第十二話 作戦開始前夜──嵐の前の馬鹿騒ぎ
「あぁもう酷い話しだよなもうこれトラウマになるよ本当に俺もうダメかもしれないよあーもう穴があったら入りたい」
部屋の一部にだけどんよりした雨雲がかかっているような雰囲気だった。
譫言のようにブツブツと下を向きながら呟く勇麻を見て、泉が面白そうにゲラゲラ笑っている。
きっと誰のせいでこうなったのか、この馬鹿はまるで理解していないのだろう。
「おい、ゴチャゴチャうるせーとまたナホちゃんに嫌われるぞ……ぷっ、ぶはっ……ぶははははははは!!」
「……泉センパイ、兄ちゃんをからかうのが楽しいのはよく分かりますけど、これ以上いじめないでやってください。このままじゃまともに話し合いもできません。こう見えてこの人、メンタルそんな強くないんですから」
「ところで勇麻。私は意外だったのだが、あの〝らぶれたー〟、案外皆に知れ渡っているのだな」
などとふざけた事を言ってきたアリシアに、勇麻は腐ったような目を向けて、
「……あのなアリシア。知れ渡ってるもなにも、全部お前の朗読が招いた悲劇だ。ちょっとは申し訳なくしてくれ」
「む、そうなのか」
アリシアは未だに勇火達がどうやって自分たちの会話を聞いていたのか、よく理解できてないらしい。
まあ手口としてはそうとう単純だ。勇麻が寝ている間に勇麻のズボンのポケットからスマホを抜き取り、勇火のスマホと通話中にして座卓の下にセットするだけ。
はい、これでもう簡単盗聴器の完成である。
今度泉の家にも仕掛けてやろうかと結構本気で勇麻は考えていた。
※盗聴は犯罪です。よいこの皆はマネしないでね。
「……アリシア、ついでに教えておいてやろう。あのやり取り全てをこやつらが聞いていたと言う事はだな、お前がワイシャツのボタンに手を掛けて何やらイヤラシーい事をしようとした事も当然知っているという事なんだぞ?」
「む。そうなのか。それは困ったのだ」
あまり困っていなさそうなアリシア。女の子てきな羞恥心があまりないのか、効果が薄いようだ。
「いや、その……なんていうか、盗み聞きした事は本当に申し訳ないと思ってるよ。アリシアちゃんに」
「俺には何も無いの!?」
「兄ちゃんのは自業自得だろ? ていうかさ、兄ちゃんがアリシアちゃんいじめてどうすんだよ、また話が進まないじゃんか」
「あぁ、そうだぞロリコンクソ野郎。裸まで見ておいて『身体は大切にしろ』とか白々しいんだよヘンタイ野郎」
勇麻の身体の中で、何かがブチ破れる音がした。
「……よし、決めた。泉、お前とは一度決着をつける必要があるみたいだなっ!!」
何かがブチ切れた勇麻が泉に飛びかかり、しかし瞬殺。綺麗に返り討ちに遭うというオチも着いた所で、勇火はため息をついた。
「はぁ……。二人とも、じゃれ合うのはその辺にしてさっさと今後の方針固めちゃいますよ」
勇麻達は現在、中央ブロック第五エリアのネオン街にある二四時間営業のカラオケボックスにいた。
学生寮で合流(?)した勇麻たちはあの後、とりあえず迅速にここまで移動していた。
「にしても高見の野郎、何でこういう面白そうな時に電話が繋がらないんだよ。本当に使えねぇなあの猿め」
泉は自分のスマホを睨みながらイラついたようにそう言った。
というか泉はだいたい愉しそうに笑っているか、イライラして怒っているかのニ択の場合が多い。
「まあ俺としては泉センパイが来てくれただけでも大収穫ですよ。戦える人は一人でも多いほうが良いですから、それに高見センパイは……まぁ、あんまり戦力にはならないし、しょうがなかったんじゃないですか?」
「まあ確かに、猿がいても弾よけぐらいにしかならねぇわな」
サラッと失礼な事を言う弟に、サラッととんでもない事を言ってのける泉。
勇火のほうはともかく泉の発言は冗談だと信じたい。
「ていうかさ、お前ら何なの? 何しに来たの? いや、本当に。泉も勇火もこれからどんな奴らと関わる事になるのか理解してここにいる訳?」
泉にブッ飛ばされジンジンする頬を押さえていた方の手で、思わずこめかみを押さえる勇麻。
実際、頭が痛くなるような展開だ。
勇麻とアリシアは何も遠足気分でこんな所まで来た訳ではない。
アリシアと彼女の持つ神器『天地の書』は背神の騎士団に狙われており、勇麻もそのの成り行きで背神の騎士団の戦闘員を撃破してしまい、ブラックリスト入りはほぼ確実。アリシア同様、彼らの標的と化した。
二代目と名乗る黒騎士との因縁もあり、戦闘は回避できないと確信した勇麻はアリシアと協力し背神の騎士団の魔の手から逃れる事を決意。あくまで己の為にアリシアを助け、連中から逃げる為に行動している。
そんな今のアリシアと勇麻と行動を共にするという事は、命の保証も何も無いデスゲームに素手で臨むような物なのだ。
いつ都市伝説で語られるような伝説の組織からの襲撃があってもおかしくない、そんな死と隣り合わせの極限状態にあるのだという事を、この馬鹿二人は本当に理解しているのか?
