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神ナリシ模倣者ト神門審判  作者: 高木カズマ
第五章 引キ篭モリ聖女ト逃亡者ノ集イ旗
158/415

第十一話 殴り込みⅢ――VS.チェンバーノ=ノーブリッジ

 多対一の戦闘――しかも自分が一人で相手が多数というものを経験した事が、実は勇麻にはほとんどない。

 唯一思い出されるのはコンビネーションで勇麻に対抗してきたナルミイルミくらいの物だが、二対一だったあの時と今とでは数が違い過ぎる。

 なにせ今は百人を超える子供が相手なのだ。しかもその全員が『神器』によって強化されている。


 襲い来るは二百を越える即死級の掌。まともに触れればそれだけでお陀仏だ。

 だがそれでも退くわけにはいかない。

 なぜなら後ろには和葉がいるのだから。


「く……っ!」


 集団から突出した一人が、防御も何も考えずに捨て身の突撃を繰り出してくる。

 身体を捻って、突きだされた掌を紙一重で躱す。勇麻を捉えられなかった掌が、けれど触れた空間へ牙を突き立てたのを見て肌が粟立つ。

 僅かでもアレに触れればあっさりと身体を食い破られる光景が目に見えて、ざわりとした悪寒と恐怖が背筋に走る。

 勇麻は必死に恐怖を跳ね除けながらすれ違い様にその細い腕を掴むと勇気の拳(ブレイヴハンド)任せの莫大な膂力を発揮、襲撃者をモーニングスターの如く振り回すと、接近を図っていた一団へ投げつける事で時間を稼ぐ。

 ボーリングのピンみたいに先頭集団が倒れさらに後続を巻き込んでいく。子供達の雪崩のような勢いが確実に鈍る。

 チラリと背後に目をやると、和葉は瞳を固く閉じて、真剣な面持ちで壁に両手をついている。

 何をしているのかは分からないが、彼女の表情から明確な逃亡への勝算を感じ取った。和葉の判断を信頼し、迫りくる子供達の対処へと戻る。


(頼むぜ和葉。俺に注意が向いている内にさっさと逃げてくれ。正直、これだけの数相手じゃ五分と持つ気がしねえ……!)


 真っ正面からの突進。掌でこちらに触れる事ばかりに意識の行っている不注意な子供の足を払い、後続が倒れた子供に躓き隙が生じる。

 それを見逃さずに、鋭い一撃を首元へと叩き込み、確実に襲撃者の意識を落として一人ずつ無力化していく。

 勇麻を包囲するように取り囲んだ子供達が、掌を突きだしながら一斉に突撃してくる。

 三百六十度、どこにも逃げ場のない攻撃に、勇麻は頭上へ大きく跳び上がる。空中で身体を捻って、天井に足の裏を付けると、力強く蹴り出し加速。子供達の密集地帯から離れた場所に着地する。

 不意を突かれ慌てる子供の意識を的確に奪い、また数名を手早く無力化させる。


 こうして子供達の様子を見る限り、クライム=ロットハートのしたような洗脳や暗示に掛かっている訳ではなさそうだ。

 一つ一つの行動に、きちんと彼ら自身の意志が見える。

 ただその瞳は死んだように生気が掛けていて、どこか投げやりというか無気力なのだ。

 まるで何もかもを諦めてしまったようなその瞳に、勇麻は覚えがあった。

 ――絶望。

 そう、彼らの瞳はまさに絶望の色をしていたのだ。

 一体何が彼らをここまで追い詰めたのか、勇麻には分からない。分かってやる事などきっとできない。

 勇麻が未知の楽園(アンノウンエデン)にやって来たの理由はアリシアを助ける為。決して彼らを救うためではない。

 だからこんな怒りに意味はないのだろう。助けてやる事もできないのに、憤るのが無責任な振る舞いだと言うのも理解している。

 けれど、黙って見ているなんて事ができる訳もない。

 

