第二十話 避けられぬ闘いⅡ──兄と弟
十一月末の夜。季節外れの雷混じりの雨が、音を立てて路面を濡らしていた。
元は閑静な住宅街だったのだろう。
ドラマの撮影地にでも使えそうな、モダンでオシャレなレンガ風の外壁で統一された新築の家が多数並んでいる。
一戸一戸も勿論だが、個々ではなく全体として美しい情景を形作っているのが分かる。
だが、暴徒達が暴れた影響かブロック塀が壊れていたり、家屋自体が倒壊していたり、雷撃に焼かれた人々がそこかしこに転がっていたりしている今の光景を見ると、人の争いの生々しさしか残っていない。
そんな、文明人としての当たり前の尊厳と矜持など欠片も残っていないような、鉄錆と硝煙の匂い立ち込める戦場でその兄弟は向き合っていた。
ジリジリと、背中の焦れるような静止が続く。
「……こうしてると思い出すな」
「昔話なんて爺臭いね。……それとも、もう走馬灯でも見えているのかよ?」
「いや、……お前が必死に隠そうとしてたオネショを暴いて逆ギレされた時の事を……だ!」
ドッ! と、踏み込みの直後。勇麻の身体が矢の如き勢いで加速し射出された。
まるで定規で引いたような真っ直線の軌道。
馬鹿の一つ覚えのような愚直な突進に、対する勇火は不動。腕を組んだまま、二つ歳上の兄を睥睨する。
「ホント、いっつもソレしかないんだね。正直もう見飽きたよ、真っ正面からの突撃──」
勇火が呆れたような言葉を零した直後、背中の雷翼がぶるりと震えて、
水平方向に稲妻が走った。
文字通り光の速度で迸った一撃に、東条勇麻は抵抗する間も心臓を射抜かれ──る事はなかった。
「ッ!?」
一直線に見えた挙動が、勇火が雷撃を放つ直前に鋭角的にねじ曲がっていたからだ。
“まるでジャングルのチンパンジーか、ハエトリグモのように、周囲の家屋の壁を蹴って利用し、鋭角的で立体的な軌道で勇火の背後に躍り出る”。
「――目の前にお手本があったんだ、盗まない手は無いだろ」
勇気の拳を利用した、擬似的な三次元立体軌道。
力業で強引にとある少女の機動力を再現した勇麻が、不敵に笑って拳を振るう。
弟の後頭部を背後から打ち抜かんとする一撃は、しかし雷翼からの放電によって中断された。
「……っ」
おそらくは自動迎撃。
込められた威力自体は大した事はないが、不意打ちに対する牽制くらいにはなる。
事実、勇麻の動きが怯んだ隙に勇火は充分な距離を取ってしまっている。
勇火の油断をついた初手の奇襲は、失敗に終わったという訳だ。
そして、動きの止まった勇麻の隙を見逃すほど、東条勇火は甘くはなかった。
「はぁッ!」
気合いと共に横薙ぎに右手を一閃。
紫電が空を走り、後ろに飛び退くように回避を試みる勇麻の左腕を打ち抜く。強烈な痛みと熱が左腕から全身へ駆け巡る。
苦痛に漏れそうになる声を押し殺して逃げる勇麻に、さらに一撃、ニ撃。
立て続けに火花の弾けるような甲高い音が高鳴り、勇麻に追いすがる。
地を蹴り後方へ跳躍し身体を縦に半回転。そのまま大地に手を突いて、バク転の要領で跳び地面を焼く雷撃をギリギリ回避する。
しかし距離を取り過ぎても勇麻が不利になるだけだ。
そのまま着地と同時に地面を転がり、勇火の射程から逃れるようにしながら適切な距離を図る。
――仕切り直し。
「少し意外だ。突っ込んで来ないんだね」
「格上の神の脳力者相手にそんな馬鹿な真似するかよ。お兄様をいったい何だと思ってやがる。こちとら干渉レベルDあたりをうろうろしてる落ちこぼれ学生だぞ」
強がるように虚勢を張って、勇麻は顔を引き攣らせて笑う。
勇火の干渉レベルは間違いなく飛躍的に上昇している。巨大になった背中の雷翼から見てもそれは明らかだ。
だが、強力になった所で神の力そのものが変わった訳ではない。弱点もその対処法も変わらないはずだ。
