第十七話 ふりだしへの急転Ⅲ──廃屋での作戦会議
突如生じた謎の亀裂に呑み込まれ、『多重次元空間』なる同座標上にいくつも存在する未知の楽園の一つに飛ばされてから一夜が明けた早朝。
廃屋の古びたベッドで眠りについた和葉と勇麻(もちろん床に雑魚寝)は、崩れた壁から差し込む強烈な朝日によって強制的に目覚めさせられた。
昨日の肉まん以来なにも食べていない勇麻としては何か食べ物を胃の中に放り込んでおきたいところなのだが、あいにく廃屋には冷蔵庫なんて便利アイテムは存在しない。
というか、あった所で中身は腐っているに決まっている。
今度は空腹で倒れそうな勇麻を救ったのが、和葉が懐から取り出した大量の菓子類だった。
どこにこんな量を蓄えていたのか、クッキーにチョコレート、あめ玉やドーナツなどメジャーな物から、天界の箱庭ではお目にかかれないようなゲテモノまで何でもありだ(ちなみに和葉は自分の神の力で食べる前のお菓子の情報を保存し、半分食べては『貼り付け』半分食べては『貼り付け』を繰り返していた)。
そんなこんなで何とか朝食にありつけた勇麻と和葉は、ようやく今後の方針を固める為の話し合いを始める事となった──という訳で現在。
二人はなにやら難しい顔をしながら、ボロボロの座卓を挟み、向かい合って床に腰を下ろしていた。
──情報を整理しよう。
解答を導き出そうにも、まずは出題されている問題が何なのかを知る必要がある。
だからこれは前段階。
あくまでも、解答に取りかかる前の事前準備。必要な要素を羅列し、解答への道筋をある程度組み立てる為の確認作業でしかない。
……なんて大仰に言ってみた所で、やることは振り返り。ただの復習でしかない。
勇麻の小さな脳みそでは、一度きちんと整理しなければ必要な情報さえどこかへ埋もれてしまう。
「色々ありすぎて頭が混乱しそうだけど、一つずつ、順を追ってまとめていこう。改めて言葉として並べる事で、何か気が付く事もあるかもしれないからな」
軽く頷く和葉の手には、ボールペンとメモ帳がある。
ここに箇条書き方式で、勇麻達の知っている情報を書き留めていくつもりのようだ。
「それじゃあ、……そうね。まず初めに、東条くんが感じていた違和感について、教えて貰いましょうか」
司会進行は和葉に任せる事にした。
勇麻と和葉とを比べた時の持っている情報量の差の問題と、どちらがより冷静に話し合いを進める事ができるかを加味している。そして同時に聞き手の役も担っている。
「違和感自体は未知の楽園に訪れた時からずっと感じていたんだ。その時は原因までは分からなかった。でも、“何かは分からないけど何かが間違っている”。そんな警告がどこか頭の遠いところでずっと鳴り響いていたような気がする。そしてこの違和感の理由に明確に気が付いたのが、リコリスとの戦闘直後だ」
あの時勇麻が聞いた聞き覚えのある少女の声。
彼女の指摘によって、勇麻は明確に違和感の正体を感じ取ることができた。
「そういえばあの時の東条くん、思いだすのも笑っちゃうようなみっともない顔でぶつぶつと何か譫言を呟いてたけど」
「ちょっと待って、そんなおかしな顔してたの俺?」
「みっともない顔でぶつぶつと何か譫言を呟いてたけど、結局何だったの?」
「あの……俺の質問スルー?」
「何だったの?」
どうやら、答えるまで許してくれ無さそうだ。
だが、説明しろと言われても何と説明すればいい? まさか頭の中に女の子の声が聞こえてきて教えてくれました、なんて答える訳にはいかないだろう。
自分にだけ聞こえる目には見えない不思議な少女の声なんて、まさに夢見る少女の特権だろう。
自分のようなむさ苦しい男子高校生には似合わなすぎる。
勇麻は冷や汗を搔きながら何と言い表したものかと、しどろもどろになりつつも必死で和葉に説明を試みる。
「い、いやー。それはその……、何と説明すればいいか。天啓? が降りてきた的な? ほら、あの神のお告げ的なファンタスティックでマジカルなアレがあったんですよマジで」
「……。で、その違和感の理由というのは具体的には何だったのかしら?」
「……和葉さん。それ地味に辛いっす……。ほんともう勘弁してくだせぇ……」
