第二十一話 混迷する流れⅡ――新手と襲来
家出っ子のミランダ(性別女)を家まで送り届けた帰り道。
二往復目の往路を越え無事に第二内周区に到達したころには、時刻は既に午後三時を回っていた。
身体に圧し掛かる疲労感が半端じゃないのは、一往復分を無駄にしただけではないと勇麻は心底げんなりする。
「はぁ……」
「あのね、一番溜め息を吐きたいのは私なのよ? 東条くん。あなたの我儘に付き合って外周区と第二内周区を往復する羽目になった被害者はどう考えても私なんだから」
「いや、それは分かってるって。マジでありがとな。てか、分かってるからこうしてるんだろ?」
文句を言わりにやけに楽しそうな少女は、今現在東条勇麻を一時的な乗り物としてこき使っていた。
簡単に言うと、我儘に付き合ってくれたお礼としておんぶで運搬中なのである。
物理的に身体に圧し掛かる疲労感の原因の一つは、悪びれもせずにこんな事を言いだした。
「それにそう何度もため息を吐かれると幸運があっと言う間に逃げていっちゃうんだから」
「あれ。和葉の理論で行くと、溜め息株価が下がるトコなんじゃないのか?」
「馬鹿ね東条くん。溜め息はいわば負債物件よ。増えれば増えるだけ苦しむ事になるわ。東条くんが」
「……具体的には?」
「私をおんぶする時間が増えるわね。一溜め息につき十分よ。……む、でもこれじゃあご褒美になってしまうかしら?」
「……俺を一体何だと思ってやがる」
「あら。幼気な少女と婚約を誓った変態ロリコンじゃないの?」
「……全力で否定したいのに全てを真っ正面から否定できないのが辛いというか何で気が付かなかったんだよ過去の自分をぶん殴りたい……!」
最初に訪れた時はあれだけ朝市で賑わっていた市場も、今はだいぶ落ち着きを取り戻している。
それでもかなりの人がいて、混んでいる店の前を通るには両手で掻き分けるようにしながら進むしいかないくらいだった。
これが夕方の夕飯時になるともう一度活気づくらしいが、時間をロスした分を取り戻す為にもここで呑気に夕飯の食材を買いこんでいる余裕はない。
「……それで? 例の気配の方は?」
いい加減に人目を気にし始めたのか、勇麻を気遣ってくれたのか。小さな声で短く尋ねたのは勇麻の背中から降りた和葉だ。
あまり口を動かさず、隣を歩く勇麻に視線を寄越すことなく話しかける。遠目からは、和葉が勇麻に話しかけたかどうかなど分からなかっただろう。
問いかけられた勇麻も同じように、
「……正直人が多すぎてどうにも。和葉の方は?」
「分ったらわざわざ聞いてないわ。あくまで私は情報屋、どこぞのエージェントばりの察知力とか期待されても困るもの」
例の気配、とは昨日から勇麻達の周辺を探るようにうろついていた何者かの事だ。朝の段階では何も感じなかったのだが、ミランダを外周区の家まで送り届けた直後より、また似たような雰囲気の気配を感じ取るようになっていた。
そもそも探知や感知の神の力など持ってもいない勇麻達が昨日の時点でその存在に気付けたのは、もともと周囲に人気が無かった事が大きい。
これだけ沢山の人が周りにいるような状態では、流石に特定の人物の気配など掴みようがなかった。
思わず肩を竦めた和葉に、勇麻もやや緊張を解くように息を吐く。
気を抜いていられる余裕はないが、かと言って常時張りつめているのも問題だ。自分が思っているよりも精神の消耗は速い。
相手もこの人混みで勇麻達を見失ってくれていれば申し分ないが、楽観はできない。
「……どっちにしても追手がいるかどうか確かめる必要があるよな」
「それは、まあ。というか、それが出来れば苦労しないけれど。何か具体的な案でも?」
「単純な手だ」
耳打ちされた勇麻の言葉に、けれど和葉は
「……でも、もし仮に相手が私達の尾行に神の力を使っているとしたら、結局意味がない気がするわよ」
確かに神の力によって位置情報やら個人の干渉力の種類などを把握されていたとしたら、勇麻の案は一気に無意味な徒労と化すだろう。相手にはわざわざこちらの手に乗る理由がないのだから。
だが、その可能性は薄いと勇麻は考える。
「いや、それはないな。もし探索とか感知に秀でた神の能力者が相手だとしたら、昨日の時点で俺らに気づかれるようなヘマはしない。それどころか、こっちがとっくに捕捉されてるに決まってる。もし昨日の騒ぎを聞きつけて、俺達を襲撃するのが目的なら、夜に奇襲を掛けない道理はない。泳がせておくのが目的だとしたら、やっぱり自分の接近がばれるようなヘマはしないだろ」
それに、と勇麻は悪巧みをするような顔で言葉を続け、
「こっから逆転する為にもとりあえず相手の顔を拝みたいだろ? やっぱり逆襲はこっちから仕掛けてなんぼだよ」
「なるほどね。まあ確かに、私の安眠を邪魔するストーカー野郎にここらで手厳しい一発を浴びせるのには賛成だわ」
言って次の瞬間、二人はいきなり人混みをかき分けるようにして走り出した。
☆ ☆ ☆ ☆
――こちらの存在に勘付かれた……!?
