第二十三話 混迷する流れⅣ――お茶会
未知の楽園中心区。
“他の未知の楽園”同様、多くの田畑が広がる広大な区画には、二つ程人目を引く施設が鎮座している。
一つは街のほぼ中心。
まるで天地を支えるように果てしなく天空へ伸びる巨大な尖塔。
地上から大量の水を引く役目も持つ未知の楽園のシンボルは、地上とこの地下の実験都市とを繋ぐ巨大エレベーターだ。
そしてもう一つ。
三年前までは『操世会』という名の組織の本拠地が存在したその場所には、巨大な建築物が立っている。
“他の未知の楽園”では東洋の寺院と礼拝堂を融合させたような建物だったり、高層ビルだったり、巨大なドーム状の施設だったりするが、この未知の楽園に聳え立つのは見上げるような威容を誇る白亜の巨城だ。
城はロの字型の構造をしていて、回廊の外側と内側にごちゃごちゃと様々な部屋や建物を取り付けていった結果肥大化したお化けの城のような威容を誇っていた。
そのロの字型の内側……本来なら中庭にあたる庭園の中央に、巨大な尖塔が突き立っている。回廊の三階から伸びる渡り廊下が唯一の繋がりであるかのようなこの例外の塔は、とある少女の住まう秘塔だ。
その尖塔の最上階。さらに奥深い最深部。
普通に進んだのでは絶対に辿り着く事のできない、空間と空間の狭間に隠し扉を設けた秘密の部屋に、二人の少女がティーテーブル越しに向かい合って座っていた。
「お主……これは一体、何のつもりなのだ?」
「何のつもりも何も、見たままですよ。些か時間を過ぎてしまいましたが、未知の楽園では午後の休息の時間です。折角なので、ご一緒にお茶菓子でも食べようかと思ったのですが……お気に召しませんでしたか?」
その部屋……否、空間と呼ぶべきか。
とにかく白一色で満たされた空虚なその場所は、地平線すら視界に捉える事ができない程の広大さを擁している。
世界からぽつんと取り残された空白の余白に、マフィンやらスコーンやらが大量に用意されたティーテーブルが鎮座している光景は、中々にシュールと言わざるを得なかった。
「私が言いたいのはそういう事ではないのだ。一体何が目的で私をこんな場所に閉じ込めているのかと聞いているのだ。クリアスティーナ=ベイ=ローラレイ」
席につく少女は二人。
そのうち一人は、小柄な純白の少女。
腰の辺りまで流れる、星々の光りを受けてプラチナのように光り輝く美しい純白の髪。
小柄で華奢な体型に似合った陶磁器のように滑らかで処女雪のように白いその柔肌は、触れれば壊れてしまいそうな少女の儚さをより強調しているようだ。
幼さの残る童顔で光り輝くのは、サファイアのように煌めく蒼い碧眼。
まるで瞳の青いアルビノのような、幻想的な雰囲気を持つ儚げな少女だ。
少女は白いワンピースに身を包み、さらにはボロボロに擦り切れた古書を紐に括りつけて首から下げている。
少女に不釣り合いな古びた魔道書のような雰囲気のその本は、少女にとっては他のどんな物よりも重要な持ち物だ。
普段は感情の起伏の少ない無表情を今は不信と怒りに変え、テーブル越しに座るもう一人の少女を見据えていた。
「あら、私の名をご存じなのですね……と言うのは、『天智の書』を持つ貴方には愚問だったでしょうか?」
「何故邪魔をしたのだ、クリアスティーナ」
「クリアスティーナ、では些か長すぎますね。親しみを込めてクリアやアスティと読んでくださってもいいですよ、神門審判のアリシアさん」
からかうようなクリアスティーナの言葉をアリシアは無視した。
今現在アリシアが劣勢にあるのは間違いないが、相手のペースに引き込まれては完全にこちらの負けだ。
せめて会話の主導権だけでも握りたい。これは、そんなアリシアの必死の抵抗だった。
