全てが虚構だったから。偽りの幸福に騙され続けていた少女は、確かにあったはずの感情さえも信じる事ができなかった。
だから、全てを遠ざけ逃げ出した。
独り殻に閉じこもり、目を瞑って孤独に凍えていた。
大切だと思っていた人を信じる事ができなくて、大切なモノが変わってしまう事が怖くて、記憶と言う決して変わる事の無い宝物を抱いたまま眠り続けた。
それだけが、唯一傷つかないで済む方法だと信じて。
でも、違った。
あの幸福は偽物だったけれど。クリアスティーナ=ベイ=ローラレイの刻んだ時間は決して幻ではない。
結んだ絆は、互の胸に刻んだモノは確かにここにあって。
だから怯えている必要なんて何もなかった。
クリアスティーナは、当たり前に助けを求めても良かったのだ。
大切だった人達を冷たく拒絶した。
不変を望むあまり……人を殺した。
傷つきたくなかったから。嫌われるのが怖かったから。全部が全部、自分可愛さからの行動。
……取り返しのつかない罪だ。クリアスティーナは、一生をかけて己の本当の罪と向き合わなければならないだろう。
助けを求めたからには、自分だけが逃げ続ける訳にはもういかない。
だから認める。
変わったものと、変わらないものを。
自分の行いとその結果を。罪も、功績も、救った物も、失った物も、大切な過去と比べて変わってしまった世界から目を背けるのではなく、変えた未来を歩いていく為に前を見るのだ。
それがきっとクリアスティーナ=ベイ=ローラレイのやるべき事だから。
変わってしまった物は確かにあって、取り返しのつかない事だってきっとあるのだろう。何かを変えるという事は、それだけで失敗や悲劇の可能性を孕む物だ。今よりいい明日が来るとも限らないし、その逆だって分からない。向き合うと決めたからには悲劇も幸福も総じて自分が一歩踏み出した結果だと認めなければならない。
それでも少女は救われた。
独り孤独に泣く夜も、想い出だけを抱いて涙を溜める朝も、もう来ない。
だって彼女の隣には、大好きな家族がいてくれる。
一緒に泣いて一緒に笑い合う、大きな荷物を分け合って背負える事ができる大切な家族が。
☆ ☆ ☆ ☆
しばらくしてクリアスティーナが泣きやむと、ディアベラスはゆっくりとその抱擁を解いて立ち上がった。
勇麻としてもこのまま二人が抱き合ってめでたしめでたしハッピーエンド、という訳にはいかないので正直言えば有難い。
なにせ勇麻の目的は、聖女によって捕らわれたアリシアの救出にあるのだ。
色々と寄り道した感は否めないが、それでもここだけは譲れない。皆で一緒に天界の箱庭に戻るのが、東条勇麻の掲げる唯一の勝利なのだから。
拳を握るに足る理由なのだから。
どうもそんな勇麻に気を遣ったらしいディアベラスが、優しく手を差し伸べて立ち上がらせた少女へと話しかける、
「アスティ」
「ええ、分っています。……アリシアさん、ですよね」
言いながらどこか申し訳なさそうに顔を伏せるクリアスティーナ。彼女を連れ去り、事実上監禁していた罪悪感があるのだろう。
クリアスティーナのしてきた事はお世辞にも褒められる事ばかりではないし、勇麻としてもそう簡単に割り切れる事でもない。