「チェンバーノ=ノーブリッジ! 無関係の子供をこんなに巻き込んで、お前らの狙いは何だ!? この子達に一体何を吹き込んだ!?」

「かわいい女の子にならともかく、それを君に教えてあげる筋合いは僕にはないよね? それにさ、別に僕らが無理やりこの子らを動かしてるみたいな言い方はやめてくれよ人聞きが悪い。この子達は自ら望んでここに立っている。ああ、もちろん騙してる訳でもないよ? 自分達が消耗品同然に使い捨てられる代替品であるときちんとこの子達は理解している。実際、これの替えなんていくらでもいるんだから、しょうがないんだよね」


 牽制するように空気を震わせて叫び、柳眉を吊り上げて拳を構える勇麻に、チェンバーノの返答は気が抜けたように適当だ。

 その適当な態度がさらに勇麻の怒りに油を注いでいく。


「この野郎……っ! 本気で言ってんのかテメェ!?」

「ん? なんでそこで君が僕に怒るんだい? その子らは自分達が生きる為に望んでそこに立っているんだ。貧しい彼らを保護し食事や衣服それに寝床を提供してあげてるのは僕らだ。感謝こそされ、怒りをぶつけられるような事をした覚えはないんだけどな。だってほら、僕らは戦力の補強ができてうれしい。彼らも生きる事ができてうれしい。まさにウィンウィンの関係、誰が困るって言うんだよ?」

「……何がウィンウィンだ。こんなの、支配と何ら変わりねえじゃねえか……!」


 何もかもが間違っているのに、誰もそれに気が付かない。

 模範解答を失った世界の常識は歪みに歪み、人としてごく当然の倫理観さえも捻じ曲げてしまっている。

 間違いはどこまでも明白であるのに、その間違いを証明する手段が今の勇麻には存在しない。なぜならこの場の常識は勇麻に味方をしてくれないからだ。

 どれだけ正論を振りかざそうとも、これが当然と現状を受け入れてしまっている子供達の心は動かせない。

 そのとっかかりを掴めない。

 例えこちらの主張が正しいかろうとも、天動説の信じられている時代では地動説が受け入れられる事はないように。

 勇麻の言葉は、彼らの心に達する前に鼻で笑われあしらわれその力を失ってしまう。

 そのもどかしい怒りに、食いしばった唇から血が流れていく。

 だから東条勇麻は、何の疑問も抱く事無くチェンバーノ=ノーブリッジに従う子供達の、その死んだ魚のような瞳を一瞥すると、


「邪魔だ」


 真正面の空間へと繰り出したのは、ありったけの感情を込めた正拳突き。

 チェンバーノやこの街の歪んだ常識への怒りを燃料に、勇気の拳(ブレイヴハンド)によって強化され桁違いの威力を秘めたその一撃は、撃ち出される拳と共に莫大な風圧を生み出し吹き荒れ子供達へと殺到した。

 瞬間的に膨れ上がった突風に押され、迫る子供達の勢いが鈍り、その風の強さに誰もが目を細め目蓋を閉じる。

 いかに彼らが『神器』によって強化されていようともその基本的なスペックは十歳前後の子供の神の能力者(ゴッドスキラー)の物だ。

 神器『フェンリルの咢』の力さえ使わせなければ勇麻の敵ではない。 


(現状、この子達はこの男に依存している状態だ。保護なんて言えば聞えはいいが、命を盾に脅迫してるのと何ら変わらない。結果、どんな命令にも従わざるを得ないんだ。だからこの子達を手っ取り早く無力化するには、“頭”を叩くのがベスト! 戦う理由を奪ってやればそれでいい)

 

