第五話 未知の楽園Ⅲ――痛みの王
未知の楽園で偶然出会った情報屋、九ノ瀬和葉。勇麻に協力してくれるという彼女の強い要望で(なし崩し的に)雇う事になった用心棒は、何と彼女の兄だった!!
「出来レースもここまで来ると清々しいから不思議だ。すっげえクオリティの低い詐欺にあった気分なんだけど。……何というか、こう。魔法のツボとか言われて買ってみたら魔法瓶の炊飯ジャーだった……みたいな? もしくは芋づる式逆ねずみ講? まあ何でもいいけど、まさかホントに俺のことネギ背負ったカモとして見てたんじゃないだろうな……」
「あら。最初に言ったじゃない。私は高くつくわよって」
何にせよ、兄妹まとめてお買い上げとか聞いてない。
そんな勇麻の心境を読んだかのように、
「あ、もしかして姉妹丼展開を想像してたのかしら? ごめんなさいね、生憎私には生き別れの姉も妹もいないの」
「だからどうしてそう頑なに俺を変態枠に持ってこうとする訳? 因果逆転的に開き直ったウルフ東条に襲われても知らないからね?」
「その度胸がなさそうなのは何となく想像がつくわ」
うんざりとした様子の勇麻に対して、いっそ開き直って和葉は言う。
その表情には反省の色は一切見られず、罪悪感など微塵も感じていないのが手に取るように分かる。
「それに、騙してなんかないわよ。身内贔屓でもない。こちらにおわすこの馬鹿こそ、私の知る中で一番腕の立つ馬鹿。キングオブ馬鹿よ。用心棒として、これ以上に頼りになる人はいないわ」
(いや、別に強さの事に関しては微塵も疑ってないんだけどな)
勇麻が追求したいのは身内の用心棒を雇う事によって九ノ瀬家の得られる報酬金が跳ね上がる図式を意図的に作った和葉の策謀についてであり、拳勝の用心棒としての実力を疑っている訳ではない。
むしろちょっと怖いまである。
なお、妹に親しみを込めて馬鹿馬鹿と連呼されたその最強の用心棒さんは、
「和葉おまえなぁ……そんな褒めても兄ちゃん何も出ねえぞ?」
照れくさそうに笑って頬を搔いていた。
今の言葉のどのあたりが褒め言葉なのかよく分からないが、ご本人が満足ならそれでいいのだろう。多分……。
「はぁ、……分った参った降参だ。お前の思惑に乗せられてやりますよ」
両手を挙げて降参のポーズを取る勇麻に、和葉は勝利を確信し満面の笑みだ。
これで一か月は食い扶持に困らないとギラギラ輝く瞳が語っているのだが、一体どのくらいの金額を勇麻にたかるつもりなのだろうか。
今から報酬金の事を想像してその恐ろしさに身震いする勇麻。
が、それでも納得しない人間が一人いるようで、
「おい、ちょっと待った。要するに旦那は俺の強さに疑問があるって言ってんだろ?」
自信と気迫に満ちた声が、二人のやり取りに割り込んだ。
「え、いや全然そういう意味じゃないんだけど」
和葉が「また始まったよこの馬鹿」とでも言いたげに額に手を当て天を仰ぐも、当の馬鹿はそれを無視して満面の笑みで、
「用心棒は趣味じゃねえが、仕事に支障が出るってんなら仕方ねえ。だったら確かめさせてやるよ。俺の強さってヤツをさ。つーわけで、喧嘩しようぜ! 依頼人の旦那!」
……ああ、この男に馬鹿というのは妥当な評価だな、と。
東条勇麻はやや疲れたように白目を剥きながらそう思ったのだった。
☆ ☆ ☆ ☆
ごめんさいあの馬鹿は一度ああなると喧嘩が終わるまで収拾がつかないからほんとに申し訳ないんだけどちょっとだけ付き合ってもらえる?