「お主が『シーカー』に良い感情を抱いてない事は天地の書にも記されていたのだ。確かに私は、リコリスとの協力関係を継続するべきか否か迷ってはいた。だが、だが……! それでも、アレが希望の一つだった事には、違いなかったのに……!」
いずれ必ず訪れるであろう東条勇麻という少年を襲う崩壊の運命。アリシアは崩壊から少年を救うために、リコリスの話に乗る形で未知の楽園へとやってきた。
勿論、アリシアとて『シーカー暗殺計画』に全面的に同意していた訳ではない。
敵とは言えシーカーの命を奪ってしまうやり方に抵抗はあったし、リコリスの異常なまでのシーカー暗殺への執着ぶりに首を捻る場面もいくつもあった。
けれども、シーカーに対する交渉の一手くらいにはなるだろうとも考えていたのだ。
シーカーを殺すまで行かずとも、彼をギリギリまで追い詰め牽制する事ができれば、シーカーと敵対するスネークが東条勇麻を崩壊するまで酷使するような事態にもならないのではないかと。
自分も共に戦場へ渡り、上手く両者の間を立ち回る事ができれば、そんな風に上手く状況を転がす事ができるのではないかと。そんな希望的観測を抱いていた。
けれど計画実行の直前に突如として生じた亀裂から現れたこの金髪赤眼の少女によって“こちら側の未知の楽園”へとアリシアは連行された。
そしてそのまま何の説明もなく、この白亜の城内部に存在する異空間。空間と空間の狭間に存在する白く広い部屋に軟禁されていたのだ。
神門審判をその身に宿すアリシアは、すぐに自分が別次元の未知の楽園に飛ばされてきた事を理解していた。
だからと言って元の未知の楽園に戻る事は出来ない。
どちらにしても、目前の少女をどうにかしない限り、何度戻っても連れ戻されるのがオチだからだ。
強力ではあるが使用回数や時間に限度があるアリシアの神門審判をここで無駄打ちする訳にはいかなかった。
「お主は、逃亡者の集い旗のリーダーではないのか!? それをどうして、あんな真似を……」
逃亡者の集い旗は……向こうの未知の楽園はどうなっているだろうか。
リコリス主導の元行われるはずだった『シーカー暗殺計画』の要たるアリシアの姿が忽然と消えたのだ。今頃てんやわんやの大騒ぎ状態になっているに違いない。
どちらにせよ、アリシア抜きで『シーカー暗殺計画』がまともに進むとも思えない。
「……貴方の事情に興味はありませんが、どうやら私の行動が貴方を怒らせてしまったようですね。それについては謝罪をしましょう。……ですが、これでも私は貴方を助けようとしたのですよ? アリシアさん」
対してアリシアの対面に座るもう一人の少女は対称的な存在だった。
不自然なほどに鮮やかな赤い瞳。
髪色は輝く黄金のごとくウェーブブロンド。起伏の激しいメリハリのある肢体は透明度の高いネグリジェに包まれ、全裸でいるよりも甘く妖艶な雰囲気を醸し出している。
己の身長をゆうに超える長すぎる髪の毛を着物の帯のように腰に巻きつける事で、大きな胸とくびれのラインがより強調されていた。
彼女はその無防備な半裸体を堂々と晒し、ティーカップに口を付けながらアリシアの激情を受け流している。
それは強者の余裕か、はたまた対面のアリシアに対して興味があまりないのか。
反乱を起こし『操世会』を崩壊させた『救国の聖女』クリアスティーナ=ベイ=ローラレイ。
干渉レベルSオーバーを誇る未知の楽園最強の神の子供達は、アリシアのぶつける敵意など全くもって意に介さず、それこそ『聖女』のような清らかな諦観の滲んだ微笑を湛えていた。
クリアスティーナは、手元のカップの中身をくるくるとティースプーンでかき混ぜながら実にどうでも良さそうに、
「『シーカー暗殺計画』、でしたか。……『フェンリルの咢』に『カサブランカの棘』。さらには『ヤドリギの剣』。随分とまあ大仰な不死殺し神殺しの『神器』を揃えていたようですが……そんなことするだけ無意味だと言うのに、馬鹿馬鹿しい話ですよね。まあ、私には関係ないからどうだっていいのですけど。そもそも特に興味もありませんし」