 感情の昂ぶりにまかせ地を蹴り、跳躍する。

 急加速に勇麻の視界が線のように流れ、正面から叩き付けられる風に目を細める。

 狙うは勿論ただ一人、チェンバーノ=ノーブリッジ。この男を無力化する事ができれば、状況は大きく変わる。

 例え彼らが今の状況に何ら疑問を持っていないのだとしても、戦う理由がなくなってしまえば率先して自らの命を危険にさらす必要はなくなるのだから。


「チェンバーノォォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!」


 怯んだ子供達の頭上を飛び越え、ピンポイントで標的の元へと迫る。

 大きく振りかぶった拳を、チェンバーノ=ノーブリッジの顔面目掛けて振り抜いて――激突。

 肉と肉の衝突する生々しい鈍い音が、響いた。


「なっ……!?」

「……『フェンリル』を指揮する僕単体に戦闘力はないと、そう思ったか? 残念だが僕は第三席。これでも逃亡者の集い旗(エスケイプ・フラッグ)の幹部メンバーの中で三番目に強い男だよ」


 拳と手刀。

 勇気の拳(ブレイヴハンド)で強化された東条勇麻の拳と、チェンバーノ=ノーブリッジの刀のように伸ばした指の先とが、真っ正面からぶつかり合い、拮抗していた。

 釣り合いの取れた天秤は意識したその瞬間崩れ、互いが互いの威力に押され、弾けれるように距離を取る。

 再び両者の間には子供達の壁が生じる。


「……冗談、だろ。勇気の拳(ブレイヴハンド)で底上げした一撃、だぞ……!?」

「へえ、勇気の拳(ブレイヴハンド)……なるほど、君がリコリスの話していた東条勇麻だな。ということは狙いは“彼女”か」


 勇麻の言葉に一瞬驚いたように目を丸くしたチェンバーノは、まるで値踏みするかのように勇麻の事を脳天からつま先まで眺めると、鼻を鳴らして嘲弄の色を見せる。

 軽蔑と小馬鹿にしたような感情の色を感じ取り、勇麻の眉がさらに吊り上がった。


「ふん、今更になって出てくるとはね。でもやはり理解に苦しむな。僕と違ってこんな冴えない男の為になんて、ハッキリ言ってナンセンスだよ」

「何を意味の分からねえことを言ってやがる」

「簡単な話さ。可愛いアリシアちゃんは君みたいな男にはもったいないって言う、ね」


 アリシアという名前がチェンバーノの口から出た瞬間、火を噴くように頭が熱くなるのを自覚する。

 敵の思うつぼだ熱くなるな冷静さを保て。そんな己の声が聞こえたような気がしたが、抑える事など出来る訳がなかった。


「テメェ……ッ!」


 激昂し今にもチェンバーノの胸倉に掴みかかりそうな勇麻を、二人の間に立つ子供達がその掌を向け牽制する。

 だが勇麻は一歩も退く事無く、ジロリと血走った瞳で眼下の子供達をねめつける。その鬼神のごとき気迫に、掌を構える子供達の足が僅かに後退した。

 けれどチェンバーノはまるで堪える素振りなく、大量の子供達の盾に守られた安全地帯から勇麻を煽るように笑って、


「あの日も君は彼女の元に居なかった。そうだろ? リコリスは君を警戒してたみたいだけど。なんだ、やっぱり取るに足らない、ただの無能じゃないかよ。おかげで僕らはあの天使のように可憐なアリシアちゃんを仲間に迎え入れる事が出来た。アリシアちゃん自らの意志で、僕らに協力したいと申し出てくれたんだ」

「アリシアがテメらなんざに協力する訳がない。それ以上適当な事を言ってみろ、そのふざけた口を二度と叩けなくなるようにしてやる」

「適当な事を言っているのはどっちだよ。アリシアちゃんは聡い子だからね。君と違って自分のやるべき事をはっきりと理解しているよ。……仕方ないからもう一度言ってやる。いいか東条勇麻、あの子にふさわしくない君はもう帰れ。君がここに居ても、アリシアちゃんの邪魔にしかならない。それにさ、力も知力も運命力もそしてルックスも到底僕に及ばない君如きが、あの可愛さの隣に並び立とうだなんて分不相応だと思わないかい?」