また、いつもみたいに遊びやイタズラの延長線上程度だとは思っていないのか?
勇麻の真剣な問いに二人はそれぞれ返答する。
「全部聞いてたって言っただろ? いくら何でも物忘れが酷いんじゃないの」
勇火の顔にはいつも通り、本当にいつも通りの呆れたような笑みが浮かんでいるだけだった。
表情からその真意を読み取る事は難しいように思える。だが、その眼光はいつになくギラギラと煌めいており、強い意志の力を感じられる。
対する泉も極めて自然体で、
「あ? 理解もクソも俺はこっちの方が面白そうだから来ただけだ。あの背神の騎士団と戦えるんだろう? そんなの逃す方が馬鹿だろ」
そう言って泉はケラケラ楽しげに笑う。
まるで、これからちょっと家族旅行に行くのを友達に自慢するような、気軽で楽しげな笑みだった。
勇麻はその、いつもと大差ない二人の態度に頭を抱えて叫ぶ。
「~~~ッ!! だぁああああああ、くそッ! 分かった分かりましたよ……っ。もう知らねえ、勝手にしやがれ馬鹿二人ッ! マジで死んだって知らねえからな!」
「勝手にしろも何も、許可なんて取らずに勝手にするっつってんじゃん。ていうかさ、兄ちゃんが何を思って俺とかに内緒でこんな危険な綱渡りをしようとしたのか、予想くらいしかできないけどさ……俺だってアンタの弟だって事、いい加減に理解した方がいいよ」
口元に笑みを浮かべながらそう言った勇火の瞳は、何一つ笑っていなかった。
いつも勇麻に説教をする時の瞳だ。
勇麻は思わずゴクリと喉を鳴らした。……なんだか、得体の知れない迫力があって怖い。
対する泉は、特に勇麻の言った事を気にも止めていないらしく大きく欠伸。緊張感に欠ける男だ。
そして、ここで当事者でありながら話に全く付いてこれてない人間が一人。
「……勇麻。ところでそこの人はどこのどなたなのだ? 敵ではないようだが……味方なのか?」
三人の会話に入れなかったアリシアが、勇麻の陰に隠れながらツイツイと袖口を引っ張ってきた。
ちなみにアリシアは勇麻のワイシャツから、最初出会った時に着ていた純白のスカート──正確には白のワンピース──に着替えている。
どこまでも白く儚い彼女の瞳は美しい碧。
同じように、腰まである純白の髪は天を流れる天の川のようで、カラオケボックスの薄暗い部屋の中でわずかな照明を受けて光り輝いていた。
やはり勇麻のワイシャツなんかより、こっちの方がずっと良い。
ただ、全身真っ白なのがどこか味気ない気もした。
勇麻はそれが彼女らしいと感じ、またそう感じてしまう事が少し悲しい事だと思った。
ちなみに勇麻は先程のTシャツに制服のズボンという格好のままだ。
「あぁ、そういや紹介もしてなかったか」
勇麻は面倒くさげに頭の後ろをポリポリと掻いて、
「えーと、アリシアも知ってるとは思うけど一応。あっちにいるのが弟の勇火だ」
勇麻の適当な紹介に、
「東条勇火です、さっきはどうも。改めてよろしくね、アリシアちゃん」
ぺこりと頭を下げて簡単に勇火が自己紹介をする。
「うむ、改めてよろしくだ。弟くん」
アリシアのほうもぺこりと会釈を返す。
……どうでもいいがその呼び方がお気に召したらしい。
勇火も少し困ったような顔をして頬を掻いている。
ついで本命の紹介。できればアリシアには積極的にお知り合いになって欲しくない人種の人間なのだが、仕方ない。仕方がないので流れ作業的に終わらせる事にした。
