第二十五話 決戦前夜Ⅱ――戦闘開幕を告げる朱色の閃光
それに最初に気が付いたのはディアベラスだった。
『――おい、おめえら起きろぉ』
相変わらず耳元で響く声に、ようやくうとうとし始めていた勇麻の意識が表に揺り戻される。
「なんだよ、まだ予定の時間じゃないだろ……」
「どうしました、ディアベラス」
文句を言いながら目蓋を擦る勇麻とは対照的に、スイッチを切り替えるように冴えわたった声を響かせたのはレインハートだ。その手は既に腰に佩いた刀の柄に掛かっており彼女が臨戦態勢に入っている事を示している。
この辺りの切り替えの早さは素人である勇麻には中々真似できない技術である。
『ハッ、どうしたもこうしたもねぇよ。白昼堂々の敵襲だぁ。“構えろ、来るぞ”』
「は?」
そんな忠告とも言えないような短い言葉の直後だった。
唖然とする勇麻を置き去りに、状況は進む。
まず勇麻が最初に捉えたのは、何か巨大な質量が風を切って進んでいるような轟音だった。
「え」
――巨大な大岩が、勇麻達の居た家屋ごと押し潰すように飛来していた。
その死の鉄槌を――ご丁寧に玄関から飛び出したレインハートの鞘走りの一閃が、一刀両断にカチ割りにする。
勢いよく真っ二つに割れて別れた巨岩は、丁度拠点の家屋を避けるように左右に流れて落ち、盛大な地響きを響かせた。
『舐め腐った糞野郎共ぉ、死んで侘びろやぁ』
どこからとも判別の付かない声が辺りに響き、直後、数百メートル先で大爆発が発生。
生じた爆風と爆炎が、一帯を総舐めにする。
「……すげぇ……」
ようやく臨戦態勢を整えた勇麻が家の外に飛び出した時には、既に巨大な火柱と黒煙とが天高くあがっていた。
どこからともなく漏れた感嘆の声も連続する爆音にかき消されて消えていく。
ディアベラス=ウルタードの『悪魔の一撃』がまだ見ぬ襲撃者を一瞬で蒸発させたのだ。
……いいや。させるハズだった、とでも言い直すべきか。
『あぁ? これはどういう事だぁ。外れた? いや……、“外された”?』
怪訝そうな声をあげるディアベラス。その不吉な言葉を裏付けるかのように、先端の尖った大木が投げ槍のように立て続けに勇麻達目掛けて飛来したからだ。
「……!」
慌てて身構える勇麻とレインハート。しかし投擲された大木の槍は都合十六本。一度に対応するには勇麻とレインハートではあまりにも手数が足りない。
しかし、そもそも勇麻もレインハートも動く必要すらなかった。
『はぁ、』
溜め息。
まるで立ち上がるのを面倒くさがるような億劫さと共に、十六本の槍が赤紫の閃光に包まれたかと思うと、塵も残さず蒸発した。
一瞬の出来事過ぎて何が起きたのか理解の追いつかない勇麻を置き去りに、ディアベラスはソレに意識を向けて、
『なあ、おい。テメェらだって分かってんだろうがぁ。俺は腐っても神の子供達だぁ。こんな小細工に意味なんざねぇってなぁ。そうだろ? 貞波嫌忌』
投擲された大木の一つにぶら下がって此処まで侵入した男に気が付いていたディアベラスが、名指しで吐き捨てるようにそう言った。
「あ、バレてた?」
すぐ近くの茂みから声があがる。
そこに居たのは、癖のある紫色の髪の毛を持つ、陰険な瞳の少年だった。歳の頃はおさらく二〇前後。
中肉中背の身体付きに、並外れた何かを感じることは特にない、あくまでどこまでも自然体を維持した少年。
だが、だとすればますます信じられない。
この何の特別性も感じられないような少年が、先の高速で投擲された大木にぶら下がっていて、ディアベラスに消し飛ばされる直前に手を離して茂みに飛び込んだという一連の事実が。
あまりの速度とスケールで行われる高度なやり取りに付いていけない。
起きた現象を後追いで理解する事はできても、進行形で起きるそれに対処する事ができない。
そんな勇麻の戦慄など余所に、貞波は、眉毛の位置まで伸びているカールがかった前髪を指先で捩じるように弄びながら、
「やっほー久しぶり。遊びに来たぜー、人気者のディアベラスくん。ところで前々から聞きたかったんだけどさ、兄妹全員から追われるのってどんな気分な訳? この嫌われ者の嫌忌くんにも教えてくれよ、お兄様」