「あら、そうかしら? 分ったわ。善処します」
勇麻イジメに満足したのか、和葉はニコリと満面の笑みだ。
リアクションが欠片も無いのは地味に心に堪える物があるのだった。下手をすると勇気の拳にも影響が出てくるレベルで。
こほん、と。咳払いを一つ。
勇麻は気を取り直して和葉からの質問に答える。
「……明らかに歪んでいるエレベーターの位置。スピカやレインハートの行動の痕跡が不自然な程に見えない異常。苦戦らしい苦戦もなく、誰かに用意されたシナリオをなぞっているような都合の良すぎる展開。……そして陰でそれらを仕組んでいた九ノ瀬拳勝。和葉と俺を巡り合わせたのが拳勝だったのが発覚した時点で、きな臭さが一気に増した感じだな」
それに、九ノ瀬拳勝はどういう訳か出会う前から勇麻の事を知っていた。
この辺りも、後々の事を考えると重要な情報の一つになるかもしれない。
「そういえば東条くん、たった今思い出したのだけど……あなた、最初微妙に私に疑いの目を向けてなかった?」
「……な、ナンノコトダカワカリマセンデスネ」
「露骨にカタコトになってるわよ」
じっとりとした視線を向けてくる和葉から逃れるようにそっぽを向いて口笛を吹く勇麻。
こっちだって疑いたくては疑った訳ではないのだ。何せそれは勇麻が最も考えたくなかった最悪の可能性なのだから。
必死で下手くそな口笛を吹いていると、勇麻の動揺具合に呆れたのか何かを諦めるように和葉が大きな溜め息を吐き、視線の照射が終わる。
内心ほっと息を吐く勇麻。
何故だろう、いつの間にかこの少女に頭があがらなくなっているような気がしないでも無いのが一番恐ろしい。
「そして、真打登場とばかりにいきなり現れやがったうちの馬鹿が残していった爆弾発言が」
「拳勝が逃亡者の集い旗のメンバーだった、ってアレだな」
ため息を吐く和葉に乗っかる形で言葉を続ける勇麻。
ただ、この発言にもいくつか謎が残っているのは確かだ。
拳勝が逃亡者の集い旗のメンバーだったとしたら、何故同じ組織のチェンバーノやリコリスの計画を潰す事に協力したのか。
それに、それぞれの反応を見る限りでは、拳勝とこの二人が顔見知りだったようにも思えない。
「長年一緒に暮らしてきて私に一言の相談も報告も無しとか、この馬鹿兄さんは許せないわね。向こうに帰ったら家賃をいつもの十倍くらい払わせてやりたいわ」
「そもそもあれ、家賃なんて払ってるのか? 大家さんなんて絶滅してそうな物件だったけど」
「何言ってるの、大家はこの私よ?」
「……拳勝も普段苦労してるんだな」
このぶっ飛んだ妹にしてあの兄ありと言うか、血は繋がっていないのかもしれないが、やはりこの二人は兄妹だ。
和葉は勇麻の戯言を完全に無視して、
「そういえば、他にも何やら重要そうな単語をバラまいてたわよね? それこそ黒幕面で」
「『案内人』、『招待客』、『向こう側』、『契約』がどうの、なんてのも仄めかしてたな。……それからこの街最強の神の子供達によって造られた『多重次元空間』」
拳勝の言葉から考えれば『案内人』とやらが拳勝で、『招待客』というのが勇麻の事だろう。
そして拳勝は、『招待客』である勇麻が都合のいい世界を拒絶した時──おそらく、この都合の良い世界への疑いを確たる物にし、得られた結末を否定した瞬間──に己の正体を明かして『招待客』たる勇麻を『向こう』へと案内する『契約』になっている……と、語っていた。
「『契約』……ということは、兄さんと何らかの取り決めを交わした第三者が存在する、という事よね?」
「そいつの目的も、拳勝が契約を交わした理由も、何も分からないけどな」
だが、契約を交わした以上は拳勝側にも、そして第三者側にも何らかのメリットがあったはず。
この世界を拒絶した勇麻を『向こう側』……すなわちこちらの世界へと案内する事で生じるメリットが。
それが分かれば多少は事態も進展するのかも知れないが、あいにく勇麻には想像する事も出来なかった。
「……そして、いきなり訳の分からない単語で捲くし立てられたと思ったら、空間にあの亀裂が生じたって訳ね」
「そういえば、俺はターゲットみたいだったから亀裂に呑み込まれるのはまだ分かるんだが、和葉はどうやって此処に来たの?」
