第九話 作戦会議Ⅰ――天地の書
アリシアと名乗った見た目十二歳くらいの少女。
背神の騎士団に追われる彼女が何者なのか、勇麻にはまだ分からない。
だが、そんな事は些細な問題だ。
だって、助けると決めたから。
だから、今は彼女が何者であろうと、背神の騎士団の魔の手から彼女を守り抜く事だけを考える。
それだけが唯一、東条勇麻にとって重要なことなのだから。
「な、なあ。しょうね……勇麻。お主は、どうして私を助けてくれるのだ?」
難しい顔で考え込む勇麻を心配げに見上げながら、アリシアがそう問いかけてきた。
表情の変化の起伏が少ない彼女が、その顔に困惑の色を浮かべている事が、勇麻にはすぐに分かった。
まあ、アリシアが不思議がるのも無理は無い。
あれだけ『俺は他人の為には戦わない』とか言っていた男が、急に一八〇度意見を変えて『お前を助けてやる』など宣うのだから、困惑もするし、不信がられて当然だ。
発言と行動が全くかみ合っていないし、矛盾もいいところだ。
……それもまあ、勇麻の事情を知らなければ、の話だが。
返答に困った勇麻は、僅かに言い淀んで、
「うーん、どうしてって言われてもな……、それが“俺のため”になると俺がそう判断したから……かな。まぁ、お前は細かい事は気にしないでいいんだよ。今はそれより考えるべき事があるだろ?」
「考えるべき、事?」
「ああ、そうだ」
勇麻の抱える事情をこの子に話す時間はないし、話す気もさらさらない。
だから、今考えるべきはこの危機をどうやって乗り越えるか。
背神の騎士団からこの子を守る、具体的な方策についてだろう。
なにせ現状完全なノープラン。カッコよく宣言したまではいいが、具体的にどうアリシアを守るのか、何も考えていなかったのだ。
このまま連中とぶつかれば、まず間違いなく何も出来ずに終わる。
勝つ為の手札を揃える必要がある。そのためにも、現状の手札の確認は急務だった。
「アリシア。話を蒸し返すようで悪いんだけどさ、連中の狙いって本当にその本だけなのか?」
「む? というと?」
「……いや、標的だなんだのって連中の言い方を聞いてるとさ、どうも狙いはお前本人な気がしてならないんだよ。なあ、アリシア、お前って干渉レベルいくつだよ」
悲しい事に干渉レベルの高い珍しい神の力持ちの子供を狙った誘拐事件は、この街ではそう珍しい出来事ではない。
珍しかったり強力な力を持った神の能力者は、海外の裏市場で超高額で取引されている超高額商品だ。
もっとも、高いセキュリティを誇るこの天界の箱庭から子供を連れだそうとするのはそうとう難しいことなので、たいていの誘拐犯は街の外に出る前に神狩りに捕まってしまうらしいが……背神の騎士団が同じように珍しい力を持つ神の能力者を狙う可能性は否定できない。
アリシアの話を聞く限り、どうにもその可能性が高いように思えるのだ。
だが、肝心のアリシアは
「……干渉レベル?」
勇麻の言葉を反芻するように繰り返して、可愛らしく小首を傾げるばかり。
「いやいやいや、ふざけてる場合じゃないんだってば。『干渉レベル』だよ『干渉レベル』。月一の力測定で言われるアレ。知ってるだろ? ……ちなみに俺はE~Dあたりをぶらぶら漂ってて落ちこぼれ扱いなんだけど、アリシアは結構高レベルだったりするのか?」
『干渉レベル』というのは神の力の出力、ならびに周囲に対する影響力を十段階で表した値の事だ。
大きくは『A』から『E』まで五つのアルファベットに分けられ、さらに同じアルファベットの中でも強力……上の文字に近い場合は『プラス』下の文字に近い場合は『マイナス』と、そのどちらかに分けられる。
つまり、全ての神の能力者は『Eマイナス』から『Aプラス』までの計十段階に、己の神の力の出力ごとに分類されるという訳だ。
地震でいう震度を想像してもらうと分かりやすいと思う。
