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神ナリシ模倣者ト神門審判  作者: 高木カズマ
第五章 引キ篭モリ聖女ト逃亡者ノ集イ旗
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第十二話 殴り込みⅣ――想いと熱量

 東条勇麻とチェンバーノ=ノーブリッジが激しい一騎打ちを繰り広げる最中、九ノ瀬拳勝は神器『フェンリルの咢』で強化された子供達の部隊の真っただ中へと堂々と踏み込んでいた。

 完全な丸腰で飢えた獣の群れの中へ飛び込むような愚挙。そのいきなりの奇行とあまりにも堂々とした態度に逆に戸惑い、子供達は思わず彼の進む道を開けてしまっていた。

 九ノ瀬はわざわざ最も危険な集団の中心部まで進むと、その足を止めて派手なパフォーマーのように大袈裟な身振りで無事な方の右の手を広げる。


「さぁて、と。あっちも面白くなってきたことだし、こっちもそろそろおっぱじめるとするか。……なぁ、お前ら今暇だろ? ならちょうどいいから俺に付き合えよ。それともなにか? 良い子はもうベッドの中でママの子守唄でも聞きながらねんねの時間ってか?」

  

 スペイン語で囁かれる拳勝の挑発的な言葉と態度に、戸惑うばかりだった彼らの瞳に再び戦意が戻る。

 誰も彼もがその口元を引き結び、九ノ瀬拳勝にその殺気立った視線を向けている。

 その数多の視線にじりじりと背筋が焼け焦げるような感覚を覚える。

 戦場特有のピりついた不穏な空気が拳勝を包みこみ、否応なく高鳴る心臓の鼓動に、愛おしささえ感じる。

 今、この瞬間。この戦場を支配しているのは九ノ瀬拳勝だ。

 一〇〇人に達する子供達が、その二〇〇の掌へと力を収束させ、その全ての矛先を自分という一個人の命を消し去る為に向けているのだと思うと、それだけで昂ぶる高揚感を抑えられなくなる。

 拳勝は、クリスマスのごちそうを前にしたような感極まった涙声で言う。

 

「一度やってみたかったんだよなぁ、無双ゲー。さあ、頼むぜガキンチョ共。俺の魂を震わす熱い喧嘩にしてくれよな……!?」


 多勢に無勢。三六〇度見渡す限りの全てが敵。掌に触れれば一撃致死の無理ゲー。

 誰がどう見ても詰んでるとしか思えない状況を自ら喜んで作り出した九ノ瀬拳勝は、歓喜にその身体を震わせる。

 周囲を狼の群れに取り囲まれたような絶体絶命の中、子供達が一斉に丸裸の拳勝へと跳びかかろうとしたその瞬間。


「――来いよ」


 戦場の空気が、九ノ瀬拳勝によって塗り替えられた。

 

 何が起きたワケでもない。ただ戦端を開く一声が発せられただけ。

 ただそれだけなのに。誰もがその少年の放つ威圧に言葉を失い、足が震える。

 ……『痛みの王(ペイン・エンペラー)』が、九ノ瀬拳勝を中心とした半径一キロ圏内にいる全ての人間の痛覚を引き上げる。どんどんとその倍率を上昇させていく。

 二倍、三倍、五倍……まだ止まらない。七、八、九、――


 ──痛覚一〇倍。


 掠り傷一つで大の大人が失神するような狂った空間を造り上げたバトルジャンキーは、戦場でただ一人。狂気に満ちた凄惨な笑みを浮かべていた。

 その狂人の放つ圧倒的な闘気に空気が震え、対峙する子供達の全身に火傷をおったような痛みすら走る。

 『フェンリル』の子供達は動けない。

 唐突に走った理解不能なその痛みに混乱し恐怖し困惑し、誰もが皆、一瞬前までの戦意を失い掛けていた。

 だが九ノ瀬は容赦をしない。


 怯え、足が竦んでいる子供達の呼吸の隙間。緊張の意識が緩む息継ぎのような間をねらって、独楽のように身体を回転させ鋭い回し蹴りを放つ。一撃で三六〇度を一掃し、自身も肉の塊を蹴った痛みに顔を歪める。

