第十三話 VS.リコリスⅠ――最悪の結末へ
「おう旦那、そっちも終わったみたいだな」
チェンバーノ=ノーブリッジを打倒した勇麻の背中に、お気楽な調子の声が掛けられる。
振り向かずとも分かる。きっと九ノ瀬拳勝は、ひしゃげた左腕をぶら下げたままに心の底から愉しげな笑みを浮かべているに決まっている。
「……拳勝、お前一体何やったんだ? すんごい悲鳴がひっきりなしに聞こえてたけど……」
「あの人数相手に加減しろとか旦那も鬼だなー。まっ、確かに子供相手に些か大人げなかったとは思ってるぜ。反省反省」
神妙なのか小馬鹿にしてるのかいまいち分からない面持ちで己の額をぺしぺし叩く拳勝。
勇麻はその様子に緊張感を挫かれる思いだった。
「はぁ……。子供達は無事なんだろうな?」
「それなら心配いらねえよ。神の能力者は頑丈だ。そう簡単には死にはしねえさ。(……ま、痛みでやられちまった精神の方は保障しかねるけど)」
「ひとまず救急車は呼んでおいてくれよな。あの子達だって被害者なんだ。俺達が原因で取り返しがつかない事態になったなんて話、死んでも聞きたくないぞ。俺は。……ん? ところで未知の楽園に救急車ってあるのか……?」
「向こうも俺らを殺しに来てるんだから死んでも文句も言えないと思うんだけどな……っと、怖い怖い。そう睨むなって旦那。……あー、へいへい。分かりやしたよ、東条の旦那がそう言うならしがない雇われ用心棒の俺は従うまでっすよーっと」
そう言ってごそごそと倒れたチェンバーノの懐を漁った拳勝は、取り出したスマホを好き勝手にいじり始めた。どうやら救急車という概念はあるらしい。
本当ならば子供達が無事に病院に運ばれるところを見届けたい所ではあるが、救急隊と鉢合わせになれば面倒な事になるのは目に見えている。
子供達はその道のプロに任せて、先に進むべき場面だろう。
「で、旦那。これからどうすんの?」
「チェンバーノ=ノーブリッジはリコリスってメンバーの名前を口にしていた。口ぶりから察する、おそらくそいつはチェンバーノより上の存在だ。それも、多分この建物内にいる」
「……へえ、それじゃあ」
「ああ。俺はそいつを見つけ出して、くだらない計画とやらを潰す。拳勝は、アリシアを探している和葉を探してくれ。一人にさせちまった俺が言うのも何だけど、やっぱり心配でさ」
☆ ☆ ☆ ☆
勇麻とチェンバーノ=ノーブリッジの戦闘が行われていた聖堂から自力で抜け出した和葉は、逃亡者の集い旗の本拠地のさらに奥まで進んでいた。
目的は一つ。アリシアという少女の居場所を突き止める事。
勇麻達が戦っていた聖堂から今和葉がいる別棟は渡り廊下で繋がれていた。
聖堂が『聖女様』へと捧げる怪しい儀式やらを執り行う逃亡者の集い旗の本拠地の『顔』であるならば、この学校と西洋の教会を足して二で割ったような建物は『心臓』や『頭脳』にあたる部分なのだろう。
政治的に重要な施設や、会議などの行われる巨大な部屋。さらには研究棟にデータベースまで、組織運営に必要な設備が一通り揃っている。
そして、これだけ大事な物を詰め込んでいる関係上、警備も確かに厳重だ。
だが、和葉の神の力を前にしては、あまり意味のある物でもないかも知れないが。
「なんだかんだ言って、便利な神の力よね。これ」
何でもないような調子で小さく呟く和葉。
己の両手に目を落とす彼女は、さらに深部へと進むべく適当な壁に両手を当てる。
九ノ瀬和葉の『横暴なる保存者』は掌で触れた物の状態を記憶、保存する事ができ、さらにその保存した情報を、同じく掌で触れた対象に『貼り付け』──要するに上書きする事ができる、といった神の力である。
この力を使い、彼女は擬似的な治癒──というよりも事象の回帰──を行っているのだが、使い方次第ではもっと攻撃的な応用をする事もできる。
例えば、この神の力の“上書き”するという部分に注目して欲しい。
保存した情報を対象に上書きする。
