第十六話 それぞれが対峙する壁Ⅲ――目的地で待つ者は
十一月末ともなれば夜の冷え込みも厳しくなる。
夜の冷気を肩で切り裂き、東ブロック第四エリアを走る勇麻の吐く息も湯気のように白く色づく。
「はぁ、はぁっ、はぁはぁっ、くそ! 速すぎ、る……っ!」
とはいえ、今の勇麻は一人で走っている訳ではない。
勇麻の斜め前には純黒のドレスに身を包んだショートヘアーと日本刀が特徴的な少女――『汚れた禿鷲』のイルミが、先導を切って走っていた。
「遅い。……殺すよ」
「そこはふつう『遅い、置いてくよ』じゃないの定番的に!?」
へろへろになりながら、それでも必死にイルミについていく勇麻が、ただでさえ酸素の足りない中で息も絶え絶えに叫んだ。
けれど一方通行の言葉のやり取りは会話のキャッチボールにまで発展せず、イルミが暴言を吐いて、それに勇麻がツッコミを返した時点で終わってしまう。
虚しい。
見向きもされないツッコミが、ここまでガリガリと心を削っていく物だとは思ってもいなかった。
勇気の拳がちょっと本格的に弱体化しそうなレベルである。
そんな悲しみの波に包まれていた時だった。
「一つ、聞いて良い?」
「……!」
「死ね。キモイ。顔を輝かせるな。殺すぞ」
「て、手厳しいな……。ま、まあ冗談はともかく、だ。俺に答えられる事で良ければ何なりとどーぞ。なにせ今の俺は、お前の便利な道具扱いだからな」
「その左腕、なんなの?」
「ああ、この腕が気になるのか」
じいっと、どこか恨みがましそうな視線が勇麻の身体の一点に集中させられていた。
とはいえ、イルミが気になるのも仕方がないだろう。
なにせこの左腕は、二回の戦闘の中で二回ともイルミの必殺の斬撃を受け止めているのだから。
勇麻は己の左腕に視線を向けて、
「先日のネバーワールドの一件でちょっと色々あってな。左腕の肘から先が綺麗さっぱり……というかぐっちゃぐちゃに吹き飛んでさ。今の天界の箱庭の技術力でも流石にミンチになった肉の塊から左腕を再生させるのは難しいらしくてな。今の俺の左腕は肘から先が金属製の義手なんだよ」
しかもただの義手ではない。
なんと設計は背神の騎士団の副団長ことジルニア=アルスタイン。彼女の神の力『物質創造』によって机上の空論を力技で実現させてしまったような代物をサンプル(物質創造で造った物を長時間維持する事はできない)に組み上げた、超特注品で特別仕様の世界にたった一つしかない代物だ。
ちなみに実際にこれを組み上げたのはジルニアではなく団長のスネークの知り合いの凄腕医師らしい。
らしい、というのは勇麻は実際に会った事がないからだ。何でも人見知りの人間嫌いの変わり者なんだとか。
「ふーん。分かった。……次に殺る時は肘から先を切り落としてから殺る」
「あっるぇえ!? もしかして自分から暗殺にお役立ち弱点情報を公開しちゃう愚か者的なポジションになっちゃってます!?」
叫ぶ勇麻にイルミは一切取り合わない。
これ以上騒いだらぶっ殺すぞ、という視線だけ投げつけると、再び視線を前に戻してしまった。
それ以降、イルミが勇麻に話しかけてくる事はなかった。
けど、きっとそれでいいのだ。
だって、イルミにとって東条勇麻という男は姉を傷つけた憎い存在であって、慣れ合っていいような相手ではないのだから。
東条勇麻の出した異常とも思える条件で、ようやくイルミは一時的に刃を収めはした。
……利用価値があるなら利用しろ、無いと判断したならその場で斬り捨てて構わない。
まさかそんな言葉が、協力を申し出た側から出てくるとはイルミも思わなかったのだろう。我ながら頭のおかしい条件ではあると思うが、とりあえずは結果オーライというヤツだ。
前述したように、平等な協力関係とも少し違うこの歪な共同戦線を組む事ができたのは、ある種の奇跡のような物なのだ。
ならばこれ以上を望むべきでは無いのだろう。そんな物は無駄以外の何物にもならず、きっといざと言う時に行動を阻害する枷となるのだから。
無言のまま夜の街を駆ける二人が、目的の場所に辿り着いたのはそれからおよそ三十分後の事だった。