さて、この干渉レベルは月に一度、天界箱庭内の病院で行われる『力測定』で測定されるのだが、あるレベルを超えた神の能力者には、街中で許可の無い神の力の全力使用の禁止が言い渡される。
その境界線が『干渉レベルCマイナス』。
危険度が刃物と同程度の干渉レベルE、拳銃を持った軍人と同じ戦力だと定義されている干渉レベルD。この辺りまではまだ、少し特殊な力を扱う人間、くらいのレベルにとどまっている。この街で一番数も多く、いたってポピュラーなレベルだと言える。神の力の使用制限なども存在しない。
だが、ここから一段階上の干渉レベルCとの壁はかなり大きいと言えるだろう。
なにせ『Cマイナス』以上の連中は、やり方次第によっては単体で戦車を撃破できるとまで言われているのだ。
そんな人間離れした怪物どもに無秩序で力を行使されては、街の形を維持し続ける事さえ難しい。と同時に、最早そのレベルまで行かなければ実験都市である天界の箱庭的には碌な研究対象にもならないのだろう。
進学や就職に有利なってくるのもCマイナス以上からだし、天界の箱庭から給付される生活費(実験協力費)の額が一気に跳ね上がるのもCマイナスから。干渉レベルというランク分けのあるこの街において、『干渉レベルCクラス』というのは一種の基準値というか、ステータスになると考えていい。
(……まあ、だからこそ背神の騎士団なんて連中に目ぇ付けられたのがどれだけヤバいかって話なんだよな)
背神の騎士団。
『創世会』および天界の箱庭の崩壊を企む組織の構成員が、“たかが干渉レベルC程度”で済むとは思えない。
おそらくはBクラスから最悪はAクラス。たった一人で軍隊の一旅団を壊滅させられるクラスの化け物どもがうじゃうじゃと出てくるに違いない。
干渉レベルBならまだしも、A相当の敵が出てきた場合はもうどうしようも無いだろう。
なにせ干渉レベルAクラスの神の能力者は、たった一人で戦争の結果を左右する事ができる、とまで言われているのだから。
どこまでが誇張された噂話で、どこまでが真実なのかは分からないが、干渉レベルAプラスを“知っている”勇麻としては、あながち嘘だと笑い飛ばせないのが恐ろしい。
あのクラスまで行った神の能力者は人間を辞めている。
戦いの規模が同じ種族だとは思えないくらいに一気に飛躍してしまうのだ。
……とまあ、干渉レベルに関する話は、この街の人間なら誰でも知っている必須知識のハズなのだが……
「……?」
ここまで懇切丁寧に説明してもアリシアの顔からハテナが消える事はない。
「……本当に知らないのか?」
こくこく、と頷くアリシア。
(……冗談だろ? 干渉レベルについてなんて、足し算引き算の前に習う事だぞ)
アリシアは背信の騎士団についても何も知らなかった。
都市伝説そのものに追われているアリシア。しかし、そもそも彼女は一体どこから来た何者なのか。
さまざまな疑問が勇麻の頭の中に浮かんでは消えていく。
だが、それをアリシアに聞くのは躊躇われた。
勇麻がアリシアを助けるのは、勇麻自身のためだ。心の底から彼女を心配し、助けたいと願っている訳でも無い人間が、そうやすやすとアリシアの抱える事情に踏み込んでいいハズが無い。
もちろん背神の騎士団からアリシアを助ける為に必要な事は聞くべきだ。
けれど、コレは違う。これ以上踏み込んでしまってはいけないのだと、勇麻は直感的にそう感じ己を戒めた。
彼女は勇麻に『自分を匿ってくれ』と、そう言ったのだ。家まで送ってくれでも、神狩りに通報してくれでも無く。一日だけでいいから匿ってくれ、と。
自由が欲しいから、自分で生きたいから、誰かと一緒に居たいから、と。
もし彼女が普通に学校へ通い、友達と遊び、週末には家族みんなでショッピングを楽しんだりするようなごく普通の女の子ならば、勇麻なんかに頼らずに、この街の治安維持部隊である神狩りに助けを求めるはずだ。自由になりたいでも誰かと一緒に居たいでもなく、早く家に帰りたいと、そう零すハズだ。