ポンと肩に手を置きながらそんな風に頼み込まれて、唯一の逃げ場も失った勇麻は、家屋から出ると人通りの殆どない表通りで九ノ瀬拳勝と対峙していた。
両者の間合いは五メートル。
互いに全力で詰め寄れば、ほんの数瞬で縮まるような距離である。
若干戦闘前の緊張に身体を固くする勇麻とは対照的に、拳勝は身体をほぐすようにぐにぐにと準備運動をしながら、
「なあ旦那、アンタは喧嘩って好きか?」
まるで食べ物の好みを尋ねるかのような気楽な問いに、勇麻はやや辟易したような顔で答える。
「……好きとか嫌いとか、そういう物じゃないと思ってる。……って回答で、察してもらえるとありがたい」
「そうかい。でも俺は好きだぜ。互いの全てを懸けて、拳と拳をぶつけ合う。魂が震えるっつーかさ、胸滾り熱く燃え上がるような感覚ってのが堪らなくてさ」
拳勝の言葉に眉を顰める勇麻。
言葉の意味を理解できないのではない。理解してなお、訝しむのだ。
けれどそれは当然なのかもしれない。勇麻にとっての拳とは、あくまで目的を叶える為の手段でしかなかったのだから。
けれど、この男は――
「聞けばアンタ、スペンサーの野郎を余裕でぶっ飛ばしたんだって? いいじゃねえか。この辺りじゃ、そこそこやる方なんだぜ? アイツ」
ニヤリ、と。今までの子供っぽい笑みとは違う、闘争本能に塗れた、鬼のような形相の笑みが少年の顔に広がった。
「だから、さ。血の滾るような喧嘩をしようぜ! なあ!! 箱庭からやって来た神の能力者。勇気の拳の東条勇麻さんよォ!!」
(えっ、ちょ。正体バレて――って、マズ――)
宣言の直後だった。
拳勝の身体が低く沈み込んだかと思うと、その脚が大地を蹴りつけ勇麻目掛けて一直線に真正面から飛び込んできたのだ。
そこには一切のフェイントも、駆け引きも存在しない。
愚直。あるいは馬鹿正直とでも述べるべきか。
その余りに素直な真っ直ぐな軌道に、逆に不意を突かれ反応が僅かに遅れる。
面食らう勇麻をよそに、大きく振りかぶった拳勝の拳が勢いよく振り抜かれて――
(――でも、この程度の速度なら、充分に躱せる。正直言ってコイツとは戦う理由もないけど、アリシアを早く見つける為だ。お望み通り、全力でぶっ飛ばして一刻も早く終わらせるッッ!)
拳勝の速度それ自体に目を見張るような物はない。
神の能力者の身体能力としては、やはり非凡な物を持っているようだが、それはあくまで単純な身体能力の話だ。
神の力で身体能力を強化する勇麻や、光の速度での移動を可能とした天風駆に比べれば、脅威に感じる事さえ馬鹿馬鹿しいレベルでしかない。
勇麻の顔面目掛けて繰り出された右の拳を、余裕を持って身体を半身に逸らすように躱して――頬を打つ拳の風圧に――勇麻は、金属バットで殴られるような激痛を感じ飛びのいていた。
「!?――ぐ、な。んだ……今の……ッ!?」
拳勝の拳は確かに回避したはずだ。だというのに、今の衝撃は一体……?
半ば放心状態で殴られた感触を得た頬に手をやるが、外傷は存在しない。全くもって意味不明。既存の物理現象から、明らかにかけ離れている。
ならば、今の現象は九ノ瀬拳勝の神の力の効果によるものなのだろう。
だが、未だどういう原理で何が起きたのか見当もつかない。
距離を取り、驚愕に目を見開く勇麻に、愉しげな笑みを浮かべた拳勝は、けれどあっさりとネタバラしを始めた。
「――『痛みの王』っつってな。俺を含め、俺と戦うヤツの痛覚の倍率を引き上げる。ただそれだけの神の力だよ」
思わぬ告白の内容に唖然とする。
その神の力が戦闘で一体どんなメリットを生むのか。むしろデメリットの方が多いようなその力を、九ノ瀬拳勝は何の躊躇いもなくひけらす。
相対する相手だけでなく、己の痛覚さえも引き上げる諸刃の剣を持つ戦闘狂は、それが何でもない事であるかのように笑う。
「さあ、喧嘩をしようぜ。なぁに、痛みだけで実際のダメージが跳ね上がる訳じゃねえ。んでもって、殴り合いのスリルは増す。喧嘩するのに最適な力だと思わねえか?」
「……その理屈は色々狂ってるだろ……」
「うーん。なんで分っかんねーかなー、この愉しさが。まあ何でもいいや、俺は俺で勝手に楽しませて貰うからよォ!」
はっきり言ってドン引きだった。
思わず一歩後ずさった勇麻の心の隙に付け入るかのように、拳勝が再び距離を詰める。
その鬼気迫る笑顔と気迫に圧倒され、勇麻は思うように身体が動かない。端的に言って、心が委縮してしまっている。
ただの風圧であの痛みという事実に、足が竦んでしまったのだ。
(くっ、マズった! 勇気の拳が……っ!)
