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神ナリシ模倣者ト神門審判  作者: 高木カズマ
第四章 悪意ノ伝道師
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第五話 暗雲たる空Ⅰ――稲妻光りて陰影を映す

 気が付けば今日も一日、何事も無く授業が終わっていた。

 クラスメイトと別れ、自転車で帰路についた勇火は、相変わらず鬱屈とした感情を振り払えずにいた。

 暗く、ネガティブなその思いは、勇火の中で既に一過性の物ではなくなっているのだ。

 ドロドロとした重油を注ぎ足すように、燃え盛る為の燃料エネルギーが尽きる事がない。それはきっと、その思いが勇火の根本に根付く物だからだ。

 『ネバーワールド』での件で偶然浮き彫りになっただけで、ずっと昔から知らず抱えていた感情。


「あ、夕飯の買い物……」


 いつも寄っているスーパーを通り過ぎてから気が付いて、肩を落とす。

 買い物の為にわざわざ戻るのも馬鹿馬鹿しい。少し遠いが、セールの日以外はあまり行かない店舗を使うことにした。

 我ながららしくない。そう思ってから、“我ながら”などと言えるほどの個性を自分が持っているのか? と自嘲するように鼻を鳴らした。

 世界の全てがやけに灰色だ。

 こんなにも、冷たく殺風景な景色だったかな。

 力ない勇火の瞳が、のろのろと視界の先に目的のスーパーを収めたその時。


「ご、強盗だ! 誰かそいつらを捕まえてくれー!」


 スーパーの自動ドアの開閉ももどかしく飛び出してきたのは、目出し帽を被った二人組の男だった。

 片方は大きめの手提げバックを。もう片方はその掌にかなりの大きさの火球を浮かべている。

 そして、その二人が幼い子供の手首を無理やり掴み、強引に引っ張っている。

 恐らくは、親と買い物にきていた子供を人質に取ったのだろう。

 かなり典型的な、神の力(ゴッドスキル)を利用した強盗だ。

 勇火は、余りにも愚かで救いようの無い犯罪者二人に視線を向け軽く息を吐いて、


「……見過ごせる理由は、ないかな。──接続開始、『雷翼』展開」

 

 言葉を引き金(トリガー)に、少年の身体に異変が走る。

 肩甲骨の中心を起点に浮かび上がるのは、三〇センチ程度の木の葉型の雷の翼。

 青白い複雑な紋様の走った翼が、四対計八枚。

 勇火の背中で、肩甲骨を中心に円を描くように展開される。

 翼はバチバチと激しく火花を散らして放電を開始し、勇火に疑似的な飛行能力を与える。


 ここまで僅かニ秒。

 かつて『雷翼』の展開に十秒以上の時間を掛けていた勇火は、しかし己の神の力(ゴッドスキル)が格段に成長している事に気が付かない。

 どこか冷めた目で標的を捉え、直後。

 爆発的な加速で男達の間に割り込んだ。


「なっ、なんだおまえ!?」

「別に、何だっていいでしょ。アンタらどうせ捕まるんだから」

 

 投げやりに吐き捨てると同時。

 東条勇火を中心として、目も眩むような莫大な閃光が炸裂した。

 雷翼を一枚分消費して放たれた高出力での放電が、矮小な犯罪者どもの意識を焼き切る。

 青白い輝きに触れた途端、一秒と掛からず白目を剥いて昏倒した男達を見て、勇火は再びつまらなそうな溜め息をついた。


 『偽装電流ダミーエレクトロ』。 

 電気とは似て非なる性質を持つエネルギーを扱う東条勇火の神の力(ゴッドスキル)

 普通の電撃系統の神の力(ゴッドスキル)と何が違うかと言われれば──

 ──例えば、そう。放電の攻撃範囲内においても任意の相手のみを感電させる事が出来る、とか。


 強盗の男に捕まり人質にされていた子供が、目の前で何が起きたのか分からずにポカンとした様子で勇火を見ていた。

 やがて自分が助けられたのだと遅れて理解した少年は、惚けたような表情のままにこう言った。

 