「それ以上、一ミリでもアリシアを知った風に語ってみろ。……今此処でぶち殺してやる」


 白熱する頭の中は既に目も眩むような純白に――否、純黒に染めあげられている。

 合理的で、論理的な思考を構築する事ができない。冷静さを保つ意味を見いだせない。

 ただ許し難いという感情があった。

 感情の枷全てが吹き飛び、目の前の男の何もかもを破壊したくなる衝動に駆られる。

 

 どす黒い感情が広がっていく中で、クライム=ロットハートに言われた言葉が再び脳裏に蘇る。


『――不安だったんだろ? 怖かったんだろ? 神門審判ゴッドゲートの笑みが自分以外の誰かに向けられるコトが。自分から離れて行ってしまうコトが。……実際こうして神門審判ゴッドゲートは自分の足で勇麻チャンに背を向け離れて行った訳だけど。……さて、悪夢が現実となった感想はどんなモンなんだい? 東条勇麻チャン???』


 思えばずっと、アリシアの下手くそな笑顔を見るたびに何かを恐れていた気がする。

 ネバーワールドに居た時も、パンドラという名の少女と一緒に三人で遊んでいた時も。ずっとずっと、彼女の下手くそな笑顔を見るたびに刺されるように胸の奥が疼くのだ。

 その胸の奥の疼痛が、こんな時になって思い出される。

 苦しい。痛い。身体から心臓が飛び出してしまいそうだ。

 ……あぁ、そうだ。

 きっと東条勇麻は耐えられない。アリシアという少女の笑みが自分の知らないところで己以外の誰かに向けられる事を。


 だって、今。目の前の男に訳知り顔でほんの少しアリシアの事を語られただけで、こんなにも頭が真っ白に燃え上がり冷静でいられないのだから。


 憎い。目の前の男が憎い。勇麻からアリシアを奪った奴らが憎い。

 奪われたものを取り返したい。その為に今すぐに圧倒的な勝利を。目の前に立ち塞がる『悪』に正義を。それを可能にするだけの力を。願う。

 願ってしまう。  

 理不尽な程に圧倒的に、全てを破壊し勝利することのできる絶対無敵の正義の力。

 勇麻の中の真っ黒い感情が、顔を覗かせようとして――


「よお旦那。苦戦してる?」


 背後の扉を開いて、勝ち気な笑みを浮かべた少年が現れた。

 ……朦朧としかけた意識が頭から冷水を浴びせかけられたようにハッキリしていく。

 一瞬前の自分が何を考えていたかも思い出す事が出来ずに、我に返った勇麻は首だけで背後を振り返る。

 どこかまだ意識が漫然としている勇麻は、前後の時間の連続性をうまく認識できず、怪訝そうな声で喉を震わせた。


「……拳勝、か……?」

「おうよ、旦那の左腕こと九ノ瀬拳勝くんだぜ。あぁ、後ろの事なら心配はご無用だ。もう全部終わらせた。想像より歯ごたえがなくてがっかりしてたトコなんだけど、こっちは少しは楽しめそうか? ん? つーか何か忘れてる気がするな……あ、そいえば和葉のヤツはどこ行ったんだ? 見当たらねえけど」


 先んじて勇麻の疑問に答えてくれた拳勝からのもっともな質問を受け、視線を和葉のいた壁際に向けるが和葉の姿は見当たらない。

 いつの間にか、忽然と姿を消してしまっていた。

 勇麻も気が付かないうちに、どうやらこの空間から脱出する事に成功したらしい。それにしてもどうやって脱出したのだろうか。


「わ、わるい拳勝。流石にこの人数が相手じゃ庇いきれないと思って、和葉だけ先に逃がした。一人にするのはマズイと思ったんだが、状況が状況で……」

「なるほどね。これが噂の『フェンリル』って訳か。……ま、あいつなら何だかんだ大丈夫だろ。一応あれでも干渉レベルAマイナスの神の能力者(ゴッドスキラー)だ。心配はしてねえよ」


