第十三話 喧騒に染まる街Ⅳ――利害と想い
街の至る所で炎が燃え盛り吹雪が吹き抜け、水流が全てを押し流す。人々の悲鳴が耳を劈き、悲劇と騒乱に血が飛び散る。そんな喧騒の最中。
騒ぎとはややかけ離れた位置にある北ブロック第五エリアの学生寮の一角では、暴徒とは無関係な不審人物が出没していた。
チェンバーノ=ノーブリッジ。
十六歳程度の、褐色の肌とやや癖っけのある刈りあげの短髪が特徴的な精悍な長身の少年だった。
とはいえ、彼は本来ならばこの場にいるべきでは無い人物である。
なぜならチェンバーノは『未知の楽園』に属する神の脳力者だからだ。
「ふむふむ、なるほどな。これが……この子が例の神の子供達の一人、『神門審判』のアリシアか……」
双眼鏡を覗き込んだチェンバーノの視線の先にいるのは、首からくたびれた古書をぶら下げた一人の純白の少女だった。
『神門審判』アリシア。
聞きしに及ぶ、『天界の箱庭』を統治している『創世会』のトップ、シーカーの秘蔵っ子。
所謂、この街の秘密兵器というヤツである。
そんな絶対の価値を持つ少女を前に、チェンバーノはお決まりの独り言を呟きはじめる。
「……野呂先輩は失敗したが、僕は学習のできる人間だ。同じ轍を踏む事はない。確実に完璧に任務を遂行してみせよう。……が、それにしても可愛い子だな。……いや、決して邪な考えややましい思いがある訳じゃない、ただ単純に、客観的に見た際の端的な事実として、この子は些か可愛過ぎではないか? 僕は一瞬、本物の天使が舞い降りたのかと思ったぞ……。あ、この場合の天使とは比喩表現であって、本当に神話上に出てくるような天使を想像したという訳ではブツブツ……」
天界の箱庭は四方を海に囲まれた無人島の上に建てられた実験都市だ。島内に入る為には海路か空路を経たのちに正面玄関での厳しい審査を潜り抜ける必要があるのだが、その審査をこうして突破している時点で、かなりの実力者である事が分かる。
突破手段が物理的にせよ、間接的な絡め手にせよ、だ。
「まさに神のごとく造形美! ……ハッ! もしかすると、神の子供達とは実はそういう意味なのでは……!? 僕は、まだ誰も気が付いていない真実にまた一歩近づいてしまったとでも言うのか!? ああ、有能すぎる自分が怖いっ!!」
と、今此処に立っている時点でその実力は申し分ない事が保障されているチェンバーノ=ノーブリッジではあったが、一つだけ致命的な問題があった。
この男、些か以上にアホなのである。
無論、本人にその自覚はない。
「……ブツブツであるからしてブツブツ……。おっといかん、このままでは彼女が視界から外れてしまう。対象をもっと近くで観察せねば。そう、これは監視の為であって、決して邪な理由がある訳ではないのだから!」
真円をふたつ横並びにくっつけた視界の中、アリシアが動いてどこかへ行こうとするのを受けて、慌てた様子で移動しジリジリとアリシアへ近づくチェンバーノ。
一歩、一歩と近づくたびに双眼鏡越しの視界を埋めるアリシア率がどんどん上昇していく。
そしてそれに比例するかのように、チェンバーノの心拍数もまた上昇していた。
「……ククク、この緊張感。高まる心臓の鼓動、そして焦燥と微かな罪悪感……! ああそうか、僕は今、辛く厳しい危険な任務の真っただ中にいるのだと、そう僕の身体が警告してくれているのだな! この胸の高鳴りこそがその証拠。待っていてください聖女様。このチェンバーノ=ノーブリッジ。必ずや、任務を成功させてみせます!」
そう、鼻息荒く意気込んだ直後だった。
「そんな所で何をしているのだ?」
不意に、双眼鏡いっぱいのアリシアと目があった。
絶対にあってはならない状況に、チェンバーノの口が開いたまま停止ボタンを押したように固まる。
遅れて訪れる沈黙。
間違って女子トイレに入ってしまったのを見咎められたような気まずい静けさの中、チェンバーノは状況を整理する事にした。
端的に述べよう。
……監視していたはずの少女としっかりはっきりくっきりと、目が合ってしまっていた。
「な、ん。ななな……」
そう、チェンバーノ=ノーブリッジは気が付かなかったのだ。
自分がいつの間にか、アリシアのいる学生寮のベランダに侵入していた事に。
そして自分が、アリシアと僅か二メートルの距離まで接近していた事に。
チェンバーノはずっと双眼鏡を覗きながら移動していた為、対象との正確な距離感が掴めなかったのだ!