「お兄ちゃんは、正義の味方……なの?」

「俺は……ううん。ただの通りすがりの中学生だよ」



☆ ☆ ☆ ☆



 人質になっていた少年の母親に何度も何度も執拗な程に礼を言われ、神狩り(ゴッドハンター)が失神したままの男二人を連行し、事情聴取を受け終わった頃にはだいぶ日が傾いていた。

 結局、ドタバタのせいで禄に買い物も出来ていない。急ぎでマイバックに詰め込んだ食材を抱え、限られたその食材から今日の夕飯は何にしようかと思考する。

 そんな勇火の思考を遮る声が一つ。


「いやー、なかなか面白いものを見せて貰ったぜ」


 パチパチと、やけに大仰な拍手と共に、そんな言葉が勇火に掛けられた。

 勇火は唐突に現れたその人物に訝しげに目を細めて、


「……アナタは……誰、ですか?」


 顔の至る所にピアスの穴を開けた、目つきの悪い男が勇火の進む道を塞ぐように立っていた。

 ニヤニヤと。見ているだけで不快な笑みを浮かべるその男が、脱色のし過ぎで傷んだ長い金髪を掻きあげると、ジャラジャラと首からぶら下げられた大量のネックレスやチェーンが耳障りな音を奏でた。

 如何にも軽薄そうなその瞳と目が合い、まるで魂まで見透かされるような奇妙な寒気を覚える。

 自然、一歩後ずさっていた。

 

「え、俺チャンかい? キヒッ、俺チャンの事なんてどうでもいいっしょ、東条勇火チャンよぉ」

「ッ!?」

「……どうして俺の名前を? って顔だな。なーにもそんなに驚く事はねえんだぜ? だって、勇火チャンってば、結構な有名人なんだから」


 警戒する勇火の反応を楽しむかのように、男は勇火の周りをぐるぐると、ゆっくり回る。


「……東条勇火一四歳。干渉レベル『Cマイナス』ながら七月末の『汚れた禿鷲(ダーティーコンドル)』との抗争において遥か格上の『黒騎士ナイトメア』を相手に善戦。敗北するも見事な手管で欺き『神門審判ゴッドゲート』救出に大きく貢献……と。戦果としては充分以上。年齢的にも干渉レベル的にも、いっそ異常と言っていいほど……」


 男の話す内容にいよいよ勇火の瞳が鋭く細められる。

 男へ抱いていた疑惑と警戒心が、確信と敵対心へと切り替わっていく。


「アンタ、汚れた禿鷲(ダーティーコントル)の人間か……?」

「チッチッチ、視野が狭いんじゃない? 考えてもみろよい。世界は広いんだぜ? このタイミングで勇火チャンに接触を図ろうとするヤツなんて他にいくらでもいると思うけど」

「……まさか、『創世会』か?」


 勇火の言葉に男はニヤニヤ笑いを浮かべるのみ。

 肯定はしないが先のように否定する気もないという事か。

 どっちにしても、そんな裏の裏の事情を知っている時点で、ただ者ではないという事に違いはない。

 生唾を飲み込み、臨戦態勢を整えようとした勇火は――しかし次の瞬間あり得ない物を見た。


「――ッ!?」


 ドッと、全身から力が抜けたように勇火が膝から地面に崩れ落ちる。サッと血の気が引いて一気に顔色が病人のように悪くなり、勇火の動揺具合を示すかのように、ガッと見開いた瞳の中で黒目が不規則に揺れ動く。


「高見、センパイ……?」


 譫言のように呟いた勇火の視線の先、そこには今も集中治療室で生命維持装置に繋がれているハズの高見秀人の姿があった。

 あの時と同じように、胸の中央に巨大な風穴を穿たれ、傷口から真っ赤な血液を垂れ流している高見秀人が、まるで弁慶の死にざまのように立ち尽くしていた。

 光を失った虚ろな瞳が、何かを訴えかけるように勇火を見つめていて──


「──うぅっ……! げぇっ、ごぉオおおおッ!!?」


 喉までせり上がって来た物全てを吐き出した。

 汚い吐瀉物を足元に撒き散らし、涙目のまま咳き込む。

 身体に力が入らない。

 今のは、一体何だ……?