『この襲撃、テメェだけじゃねぇな。この距離まで接近に気付かなかったって事はぁ、ナギリの野郎が出張ってんのかぁ?』
「御名答。それがネクラ君……じゃなかった、ナギリ君の唯一の得意技なもんで。暗黒隠蔽。このネーミングセンスは真似できたもんじゃないけどさ、幻影と幻惑、暗闇を操るめくらましのエキスパートだからね彼は。俺らもその恩恵に与っていたって訳。でもさー、これってまるで覗きとか誘拐の為にあるような神の力だと思わね? まあネクラ君にはぴったりだけどさー。ほら、あいつってそういう犯罪起こしそうな兆候あったでしょ? 友達いなかったし。俺親族代表としてインタビューに答える練習してるんだけど、聞いてく?」
『ベラベラベラベラと、相変わらずお喋りな野郎だぁ。けどよぉ、俺がテメェの性格を分かってねぇとでも思ったかぁ? ――時間稼ぎしようったってそうはさせねぇ。敵の狙いは孤立してる九ノ瀬和葉だ! ここは俺が抑える、テメェらは今すぐ嬢ちゃんの援護に――』
勇麻がその言葉の意味を正確に捉える前に、声だけのディアベラスを妨害するように轟音が轟いた。
否、轟音だけではない。
地面を吹き飛ばし砂を巻き上げ、衝撃波で辺りを席巻するそれは、毎分六〇〇〇発もの弾丸を吐き出す銃弾の嵐だった。
身体の頑丈な神の能力者とはいえ、まともに浴びれば致命傷は免れない。
そして音速で飛来する銃弾の雨に生身の勇麻とレインハートが挽き肉のようにボロボロに崩れ落ちる寸前――ディアベラスの放った赤紫の一閃の前にその大方が空中で超熱量に溶け消える。
『チィ!』
「くっ、なんだってんだよ!?」
爆発の余波に身体を叩かれ、悪態を吐きながら大きく飛びずさる勇麻とレインハート。両者の眼前にのそりと現れたのは、いかついスキンヘッドの大男。しかし、白煙を吹くその右腕は異常な形状をしていた。
六本の筒状の銃砲身を円形に並べ高速回転させて弾丸を打ち出す兵器――二メートルはあるその右腕はガトリング砲そのものだった。
さらに、
「……裂姫ちゃん、お願い」
飛びのいた勇麻の背後。ゆらりと影を霞ませて襲い掛かる小さな人影があった。
死角からの一撃に反応できたのは、自分でも予想外だった。
どてっ腹目掛けて振るわれる異様な圧を放つ幼い少女の指先を、振り返りながら身体を後ろに引くようにして避け、反射的に繰り出した勇麻の回し蹴りがカウンター気味にその顔面に深々と突き刺さる。
直撃だった。
だが、なにか手ごたえがおかしい。
「……この子、もう死んでる……!」
その姿を見てゾッとした。
身体の芯が溶けたようにふらふらと不安定に揺れる襲撃者は、可愛らしいショートカットの幼い少女だった。
おそらく年齢は一〇よりも下。
だがその蒼白を通り越した気味の悪い土気色の顔は、誰がどう見ても生者のものではない。
白濁した空虚な瞳は何も映す事はなく、ただ茫洋と何かの強制力に従って立ち尽くしているその姿は、成仏できずに迷える死人のそれだ。
防腐処理でも施してあるのか、腐敗は見られず悪臭もしない。明らかに死亡してから長い時間が経過しているのにも関わらず、だ。
「……こっから先は通させないし。それがリリと裂姫ちゃんのお仕事だし」
幼女の後を追うように茂みから現れたのは、桃色の髪をツインテールにした少女だった。
歳は勇麻と同じくらいか。髪の毛と同じく、ピンク色の衣装に身を包んでいる。にもかかわらず派手さや愛らしさというよりも病的な陰鬱さを感じさせるのは、その指の先端から伸びる糸の先に死人の幼女を従えているからか。
ツインテールの少女は、どこか陰のある小顔を怒りに歪めながら、
「それよりもお前。今、裂姫ちゃんの顔を蹴ったな? 許せないし。友達を傷つけるヤツ……絶対に、許せないしッ!!」
その主張の意味を正しく理解するまで、三秒以上の時間が掛かった。
そしてそれは、理解したからと言って納得できるような代物でもなかった。
ふるふると、絞り出す声に自然と怒りと言う名の感情が乗るのが分かる。
誰が何と言おうとこいつはダメだ。生を謳歌する生き物として、決定的に間違ってしまっている。
「……友達を傷つける、だと? テメェ……ッ、人の命を弄んでおいて、何を言ってやがる……ッ!」
「? お前が何を言っているのかリリ分からないし」