「ななな何という失態!! 僕としたことが、まさかこんな初歩的なミスをぉおおおおお!!?」
「むむむ、良く分からんが本当に大丈夫なのか? 頭でも打ったのか? それとも迷子? 迷子だと言うのなら私にも多少の道案内くらいはできるのだぞ?」
双眼鏡を放り投げ、この世の終わりだとでも言うかのように頭を抱えて蹲るチェンバーノ。
そしてそんな不法侵入者一直線の挙動不審な不審者オブ不審者なチェンバーノを、何故か心配そうに眺めるアリシア。
この少女、全体的に自分に関する危機感が薄いのかもしれない。
チェンバーノは、少女の優しい言葉に慌てて紳士らしさを取り繕い(傍目には完全に失敗している)ながら、己の髪の毛をサッと撫でつけて爽やかに、
「……お心遣い感謝する。けど心配ご無用だ。そもそも僕は別に道に迷った訳じゃないんだ」
「ならどうしてお主はこんな所にいるのだ?」
「それは……その、ええと、ほら。あれだよあれアレアレ」
「ふむ、あれとはどれなのだ?」
「それは……」
反射的に迷子を否定してから、後悔してももう遅かった。
だらだらと。十一月末だというのに滝のような汗がチェンバーノの頬を流れる。
ロボットのように表情が変わらないアリシアの瞳が、チェンバーノの思考全てを見透かしているような、そんな錯覚を覚える。
……どうする? どうする、どうするどうするどうするどうする!?
チェンバーノ=ノーブリッジ、人生最大級のピンチ!
何かスマートでインテリジェンスな言い訳を捻り出さねば。
チェンバーノは死力を尽くして頭をフル回転させ、そして。
――天啓が舞い降りた。
「それは……そうだ! こほんっ。……アリシアさん、僕は実はとあるアイドル事務所の者でね。街中で偶然君を見かけたときからアイドル的なプロデュース的な? とにかく君をスカウトしようと思ってここまで尾行してきたんだ。が、つい張り切って調子に乗ってしまった結果、こんな大変迷惑な状況になってしまったという訳なのさ。お騒がせしてすまなかったね」
ドン、と。そんな効果音が付きそうな勢いで爽やかに尚且つ自信満々に言い切るチェンバーノ=ノーブリッジ。
そんな明らかに無理のある、あまりにも見苦し過ぎるチェンバーノの言い草に。
「ふむ。そうだったのか」
ぽん、と。得心を得たように手を打ったアリシアが表情を変えずにそう言った。
(よっしゃあああああああああ勝ったぁぁああああああああああああああああああああああああッ!!?)
チェンバーノの脳内でファンファーレと色とりどりの花吹雪が舞い散っていたその時だった。
「……ふむ。確かお主は、街で私を偶然見かけたと言ったな」
「ええ、そりゃもう無個性な人混みの中でアナタの笑顔だけは一番星のように輝いていて僕はまさに神からのお告げを確信……」
「なら何故お主は私の名前を知っているのだ? 名乗った覚えはないのだが」
ベランダに不審者が出没しても眉一つ動かさなかったアリシアの顔が、訝しげに歪んだのだった。
再び、チェンバーノの世界の時計が停止した。
(……し、しまったぁぁぁああああ! 僕としたことが、また初歩的なミスをぉおおおおおおおお!!)
雷に打たれたような衝撃がチェンバーノの身体を駆け抜ける。
しかしその焦燥を顔に出す訳にはいかない。これ以上ミスを重ねれば、今度こそチェンバーノの狙いが露見してしまう。それだけは避けなければならない。
だらだらと身体中から脂汗を流して、再びスマートでインテリジェンスな言い訳を捻り出す為に思考を巡らせるチェンバーノ。
純粋無垢な少女を騙しきる為の、アダルティで大人な(意味重複)嘘というヤツでこの場を乗り切るしかない……!
「あと、私は知っているぞ! ぷろでゅーさ? はスカウトする時に名刺を渡してくるのだ! 私もあれ欲しい!」
(うぉおおおやったらと瞳キラキラさせて食いついてきやがったぁあああああああああああああああああああああかわいいいいいいいいいいいッ!!?)
ボケとボケ。
アホと天然。
ツッコミ不在の恐怖が、学生寮を呑み込もうとしていた!!!
