第十九話 馬鹿でも出来る潜入ミッションⅡ──踏みつけたのは猛虎の尾
出だしから派手に躓いた。
スタートダッシュを盛大に失敗した。
そんな感覚が勇麻の横っ面を殴りかかるように襲いかかっていた。
「自己紹介がまだだったね。アタシはダニエラ=フィーゲル。この辺り一帯を仕切る盗賊団『虎の尻尾』の頭領をやってる者さね。……さて、アタシのシマであの忌々しい逃亡者の集い旗なんざを名乗った訳を教えて貰おうか」
和葉の立てた作戦は、逃亡者の集い旗の名を騙る事によって本物の逃亡者の集い旗の怒りをあえて買い、その反応を頼りに手掛かりを入手するという物だった。
勇麻にも秘密裏に――というか勝手に――進められていたこの作戦は、酒場で逃亡者の集い旗という単語に過剰に反応した男達が現れ、その拠点までわざわざ連行して貰えた時点で一見大成功を収めるかと思えた。
……しかし。
蓋を開けてみれば、勇麻達を連行した男達は逃亡者の集い旗の人間ではなく、
そして目の前には、整った顔を怒りに女鬼のように歪ませた女が一人、ドカッと豪快に椅子に腰掛けている。
(『虎の尻尾』? ……なんだよそれ、ここは逃亡者の集い旗の拠点の一つで、目の前の女が幹部の一人や組織のトップに君臨する親玉なんじゃないのかよ!?)
隣の和葉もここまでの余裕を大きく崩し、女の衝撃的な言葉に目を見張っている。彼女にとってもこの展開は予想外の物だったのだろう。
ねっとりと、空気が鉛のように思い。
予想外の展開に心臓が早鐘のように鳴る。焦燥が衝撃から立ち直れてもいない身体を支配し、現状を何とかしなければと意識が声高々に主張する。
だが肝心の方法が何も思いつかない。
時間だけが過ぎていき、選択肢を一つとして選ぶ事ができないまま、リミットばかりが迫るような緊迫感を感じる。
ダニエラと名乗った女の問いかけに早く何か答えなければ。そう思うのに、頭が、舌が、言うべき言葉を導きだせない。
……言う事に事欠いて、口から出た苦し紛れの台詞は、質問に質問で返すような最悪の物だった。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。アンタは……アンタらが逃亡者の集い旗なんじゃないのか? 俺らが勝手に名前を騙ったからそれに怒って、ここまで連れて来たんじゃ――」
「――ふざけてんのかい?」
一刀両断。
戸惑い、混乱する勇麻の言葉を遮ったダニエラにはまさにその言葉が相応しい。
その迫力に、思わず勇麻は黙り込んでしまう。
「アタシら『虎の尻尾』の前で二度もその名を口に出すなんていい度胸だ。その蛮勇、地獄で自慢してくると良いさね」
激昂したダニエラは空になったワインボトルを適当に投げ捨てると、懐を弄り安物の拳銃を取り出した。その銃口を勇麻の額に突き付け、彼女は怒りに柳眉を吊り上げる。
「何が目的かは知らねえが、あの糞忌々しい悪魔の名を掲げる組織の名を騙ったんだ。うっかり殺されちまう覚悟くらいできてんだよなぁ?」
(嘘だろこいつ……ッ!? マジでヤバいヤツじゃねえか!!)
このままでは本当に殺されかねない。
依然として混乱から立ち直れないまま、勇麻はどうにか最悪の展開を回避しようと思考を巡らす。
勇気の拳を持つ勇麻ならば、拘束から抜け出す事は容易い。
だが、拘束を破ってダニエラ=フィーゲルを倒してしまった場合、無駄に敵の数を増やす事になる。
聖女やアリシアについて何の手掛かりもないうちから敵対勢力を増やすのは、出来るだけ避けたい展開だ。
……どうする?