何の前触れもなく走り出した抹殺対象に、二十歳くらいの若い女――レギン=アンジェリカは内心焦燥を隠せなかった。
動揺を隠せず、大慌てで走りだし一歩踏み出す度にポニーテールにした金髪がそれこそ馬の尻尾のように揺れ、同じように彼女の胸元に二つ大きく実った果実が、黒衣を内側から押し上げるようにまた揺れる。
本人に自覚はないのかもしれないが、道行く男達をまるでねこじゃらしに釘付けになる猫みたいにするだけの魅力が、躍動するそれらには秘められている。
亀裂を越え、こちら側へやってきた『招待客』の存在を知ったのは一夜空けた昼下がりの事。
そしてどういう因果か『聖女様』の裁きを免れたターゲットについての情報がレギンの元へ届いたのは昨日の夕方。
仲間の竹下悟の『未来予見』で『予見』した光景から得た貴重な情報だ。
悟の『予見』を頼りにおおまかな場所を絞り、外周区の酒場で起きた騒ぎの目撃情報を集める形で件の人物の居場所を掴めたときには、既にターゲットの姿はそこにはなく、足跡などの痕跡を頼りに夜通し行われた深夜の外周区の探索も空振りに終わった。
真夜中という絶好の襲撃の機会を逃し、泣く泣く彼らの残した何らかの痕跡を探そうと躍起になっていた所、何故か第二内周区の方角から舞い戻って来た連中をようやく掴み、慎重に尾行を続けていたところでのこれだ。
増援が来るまでは手を出せないと消極的になっていたのが失敗だった。この際、自分一人だろうと躊躇せずに仕掛けるべきだったのだ。
それが聖女の御旗に忠誠を誓った、レギン=アンジェリカの聖務なのだから。
「くそっ! 逃がしてたまるか……!」
忌々しげに毒づき、レギンもまた人混みに消えた二人のターゲット目掛けて走り出す。
前を行く二人の背中は、曲がり角を曲がり路地裏へと消えていく。
このままではマズい。夜襲が失敗した時点で、次点の策は白昼堂々の襲撃へと移行している。
敵の戦力は全くの未知数。
文字通りの必死を回避した相手なのだ。
絶対に油断はできない。
増援が到着するまでは尾行に留めるつもりではあったが、もうそんなことは言っていられない。
こちらの存在が向こうにバレている以上、是が非でも逃げられる前にここで打ち取る。
これ以上ターゲットに生き長らえられるのは、何より彼女達の沽券に関わる問題なのだ。
心身を捧げた己が主の安寧の為にも、これだけは譲れない。
息を切らし、体の中のエネルギーを燃やし尽すような心意気で走る。腕を振り回し(同時に胸も凶器の如く振り回し)身体のバランスを無視した走りは、御世辞にも綺麗で正しいとは言えない。けれど神の能力者特有の滅茶苦茶な身体能力でカバーされてしまう。
運動神経はあるけど普段運動しない人が、お前そのフォームでどうやってそんなタイム出せるの? と半ば呆れらるアレに近いのかもしれない。
結果として疾く駆ける少女はあっという間に路地裏に辿り着く。
勢いよく建物の陰から飛び出した彼女は、けれどターゲットに撒かれた事を理解して舌打ちする。
左右直進の三方向に伸びる道。そのどれにターゲットが逃げ込んだのか、ついぞその目に捉える事が出来なかったのだ。
歯噛みし、地団駄と共に口汚く呪詛を吐き散らそうとした時だった。
ピィー、と。意識の隙を突くように甲高い音が響いたその直後。
突然鳴り響いた音に疑問を抱く間もなく、目前の曲がり角から白と黒の混ざったの髪をした線の細い華奢な少女が、彼女の前に躍り出たのだ。
(あれは、報告にあったターゲットと共に行動している少女! 殺害対象ではないが、真実を知られた以上ただで帰してやるわけにもいかない。ひとまず、確保する……!)