「亀裂に吸い込まれそうになってる勇麻くんの袖を咄嗟に掴んだのよ。そしたら勇麻くんと一緒に呑み込まれたわ。もっとも、無理やり入ったからか途中で手を離してしまったのか、落下地点は少しズレてしまったみたいだけれどね」
「……ほんと、いい度胸してるよ。おかげで助かったんだけど」
本当に和葉の咄嗟の判断には感謝しかない。
もし和葉がこちらに来ていなかったら、今頃東条勇麻は間違いなく死んでいただろう。
……あの金髪の少女によって。
肉塊となった勇麻へ向けられた、底冷えした無関心の視線を思い出し掛けて、慌てて幻影を振り払う。
あの少女について議論を交わすのはもう少し後だ。
「で、拳勝の言葉が正しければ、亀裂に呑み込まれた先が『向こう側』。俺達がいるこの場所を指してるんだろうけど……」
「聖女様……未知の楽園最強の神の子供達が造り上げた『多重次元空間』。この言葉を信じるのなら、今私達がいる未知の楽園は、私が暮らしてきた未知の楽園とは別物って事になるわね。にわかには信じられないけど」
「なぁ、『多重次元空間』ってのがいまいちピンと来ないんだけどさ、要するに平行世界みたいなモンだと思っていいのか?」
「いいんじゃないかしら? 厳密には違うのだろうけど、私達にとっての焦点はそこにはないのだし」
「てか、そんなものをたった一人の神の能力者が造ったなんて言われてもスケール大きすぎて理解が追いつかねえよな」
「それは神の子供達だから、で納得するしかないんじゃないかしら。噂を聞いている限りじゃ、連中、人間なんてとっくに止めてるとしか思えないのだし」
「……それは言えてる」
確かに人間止めてたわ、アイツ。と、トラウマを刺激された様子の勇麻が顔色悪く答える。
脳内に浮かぶのは、超絶弩外道系ラスボスかと思いきや変形モンスター型兼幽霊美少女ラスボスだったあの少年。
正直に言って、神の子供達という言葉にはいい思い出も印象も何もない。最悪の一言で語り尽くせないくらいの因縁がある。
そんなもののせいでアリシアは色んな組織に狙われるし、ネバーワールドでは恐ろしい目にあったし、もう散々なワードとして脳内辞書に登録されている感じなのだ。
今回も勇麻の心にさらなるトラウマを刻みつけるような事態にならないことを、せつに祈るしかないのだった。
……とはいえ、既にそれらしい人物に殺されかけているので、新たなトラウマトロフィーの獲得はもう回避不能なのかもしれないが。
「規格外の化け物の話はともかく、ここで重要なのは二つ。ここに例のアリシアちゃんって子がいるかもしれないというのが一つ。そしてもう一つが、こっちの世界に全ての黒幕がいる可能性が高いってこと。兄さんはこっちの世界で真実を掴め、なんて事をこぼしてた。あの喧嘩中毒単細胞のことだから、言葉そのまんまの意味……つまり、今回の件の全てを知る黒幕にもこちらの世界でなら手が届く可能性が高い」
アリシアの現状を確認するのは、今最も優先すべき急務だ。
あちらの未知の楽園では逃亡者の集い旗のふざけた計画を潰す事に成功した。
ひとまず目前の危機を回避する事には成功したが、そもそもアリシアはあちらの未知の楽園に居なかったのだ。
アリシアをこちら側に招いた人間によって丁重にもてなされているとも思えない。
勇麻としては、一刻も早く彼女の無事を確認したい。
そして和葉の目的の為にも無視できない事が一つ。
「その黒幕ってのが、拳勝と『契約』を交わした第三者って事でいいのか?」
「まあ、可能性は高いでしょうね。もしそうだった場合、未知の楽園一の情報屋の私としては、色々聞かなければならない事があるのだけどね。主にうちの馬鹿な兄について」
「和葉さん笑顔が怖い笑顔が」
お札の偉人みたいに陰影のついた良い顔で笑う和葉。
吹っ切れるのは良いことだが、この調子ではどちらかというと拳勝の末路が心配になる勇麻だった。
とまあ、ここまでが亀裂によってこちら側へ飛ばされるまでの話。
問題の大前提だ。
「……ここまでは基本兄さんの発言から得られた情報ね」
和葉も勇麻の内心をなぞるように言う。
だが、勇麻の中に猛烈なインパクトを残した存在がまだ一つ残されている。