判断は迅速に、適切に、正確に。そうでなければ、全て手遅れになった後で後悔に奥歯を噛み締める事になる。
躊躇い、逡巡する勇麻に変わってその会話に待ったを掛けたのは、何かに納得がいかない様子で訝しげに眉を顰める和葉だった。
「……ちょっと待って。まさかとは思うけれど、その忌々しい悪魔と言うのは、反乱を起こした『Sオーバー』……件の聖女の事を言っているのかしら?」
「あん? 今更何を言ってやがんだい嬢ちゃん。この街で悪魔っつったら『白衣の悪魔』とその『遺産』……つまりは『聖女』とか呼ばれてるあのふざけた売女の事を指すに決まってんだろ」
ダニエラ=フィーゲルの言葉は、勇麻と和葉の常識を破壊するには十分だった。
「……『聖女』が売女? 反乱を起こした『聖女』は、未知の楽園を救った救世主として英雄みたいな扱いを受けているんじゃないのか?」
思わず零れた純粋な疑問に、ダニエラは呆けたように目を見開くと、次の瞬間には愉快げに腹を抱えて笑い始めた。
「……かかっ! おいおい嘘だろ? アンタら、本気で言ってんのかい? 救うも何も、未知の楽園に暮らす善良な馬鹿共を恐怖のドン底に叩き落とした張本人こそがその『聖女様』とか呼ばれてやがる神の子供達様ご本人だろうがよ」
前提がおかしい。
これも『多重次元空間』というイレギュラーが生んだ弊害なのか?
確かなのは、和葉達が暮らしてきた未知の楽園では英雄視さえされていた聖女が、こちらでは憎悪の対象として嫌悪されているという事。
二つの世界で存在する聖女はそれぞれ別人? いや、だがしかし、そもそも『多重次元空間』を創り出したのが聖女本人のハズで……。
「反乱を起こした『聖女』が、この街を恐怖のドン底に陥れた張本人、ですって……?」
「おいおいおい……なんだよそれ初耳だぞ!? 『聖女様】ってのは、腐った上層部や研究者連中をこの街から追放した救世主的な存在なんじゃねえのかよ!?」
「わ、私だって知らないわよ! だって、こんな……いくら次元が違うとはいえ、同じ未知の楽園で、こんなにも評価が違うなんて……」
「……なあ、さっきから何をトンチンカンな事を言ってんだい……?」
勝手に狼狽し始めた勇麻達に割り込みを掛けたのは、不機嫌そうに顔をしかめたダニエラだ。
しかしそこに先ほどまでの煮えたぎるようの怒りは見えない。
どうやら勇麻達と自分とで全く会話が噛み合わない事に純粋に疑問と引っ掛かかりを覚えているらしい。
ダニエラは、ガラスの向こうの昆虫の標本を観察するようにジロリと勇麻達を一瞥し、
「そっちの東洋人のボウズはともかく、嬢ちゃんからはこの街の人間の匂いがするんだがね。……それに見かけねえ顔だが、内周区の人間にしては荒事慣れしてる感がある。だが、外周区の人間にしちゃあ些か以上に無知が過ぎる。こう見えてアタシは外周区全体を仕切ってる顔役みたいなモンをやってんだがよ。そのアタシが大の聖女嫌いだっつーのは街の誰もが知ってる暗黙の了解だとばかり思ってたんだが……アタシの自意識過剰だったかいね?」
静かな問い掛けに、二人は答えに窮してしまう。
ダニエラの疑問は最もだ。
なにせ和葉はダニエラと同じ未知の楽園の人間ながら、その実生きてきた世界が全くの別物なのだから。
二つの世界はどこまでも近いが故に、その決定的な差が鼻につく。
二つを重ねた時に生じる僅かなズレ。ダニエラはその微かな違和感を看過できないのだ。
だが、今の勇麻達の事情を説明しようにも、『多重次元空間』などという突飛な話を誰が信じるだろうか。
実際に飛ばされていなければ、勇麻だって信じたくもない話を、目の前の女が受け入れるとは到底思えなかった。