(……基本は何も変わらない。持久戦に持ち込んで勇火のエネルギー残量がゼロになるまで……つまり雷翼が消えるまで粘る事ができれば、俺の勝ちも見えてくる。なるべく勇火に大技を使わせて、俺はそれを躱すだけでいいんだ。残弾が減って焦り始めればこっちのものだ)
そんな思案顔の勇麻に、
「策を練る頭が残っていたみたいで安心したよ。まあ、らしくないって言えばそれまでだけど。……東条勇麻って男は、もっと向こう見ずの馬鹿野郎で、どんな相手にも馬鹿正直に真っ正面から突っ込んでいくもんだと思ってたからさ」
「……俺らしさ? なんだそれ。そんなつまんないものに拘る趣味はねえよ。いつだって、その時その時取れる最善を選び取ってきた。そうしなけりゃ救えない物があるってんなら、似合わない真似だっていくらでもするぞ。でもな、……それでも手段は選んできたつもりだ。人として、曲げちゃならない物だけは曲げずに此処まで来たつもりだよ、俺は」
いつだってそうだった。
東条勇麻が立ち上がってきたのは、そこに譲れない物があったからだ。
認められない結末があったからだ。
曲げられない物が、確かにそこに存在したのだ。
だからこそ、立ち上がった。何度でも何度だって、諦めずに立ち上がる事ができたのだ。
そうだ。だからこそ、やはり東条勇麻は断言できる。
誰かを傷つけ、血で血を洗い、誰かの屍のうえに平和を築いて喜ぶようなそんなやり方は絶対的に間違っていると。
そんなやり方で救われた何かを、東条勇麻はきっと認める事ができない。
「……甘っちょろいんだよ、アンタは。そんな悠長に手段なんて選んでる余裕あるのか? その怠慢の結果がこの有り様だろ。違うのかよ? アンタがもっとしっかりしていれば、違う結末を掴み取れたハズなんだ。これ以上俺を失望させないでくれよ、英雄。アンタなら南雲龍也みたいに、全てを救うことだって……!」
「だからって暴力で何もかもを屈服させて、それで本当に守りたかった物に胸を張れるのか? ……お前が俺にどんな幻想を抱いてるのかは知らないけど、何でもかんでも自分の拳一つで解決できた訳じゃない。誰かの力を借りて、知恵を借りて、助けられながらここまで進んできたんだよ。俺って奴は」
――そうだ。
言いながら、勇麻は自分で自分の言葉に思いを巡らせる。
いつだって勇麻は誰かの力を借りて戦ってきた。
結果として、誰かを救い、この街の平和を守ってきたようにも見える勇麻だが、真実はなんてことはない。いつだって誰かに助けられてきたのは勇麻の方だった。
勇麻一人で成し遂げられる事など、たかが知れている。
「黙れ。そんなのは持ってる者の傲慢だ。誰かの助けがなければ何もできなかった? ……ふざけるな。そんなの、アンタだから出来たに決まってるだろ!? その他大勢の枠に押し込められたヤツは、例えその誰かの助けがあっても必ず失敗するようにできてるんだよ! この世界は!」
勇火が一際強く吠える。
背中の『雷翼』が震え、身体中を紫電が駆け巡る。バヂバヂと、青白い電流を帯電させた勇火は、そのまま地面を力強く蹴りつけると、目にも止まらぬ速度で勇麻目掛けて跳びかかっていく。
「誰もがアンタみたいな例外じゃないんだよ! 世界を回す交換可能な歯車のパーツの一部に過ぎない俺なんかが何をやったって、どうにかなる訳ないだろうが!! それでも、無理だと分かってもどうにかしたい事があったんだ! だったら無理やりにでも枠の外へとはみ出すしかねえじゃねえかよ!」
咆哮と共に複数の雷撃が飛び、それを潜り抜けるように躱した先。既に勇火の拳が待ち構えるかのように目前まで迫っていた。
タイミング的に回避は不可能。また、勇気の拳という力を宿している関係上、防御体勢を取る事もできない。
雷撃を纏った拳が、勇麻の鳩尾に深く突き刺さった。
勇火が接近戦を仕掛けてきたのはなにも感情的になったからではない。
遠距離から雷撃を放っているだけでは、勇麻の常識はずれの身体能力で回避されてしまう。
だから敢えて近づく。