あまりの衝撃に勇麻が激昂する裏で、レインハートの右手が油断なく空を走った。
誰もいない空間を鋭く走った刃の煌めきは飛ぶ斬撃となり、勇麻へと奇襲を掛けようとしていた金髪ポニーテールの女、レギン=アンジェリカの首へ直撃し――そのまますり抜けた。
「くそ、またお前か! 邪魔ばかりしてくれる……!」
斬撃の発生源を睨み憎々しげに吐き捨てたレギンは着地と同時、貞波の元まで飛びずさる。
「……すまん、助かった」
「当然です、仲間ですから」
対する勇麻とレインハートも互いを庇うように背中を合わせ死角を消す。
「はーレギンってばまた失敗? つうかアレってこの前も独断専行した挙げ句に取り逃がした『招待客』だろ? ……ったく、普段あれだけ態度といい胸といい馬鹿みたいにデカいんだからさ、ちゃんと仕留めてくれよなー。ほんと、真面目なのに大事なところでやらかすヘッポコ委員長キャラなんて別に誰も求めてないんだけどなー」
「誰がヘッポコ委員長だ! 誰が!」
「レギン、くだらないミス、多い。やはり生きてるから、ダメだ。機械が一番」
「アームズ貴様ッッ! それでは遠まわしに死ねと言っているのと同じじゃないか!! 私はそんなに絶望的かーっ!?」
――そうして都合五つの影が、勇麻達を囲むようにして立ち塞がっていた。
『……貞波嫌忌、ライアンス=アームズ、リリレット=パペッターに割宮裂姫、レギン=アンジェリカ。おいおいおいおい、逃亡者の集い旗の方々が揃いも揃って御登場とはよぉ、一体何のつもりだぁ、これは?』
沸沸とした怒りを内包させたディアベラスの問いに答えたのは、ニヤニヤ笑いをその顔にこびり付けた貞波嫌忌だった。
「決まっているじゃんか。ディアくんが言ったんだぜ? ……時間稼ぎだよバァーカっっ!」
人を嘲笑い、心の底から見下したような歪んだ表情で唾を飛ばす貞波は、姿形の見えないディアベラスに変わる獲物を見つけようと視線を巡らせ、勇麻を捉えるとニヤリと歪な笑みを深めた。
「そーいう訳でー、東条勇麻君。アンタの相棒が大人しく捕まるまでこっから先は通せないんだよねー、ごめんね?」
「……逃亡者の集い旗、どうしてアンタらが和葉を狙う。アンタらの狙いは、俺じゃねえのかよ」
聖女が狙うのは『招待客』と呼ばれる他所の未知の楽園から飛ばされてきた人間達だ。例えば勇麻やスピカやレインハートがこれに該当するが、勇麻に無理やり付いてきた和葉は『招待客』には含まれていない。
そして聖女の望みを叶えるという目的を持つ逃亡者の集い旗もまた、『招待客』である勇麻を狙っているハズだ。
なぜその矛先が和葉へと向かうのか、その勇麻の問いかけに、満々の悪意が弾けた。
「ほーんと、何も分かってないのな。東条勇麻、それもこれもアンタがきちんと『聖女様』に殺されないのが悪いんだぜ? アンタがきちんと死んでくれていれば俺達だってこんな回りくどい事をせずに済んだんだ。分かるかなぁ元凶、アンタの相棒が狙われてるのはアンタのせいだって事がさあ!!」
悪意を伴った言葉は勇麻の心をズタズタに切り刻み、絶望の底へと叩き落とそうとする。
「まあ、逆に言えば。今からアンタが大人しく死んでくれるって言うのなら、あの子を拐う必要もなくなるんだけど……どうする?」
言葉とは武力でありれっきとした武器だ。それを目の前の少年は、分かっていて意識的に使っている。
紛れもないその攻撃を、けれど勇麻はあえて無視した。
「……ディアベラス、和葉の元にはアンタが行ってやってくれないか」
『なっ!? 無茶だ! お前ら二人じゃコイツらの攻撃を凌ぎきれねぇだろうがぁ!』
「どのみち、俺とレインハートじゃ包囲網を突破するのに時間が掛かっちまう。けど、実体のない今のアンタなら包囲網を無視してすぐに和葉の元に駆け付けられる。だから頼むよディアベラス。これは、アンタにしか頼めない事なんだ……! 俺が追い付くまで、和葉を守ってやってくれ……!」
ディアベラスはしばらく何かを考えるように黙っていた。
けれど、揺るがない少年の瞳に何かを感じたのか、諦めたようにため息を吐いて、
『……は、言ってくれるじゃねえか、東条勇麻ぁ! よし分かったぁ。そこまで言われたら動かねぇ訳にはいかねぇ、九ノ瀬和葉の元へは俺が行く。だからテメェら必ず追いついて来い! いいな!!』