言葉にすると簡単にも思えるが、彼女の『貼り付け』は過去への回帰とも見る事ができる。
ようするに少なからず時間という概念に逆らっているのである。
時間旅行には矛盾が付き物だ。
その矛盾を発生させない為に、“上書き前”と“上書き後”の差異を世界に感付かれる事無く調整し帳尻を合わせなければならないのだ。
ようは、『横暴なる保存者』発動前後で生じる世界の違和感――矛盾――を限りなく零に近づける、という行程が必要なのである。
保存した情報を丸々全てべたりと貼り付けるのではなく、一つ一つの要素として分解し、必要最小限のみを選りすぐり、修正パッチをあてがうように少しずつ塗り潰す。
不自然さを、違和感を、矛盾を感じさせないほどのクオリティへと仕上げる。
──『世界を騙す』それこそが九ノ瀬和葉の持つ干渉力の本質と言っても過言ではないだろう。
例えば、『炎』の情報を保存し己の腕に『貼り付け』すれば、燃える炎腕を扱えるようにもなるし。
『水」の情報を保存し己に『貼り付け』すれば流動的で物理攻撃無効な水流ボディを手に入れる事もできる。
和葉は運動神経が破滅的なので、こういった攻撃的な応用がされる事は少ないが、仲間を強化する事は可能だ。
もっとも、保存できる情報は掌の数までなので、元の姿の情報をもう片方の手にきちんと保存しておかなければ元に戻れない。しかも三十分以内でないと保存していた情報が消えてしまいやはり戻れない……などという悲惨な結果が待っている訳なのだが。
ともかく。
前述の通り、『貼り付け』による“上書き”の部分にはかなり繊細な感覚が要求される。
だが、その繊細な作業を無視して、乱雑に結果のみを『貼り付け』した場合どうなるか。
──例えば。分厚い大理石の壁へ、右手に保存してある『東条勇麻』の情報をべたりと貼り付けする。するとどうなるか。
答えは簡単だ。
──発生した矛盾に耐えきれず、上書き対象は崩壊する。
ヒト一人が丁度くぐり抜けられるくらいのサイズの穴が、大理石壁に生じる。
明らかな矛盾を世界が認めなかった結果、不正な上書きを施された大理石が崩壊したのだ。
「さて、後は左手で壊す前の“壁の状態”を上書きして穴を塞いで……っと。うん、我ながら完璧な仕事ね。後はちゃちゃっとアリシアちゃんとやらを見つけて、報酬貰ってベッドに飛び込みたい気分だわ。こんな危険な役回り、二度とごめん被りたいものだし」
やる気無さげな言葉とは裏腹に、真剣な表情を浮かべる和葉。
他人の為に何かをする。
彼女にとって初めての経験であるそれは、不思議と嫌な感覚はしないのだった
☆ ☆ ☆ ☆
執務室の豪勢な肘掛椅子に腰かけ、黒檀のデスクに肘をつきながら、その女の貧乏ゆすりは止まらない。
近くに居たはずの護衛の兵士達も既にここにはいない。自分に護衛など必要ないと怒鳴り散らし、半ば無理やり戦場へ増援として向かわせた。……まあ、その結果は見るまでも無く焼け石に水だっただろうが。
トントントン。リズミカルに床を叩く音は止まらない。爪を噛みつぶして、眉間にしわを寄せる。
気だるげにしていても美しいとチェンバーノによく評されていたその顔は、激情に歪み殺人鬼のような形相と化していた。
褐色の肌に白ペンキをぶちまけたような白濁した髪の長身の女性――リコリスは焦っていた。
白昼堂々。真っ正面から正門をぶち破り、突如として現れた侵入者三名によって表の兵士は全滅。
全ての攻撃に手心が加えられ、死者は一人も出ていないというこの状況も、馬鹿にされてるとしか思えない。
『シーカー暗殺計画』という大きすぎる山場を目前に控えたリコリスにとっては、まさに悪夢のような白昼夢だ。
さらに編成した特殊部隊『フェンリル』の七分の一を迎撃のために使用させられ、そのうえ対東条勇麻用の切り札であるチェンバーノ=ノーブリッジという強力な手札まで切る羽目になった。
それで確実に侵入者を排除できたのなら、まだ問題は無かったかも知れない。
「……クソッ! チェンバーノの野郎……何をやってやがるんだい」