「──世界は変わらない」

「!?」

「“自分はちっぽけで、東条勇火という一個人の選択に、価値なんてない。意味なんてない。交換可能な歯車の一部でしかない自分は、きっと誰でもいいんだ”。……そんな風に思っちゃってるんだろ? でもそれは、勇火チャンが弱いからじゃん?」

「く、お前は──ッ!?」


 まるで勇火の心の内を見透かすような言葉に、言いようのないドス黒い感情を覚える。

 恥辱。怒り。憎悪。隠していた感情に無断で踏み入れられ、暴かれた事に関する激情が、萎えかけていた戦意を呼び覚まし勇火の顔を再び上げさせた。

 が、しかしそこに軽薄なあの男の姿は見当たらない。


「   。な……っ」


 瞬間、思考を空白が埋め尽くす。

 その間隙に付け入るかのように、轟々と燃える炎の音が呪いのように頭に入り込んできた。

 “網膜に焼き付く光景は、黒々とした煙を吐き出しながら燃え上がる、どこかの遊園地のアトラクション”だ。

 唖然と立ち尽くす勇火を、追い越し追い抜き、ぶつかっては邪魔だと怒号をあげる、川の激流のような人の流れに呑み込まれた。

 視界一面に広がる逃げ惑う人、人、人。人。人。人。人。人。人……。

 誰も彼もがその顔に絶望と恐怖を張り付け。誰も彼もが失う悲しみにその身体に震えを刻んでいた。

 それでも勇火は一歩も動けない。

 激流の流れに逆らって川を昇ろうとする鯉のように流れに抗い、けれど一ミリも前には進む事が出来ず、ただ立ち尽くす。

 炎の中、助けを叫ぶ声が聞こえる。

 なのに、それなのに。

 身体は動かない。

 やがて命を搾り出すようなその声も、炎に舐められ溶け入るように消えて行った。

 後に残ったのは、灰と瓦礫と焦げ臭さ。そして少しの残り火だけ。

 命の残滓など、見る影もなかった。

 

『声は聞こえていた。なら、助けられなかったのはどうして?』


 誰か。勇火のよく知る……けれど誰なのか明確には思い出せない、薄ぼんやりと膜の掛かったような誰かの声が、問いかける。


 早鐘のように鳴り続ける心臓の音と、過呼吸のようにせわしない呼吸音だけが、勇火の頭の中をぐるぐると回る。

 うるさい。

 うるさいうるさいうるさいっ!

 こんな光景は、知らない。見ていない。だから、声なんて、聞こえなかったのだ。

 ……けれどそれは、知ろうとしなかっただけではないと、そう言い切れるのか? 断言してしまえるのか?

 これは決してありえない空想の光景では無い。確かにそこにあった地獄なのだ、あの時あの場所で、勇火が見ようとしなかった物だ。

 だって、その証拠に。

 救いを求める声を、地獄のそこで助けを求める人の叫びを、■■■■は確かに聞き取っていなかったか?

 うるさい。

 ひどく耳障りで、呼吸も心音もやかましく、己の息の根を止めてしまいたい欲求に駆られる。

 問いかけに答えられぬまま、景色が歪む。

 歪んで歪んで歪に捻曲がって、

 次に見たのは――背中だった。


 何時だって、ずっとずっとずっと追いかけ続けてきた見慣れた背中。

 手を伸ばす程に追い付きたくて、追い越したくて、憧れて、でも決してそんな本心は本人の前では口には出さなかった。

 誰よりも覚えている。

 そんな頼りがいのある、大きな背中を。

 そして──

 