 どこまでも愉しそうに。どこまでも嬉しそうに。生きていることを実感する。


「気ぃ引き締めて来いよ。じゃなきゃ本当に死ぬぜ」


 子供達の境遇にも、運命にも理不尽にも不運にもその人生にも、九ノ瀬拳勝は何一つとして興味がない。

 喧嘩を愉しみたい一心で、ただ己の為だけを考えて拳を振るう。

 故に、容赦がなかった。

 その鬼気迫る様を見て、

 

「う、うわァァああああああああああああああああああああああぁぁあああああっ!!?」


 じりじりと後ろに下がり掛けていた子供の一人が、ついに“切れた”。

 極度の緊張感と恐怖に耐えきれなかった心が、息もできないような緊張状態からの解放を求めてその一線を越えたのだ。

 自暴自棄にも似た暴走。ただ救われたいが為の、逃避行動。

 恐怖で竦む集団の恐怖をさらに煽り、決死の突撃を敢行させる。 

 そして集団心理とは実に分かりやすいものだ。

 その最初の一人が呼び水となり、堰を切ったように子供達が拳勝目掛けて突っ込んで来る。

 ここまでの全てが、九ノ瀬拳勝の狙い通り。最高に好みの展開だった。

 ずきずきと今も気が狂いそうなほどに痛む左腕に己の命を感じる。互いの命をかけ、この身体から湧き上がる有り余った力全てをぶつけ合う。命を燃やして生きている事を痛感する。この心滾る感覚が、九ノ瀬拳勝は何よりも好きなのだ。


「いいね、……命の昂ぶりを感じる、ぜッ!」


 ぐねりとうねる蛇のように、拳勝の身体が突きだされた掌を躱す。

 ぶらぶらとひしゃげて使い物にならなくなった左腕を遊ばせて、すれ違った少年の背中に蹴りを浴びせ痛みを直接その身体に叩き込む。

 さらに地を這うように疾駆し、意識を己の掌にばかり集中している子供達の足を地面に滑り込むような低い回し蹴りで一気に払い吹き飛ばす。足が地雷で消し飛んだような痛みに、子供達は涙と鼻水を流しながら絶叫し、立ち上がる事もできない。

 死角から襲いかかる掌を、紙一重で拳勝が躱す。僅かにその掌に触れた耳たぶが問答無用で食い千切られ、頭に釘を直接打ちこむような鋭い痛みが拳勝の思考を吹き飛ばす。その死をも予感させる痛みに、勝手に両目から涙が流れるてくる。 

 その痛烈な生の実感に、拳勝は涎を垂らしかねない勢いで哄笑を上げ、耳たぶを食いちぎった勇者の鳩尾に痛烈な殴打を叩き込む。

 吹っ飛んだ少年が周りの子供達をも巻き込み、発動しかけていた『フェンリルの咢』の効力によって、互いの掌が互いを食い破り共食いを誘発させた。 

 身体を引き千切られ喰われる残酷な痛みが何倍にも膨れ上がり、魂の擦り切れるような絶叫がいくつも木霊した。

 おそらく、あの咢で身体を引き千切られた子供達はその精神が焼き切れてしまっただろう。もう、二度とまともな人間として生きていくことはできないに違いない。

 そう理解してなお、拳勝は止まらない。もう止まれない。だって、この瞬間が他の何よりも愉しいから。

 血肉舞い悲鳴が木霊するその真っ赤な地獄にも嫌悪感も忌避感も抱くことなく、ただただ九ノ瀬拳勝は戦いを心から愉しみ踊り続ける。

 勇麻に告げた通り、足止めなどで終わる気配はない。

 全てを殲滅し、終わらせるくらいの勢いで。

  


☆ ☆ ☆ ☆



 チェンバーノ=ノーブリッジは逃亡者の集い旗(エスケイプ・フラッグ)第三席の座に座る実力者だ。

 彼の神の力(ゴッドスキル)はお世辞にも戦闘向きと呼ばれる類の物ではなく、それはすなわち己の力のみが物を言う、弱肉強食を体現したこの未知の楽園(アンノウンエデン)では全くもって使い物にならないガラクタなのだという事を表していた。

 だがそこで彼は挫けなかった。

 持ち前のポジティブさと、どこから来るのか分からない根拠なき自信が、彼を戦士ファイターへと変えた。

 その神の力(ゴッドスキル)を活かす為の我流の構えと技の数々を血の滲むような努力と試行錯誤を笠ねて独学で生みだし、数多くの強力な神の能力者(ゴッドスキラー)を屠ってのし上がってきた彼は、まさに聖女様が生み出した反乱の嬰児えいじと言えよう。