神狩りにも頼れず、家に帰るという選択肢もない。
どう考えてもアリシアを取り巻く環境は普通じゃない。
だからこそ、そこに土足で踏み込んでいいものなのか勇麻には見当もつかない。
……いや、そうじゃない。
きっとそこまでの重荷を背負う“勇気”も“覚悟”も足りないのだろう。
「……分かった、干渉レベルについては置いておこう。じゃあ次だ」
勇麻は座卓の上の古びた魔導書のような本を指差して、
「結局、『天智の書』ってのは何なんだ? その……正直、さっきのお前の説明だけじゃ何も分からなかった。もう少し馬鹿でも分かるように説明してもらえると助かるんだけど……」
アリシアはふむ、と。考えるように一呼吸おいて、
「……勇麻、お主は『神器』というものを知っているか?」
「じんぎ? えーと、仁義ってヤクザの人とかが掲げてるアレ? 仁義なき戦いとか、そういう奴?」
「……やはり勇麻は時々すごくおばかなのだな」
「ば……っ!?」
無表情な瞳に、残念な子を見る色が灯っていた。……釈然としない。
「いいか勇麻。そっちではなく、神様の法器と、書いて『神器』だ」
「あぁ、そっちね。えーと、……よく分からんけど、三種の神器みたいな物なのか? なんか特別な代物、みたいな」
「うむ。及第点、というヤツだな。まあ意味としてはそんなところだ。もっとも、私も他人の受け売りなのだが……神器とは、ある条件下で不思議な力――それこそ神の力のような――物理法則を超越した現象を起こす事ができると言われている道具の事を指すそうだぞ」
アリシアはそれがないとすわりが悪いのか、座卓の上の『天智の書』を一度首からかけ直して再びの勇麻の前に置くと、ページをぱらぱらと捲めくりはじめる。
あたりまえだが、相変わらずページには何も書かれていない。白紙だ。
「光の剣に、黄金の溢れ出る器、未来を覗く望遠鏡。……益体も無い噂話の代物から、とんでもない力を秘めた物まで。様々なモノが『神器』として現代に言い伝えられているのだ」
ページを捲る手が止める。
だがそこには、相変わらず真っ白なページが広がっているだけ。
「……要するに、お前の持つその『天智の書』ってのが、『神器』の一つだって言いたいのか?」
アリシアは表情を変えぬままこくりと頷く。
「うむ。だが、『神器』はただの人間が持っても扱えない場合が多い。ある条件の時にのみその超常の力を発揮するのが一般的だ。適合率、というものもあるのだ。……例えば、この天智の書なら――」
言ってアリシアは目を瞑つむると、口の中で呪をつむぎはじめた。
「――汝、天より授かりし『智』を欲するのならば、我にその代価を差し出し覚悟を示せ。さすれば我、天より授かりし『智』すべてを汝に授けん」
歌うように、アリシアは何かの詩かポエムのような物を唱えていた。
勇麻には、その言葉の羅列に何の意味があるのかさっぱり分からなかったのだが――
――刹那。
いままでずっと白紙だった『天智の書』のページに変化が起こった。
白いページの上、まるで墨汁が染み出すかのように、突如現れた黒いインクのような物が『字』を形造り、紙の上を踊りはじめたのだ。
まるで、生き物のように踊りながら白い大地を走り回る黒い『字』の奔流は、ひとりでに文章を形造り始める。
やがて、何もなかった白いページに、意味を成す文字列が浮かび上がった。
そこにはこう書かれていた。
『おかえりなさい我が主よ』
日本語でもなければ、アルファベットでも無い。今まで生きてきた中で見たことも無い言語で書き表された文字列。にもかかわらず、勇麻ははっきりとその文字の意味を理解できた。
まるで、頭の中に直接文章の意味をぶち込まれたような、そんな奇妙な感覚。
凄まじい勢いで身体中に鳥肌が走るのを感じた。
「な……なんだ、これ」
衝撃が抜けない。
開いた口が塞がらない。
目の前の現実を理解できない。
……本当にコレは何だ?