『「ユニーク」の連中は俺達がぶっ飛ばす。だからアンタは、そこで夢でも見ながら待っていてくれ』


 ──そして、そんな強く逞しい背中を途方に暮れたように眺めるちっぽけで頼りない小さな背中を。


『どうして東条勇火は絶望したんだ?』

 

 また、声。

 さっきと同じ、勇火の知るどこかの誰かの声。


「俺は、絶望なんか……」

『いいや、したさ。あの時東条勇火は絶望したじゃないか。立ち上がれなかった自分と、何の躊躇も無く当たり前のように立ち上がった英雄ヒーローに。憧れ以上に嫉妬した。羨望よりも憎悪した。英雄への賞賛よりも歓声よりも憧憬よりも自身を苛む劣等感と無力感に焼き焦がれた。そして、自分を信じてくれなかった■■■■に。その程度の価値も無かった自分自身に絶望した』


 視界の先、次々と立ち上がる主人公達を尻目に、その小さな背中は何時までも立ち上がろうとしない。

 怯え、膝を抱えてうずくまる事しかできない。

 そして、そんな哀れな少年に、


『勇火、』


 肩に手が置かれ、致命的な一言が投げかけられる──


 その直前。


 ──視界がぐるりと捻曲がる。


 『なあ、お前、アイツの仲間なんだろ? いいのかよ、いつまでもこんな所に居て』


 またも聞き覚えのある言葉だった。

 けれど先ほどの声とは違う、その声の主に、勇火は心当たりがあった。


『……へっ、無気力はお互い様って事か。まあこんな所で小さくなってるようなヤツはどいつもこいつも、俺と同じ常識人って訳だ。良かったな、お前はキチガイの兄と違って、至ってマトモな感性の持ち主みたいだぞ?』


 覚えている。このいけ好かない男を。ある意味無謀にも■■■■に立ち向かった才気義和という男を。

 決して物語の主役に上り詰める事はないような、端役の男の発したこの言葉に勇火は、何と返したのだったか。


『……諦めたんじゃあ、なかったんですか?』

『あぁ、諦めたさ。正直、死のうがどうなろうがもうどうでもいい。ただ、どうせ殺されるんだ。だったら最後に悪あがきくらいして、俺を見下しやがったあのヒーローもどきに一泡吹かせてやろうと思ってな』


 今思い返してみれば、心の何処かで安心していたのかもしれない。

 自分と同じように、心に巣喰う恐怖に負けて立ち上がれない人間がいる事に。

 生き残る為の努力全てを投げ出し逃げ出してしまった同類の存在に。


 だからこそ、才気義和が立ち上がった時は驚いた。

 驚いて――本当にそれだけか……?


『思ったハズだ』


 またも誰かの声が、するりと脳の奥深くへと浸透してくる。

 どれだけ拒もうとも、拒絶しようとも、広げた掌の指の間をすり抜けるように流れ込む。

 耳元で子守唄を囁くような言葉は、しかし矛盾するかのように距離感を感じさせない。

 どこか遠くから、直接頭の中に語りかけてくるかのように。

 まるで最初から、己の胸の中にその言葉が潜んでいたかのように。

 そんな不思議な感覚に支配される。


『東条勇火は才気義和にさえ劣るって』

「……違う」

『失望したハズだ。結局の所、東条勇火は一人で立ち上がる事すらできない弱い人間なんだって』

「違う、違う……ッ! これは、そんなんじゃ……!?」


 首を何度も振って否定した。

 あの時、東条勇火が得た物は失望なんかじゃない。

 責任とか、重圧とか、使命とか。絶対とか。そんな重たく大きい物を背負わずとも、人は自分が生き残るために己の選択の上で足掻き、戦う事ができる。

 選択には責任が伴い、それは立ち上がった者にも、立ち上がらなかった者にも、皆に等しく生じるのだから。

 だから世界とか、全てを救うとか、そんな大きい事を考えるのは馬鹿馬鹿しい事なのだ。

 一人一人の存在など世界に比べれば酷くちっぽけで、東条勇火一人の選択が大局に及ぼす影響など酷く些細な物なのだから。

 勇火が何を選択しようが、負ける時は負けるし、勝つときは勝つ。

 ならば、全てが終わった時に後悔しない選択を掴み取ろう。

 そんな、余りにも簡単な事実に気が付いたのだ。


 だから、これは決して、そんな失望と絶望の記憶なんかじゃ……。


『なら、東条勇火はその選択の結末を受け止めたの?』


 視界が歪む。

 次に勇火が視界に捉えたのは、勢いよく飛翔する気味の悪い心臓と、


『兄貴のアンタが、こんなところで諦めてんじゃねええええ!』

 