 拳勝は本当に心配していないのか、ケラケラと笑う余裕さえ見せた。

 その態度が妹に対する信頼……とはどこか違うように思えて、勇麻が少なくない違和感を抱く。

 が、その違和感を追求する間もなく、怒りに震えるチェンバーノ=ノーブリッジの声が聖堂内に響き渡った。


「……るせない、許せない。許せない。許せない。許せない許せない許せない許せない!! 君がっ、君がごちゃごちゃと騒がしかったから! 可憐なあの少女を逃してしまったじゃないか!! あーくそちくしょう! もっとカッコいいところを見せ付けて僕に惚れて貰う計画が色々と台無しじゃないか! どうしてくれるんだよどう責任とってくれるんだよぉおおおおおおおおおおお!!?」

「……なんだ、こいつ……? 急に……ッ?!」


 頭を掻き毟りながらチェンバーノ=ノーブリッジが大絶叫をあげたかと思い――瞬きの刹那――いつの間にか目の前にその手刀が迫っていた。


「男は、死ね」

「ッ!!?」


 何が起きたのか理解できない。ただ一つの事実として、勇麻は何の準備もないままにいつの間にかチェンバーノ=ノーブリッジの間合いに踏み込んでいた。いや、それともこちらの懐に踏み込まれていた? 

 そんな些細な事実確認もできないまま、やけにスローモーな挙動で指の切っ先が迫る。 

 躱せない。

 そう直感する。

 目を瞑る暇もないままに、その手刀が勇麻の顔面に突きこまれる寸前だった。

 割り込むようにして飛び出した九ノ瀬拳勝の拳が、チェンバーノ=ノーブリッジの一撃を相殺した。

 ……その左腕を一つ、犠牲にするような形で。


「ぐぅ……ぁッッ!!?」

「拳勝!!?」


 衝撃に負ける形で大理石の床のうえを拳勝の靴底が上滑りする。

 擦過痕を残しながら数メートル後ろへ弾かれた拳勝は、そのたった一撃でひしゃげるように骨折した左腕の激痛に顔を脂汗で濡らして歪め、けれど強がるように笑った。


「旦那、よく分からんがアレはやばいぜ。そもそも旦那の勇気の拳(ブレイヴハンド)の補正でもない限り、まともに打ち合う事も儘ならねえ」

「馬鹿野郎! お前、左腕が……」


 九ノ瀬拳勝の『痛みの王(ペイン・エンペラー)』の痛覚を引き上げる対象には敵対者だけでなく自分自身も含まれる。

 今も拳勝を襲う左腕の骨折の激痛も数倍に膨れ上がっている。とてもじゃないが正気のままでは耐えられないレベルに達しているはずだ。

 尋常じゃない量の脂汗が吹き出し、顔色もまるで病人のような土気色だ。明らかに、激痛が体調にまで異変をきたしているのが分かる。


「大丈夫大丈夫。こんなもん、和葉がいれば一瞬だ。そんな事より気付いてるか? 今、旦那の身体が一瞬でヤツの目の前に転移させられていた。瞬間移動(テレポート)にも見えたが、奴は自分じゃなく触れてもいねえ旦那に干渉しやがった。俺も別に詳しい訳じゃねえが、これってそうとう異常だよな? それに、この理不尽な手刀の威力が説明できねえ。旦那、よく分からねえが注意しろ」


 瞬間移動(テレポート)

 その単語に、ぴくりと勇麻は反応する。

 ネバーワールドでの戦闘。勇麻は空間転移(テレポート)を使用するとある少年に、散々苦しめられた思い出がある。

 彼もまた、触れることなく対象の物体を移動させることが出来ていた。

 だが触れもせずに移動させるには大量のエネルギーを消費するのか、勇麻達をバラけさせる以外の用途で触れずに対象を移動させる空間転移テレポートを発動することは無かった。

 

(……ヤツの神の力(ゴッドスキル)がその手の系統の物なら、高見の空間転移(テレポート)と同じように触れもしない物を飛ばすのは消費が大きいはず。だとすると自分が飛ばなかった理由は、自分を転移させることはできないからか……?)