「ここよ」
誰に向けた訳でもないであろう、静かに呟かれたその言葉に、勇麻は喉を鳴らして唾を呑み込んだ。
眼前に聳えるのは、一見何の変哲もない研究所だった。
東ブロックには数多くの研究所や実験施設。さらには図書館や博物館など、学問に関する施設が多々あるが、数あるそれらの中に埋没してしまいそうな没個性なデザインだ。
三階建ての、全体的な印象としてはやけに小奇麗で近未来的な小学校、と言った感じだろうか。いくつかに分割されていて、本館と別館。それから倉庫のような建物がいくつか存在しているようだった。
別段、『創世会』の幹部が拠点にしているような雰囲気は微塵もない。
だが、一切警戒心を抱かせない平凡なその造りは、あえて敵対者を敷地内に誘い込もうとしているようにも思える。
あえて無個性であることで、そもそも何も事情を知らない人間には興味を抱かせず、ここが何なのかを知っている人間に対しては、油断を誘い警戒を緩めさせようとしているのかも知れない。
「こっち」
「? 正門から入らないってのはまあ当然だろうけど、そこから入るのか?」
「正門も裏口も、侵入した途端に警報が鳴る。それに罠の数が多すぎて捌ききれない」
言ってイルミが手を掛けたのは研究所を覆う金網フェンスだった。
「おいおいそんな不用意に触って大丈夫なのか? フェンスに触れた途端に高圧電流が流れて真っ黒焦げとかにならねえの?」
「アナタ、ビビりなのね。平気よ。神の力』を使わなければ」
逆に言えば、フェンスに触れた状態で神の力を使用した場合は何かがある、という事だ。
勇麻は恐る恐ると言った調子で己の右手に目をやった。
普通の神の力と違い、常時発動型である勇麻の勇気の拳は意図的にオンオフする事ができないのだ。
起きる現象は単なる身体強化に過ぎないので、おかしなセンサーなどには引っ掛からないとは思うのだが……。
これ、触った瞬間右腕が弾け飛んだりするのは嫌だなー、などと現実逃避気味に考えつつ、己の唇が緊張で乾いてくのを感じる。
が、あまり躊躇っていると今度はイルミに斬り殺されかねないので、意を決して金網を掴む。
拍子抜けするほど何事も無く、勇麻もすぐに一番上まで登り切った。
「地面には降りないのか?」
「降りたいなら降りれば? 別に私はどうでもいい。焼死体が一つ増えるだけだもの」
「さ、さいですか……」
幅一センチにも満たない金網のうえに軽々と立つイルミの言葉に、勇麻の顔が青ざめた。
フェンスに触れてる今、神の力を使うと何やらマズイ事が起きるらしいので、おそらく彼女は自前のバランス感覚のみで立っているのだろう。
命懸けの戦いを通して何となく分かってはいたが、やはり素の身体能力もこの少女は非凡な物がある。
「だから、直接あの建物に取り付く」
イルミが指したのは小学校の校舎のように分割された建物のうちの一つだった。おそらく研究所の本館にあたる部分だろう。一番大きいメインの建物だ。
凹凸にしがみ付けば、確かに地面に落下することなく屋根まで辿り着けるかも知れない。
だが、このフェンスからだと些か距離がある。確かに神の能力者の身体能力は常人とはかけ離れているが、助走も無しに十メートル以上の距離を跳ぶのは厳しいだろう。
イルミもそれは分かっているようで。
「何の為にアナタを連れてきたと思ってるの? ……アナタの腕に私が乗る。私が腕を蹴ると同時に、全力で放り投げて。それで飛距離を稼ぐ」
ようは勇麻の腕をカタパルト代わりに使うという事だろう。拒否権のない勇麻がおそるおそる立ち上がって両腕を使ってバレーボールのアンダーレシーブをする時のような形にすると、その上にイルミが軽々と飛び乗る。
軽いとはいえそれでも三〇キロ後半はある。
イルミが飛び乗った瞬間に足が震え上半身ぐらぐらと揺れるが、恐怖を噛み殺しつつどうにかバランスを取る事に成功する。
やはりこれも普通の人間なら受け止める事はできなかっただろう。ただ、勇麻には勇気の拳があるのだ。
本人の意志に関わらず、精神状態に応じて身体能力を強化する神の力の力が今も働いている。