アリシアの呼びかけに反応して文字を自動生成して、しかも見た事も聞いた事も無い言語で書かれているにも関わらず、それを読む者に理解させる。
自分で言っておきながら、何を言っているのか意味が分からない。いや、物理法則を超越した、半ば人間をやめた存在でもある神の能力者がこんな事を言うのもどうかとは思うが、こんな摩訶不思議な感覚を体験したのは初めてのことだった。
アリシアは先ほどの説明の時に、『神器』は神の力のような物理法則を超越した現象を起こすと言っていたがコレはまるで――
「――魔法みたいだ……」
「魔法か、……お主が言ってることもあながち間違いでは無いかもしれないな」
アリシアがボソっと何か小さな声で呟いたようだったが、勇麻にはよく聞き取れなかった。
「?」
視線だけでアリシアに問い掛けるが、
「いや、なんでもないのだ」
アリシアはかぶりを振って、
「……話の続きをするぞ。『神器』を扱うには特定の条件が必要だと言っただろう? この『天智の書』の場合、その特定の条件というのが私なのだ」
「アリシアが条件……? 一体どういうことだ?」
「『天智の書』は、自分が主人として認めた者にしか情報を与えてくれないのだ。最初に勇麻がこの本を読もうとした時、ページが真っ白のままで何も読めなかっただろ? それは勇麻が『天智の書』に認められた人間では無いからだ」
「認められた人間。……アリシアは『天智の書』に認められてるって事か?」
アリシアはこくりと頷き、
「うむ。天智の書は恒久的に知識の蒐集を続ける『神器』だ。世界中の本、図鑑、ネット上の文章、子供の日記や手紙の内容まで、文字で書き表された物なら、どんな物であろうと書かれた瞬間に自動的に蒐集する事ができる。『天智の書』は知識を崇め敬っている、他のどんな事よりもな。だから『天智の書』の主になる為には──契約を結ぶ為には、『天智の書』に知識を与えてやる必要があるのだ。『天智の書』も知らない、未知の知識を」
恒久的に知識を集める古書。世界中の本、図鑑、ネット上の文章、子供の日記や手紙の内容まで、世界中の文字で表された情報ならば全て集めてしまうという『神器』。もしその話が本当なら、『天智の書』が保持していない知識なんてそうそう無いはずだ。
それこそ、自分以外誰も知らないような、そんな貴重な情報じゃないと納得しないだろう。
と、そこまで考えて勇麻の頭に電流が走った。
「それってまさか……」
「うむ。私の人生の歩みそのもの。すなわち……記憶だ」
記憶、それは人間にとって生きる糧にも支えにもなりえる大切な物。
暖かく、何よりも侵しがたい尊厳ある物。
それを、それすらを貪欲に取り込もうとする知の欲望の塊。
それが、この『天智の書』という『神器』の正体。
確かに記憶なんて物はその当人しか知りようが無い情報だろう。だからこそ、誰にも言えない思いや、トラウマ、大切な記憶なども眠っていたはずだ。
それをこの『天智の書』は蹂躙する。
知の欲望のままにべたべたと触れ、覗き見る。そして触れられたくない記憶も大切にしまっていた記憶も、全て平等に白紙のページに書き記す。
この『天智の書』の力というものには、そこまでする価値があるのだろうか。
触れたくもない過去に触れられる。
想像するだけで怖気が走るし、例えどんな報酬が与えられようとも、自分の過去をひけらかすような事をしたいとは思えなかった。
勇麻には、そんな事を許してまで『神器』に認められようとするアリシアの気持ちが分からない。
「お前……そこまでしてこの本の力が欲しかったのかよ」
思わずそんな言葉が零れ出た。
彼女の事情に深く踏み入るつもりなど毛頭無かったのに。
何にイライラしているのか、勇麻は自分でも分からない。分からないまま、感情のままに不要な言葉を重ねていく。
「……記憶って、そんな易々と誰かに見せて良いものなのか? いや、それは本だけどさ。……俺が言いたいのはそういう事じゃなくて、だから……あーもう……ッ! 分かんねえけど、けどさ……!」
こんなことは言うべきじゃなかった。頭では分かっているのに、思考とは裏腹に勇麻の中から想いが溢れだして止められなかった。
しかしアリシアは、そんな八つ当たりめいた言葉にも特に表情を変える事なく返事を返す。
「力を求めた理由、か。……仕方が無かった、と言っても、言い訳になってしまうな。それでも、私にはこの本が必要だったのだ。『天智の書』と契約しこの『神器』の主になっていなければ、私は今日まで生きる事が出来なかった」
「あ、いや、……すまねえ。そんな事を聞くつもりは無かったんだ。変な事言ってごめん、……そりゃそうだよな本当に俺って馬鹿だ」
自分の馬鹿さ加減に勇麻は思わず頭を抱えた。
ただ単純に力が欲しいというだけで、この子が──アリシアが天智の書を求める訳が無いだろう。