いまだに欠伸を噛み殺している泉を指差して、
「えーと、で、こっちの強面野郎が──」
「──あ? 誰が強面だ」
……もの凄く怖い顔で睨まれた。
ほら、やっぱり強面じゃん。と口の中で小さくぼやきつつ咳払いを一つする。
「──えーっと、こっちの大きくて少し怖い人が、誠に遺憾ながら友達の泉修斗。ちなみに、ちょっと色々おかしい人だから彼に近づく時は気をつけるように」
紹介のあった泉がアリシアに向けて獰猛に笑ってみせる。
「あとで勇麻はぶっ飛ばすのはとりあえず確定として。……アリシアだったよな? ヨロシクな。細かい事情は知らねえけど、俺らにケンカ売ってくる奴らは全部ぶっ飛ばしてやるから、まあ安心していいぞ」
どこをどのように安心すればいいのか分からなかった。
それじゃあただの、すぐに手が出る危険人物だ。
そして非常に残念な事に、実際その通りなのだからますます困る。
「うむ、よく分からないがよろしくお願いする」
アリシアは良くも悪くも素直な子だ。
泉の言葉に素直に頷き、ペコリと失礼のないように頭を垂れた。
☆ ☆ ☆ ☆
簡単な自己紹介も終わり、簡単に今後の事について意見を出し合い確認を終えると、勇麻達はそのままカラオケボックスで眠ることになった。
勇火、泉、勇麻の三人交代で一時間ごとに見張りを立てるという徹底ぶりだ。
泉と勇火の二人は、結局最後の最後まで折れなかった。
敵が誰なのかを理解した上で、それでも戦うのだと言って聞かなかった。
彼ら二人には立ち上がるべき理由なんて欠片も無いだろうに。
それでも共に戦うと言うのだ。
二人が一体何を考えて、何の為に戦うのか、勇麻には分からない。
予想はできても、それを完璧に理解するのは不可能だ。
それでもきっと、
(俺の理由よりはマトモなモノなんだろうな)
そんな事を思いながらも、時間は少しずつ過ぎていく。
頭に靄が掛かったように思考が重い。
脳の処理速度が急速に低下していく。
ドッと疲れがでたのか、ここにきて凄まじい眠気が勇麻を襲っていた。
勇麻に見張りが回ってくるまで、まだしばらく時間がある。
こういうのは寝れる時に眠っておくのが正解なハズだ。
勇麻のすぐ隣では、アリシアがすでに小さな寝息を立てている。
あれだけの連中に狙われていたのだ、疲れが溜まっていない訳がない。
それにしても、こんな初対面の奴らばかり――しかも全員男――の中でよく眠れるな、と勇麻は呆れながらも少し感心していた。
良くも悪くも、アリシアという女の子は純粋無垢で素直な子なのだ。
少しと言うかかなり世間知らずで、どこか幼く危うく、そして儚い。
触れれば壊れてしまいそうな、幻想のように。
……東条勇麻ではきっと、背神の騎士団からアリシアを守り抜く事は難しい。
それでもやらなければならない。
絶対に。
アリシアの寝顔を見たら、決心がついた。
理由は分からないけど、そう思えた事が勇麻は不思議でしょうがなかった。その理由を探そうと考えを巡らすが意識はどんどん闇の中に落ちていく。
(……そういえば、俺の意識が無くなった後、俺とアリシアを助けてくれたのは誰だったんだろう。アリシアに聞くの忘れちまったな)
勇麻の意識の糸が切れる寸前、そんな事を思った。
(まあ、いいや。明日にでも聞いてみよう……)
勇麻は深い深い闇の底へと落ちていった。