「それは、どういう意味なのだ……?」
「別に、そのままの意味ですよ」
淡々と断言するクリアスティーナにアリシアは困惑した。
『フェンリルの咢』も『カサブランカの棘』も『ヤドリギの剣』も、どれも凄まじい性能を誇る『神器』だ。
アリシアの『天智の書』で確認した通りの性能なら、神の子供達だってたった一撃で葬り去る事が出来るかも知れないような脅威的な代物ばかり。
確かに『シーカー』は得体が知れない存在ではあるが、全く効果がないとも思えない。
何よりリコリスの語るように、もし本当に『シーカー』が無敵の存在であるならば、迷宮のような『創世会』の本部ビルの中に引き篭もる必要なんて微塵もないハズだ。
だというのにクリアスティーナはふるふると首を横に振る。
「たかが不死者を殺せる『神器』を持ち出した所でアレを殺せる訳がないでしょう。神殺しの『神器』にしても、『神性』の低い神の能力者が持ち出した所で一割も『神器』の力を引き出せませんよ。貴方や私ならともかく、あの程度の方々ではお話にもなりません。……いいえそもそも、中途半端に『神性』を有してしまっている時点で、私達に希望などどこにもない。『特異体』を殺すなど土台不可能なのです」
「……お主は、シーカーについて何を知っているのだ……? それに、『神性』……? 一体何の話をして……」
「逆に貴方は何も知らないのですね。天に輝く遍く星々の輝きの如き智を司る魔本である『天智の書』の契約者であるというのにこの体たらく。予想はしていたのですが……それでもやはり、残念です。貴方となら、少しは建設的なお話ができるのではと期待したのですが……やはり世界は関心を向けても碌な事がない。希望を持つことすら馬鹿馬鹿しい……」
瞳を閉じ嘆くクリアスティーナのその声には、諦観と呼ぶのも躊躇うような乾きがあった。
まるで、迷子のままに人生を追えてしまった老人のような、言葉にする事も憚れる悲壮な感傷。
同情の声を掛ける行為それ自体が、相手を愚弄する事に繋がるような感覚に、アリシアは二の句を継ぐことができない。
目の前に座る少女はアリシアを誘拐しこの空間に拘束している敵だ。情けや容赦など掛けてやる義理など存在しないのに、どういう訳か言葉を掛けるのを躊躇ってしまう。そういうある種マイナス方向に働くような、異質な威圧感があった。
「さて、とはいえ貴方の言う通り私も『シーカー』を好意的に思っていないのは事実です。モルモットとして彼の元に長年居た貴方なら、彼の弱点でも知っているのではと思ったのですが……。まあ、些細な事です。今は素直に紅茶とお茶菓子でも楽しむ事に――」
「だ、だったら! お主も、シーカーを倒すのに協力してはくれないか? お主のような強い神の能力者がいればきっとあやつを倒す事だって――」
「お断りです」
即答だった。
テーブルへ身を乗り出し、半笑いのような中途半端な表情で固まるアリシアに、クリアスティーナは微笑を途切れさせることなく極寒の声で告げた。
「――心の底からどうでもいいんですよ、本当に」
耳の奥を滑るような、何の気なしに放たれた一言。
それは、相対する者の心を麻痺させ、縛り上げる呪いだ。
たった一人の少女から溢れ出す干渉力が周囲の景色を歪め、陽炎のように白い世界に歪みが生じる。
息苦しい。
世界の中心に立つ聖女によって、空間を包む空気さえも支配されているような錯覚を覚える。