執務室の巨大な黒檀のデスクを叩き割る勢いで、リコリスは憤慨していた。
先ほどまで聞こえていた戦闘音はすでに止み、戦闘に決着が付いた事を静かに主張している。
だというのに、侵入者の対処へ向かわせたチェンバーノからの報告が一向にない。
こちらから通信を飛ばしても一向に繋がらない。
その無言が、何よりも不吉な予感をリコリスへと突きつける。
「そんな訳がない……。この未知の楽園に、逃亡者の集い旗に対抗できるような勢力はもう残っちゃいないハズだ」
けれど、自分で言葉にしてリコリスは気がついてしまう。
確かに、未知の楽園内には、逃亡者の集い旗に反抗する理由と力を持つような人材は残っていないのかもしれない。
だが、外は違う。
未知の楽園の外の人間が、何らかの理由で逃亡者の集い旗を潰しに来た。
常時ならば有り得ないと鼻で笑い飛ばしていただろう。
『シーカー暗殺計画』が外に漏れる可能性はゼロだ。わざわざ外から敵が殴りこみにくる理由がない、と。
だが今は違う、必要な条件が揃ってしまっている。
リコリス達は、アリシアという少女を天界の箱庭から連れ去って来たばかりだ。
そしてつい先ほど、リコリスはチェンバーノ=ノーブリッジを対誰用の切り札だと表明した?
「……」
追いつめられている。
自分でもその自覚を持てる程度には。
己の心の状態を自覚して、把握して、けれど心の安定を取り戻す事には失敗して──思わずすがりつくように見つめた扉がガチャリと、都合よく静かに音を立てて開くのを見たリコリスの顔が期待に輝き──
「っっっ! チェンバーノ! ったく、ようやくかお前はいつも遅えんだ──」
──扉を開いて現れた人物に、リコリスの表情が固まった。
「よう、アンタがリコリスだな」
ゆっくりと開閉する扉。その先から姿を現した少年は、リコリスの見慣れた褐色の少年ではなかった。
窓の外から眺めた時は、侵入者の顔形まではっきりと確認する事ができなかった。
が、今は違う。
報告書に貼り付けてあった写真と同じ顔。
天界の箱庭でアリシアに接触する際に、もっともリコリスが警戒していた人物。
勇気の拳という名の、詳細不明の神の力を宿したイレギュラー。
「……」
リコリスはやや遅れて何かを取り繕うように眉間に皺を寄せると、低く一言。
「そういうアンタは……東条勇麻か」
「ああ、そうだ。……俺がここに何をしにきたか、説明する必要はあるか? 今ならサービスして手取り足取り一から一〇〇までをたった一言で教えてやるけど」
リコリスのドスの効いた威嚇にも一向に動じる気配を見せない東条勇麻に内心苛立ちながらも、リコリスは強気に嘲笑ってみせた。
虚勢を張り続ける事で、心の乱れを誤魔化すように。
「ハッ、捕らわれの姫君を救いに来た勇者様ってワケか。でもそれなら検討違いだよ。アリシアはアンタを救う為に自らの意志でここにいる。アンタの独りよがりな英雄的行為は、今のアリシアのとっては邪魔にしかならない。分かったらとっとと荷物まとめて帰んな。今アタシは機嫌がいいんだ。今ならこれまでの事は全部見逃して──」
「何も分かって無いんだな、アンタ」
たった一言。
取り繕ったリコリスの余裕の鍍金を、東条勇麻が引き剥がした。
「なに……?」
「俺は確かにアリシアを連れ戻す為に未知の楽園に来た。でもな、こうして今アンタの目の前に立っているのはアンタのふざけた『計画』とやらをぶっ潰す為だ」
理解ができない。
その思考に追いつけない。
何故、どうして、東条勇麻の目的はアリシアという少女の奪還のはず。
──まだだ。落ち着け。冷静さを保て、混乱を、動揺を、……を、悟られるな。
「……言わなかったか? アリシアはアンタの為に、東条勇麻を救う為にアタシらの計画に賛同し、協力している。……ネタばらししちまうが、この『計画』は『シーカー』を殺す為の物だ。『神門審判』の味方であるアンタにも利益がある物のはずだろ。それを根本から潰す? 馬鹿かお前。そんなのは舞い込んできた当たりの宝くじを便所で尻拭く紙に使うくらい馬鹿げた話だ。違うか?」