☆ ☆ ☆ ☆
背中で身じろぎするような気配を感じた。
「……ん、ぐ……」
「お、気が付いたか?」
「………………ッ!?」
「あ、悪いけど物騒な日本刀は預からせて貰って――」
勇麻が最後まで言い切る前に、手加減容赦のない一撃に背中をド突かれ、強引に身体を弓なりに反らされ息が詰まる。
背中におぶっていた少女――イルミは、意識を取り戻した途端に勇麻の背中に一撃を加えその反動で距離を取るように後方に飛びずさっていた。
ふーっ! ふしゃーっ! と、背中を逆立て威嚇する猫のようになっているイルミに、膝を折って屈み込む勇麻は激しく咳き込みつつも言葉を投げかける。
「げほ、ごほっ……ま、まってくれ。なあアンタ、クライム=ロットハートを探してるんだろ?」
それは重要な一言目だった。
ここで彼女の興味をうまく引けなければ、おそらくまた血みどろの殺し合いが始まってしまう。
本来ならヒートアップする前、意識を覚醒させた直後の穏やかな時にぶつけたかったのだが、どちらにせよ今仕掛けるしかない。
そんな内心びくびくな勇麻の心の内など知らないであろうイルミは、
「……だったら、なに?」
幸いにもイルミは、クライム=ロットハートという単語にはそれなりの興味と食いつきを見せてくれた。
それに、先ほどまでに比べてイルミもいくらか落ち着いている印象を受ける。
このまま上手くいけば、協力を要請できるかもしれない。
勇麻は慎重に、言葉を選んで、
「俺も、ヤツを追っているんだ。でも、人手も情報も足りなくてな。そしてそれはお前も同じ。だからあんな所でクライム=ロットハートを待ち伏せしていたんだろ。……違うか?」
「違う。私が待ち伏せしていたのは黒騎士。クライム=ロットハートじゃない」
若干ドヤッたにも関わらず、まるっきり予測が外れてずっこけそうになる勇麻。
とはいえ、悪ふざけをしている場合でもない。会話を途切れさせない為にも、すぐさま新たに浮上したワードに喰らい付く。
「黒騎士? ……そういえばさっきも約束がどうとか言ってっけ。でも、どうして黒騎士なんだ? お前もクライム=ロットハートに用があるんじゃなかったのか」
「……クライム=ロットハートは殺す。絶対に。絶対に殺す」
「だったらなんで?」
「……必要だから。ヤツの拠点に侵入するには最低二人。じゃないと、仕掛けや罠を突破できない」
「なるほど。でも、だったらどうして待ち伏せなんだよ。協力して貰おうとしてたんじゃねえの?」
勇麻の素朴な疑問にイルミはこの世の常識を述べるかのように、確信の籠った声色で言った。
「黒騎士は信用できない。だから、奇襲をかけて背後を取って、脅迫しようと思った」
……黒騎士は信用できないが、協力者は必要だ。だから待ち伏せして奇襲を仕掛け、力づくで黒騎士を協力させよう。
と、つまりはこういう事らしい。
そもそも君達仲間なんだよね? とかいう根本的な質問は置いておくにしても、余りにも非現実的すぎる計画のような気がする。
こう言っては悪いがイルミが黒騎士に勝つ光景はちょっと想像できない。
仮に奇襲が成功して無理やり黒騎士を協力させたとしても、タイミング良く裏切られて逆に背中を刺されるのがオチだろう。
黒騎士という男に敵意を持って刃を向けるとはそういう事だ。
必ずどこかで悪夢を見る羽目になる。
それにしても、この子は物事を解決する際に物騒な手段にばかり頼ろうとする悪癖でも持ち合わせているのかもしれない。
穏便のおの字も考えない思考回路をお持ちのようだ。
と、そこまで考えた時だった。
勇麻の脳みそが、ようやく先の会話の内容に引っ掛かりを覚えて、
「……ん、てかちょっと待ってくれ。クライム=ロットハートの拠点に侵入するには黒騎士が必要だったって話だよな、コレ。……って事はまさか、クライムが何処にいるのか、お前知ってるのか!?」
「そうだけど。だったら、なに」
未だに臨戦態勢を崩そうとしないイルミに、勇麻はこれ以上なく不敵な笑みを浮かべて、
「なぁ、イルミ。お前は拠点に侵入する為の道連れが欲しい。そして俺も、クライムの野郎に用がある」
「……だから何が言いたいの? はっきりして。うじうじとまどろっこしい奴は嫌い。殺すよ?」
「まだ分からねえのか? いいか、俺とお前。互いの利害は一致してるんだよ。お前は俺をヤツの拠点まで案内する。そして俺はお前の拠点内への侵入に協力する。一時的な協力関係を組めないかって言ってるんだ。利害がはっきりしてる分、黒騎士と違って俺が裏切る可能性も低い、悪い話じゃねえだろ?」
しかし、予想に反して勇麻会心の提案に対するイルミの反応は薄い。