「興味がありません。どうして私がシーカーを倒す為に何かをしなければならないのですか? 私は何もしたくない……したくないのですよ。この城から……いいえ自分のベッドから一歩だって外に出たくない。ずっと停滞した不変の淀みの中に沈んでいたい。シーカーを殺すも倒すも貴方の自由ですが、私の知らない所で勝手にやっていて下さい。私には関係ない。ええ、例えアレを放置した事で世界がどうなろうとも、この世の全てが心の底からどうでもいい」
それは、極めて穏やかな口調で語られた明確な拒絶だった。
きっとこの少女は、本当に世界が滅亡しようとも動く事はない。
そんな硬い意思をアリシアは感じていた。
「それに、別にわざわざ『シーカー』を殺さずとも貴方の望みを叶える方法ならいくらでもあるのですよ、アリシアさん」
クリアスティーナはカップをソーサーの上に置くと、依然として固まったままのアリシアを見てそんな事を言った。
何気なく発せられたその言葉は、事前の拒絶で固まったアリシアを再起動させるには十分なだけの破壊力を秘めていた。
「ほ、本当なのか!? クリアスティーナ!」
「ええ、それはもう」
相変わらず張り付いた優しい微笑からは、けれど感情を読み取る事はできない。アリシアのように表情そのものが動かないのではない。胸のうちを隠すように広がった薄っぺらな笑みが、その本心を読み取る事を許さない。
「貴方の目的は崩壊の運命にある東条勇麻の救済、でしたよね? だったら簡単な話です。例えば――」
クリアスティーナは、そこで一度言葉を区切って。まるでアリシアの反応を愉しむかのように、それこそ歌うように。
「――東条勇麻が崩壊する前に、殺してしまう、とか」
何を言っているのか、理解できなかった。
「何を呆けた顔をしているんですか? 神門審判のアリシアさん。……紅茶、冷めてしまいますよ?」
「……ふざけて、いるのか……?」
ふつふつと再浮上する怒りに、アリシアは唸るように問う。いや、怒りだけではない。どうしようもない不吉な予感が、アリシアを急かすのだ。
この神の子供達の口からその発言が出てきた事。それ自体がまるで東条勇麻への死刑宣告にも思える。
今すぐにこの少女を止めなければ、きっとアリシアは生涯後悔し続ける羽目になる、と。
華奢な掌が首から下げられた天智の書へと自然と伸びる。
臨戦態勢へ移るにつれて鋭くなる表情とは裏腹に、アリシアの鼓動は焦りを反映して跳ねるように鳴り続ける。
両者の間の空気に、鉛のような重圧が生じる。
押しつぶされそうな緊張感を跳ね除ける力と知識を、アリシアは『天智の書』へと求める。
だがやはりアリシアの行動にも興味がないのか、クリアスティーナ=ベイ=ローラレイは敵意剥き出しのアリシアに対して何を憚る事もなく――
「いいえ。というか――もう、死んでしまったと思いますけど」
さらりと、そんな事を言った。
その刹那だった。
理解も思考も理性も何もかもを置き去りにして、アリシアは『神門審判』の力を全力解放。
使用回数制限も出力限界も無視した一撃で目の前の少女の形をした化け物を反射的に消し飛ばそうとして――
「――ッ!? なんっ……で、力が……つかえな、」
「ああ、すみません。言い忘れていましたけど、無駄だと思いますよ」
その言葉に、冷や水を浴びせかけられたように思考が急速に凍結していく。
クリアスティーナは優雅にスコーンを口に運びながら、アリシアの天智の書を指差した。
「貴方は己の神の力を敢えて暴走させ、それを『天智の書』の知識を借りて制御する事で操る、謂わば人工的な神の子供達です。なら、『天智の書』と貴方との繋がりを一時的に断ってしまえば、力は使えない。……人工的とは言え腐っても神の子供達。この間合いで何の対策も取らずに接近するほど、私も貴方に無関心ではいられません」
「……くっ!」
真っ白に抜け落ちた思考の中、“致命的に出遅れていた”という事実だけをアリシアはどうにか理解していた。
だが状況の悪化はそれだけにとどまらない。
ガキン!