近接格闘戦における東条勇麻の取る選択肢は完全ノーガードの殴り合い一択。故に、近づきさえすればこちらの攻撃を当てる事も容易だ。それに勇麻の攻撃手段は徒手空拳のみだが、勇火には偽装電流がある。電撃と拳での殴打とを組み合わせれば、攻撃パターンはより一層多彩さを増す。
狙うは近距離での削り合い。手数の多彩さ、一撃の威力共に、殴るしか能のない兄より有利に立てるハズだ。
東条勇火はダメージを受けるリスクを承知で、その間合いに飛び込んでいく。
インパクトと同時、花火が弾けるような轟音が鳴りひびき、勇火の拳を起点として電流が勇麻の身体を駆け巡った。
まるで、自分の体の中に暴れ狂う竜が入り込んだかのようだった。
一瞬で身体の制御が失われ、意識の手綱を手放しそうになる。
身体の自由が効かない。何をどうすれば立っていられるのか、そんな簡単な事さえ分からない。思考が、身体が完全に麻痺している。
さらに、
どこか朦朧とした意識を吹き飛ばすような痛烈な一撃が、勇火の拳を起点に身体をくの字に折り曲げていた勇麻の顎にクリーンヒットする。
「ぐぅ、がはァ……ッ!?」
アッパー気味の一撃に脳みそを激しく揺さぶられ、今度こそ意識が明滅する。ふらつき、ひとりでにたたらを踏む勇麻の鳩尾に、さらに回し蹴りが突き刺さった。
雷撃を纏った、スタン効果付きの追撃を浴びて、今度こそ勇麻の身体が吹っ飛び、雨に濡れた路面を転がる。
「げばぁっ、ごっ……ぅがはッ、ごほっげほっ……ッ!」
まるで地面を這う芋虫のように身悶える勇麻を睥睨して、勇火が瞳に昏い炎を宿しながら一歩ずつ歩み寄ってくる。
「あの時、俺は何も……何もできなかった……」
勇火の腕の一振りと共に、闇夜に一筋の稲妻が走る。
それが勇麻の身体を打ち抜くたび、勇火の顔が昏い歓喜に歪に震える。
「立ち上がる事さえも……自分の意志ではあの場に立つことさえ叶わなかった……!」
また一撃。さらに一撃。また、もう一撃。繰り返し繰り返し繰り返し。幾度となく雷光が走り、その度に夜のとばりの降りた街を明るく照らす。
勇麻が苦痛の叫びを上げるたび、勇火の背中の雷翼が震えるように青白い火花を散らす。
獲物の悲鳴に、歓声をあげるように。
「『俺みたいなちっぽけな人間の選択で、何かが変わる訳がない。必死に手足を振り回して足掻いたって、世界の命運ってヤツは小揺るぎもしない』……大人ぶって、分かったつもりになっていた。頭のいいふりをして、そんな風に自分を納得させようとしていた自分がいた。……でもさ、結局のところ誰だって自分を信じたいんだよ。自分の中の可能性ってヤツを。俺っていう人間の選択に。行動に。価値はあったんじゃないかって。意味はあったんじゃないかって。どれだけ小さな一歩でも、そこに意味を見出したいんだ」
それは、人ならば誰しもが胸に抱く思いだろう。
誰だって自分の行動に、意味を求める。
砂浜でのゴミ拾いが地域の環境改善に繋がったと表彰されれば誇らしいように。
朝方何気なく拾って交番に届けた落とし物がきちんと持ち主の元へ届き、感謝をされればこそばゆいように。
こつこつと勉強して積み上げてきた努力が実り、志望校に受かれば嬉しいように。
毎日のきついランニングが、大会での優勝に繋がれば歓喜に涙を流すように。
そんな風に、その時のその時の自分の選択に。行動に。意味があったと知って喜ばない人間はいないだろう。
自分の行いに無意味を求めるなど、人との在り方として根本から間違っている。そんなのは頭の狂った狂人か、はたまた人間の形をしたナニカくらいの物だ。
きっと誰もが思うのだ。誰かの役に立ちたい。何かに貢献したい。誰かの為になりたい。何かを成し遂げたい。認められたい。感謝されたい。褒められたい。凄い人だと尊敬されたい。自分を誇りに思いたい。思われたい。
それは人として当たり前の感情で、欲求だ。
だが、それを裏切られたら?