宿主だろうが関係ない、容赦なく襲い来る弱体化。
動けなくなるようなレベルの弱体化ではない。もし上下する身体能力を数値化する事が出来たなら、僅かな変化だろう。
しかし、例え僅かな変化だとしても、刻一刻と目まぐるしく状況が変化していく戦場では、その僅かな誤差が致命的な隙を産んでしまう。
思考と身体が現実に追いついた勇麻は、どうにか拳勝に懐に入られるのを回避しようとする。
しかし。
間に合わない。
一切の恐怖を感じさせずに懐深くまで入り込んだ九ノ瀬拳勝の拳が、東条勇麻の鳩尾に深く突き刺さった。
瞬間世界が反転した。
「ぅうっっ!!? うげぉ、おごっ、うごぉがぁああああああああああおおおああああ!!?」
喉元にせり上がってきた吐瀉物全てをその場に吐き出した。
殴打によるダメージ、ではない。その狂った痛みに耐えかねた脳と身体が、吐き気を覚えたのだ。
痛い、という感覚はもはや消滅した。
強烈な刺激に感覚器官が異常な反応を示し、想定を超える痛みの情報に、それを処理する脳の方が一時的にエラーを起こしてしまっている。
視界がチカチカする。目が眩む。
殴打を受けた鳩尾を中心に、上半身の感覚が無い。
立ち上がる事は愚か、思考を手繰る事もできない。
身体がまったく言う事を聞かずに、冷や汗と涙と鼻水と涎が、意識する間もなくだらだらと流れ落ちていく。
「へえ、俺の本気の一撃を受けて失神も失禁もしなかったヤツは初めてかもな」
拳勝は本気で感心したようにそう言いながら、倒れて動かない勇麻の胸倉を掴みあげる。
何の抵抗も出来ずに持ち上げられ、つま先が宙を浮く。
捻られたティーシャツが首の皮に強く食い込み、首筋に走る包丁で首を斬り裂かれたような痛みに悲鳴をあげそうになる。
「無抵抗なヤツを殴るのは好きじゃねえし、これで終わりにすっかな。思ったより大した事はなかったけど……まあ、なんだ。愉しかったぜ」
終わり。
負ける。
その単語が掠めるように、脳裏にチラつく。
だが、それを回避する為の具体的方法に繋げようとする頭が働かない。
痛みが全てを阻害する。
拳勝はきりきりと弓なりに身体を引き絞り勢いを付けた拳を解放、痛烈な――何十何百倍にも膨れ上がるであろう痛みを伴った――右の一撃が勇麻の顔面を撃ち抜くその直前。
「――侮るなよ。こっちにだって意地がある」
心に湧き上がった意地と根性だけで無理やり身体を動かした東条勇麻の左の掌が、その一撃をしっかりと受け止めた。
そう。金属製の左の義手で、だ。
戦闘時は痛覚を切っている為、当然痛みはない。痛覚を倍増させる九ノ瀬拳勝の神の力の効果の対象外だ。
だが、かなりの硬度を誇る義手を殴りつけた拳勝はそうはいかない。
「~~~ッッ!!?」
声にならない痛みに、今日初めて顔を歪ませる拳勝。
己の拳を握り潰さんとする勇麻の義手をどうにか振りほどこうともがくが、それは完全に悪手だった。
意識が勇麻本体から左手の一点へと逸れたその瞬間、
意識が外れたその瞬間。
意識の隙間を縫って放たれた勇麻の右拳が、九ノ瀬拳勝の右頬を打ち抜いたからだ。
いっそ痛烈な打撃音が鉄板を殴ったような痛みと共に骨に木霊する。
それも勇麻の拳は拳勝のものとは違う。
──勇気の拳
勇麻の心理状態によって、その身体能力を増減する神の力。
その加護を受けた化け物じみた一撃が、九ノ瀬拳勝を襲っていた。
まさに意趣返しとなる痛烈な一撃に、拳勝の身体が宙を舞う。
地面を何度かバウンドし、その度に激痛に身体を痙攣させる拳勝は、けれどタイムロスゼロですぐさま立ち上がってくる。