「今ので腕が爆散しないとかなかなかやるね。初見でこのコンボを防がれたのは何気に初めてだよ。……というか何でまた男が出てくるかな、どうせ増えるなら女の子の新キャラが良かったのに……」


 ぶつぶつと心の底から残念そうに呟くチェンバーノ。

 その余裕の態度が、まだ彼の神の力(ゴッドスキル)の本質的な部分に触れられてはいないのだという事を勇麻に確信させる。

 おそらくまだ何かがあるのだ。触れる事なく勇麻を移動させた力だけでなく、勇気の拳(ブレイヴハンド)の一撃と拮抗するような威力の攻撃を繰り出す事のできる何かが。

 勇麻は隣に立つ拳勝に視線を向けて、 


「拳勝、お前コイツに勝てるか?」

「……まあ普通に勝てるだろうよ。本気を出せば。ただ、そうすっと東条の旦那や和葉を巻きこんじまう可能性が高い。あー、もちろん、『フェンリル』の連中もな。多分、最後に立ってるのは俺だけになる」


 予想はしていた。

 左腕を砕かれてなお、拳勝の顔にはまだある程度の余裕があった。拳勝の顔に浮かぶ勝算は、けれど勇麻やここにいない和葉を巻き込んでしまう可能性さえ孕む諸刃の剣。安易に使う事は許されない。

 勇麻は拳勝の言葉をしっかり三秒間吟味して、


「分かった。なら、こいつは俺に任せてくれないか?」 

「勝算はあんのか?」

「勝算? なんだよそれ。そんな物があった戦いなんて、多分一度もねえよ。けど、負ける気で戦った事も一度もねえ。それに、俺の勇気の拳(ブレイヴハンド)なら少なくともヤツの一撃と拮抗できる。なら諸刃の剣になっちまう拳勝に任せるよりよっぽどいいだろ」

「わーったよ。あいつの相手は旦那に任せるとしよう。俺は暇潰しがてら、そこいらの餓鬼ども相手に遊んでるとするわ」

「すまないが頼む。俺が決着を付けるまでの足止めでいい。こっちもなるべくすぐ終わらせる」

「足止め? んなみみっちい事言ってんなよ。安心しろ、こっちはこっちで手早く終わらせてやるよ」

 

 言うが早いか拳勝は勇麻に背を向けると、止める間もなく神器で強化された子供達による戦闘部隊『フェンリル』の集団へと突っ込んでいく。

 チラリと見えた口元がどこか愉しげに歪んでいるのを見て、勇麻は苦笑いを浮かべるしかなかった。


「あの馬鹿野郎、無茶しやがって……!」 


 だが不思議と、無謀だとは思わなかった。

 九ノ瀬拳勝ならその程度の無茶はこなしてしまうだろうという、おかしな確信があったのだ。

 信頼ではない。そもそも拳勝と勇麻では、信頼関係を築く事が出来る程の時間を共にしていないのだから。

 けれどこの関係は、嫌な物ではなかった。互いに互いを認めている事が、理解できたから。


「で、僕の相手は君って事でいいのかな?」

「相手が女の子じゃなくて悪かったな、チェンバーノ=ノーブリッジ」

「謝る事はないよ東条勇麻。女性を殴るのは、僕の趣味じゃないしね。さっきの子が逃げちゃったのは確かに、凄く、とてつもなく、君を殺したくなるくらいには残念だけど、僕には聖女様もアリシアちゃんもいる。逃亡者の集い旗(エスケイプ・フラッグ)の女の子達も、それにちょっと素直じゃないしおっかないけどリコリスもね。だから、これは些細な問題さ。僕が君らを殺せば全て終わり。予定通りに計画は遂行され、僕は聖女様にようやく報いる事ができる。きっと褒めて頂ける……!! この世界をお救いなさった聖女様、そのご期待に報いて初めて! 初めて僕は聖女様に真摯に愛を語る資格を得る事ができるのだから!!」