何かそうせざるを得ない事情があったに決まっているじゃないか。
軽々しくあんな事を口走った自分が恥ずかしい。
彼女は記憶を公開して、『天智の書』と契約せねばならない程に追い詰められていたのだ。それをどうして東条勇麻ごときが責められる。
「気にするな。勇麻が抱いたそれは、人として当然の忌避感だ。記憶を見られるなど、例えそれが本相手でも嫌悪感を抱くのは当然のことなのだ」
「でも……」
「気にするなと言っている。私は大丈夫なのだ。お主がそんなに落ち込む必要もないのだぞ。そんなことより、話しの続きだ。勇麻には私を助けて貰わないといけないのだからな」
「……すまん」
気まで遣わせてしまった事を本気で悔み、勇麻はそれ以上拘泥することなく、アリシアの提案に従う。
再び『天智の書』に目を落として、その表面にアリシアは自分の手を翳かざした。
「『天智の書』は情報を蒐集し続ける『神器』だ。記憶という未知の情報を代償に契約を交わし主となった者にのみ、その身に蓄えた膨大な情報を提示してくれる。……とは言え、どんな事でも教えてくれる訳ではない。契約者である私が〝この目で見たことのある物〟。そして、それについて〝私が知りたいと思っている事〟を、世界中の文章から検索しピンポイントで提供してくれる。それが『天智の書』の力なのだ」
「見たことある物じゃないとダメなのか。案外条件が細かいんだな」
「うむ。私が明確に頭の中で思い描ける物でないと、『天智の書』が私の持つイメージを把握しづらいのだろう。私とイメージの共有が出来ないと検索の時点で失敗してしまうから、欲しい情報を入手できないのだ。最悪、外見くらいは知っていたいな」
ようするに〝知りたい事が分からないのでは調べようがない〟という事だろう。
勉強でも、分からない所が分からないようでは対策の立てようがない。それと同じだ。
「逆に一度でもその目に止まった物についてなら、一瞬で細かい情報を手に入れられるって訳か」
「うむ、その通りなのだ。例えばこんな風に──」
アリシアはそう言って、何かを思い浮かべるように瞳を閉じた。
そして次の瞬間、
『おかえりなさい我が主よ』と書かれたページに変化が起こった。
意味のある文字の羅列になっていた黒いインクのような物が再び分解され、グチャグチャに織り混ざり、踊るようにしてその形を変形させていく。
まるで生きているかのような『文字』たちの動きは、何度見ても鳥肌が立つ。
『文字』の踊りは次第に収束していき、そうして、再び意味のある『文字』の羅列を構成していく。
やがて意味のある『文章』となったそれは、やはり見た事も聞いた事も無い言語で書かれていた。
しかし、その意味は何故か手に取るように理解できて──
「──って、おい! これ思いっきり俺の個人情報じゃねえかッ!!」
しかも何やら本当に個人的な事まで……日常的なメモやらノートの落書きなんかまで、赤裸々に語り始めている。……その、なんというか嫌な予感しかしない。
「うむ。その通りなのだ。お主を運ぶ際も、こうして個人情報を“拝借”させて貰ったのだぞ」
「うぉい、マジか!? ――っ、そういえば何かおかしいと思ったんだ! 勇火に手伝って貰ったって言ってたけど、赤の他人なお前が俺の弟を知ってる訳がない! さては『天智の書』でウチの住所調べて凸りやがったな!?」
「む? だから最初からそうだと言ったぞ?」
きょとんと首をかしげるアリシア。フクロウのようなその動作は可愛らしいけど、今はそういう事言ってる場合じゃない。
今すぐに個人情報の流出を阻止したい。というか普通にプライバシーの侵害だ。
「言われてねえよッ! ……いや、それはもうどうでもいい。そんな事より今すぐ俺の個人情報について掘り下げるのはやめろ何も面白い事出てこないからッ!!」
「むむ、何だコレ。ちょっと珍しめの情報が載っておるぞ。なになに……『愛しのナホちゃんへ、僕は初めて会った時からナホちゃんの事がす──」
「――ギャァァァァアーッ!? ちょっと待てッ! 何故俺の小学生時代のラブレターの内容がそこにぃ!? ちゃんと破いて捨てたはずなのに!!」
「ほうほう、これはお主の書いた〝らぶれたー〟なる手紙だったのか。……というか、何故も何も、『天智の書』は片っ端から文章化された情報を集めると言ったハズだぞ、勇麻。お主が机で〝らぶれたー〟? とやらを書いたその瞬間から、『天智の書』にはその内容が記録されていたのだと思うぞ?」
地獄だった。家に帰って泣きたい。……ここが家だった。
「……無駄に高性能すぎだろ。黒歴史自動的に記録して検索一つで掘り返すとか恐怖以外の何物でもねぇよ……」
「ふむ。それにしても、凄いな。『僕にとってあなたの存在はまるで──」
「――だから待てって言ってんだろうぉぉぉぉぉぉぉおおおおッ!! 無表情のまま淡々と読み上げてんじゃねぇよぉおおおおお!!」