「……おう、当たり前だ」
「この調子ですので、東条勇麻のサポートは私が。ディアベラスは九ノ瀬さんと、それから“あの子”を頼みます。多分、真っ先に和葉さんの元へ助けに向かっているハズです」
『……そういや姿が見えねぇと思ったが……ったくよぉ、どいつもコイツも可愛げがねぇくらいに落ち着きやがって。ちっとは俺にも活躍させろってんだぁ馬鹿野郎どもぉ……っ!』
ディアベラスは、そんな愚痴だか独り言だか判別のつかない言葉を残して勇麻達の元から去った。
特別な別れの言葉など必要ない。だって、十数分後にはまた全員揃って『聖女』の暮らす『操世会』跡地に襲撃を掛けに行くのだから。
気持ちを新たに前を見据える勇麻。そんな勇気の拳の少年に、貞波嫌忌は苛々とこめかみをひくつかせていた。
「……なあ。人の話、聞いてた?」
にこやかな笑顔とは裏腹の、低く威嚇するような声色に、けれど勇麻は何一つとして臆さない。
右の拳を、ぎゅっと固く握りしめて、
「なあ、逃亡者の集い旗。これはさ、俺のわがままで始めた戦いなんだよ。そして和葉は、そんな俺のわがままにずっと付いてきてくれた。あいつはお人好しだからさ、危険も承知で自分の目的も二の次にして、俺なんかにずっと付いてきてくれたんだよ」
「……だから、自分のわがままに勝手に付いてきただけの女が危険に巻き込まれるのは自業自得だって? おいおい、話に聞いてたのとは大分違うグズ野郎じゃねーかよ! はははッ、アンタ、今までそうやって女をたぶらかして自分の都合良いように利用してたってのか? いやー羨ましいもんだモテる男ってのはさア」
「違えよ、馬鹿野郎」
ゲラゲラと検討違いの結論で愉しげに笑う貞波には、きっと一生理解できないだろう。
「……あん?」
「もう俺達は、引き下がれない所まで踏み込んでる。俺も和葉も、はなから諦めるなんて選択肢は存在しねえんだよ。その上で誰かを犠牲にするつもりなんざ毛頭ねえ。だったら誰かを頼ってでもやるしかねえだろ。俺の無能のつけを和葉に払わせる訳にはいかねえんだよ」
本当だったら、和葉の元へ駆け付けるべきなのは東条勇麻だ。
右も左も言葉さえも分からない枯れた廃墟の中で出会った少女に、勇麻は幾度となく助けられてきた。
心が折れかけた時も、文字通り死にかけた時も、いつだって和葉が隣で支えてくれた。
拳勝による誘導があったとは言え、今回の件に和葉を巻き込んだのは勇麻だ。
結果として和葉は兄と仲違い、自分の慣れ親しんだ未知の楽園からも飛ばされてしまっている。
そんな和葉に危機が迫っているのだ。本来なら、命を投げ出してでも勇麻が助けに行かなければ釣り合いが取れない。
だけど、
「俺は今ムカついてる。こんなチンケな包囲網一つ突破出来ずに、今すぐ和葉の元に駆けつける事もできない自分自身に。そして、訳のわからねえ理屈で俺達の前に立ち塞がるアンタらに!!」
東条勇麻は弱い。それは自他共に認める周知の事実だ。
これまで掴んできた幾つかの勝利には必ず誰かの力があって、自分一人で何かを成す事ができるなどと思い上がるつもりもない。
だが、それを悔しいと思う事は、決して間違いではない。
「いい加減にうんざりしてるんだよ、端役。悪いけど、アンタら逃亡者の集い旗なんて眼中にない。だから、立ち塞がると言うのなら」
勇気の拳を痛いほどに握り締める。
勇麻の大切な者を脅かすというのなら、大切な者を守る事を邪魔するというのなら、容赦はしない。
昂る感情が力となって勇麻の身体全体に行き渡り、勝利への活力となる。
「ぶん殴って押し通るッ!」
ただ一言。瞳に決意を宿して短く断じた。
拳を前に突き出し、我流の構えを取る勇麻と同じように、背後のレインハートも凛とした音を響かせて鞘から刀を抜き払う。
対して端役と吐き捨てられた逃亡者の集い旗は、
「へーカッコいいじゃん、英雄気取り。でもさ、生憎その席はもう埋まってるんだよ。未知の楽園に英雄はただ一人、『聖女様』が居ればいい。だからアンタらはここで端役に敗北して散ってくれや、華々しくな!」
次の瞬間、高まる緊張感がついに臨界を突破して――血みどろの戦場が再び華開いた。