「なあ、アンタら一体何者だい? アタシにゃどうも、アンタらが……いや、なんでもねえさね。それよりも、やっぱここは一番最初の質問に戻ろうかいね。アンタら、何を目的にアタシのシマで逃亡者の集い旗なんざを名乗ったんだい? まさか高度な自殺ってワケでもあるまいね?」
「……私達の目的は、そこのお馬鹿がポロッと零した通りよ。逃亡者の集い旗の名を騙る事で逃亡者の集い旗に接触すること」
「へぇ、……その理由は?」
「それは……」
ダニエラの短い問いに和葉の言葉が詰まる。
和葉が知りたいのは九ノ瀬拳勝の胸の裡。彼が何を考え、どうして妹の和葉に何も言わずに逃亡者の集い旗などという組織の一員になったのか。
兄ともう一度向き合う為に、兄の真意を知りたい。未知の楽園という街の真実をその手に掴み取りたい。
……だがそんな心に抱く思いすらも、九ノ瀬和葉は自分が本当にやりたい事なのか分からないと言う。
それでも逃げるのだけは嫌で、目を逸らす事だけは許されないのだと和葉は勇麻に言っていた。
九ノ瀬和葉は悩み迷いながらも、それでも必死で前に進んでいるのだ。
だが、それを説明するという事は同時に彼女の心の傷を掘り返す行為でもある。
それを初対面の人間相手に語るには、些か傷が生乾き過ぎる。
そんな勇麻の予測を裏付けるように、和葉の表情が僅かに引き攣るのを勇麻は確かに見た。
だからその問いに答えるべきは、
「――助けたい子がいるんだ」
東条勇麻であるべきだ。
和葉を庇うように縛られたままの身体を一歩前へ芋虫のようににじり出し、勇麻は引き継ぐようにそう答えた。
逃げる事無く真っ直ぐにダニエラ=フィーゲルの瞳を見据え、ダニエラもその視線に応えるように、勇麻から一瞬たりとも視線を逸らす事無く、その苛烈な視線を細める。
「助けたい子? ほぅ、それが逃亡者の集い旗に関わろうとする目的かいね」
「ああそうだよ。その子の居場所を聖女様ってヤツが知ってるかも知れないんだ。だったら逃亡者の集い旗だろうが何だろうが、使える物は使うしかねえだろ。聖女様ってヤツの元へたどり着くために、逃亡者の集い旗に接触する。それが理由だ」
その真っ直ぐな勇麻の言葉に対するダニエラの返答は、人を馬鹿にしたような嘲笑だった。
「かっ、わざわざ自分の命を危険に晒して他人助けなんざ馬鹿のする事だいね。自分の利にもならねえ事に自分の身体張って一体何の特になるってんだい? お礼に金でもくれるってか? それともヤリタイ盛りの思春期ボウズには欲望の捌け口でも必要かいね?」
「……俺はこの街の人間に言いたい事が山ほどある。その中でも極めつけはこれだ。……人間ってのはな、誰かの笑顔の為に拳握って立ち上がれる強い生き物なんだよ。自分の弱さを、この世の常識みたいに語ってんじゃねえ。臆病者」
ダニエラの言葉に怒りも露わに勇麻は吐き捨てた。
馬鹿のする事だと? 馬鹿はどっちだ、くだらない。
……何が弱肉強食だ。
この街の人間は誰もがそうだ。己の中の秤に全ての物事を掛けて、まるで機械のように冷たい判断を下す。損得勘定だけで全てを考え、自分が生きていくうえで得をするかどうかだけが行動の指針となる。
助けを求める者に手は差し伸べられず。
理不尽や不条理に憤る者はおらず。
力なき敗者にどこまでも厳しい。
必要以上に他人に関知せず、どこまでも自己完結した在り方。
――生き物としては、それが正しい生き方なのかも知れない。
――だが人間としては、絶対に間違っている。
誰かが困っていたら助けてあげましょう。そんな事、幼稚園児だって知っている常識だ。
人に優しくする事もできないこの街の人々は、他人と関わる勇気を持たない臆病者だ。
だってそうだろ?