 弱肉強食。身分も生まれも境遇も関係ない。強ければのし上がり、弱ければ死ぬ。

 そんな世界の中で、彼という存在は成り上がりを証明する一種の象徴でもあったのだ。


 だからこそ逃亡者の集い旗(エスケイプ・フラッグ)という巨大な組織で彼は第三席の座を得たのだし、リコリス辺りは信じられないといつも白目を剥いているが、組織内の一部には彼の熱烈なファンがいるというのも事実だ(もっともその事実が彼の勘違いとナルシストぶりを加速させているのだが)。

 

 だから。

 技を磨き己を磨き。切磋琢磨を繰り返し。並み居る強敵を打倒してきた経験があったからこそ。

 チェンバーノ=ノーブリッジは困惑していた。


(何故だ……)


 渾身の一撃。

 今まで一度として防がれた事のなかった、必勝のコンボが。


(何故、これが躱される……!?)


 何度やっても、東条勇麻を捉える事ができない。

 己の手刀の一撃の軌道上へ。躱しきれないタイミングで転移させたハズの東条勇麻が、その致死の一撃を掻い潜る。

 こちらの攻撃は見えていないはずだ。わざとチェンバーノに対して死角ができるように転移させている。

 東条勇麻は己の背後から繰り出される刺突によって脳天を破壊されなければおかしいのに。

 なのに。


「貴様はッ! どうして……!?」

「違和感があったんだ」

 

 淡々と、もはや己の位置が唐突に狂わされている事に驚愕を浮かべることもなく東条勇麻はそう口にした。

 振り向きざまに振るわれた横薙ぎの拳を、チェンバーノは我流の動きで回避する。

 舌打ちして仕切り直すように距離を開けるチェンバーノの耳に、東条勇麻の声が静かに突き刺さる。


「そもそも、あの登場からしておかしかった。アンタに空間転移(テレポート)のような、対象に触れもせずに物体を移動させる力があるのなら、いくらでも奇襲のチャンスがあったはずだ。わざわざ俺達の注意を引くように扉から出てきたのはどうしてだ? 目立ちたいから? 確かに、アンタの性格ならそれもあるかも知れない。でも違うだろ。あの時はやりたくても出来なかったんだ」

「勘違いも、甚だしいな!」


 それ以上は言わせてはいけない。

 そんな危機感に襲われて、チェンバーノは強引に距離を詰めその手刀を振りかざす。

 神の力(ゴッドスキル)によって圧倒的な破壊力を秘めた一撃に昇華したソレを、いっそ余裕すら含んだ笑みを見せる東条勇麻へ向けて解き放つ。


「アンタの神の力(ゴッドスキル)は、触れた相手にしか干渉できない。最初に俺が飛ばされたのも、拳と手刀とをぶつけた後だった。条件は“接触している”ではなく、“接触した”だ。それもおそらく、一度力を使う度に条件を更新する必要のある、な。……答え合わせでもするか? チェンバーノ=ノーブリッジッ!」



 チェンバーノ=ノーブリッジの表情にこれまでなかった焦りが生まれるのを、勇麻は確かにその目で見た。

 おそらく、先の指摘はほぼ的を得ているはずだ。

 チェンバーノの繰り出す独特の攻撃には、特徴と規則性がある。

 例えば今も勇麻の胴体を狙って放たれているこの刺突――攻撃モーションに入ってから勇麻へと届くまでに、チェンバーノ=ノーブリッジの速度は何故か格段に落ちる。

 初速だけの速い、本来ならあり得ない一撃ができあがる。

 最初はその速度の緩急ともいうべき落差と、予測と視覚情報との差異に目測をも惑わされたが、慣れてしまえば単なる遅い攻撃でしかない。

 

 勇麻は極めて落ち着いて手刀の切っ先――束ねられた五指ではなく、二の腕を掴むと。そのまま勇気の拳(ブレイヴハンド)によって莫大な膂力を発揮し、大理石の床に向かって一本背負いの要領で叩き付けた。


「がぁッ!? ぅ、ぐぁああああああああああああああああああああああ!!?」


 『痛みの王(ペイン・エンペラー)』による痛覚の倍増に不慣れなチェンバーノが、泡を吹きながら大絶叫をあげる。

 それは今日最初の、東条勇麻によって与えられた明確なダメージだった。

 