今回の騒動に立ち向かう上で、絶対に無視できない障害とも呼べる存在が。
「東条くんを殺そうとした謎の金髪少女、ね……。一体何者なのかしらね」
亀裂に呑み込まれた勇麻を待ち構えていた謎の少女。彼女は無関心よりも薄い明確な殺気を持って勇麻を殺そうとした。
タイミングと言動から考えて、彼女が拳勝と通じている可能性はかなり高い。
今回の件の黒幕候補の一人として数えるべき相手だ。
……いや、それどころか──
「──俺は、あの子が未知の楽園の神の子供達……『聖女』なんじゃないかって思ってる」
「……まさか、未知の楽園最強の神の能力者が直々にあなたの命を狙ってるって言うの? あの滅多に人前に顔を出さない『聖女様』が?」
「俺は神の子供達って反則の存在と何度か正面から対峙した事がある。……似てるんだよ、雰囲気が。底なし沼みたいな闇を覗き込んだような得体の知れない恐怖と、あのどうしようもない絶壁と対峙したような絶望感。干渉レベルSオーバー、測定不能の領域にいる怪物と、同じ匂いがしたんだ」
殺されかけたあの瞬間。勇麻は、自分の身に何が起きたの全く理解出来なかった。
気づけば少女は勇麻の背後からその肩に手を掛けていて、次の瞬間には壮絶な痛みと共に瀕死の状態にまで追い詰められていた。
彼女がどんな神の力を使ったのか、どんな神の能力者なのか。対峙してなおその全てが謎のまま。
たがそれでも、彼女が神の力を行使する直前の干渉力の異常な上昇具合は覚えている。
あの肌がビリビリするような威圧感と絶望感は、種類こそ違えど間違いなく奇操令示と同じ領域の物だ。
勇麻の言葉に、和葉は考え込むように顎に手を当てて。
「つまり東条くんは、今回の件の黒幕がこの街最強の神の子供達。救国の聖女だと思っているという訳?」
「ああ、そうだ。それにあいつは、多分拳勝とも通じてる。拳勝はアリシアはこっちの世界にいると
言っていた。そもそもこの『多重次元空間』を造ったのがその聖女だって言うのなら、アリシアが何処に居るのかも知っているはずだ」
今回のアリシアの天界の箱庭離反から始まった一連の騒動。
様々な思惑が交錯するこの街の中心には、必ずと言って良いほどに『聖女』という単語が顔を覗かせているように思える。
何にせよ、『多重次元空間』なんて物に囚われている以上は無視することはできない単語だ。
「実際のところ確証は何もない。全部俺の直感だ。だから和葉、判断はお前に任せる。違う場所って言ったってここが未知の楽園であることに変わりはないんだ。何をするにしてもお前の案内が必要になる」
勇麻の言葉に目蓋を閉じて、しばしの間和葉は黙考した。
やがてゆっくりと瞳を開けると、勇麻を試すようにその瞳を覗き込んで、
「東条くん。あなた、自分がどれだけ危険な物に手を出そうとしているか、その自覚はあるの?」
「そりゃあるよ。なにせこっちは既に一度殺されかけてる。正直言って滅茶苦茶怖い。あの金髪の子が件の聖女様にせよそうじゃないにせよ、俺を積極的に殺したがってるんだからな。でも、なりふり構ってなんかいられねえんだ。こうしてる今もアリシアが危険な目に遭ってるかもしれないのに、俺が逃げる訳にはいかないだろ?」
「……どっちにしても、この『多重次元空間』を造り上げたのが聖女なのだとしたら、元の未知の楽園に帰る為にも避けては通れない問題、か……」
和葉は諦めたようにそう呟くと、何かを切り替えるようにポンと手を叩いて元気よく立ち上がり、
「……いいわ分かった。これから私達は未知の楽園最強の神の子供達。救国の聖女への接触を目的とし行動を開始します。……東条くんは用心棒代理として意地でも私を守りぬくよーに。分かった?」
ふんすとどこか偉そうにふんぞり返って、和葉らしい口調で和葉らしい事を言ったのだった。
「……ああ!」
成すべき事は決まった。
なら後は、逃げることなく真っ正面から立ち向かうのみだ。
「……それでね、東条くん。早速なんだけど一つ、作戦があるわ」
悪巧みをするいたずらっ子のような顔でそう提案する和葉。
ちょいちょい、と。耳を貸せと手振りで示す和葉に従い、勇麻は顔を近づける。
内緒話でもするように、和葉が告げた衝撃の作戦の内容とは――