痛みに身体を震わせたまま、その痛みさえも愉しいとでも言うかのように顔を壮絶な笑みに歪ませて、
「あはははは!! 油断した。まさか一撃貰うとは思ってなかったぜ! ひっさしぶりに燃えさせるじゃねえかよこの野郎!!」
血の流れる口元を拭うと、再度突進。真っ正面から殴り合いを所望する戦闘狂は、痛みを恐れることなく故に最短最速を行く。
「くっ、冗談だろ! こっちはただの拳じゃねえんだ。勇気の拳だぞ!? あの痛みを受けて笑って突進とか……お前ホントに痛覚引き上げられてんだろうな!?」
「痛みなんざアドレナリンでどうとでもなる。今はそれよりこの喧嘩を楽しんでたいだろ!?」
「――っ、殴ったこっちも痛いってのにッ!」
まるで石畳を殴った直後のようなじくじくした痛みを発する右腕を揺らしながら、それでも勇麻も怖じ気ず前に出る。
退けば勢いに、己の神の力に呑まれる。それが分かっているからだ。
恐怖を感じる事も、敗北さえも悪ではない。
問題なのは、一度の敗北や失敗に怯えて歩みを止める事。
進むことを諦めてしまうことなのだから。
「うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!?」
「らぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!?」
退く訳には行かなかった。
直前の喧嘩が好きか嫌いかなどという問答など忘れて、東条勇麻はただ目の前の闘争に没頭する。
敗北に立ち止まる事無く、さらに前へと進むために。目の前の勝利に貪欲に喰らい付く。
そしてそんな大層な志とは関係なく、ただ一人の男として、目の前の喧嘩相手に敗北する瞬間を想像する事は単純に癪に障ったのだ。
ようはこれはくだらない意地の話。
だがそのくだらない気の持ちよう一つで、東条勇麻の強さは目に見えるほどに上下する。
叫びの直後。
互いの拳が空中で交錯し、ほぼ同タイミングで互いの頬を打った。
衝撃に勇麻の足裏が地を削って滑り、勇気の拳の一撃を受けた拳勝の身体が地面を転がる。
「ぐっぅ、おぐぁあああああああッ!!?」
頭が弾け飛んだのではないかと錯覚するほどの痛みに、身体が意志に逆らって硬直する。
視界では星が弾け、思考は真っ白に抜け落ちる。判断も糞もない。ただ痛みという刺激に埋め尽くされ、それ以外は何も分からない。
だから。
勇麻より何秒も早く痛みの衝撃から立ち直った九ノ瀬拳勝への対処が遅れた。
九ノ瀬拳勝は一陣の風のように即座に間合いを詰めると、旋風の如く放ったその鮮やかな回し蹴りが痛みに悶える勇麻のこめかみを打ち抜かんとして――
「――そこまでっ!」
和葉の鋭い声が、勇麻のこめかみまで僅か三センチの所で拳勝の足先を止め、体勢を崩したままやや遅れて振り抜かれた勇麻の左足の蹴りが、それさえ読み切った拳勝のガードに触れる直前で止まる。
和葉はギリギリの状態のまま静止した二人をじっと見つめて、
「……与えたダメージは東条くんが上、相手をギリギリまで追い詰めたのは兄さんってトコかしらね。この勝負は引き分けって事で。これ以上ヒートアップされると、家とか壊されかねないもの」
が、その和葉の提案に対して異を唱えた人物がいた。
「――いや」
九ノ瀬拳勝。
楽しんでいた喧嘩の途中でお預けを喰らったのだ。当然、イイ所で勝負を止めた和葉に文句があるのだろう。ある意味では予想通りのその少年の反応に、和葉も想定内だと呆れ顔を浮かべている。