「でも、なんて事はなかった。世界は想像以上に残酷だった。だって世界は、誰だっていいんだ。なんだっていいし、どうだっていい。誰が死のうが生きようが関係ない。当たり前は当たり前のまま。何一つとして変わらず回り続ける。故に選択に価値はなく、故に行動に意味はない。全てが無為で無意味なんだから。俺が何をどうしようが関係なく、高見秀人は犠牲になり、そして寄操令示を倒すんだろう。そんな腐った結末が、この世界では何の違和感も無く認められてしまうんだから」
自分の行動には何の価値もなくて。自分がやらなくても誰かが。その誰かがやらなくても別の誰かが。
まるで足りなくなったスペアのパーツを次々と交換するみたいに、代役がいくらでも無限に用意されていて、自分に唯一無二の価値など無いのだと思い知らされたら?
自分の行動に関わらず、些細な選択など全て無視してこの世界は回っているのだと、そう知ってしまったら。
きっと人は、もうまともではいられない。
ぐずぐずと、腐った死体がふやけてスライムみたいになるように、死んだように生きていくのだ。
だからこれは、一種の防衛反応。
人として尊厳を保ちながら生きてく為の、必要最低限。
無価値と罵られ断じられた己の価値を取り戻す為の行い。
電撃をその身に纏ったまま、勇火が勇麻の胸倉を掴みあげる。
右手一本で吊し上げるように身体を持ち上げられた勇麻のつまさきが宙を泳ぎ、勇火の手を通して電流が身体に絶えず流れ込んでくる。
電流に動きを阻害され、満足にもがく事もできないまま、勇火の怒りと失望、そして嫉妬と憎悪に歪んだ眼差しが真っ直ぐに勇麻を射抜かんとする。
「だから力が欲しかった! 他の誰でもない、俺自身が例外の特別になりたかった。自分の選択一つが世界の命運を左右する、そんな位置に立ちたかった。もう、手の届かない所で立ち尽くし、悔しさに歯噛みしながら傍観者であり続けるのは嫌だったから! ……なあ、これでもアンタは俺が間違っているってそう言うのか? 選択一つで世界を変えられる場所に立ちながら友達一人救えなかったアンタが! それを言えるってのか!? え!?」
力を求めたのは、何もかもを変えたかったからだ。
無力な自分が嫌いだった。
そのくせ、世間からはやたらと評価の高い自分も嫌いだった。
背負う物の重さに耐えきれず、立ち上がる事のできない自分が嫌いだった。
賢いふりをして、大人ぶって物事を冷静に判断し、自分には無理だと普遍的な結論を出してしまう自分が嫌いだった。
何をやっても優等生な解答にしか辿り着かない良い子ちゃんな自分が嫌いだった。
常識枠とか、安全地帯とか、そんな言葉で定義される事が我慢ならなかった。
その他大勢など存在しないように自儘に振る舞う残酷なこの世界も。
その他大勢枠からはみ出した頭のおかしな例外共も。
劣等生のくせに、全てにおいて自分の上を走っている兄の存在も。
全部全部嫌いで、気に食わなくて、何もかもをぶち壊したかった。
ぶち壊して、全てを更地にしてしまえば、どれだけすっきりするだろうか。
そうすればきっと、地平線の彼方まで全てに手が届く。
東条勇火の選択一つで世界が変わる。
一挙手一投足に誰もが注目し、世界も彼を二度と無視しない。軽視されない。
敗北の結末を、ただ遠くから眺めている事しかできなかった無力な自分へと別れを告げる事ができる。
「アンタは失敗した。アンタの選択じゃ、理不尽な世界の運命ってヤツから踏み出す事はできなかった。だから俺は俺のやり方で全てを救う。……アンタはもう、俺の前から消えてくれ。目障りなんだよ」
ドッと、突如として勇麻の身体を縛る力が消失し、尻から地面に落ちた。
まるでいらなくなった玩具を捨てるような仕草で、勇火は実の兄の胸倉からその手を放していた。