「!?」
反射的に身を竦めてしまうような轟音と共に、アリシアの視界が薄膜のヴェールに覆われて靄のように不鮮明に歪んだ。
さらに一回、また一回。もう一回。音が何度も連続して響き、その度に視界の明度が低下していく。まるで消しゴムを押し付けてぐりぐりと絵の具を強引に削り消していくかのように、自分以外の存在が段々と薄まっていくのを感じる。
否、これは……世界からアリシアという一存在が切り離されている……?
「そしてもう一つ、東条勇麻の崩壊を防ぐ素敵な一手があります。アリシアさん、貴方は『シーカー』の計画の要です。なら、貴方を永遠に世界から切り離し隔離しておくだけで、『シーカー』の計画は全て勝手に破綻します。そうなれば『スネーク』にも東条勇麻を利用する理由は無くなります。……もっとも、既に死んだ人物の話など世界の行く末以上にどうでもいい話ですが」
『あ、れ? なんで、何も見えない……。何も、聞こえない、……のだ。なんなのだ、これ』
喘ぎ、嗚咽し、けれども全てが掌から零れ落ちる水のように、跡形もなく消失していく。
何も見えない何も聞こえない何も感じない。自分の声すら自分の耳に届かない。
五感は正常に機能している。そのハズなのに、何一つとして情報を得る事ができない。情報を得られるだけの物が自分の周囲に存在していない。確信を持てない。自分が自分として存在しているのか、呼吸も、脈拍も、観測できない。観測できない事は、つまり存在しない事と同義であるというのに――
アリシアという個人が世界から隔離され、自分以外の全てが排斥された小世界に閉じ込められた。
その絶望的な事実を認識してなお、アリシアの心をきつく締め付けるのは聖女の齎したふざけた言葉だ。
東条勇麻が、死んだ。
『いや、だ。いや……それよりも、勇麻は……ぁあ、ぁあああ、嘘だ、こんな、勇麻、返事を……死んだなんて、そんなの嘘なのだ。嘘に決まって……!」
否定したい。
そんなはずはないと、声高々に宣言したい。
東条勇麻は、アリシアのヒーローは、お前なんかに負ける訳がない。アリシアは例え相手が神の子供達だろうとそう断言できるハズだ。
それなのに。
「私は何も関与しません。泥沼の停滞の中で永久に微睡み続ける。……私の知らないところで知らないうちに、シーカー共々勝手に絶望してください。さようなら、私の停滞を妨げる敵。それでは、良い独り旅を」
『ぁあっ、……ぁああ、ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッ!!!』
何かがボロボロに剥離していく。
アリシアをアリシアたらしめる物が上手く機能しない。
自我を保つことすら儘ならない。
だから崩壊する。
クリアスティーナ=ベイ=ローラレイという規格外の存在から告げられた言葉は、自分でも不思議に思ってしまうくらいにすんなりとアリシアの心に深々と浸透していった。
絶望が、純白の少女を真っ黒に塗りつぶすべく殺到した。
☆ ☆ ☆ ☆
黄金の像、煌びやかな絵画などの金襴豪華な装飾の施されたその部屋は、西洋のファンタジーに出て来そうな巨大なお城の大広間だった。
未知の楽園中心区に座す白亜の巨城。ロの字型の回廊の外側へと貴族のお腹のように飛び出したその広大な部屋はこの城の大広間だ。
この白亜の巨城に『救国の聖女』と呼ばれ、一部からは『白衣の悪魔の遺産』と恐れられている神の子供達の少女が暮らしているという話はあまりにも有名だ。
だが件の『聖女』は尖塔の最上階に造り上げた自室に引き篭もり、二階や一階の大広間には絶対に出てこない。……という話も、噂話ではあるが意外に広く知られている事実である。