なにせ理由も分からないままに一度は殺されかけ、二度目は心臓を握りつぶされている。
アリシアを閉じ込めている事だってそうだ。
そう簡単に全てを水に流せるとは思わない。
でも、それでも人は手を取り合う事ができる生き物だ。
胸に抱く感情は決して一つではない、クリアスティーナを許せないと訴える心があれば、彼女を救いたいと願う心があるように。
だから東条勇麻は、きっと――
轟ッッッ!!! と、激しい縦揺れが未知の楽園を襲ったのは、その時だった。
「うわっ!?」
「なんだぁ!? 地震かぁッ!?」
ディアベラスが叫ぶ。だが、地震とは何かが違うような気がしてならない。その轟音にはまるで、世界の終わりを告げる鐘のような、致命的な響きがある気がして――
「――クリアスティーナッ!!?」
クリアスティーナが倒れ苦しげに呻いている事に、勇麻とディアベラスは遅れて気が付いた。
美しかった白い顔は変色し、白を通り越して青白くなっている。呼吸は過呼吸のように速く不規則、異常な発汗、呼びかけても返事が無い、意識が曖昧になっているのだ。
明らかな異常。それも、この縦揺れと同期するようにほぼ同時に発生している。偶然にしては出来過ぎだ、何らかの関連性があるとしか思えない。
「おい、クリアスティーナ! どうしたんだ、一体何が起きてる!!?」
頭を揺らさないようにしつつ、必死でクリアスティーナに呼びかける。
「っうう、ぐ、ぁ……ぁあッ!!?」
だが反応は芳しくない。
まるで悪夢にうなされる子供のように、苦しげな咆哮をあげるだけ――
「――ッ!?」
突如、スイッチを切り替えたかのようにクリアスティーナの意識が回復した。ほぼ同じタイミングで街を襲う縦揺れもゆっくりと収まっていく。
一秒前までの苦しげな唸り声が嘘のようにパッチリと目を見開き、少女は勢いよく起き上がっていた。
何が起きたのか、あまりに目まぐるしく変わる状況にディアベラスと勇麻は付いていけず、唖然とクリアスティーナを見ている。
だが、そんな二人を置き去りにしたままクリアスティーナは血の気の引いたような顔でどこか遠くを見ながら茫然と呟いた。
「……『ウロボロスの尾』との接続を、外部から何者かに切断されました」
震える声で告げられたその単語の意味が勇麻には分からない。
だが、何か良くない事が起きている。しかも先のクリアスティーナの異常と、もしかすると巨大な縦揺れとも関連する何かが。
言葉のニュアンスから、不穏な雰囲気を感じ取る。
そんな勇麻の予感を裏付けるかのように、隣のディアベラスがハッと息を飲むのが分かった。
「嘘、だろ。『ウロボロスの尾』との接続を断たれただとぉ!? じゃあさっきの縦揺れはぁ……」
「……ええ、私一人の干渉力では『多重次元空間』 を維持し続けるする事は出来ません。『ウロボロスの尾』の補助があって初めて、私はこの未知の楽園という街の形を三六五日欠かすこと無く維持する事ができる。それが失われたという事は――未知の楽園の崩壊を意味します」
少女の口から告げられた衝撃的な言葉に、勇麻は言葉を失った。
未知の楽園が崩壊する? それは一体、どういう意味での崩壊だ?