他者に関わらないという事は絶対的に楽なのだ。
自分の事だけを考え、自分の事だけを心配し、自分の事だけを思い続ければいいのだから。
人と関わるという事は、それだけ自分以外に対する心配ごとも考え事もやるべき事も増えるという事だ。
嫌な言い方になるが、自分の中のリソースを他人に割く事のできるのは、きっと強さに他ならない。そして勇気が無ければできない事だとも思う。
だから断言できる。
自分の事しか考えられないこの街の人々は、人と関わる事から逃げている臆病者なのだ、と。
吐き捨てた勇麻を見て、ダニエラは愉快げに笑った。
「やっぱりアンタ、この街の人間じゃないね。その愉快に平和ボケした思考回路。間違いなく外の人間だ。この街じゃどう頑張って暮らしてもそんな育ち方にはならないさね」
「うるせえよ。街とか外とかくだらねえ。自分の弱さを環境のせいにしてんじゃねえよ。臆病者」
ダニエラの言葉は聞くに堪えない見苦しい言い訳にしか聞こえなかった。
だって、今もこうして勇麻の隣に並ぶ九ノ瀬和葉の存在が、育ってきた環境など関係ないことを証明してしまっているから。
未知の楽園で暮らしてきた事など関係ない。人間とは、自分じゃない誰かの為に立ち上がる事のできる生き物なのだ。
「威勢がいいのは結構だがね、どっちみちアンタらの冒険も終わりさね」
「なに……?」
「この外周区で逃亡者の集い旗を名乗るヤツはアタシに裁かれるルールになってんのさ。本物か偽物かはさておきね。……アンタら二人は明日にでも奴隷市に売り捌く。健康な若い男と女だ。買い手なんざいくらでもいる」
「どっ、奴隷市!? 未知の楽園にはそんなもんまであるのか!?」
「し、知らないわよ! 私の暮らしてきた未知の楽園にはそんな物なかったけど……反乱を起こして街を救った聖女が悪魔呼ばわりされてる世界よ? もう何があったって不思議じゃないわ」
目を剥く勇麻と和葉を無視して、ダニエラは部屋の隅に下がっていた部下に顎をやって、
「話は終わりだ。そいつらを地下牢にでもぶちこんでおきな」
そんな言葉を残して、ダニエラ=フィーゲルは勇麻達の前から立ち去った。
☆ ☆ ☆ ☆
真夜中をまわった地下牢の床は冷たく、流れる空気は陰鬱の一言に尽きる。
地下であるというその事実が圧迫感を生み、鉄格子内にこびりついた不吉な黒い染みが、嫌な想像を搔き立てる(そもそも未知の楽園が地下七七七メートルに存在する地下都市だとか、地下の地下に作った地下牢って何だソレ意味分からんとか、そんな文句を言ったところで地下牢に閉じ込められている事実は変わらない)。
総じて言えば、居心地は最悪だった。
「……なんか面倒な事になっちまったな」
「ここまでほぼほぼ予定通りの展開ではあるのだけれどね。……私達が捕まったのが未知の楽園でないことを除けば」
和葉が呟く勇麻に同意するように肩を竦める。
ダニエラ=フィーゲルとの対話の直後、後頭部に銃口を突き付けられたまま地下牢まで連行された勇麻達は彼此十二時間以上をこの冷たい鉄格子の中で過ごしている事になる。
文句をぼやくその表情にも疲労の色が見え隠れしていて、流石の和葉も現状には参っているのが伺える。
そしてそれは勇麻も同じだった。
「……その大前提が狂ったら全部失敗なんですが……」
隣り合った牢に入れられた勇麻と和葉は、鉄格子越しに背中合わせの状態になっていた。
地下特有の冷たさに辟易した二人が、少しでも近づいたほうが暖かいのでは? と、互いの体温で暖を取る為に編み出したポジショニングだ。
「仕方ないじゃない。まさか逃亡者の集い旗どころか『聖女様』までこんなに毛嫌いされてるだなんて、誰が予想できるのよ」
「まあそれはそうだけど……。つか、そこまで開き直ってるって事は脱出の目途でも立ってるって事なんですかね? 和葉さんや」
「ふふふ、東条くん。あなた誰に物を言っているのかしら? この私が、何の策も無しに連中に捕まったとでも思ってるの?」
自信たっぷりに言い張る和葉に、けれど勇麻は疑心に満ちた瞳を背後に向ける。
この情報屋、かなり強引で後先考えずに行動する所が多々あると思うのだが、本人にその自覚はないらしい。