だが聖女に見放された大広間や二階の数々の客室や個室に住み着いている者達がいる……などと言う話は、ほとんどの住民は聞いた事がないと首を振るだろう。
「え、なになに、レギンってば負けたの? は? え? マジ? ぷぷっぅ、ご冗談でしょ?」
『白衣の悪魔の遺産』にして、今現在は逃亡者の集い旗を名乗る金髪ポニーテールの女レギン=アンジェリカは、逃亡者の集い旗の拠点である白亜の巨城に戻るなり、面倒くさいヤツに絡まれていた。
「……だから、そうだと言っているだろう。報告は全て事実だ。我らが主の裁きを逃れた最重要ターゲットである『招待客』東条勇麻の尾行中に戦闘が発生。交戦中に例の裏切り者によって匿われていたと見られる二人の『招待客』が乱入。戦況不利と見て撤退。以上だ」
苛々とした調子で報告を告げるレギンの前面にいるのは、少し癖っ毛のある紫色の髪の毛をした意地の悪そうな少年だった。
貞波嫌忌。
年齢は十九とレギンの一個下だが、そのレギン=アンジェリカと同じく『白衣の悪魔の遺産』にして、現在は逃亡者の集い旗の名を騙る神の能力者の一人だ。
「尾行中に戦闘発生ネー。嘘はよくない思うナー、レギンちゃん」
「……ぎくっ」
「生生が言ってるって事は確定よねん。まあ大方、頭に血が昇って喧嘩でもふっかけたか、相手の策にまんまと乗せられたか。それとも尾行がバレっちゃったとか。どっちにしても、おねえさんがお仕置きしてあげないといけない案件よね☆」
「き、きききっ貴様のアレはお仕置きとは呼ばないだろ! き、却下だ! 汚らわしい!」
「あら、お姉さまのテクニックに、てっきり虜になってるかと思ってたのに」
チャイナドレスに身を包んだお団子頭のエセ中華風少女生生と、豊満な胸元をいっそ下品にはだけさせた深いモスグリーンのロングヘアーの女、リズ=ドレインナックルとに良いようにからかわれるレギン。
これだけで彼女達の普段の力関係が丸わかりという物だった。
「……まあ実際、『未来予見』まで使っておいてこれぞ? あれだけ増援を待てと言っておいたのに、独断専行は良くないのでは? レギン氏」
「……ぐぐぐ、悔しいが返す言葉が無い……」
一人お皿の上のショートケーキと格闘しているふくよかなお腹を持つマイペースな雰囲気の少年、竹下悟にまで言われ、丸まったアルマジロのように小さくなるレギン。
「だから最初からリリと裂姫ちゃんが行くって言ったし。リリと裂姫ちゃんなら東条勇麻とかいう奴も、裏切り者が匿っていた『招待客』も真っ二つにできたし」
さらに追い打ちをかけるように、ピンク色の髪をツインテールにしたレギンより三つ下の少女リリレット=パペッターがぶつぶつと文句を呟く。
全身を鮮やかなピンク色に身を包んでいるのに、どこか陰惨な雰囲気を漂わせるリリレットの隣に寄り添うようにして座っている小学生くらいの幼い少女割宮裂姫は、どこか焦点の合わない胡乱な瞳を虚空に向けていた。
柱の陰に寄り掛かって騒ぎを静観している黒髪の暗そうな少年はおそらくナギリ=クラヤだろう。
いつも己の神の力を利用して顔に陰を作っている為、長年共に暮らしているのに誰もその素顔を見たことがないという謎めいた男……というよりは極度の人見知りっ子なのかもしれないと他のメンバーは疑っている。
やいのやいの好き放題に騒ぎ出した逃亡者の集い旗――『白衣の悪魔の遺産』達を静めたのは、一拍の拍手だった。
「お疲れ様、我が親友レギンよ。親友たちも、反省ならいつでもできる。今はレギンに労いの言葉くらいかけてやってもいいんじゃないか?」