イルミは苦虫を噛み潰したような顔で勇麻をじっっと睨み付ける。その瞳から、容易に汲み取る事ができる程の殺意と憎悪を迸らせながら。
「トウジョウユウマ、お前はナルミをいじめた。私はお前を許してない。許さない。だから殺す。私はお前の仲間になんてならない」
「お前が俺を殺したがってるのは重々承知だ。でもこの協力関係は一時的な話だ。別に俺とお前で仲良しこよしをしようって訳じゃないし、クライムを倒して全部終わったら俺の事を殺しにきたって構わない。まあ勿論その時は抵抗はするけどな。……それに俺だって、あの時、何の罪も無いアリシアを踏みにじろうとしたお前らを許した訳じゃねえからな。馴れ合いはごめんだ」
「……でも、ナルミに約束した。お前の首、渡すって」
ここでようやく躊躇いを見せたイルミに、勇麻は畳み掛けるべくすぐさま言葉を重ねた。
獲物が針に掛かった時のような、高揚感を覚える。悪くない手応えだ。後はこのまま、多少強引でもこっちのレールに引き摺り込む。
「そうかよ。でも、ナルミに俺の首を渡そうにも、その肝心のナルミはこのままで助かるのか? 俺はお前とお前の姉ちゃんの抱えてる事情は知らねえけど、クライム=ロットハートをどうにかしないとマズイんじゃなかったのか?」
「……分かった。確かに、お前の言っている事は正しい。黒騎士よりは、信用できる」
「そうか! それじゃあ、協力してくれるんだな……!」
パッと、安堵と喜びに分かりやすく顔を輝かせる勇麻。
しかし、直後に思い知る事になる。
「――でも、」
イルミという少女は、根本的なところで常人には理解不能な思考回路をしているという事実を、東条勇麻は正しく認識できていなかったという事を。
「お前は、やっぱり殺す……!」
狂気と殺気が爆発した。
地を蹴り一瞬で懐深くに入り込んだイルミに、交渉が成功したと思い込んで気が抜けていた勇麻は反応できない。
そのまま豪快な踏み込みの音と共に、鳩尾に痛烈な掌打を打ち込まれ少年の身体が水平にぶっ飛ぶ。
近くの民家の壁に背中から叩き付けられ、痛打に真っ赤な血の混じった息が吐き出される。衝撃と痛みに、イルミから没収していた日本刀は手から零れ落ちていた。
悠々とした足取りで近づくイルミが日本刀を拾い上げる。
鞘から抜刀し、街灯の薄明りを受けて鈍い銀光を放つ。指向性を持った殺意が、眼光に乗って勇麻を貫いていた。
「うっ、……なんで、だ。イルミ……お前も、納得、したんじゃ……」
「納得はした。理解はできた。信用もできた。……でも、お前を殺す。今、私が殺したいから殺す」
「ナルミを、助けたいんじゃ、ねえのかよ……!」
質問に、イルミは首を傾げる。
本当にこの世の仕組みを何一つ理解していない子供のように。
朝の次に夜が巡り来ることの常識を語る大人に対してハテナを浮かべる幼子のように。
「なんで? お前を殺す。ナルミも助ける。これで何も問題ないわ」
「だからどうやって……ッ!! 二人以上いねえと、クライム=ロットハートの元に辿り着く事もできねえのにお前はどうするつもりなんだよ!?」
「殺す。全員。まとめて。ナルミと私を邪魔するヤツは、みんなみんな殺す……ッ!」
言葉が届かない。話が通じない。会話が成立しない。
損得勘定で動かないと言えば聞こえはいいかもしれないが、交渉を持ちかける相手としては最悪の一言だ。
なぜならこちらがどれだけ利益を示した所で、彼女の感情などと言うコントロール不能で不確定な物によってその行動は決定されてしまうのだから。
ただ本能的な殺意に身を任せ、イルミという少女は思いのままに刃を振るう。
ゆっくりと。まるで勇麻の心をいたぶり、弄ぶかのように。死を内包した少女の形をしたナニカが、歩み寄る。
「もう、死ね」
凶刃が振るわれる。
首を跳ね、きっとその狂人は歓喜に酔いしれるのだろう。姉を救う為の手段を自らの手で殺し尽してなお。
殺意に従って欲するままに敵を切り殺して、昏い喜びを得るのだろう。
もう二度と会えない姉に、宿敵の首を捧げる一人の狂った少女。
それは、なんて悲しい結末なのだろう。
ナルミとイルミ。
二人の親愛の形は、確かに歪んで狂っているけれど。それでも勇麻は、彼女達の強い絆を、ある意味では眩しいとさえ思った事もあったのだ。
それが失われる。
もしかしたら、勇麻がいなくともイルミは他の協力者を見つけて、クライム=ロットハートの元に辿り着けるのかも知れない。
もしかしたら、自分の部下のピンチに立ち上がった黒騎士によって、ナルミイルミ姉妹は救われるのかもしれない。
でも、だけれど。
そんな言葉を言い訳にして他人任せに放り出して本当に満足なのか?