 「雷翼」を纏って飛翔する心臓に追いすがろうとする、一人の少年だった。左腕を失い、左脚も壊れ果てたその少年は、どこまでも満身創痍で今にも倒れてしまいそうなのに、決して諦めない。

 その瞳に宿る決意は揺るぎなく、燃え上がる闘志が、全ての絶望を跳ね除ける。


『いっけぇぇぇぇええええええええええええええええええええええ!!』


 その叫び声は、果たして誰の物だったか。


 そして、そして、そして……。

 ――最後に脳裏に焼き付いた光景があった。

 全ての結末。

 東条勇火が立ち上がった、立ち会った、その終焉。


 銅像のようになって、ピクリとも動かない。

 高見秀人の姿が――


『――これが、東条勇火の選択とその結末だ。でも、それが何だって言うんだろうね。結局、東条勇火が立ち上がらなくても、きっとどこかで帳尻が合うように世界は出来ているのに。欠けた小さな歯車の代わりなんて、どこにだってある。それで、そんな事実を改めて突き付けられて、東条勇火はこの結末を受け止められたのかい? 答えは否だ』

 

 受け止められるハズがない。 

 だって、こんな結末はあんまりだ。

 辻褄も帳尻も、何もかもが合わない。滅茶苦茶ではないか。

 

『分かったつもりでいた。自分の選択には、行動には、何の意味もないのだと。勝つときは勝つ。負ける時は負ける。東条勇火のような「小さな個」の選択で、世界は揺るがない。まるで言い聞かせるように、そんな事を思っていた』


 けれど、本当は?

 

『信じたかったんだよ。例えどれだけちっぽけでも、一見意味が無いように思えても、己の意志で選択し、立ち上がったあの瞬間と行動に、意味はあったんだと。価値はあったんだと。そう思いたかったんだ。でも、世界は無情にも何も変わらなかった。東条勇火がどれだけ血反吐を吐いて苦しんで、立ち上がった所で、高見秀人は失われた。選択に意味なんて無かった。……高見秀人が犠牲になった意味さえも』


 脳裏に焼き付いて離れない。悪夢にだって何度も見た。

 忘れられない。忘れたいのに、忘れてはならないのだと、戒めのように記憶に刷り込まれた結末。

 どうしようもなく冷たくなってしまった、高見秀人の体温が。

 

『分かるだろう。東条勇火は――「僕」は失望して絶望したんだよ。色んな物に。有り体に言えば世界とかそんなつまらない物に』


 原因不明の吐き気と共に、再び世界が歪んだ。

 

 再び視界が開けると、そこには先のチャラい金髪男が相変わらずな軽薄そうな笑みを浮かべていた。

  

「――はっ、はぁっっ、はっ、――はぁッ、はぁっはぁっっ」


 周囲の光景から察するに、おかしな幻影を見てから一秒と経過していない。

 体感時間的には数時間以上もの間、あの光景を見ていたように感じたのだが、時計の針が正確な時刻を語っている。

 両手両膝を地について四つん這いで喘ぐように呼吸する勇火に、男は全てを見透かしたような不快な笑みを浮かべて言う。


「随分顔色チャンが悪いけど、どしたん? “何か見たくない物でも見たような、そんな酷い顔してっけど”?」

「……ッ!?」


 反応してはいけない。

 男の言葉が図星だと、そう宣言しているような物だ。

 けれど、身体の震えばかりは隠す事が出来なかった。

 じゃらじゃらと、首からかけた大量のネックレスとチェーンを鳴らしながら男は勇火に近づいてくる。


「まあでもこれで、分かって貰えたっしょ? 自分が何を望んでいるか。その本質的な物をさ」

「何っ、を。……そもそも『創世会』が俺に接触して、どうしようって言うんだよ。俺に、兄ちゃん程の価値は無い。捨て置けば、勝手に潰れるような駒だぞ。アンタ達には俺に接触するメリットも、あんな物を見せる理由もないだろ……!」