だが一つだけ確かなのは、このまま事態を静観しているような余裕はないという事だけだ。勇麻は半ばパニックに陥りながら、
「なんだよ、それ。……よく、分からねえけどとにかくヤバいじゃねえか! 早く、何とかしねえと……ッ!」
「ええ、……ええ! その通りです。なのですが、……つい先ほど、『ウロボロスの尾』からの力の供給が再開されて……!」
勇麻を遮るようにクリアスティーナが声を荒げる。言葉の内容は喜ばしい物であるハズなのに、まるで毒を飲むように悲痛な叫びに勇麻は圧倒されていた。
クリアスティーナは、「今から私が言う事を、どうか落ち着いて聞いてください」と深刻な顔で前置きを入れ、そのまま勇麻の瞳を真っ直ぐに見据えると、
「……今私は、正規外の別ルートによって『ウロボロスの尾』と例外的に繋がっている状態です。現状、干渉力の供給は正しく行われ、『多重次元空間』の維持にも問題はありません」
「な、なんだ。よく分からないけど、とりあえずは大丈夫って事か……。な、なら、何とかなってる内に根本的な解決策を考えなきゃ――」
ほっと安堵の息を吐く勇麻の耳に、その名前が飛び込んできたのは次の瞬間だった。
「今現在、疑似的に『ウロボロスの尾』と私を繋ぐケーブル役をアリシアさんが担っています。おそらく、『神門審判』の力で、強引にルートを繋げ接続したのでしょう」
「アリシアが!? え、でも。なんで、アリシアは閉じ込められてるんじゃ……」
頭が混乱しているのかどこか場違いな疑問を抱く勇麻に、聖女は律儀に頷いて、
「え、ええ。逃げてしまわないよう次元の狭間に閉じ込めていたのですが……おそらく、私と『ウロボロスの尾』の接続が断たれた際に、『支配する者』による空間の縛りが消失して、その隙をついて脱出したのでしょう」
「そう、か。あいつ、一人でちゃんと逃げられたんだ……いや、今重要なのはそこじゃないか。……要するに、アリシアが機転を効かせたから未知の楽園も現状何とかなってるって事だよな? はははっ、なんだよあいつ、普段ぽけーっとしてる癖にやるじゃねえかよ。流石はアリシア――」
――東条勇麻はこの時気が付くべきだった。
否、この不吉なタイミングで彼女の口からアリシアという名前が出てきた時点でそれを察するべきだった。
逃げるように現実から目を逸らしたところで、事態は何も好転しないという事を分かっているハズなのに。
東条勇麻は、本当にどこまでも弱かったから。
「……東条勇麻。アリシアさんは私専用にチューニングされた『ウロボロスの尾』に『神門審判』を用いて無理やり接続する事で、私と『ウロボロスの尾』を繋ぐ回路やアダプタのような役目を担っています。クリアスティーナ=ベイ=ローラレイに適合した干渉力を生み出しそれを永久に供給し続ける永久機関。それが『神器』たる『ウロボロスの尾』の力。今のアリシアさんはその『神器』の一部に自身を無理やり組み込んでいるような状態です。しかもアリシアさんは『天智の書』も使用している。ただでさえ身体には大きな負担が掛かる『神器』を二つ同時に併用し、しかも片方は私専用に調整された物。この言葉の意味が分かりますか……!?」
『神門審判』。『天智の書」。『ウロボロスの尾』。『神器』。『チューニング』。
様々な単語が脳裏を一気に駆け巡る、けれど頭の中でそれらが意味を成してくれない。
不吉な言葉の連続に、勇麻は理解を放棄したくなる衝動に駆られる。
意味は分からない。けれどもどうしようもない確信を伴った予感がある。
予感は告げている。きっとなにか良くない事が起こると。勇麻はそれを否定したくてたまらないのに、否定する事に意味などないと、心臓の鼓動が勇麻を嘲笑うかのように煩く脈打つ。
冷や汗が止まらない。
「……は? ちょっと待ってくれよ。何を言いたいのか、よく分からないんだけど……」
それでも、無駄だと分かっているのに、何かを期待するように勇麻は口元が痙攣したような歪な半笑いを浮かべて、
「……このまま『ウロボロスの尾』に接続し続ける事は彼女にとって非常に危険です。……早く彼女の接続を切らないと、アリシアさんの身体が負荷に耐えきれずに焼き切れてしまう……ッ!」
クリアスティーナ=ベイ=ローラレイの突きつけた言葉で東条勇麻はようやく現実を直視した。
……夜明けを待つ未知の楽園の空に未だ日は昇らず、まるで希望を前に尻込みしているかのように薄ら暗い。
明けない夜はないが、朝の来ない終わりはある。
――さあ、もう間もなく待ち焦がれた朝が来る。
だがただ怠惰に待つ者にそれは訪れず、足掻きながら必死に掴み取ろうとする者だけに、希望はその姿を見せるだろう。