その視線は酷く冷たく、まるで興味もない動物の赤ん坊を見る人のように、感情が死に絶えている。
言葉はなくとも分かる。その目が、『もうお前に用はない』と、雄弁に語っていた。
「……まて、よ」
だから、その背中が立ち去ってしまわぬうちに、勇麻は声を上げた。
痺れが残り、まともにろれつが回っていないのも無視して、見上げる位置にある弟の顔をじっと凝視する。
「……お前は、何もかもが無意味だって、そう言うのか?」
「そうだって散々言ってきたと思うんだけど、まだ分からない?」
突き放つような言葉と呆れの入り混じったような視線が注がれる。
退きさがれ。
そうすれば命だけは奪わずに置いてやる。
そう、言われている気がした。
でも。
だけれども。
――立ち上がる。
「……る、な」
「?」
東条勇火の言葉をこのまま黙って肯定する事だけは、
――二つの足で、大地を踏みしめる。
「……ふざけるな……!」
東条勇麻にはできなかった。
――拳を、握る。
「……無意味な訳、ねえだろうが! 俺がッ、お前がッ、今ここにいる! こんな奇跡、誰のおかげだと思っていやがる!? ……勇火、お前だろうが。お前がいたから今があるんだろうがッッ!!」
心を擦切る、血の滲むような声だった。
それはまるで、罪をおかした実の息子に語りかける母親のような、悔恨と嘆きを内包した問いかけ。
ある種の裏切りを糾弾するような、心の悲鳴だった。
――勇気の拳が、燃え上がる。これ以上ないくらいに、熱く激しく燃え滾る。
心に燃える感情は、怒り。決して否定させてはならない尊い物を否定された事に対する、押さえようのない怒り。
感情が爆発する。それは制御の出来ない波となって押し寄せ、勇麻の抱えるごちゃごちゃとした物全てを押し流そうとする。
「お前がいたから何とかなった! あそこでお前が駆けつけてくれてなかったら! 俺も、お前も、此処には立っていない。違うか!? お前の選択がッ! 行動がッ! 間違いなく世界を変えたんだよ。なのにそのお前が、お前の行いを否定してんじゃねえよ――この大馬鹿野郎がッッッ!!」
勇気の拳が猛る。
弾けるように大地を蹴って、気付けば勇麻は感情にまかせて右の拳を振り抜いていた。
反応する事さえも拒絶する速度の一撃が勇火の頬を捉え、その身体をまるで砲弾の如く撃ち出す。
凄まじい速度で民家に叩き付けられた勇火の身体が、瓦礫に埋まり、直後。
目もくらむような閃光と共に東条勇火が瓦礫を吹き飛ばし、額からだらだらと血を流しながらも再び勇麻の元へと飛び込んでいく。
「……そういうのが、ムカつくって言ってんだよ馬鹿兄貴! 俺の選択が世界を変えた? ふざけるな! 俺である必要なんてないんだよ。例えあの時あの場に俺がいなくとも、世界は勝手に辻褄を合わせていく。代役なんていくらでも居て、所詮俺は偶然開いた隙間を埋め合わす為の一時的なピースに過ぎない。そういう風にできてるんだよ。クソッタレなこの世界は!」
「なんで自分の価値を自分でそうも否定したがる! 例えお前以外の代役が居たとして、あの時あの瞬間。あの場所に辿り着いたのは他の誰でもない、東条勇火だろ! 何でそんな簡単な事が理解できねえんだよ。この馬鹿野郎! そんなに兄ちゃんに構って欲しいのか!」
拳が、交錯する。
電流を纏った拳。
感情の籠った拳。
防御なんて誰も考えない。ただひたすらに、互いの信念と拳を真正面からぶつけ合い、語り合うかのように拳を交差させる。
まともな会話なんて成立していない。ただ単に、相手に投げつけるように己の言葉を好き勝手に吐き出し叩き付けているだけ。
でも、それでも構わない。そう思えたから。
「馬鹿じゃねえの!? 自意識過剰も大概にしろよ。この妄想野郎! いつまでも幼稚園児みたいな綺麗ごと抜かして、気持ち悪いとか思わねえのかよ!」