 どこか熱に侵されたようなチェンバーノの瞳は虚ろな虚空を映していて、どこか狂気的だ。

 口を開く度にべとりと粘着質にねばつく涎が糸を引き、まくしたてるように聖女様について語る度に滝のように唾が飛ぶ。

 恋は盲目。和葉の言った言葉は、確かに的を得ているとこの瞬間勇麻は思った。ただあまりにも盲目的すぎる愛憎は、誰も幸せにしない事にチェンバーノはおそらく気づいていない。


「……ずっと言いたかったんだけど、お前のその堂々とした三股、四股宣言はどうなんだ? 人として」

「三股? 馬鹿を言え、僕の心は聖女様だけの物だ! だが僕の美しさとカッコよさは世の女性全ての物なんだよ!」

「よく分かったよ、今度お前ん家に鏡を送ってやる。自分の夢に絶望する練習でもしとけ!」


 矛盾した意味不明な言葉を吐き出しながら、チェンバーノ=ノーブリッジが東条勇麻めがけて疾駆する。

 なかなかのスピードだ。だが、やはり瞬間移動(テレポート)を使ってこない。

 

(……やはりこいつ、自分を飛ばす事はできないのか? となると単なる瞬間移動テレポート空間転移テレポートとは違う。触れずに物体を転移させたのと、あの理不尽な破壊力には何か共通のタネがあるって事か!?)


 左腕を前に、半身で少し右腕を後ろに引いた我流の構えを取る。

 衝突を目前に高まる戦意に、勇気の拳(ブレイヴハンド)も応えるように熱く燃える。

 身体中に力が漲る感覚。それを意識的に両脚に集中させ、敵の一撃目を回避する事にのみ意識を向ける。 

 まずは正体不明の一撃。あの手刀の正体を見切る。

 身体能力を上昇させる勇気の拳(ブレイヴハンド)が、勇麻の五感の感覚さえも底上げしているのが分かる。

 地を蹴るチェンバーノの動きは確かに素早い。この街で最初に勇麻達を襲った黒服の武装集団やスペンサー=ソーンなどに比べれば、それこそ天と地の差があるだろう。単純な速度なら、九ノ瀬拳勝ともタメを張るかもしれない。

 だがやはり、それでも勇麻が戦った最速の男――光の速度――に比べれば何て事はない。

 十分に見切れる。


「――シっ!」


 鋭い呼気と共に繰り出された刺突は、一直線に伸ばした五指による手刀によるものだ。

 勇麻の左肩を狙って繰り出された突き攻撃。


「――遅い!」


 それを勇麻は難なく身体を沈めて躱す。そのまま左足を軸に右の上段廻し蹴りをチェンバーノの首筋へと叩きこもうとする。

 が、


「!?」


 まるでこんにゃくのように脱力した捉えどころの無い不可思議な挙動で、勇麻の一撃をすり抜けてしまう。

 まるで予測できなかったその動きに、勇麻の思考が瞬間の空白を生む。そして畳み掛けるように、さらに想定外な出来事が起きた。躱したと思ったハズのその一撃は、浅くではあるが勇麻の頬を斬り裂いていたのだ。

 近くで拳勝が戦っている為、当然勇麻も『痛みの王(ペイン・エンペラー)』の影響下にある。

 まるで熱した日本刀で切り付けられたような激烈な痛みに、白目を剥きそうになる。


(ッッづ! なん、だ? 軌道を……読み違えた……?)


 そして生じた隙を、チェンバーノは見逃さなかった。


「隙だらけだ。――無防備なのは女性だけでいいんだけど、ねッ!」

「ぐっ!?」


 流れるように勇麻の背後に回り込んだチェンバーノは、体重を掛けた前蹴りを勇麻の背中に浴びせその体勢を崩すと、床に倒れ込んだ勇麻目掛けて手刀の連打を浴びせかける。

 倒れ込んだ勇麻に逃げ場はない。吐きそうになる背中の痛みを無視して必死にその場で転がり、突き攻撃を回避していく。

 