「ぐ、ぅ……が、くそ……ったれ。がァ!」


 冷たい床のうえを這いずりながら、怒りの籠った声が勇麻へと向けられる。

 ふらつきながらも、何倍にも膨れ上がった痛みを耐えて立ち上がったのは流石と湛えるべきか。

 怒りと痛みに血走った瞳が勇麻を睨み殺す勢いで注視している。

 その感情と真正面から向き合って、けれど勇麻が退く事はない。

 そんな形だけの憎悪に怯えて退くほど、勇麻の抱く想いは柔じゃないからだ。


 そして瞬間、この戦いで何度も感じた刹那の視界の暗転が勇麻を取り込んで―― 


「――死角からの攻撃にも、慣れてる」 


 ――開けた視界の先、後方から繰り出される一撃を。身を低く屈めて回避する。


「ぐぅッ!?」 

 

 そのままうつ伏せでチェンバーノの足に取り付いた勇麻は、腕力だけで強引に彼を床に倒すと、馬乗りになって流れるようにその首に腕をかけキャメルクラッチをきめる。

 

「俺に触れた直後に、決まってアンタは神の力(ゴッドスキル)を発動させる。一瞬の暗闇の直後に必ず死角から一撃が来るって分かっているんだ。意識さえしてれば、十分に躱せる。……単純っつーか、馬鹿正直っていうか。性格かな。分かりやすいんだよ、アンタ」


 背骨の軋む音。痛み。酸素のない苦しみ、肺が破裂しそうになる悪寒。その全てが何倍にもなってチェンバーノを襲う。

 だと言うのに、勇麻の下でもがき続けるチェンバーノは負けを認める素振りさえ見せない。

 

「黙、れ……僕は、僕は今回の計画をやり遂げて聖女様に認められるんだ」

「そこまで徹底してると関心するぜ、女ったらし野郎」

「だから……こんな冴えない男に負ける訳にはいかない……!! 僕の『点と点を繋ぐ者(トランスファー)』は、君なんかに破られないっ!」

「くっ、マジかッ!?」


 どこにそんな力が残されていたのか、瞬間的に勇気の拳(ブレイヴハンド)の強化さえも上回る膂力を発揮したチェンバーノが、勇麻を押しのけ立ち上がる。

 慌てて距離を取った勇麻に、チェンバーノは接近。

 勇麻を懐に呼び込むのではなく、自らその懐深くへと入り込んでゆく。


(こいつ。攻撃のパターンが、変わった?)

 

 突きだされる手刀による突きは、けれど回避可能な速度でしかない。


 だが。


「……!?」


 けれどそれは、先ほどまでのソレとは違う。途中減速のない、ただの突きだ。

 反射的に躱して、そして後悔した。

 勇麻の直感が告げていた。これはフェイントだ、と。


 そしてその予感を裏付けるかのように、視界が刹那の暗転を経て――己の身体が、チェンバーノ=ノーブリッジの頭上へ投げ出された事を知った。



 チェンバーノ=ノーブリッジの『点と点を繋ぐ者(トランスファー)』は、『テレポート』とは似て非なる力、『アポート』系統の神の力(ゴッドスキル)だ。

 アポートとはすなわち、引き寄せ。取り寄せる力。

 チェンバーノの場合は『マーキング』した物体を『ポイント』……すなわち指定の座標へと引き寄せる。といったやや『テレポート』に近い亜流の力を持っていた。


 『マーキング』した物体を移動させる距離に制約はない。ただ、『マーキング』の条件が対象に触れる、である事。『マーキング』は一度力を使うたびに更新が必要で、ストックが一つしか持てないという点は、純粋に彼の欠点として数えられた。

 さらに『テレポート』とは違い、自分自身を飛ばす事はできない。

 純粋な戦闘力が物を言う『未知の楽園(アンノウンエデン)』では、文字通り落ちこぼれの烙印を押されるであろうそのガラクタに、けれどチェンバーノは僅かな光りを見出した。


 彼の点と点を繋ぐ者(トランスファー)の『マーキング』の条件は、厳密には触れる事ではなかったのだ。

 対象の存在を明確に感じる事。

 確かに、自分以外の他者を引き寄せるとなると接触は必須だが、対象が自分であればその必要はない。

 理論では無く感覚でその答えへ達したチェンバーノは、攻撃の瞬間に己の持つ運動エネルギーを指先一点へと引き寄せ、瞬間的に一点突破の破壊力を得るという荒業を編み出したのだ。