勇麻は己の神の力が何らかのセンサーに触れてセキリュティが反応しませんようにと切に願いつつ、イルミの合図と共に全力で腕を振るった。
勇麻の腕から勢いよく射出されたイルミは、余裕で一〇メートルの距離を跳躍すると、建物の凹凸をしっかりと掴み取ってぺたりと壁に張り付く事に成功した。
「トウジョウユウマ、次はアナタの番。早くして」
「いや早くしてって言われても、さすがにその距離を跳ぶのは無理だと思うんですけど……勇気の拳も、いつセキリュティに引っ掛かるか分かんないし」
「うだうだ言う奴は、嫌い。……ねえ、ならもう殺してもいい?」
「分かった、分ったよ! やればいいんだろ、やれば! 不肖東条勇麻、謹んで跳ばせて頂きますよっ!!」
「……ふん、しょうがないわね。ならこれに捕まればいいわ」
「おお、ありがとう……って、お前これ日本刀じゃねえか! なぜわざわざ鞘から抜いた? せめて柄の部分をこっちに向けてよ! こんな物に向かって跳躍するとか、一歩間違えたら串刺し大参事なんですけど!? ていうか上手くいっても俺の掌がズタボロになるよね?」
「うるさい奴は、嫌い。……ねえ、もう殺すね?」
「……分かったよ、分りましたよ。まあ、何も無いよりは遥かにマシだしな。でも、頼むから動かすなよ。フリじゃないからな?」
「?」
思いっきり切っ先をこちらに向けて日本刀を差し伸べるイルミに、諦めたように勇麻は息を吐いた。
勇麻は逸る心臓を抑えどうにか金網の上でバランスを保つと、タイミングを図って足場を蹴り跳躍。
流石のイルミも、このタイミングで押すな押す芸をやるつもりはないらしく、刀目掛けて全力で跳んだ空中の勇麻を一刀両断するような事はなかった。
流石に一〇メートルには届かず、何とかギリギリのところで差し出された刀身を掴んだ勇麻は、そのまま釣り上げられる魚のように、イルミによって建物まで引き上げられた。
先に左手でしっかりと刀身を掴んだのは正解だった。後から軽く添えただけの右の掌がパックリと切れている。
まあ、全身丸焦げの焼死体になるよりはマシな結末ではあるので、これ以上イルミに文句を言う気もないが。
ちなみに無事に渡り切った勇麻を見て、イルミが盛大な舌打ちをかましたのは言うまでもない。
これで失敗してくれれば容赦なく不要の烙印を押して斬り捨てられるのに、とでも考えているのかもしれない。
まったくもって恐ろしい少女だ。
「で、こっからどうすんの?」
「屋上まで登る。そこから屋内に侵入して、ナルミを助ける、クライムは殺す」
「分かった。とりあえず、この上まで行けば良いって事だな」
できるだけ気楽に言葉を交わすのは、緊張を紛らわす為か。
自分で自分の言動を適当に分析しながら、勇麻は頭上を見上げる。
高さは三階。
神の力を使わずとも、どうにか登り切れる高さだろう。
☆ ☆ ☆ ☆
「ねえ、登ってる途中に日本刀落としかけたのワザとだよね?」
「……偶然よ」
「いや確信犯だよね? 俺が片手真剣白羽取りした時舌打ちしてたの聞こえてるからね?」
「……うるさい奴は嫌い。だいたい殺してもいいって言ったのは、トウジョウユウマ、アナタよ」
「開き直るんじゃねえよ! いや確かに言ったけどさ、そうじゃないじゃん。要らなくなったら殺しに来ても良いって言っただけじゃん。あの後あった仕掛けの内いくつかは二人掛かりじゃないとクリアできなかったと思うんですけど!?」
「反射的につい殺りたくなった。だから、仕方がないわ」
「そんな猫じゃらしに飛びつく猫みたいな理由で死にかけたの俺!?」
凹凸に手足を引っ掛けて壁を垂直に登りきり、屋上から研究所内に侵入した二人は、こんな時だと言うのに懲りる事無く仲良く言い争いを続けていた。
とは言え、一歩的にツッコミ噛み付く勇麻と、すげなく無視するイルミという互いの立場も含めて一向に進展が見られないのだが。
いくつもの仕掛けを突破した二人は既に三階から一階まで下りて来ていた。