本来一人でこちら側へやって来たハズのターゲットと何故か行動を共にしているこの少女は、酒場で得た情報で発覚したターゲットの協力者だ。
その動機、正体、神の力の一切が不明だが、おそらくは何らかの手違いでこちら側へ飛ばされた人間。
口を封じるにせよ不問に問うにせよ、今ここでレギンの一存で殺害の判断を下す事はできない。
そこまで一瞬で打算を働かせたレギンが、少女の捕縛へ掛かろうとした瞬間。
頭上、二階分の高さの建物の屋上から。一つの人影が彼女目掛けて隕石の如く落下した。
☆ ☆ ☆ ☆
勇麻と和葉が走り出す直前。二人は、こんなやり取りを交わしていた。
『いいか和葉、ダッシュで曲がり角を曲がったら物陰でも建物の中でもいい、一発じゃバレない場所に身を潜めろ。俺は屋上に飛び乗って、上から監視する。もし追っ手が一人だったら指笛で合図をするから、相手の前へ思いっきり飛び出せ。和葉が注意を引いてる間に俺が上から奇襲を掛けて倒す。もし三〇秒以上合図がなかったら、その時は追っ手が二人以上の場合か、いなかったかの二択だ。神の力使ってバレないように表に戻れ』
――そして時は戻って現在。
二階建ての建物の屋上から地上を窺う勇麻は、追手が金髪のポニーテールの女一人である事をしっかりと確認すると、親指と中指で輪を作ってそれを咥え、吸い込んだ息を鋭く吐き出した。
指笛。
その甲高い音を合図に路地へ勢いよく飛び出す和葉。虚をつくタイミングに敵の意識が一瞬、和葉のみに釘付けになる。
そのタイミングを狙って、追手を制圧する為、頭上からそのまま女目掛けて落下した。
二階分の位置エネルギーと勇麻の重量を不意打ち気味にぶつければ、いかに身体の頑丈な神の能力者といえど間違いなく失神する。
はずだった。
「なっ!?」
「わっ!?」
だというのに驚愕の声は二つ。
上空から奇襲を掛けたはずの勇麻の身体が、ポニーテールの女――レギン=アンジェリカの身体をすりぬけたのだ。
それこそまるで、幽霊でも相手取ったかのように。
何が起きたか理解できないまま、慌てて後ろの和葉の元まで距離を取る勇麻。
驚いたのは相手も同じようで、弾かれたように勇麻とは逆方向に飛びずさっている。
「東条くん、今のは……っ!?」
「ああ、くそ! 分からねえけどとにかく失敗だっ」
「こ、コレどうするの!? 逃げるの?」
「相手が逃がしてくれるならな! 追跡に気づかれてる事がバレたんだ。向こうもコソコソするのはやめて、堂々襲いかかってくるパターンだろこれ!」
そして勇麻の危惧した通りになった。
最初はいきなりの事にどこか呆けたような表情で固まっていたレギンだったが、勇麻の顔を確認するなりその口元に残虐な笑みを湛える。
探し求めていた獲物を見つけた狩人のような、本能的な寒気を覚える表情だった。
「見つけたぞ、東条勇麻。お前に恨みは無いが……今ここで死んで貰う!」
本当に聞く事になるとは思わなかった台詞トップ一〇に入りそうな台詞と共に、ポニーテールが揺れた。
重心の低い、地を這うような突進。
勇麻は隣で呆けたように固まる和葉を左手で横に押しのけるようにすると、すぐさま右拳を握りしめ、迎撃態勢に入る。
低い軌道から捻り上げるようなアッパーを、上半身を後ろに逸らすようにして躱し、無防備に晒されるレギンの細腕を掴み取ろうとする。
が、女の腕に触れようとした勇麻の手が、まるで実体のない気体を掴むかのようにレギンの腕をすり抜ける。
「っっ!!?」
体勢を崩し前かがみになる勇麻の鳩尾へ、レギンの膝がすり抜ける事なく突き立てられた。
呼気を吐き、たたらを踏む勇麻へ追い打ちを掛けるような回し蹴り。しなやかな脚が鋭く旋回し、豪快な音と共に顔面へ強力な蹴りが叩き込まれる。
顔面を強打する細足を反射的に掴み取ろうとするが、またも実体を失ってしまったかのようにつかめない。まるで存在そのものが消失したみたいだ。
引き戻された足がさらに鳩尾に突き刺さり、勇麻の身体が地面を転がった。和葉の短い悲鳴が方向感覚を失ったなかでも聞こえる。