しかし、その口から飛び出した言葉は、勇麻や和葉の想像の域を超えていた。
「今の喧嘩は俺の負けだろ」
「え?」
「は?」
思わず声が重なる二人に、拳勝はごくごく当然の常識を子供に語って聞かせるように、
「……さっきの旦那の目。あれは勝利を確信したヤツの目だった。見栄や虚勢じゃない。あのままぶつかってたら俺が負けるようなナニカがあったって事だろ。な、旦那?」
「……あ、え……?」
「……まあ、私としては勝敗はどうだっていいのだけど。兄さんが自分からそんな事言い出すなんて珍しいわね」
「そうか? 俺ぁ別に喧嘩の勝敗にはそこまでこだわらない性質だぞ? 熱くて思う存分に暴れられて興奮できて俺が楽しめれば何でもいいし。ま、勝つにこした事はねえがそれだけって訳じゃねえ」
「いつも思うのだけど、喧嘩に対しての注文多いわよね……」
ゾッと、背筋に得体のしれない悪寒をこの時勇麻は感じていた。
──決着の直前。態勢を崩しながら勇麻が振り抜いた左足の蹴りは、不意を突いたというのに完全に読まれ、“拳勝の左腕によってガードされるところ”だった。
勇気の拳に防御は意味をなさない。
それどころか逆に、威力を何倍にも増大させた一撃が守りに入った相手を襲う事になる。
この特性を知る勇麻のみが知り得る勝機を、この少年は直感的に──否、その本能で理解した。
そして身体能力強化系である勇気の拳を有する勇麻を相手に一歩も退かずに徒手空拳でやり合える戦闘スキル。
その身に宿す凶悪極まりない神の力と、その弊害による激痛に苛まれながらも闘い続ける闘志。決して枯れ果てぬ戦闘への意欲。
九ノ瀬拳勝の戦闘センスは間違いなく異常の域にある。
戦いの中で生きてきた──その第一印象は間違いでも何でもなかったのだろう。
──恐ろしい。
素直にそう思った。
その強さに? その異質な神の力に?
どちらも否。
その心の在り方に、だ。
聞こえるのだ。
その渇望が。
──闘いたい。もっともっと強く、激しく、愉しく。心燃え滾るような闘いを。勝ち負けなんてどうでもいい、ただ純粋に真っ正面から力と力を拳と拳をぶつけあいたい。命を燃やしていたい。足りない。足りない足りない足りない。この有り余った力全てぶつけても壊れないくらい強い奴と、命をすり減らして全力で闘いたいこの痛みに血と湧き上がる闘志に生きているのだという生の実感を得たい──
おそらくはこれもまだほんの一端なのであろう、そんな渇望が。
東条勇麻は何よりも恐ろしいのだ。
勇麻にとっての拳とは、あくまで目的を叶える為の手段でしかなかった。
けれど、この男は――
――そう、九ノ瀬拳勝は違うのだ。
求めるのは、闘争。
戦いの果てに何かを求めるのではなく、戦いを求めて戦いに身を投じる。
手段と目的の逆転なんて可愛い話でもなく、拳そのものが彼の目的であるが故に、その渇望に終わりはない。
血の滾るような、心を燃やす激闘を、彼は他の何よりも求めている。
きっと、命尽きるその時まで、永遠に。
心を満たす純度一〇〇パーセントの闘争心。
そんな在り方は、あまりにも人として歪すぎる。
そんな勇麻の視線に気づいたのだろうか。
拳勝は不思議そうに勇麻を見て、
「ん? どうしたよ、旦那」
「……アンタ、一体何を見据えてる?」
思わず零れたそんな呟きに、
「おかしな事言う旦那だぜ、どこを見てるかって? んなもん決まってる。俺は最強ってヤツに会ってみたいんだよ」
まるで子供みたいな笑顔を浮かべて、笑ったのだった。