「ああ、そうだな。……もしかしたら、本当にアンタらの『計画』ってヤツは俺やアリシアの為になる物なのかも知れない。アリシアも俺の為に進んで協力してるのかもな」
ほんの僅かに、東条勇麻の表情に揺らぎが生じた気がした。
否、これは錯覚では無いはず。
畳み掛けるなら、今しかない。
「アタシの言葉が信じられないって言うのなら、大量の資料を渡して計画の詳細を話してやっても構わないさ。なんにせよ、アタシらの敵は『シーカー』一人だ。神門審判……アリシアを勝手に勧誘した事は謝罪しよう。だが仕事が終われば、彼女も天界の箱庭に戻ると言っているし、アタシらもそれを尊重するつもりだ。アンタやあの子自身の為にも今は好きにやらしてやってはくれねえか? それにアンタは『シーカー』と敵対してる背神の騎士団とも仲が良いいんだろ? どうだ、アタシらは共通の敵を持っているハズだ。互いに利害は一致してる、何なら今からアンタに『計画』に協力してもらうってのも悪くない。もちろん、シーカーをぶっ殺せた暁には報酬も弾む」
「……その話が真実なら、確かに俺もアンタも互いに戦うべき合理的な理由はない。『シーカー』は俺にとってもアリシアにとっても、いずれ倒さなきゃならない敵だ。アンタの言う通り、利害は全て一致している……」
「そうだ。アタシとアンタは手を取り合えるハズだ。なぁ、そうだろ? 共通の敵を持つ者同士、共に戦えるはずだ。……どうだ、東条勇麻。アタシらと一緒に『シーカー』の糞野郎をぶち殺さねえか?」
流れを掴んだ確信があった。
これでうまく行けば、リコリスは東条勇麻という巨大な戦力を得る事ができる。
シーカーをぶち殺す道に、また一歩近づける。
そんな確信を得て、
「馬鹿にするのも大概にしやがれ。絶対にお断りだ」
絶対的な離別を、告げられた。
「……なッッ!?」
「いいか、何も分かってねえみたいだから教えてやるよ。逃亡者の集い旗。アンタらの掲げる志がどれだけ高貴で素晴らしいモノだろうが、俺やアリシアの為になるモノだろうが、俺は絶対に認めねぇ。敵対する為の合理的な理由? テメェみたいな小物相手にそんなもん必要すらねえよ。テメェらは何の関係もない子供達の明日の命を盾に脅して巻き込んだ。そんなくだらない『計画』の片棒をアリシアに担がせようとした。俺はそれが気に入らねえ。拳を握る理由なんざ、これで事足りる」
対峙する東条勇麻が、一回りも二回りも大きくなったような錯覚を覚える。
圧倒的な怒気が、不可視のオーラとなって少年の周囲に迸る。
「俺がここに何をしにきたか。その答えだ、一から一〇〇まで教えてやる」
柳眉を釣り上げ目を細め、拳をリコリス目掛けて突き付ける。
明らかに我流だが、どこか洗練さえされた姿に、リコリスは畏れさえ感じた。
「逃亡者の集い旗。そのくだらねえ『計画』ごと、俺はテメェらをぶっ潰す」
「──……だ」
理解ができない、したくもないその結末にリコリスは思わず自らの頭を抱えて嘆いていた。
想定した最悪の中でも、飛び抜けてさらに最悪な展開だ。
最悪、ここで時間を稼いでアリシアに『神門審判』を使用させ、『創世会』への扉を繋いでから用済みになったアリシアをこの男へ渡してやればいい。
妥当な落としどころとして頭の中で一瞬で組み立てたそんな妥協案さえも、目の前の男には通じない。
長年かけて準備してきた『シーカー暗殺計画』そのものを、東条勇麻は潰すと言う。
それでは、もうどうしようもないではないか。
諦めるしかないではないか。
こちらの目的を、夢を、利益を、生きる意味を、権利を害しようと言うのなら。
それではもう、“諦めて殺すしかない”ではないか。
「……あぁ、最悪だ」
リコリスが悲嘆に呟いた、その瞬間だった。
圧倒的な力の奔流が、何の予兆も前兆も無しに三百六十度全方位から迫って――東条勇麻を握り潰した。