「頭良いヤツぶって、悟った気にでもなってんのかよ優等生!! 諦める事が賢いとか考えてやがるなら、諦めない事の意味を骨の髄まで叩き込んでやるから覚悟しろ!」
血しぶきが舞う。
互いに顔は腫れ上がり、目の上に青痣を作っている。二人とも、まるで頭から蜂の巣に突っ込んだみたいな有り様だ。
でもやめない。
全てを吐き出した先に、何かがあるような気がしたから。
拳を交える度に、互いの頬を互いが撃ち抜く度に、弾ける火花のように交わされる意志があった。
思いの花火が炸裂する。爆裂する。爆発する。
互いに互いの信念を塗りつぶすように刹那の輝きを宿し、波が引くように消えていく。
──その思いを理解する事はできると思った。
──その思いを間違っていないとも思った。
けれど。
──それを認めてしまう事だけは。
認めて、退き下がってしまう事だけは、絶対に許容できなかった。
「「──ォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!」」
――そうして殴り合って、どれだけの時間が経過しただろうか。
勇麻の重い一撃を顔面に受けた勇火の身体がフラリとグラつき揺れる。
たたらを踏んで後ろによろけ、拳の応酬が不意に止む。
そのタイミングだった。
刹那の空隙。
勇火が唐突に、ポツリと言葉を零した。
「偉そうな事、言ってんじゃねえよ……」
「……なに?」
「……負けた癖に。負け犬風情が、偉そうに俺に説教してるんじゃねえよ!!」
雷翼が莫大な光を放ってそして――世界が青みがかった白に包まれた。
放電。
現象としては、単純明快。
雷翼を消費し放たれた高密度のエネルギーの放出は、間近にいた勇麻をまともに呑み込み、勇火を中心に半径五〇〇メートル圏内の物を全て焼き尽くした。
☆ ☆ ☆ ☆
圧倒的だった。
背中の雷翼を四枚消費して放たれた一撃は、一瞬で街を瓦礫の山の廃墟と変えた。
周囲に生者の気配は感じられない。
周囲に人の息遣いは感じられない。
周囲に敵対する者の存在は感じられない。
焼け落ちた世界に一人。
勝者の声だけが雨音に混じって虚しく響いている。
「……結局、力が全てなんだよ。俺のやり方が正しいんだ。だって、負けたらそこで何もかもが終わりじゃないか。最後の最後まで立ってなければ意味がない。そうでないと、今のアンタみたいに全てを失う事になる」
語りかける声は、相手に届いているのかさえも怪しい。
なにせ東条勇麻は勇火の放電に焼かれ、原型が残っているのかさえも分からないのだ。
先の一撃で完全に倒壊した家屋の瓦礫をどかせば、放電に巻き込まれた人間の焼死体に紛れて何かが出てくるかも知れないが、今となってはそんな事はどうだって良かった。
勝てば官軍負ければ賊軍。
結局。東条勇火が東条勇麻との戦いを通して得た物など無いに等しくて。誰もが知っているそんな事実を再確認させられただけだった。
「……こんな物かよ。こんな簡単なのかよ、東条勇麻を殺すってのは」
実につまらない結末だった。
結局、力が全てなのだ。
強い者が勝利を手にし、弱い者はただ敗北を重ねる。踏みにじられる。何も与えられる事もなく、無慈悲に無秩序に、全てを貪られ、失うのだ。
信念の有無も。理想の正誤も。正義も悪も。勝敗には何ら影響を与えない。
ただただ互いの力のみが、システマチックに勝敗を判断しえる数値となる。
世界は無慈悲で、残酷だから。
「俺が思ってたより、アンタって男は小さかったよ。その気になれば俺を殺してでも止める事くらい出来ただろうに。どうでもいい事に拘って、本当に大切な物を取りこぼす。……何も、何も学習してねえよ、アンタ」
実の兄を殺してしまったというのに、勇火の中に浮かんだ感情は至って平淡だった。