「嘘、だろ!?」


 驚くべき事に、チェンバーノ=ノーブリッジの五指は大理石の床を軽々と貫き穿っていた。

 その恐るべき貫通力に顔を青くしつつ、勇麻は必死に転がりまわって文字通りの死突から逃げる。


「ははは!! いつまで逃げられる!? 僕も、男と追いかけっこなんて御免なんだ。なるべく早く息絶えてくれ!」


 指が奏でているとは思えない轟音と共に、まるで紙に穴を空けるような気軽さで大理石に穴を穿つチェンバーノの指先。恐怖を必死に押しのけながら、反撃の機会を探って勇麻は無様に転がり避け続けた。

 目が回るくらいに転がり続けて、不意に背中に衝撃を覚え息が詰まった。

 痛みの信号に頭が埋め尽くされ、思考が白濁する。それをどうにか理性で振り払い、驚愕と嫌な予感に痛みの原因を探ると、勇麻の背中が大理石の壁にぶつかっていた。それは今この瞬間に勇麻の逃げ場が完全に消滅した事を物語っていた。

 無我夢中で逃げ続けていた結果、勇麻は壁際まで追い詰められてしまったのだ。


(やばっ……!!)


 ニヤリと己の勝利を確信して笑ったチェンバーノ。その渾身の一突きの狙いは明白だった。

 心臓その一点突き。

 勇気の拳(ブレイヴハンド)により五感も強化されている今の勇麻からすれば、攻撃の軌道を見切るのは極めて簡単だった。

 故に勇麻は、チェンバーノの攻撃の瞬間、二の腕に力を集中させる。片腕一本で身体を跳ねるように持ち上げ、瞬時に逆立ちしてみせたのだ。


「なっ……ッ!?」


 アクロバティック緊急回避の結果、チェンバーノの指は、さきほどまで勇麻の心臓があった場所――今では何もない、大理石の壁を貫く。勢い余って深々と壁を貫いてしまったらしく、チェンバーノは壁にハマった己の指を抜こうともがき、四苦八苦している。

 その隙にそのまま腕で勢いを付け、ハンドスプリングの要領でチェンバーノの頭上を越えて背後に回る。

 着地と同時。そのまま壁と格闘しているチェンバーノの背中目掛けて一撃、とびきり強烈な右の拳をお見舞いする。 

 が、これさえもチェンバーノは先の不思議な体捌きで躱してしまう。

 まるでところてんかうなぎのように、ぬるぬると捉えどころのない動き。結果、見事に空ぶった勇気の拳(ブレイヴハンド)は大理石の壁へと突き刺さり――接触の刹那、赤黒いオーラが明滅――花火の音を何倍にも増幅したような轟音が響いた。 

 

 大理石の壁が、東条勇麻のその一撃により完全に崩壊していた。

 というか、勇麻達の今いる聖堂そのものが倒壊しかかっている。

 あまりの高威力の一撃。だがそれも、相手に当たらなければ何の意味もない。 


「野郎! こんにゃくみたいにペラペラと……っ!」


 それに何より、大理石の壁が粉砕された事によって壁にハマっていたチェンバーノの指も自由を取り戻していた。

 振り向きざまに笑顔で五指の手刀を薙ぎ払うチェンバーノに、勇麻は大慌てで後ろに飛びずさり、一度距離を取る。

 ――仕切り直し。 


「なかなかしつこい野郎だ。粘着質すぎると女の子に嫌われるらしいぜ?」

「それはこちらの台詞だ。さっさと串刺しになってくれたほうが僕の手が空いて女の子達も喜ぶだろうに」

「なんつーか、本物の馬鹿を見た気分だよチェンバーノ=ノーブリッジ。そのポジティブさだけは見習いたいくらいだ」

「その意見には半分同意しよう。僕も君のような馬鹿は見た事がない。もっとも、僕以外の男なんて皆馬鹿に決まっているんだけど。そして──後の半分については全力で首を振らせてもらう。完璧な僕には君に見習う所など何も無いッ!」


 決して相容れない両者の視線が交わり火花を散らして、直後。

 激突が再開された。

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