そもそもこの現状こそが、勇麻に相談も無しに勢いだけで突っ込んだ結果なのだが、そこを突くと怒られそうだなと思う勇麻なのだった。
そんな勇麻の内心も知らず、和葉は言葉を続ける。
「脱獄自体は簡単だわ。建物の敷地外へ出るのもね。ただまあ、『虎の尻尾』だっけ? この盗賊団と全面的に敵対するのは避けられないわよね。……まあこんなへなちょこ共を敵に回したから何だって話ではあるけど、面倒くさいのは事実だし」
実際の所。和葉が考えているより状況は悪い。
『虎の尻尾』が巨大な組織であることはダニエラとの会話からある程度推測できる。そしてそれだけ知名度のある組織と揉め事を起こすという事は、それだけ東条勇麻の生存があの金髪の少女――おそらくは『Sオーバー』の聖女――に知られる可能性が高くなるという事だ。
“東条勇麻は死んだ”と思われている状態をキープしたい勇麻としては、中々痛い状況であった。
あの神出鬼没の少女に生存を知られているのといないのとでは、生存率が段違いだ。
勇麻が生きているのを知れば、また向こうから殺しにやってくる可能性も高い。
そしてもし彼女の方から勇麻への奇襲があった場合、また先と同じように殺される未来しか想像できない。
格上の化け物相手に主導権を握られ奇襲を掛けられて、それでも生き残れると思う程、勇麻は自分の実力を過信してはいない。
こちらから万全の状態で仕掛けなければ、勝ち目さえ見えてこない。神の子供達とは、そういう存在だ。
奇操令示を退ける事が出来たのは、シャルトル達含む背神の騎士団の協力と泉や楓。高見や勇火の手繰り寄せた奇跡があったからこそであり、勇麻自身に神の子供達を倒すだけの力があった訳ではないのだから。
「どっちにしても、あのダニエラって人を怒らせた時点で敵対は避けられないだろ。それに関しては諦めるしかない。だから問題はここを切り抜けた後だ。アリシアや拳勝。そして聖女様へ繋がる手掛かりは依然ゼロのまま。こっからどうするかを決めないと……」
タタン。タタン。
会話の途切れ目に割り込むように地下を反響する階段を下るような足音に勇麻と和葉が目を細め、首を回すように視線を交換した。
作戦会議を一時中段し、ひそひそと小声で二人は囁き合う。
「見回り……にしては間隔がやけに短くないか?」
「ええ、そうよね。ついさっき出て行ったばかりだもの」
堂々と脱獄の話をしている二人だが、看守の目と耳を警戒していない訳ではない。
きちんと一〇分周期で見回りに来る看守の足音が消えてから五分の間だけ、できるだけ声を抑えて会話をするようにしている。
一〇時間以上崩す事無く守られてきたルーチーンがいきなり崩れた事に疑問を抱く二人。
看守の行動パターンの変化に、不穏な物を感じずにはいられない。まさか奴隷市へ売り飛ばす為の出荷準備が整ったのか? それとも気が変わって今から公開処刑?
そんな不吉な妄想ばかりが脳内で膨らみ続ける。
そして薄明りの元へ顔を覗かせた人物を見て――勇麻と和葉の顔が驚愕に固まった。
「よお、暇してたかい?」
瓶の半分までを赤紫色の液体で満たしたワインボトルを片手に引っ提げた三つ編みにした橙黄色の髪の毛が特徴的な粗野な口調の女。ダニエラ=フィーゲルが、そこに居た。
「なんでアンタがここに……?」
思わず口からこぼれた疑問に、ダニエラはつまらなそうに鼻を鳴らすと、瓶から直接口に赤紫色の液体をぐびぐび流し込む。
「カッ、なんでも何もここはアタシの城さね。……自分家好き勝手に歩き回っちゃおかしいかいね?」
正論が飛んできて、勇麻は何も言い返す事ができない。
ダニエラは懐からグラスを二つ取り出すと、上機嫌な様子でボトルの酒を注ぎはじめる。
とぷとぷと、地下牢に場違いな水音が響く。
そして赤紫色の液体が注がれたグラスを突き付けるようにして差し出してきた。
「ほら、飲みな」
「え、いや……その、俺未成年なんだけど……」
「カッ、つまらん男だね。おら、そっちの嬢ちゃんは……?」
「私、安酒は飲まない主義なの」
「なら心配はいらないさね。シャトー・ラトゥール。一級品の上物だよ」
「……それをラッパ飲みできるアナタの正気を疑うわ」