ほんの数か月前のあの日あの時。東条勇麻は後悔したはずだ。
救えなかった命に。確かにそこにあった、助けを求める声の残滓に。なら、目の前にあるソレを、自分の死を言い訳に投げ出す事は本当に正しいのか?
それが、心の底から湧き上がる思いなのか。
英雄の代役を演じなければならないという義務感なのか。
もはやそれすら東条勇麻には良く分からない。
でも、確かな感情が一つあった。
……止めたい。
また一つ、失われてしまうかも知れない姉妹の絆を。
絶望への袋小路への流れを。
南雲龍也という兄のように慕っていた存在を自らの手で亡き者にした東条勇麻だからこそ、こんな悲劇への階段を見過ごす訳にはいかなかった。
覚悟を決めた次の瞬間。
かくして、日本刀は振るわれ、東条勇麻の生首が舞う鮮血と共に地に落ちる――その直前だった。
「なっ……!?」
霞むような素早さで動いた左手が、イルミの放った必殺の斬撃を捉え、その刃を受け止めていた。
斬撃の直撃を受けた左手は、けれど落ちない。出血の一つさえも存在しない。金属と金属のぶつかる音と、火花が散るのみである。
静かに、驚愕に目を見開く少女に少年は口を開く。
「イルミ……、お前の気持ちも分かる。大切な姉を傷つけた男を、お前は許せないんだよな。形だけとは言え協力して肩を並べる事自体が、姉ちゃんに対して申し訳ないんだよな」
「な、んで。斬れない……!? どうして、お前は死なない!」
「でも、だったら。そんなに姉ちゃんが大切だったら。何をしてでも助けなきゃだめだ。例え殺したいくらい大っ嫌いな奴と協力してでも、絶対に助け出さなきゃダメなんだよ! ……だって、後で死ぬほど後悔するのは、他の誰でもないお前自身なんだから!!」
「ぐ、ぅ……うるさい。うるさいうるさいうるさい!!」
「だったらこうしよう。協力なんて物じゃなく、お前が一方的に俺を利用すればいい。俺をうまく使ってクライム=ロットハートの拠点に忍び込んだら、その時点で俺を後ろからでもぐっさりやっちまえばいい。別にタイミングは自由だ。クライムの元に辿り着く前でも構わない、ナルミを助けるのに俺を不要だと判断したならその時点で俺を殺せばいい。……まあさっきも言った通り、その時は勿論俺も抵抗するけど。主導権は完全にそっちにある。どっちが有利かは言うまでも無いだろ」
平等な協力関係ではない。
東条勇麻はあくまでも選択肢の一つ、不要であれば切り捨て、利用できるうちだけ自分とナルミの為に自由に利用する。便利グッズのような存在。
そんな物で構わない。それでもいいから、自らの手で姉を窮地に追い詰めるような真似だけはさせない。
悲劇は、繰り返させない。
「要するにだ、今はまだ選択肢を広げる為の手札として俺をキープしておけって話だ。逆に言えば、不要だと思った時にいつでも殺せる位置に俺を置いておける。お前にとってのデメリットなんざ、どこにも存在しいねえだろ」
絶句するしかないイルミに、トドメだとばかりに東条勇麻は決定的な言葉を叩き付ける。
「……これでもまだ俺を殺そうってんならそれも仕方がねえ。今ここで俺が徹底的にお前をぶっ飛ばして、クライム=ロットハートをぶっ潰すついでにお前の姉ちゃんを絶望の袋小路から引っ張り上げてやる……!!」