 単なる刺突の突き技は、一撃必殺の死突へと変貌する。

 勿論様々な制約もあるし、生命活動を維持する為に必要な最低限を除いた全ての運動エネルギーを指先のみに集中させた結果、瞬間的に指先以外の全てから力が抜け、攻撃自体の速度が低下してしまうという弱点もある。

 それを補う為、東洋の酔拳などの独特な動きを研究し、脱力した状態でも相手を翻弄できる特殊な体術を我流で身に付けた。


(感じろ……身体で、心で、頭で、五感で……僕の中に宿る力の脈絡を……)


 そして生まれたのが、神の力(ゴッドスキル)で敵を己の眼前へと引き寄せ、運動エネルギーを一点へと集中させた指突によって一撃で敵を屠る必勝の型だった。


(必要最低限の力を残し、他全てを指先一点へ集中させる。その最高点を接触のタイミングへと持っていく……)

 

 『マーキング』の為に最初に相手に触れる必要性あるものの、初見での回避はほぼ不可能。

 事実、チェンバーノを逃亡者の集い旗(エスケイプ・フラッグ)第三席の地位まで押し上げたのは、この必勝パターンだ。

 まともな形で破られた事など、一度もなかった。

 なのに。


(負けるはずがない。この一撃は、僕の全てを懸けた最大最強の一点突破。破れる者など、いるはずがないんだ……!!)


 東条勇麻このおとこはそれを何でもない事であるかのように、平然と破ってみせた。

 チェンバーノ=ノーブリッジは、それがどうしても許せない。

 自分のような男が力でのし上がる事のできる世界を造ってくれた聖女様に報いたい、認めて貰いたい。お側に居たい。愛の言葉を伝えたい。

 その為の計画。その為の勝利。その為の力。それを踏みつぶそうとすることの男が、許せない。

 だから。


「君は、僕に負けろぉおおおおおおッ! 東条勇麻ぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああッ!!」


 逃げ場のない頭上へと引き寄せられた東条勇麻へ、チェンバーノ=ノーブリッジはアッパーを繰り出すようにその束ねた五指を突きあげる。

 中空で逃げ場のない勇麻を確実に粉砕するだろうその一撃を前に、


「負けるのは、テメェだッ! この色ボケ野郎ォォォぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」


 東条勇麻は、一歩も退きはしなかった。

 落下の運動エネルギーさえ上乗せされた一撃が、チェンバーノ=ノーブリッジへと鉄槌の如く振り下ろされる。

 咆哮と咆哮が互いを打ち消し合うように木霊し、束ねた切っ先と拳とが真っ正面からぶつかり合った。

 衝撃波が同心円状に広がって吹き荒れ、破壊された瓦礫とその粉末とが風に舞って視界を塞ぐ。


 そして――



「そんな……嘘、だ」


 煙幕が晴れ、瓦礫の山の中で立っていたのは一人。


「僕は、僕ならば東条勇麻にも負けないと、リコリスはそう言っていたのに……なんでこんな……あり得ないッ!」


 勇気の拳(ブレイヴハンド)の反則的な力にひしゃげた指の痛みで立ち上がる事もままならないチェンバーノ=ノーブリッジは、何故自分が負けたのか理解できなかった。

 リコリスは言っていたのだ。チェンバーノ=ノーブリッジならば東条勇麻に対しても勝算がある、と。

 だから、己の勝利を一ミリだって疑っていなかったのに。

 それなのに。


「……なあ、チェンバーノ。リコリスってヤツが誰なのか俺は知らないけどさ、それはいつの俺の話だよ?」

「な、に……?」

「悪いけど、俺はもう立ち止まるのは辞めたんだ。だからそのリコリスってヤツに伝えとけ。……何の罪もない子供達を巻き込もうとしてる奴らに負けるような段階は、当の昔に通り過ぎたって」


 自分に何が足りなかったのか。チェンバーノには分からない。

 だがそれでも、さきの一撃に込められた東条勇麻の想いは、チェンバーノ=ノーブリッジでは受け止めきれない程の熱量を秘めていた。

 そんな事実だけは、なんとなく理解できたのだった。

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