目の前には地下へと繋がる階段が先の見えない大口を開けて二人を待ち構えている。安易に踏み込んだら最後、二度と帰ってこれないような、そんな錯覚を勇麻は覚えた。
イルミの情報が正しければ、クライム=ロットハートはこの階段を下った先の地下の空間に、私室を構えているらしい。
そしてそこにイルミの姉であるナルミも捕えられている可能性が高い。
(クライム=ロットハートが何を企んでるのかは知らない。けど、何だろうと絶対にここで潰す。悲劇に全てが埋もれてしまう前に、この流れを食い止めるんだ)
そんな決意を胸に、勇麻は一歩。また一歩と灯りも無い暗い階段を下って行く。
一定の間隔をあけて後ろを歩くイルミも、少しは緊張しているのか特に勇麻を殺そうとする素振りも見せずに無言で付いてきている。
罠らしき物に遭遇する事も無く、気付けば扉の前に辿り着いていた。
この扉を隔てた向こう側に、今回の事件の元凶たるクライム=ロットハートが待っている。
「……行くぞ」
勇麻は、観音開きになっている扉に手を掛け、ゆっくりと、しかし確実に力を加えて前に押した。
ぎぎぎ……と耳障りな音を立てて開閉する扉。開いた隙間から差し込む光の眩さに反射的に目を細め、さらに一歩前に踏み出した東条勇麻は、そこで衝撃的な光景を見る事になる。
「……ッ!?」
焦らすようにゆっくりと開いた扉の先。
そこには、
「なんだ、これは……? 一体、どういう事なんだ……!?」
クライム=ロットハートなんて、いなかった。
――絶句するほかなかった。
クライム=ロットハートの研究室兼私室であろうその部屋にいたのは、トマトソースをぶちまけたような真っ赤な床のうえに転がる、壊れた人形のような有り様に成り果てたレアード=カルヴァートと。
特殊な拘束器具つきのベッドのうえで放心したように目を白黒させている黒髪ロングの少女ナルミ。
そして、
人間のどこかだったと思わしき小さな肉塊が多数、ブロック状になって無造作に散らばっているだけである。
「ナルミ!!」
状況の異様さに息を呑む勇麻とは裏腹に、イルミは他の事など一切気にするそぶりも見せず、迷いなく一直線に姉の元へ駆け寄っていく。
その光景を視界に捉えながら、しかし勇麻の世界は現実味を取り戻さない。
部屋はボロボロに荒らされていて、あちこちから岩石が床を突き破って飛び出し、部屋の地形を変え、ありとあらゆる家具や部屋の持ち主の私物と思われる物品を破壊しつくしていた。
戦いの痕跡は確かに残っている。
なのに、当事者であるはずのクライム=ロットハートの姿だけ、消しゴムでも使ったかのように綺麗さっぱり消えてしまっていた。
遅れて身体の制動を取り戻した勇麻が、床の上にうつ伏せに倒れているレアードの元へとよろよろとした頼りない足取りで歩み寄る。
「おい、レアード……っ!」
レアード=カルヴァートは脇腹に銃弾を受けて倒れていた。
幸い、弾は身体から抜けているらしい。出血はかなり酷いが、かろうじで意識はあるようだ。
勇麻は身に纏っている衣服を破いて傷口に強く当て、止血をしながらレアードに必死で尋ねる。
「……レアード、なんでアンタがここにいるんだよ。クライム=ロットハートは? ここで一体何が起きた。なあ、おいレアード! 街で暴れ回ってる暴徒達を止めなきゃならないんだ。何でも良い、お前の知ってる事を教えてくれ……!」
「おま……とう……ひ、を。追え……」
「なに?」
「クライム=ロットハートは、……逃げた」
「逃げたって、どういう事だ? お前がやったのか?」
「特……い、団長、に………くを、」
「おい、レアード、団長がなんだよ。……この事をスネークに知らせればいいのか?」
「……まえ、は……弟を。東条……勇火を、追え」
「ちょっとまってくれ。勇火を? なんでそんな……」
「……暴動の核を成しているのは、クライム=…………ト、じゃない。よく……聞け、クライムの、“ヤツの洗脳はっ、感染、する……。核となった人間、同じ条件下にあり同じ想いや思想を抱く人間に”。だから……感染源となって……る、東条勇火を何とか……、限り、この。騒動は……終わらない」