自分で自分に首を傾げてしまうくらいには、何の感慨も浮かんでこない。こんな程度の物だったのか。そんな、愕然とした感情しか湧いてこない。
もっと辛いと思っていた。
もっと痛いと思っていた。
もっと悲しいと思っていた。
もっと苦しいと思っていた。
もっと悔しいと思っていた。
なのに。
痛みは愚か、喪失感さえも感じない。
これと言った感慨一つ湧いてこない。
思わず勇火は笑ってしまっていた。
何だコレは。
失ったところで痛いとも思わないくらいの、そんな物でしかなかったのか。
兄弟ってモノは。
家族の、絆は。
子どもの頃に大切にしていた宝物箱を開けてみたら、中にがらくたしか入っていなかった時のような落胆。
思い出の中の絶景を久しぶりに訪れてみると、どこにでもあるような普遍的な光景でしかなくて、こんな物だったのかと首を捻りたくなるような感覚。
幼き頃のキラキラした思い出を、後から自分の手で穢してしまうような愚行。
確かに胸に抱いていたはずのそれは、本当に大した物ではなかったのか。
それとも、余りにもあっさりと片付いてしまったからその実感がないのだろうか。
必死になって勉強していたテスト問題が予想よりも簡単で、一生懸命勉強した時間が無駄になってしまったような――
(……テスト、か)
そこまで思って、勇火は苦笑を一つ零した。
どちらにしても兄を殺す事と学校のテストを同列で語っているようでは、自分の中でどの程度の価値であったかもたかが知れてしまっている。
端的に言って、東条勇火は拍子抜けしていたのだ。
兄という存在について、自分は少しばかり高望みをし過ぎていたらしい。
次なる闘争と、その破壊による平和を求めてその場を立ち去ろうとした勇火は――ガララ……、と。背後で瓦礫の崩れる音を聞いて。
そして。
見た。
「――は?」
振り返った視線の先。四肢を地につき四つん這いになる事で己の背中を盾として、降りかかる瓦礫から無関係な少女を守ったであろう少年の姿を。
唐突に暴徒化した危険分子ではない。
丸っきりの無関係、巻き込まれただけの被害者の幼い少女。
おそらくは暴徒達の出現によって逃げる事さえ儘ならなくなり、この辺りに隠れていたのであろう。そして少女の潜んでいた建物が、勇火の放電によって完全に崩壊したのだ。
そして、東条勇麻はそれに気が付いた。
助けを求める声に。
そして、まるで呼吸をするかのように、ひとりの罪なき命を救ってみせた。
勇火は気づきもしなかった。
否、気づこうとさえしなかった、と言うのが正しいか。
きっと勇火は心のどこかで、平和の為に多少の犠牲が出ることさえ許容し始めていたのだ。
「な、んで……」
だが、今最も重要なのはそこではない。
注目すべきは、意識すべきは、目を見張るべきなのは、東条勇麻が無辜の市民を救ったという“そんな当たり前の事”ではない。
「……なんでまだ生きてんだよ、アンタは。なぁ、……東条……勇麻!」
東条勇火全力の一撃を、至近距離で喰らったのだ。
雷翼を四枚――全体の半数も消費した全力放電。
一瞬で半径五〇〇メートル圏内を瓦礫の山と変え、逆らう者を一人残らず消し飛ばすだけの威力を秘めた一撃だったはずなのだ。
それなのに。
だというのに。
「なんでアンタは……無傷で立って――っ!?」
言葉の途中で、勇火の目が驚愕に目一杯まで見開かれた。
「気付いた……、かよ」
己の背中に圧し掛かった瓦礫をどけ、少女の手を取って立ち上がらせながら、東条勇麻が不敵に笑う。
東条勇麻は、おそらく“原因に気が付いている”。
だが勇火は、自分の中に生じたその考えを認められない。
そんな物を認められるくらいならば、初めからこんな戦いは起きていない。
だから。だから。だから……!!