半眼でねめつけながらも鉄格子越しに差し出されたグラスを受け取る和葉。目の前でダニエラ本人が毒見をしている為、毒の心配はないだろうが、それでもじぃっと液体を見つめている。
やはり敵からの貰い物に口をつけるのには勇気がいるのか、和葉は一度目を瞑ると、勢いをつけて口につけたグラスを一気に傾けた。
そこまでするなら飲まなければ……と思うのだが、どうやらお酒それ自体は嫌いじゃないのか飲まないという選択肢は存在しないらしい。というか和葉も思いっきり未成年のハズなのだが……未知の楽園の住人に今更常識を解くのも馬鹿馬鹿しいか、という結論に至った勇麻は何も見なかった事にする。
――その赤紫の液体を口に含んだ途端に目を丸くしたところを見るに、本当に上物だったようだ。
なにやら鉄格子ごしに宴会でも始まりかねない勢いだが、勇麻は油断する事なくダニエラを視線に捉え続ける。
そもそも、自分達を捕えている組織の長であるこの女がわざわざ酒を振舞う為にやってくるとは思えない。
「……何の用だよ、ダニエラ=フィーゲル」
低い声でそう尋ねると、ダニエラははぐらかすように笑った。
「おやおや、アタシも嫌わられたもんだ。こう見えても外周区の連中からはダニエラ姐さんって呼ばれて慕われてる自負があったんだが、ここまで露骨だとアタシみたいな人間だってショックを受けちまうかも知れないよ?」
「知らねえよ、そんなの」
「そうさね。アンタらは何も知らない。そして知らないからこそアタシが此処に来たって訳だ」
どういう意味だ、と訝しげに視線で尋ねる勇麻と和葉に、ダニエラは出し惜しみすることなく、率直にこう切り出した。
「アンタら二人を牢から出してやろうと思ってね。アタシ自らこうして出向いてやったって訳さね。少しは感謝したらどうなんだい? 威勢のいいボウズっ子と嬢ちゃん」
「「は?」」
期せずして、二人の声が重なった。
一体どういう風の吹き回しなのか。昨日あれだけ取り付く島もなく勇麻達を地下牢に叩き込んだ女の言葉とは思えない。
だがその言葉が本当だとすれば、昨日と打って変わってやけに親しげな態度にも理解はできないが納得はいく。
「ちょ、ちょっと待って」
「ん、なにさ。あまりの居心地の良さに此処が気に入っちまったのかい?」
「アナタ、何を企んでいるの? いきなり牢から出してやる、なんて言われて、あ、はいそうですか。って信じる馬鹿がいると思う? 警戒するのが普通でしょ?」
殺気さえ漲らせて、一時は勇麻の額に拳銃の銃口すら突き付けた女だ。警戒もする。
何かの罠かと疑うのは、ごく当然の反応である。
ダニエラもそれは承知のようで、あらかじめ予期していた展開だと言いたげにつまらなそうに鼻を鳴らした。
「かっ、まあそりゃそうなるわな。仕方ねえ、じゃあ教えてやろう。どうもアンタらの敵とアタシの敵が被ってる臭い。だからアタシの為にアンタらを出してやる。はい以上、言い訳おしまい!」
「……」
あまりにもあっさりと、そして豪快に告げられた単純な理由に、和葉は唖然と固まるしかなかった。
不意を突かれた意識が混乱する。
未だに頭が現実に追いついていない二人に、畳み掛けるようにダニエラが笑って言う。
「さて、事のついでに年長者から一つ教えておいてやろう。……未知の楽園に奴隷市は元より、奴隷なんざ一人も存在しないさね。なにせ『自由』だけが売りの街だ。アンタらが一体何に怯えてんのか、ウチの連中も一しきり頭を捻ってたよ。アタシとしては愉快なリアクションが見れて満足だけどね」
「あの脅しがブラフ? アナタ、まさか……ッ!?」
「おっと、過度な期待はよしな嬢ちゃん。アタシは真相なんて何も知らねえよ。……ただ一つ確かなのは、アンタもアタシも“同じ”未知の楽園の人間だ。“見えていた物は違った”のかも知れないけど、そこに差なんてありゃしない。アタシら等しくあの糞売女の掌の上って訳さね」
「ッ!?」
衝撃的な言葉に、息が詰まるのを感じる。
彼女が慣れない日本語を間違えた可能性を考えてみたが、無意味な現実逃避は時間の無駄だとすぐさま意識を切り替える。
勘違いでも聞き間違いでもない。ダニエラの言葉は、答えを知っている人間でなければたどり着けない類の物だった。
和葉も勇麻と同じ事を考えたのだろう。目を見開いたまま、驚きと確信に満ちた声で、