ソフトモヒカンの似合う、ガテン系の大男だった。鍛えられた筋骨隆々の肉体。いかつい強面の顔には穏やかそうな笑みが浮かんでいる。
輩屋災友。
年齢は二十五歳。逃亡者の集い旗最年長の神の能力者だ。
実質的に、今はこの場にいるメンバー達のまとめ役を務めている男でもある。
「災友、いつも甘い。お前の思考は合理的でない。やはり、機械こそ志向……!」
「ライアンス氏の機械至上主義も行き過ぎて合理性から外れている気がする今日この頃……。というかいつかメカトラブルで爆発炎上する光景を『予見』したと言っているのに、一向に改める気がない辺りがアレですぞ!」
部屋の端で床に広げた大量の銃器を弄っていたスキンヘッド、ライアンス=アームズに悟がつっこみを入れる。
「たしかに甘いのかもしれないな、俺は。だが親友に対して甘くなってしまうのは仕方のない事だろう。許してくれ、我が親友、ライアンス=アームズよ」
「親友連呼しすぎて言葉のありがたみが喪失してるんがウケるよね、災友くんてばさ」
「そうか。俺はお前を笑わせることができてうれしいぞ、親友嫌忌!」
「いやあの、なんかそういう苗字なのかと思われそうだからやめて」
家族同士のような気の置けない会話はしばらく続いたが、災友が微笑を引き締めると自然とそれも途切れていく。
静かになった事を確認した災友はひとしきり仲間達を眺めると、一人一人の名前を呼んでいく。
「リズ=ドレインナックル、」
モスグリーンの髪をなびかせ美女が頷き、
「生生、」
エセ中華少女は意味深に微笑み、
「ライアンス=アームズ、」
整備した銃器をスキンヘッドは肩に担いで、
「レギン=アンジェリカ、」
ポニーテールを揺らしながら生真面目な表情で生唾を飲み込み、
「竹下悟、」
ショートケーキの生クリームのこびりついた皿を下品に舐め取りながら、
「貞波嫌忌、」
紫の髪を弄りながら性格の悪そうなにやにや笑いを浮かべ、
「ナギリ=クラヤ、」
素顔を見せぬ少年は声をかけられても沈黙を保ち、
「リリレット=パペッターに、割宮裂姫」
ピンク色のツインテールを弾ませながら自分より幼い少女に頬ずりして、
誰もが災友の声に耳を傾けていた。
それは、この個性の塊のようなイロモノ集団をまとめるだけの信頼と力が、輩屋災友にはあるという証明であった。
「我らが主たる聖女様の裁きを逃れた『招待客』東条勇麻が裏切り者のディアベラス=ウルタードと合流した。ディアベラスの元には他にも二名ほど『招待客』が匿われているという情報もある。戦力が整ったディアベラスはすぐにでも打って出るつもりだろう。悟の『未来予見』で予見た情報もある。おそらく、数日以内に事を起こすつもりだろうな。……もはや我々には一刻の猶予もない。我らの目的はなんだ? 決まっている。我らを救った聖女様への罪滅ぼし、彼女の望みを叶える事だ」
災友はそこまで言って拳をぎゅっと握りしめて、
「まずはディアベラス=ウルタード。邪魔な裏切り者を、盤上から排除する。そして――『招待客』を、一人ずつ確実に聖女様に捧げる。……行くぞ、我が親友達よ! 逃亡者の集い旗の意味を、我らが聖女に御旗を掲げた理由を、今こそ示す時だ!」
『白衣の悪魔の遺産』と呼ばれる神の能力者達が、いよいよその行動を開始する。
聖女の為。
家族の為。
罪滅ぼしの為。
かつてこの街を恐怖に陥れた神の能力者達は、ただ一人の少女の願いを叶える為だけにその力を使う。
「さあ始めよう、裏切り者よ。お前と俺達は水と油。ならばお前の目論見を完膚なきまでに叩き潰すのはこの俺だ。……俺は俺の愛する親友の為なら、この命だって懸けられるのだから……!」