ぼたぼたと、押さえる間もなく鼻血がたれる。路面に咲いた朱い血の花に、けれど襲撃者の女は顔色一つ変えず、勇麻の息の根を止めるべく間髪入れずにさらなる追撃を掛けに来る。
だが勇麻もやられっぱなしではない。この僅かな数度の交錯から、敵の神の力に対しての大まかな予測と、対処方法を編み出していた。
レギンの左のジャブを躱し、遅れて繰り出される本命の右ストレートに合わせて、こちらも右のストレートを重ねたのだ。
結果、どちらの攻撃もどちらを捉える事なく相手をすり抜ける。
衝突するように二つの影がぶつかり、重なり、離れて、振り返る。
立ち位置が入れ替わる。
単なる位置だけでなく、転がり合ってマウントポジションを奪い合うかのように、主導権そのものを。
舌打ちするレギンへ、勇麻は顔から血を滴らせながら、
「……自身に物体を透過する力を付与する神の力ってトコか。当たり前だけど、すり抜けてる間はアンタも俺に触れられない。その逆もまたしかり、ってな」
襲撃者の女は勇麻の言葉を無視した。
クンっ、と。視界から消えるような下への動きで潜り込むように勇麻の懐へ入り込む。その場に取り残されたポニーテールだけが、時間を忘れたように呑気に宙を踊っている。
なるほど確かに素早い挙動だ。相手がただの神の能力者なら、間違いなくその姿を見失っていただろう。
だが、
「遅え!」
一言で断じ、拳を振り下ろす。
勇気の拳によって五感含めた身体能力を底上げしている勇麻にとっては、へそで茶が湧くレベルの物でしかない。
目の前の人物に命を狙われているという事実が、勇麻に理不尽と恐怖に抗う勇気と力を与えてくれる。
勇麻の繰り出した拳はまたも女の身体をすり抜けたが、女の攻撃もまた失敗に終わる。
仕切り直すように舌打ちを残して跳びずさる。
襲撃者の女は不満をその瞳に滲ませながら、
「それがお前の本気か?」
「……なに?」
「……何故お前のようなヤツが聖女様の下した裁きから生き延びれたのか分からないな。この世界の停滞を揺るがす罪人よ。今一度聞く。その程度の力で、お前は聖女様の裁きを逃れ、その安寧を脅かしているとそう言うのか?」
対して、質問に眉を顰める勇麻は、
「何を言いたいか分からねえな。回りくどく言ってないで、もっとはっきり言いたい事を言えよ」
「それじゃあ端的に。……お前が呼吸をしている事は、何かの間違い。否、罪だ――」
三度、視界の端でポニーテールが踊る。
「――その間違いの生、ここで私に正されるがいい!」
迷い一つなく踊りかかってきた女に、重ねるように一撃を合わせる。
当然、今までと同じようにどちらの攻撃も互いを捉える事はできずにすり抜ける。
だが、この時。レギン=アンジェリカは、勇麻に殴りかかったのとは反対の手にナイフを握っていた。
そして、己の身体が勇麻の身体をすりぬけた瞬間。同じように勇麻の身体をすり抜けていたナイフの柄を離した。
凧の尻尾のように不自然に後ろに流した左手に握ったナイフが、勇麻の体内を通り抜けている最中で。
「ぐぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!?」
レギンの身体が完全に勇麻をすり抜け、『透化』を解除した瞬間だった。
右胸を通過していたナイフが、唐突にその存在を顕にし体内を蹂躙した。
肉から飛び出したナイフの柄、僅かに空気に触れる刃から、真っ赤な少年の血が滴り流れ落ちる。
今度こそ和葉の悲鳴が、喧しく勇麻の頭を刺激した。
「すり抜けてる間は私もお前に触れられない。その逆もまたしかり、確かにその通りだ。……お前の今の状況と照らし合わせれば言葉の意味、分かるよな?」
肺に穴でも空いたのか、嫌に息苦しい。酸素を吸い込もうとする度に血の味が口の中一杯に広がる。
視界がぐらりと傾く幻覚を見る。
二本の足で身体を支えるのが辛い。
「が、ぁ……、はぁ。はぁっ……あ、っくそ……ったれ、が……」