「なんて事はない話だ。勇火、お前は無意識の内に識別しちまってたんだよ。傷つけるべき者とそうじゃない者を。分かってるんだろ? 本当は」
東条勇火の『偽装電流』は、電気と似て非なるエネルギーを操る事のできる神の力である。
普通の電撃系統の神の力と何が違うかと言われれば──
──例えば、そう。放電の攻撃範囲内においても任意の相手のみを感電させる事が出来る、とか。
つまり。
逆に言えば、東条勇火が仲間だと認識した者に対しては、彼の電撃はただの無害な優しい光と化す。
「――ッ!!?」
「……自分は欺けても、自分の神の力までは騙せなかったみたいだな。なぁ? おい……」
最後の問いかけは、勇火ではない他の誰かに向けて発せられたようにも聞こえた。
少女を先に逃がし、その道を塞ぐように立ち上がった少年は、瓦礫を受け止めた背中に重傷を負っていた。
だがそれだけ。
莫大なエネルギーの直撃を受けて消し飛んでいてもおかしくはないはずなのに。放電による傷は、火傷一つとして見当たらない。
「嘘だ、ありえない。そんな……だって、俺は、俺はアンタを殺したと思っても眉一つ動かさないような男だぞ!? そんな奴が、心の底ではアンタを仲間だと思っている? 殺したくないと、そう思ってる? そんなふざけた話があってたまるか……!!」
「だからさ、分ってたんだろ。あの一撃で俺が死ぬことはないって。そりゃ何とも思わなくて当然だろ。だって、お前の本心は俺はおろか誰一人として傷つけようとすらしてないんだから」
「――ッ!?」
勇麻の言葉に、勇火が辺りを見回す。そこには、勇火の放電によって焼け死んだはずの暴徒化した一般人達が、制圧した時の状態のまま、そこらじゅうに折り重なるようにして倒れていた。
無論、ひとりの死者も出ていない。
そうだ。考えてみれば勇麻が助けた少女が無傷なのもおかしい事だったのだ。
勇火は何の手加減もなく放電を放ったつもりでいた。それはつまり、東条勇麻を含めて半径五〇〇メートル圏内の命が絶滅していなければならないのだ。
だというのに。絶滅はおろか、一人として傷つけられなかった。
「……これは何かの間違いだ」
「かもしれないな」
「俺は、アンタを憎んでる。アンタを、殺したいって思ってる……」
「ああ、きっとそういう勇火も確かにいるんだろうな」
「今は勝ち誇っていればいい。何かの偶然で助かっただけのその命、次こそ俺の手で終わらせてやる……!」
「それでも俺は抗うよ、勇火。兄貴ってのはいつかは弟に追い越され、負けていく物だけど、それは絶対に今この時じゃない。お前が超えるべき壁として、間違った道に進もうとしている馬鹿の頭をひっぱたくのもきっと俺の役目だから」
対峙した両名の瞳に映るのは、打倒すべき相手の姿のみ。
真っ直ぐに、迷い一つない瞳と。
ギラギラと、熱に侵されたように危うく揺れる瞳。
けれどもどちらの瞳にも言えるのは、互いがそれぞれ己の信念を揺るぎなく掲げていると言う事。
それぞれの視線が絡み付くように交錯して――直後。
まったく同じタイミングで地を蹴り付け、両者の最後の激突が始まった。