 びっしょりと冷や汗を搔きながら、まだ吐き気の残る身体でそう吐き捨てる。

 けれど男は、ここからが本番だとでも言うように、ぐいっと身を屈めて座り込む勇火にその顔を近づけると、スムーズに返答した。


「理由チャンならあるぜモチノロン! 勇火チャンには、ちーとばかり東条勇麻チャンを裏切って貰おうと思っててさ」

「な……ッ!?」


 いきなりとんでも無い事を言い出す男に絶句する勇火。そんな勇火を尻目に、男は演説をするように語りを続ける。


「東条勇火が憎悪した物は何だ? 東条勇火が嫉妬したのは、東条勇火が絶望し失望した、本当に壊したい物は何だ?」


 ぐるぐると、勇火を回転の中心点として男が回る。

 それは少しずつ、渦巻きのように円周を小さくしていく。


「弱い自分? 人の意志など介在しないように残酷に振舞う腐った世界? ぜーんぶ外れ! 外れチャンよォ! 答えは一つ、最初から分かっているハズっしょ。普段は気が付かないだけ。裏返せば、少し見方を変えてみれば、そんなのは一目瞭然だってのにさァ!!」

 

 興奮したように言葉を捲し立てた男の手が、勇火の肩に置かれた。

 志を同じくする同志へと手を差し伸べるように、まるで東条勇火が自分の仲間であるかのようなその振る舞い。

 その勘違いも甚だしい態度に、勇火の怒りが爆発限界まで膨張するのを感じる。

 何が最初から分かっているだ。憎悪した物も、嫉妬した物も、絶望し失望した物などと言う物も、全ては目の前の男の妄想虚言妄言だ。

 『ネバーワールド』での出来事を通して、確かに勇火は何かを失って何を得ただろう。でもそれは、男の言ったような物ではない。

 東条勇火は、自分の価値を再確認した。ただそれだけの事。

 東条勇麻を裏切る? 創世会に付く? おめでたい頭を通り越して、不愉快だ。

 勇火はそのふざけた手を振り払おうとして、口を開く。当然のことを述べる為、男のふざけた言葉全てを否定しようとした。 


「俺は兄ちゃんが……東条勇麻が――憎い……?」


 ――は?


 自分で自分が、何を言っているのか分からなかった。

 いや、言葉の意味は理解できる。

 問題は、何故その人物名がここで勇火の口から飛び出したか、だ。


(違う、俺は……そんな訳がない。俺は、そんな事が言いたいんじゃ……)


 男は言っていた。

 普段は気が付かないだけ。本当は分かっている。裏を返せば、少し見方を変えれば、一目瞭然なのだと。 


(違う。そんなはずはない。だって、……嘘だ、そんな。まさか。俺は、心の何処かで兄ちゃんを……?)


 自分で自分を疑った。

 それがもう、致命的だった。


「ぐぅッ!? がぁっっっ!!」

 