氷のような冷徹な瞳を向け、レギンは懐から二本目のナイフを取り出す。
陽射しに反射して、その短い刀身が煌びやかな光りを放つ。
温かいを陽光を受けたはずのその刃に、ゾッとするほどの寒気を感じながら、勇麻は右胸の異物感と痛みに歯を食いしばる。
痛みにぐらつく頭に、危険信号が鳴りひびく。
「次の交錯で終わらせる。聖女様の求める世界に、お前のような異物はお呼びではない」
勇麻の返事さえ待たず、女が再び駆けだした。
東条勇麻へ向かって一直線に。
勇麻にはどうする事もできない。身体が痺れたように動かず、反撃はおろか回避すら儘ならない。
それに反撃の為の回避ならともかく、ただ目の前の敵から逃げる為の回避は勇気の拳が許さないだろう。
今の勇麻の脳裏に、反撃の為のビジョンを思い浮かべる余裕など微塵もない。そんな状態で下手に逃げれば、弱体化が勇麻を襲う可能性すらあった。
思考は一瞬。だが解決策は思いつかず。その一瞬の時間で、既に女は勇麻との距離を半分以上詰めている。
どうにもならないまま、それでも繰り出される拳と拳のタイミングを合わせ、互いの身体が互いをすり抜ける。
だが先と同じように最後尾に存在する左手とそこに握られた刃が、勇麻の心臓に不気味な存在感を残して――左手が先にその身体をすり抜け、後を引く刃がその手から離され心臓に留まる瞬間――
――飛来する斬撃が、今まさに『透化』を解除しようとしたレギン=アンジェリカの顔面を捉えた。
「っつぅッ!?」
危うく首から上を斬り飛ばされる所だったレギンが、慌てて『透化』を続行。結果として、左の掌から解き放たれたナイフは『実体化』する事なくそのまま勇麻の身体をすり抜け地面へと落下した。
さらに、
「わ――ぁああああああああああーっっっ!!」
頭を酷く揺さぶる不愉快な音波が路地を飲み込むように走り抜け、レギンのみを激しく揺さぶった。
「っ!?」
頭の中の無意識の演算と己の干渉力を乱され、神の力の行使が不安定になる。ノイズのような乱れが走り、『透化』を満足に維持する事さえ儘ならない。
そして、勇麻のよく知る感情の平淡な声が、この場にいる全員の耳朶を打った。
「大人しく退きなさい『逃亡者の集い旗』。今ならば見逃します。ですが続けるというのなら、次は完膚なきまでに斬り裂き叩きのめします」
「……。チッ、あの『裏切り者』の匿った例の『招待客』どもか!」
忌々しげに吐き捨てるレギンの顔には、地獄の炎のような高温の憎悪がありありと見て取れた。
だが、状況から己の不利を感じ取ったらしい。
最後にねめつけるように勇麻を一瞥すると、路地裏に背を向けて人混みの中へと再び紛れていく。
……助かった。
その事実を認識すると同時に、勇麻の身体から緊張と同時に力が抜け、膝から地面に崩れ落ちる。
一拍遅れて、顔面を蒼白にした和葉が勇麻の元へと駆けてくる。胸に刺さったナイフを無理やり引き抜くと、右手に保存してある戦闘前の勇麻の情報を上書きする事で、疑似的な治癒をすぐさま行ってくれた。
しかし、ほっと一息つく間もないまま、次なる来訪者を示す靴音が二つ。路地裏に響いた。
だがそれは、東条勇麻の敵では無い。
「……ふう。一時はどうなる事かと思いましたが、ようやく見つけました」
それは、先の戦闘で勇麻の命を見事救った二人だった。
「おにーちゃんが“合図”くれなかったら危なかったよね!」
そして、勇麻のよく知る二人だった。
「……会いたかったぜ。レインハート! スピカ!」
片方は、腰辺りまで流れるような金髪を伸ばした、モデルのような体系の鉄仮面を持つ美女。腰に長さの異なる二振りの刀を佩いている。
片方は、元気の良さの溢れ出る黄色のショートヘアに褐色の肌。そして両目を覆い隠すように頭に包帯を巻いた盲目の幼女。
レインハート=カルヴァートとスピカ。
両名共に『背神の騎士団』に所属する戦闘員にして、勇麻と共にアリシア奪還の為に『未知の楽園』へと侵入した頼もしい仲間達だった。