「やっぱりアナタ、『多重次元空間』の事に気が付いて……」
「ああ、勘違いすんじゃないよ? その長ったらしい単語についちゃアタシは何も知らねえ。……ただ、アンタらの不可思議な言動と、糞売女の神の力とを照らし合わせれば馬鹿でも想像くらいつくさね。もっとも、ウチの連中は馬鹿を越えた大馬鹿ばっかなもんでね。アタシ以外の奴らは微塵も気づく気配がねえけどな」
驚愕する勇麻と和葉の顔を酒の肴にワインを煽る女は、ただの盗賊団の頭領だとは思えない底知れ無さを秘めている。
驚愕よりも疑心が、そして興味までもが刺激される。
ダニエラ=フィーゲルという女は一体何者で、何をどこまで知っているのか。もしかしたらこの女は、勇麻や和葉が知りたがっている真実の一端を知っているのかもしれない。
「……アンタ、一体何者なんだ? いくらヒントがあったとはいえ、この短時間でその答えに辿り着くのはどう考えても普通じゃない。だとすると、アンタは俺らが知りえない事を知っているはずだ。俺らが知らない情報を持っているハズだ。……アンタは聖女について一体何を知っている?」
勇麻の問いに対して、ダニエラは無言だった。
表情さえ消し去り、口を噤んだまま和葉と勇麻の牢の鍵を開けると、目線も合わせず低い声で唸るように告げる。
それは、ある意味では決別の言葉だった。
「……牢から出してやるとは言ったが、アンタの家庭教師になってやる約束をした覚えはねえ。あの糞売女について語ることは何もない。語りたくないね。生憎だが余所を当たりな、ボウズ」
「待ってくれダニエラ……!」
必死に呼び止める勇麻に、ダニエラは取り合わない。既に牢に背を向ける彼女の表情を見る事は叶わない。
それでもダニエラは、最後の最後まで勇麻達に忠告を送る。
決して口には出さないが、勇麻と和葉の身を案じているのが言葉の端から分かってしまった。
それはつまり……あのブラフといい勇麻との最後のやり取りといい、昨日のやり取りの何もかもが完全にダニエラ=フィーゲルの手のひらの上だったという事だ。
「いいかい。アタシがアンタらの脱獄を見逃してやれるのは今だけだいね。じきにダミーの招集を掛けた看守が首を捻りながら戻ってくる。そうなればアタシは、アンタらを見逃してやる事ができねえ。……一応こっちにもメンツってヤツがあるんだ。部下の手前、逃亡者の集い旗を名乗ったヤツを見逃してやることはできねえ。ここいらの逃亡者の集い旗を壊滅させた人間として、外周区の連中に示しがつかねえからね」
「……は? え、嘘だろ。 逃亡者の集い旗を壊滅させたのか!? アンタが!?」
「ここいらって言ったろ? まっ、つまるとこアタシが潰したのなんざ、よくて末端の末端。せいぜい外周区から追い払ったってトコだろうけどね。……さあ時間だ。あと三十秒もない。このまま真っ直ぐ通路を進むと奥に非常時用の隠し階段がある。そっから外に出な。ほら、ぐずぐずしてんじゃないよ、さあ早くっ!」
さらに追加で衝撃的な事実が告げられるが、やはりダニエラにそれらについて詳しく語るつもりはないらしい。
目の前に勇麻より真相に近づいている人間がいる。だと言うのに、近道が許されない事がどうにももどかしい。
思わず隣に視線を送る。和葉もこの辺りが潮時だと首を振っているのが見えた。
これ以上拘泥しても、ダニエラは情報を零してはくれないだろう。ならばこの地下牢に留まるメリットは何も無い。
二人は同時に鍵の開いた牢を飛び出ると、ダニエラの指した方角へと走り出した。
「……くそっ! 礼は言わないぞ、ダニエラ! ………………ああくそ! 助かったよ、ありがとな!!」
感謝はすれど、謝罪の言葉は言わなかった。悔しさと謎の敗北感が、勇麻につまらない意地を張らせていた。
「かかかッ! 我慢できずに後から言うくらいなら、意地なんざ張らずに初めから素直に感謝しとけばいいのに。忙しいボウズさね」
それから最後に、走る勇麻達の背中を追いかけるように、こんな声が聞えた。
「『白衣の悪魔の遺産』に気をつけな。あれは今も――」
数分後。
勇麻と和葉は、『虎の尻尾』の地下牢から無事脱出。そのまま廃工場の敷地から出ると、見事外周区へと帰り着く事ができたのだった。