 脳みそごと頭蓋を打ち抜き貫通するような、耐えがたい激痛が走った。

 拒絶反応のような尋常でないその痛みは、しかし溢れ返るドス黒い感情を押しとどめるには至らない。

 一度自覚してしまったそれはもう止まらなかった。

 雪解けの春に生じる雪崩のように、本来勇火がもっているハズの感情全てを押し流して、心の中を強引に埋め尽くし侵略する。


「ぐ、がぁ……ッ! ぁああああああぁぁあぁぁあぁぁぁぁぁぁアアアアアアアアアアアアアアアアアアあアアアアッッッ!!!?」 


 頭の中で、何かが爆発した。

 一秒前まで自分が何を考えていたのかが分からない。

 自分が誰なのか、誰が自分なのか、全ての認識が途絶し、再構築されていく。

 ただ目に付く物全てを粉々に砕いてしまいたい破壊衝動が、行場を求めて渦巻いている。


「キヒっ、キヒヒ! ……憧れは、自分に無い物を持つ他者への羨みから生まれる悪感情の裏返しだ。羨む気持ちはいつしか嫉妬へ、嫉妬は己や憧れの対象への憎悪や絶望や失望へと変貌する。憧れチャンってのはな、本来ドス黒く醜い感情チャンの塊なんだよォ!」 


 まるで何かに苦しみ悶えるかのように己の額を押さえて蹲る勇火。そんな勇火を見て、男はこれがクライマックスだとばかりに両手を横に広げて高らかに叫ぶ。


「でも、なら乗り越える方法は簡単だ。上回っちまえばイイっしょ。力で、強さで、全てで! 憧れをブチ殺せば、それはもう憧れを乗り越えた証明チャンじゃね!? 劣等感も無力感も小さな個の選択に価値のない世界とも、全部オサラバだ! 東条勇麻を殺せばそれで、全部塗り替えられるんだから!!!」 


 カッ!! と、音も光も塗りつぶすような、純白のエネルギーが、一人の少年を中心に水面に生じる波紋のように広がった。

 余波の衝撃に遅れて地鳴りが走り、建物が揺れる。老朽化していた電柱がグラリと音を立てて傾き、ショートしたような火花が散った。


 もうそこに、苦悶に叫び悶える少年はいない。

 バヂィバヂィッッ! と、背後に咲かせた四対の『雷翼』から青白い火花を迸らせ、他者を寄せ付けない剣呑な空気を纏った『神の能力者(ゴッドスキラー)』が一人、孤高に立っているだけだ。


 興奮と、ある種の冷めた思いとが同居したような視線で辺りを見回す。 


 世界が、どこまでも灰色だったその景色が、一変して見えた。 


「ようこそ、最強ヒーローチャン。『神化シンカ』した気分はどうだい?」


 気の置けない友に話しかけるような気安い男の呼びかけに、勇火は鋭い右の手刀を突き付けて返答した。

 鋭く振るわれた右腕に、遅れて生じた余波の風が、男の首にかけたネックレスを揺らした。 

 瞬時にその背に『雷翼』を纏った少年は、高圧電流を纏わせた手刀を、脅すように男の首筋に突き付けながら、ドロドロとした感情の見え隠れする言の葉を狂気の如く吐き出す。


「黙れ。……俺に指図するな」

「おお、これは怖い怖い。勇火チャンてば性格変わった?」

「俺は『創世会おまえら』の言いなりになんかならない。俺は俺のやり方で、兄貴を……東条勇麻を越えてやる。それだけだ。……失せろ、目障りだ」


 剣のある声でそう零した東条勇火は、しかし自分でも気が付かぬ内に凄惨な笑みをその顔に浮かべていた。


 ――力だ。

 抑え切れない程の力が身体の内から湧き上がってくる。

 今ならば誰にも、東条勇麻にも、奇操令示にさえも負ける気がしない。

 もう、消耗品だとも、交換可能な歯車の一部だとも言わせない。世界に無視される事なんてない。己の選択一つで、世界を自由自在に捻じ曲げられる。そんな全能感にも似た高揚に包まれ、高鳴る気持ちを抑えられない。

 どういう理屈で何が起きたのか。何故こんなにも急に、凄まじい力を手にしたのか。

 その全てが些細な事で、気に掛ける価値さえない、どうでもいい事に思えた。

 重要なのはただ一つ。あれだけ心の底から欲し望んでいた圧倒的な力を手に入れた、ただそれだけのはずなのだから。


 鈍く重い曇天の下で、東条勇火は不気味に嗤い続けた。

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